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2008年1月26日 (土)

発言の傾向から推し量る

凄くどうでもいいんだけど、ふと思った事。

私の文章は、「文系」、「理系」、どっち側の文に見えるんだろうか。

いや、やっぱり、人文系の分野に興味を持ったか、それとも理科系を好んでいたか、という部分が、文の書き方に反映される、という考えは、誰でも持ってると思うんですよね。あるいは、もっとメタに、「この文は、他人に○○系を思い起こさせるだろう」、とか。

もちろん、文中に、文学作品のタイトルが多く出るとか、自然科学系の学者の名前を頻繁に出す、とか、そういう所でも、「ん、この人は○○系かな?」と思わせたり。

そういうので、文系/理系を装う、と言うか、「それっぽく見せる」のも、可能な気がしますね。

ええ。もちろん、だからどうした、という話です。

2008年2月2日追記:コメント欄で、小説等の作品について、やり取りがあります。ストーリーの大まかな所が紹介されていたりするので、作家名をご覧になり、作品を未読の方は、ご注意下さい。

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「文系/理系」について」カテゴリの記事

「随想」カテゴリの記事

コメント

TAKESANさん
>私の文章は、「文系」、「理系」、どっち側の文に見えるんだろうか

どちらかというと、理系に見えます。ただし私は理系文系の区別について、深く考えた事は無いです。どちらの立場の人でも、合理的な考えを突き詰めれば、それぞれの意見の表明の仕方に明確な差は、無くなる様な気もします。ちなみに私の理想は、「ごった煮系」です(^^。

投稿: TAKA | 2008年1月26日 (土) 02:26

>TAKESANさん

poohさんとかTAKESANさんの文章は、文系のオレなどから視るとかなり不思議な感じがしますね、記述されているお考えの内容は論理的で理系っぽいんだけど、表現の仕方が文系的で余白があるというのか。

普通、こういう肌触りの文体の方の考え方は、もっとこう、感覚的で論理に飛躍があったりするモンなんですが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月26日 (土) 02:44

>TAKAさん

あ、もちろん、「どっちに見えるのかな」、というくらいの、軽い感じのエントリーなので(笑) 文章の雰囲気って、色々あって、それぞれが、いいものなのですよね。もちろん、「骨格」(論理性とかかなあ)みたいなものは、必要だとは思いますが。

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>黒猫亭さん

お、poohさんの文章と同じように見て下さるとは、嬉しいですね。
ちなみに、文章を書くにあたっての、モデルと言うか、参考にしている人は、幾人かいます(もちろん、言い回しを真似する、というのでは無いですけれど)。
感覚的な表現で言うと、柔らかく、すっきりと、解りやすく、矛盾無く(これ、感覚的表現じゃ無いし…)、というのを目指しています。

投稿: TAKESAN | 2008年1月26日 (土) 02:57

>TAKESANさん

そうですね、TAKESANさんの文章はプロセスをくどくど言わずにすっすっと言い切っていく感じですが、元々のお考えが論理的なので、敢えて言う必要のない部分をそぎ落としているという無駄のない感じですね。変に搦んだところがなくて爽やかな印象があります。時々意地が悪いような気もしますが(笑)。

poohさんの文章は、やはり経験からそのような手法を編み出されたんだろうけど、長く語っているエントリーでもごそっと省略がある場合がありますね。そこをもっと言ってあげたほうが親切なのに、と思うようなところを敢えて迂回して挑発しているような、まあ芸ですね(笑)。そうかと思うと物凄く直截なことを言い切ったりしますから、一種の緩急がありますね。

やっぱりお二方の文体は、相手取っている専門的領域の特性が幾許か反映されているのかな、と思っているんですが。

ちなみにオレの場合は、ネット歴の大半を言葉の通じない莫迦との不毛なバトルに費やしてきたので、「考えつきそうなプロセスを全部言い尽くして反論の余地を潰す」という身も蓋もない饒舌なものですが(笑)、殺伐としているばかりでは読んでいるほうも辛いので、第三者視点の娯楽性みたいなものはいつも意識しています。要するにウケをとって笑わせたいんですね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月26日 (土) 03:21

黒猫亭さん、今日は。

いやいや、褒め過ぎです。「意地が悪い」というのは、その通りですけど(笑)
こういう反論があるかな、と思って、そこのスキを残しておく事は、あります。それへの答えも、書いた時点で用意しておく訳ですね。

黒猫亭さんの文章は、面白いですね。うん、面白い。「読ませる」という表現がぴったり。

投稿: TAKESAN | 2008年1月26日 (土) 12:44

こんばんは。面白いエントリですね。

文/理というイメージからすると、私としては黒猫亭さんとapjさんが両極かな、という気がします。それでもきちんとコミュニケーションが取れているのは、お互いに論理的に考えているという点で通じているからなのだろうと思っています。勿論TAKESANさんやPoohさん、その他こちらにコメントなさる多くの方々も基本的に論理的思考の出来る人ばかりだと思います。

「ことば」というのは思考を表現する手段であると共に、逆に思考を効率的に行う為のツールにも成り得ます。ですから文章にはその人の思考パターンというか考え方の癖が現れるのですね。反対にTAKESANさんの仰るように、そこを擬装するのも可能だとは思いますが、結構な高等技術ですよね、それって。

と言うような文章を書いている私は、やっぱり理系に見られるのでしょうか。自分としては小説のような文章に憧れているのですけれども。

投稿: PseuDoctor | 2008年1月26日 (土) 23:39

PseuDoctorさん、今晩は。

理系/文系をテーマに何か書いて、それについて議論が起こると、雰囲気が殺伐となる事があるので、それをテーマにしつつも、互いの良い面を見出していこう、という感じで、エントリーを立ててみました。※「だからどうした」、と書いたのは、印象を軽くするためですね。

やっぱり、文章の雰囲気は異なりつつも、共通する骨格のようなものがあるから、コミュニケーションが成立するし、議論を深めていけるのだと思います。

 >結構な高等技術ですよね、それって。

ですね。「解って」いないと、出来ない事ですね。だけれど、「解っている人」がそんな事をやるメリットがあまり無いので、ほとんど意味が無い、という。

PseuDoctorさんの文章は、科学や論理への深い理解を持っているが、それをなるだけ噛み砕いて、誰にでも読めるように丁寧に仕上げてある、という印象です。ええっと、これは、書くのがおこがましいのですが…。方向性として、自分と似ているのかな、と思ったり。

投稿: TAKESAN | 2008年1月27日 (日) 00:07

>PseuDoctor

apj さんと並べて戴くと恐縮ですねぇ、一見素気ない書き方でも理系的な「論」の展開では隙のない方ですから、「ウォッチング」をロムしていた頃から面白い方だな、と思っていました。まさか直接対話することになるとは努にも思いませんでしたが。議論もお強いですが、こういう強さは好きですね、ディベート的な屁理屈でない分嘘がなくて、多分合意に達したらゴネないんだろうな、と思わせる潔さがありますね。

実はオレも、単に言葉の手数が多いので口が巧いというふうに思われがちなんだろうけど、多分ディベート的な議論は弱いんだろうな、と思うことが屡々ありまして、自分で間違っているとわかっていることを言い張るのはダメですねぇ、どうしても突っ張りきれないんですよ。

PseuDoctorの文章については、やっぱり似たところの在る方はわかるんだな、ということでTAKESANさんに同意しておきます(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月27日 (日) 13:12

>PseuDoctorさん

あ、すいません、別エントリーのみづさんのネタみたいになっちゃいましたが、呼び捨てになってしまったのは、綴りを間違えないようにコピペした際の単なるミスですのでご容赦ください。別に寝ても覚めても「にゃーの人」のことを考えているというわけではありませんので(笑)。いや、久々の喧嘩でワクワクしているのはあるかもしれませんが。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月27日 (日) 13:18

 >自分で間違っているとわかっていることを
 >言い張るのはダメですねぇ
これ、よく解ります。だから、自分がおかしいと判明したら、あ、間違えました、って、すぐに言うのですよね。私は、「どうなっているか知りたい」と思っていて、「自分が言っている事が正しいと主張したい」訳では無いので、そういう感じなんですよねえ。
でも、世の中には、なかなか素直に認めない人も、いますね。自分の言っている事が妥当だというのを支持するちゃんとした証拠を探してきて議論を挑む、というのは健全なのですが、「自分の賢さを誇示したい」と言わんばかりの、その場しのぎの言い訳に終始してしまうのは、みっともないなあ、と思います。「負けないための議論」は、実りが無いですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月27日 (日) 13:49

TAKESANさん
>「負けないための議論」は、実りが無いですよね。

小心者でも、ネットでは堂々と自論を展開できますからね。(私の事です)
地下に眠るMさんを最初に見かけた時の印象は、「頭の良さそうな人」でした。その後、NATROMさんの所で無知な発言をする人に対して、馬鹿にする様なレスをしたのを見てからは評価は下がりました。その時NATROMさんが地下に眠るMさんを注意することは無かったと思います。不思議でした。

大切な常連さんだから、ブログ主は大目に見てしまうのでしょうか。私は、常連でも初見でもきちんと対応してくれるサイトに好感を持ちます。(Interdisciplinaryの事です!)

>PseuDoctorさん
月曜から黒猫亭さんは、apjさん並の辛口ツッコミ芸を展開しそうな予感です。色々修羅場をくぐり抜けていそうだからです^^;。あれこれ揉めた挙句、地下に眠るMさんが勝利宣言をしないで黒猫亭さんと合意に達する結末を希望しています。(可能性は零ではありません^^)

投稿: TAKA | 2008年1月27日 (日) 20:48

>TAKAさん

一応反論の為にあの人のコメントを全部もう一度読み返してみたんですけどね、頭が良い人というより、自分を頭が良いと思いたい人という印象ですね。相手が自分の言うことを理解出来ないのは、相手が頭が悪いからだと思いたい人なので、ああいうわかりにくい言い方をするのだし、ああいうふうにすぐにキレるんですね。

相当自己愛の強い人らしいですが、幾つくらいなんでしょうね。なんだか社会人とは思えないくらい心性が未熟な人という印象なんですが。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月27日 (日) 21:46

今日は大学入試センター試験の再試験がありましたが、にゃーの人が受験したというのがそれかどうかは、もちろん、わかりません。

投稿: かも ひろやす | 2008年1月27日 (日) 22:22

>黒猫亭さん
あの御方は過去に、kikuloguで菊池さんにその不遜な態度を指摘されると文体を変えました。つまり手強い論客には下手に出て、弱そうな相手には尊大な態度を取っていたのです。今後、黒猫亭さんがお相手する事で、あの御方の気持ちに変化が出れば良いと私は思います。

「あの御方が一方的に勝利宣言して議論は物別れ」、という結末を私は望んでいません。…と言いたい所ですが、某F氏の例もありますから望み薄かも知れませんね。今は取り合えずあの御方の言動を、私の反面教師と致します。

投稿: TAKA | 2008年1月27日 (日) 22:30

理系といっても,自然科学系(基礎科学系)と応用科学系(技術・技能系)では,かなり違うような気がします。また,それぞれを標榜していても,内実は違ったりするのでややこしいですね。私の場合,マクロ生物系なのですが,同じ理系として重なる部分も感じながら,いわゆる理系批判的な話を食らったときに,誰の話じゃ?当てはまらね〜と思ったり,こちらは事情が異なるなぁと感じたり。
 私の写真の師匠は,文系でしたが,私にいわせると思考は理系人間そのもので,理系文系が意味のない区分だと感じられた方でした。その逆の人も居ました。両刀と言って良い人も居ないわけではないと思います。影響されてきた分野に特有の考え方,システムなども分かりますが,理系文系でばっさりやれるほど,世界は単純ではないと思います。立ち位置の異なる人間に対して批判的な気分になるより,門外となると,なぜ勘違いするか,なぜ理解しそこなうのか,そのあたりの仕掛け自体に今は興味がいってしまいます。

投稿: complex_cat | 2008年1月27日 (日) 23:01

こんばんは。

まず、本日実施の試験について。学生だけでなく、社会人でも受けそうな試験を調べてみました。意外とありますね。金融業務検定、ファイナンシャルプランナー、全商簿記検定、英検とか。

>黒猫亭さん
いや、どうかお気になさらず。今後の展開を楽しみに(笑)しておきます。

>TAKESANさん
例によって過分な評価を頂いているとは思いますが、確かに方向性は似ているような気がします。そう言われてちょっと思い付いた事があります。対ニセ科学へのアプローチという面で捉えると、私やTAKESANさんのスタンスはどちらかと言えば「知識を身に付ける」という部分を主眼にしているのに対して、Poohさんや黒猫亭さん(そしておそらく技術開発者さんも)は「コモンセンス(というか考え方の癖)を身に付ける」点を重視しているように思えます。

勿論「知識」と「コモンセンス」は対立する概念などではなくて、むしろ相互補完的なものだと思います。だから両方をバランス良く備えるのが理想なのでしょうが、どちらを重視してアプローチするのかは、それこそ人によって無限のバリエーションが存在するのでしょう。

だからこそ「それぞれの人が各自のやり方でやる」事に意味があるのですね。

投稿: PseuDoctor | 2008年1月27日 (日) 23:07

皆さん、今晩は。

>TAKAさん、黒猫亭さん、かも ひろやすさん

そういえば、なんで、NATROMさんは、注意なさらないのでしょうね。「芸風」と捉えておられるのかな。よく解らないですが。一般的に見て、全く褒められた言葉遣いでは無いと思うんですけどね。※他のブログや掲示板管理について物申す意図は無いです。

あ、今日、センターの再試験なのでしたか。いや、資格試験とか昇進試験の類の事かな、と、適当に考えていたのでした。そこまでお若いという印象は、持っていなかったので。

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ご存知無い方へ案内。

TAKAさんが仰っているのは、kikulogの、「血液型と性格」エントリー、にての事です。ご存じ無い方で、興味がおありならば、発言の傾向の参考として、読んでみるのも良いかも知れません。
※ただし、「態度」についての論評は、ほどほどにお願いしますね。←読むと強い感情が喚起されるかも知れないので(当時読んでいた方は、解って下さるかと)、あらかじめ。

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>complex_catさん

これだけ専門分化したり、また、学際的・領域横断的な研究分野が出てきたりすると、本当は、理系/文系という、二分する考え自体が、無理があったりするのですよね。

私自身、理系/文系と意識する事自体がほとんど無い状態の時に、色々勉強しようと思って最初に紐解いたのが、高岡英夫氏の著作でした。今読むと、批判すべき点も多々ありますが、学問を追究するにあたっての臨み方などは、とても良い事が書いてあります。だから、「科学」を意識した時点で、自分は、総合科学的な視点が普通だと思ってたのですね。

世間一般に言われる所の文系/理系を考えると、単に、「記号や計算に強い」というのを象徴する表現になっているなあ、という印象です。
後、その分類が、大まかな勉強の傾向を示すのは確かなので、そういう意味合いで使うのは、構わないかと思っています。事実、高校の時点で理系/文系どちらを志望するかによって、全く教科のコースが違ったりする訳ですしね。

と、なんだか意味が解らなくなってきた(笑)
結局何が言いたいか。
「文系/理系」という概念自体が、かなり多義的である、という事ですね。だから、誰かがそういう分類をしているのを見ても、自分自身が持っている意味内容で解釈すると、誤解を招いたりする。
実際、自分の属さない分野を誹謗したりする目的でそういう分類を持ち出す人はいるので、慎重に使うのがいいかな、とは思います。

投稿: TAKESAN | 2008年1月27日 (日) 23:42

PseuDoctorさん、今晩は。

あ、なるほど、その視点は興味深いですね。

仰る通りで、私は、「知識を身に着ける」という面を、メインに論じています。幾度か書いているように、「論理的・合理的思考能力があっても、”知識”が乏しい故に、ニセ科学を信ずる」事がある、というのを、意識しています。もちろん、(これも仰るように)知識とコモンセンスは独立する概念では無い、というのはポイントですね。

 >だからこそ「それぞれの人が各自のやり方
 >でやる」事に意味があるのですね。
全くそう思います。
色々な視点からの意見が総合される事によって、全体像がおぼろげながらも明らかになってくる、という事なのだと考えています。後、使っている言葉は違っていても、実は内容は似ている、という場合もありますしね。

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余談。

全商簿記検定、懐かしい…。
内容、全くと言っていいほど憶えて無いのが、最高。まさに、言葉と言葉の単純な結び付けで「暗記」したから、そんな事になってしまったのでしょうねえ。大体、「面白い」と思った事が無かったし。もったいないなあ…。

投稿: TAKESAN | 2008年1月27日 (日) 23:51

こんばんは。僕は理系でも文系でもない分野で仕事をしています。というよりも、どちらにも大きくまたがっていると言った方が良いかもしれません。
文章を書くことは、以前ものすごく苦手だったのですが、必要に迫られたり、訓練することで、どうにかこうにか出来るようになってきたかなあという程度です。僕の文章は、文理どちらよりに見えるのでしょうか?
もう結論は出ていると思いますが、どちらかに分けられるものではないですよね。仕事柄、古生物学者の友人が多いので、理系の人間とよく話をしたり、文章のやりとりをしていますが、知的好奇心、知的探究心の強い人間にとっては、そんな垣根はなんの問題もないのだと感じることが多いです。

投稿: corvo | 2008年1月27日 (日) 23:58

corvoさん、今晩は。

corvoさんの文は、とても綺麗に組み立てられている、という印象ですね。整然、と言うか。多分、理系的と見られるんじゃないかと。

これは持論なのですけれど、文章を書くのが嫌いで、その後に色々書くようになった人って、「シンプルで読みやすく破綻の無い」文章を心掛ける方向に行く気がします。もちろん、自分の事です(笑)

拘らずに、垣根を取り払っていければいいですね。このブログは、そういった思いも込めて、作ったものだったりします。タイトルに芸が無いですけど(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年1月28日 (月) 00:20

皆さんこんばんわ。少し目を離していた間にツリーが伸びていますね(笑)。

で、ちょっとあの方をご存じの方に確認しておきたいのですが、テクストの内容を読み返すとかなり厳しいというか、人格全否定に近い内容になってしまっているんですが(笑)、そこまでこっぴどく批判しても構わない相手ですかね? 少しでも見どころがあるというか、好意的に視られる方がいらっしゃるようだったら、もう少し表現を和らげようかとも思うんですが。

まあ、一応TAKAさんが懸念されているような「勝手に勝利宣言」では逃げられない筋道の反論になっていると思いますので、その点では心配ないと思うのですが、我ながらちょっと気が差してきましたので(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月28日 (月) 00:27

>PseuDoctorさん

こんばんわ。オレ自身、そんなに物覚えが良いほうではないので、ブログを書くにも一々調べている有様ですから、人様に「知識を蓄えろ」と偉そうに語れないという事情もあります(笑)。

そもそもオレやpoohさんの立場では、かなり底辺までのリテラシーを視野に入れているのだと思いますから、剰り知的に負荷の高い方法論では有効ではないだろうという理由もありますね。

その辺のオッチャンとかオバチャンまで含めてニセ科学に騙されないコモンセンスが確立されるには、というふうに考えると、PseuDoctorさんが「考えの癖」と表現されたような作法が重要なのかな、と。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月28日 (月) 00:35

個人的には、人格に踏み込む評価は、抑え気味にして頂けるとありがたいです。もちろん、相手の戦術的な面の分析等は、全然構わないです。
尤も、この辺は、ちゃんと分けるのは難しいので、匙加減で。

※差し出がましいようですが、一応、このブログでは、という事でお願いします。

投稿: TAKESAN | 2008年1月28日 (月) 00:49

>TAKESANさん

一応「動機において悪意はない」といういろいろな人のアドバイスは踏まえているので、普通の意味で謂う人格批判ではないんですが、言論姿勢が剰りにもダメダメで他人に不当な態度である、という部分の批判がどうしてもかなりキツくなるんですよ(笑)。

これがもう、あの方のコメントの流れを詳細に視ていくと、どんどんダメダメに見えてくるので、そこを指摘して、きちんと「この儘じゃ誰にも相手にされなくなるぞ」ということをわからせないとダメなんじゃないか、ということなんですが。

まあ、人格批判に及ぶのは少し違うだろうけど、受け取る側がかなりキツいと感じる言い方自体はアリだろう、というご意見ですかね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月28日 (月) 01:00

complex_catさんのおっしゃる自然科学系(基礎科学系)と応用科学系(技術・技能系)の違いは、この方面で仕事をしていると常に感じることです。「発言の傾向から推し量る」に即していえば、「それで何がわかるか」を意識して議論するのが前者で、「それで何ができるか」を意識して議論するのが後者と分類できます。

理学系の研究集会では前者のスタイルでしゃべって、工学系の研究集会に行くと後者のスタイルに切り替える器用な人もいるので、もしかすると、人の属性ではなく立場の属性かもしれません。

ちなみに、国際会議にもラフな服装で参加してしまう人たち
http://www.i.h.kyoto-u.ac.jp/cca2005/photo/
と、ローカルな研究集会でもスーツとネクタイで参加する人たちという分類もあります。どういうわけか、基礎科学系/技術・技能系と弱い正の相関関係があるようです。

投稿: かも ひろやす | 2008年1月28日 (月) 01:45

黒猫亭さん、今日は。

相手の精神性に言及する際に加減して頂ければ、基本的には、自由に書いて貰って構わないです。

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かも ひろやすさん、今日は。

ラフですねえ。
そういえば、kikulogでも話題に出てましたね。

場によってスタイルを切り替えられる、というのは、良いですね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月28日 (月) 11:50

あれから変わった事情もなかったので、用意しておいた反論を上げました。ご一読の上、ご講評を戴ければ幸いです。

しかし、ココログのコメントシステムで撥ねられたのは初めてだなぁ。しょうがないので三分割にしましたが。ブログ公開以来最長のコメントがにゃーの人に対する反論というのは、何だか虚しいです(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月28日 (月) 19:02

本筋とずれるコメントで失礼します。

>どういうわけか、基礎科学系/技術・技能系と弱い正の相関関係があるようです。

 どういうわけか、物理系=ラフ、化学系=スーツ、という傾向があります。理学部での話ですが。卒業研究発表会等でも、物理は普段着、化学はスーツです。学科別にやっている分には問題無いのですが、お茶の水大のように、大学院で物理の一部と化学の一部が同じ専攻科だったりすると、論文発表の審査委員は物理&化学の先生方で、学生は物理系はラフ化学系はスーツで発表。終わった後で、化学系の先生方は物理の学生に対して「何で発表会なのにあんないい加減な恰好で来るのっ(怒)」で、物理の学生は「発表は内容が全て、一体この先生は何を怒っているのかさっぱり見当もつかない」という文化摩擦が生じています。

投稿: apj | 2008年1月28日 (月) 22:43

>黒猫亭さん

先ほど読み終わりました。

多分、レスは無いだろうな、と思います。あれほど徹底的に書かれれば。徹底的に書かれたから徹底的に返す、という可能性も、考えられなくは無いけれど。

後、FREEさんのコメントの分析は、見事だと思いました。ただ、地下に眠るMさんに対してFREEさんが「好意的」であったかどうかは、ちょっと解らなかったです。

------

apjさん、今晩は。

 >一体この先生は何を怒っているのかさっぱ
 >り見当もつかない
すいません、この部分に、軽くウケました(笑) なんかイイですね。いや、私自身、思いっきり、その物理系よりの考えだったりするので。

投稿: TAKESAN | 2008年1月28日 (月) 23:41

あ、そうだ。

>黒猫亭さん

ココログのコメントで文字数制限に引っかかるって、初めて聞きましたよ(笑) しかも、それで三分割…。

投稿: TAKESAN | 2008年1月28日 (月) 23:51

こんばんは。

>黒猫亭さん
拝見しました。流石に全ての逃げ道をきっちり塞いでおり「容赦ない」と言えばその通りです。しかし違う見方をすれば「とても親切」と言えなくもありません。もはやこの件について本人があれこれ悩む必要は無い訳ですし、これだけ懇々と諭された(と私には思えました)のは、おそらく彼の人生の中でも初めてでしょうから。

投稿: PseuDoctor | 2008年1月29日 (火) 00:09

>TAKESANさん

面倒くさいものを読んで戴いてありがとうございます。昨日TAKESANさんから戴いたご要望の通りになっているかどうか不安もありますが、まあ最終的にあれ以上の書き方は出来ませんでした。

FREEさんについては、実のところオレも真意はわかりませんし、蒟蒻問答に苛立った傍観者という可能性もないわけではありませんし、寧ろ悪意的なからかいという可能性もありますが(笑)、いずれにせよ、それこそ「渡りに船」とばかりにウカウカと飛び付いて「まとめを訂正」したのは軽率だったと思います。その時点でFREEさんのまとめが一種の逆説的批判になっているということに気附いていないということを暴露してしまったわけですから。

>PseuDoctorさん

過分なご評価を戴いてありがとうございます。当然オレも人間ですから、ああいう幼稚で自己中心的な態度を憎む悪意はあるわけで、所々かなり皮肉が混じりましたが、悪意だけで言っても伝わらないこともわかっていますので、真面目な忠告として語るように心がけました。まあ、オレ自身「この人について書かれたネット最長の人物評だろうな」とは思います(笑)。

いずれにせよ、ここで皆さんから伺ったことがかなり参考になり、オレ自身剰りイヤな想いをせずに済みましたので、お礼を言わせていただきます。まったく未知の人物だったら、排除のみを目的としたもっとキツい表現になっていたかもしれません。どういう人間かを識らなければ、排除を確実なものとする為にさらに苛烈な攻撃を加える必要がありましたから。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月29日 (火) 00:35

>黒猫亭さん

あ、ぼかした言い方をしてしまいました。すみません。

私は、FREEさんと、コメントのやり取りをした事もありますし、他所でもご意見を拝読しています。
で、その経験から、FREEさんが素晴らしく誠実な態度の持ち主だ、と考えています。

そして、その誠実さは、誰に対しても同じような態度を採られる、という姿勢にも現れていると感じています。
従って、たとえ、地下に眠るMさんに「全く好意的で無くとも」、FREEさんはああいう書き方をされるだろうな、と思った次第です。

FREEさんがコメントをされた動機については、議論が不毛な方向に行ってしまいそうになっている(もちろん、地下に眠るMさんのコメントによって)のを憂いたから、だと捉えました。

------

PseuDoctorさん、今晩は。

「届け」ばいいと思っています。ただ、望みは薄い、とも考えています。
私が、地下に眠るMさんについて、ほとんど直接的に言及しないのは、実は、もの凄くネガティブに捉えているから、なのですね。当然、過去の、他人とのコミュニケーションを観察した結果、そういう認識に至りました。
私は、強烈にネガティブに捉えている人については語らない、という方針を採っていますので、今のような態度になっています。←これ自体、一つの言及ですけれども。

投稿: TAKESAN | 2008年1月29日 (火) 00:58

>TAKESANさん

ああ、やはり立派な方だったんですね。これでこの方が悪意的な方だったらやるせないなと思ったんですが、そうと聞いて一安心です。

オレの印象としては、自分を頭が良いと自惚れている坊やに比べて(比べるのも莫迦らしいですが)凄く頭の良い方だなというもので、全然こいつ掌の上で踊ってるじゃん、と思いましたね。たった二回のコメントで、物凄く的確なアシスト入れてますから。最初は彼の仲間かと思って「何言ってんの?」とか思ったんですが、よく読むとあれだけの短いコメントで見事に蒟蒻問答を捌いておられる。頭の良い人っているんだなと思いました。

多分、助け船を出された当人は、自分と同格かそんなモンだと思っているんでしょうけどね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月29日 (火) 01:15

ああ、そっか。

私自身に、凄くバイアスが掛かっていたようです。

と言うのも、黒猫亭さんの所に、apjさんや技術開発者さんが書き込みをされていて、そこに地下に眠るMさんがいらして、コメントを入れた。そして、色々やり取りがあった後に、FREEさんがいらしたのを見て、「おや、FREEさんだ」、と思ったのですね。私は、kikulogでもよくお見かけするし、ここでも色々教えて頂いているので、「FREEさんが信頼出来る方だ」というのを、他の方にも了解されている事のように、認識してしまっていました。
つまり、色々な所でなされたやり取りが既知であると勝手に前提してしまった、という。

これは早計でした…。

ちなみに、私とFREEさんとの結構長いやり取りは、こちらです↓

(コメント欄) http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_6bbf.html

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_bb0c.html

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c7af.html

私の変な意見にも丁寧に接して下さる書き込みで、その誠実さが垣間見られるかと思います。

投稿: TAKESAN | 2008年1月29日 (火) 01:29

>TAKESANさん

ざっと読ませて戴きましたが、興味深い遣り取りですね。多分当時こちらに知遇を得ていたらオレも参加していたんじゃないかな、とか思ったりして、それだと収集が附かないほど長くなったかなと思ったり(笑)。

ちなみにオレはFREEさんが仰るように「信じる」という状態は合理的な根拠を必要としない現在を謂うのだろうと考えていますが、TAKESANさんがそれに異議を唱えられる理由も何となくわかります。心理学的に認識の機序を捉えると、「根拠を必要としない現在」にも何らかの無意識下の具体的な経緯があるはずなんで、それを考えるのが心理学なんだから、FREEさんの仰る一種哲学的な捉え方とは対立点が生じるのだろうな、と。

そういう意味では結構スリリングな議論でしたね。

あ、いや、ここでは過去の議論に立ち入ることが重要なんではなくて(笑)、この遣り取りを拝見して、FREEさんのお人柄の一旦が垣間見えたような気がしました。こういう穣りある議論なら粘り強く附き合われる方なんですね。そういう意味では、今回のように何も生み出さない、個人のプライドを満足させる為だけの議論に業を煮やしたというお気持ちもわかるような気がします。

ただ、オレはそれも含めて、にゃーの人の立場では有り難い「厚意」であり「好意」と視るべきであったと思います。FREEさんの本当のお気持ちはご自身にしかわからないですが、あそこで議論をストップしておけば彼のプライドが痍附くようなことにはならなかったのだし、一応の面子も立っていたのだから、それで収めてはどうですか、というのは彼の為にもなる有り難い申し出だったはずです。

本当の動機はどうあれ、他人が自分のことも考えてくれるというのは、やはり有り難いことだと思うんですよ。普通なら、他人のことなんてどうだっていいといのが人間の本音なんですから。

そう思って欲しいという気持ちでああいうふうには書きましたが、TAKESANさんの予想では伝わらなそうですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月29日 (火) 02:04

黒猫亭さん、お早うございます。

今振り返ってみても、私の考えは、心理学的と言うか行動科学的と言うか、そちら寄りだったのだろうな、と感じます。

自分でも、議論のやり取りの仕方としては、良いものであったと思っています。

厚意が伝わると良いですね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月29日 (火) 11:19

>TAKESANさん

アクセス解析でミクシから幾つかアクセスがあったので見に行ったら、にゃーの人の日記でした(笑)。今日明日にもレスする気みたいですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月29日 (火) 13:11

ありゃ、そうなんですか。

うーん、一体どんなレスを…。軽くやな予感もするけど。

ともかく、やり取り、読ませて頂きます。

投稿: TAKESAN | 2008年1月29日 (火) 13:43

>TAKESANさん

少しだけ期待していたんですが、やっぱりTAKESANさんの予想通りでした(笑)。反省していないどころか話が一ミリたりとも通じていないことに目眩がしそうになりましたねぇ(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月29日 (火) 17:08

なんだか、地下に眠るMさんは、「十把一絡げ」という部分に、拘っておられるみたいで。

で、黒猫亭さんが初めに言及された部分を引用してみると(引用文中の引用文は、地下に眠るMさんのもの)、
▼▼▼引用▼▼▼
>>とはいえ、「ニセ科学批判」の立場のヒトにはどうも科学主義的な世界観のお方もけっこういるのではにゃーかとも感じたりしますにゃ。最近のドーキンスに共感しちゃっているヒトも多いみたいだし。

というような括り方は、本来個別の論者毎に「科学主義的な世界観の持ち主であるかどうか」ということを視ていくべき事柄であって、個人名を挙げずにそのように十把一絡げに括るのは流石にどうかという気がしますね。

こういう言い方をすると、たとえば自分は科学主義的な世界観なんか持っていないという方が不満を表明しても「別にあなたのことを言ったわけではないですよ」と幾らでも言い抜けが利きます。ニセ科学批判者集会でも開いて全員に聞いて回るしか反論しようがない言い方で特定の言説を語る人間の傾向一般を決め附けるのは、文系・理系に関係なく不公平な言い方なのではないでしょうか。
▲▲引用終了▲▲
(投稿 黒猫亭 | 2008年1月24日 (木曜日) 午前 12時06分)

こうあります。そして、最新の地下に眠るMさんのコメントでは、

▼▼▼引用▼▼▼
「ニセ科学批判者の中には科学シュギシャもいる」といったら「ニセ科学批判者を十把一絡げに科学主義者と決め附ける」と論評されるレベルの単純なやつがね。こんな誤読・読み落としに僕の側に責任があるってのはすさまじい話だにゃ。
▲▲引用終了▲▲
(投稿 地下に眠るM | 2008年1月29日 (火曜日) 午後 04時18分)

こう。

誤読・読み落としをしているのは、一体どちらかな、と思います。
て言うか、「ずらし」が結構見られる気がする。だから、とっても読みづらいし、「初めに何を言いに来た」のか、結局何を主張したいのかが、全然解らない。

投稿: TAKESAN | 2008年1月29日 (火) 18:50

>TAKESANさん

こういう性格のレスが返ってきた時点で、こちらのレスは事務的宣告のみで次から削除、そういう段取りになるでしょうね。ミクシを読むと、向こうもそういう流れを予想した最後っ屁のつもりみたいですが、この人は自傷癖でもあるのでしょうか。最後に一言だけ言い置くなら、もっと自分に有利になる言葉は幾らでもあったでしょうに。

何というのか、わざとなのかと思うくらいこちらのプロファイルに忠実なコメントスタイルなのに呆れましたねぇ(笑)。たしかに仰る通り「ずらし」の指摘が多いですね、肝心要のところはすべて直接引用ではなく「整形」してるところが味噌ですか。反論の余地をすべて塞がれたので、改竄で応じるしかなかったのでしょう。

まあ、普通に言うなら、満天下に知的誠実性どころか知的「能力」の欠如を晒した形になりますので、自滅ということでいいんじゃないかと思います。何故感情を抑えられずに自分だけが損をするような愚挙を犯すのか、大変残念です。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月29日 (火) 19:21

ある意味予想通りだった、という事ですね。

 >肝心要のところはすべて直接引用ではな
 >く「整形」してるところが味噌ですか。
もちろん、要約でも、文意を曲げる事無く適切に行われれば良いのですが、どうも、ちょっとずれてしまっているように思えました。当然、「ずらしている」かは、判りませんけれども。

投稿: TAKESAN | 2008年1月29日 (火) 22:24

こんばんは。今回は長文です。

お疲れ様でした。やれやれ、ですね。結局、以前と比べて変わったのは語尾だけで、kikulogに来られた頃と本質的には何も成長していないんですね、彼は。

私が最も「タチが悪い」と感じる点は、彼ぐらいの知能があれば「もっと解り易く持論を述べる」くらいの事はさして難しくも無い筈なのに、それを怠っている点です。しかも常習的にそうした論を撒いている訳ですから「たまたま」「うっかり」ではあり得ません。

それでいて「誤読だ」と騒ぎ立てるのは、論争をしたいが為にわざと不親切な書き方をしているのではないかと思われても仕方ない。kikulogで彼が相手にされなかったのは単なる文体の問題だけではなく、そういう部分まで含めた「議論に臨む態度」「誠実さ」の問題だと理解していたのですが、どうも本人には未だに御理解頂けていないようです。

おそらく、それほど悪気は無いのでしょう。しかし一言で言えば、とても幼稚です。知能の発達に精神の発達が追い付いていない感じですね。今回の黒猫亭さんのコメントも、ぶっちゃければ「お前さん、こんな事ばっかりやってちゃぁ、そのうち誰からも相手にされなくなるよ」という非常に明快なメッセージであった訳ですが、それを受け取れないのであれば、とりあえず付ける薬は無いといったところでしょう。

という殺伐とした話ばかりでは悲しいので、少しほのぼのとした話題を。
少し前に話題に出たFREEさんですが、私も端的に言って「極めて聡明かつ誠実な方である」と思っています。初めて書き込みを拝見したのはkikulogのドライヤー(本当はナノイー)の記事でした。最初は「切れ味の良いコメントを書く人だなあ」と思っていただけですが、ちょっと私がキレてしまった時に少々フォロー頂いた事があって有難かったです。しかもその後、まさしくここTAKESANさんのブログで御本人が「感情的になってしまい恥ずかしい」とコメントされていたので益々私は恐れ入ってしまったものでした。

そして今回、そうしたFREEさんの人となりを僅かなコメントから的確に見抜かれた黒猫亭さんも大したものだ、というのが正直な感想です。
勿論、こうした場を提供してくださっているTAKESANさんにもいつも感謝しております。ゲームやアニメの話も楽しんでおりますし。

そう言えば黒猫亭さんの特撮バナシにも興味はあるんですが、チラッと覗いたらかなりディープな内容っぽかったのと、最近の話題には疎いもので少し腰が引けています(笑)。

投稿: PseuDoctor | 2008年1月29日 (火) 23:52

PseuDoctorさん、今晩は。

私の印象は、「迂遠であるな」、というものでした。後、冗長。論を戦わせてお互いに知識や認識力を向上させる、という所以外の、無駄なやり取りを仕掛けるような、文章の「攻め」が多過ぎる。
ちなみに、地下に眠るMさんは、たまに、いわゆる「普通の」文体を用いますね。そのギャップによって、「モード」の変化を読み手に意識させる、という戦術があるのかは、私には判りませんけれども(ちょっと余計な事ですね)。

まあ、感想としては、ネットゲームのロールプレイみたいだな、と。議論において、「駆け引き」は重要だし、色々戦略を練る事もあるでしょうけどね。加減は大切かな、と思います。

何度か書いていますけれど、「言葉(遣い)に力を持たせる」のが、嫌なのですね。

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FREEさんに対する印象は、全く同意ですね。
もしこちらをご覧になる事があったら、却って恐縮なさるかも知れませんけれど(笑)

こういう場を設ける事によって最も得をしているのは、私だったりします。すっごい変な言い方ですが、「自分のため」なんですよね。自分を向上させるため。私は利己的なのです(笑)

黒猫亭さんの所の特撮話、ちょっと覗いた事があるのですが、濃いですね~。仮面ライダーは「555」以来観ていない私などには、かなり濃いです。

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 00:36

>PseuDoctorさん、TAKESANさん

なんか本人も幼いという自覚、というより自身を幼い者と規定しているらしいですよ。アンファン・テリブル気取りというところでしょうか。まあ、オレの立場では、彼に対して割くべき義理のある一生分の労力はもう費やしてしまったので、もう無駄なリソースを割くつもりはありません。一両日晒してから、事務的にレスしてケリを附けるつもりです。

基本的にオレは、わざわざオレがあんなコメントを書かなくとも、普通のROMの方には「この人の言うことは何だかふらふらしていて掴み所がない」「他の論者は指摘した問題点に対する説明を待っているのに頓珍漢な答しか返ってこない」ということはわかるし、それで十分だと思います。

ご本人がそれでは十分ではないと言い張るので、反論させて戴いたわけですが、本当は多少議論の手際や心懸けが悪い人がいたからと言って、「ああ損したな」と腹で思ってサヨナラすればいい話なんですが、一番問題なのはゴネて暴れることですね。

多分、あの人はやりこめられないという自信があるのでああいう態度を改めないのでしょうから、最低限やりこめる必要がある。さらに、やりこめられたからってどうよ、とまで開き直るなら、その酬いを受けるところまで追い詰める必要が出てくる。

今回の対応を視て、どうもあの人は論を展開することより自分のプライドを満足させることのほうが遙かに重要だと思うようになりました。自分の論のほうが大事なら、ホイホイニュアンスをねじ曲げたりしませんでしょう。

それから、ちょっとウチのトクサツの話は、非ヲタの方には濃くて辛いかもしれませんね、オレのレビューは映像解析中心ですから、現物観ていないと何のことだかわからないものが多いですね。

そうすると、TVシリーズだと辛いですから、映画のカテゴリーなんてどうでしょう? まあ、嫌われ松子やキングコングのレビューなんかも、観てないとわからない上に無闇に長いですが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月30日 (水) 01:53

黒猫亭さん、今日は。

恐らく、もう書き込みはされないでしょう。って、この間も同じ事言って、はずれましたけれど…。

---

余談。

映画カテゴリーを覗いたら、一番上に、『魍魎の匣』ネタが載っていましたね。
実は、最近、京極氏の小説(『姑獲鳥の夏』)を初めて(! 遅っ)読んだのですが、黒猫亭さんと京極堂(と言うか、京極氏、かな)の言い回しというか、論の展開の仕方が似てるなあ、なんて思ったのでした。

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 12:14

>TAKESANさん

>>実は、最近、京極氏の小説(『姑獲鳥の夏』)を初めて(! 遅っ)読んだのですが、黒猫亭さんと京極堂(と言うか、京極氏、かな)の言い回しというか、論の展開の仕方が似てるなあ、なんて思ったのでした。

…気附かれてしまいましたか、実は結構京極堂の方法論をパクっています(笑)。小説のキャラの方法論をパクる恥ずかしい奴と見抜かれるとアレだなと思って今まで黙っていたんですが(笑)、以前poohさんのところでも「探偵という役割」という話をしたことがありまして、その時脳裏にあったのは榎木津ではなくて京極堂のほうですね。

榎木津は「体質で」何でもかんでも真相が見えてしまうわけですが、京極堂のほうはその「真相という物語」を使って何を解決するのか、という目的性を意識して動いている辺り、名探偵とヒーローの融合の在り方として面白いな、と。そもそも必要な情報を何でも識ってる博覧強記という辺りが卑怯だし、読み手も識らない事前情報を与えられていたり、変な偶然で見抜いていたりする辺り、京極堂の「推理」だって榎木津の「体質」と五十歩百歩なんですけどね。

でもまあ、真相というのは見抜くだけじゃなく、それを使って人間とのコミュニケーションでどんな問題性を解決するかだ、もっと言えば、何を実効的な解決すべき問題性として切り取るかだ、という視点は新鮮で、大変参考になりました。当然現実のオレは虚構の名探偵でもヒーローでもありませんが、これって対人的コミュニケーションでかなり有用な観点なのかな、と。そういう意味でキャラとしての京極堂や作家としての京極夏彦に影響を受けているということは事実ですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月30日 (水) 12:35

おお、やはりそうだったのですか(指摘したのが野暮だったかも(笑) )。

私は、この間読んだのが、初の京極作品だったのですが、いやあ、面白いなあ、と。実に読ませる文章でした。
で、同じような印象を、黒猫亭さんの文にも感じたのでした。

かく言う私も、前にも書いたように、明確に影響を受けている人が、幾人か いたりします。

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 13:07

こんばんは。

黒猫亭さんの表看板の方も、ぼちぼち覗かせて頂きます。何しろ未だに特撮というと真っ先に「操演」とか「ミニチュア」とかの単語を連想する旧世代ですので、コメントまでは付け難いとは思いますが。

京極さんも面白そうですね。私は「大極宮」の残り二人は結構読んでるのに、何故か京極さんだけは読んだ事が無いのです。今度読んでみますね。

投稿: PseuDoctor | 2008年1月30日 (水) 23:12

私は自慢ではありませんが、小説というものを、あまり読んだ事が無いのです(笑)

冊数でいうと、そこそこの数は読んだかも知れないのですが、偏ってる、なんてものじゃないです(笑)

京極氏の作品は、かなり面白かったです。私も、続編を読もうと思っています。

戦隊ものでは、ダイレンジャーが一番好きです(と言うほど、ちゃんと観てないけど…)。
何故なら、アクションが良かったから(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年1月30日 (水) 23:44

>PseuDoctorさん

>>私は「大極宮」の残り二人は結構読んでるのに、何故か京極さんだけは読んだ事が無いのです。

あ、それは勿体ないです(笑)。大沢在昌にしろ宮部みゆきにしろ、内実の根底に置かれているのは完全に文学のロジックで、それを文学の言葉で語るという純血種の文学なわけですが、京極夏彦の場合は社会科学的なロジックを文学の言葉で表現している辺りが面白いと思いますので、この論壇の方々のメンタリティに最もフィットするんじゃないかという気がしますよ。

それと、見た目の字面が漢字や当て字を多用していて擬古的なので、ついついブンガク的に視てしまって見過ごしがちですが、実はあの人は本業がエディトリアル・デザイナーなので、組み版というロジカルな観点から文体の見た目をデザインしている方法論的な部分があるんですね。

そっちはオレの元々の畑でもあるんですが、初期の京極作品の文体を組みの見地で視た場合の美しさは格別ですね。ああいう稠密な文体でありながら普通の小説読みには窮めて読み易いのは、そういう計算が効いているからなんですね。一文の区切れをどの程度にするかとか、段落のボリュームをどの程度に設定するかとか、人間が文章を読む行為を知り尽くしたデザインのテクが盛り込まれていて面白い。

「どすこい」とか「豆腐小僧」なんてのは、単行本のデザインからして凝りまくっていて面白いので、中身がどうでも書痴のフェチズムを擽って買わせてしまう(笑)。本で豆腐を表現しようなんて莫迦なことを考えるのは、この世で京極夏彦くらいでしょう(笑)。

ただ、作家の世界では「寿命十年説」なんてものがありまして、一人の人間が作家になろうと思い立った時点で持ち合わせている表現内実の寿命は大体十年くらいだろう、そこで一旦寿命が終わるとして、また新たな十年、そしてさらにまた新たな十年をもたらすことが出来るかどうかが職業作家の力量を量る鍵、そういう考え方があります。

その意味で、京極夏彦の一度目の十年はすでに終わってしまっているので、京極堂シリーズの絶頂期は精々「絡新婦の理」までで、「塗仏の宴」からは下降を辿っていると視るのが妥当かな、と思います。実際、今の京極夏彦には姑獲鳥や魍魎のような作品はもう書けないでしょう。

また、初期の作品には皆無に近かった誤植が、或る時期から目立って増え始めたんですが、これは逆に彼がエディトリアル・デザイナーであるが故に入稿システムをイノベーションしてしまったせいで、版元の校正システムが十全に機能しなくなってしまった為だろうと思うんですが、その話をすると長くなりますので(十分長くなってますが(笑))今回はこの辺で(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月31日 (木) 10:41

>TAKESANさん

特撮の話はこちらでまとめさせて戴きます(笑)。特撮を広く一種のSFの一表現形態と視ると、たとえば、TAKESANさんもPseuDoctorさんもSFはお好きだと思うんですが、SFというのは一種現役の文芸ジャンルとしては終わっている部分がありますよね。「現実がSFに追い着いてしまった」みたいな雑駁な言い方もありますが、そうではなくて、SFという文芸を成り立たせていた方法論がもう成立しなくなったんじゃないかとオレは考えていますし、それはニセ科学批判なんかとも関係のある問題だと思います。

つまり、SFというのは虚構的意味合いの疑似科学が圧倒的多数の間で成立するという前提の文芸なのであって、今の世間の開明度では最早それは難しくなっていると思うんですよ。真正な科学的知見に、ほんのちょっと空想のウソを混ぜることでSFの疑似科学は成立していたわけですが、今の時代性ではその空想のウソは、普通の意味における疑似科学やニセ科学のウソと実体的な区別が附かなくなっているんですね。

ニセ科学に騙される人がまだまだいる程度の開明度の社会でありながら、ニセ科学が広くニセであることを周知される程度には知的に拓けている。社会の知的水準がこの段階に進んでしまうと、もうSFというのは「意匠」としてしか存命の余地はなくなってくると思うんですよ。今、SFが映像のジャンルで活発で、小説文芸では揮わないことにはそういう事情があると思うんですね。最早大真面目に語り得るジャンルではなくなったわけです。

SF自体がこういうふうに現役を退き、逆に一般的な文芸がSF的要素を意匠として採り入れる流れと相俟って、トクサツをトクサツたらしめていた特殊撮影の技術も一般的な映像文芸のジャンルに拡散してしまって、トクサツ映画というジャンル自体のレゾンデートルが揺らいでしまったという側面もあります。今や普通の映像作品でもVFXを使わない作品のほうが少数派ですよね。

怪獣や怪人やヒーローが出ていたり、都市破壊が描かれているからと言って、それは「トクサツ」というタームで括られる性格の作品なのか、という疑問が出てくるわけで、すでに「トクサツ」というのはメタ化されたローカリティだったりするわけですね。

そこで逆にトクサツとは何ぞやという捉え直しの視点も出て来るわけで、ウチのブログのapjさんとのお話で例に出したライダーのPも、そういう問題性を捉えてトクサツに向き合っている人材の一人ではあるわけです。

奇しくもTAKESANさんが例に挙げられたダイレンジャーは初めて彼が一本でシリーズ全体を仕切った作品で、来月終了する今の戦隊はこのダイレンを踏まえた作品だったりするわけですが、当時としては本格的な中国武術の動きを採り入れたアクションが斬新だったという部分はありますが、物語の構造自体が挑戦的で面白いんですね。

戦隊の五人のメンバーそれぞれにシリーズを貫流する話の流れがあって、それをキャラ廻し的にランダムに語っていくという構成もさりながら、全体構造としては、敵味方の争いが激化すると双方を滅ぼそうとする超越存在が覚醒する為に一時停戦して冷戦状態に入るとか、一旦戦いが終結してもさらに先の世代において新たな闘争が繰り返されるとか、いろいろ戦隊の禁じ手に挑んだ挑戦的な作品でした。

こういう試みが現れてくる時代性においては、トクサツというローカリティが自明なものではないわけで、どうすればトクサツで在り得るのかという命題と、その命題に依拠しない文芸性という普遍性の鬩ぎ合いとしてトクサツを視ることが出来ると思います。

オレとしては、まずトクサツを一本の映像作品として大普遍の視座から読み解く、というのを自分のポジションとして据えています。トクサツという括りは、たまたまオレがそのジャンルに惹かれるローカリティと捉えているわけで、全体的には一般映画もトクサツ番組も分け隔てることなく視る普遍性を中心的視座に置いて読み解きながら、トクサツというローカリティを注釈として勘案していくという形です。

さらに言うと、オレもそれなりにヲタとしてトクサツ知識はありますが、それは映像文芸の読解の普遍に即して言えば、或る一本の作品が拠って立つ歴史性の部分と捉えています。この辺の話もかなり長くなるので、映画のカテゴリーの「映画史と全体性」などの一連の蓮實重彦絡みの記事を読んで戴ければ幸いです。

それでは、長々と逸脱してすいませんでした。ついつい文芸に関するお話は、熱くなってしまうのが困りものです(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月31日 (木) 11:24

黒猫亭さん、今日は。

ほほー、と思いながら読みました。
いや、自分には無かった視点ばかりで、なるほど、そういう見方が出来るのか、と。

「読み」という所にも、色々な観点があるのですね。参考になります。

---

もしかすると、意外に思われるかも知れませんけれど、私は、SFを、ほとんど読んだ事が無いのですね。正確に言うと、意識した事が無い、と言うべきなのでしょうか。たとえば、SFの古典を挙げよ、と言われても出来ないし、代表的な作家は、と問われても、答えられない。
ただ、多分、SFのエッセンスが取り込まれた他のメディアの作品には、多く接しているのだと思います。マンガやゲーム等、ですね。
なので、たとえばSFとかミステリーとかを腑分けして色々考えた、という経験が無いのですよね。自分でも何でかは解らないですが。ゲームやマンガ雑誌のような、ごちゃごちゃしているものに好んで触れていたから、なのかも。

ダイレンジャーの考察、深い…。
この動きは巧い、とか、廻し蹴りのフォームがいい、という所しか見ていなかった自分が、何だか恥ずかしいです(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年1月31日 (木) 14:01

SFについては、私にもいいたいことがたくさんあります。

日本に限定すれば、SFが成り立たなくなったのではありません。もともと、science fiction としてのSFの歴史は日本ではとても浅いのです。「今、SFが映像のジャンルで活発で、小説文芸では揮わない」のではなく、戦前から一貫してそうだったのです。

戦前の海野十三の作品群は科学小説と呼べる内容ではありましたが(科学小説であるかどうかと傑作であるかどうかは独立であることに注意)、残念ながら科学小説としては受容されませんでした。変格探偵小説の一種として読まれていました。戦後、海野十三を受け継ぐ作家は現れませんでした。

1950年代、米国でスペースオペラが乱作されていたころに、日本SFは絶対量が少ないだけでなくSFなのに宇宙に出ることすらできない(舞台を現代の地上にしないと雑誌に掲載されない)状況でした。

日本でスペースオペラが大衆娯楽として確立したのは、たぶん、1977年公開の「スターウォーズ」の流行が一つのきっかけで、「宇宙」は大衆受けしないいう思い込みが払拭されてからです。

スペースオペラはが先導した大衆娯楽化がSF全体に広がって、いわゆる「SFの拡散と浸透」の時代がやってきて、これで科学小説的なものも広まる。良かった良かったと思っていたら、その次にサイバーパンクが入って来て、浅い知識でどうでもよいことを深刻ぶって語る、スノッブなスタイルがSFの主流になってしまいました。科学小説の方向には行きませんでした。

結論。「真正な科学的知見に、ほんのちょっと空想のウソを混ぜる」SFは、日本では最初から泡沫勢力でした。今になってなくなってきたのではありません。

投稿: かも ひろやす | 2008年1月31日 (木) 20:50

>かも ひろやすさん

ツッコミどうもです。たしかに国内状況としてはそういう部分もありますね。少なくともSFを空想科学小説的な意味合いで視るなら、日本のSFって何処か変ですよね。御三家で言っても本格SF小説は小松左京くらいで、若手はみんな変化球で中間小説寄りの作風が多かった。

正確に言うなら、日本的な文脈におけるSF文芸は浸透と拡散の果てに拡散しきってしまったというところでしょうね。日本の文壇においては、新しい小説のスタイルを「これがSFだ」と名指す慣習だけがあったというのは極論かもしれませんが(笑)。

まあ、ざっくり括ったSF文芸の可能性の概況という程度で勘弁してやってください。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月31日 (木) 21:52

こんばんは。

ミステリもSFも特撮もアニメもゲームも大好きなんですが、今は踏み込んで論じている余裕が無いのが悔しいです。って、そんなに踏み込めるほど詳しくも無いですが。
まあ、少しずつ暇を見て読んでいきますね、本もブログも。

投稿: PseuDoctor | 2008年2月 1日 (金) 00:26

皆さん、今晩は。

えっと、残念ながら、私は、ついていけないのです(笑)

という訳で、読んでも、ほう、そうなのか、としか思えないのでした…。ぶっちゃけ、「”海野十三”?」というレベルです。

マンガやゲーム方面なら、そこそこ読めるんですけどね…。と言っても、いわゆる「歴史」的には論じられないだろうなあ。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 00:53

かもさんの意見に異論はないのですが、「SF読みにとってのSF」あるいは「もとSF読みであるSF書きにとってのSF」と云うものを考えると、ちょいとお話が違うかも、とも思います。

投稿: pooh | 2008年2月 1日 (金) 08:32

だって、私、サイバーパンク嫌いなSF読みですもの。好きな作家はスタニスワフ レムだし。

それはともかく、科学小説系のSFの傑作が日本にも存在していて、SF読みにはそれなりの影響力があったことは、知っています。『第四間氷期』(安部公房)とか『コンピュータが死んだ日』(石原藤夫)とか。傑作が存在することと泡沫勢力であることは矛盾しないということで。

あと、泡沫勢力であること自体はそこにいる人々にとってどうでも良いことであることも、ちゃんと理解しています。現代社会においてSFは成り立つかという文脈だから気にしているだけです。

無駄に濃い方向に話が進んでいますが、「発言の傾向から推し量る」に全然関係ない話でもないので、ご容赦ください。>TAKESANさん

投稿: かも ひろやす | 2008年2月 1日 (金) 10:36

しまった、組版談義にもSF談義にも出遅れた……(T^T)

投稿: 亀@渋研X | 2008年2月 1日 (金) 11:22

>TAKESANさん

「うんのじゅうざ」と読みます。今で謂うSFミステリ的な作品をたくさん書いた人で、青空文庫でかなり読めますが、かもさんの仰る通り今の目で視るとあんまり面白いモンじゃありません(笑)。元々理系畑の人でそちら方面の入門書も書いているそうです。

>かもさん

日本にも傍流ながらハードSFの系譜はありますね。小松左京とか石原藤夫とか堀晃とか、少ないながらハードSFを指向した作品がありますが、堀晃の太陽風交点事件が日本のSF文壇を解体したと言われているようですから、なんだかすぐに寂しい話になりますね(笑)。

まあオレが言いたかったのは、昔からハードSFというのは該博な科学知識とその本格的な理解が必要なので、割合敷居の高いジャンルだったということで、日本の小規模文芸同人の共同体から主流作家を輩出した国内SF界では、文学の畑の書き手が多かったのでどうしてもハードSFは傍流とならざるを得なかった。

読み手側のリテラシー的にも剰りハードSFがウケなかったという事情もあるわけで、かもさんが仰る通り「宇宙に飛び出すことすらなかった」というのは、理系的な科学空想というのがそれほどメジャーな娯楽要素と見做されていなかったということでもあるでしょう。

SFの特殊な事情というのは、書き手と読み手の間の科学リテラシーのギャップに虚構を盛り込む余地があったということで、今のSFマニアやサイエンスファンくらいの知識があれば昔はSFが書けたわけですが、今の本格的な科学知識には、割合奔放な空想を差し挟む余地がないと思うんですね。SFを好んで読むような読み手の科学リテラシーも高くなっているので、半端なウソは吐けなくなっている。

勢い、科学的空想のアイディアはかなり難度の高いものとなってくるわけで、そうなると今度は薄い読者が附いていけないし、そのアイディアに普遍的な魅力がない。

つまり、SFの文芸としての成立余地というのは、割合世間一般の科学リテラシーと密接な関連があるわけで、SFを好むコア層と一般層の間の科学リテラシーに格差があるとなかなか広いパイの文芸として成立しにくい状況になってくるし、書き手に要求される資質も難しくなってくる。

そういう部分を掘り下げるとまた長くなりますのでこの辺にしておきますが、現在の状況がSFの成立しにくい現状にあることは間違いないと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 1日 (金) 11:29

そういえば、アメリカの代表的ハードSF作家であるラリィ・ニーブンが、読者や科学者からの設定ミスの指摘や最先端の科学的知見を盛り込んでリングワールド三部作を大幅改訂中で、これが物凄い大仕事になっているそうですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 1日 (金) 11:33

皆さん、今日は。

おおっ。
なんか、アツいですね。

今の所、全くもってチンプンカンプンです。

でも、興味深いので、若干スレ違い的ではありますが(笑)続けちゃって下さい。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 12:29

僕も乗り遅れてしまいました(^^;
最近自分のところがごたごたしていたので…

といっても、ちょっとだけ話題が出て終わった京極夏彦の話がしたい、というか聞きたかったのですけど。

僕自身は京極堂シリーズと巷説百物語シリーズぐらいしか読んでないですし、組版についても全くの素人なのですが、あの改行の仕方と、文中への漢字の配置の仕方は、表現の観点から見てすごいなあ、と常々感じていながら、周囲にあまり読者(&共感者)がいないので悶々としていたのでした(笑)
もちろんあの世界観、というか毎回語られる科学的、人文学的なテーマも、京極堂の語りも色々刺激を受けて楽しいのですが。

黒猫亭さんの紹介されている初期の作品もぜひ読んでみたいと思います。

投稿: dlit | 2008年2月 1日 (金) 14:09

前にウィキペディってみたら、京極氏のデザインへの「凝り方」が、紹介されていました。

それを読んでいたのに、京極氏の小説を読みながら、全く意識に昇らなかったので、一体自分はどこを読んでいたんだろう、という(笑)
私が小説を読む時は、別の所にクローズアップされるんですよねえ。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 14:16

海外のSF書きって、本物の学位を持っている方が結構いらっしゃるような・・・

日本の方はどうなんでしょう?(日本の方はあまり読まないので)

投稿: Noe | 2008年2月 1日 (金) 15:47

石原藤夫(工学博士)、瀬名秀明(薬学博士)あたりでしょうか。
マンガのほうでは、手塚治虫(医学博士)とか。

投稿: かも ひろやす | 2008年2月 1日 (金) 16:09

Noeさん、今日は。

>Noeさん、かも ひろやすさん

私は、瀬名氏くらいしか思い当たらないです…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 16:35

>dlitさん

今度は間違ってないですよね?>ハンドル(笑)

あ、なんか誤解を与えるような書き方になってしまいましたが、京極夏彦は姑獲鳥の夏でデビューして以来京極堂シリーズ(百器・百鬼含む)と巷説シリーズ(伊右衛門・小平次含む)を除けば、どすこいとか豆腐小僧、ル・ガルーを書いたくらいで、短編は算えるほどしか書いてないと思います。

なので、「初期の作品」というのは姑獲鳥から絡新婦までの作品、というほどの意味です。京極堂シリーズは、おそらく「塗仏の宴」を折り返しとして語り直しの時期に入っているというのが定説らしいですが、陰摩羅鬼の痍が姑獲鳥の語り直しというのはまだしも、邪魅の雫が魍魎の語り直しと謂われても俄には信じがたいところです(笑)。

おそらく、京極夏彦自身の抽斗の知識に基づいた作品は塗仏で一旦終わっていて、陰摩羅鬼辺りからは取材した知識で書いていると思いますし、初期の小説とは明らかにスタイルが違いますね。多分、京極堂シリーズの書き方を、自身の抽斗のはけ口としてではなく意識化して方法論として確立出来るかどうか試しているのかなぁ、なんて思いますが。

>亀@渋研Xさん、TAKESANさん

オレが京極夏彦のエディトリアル・デザイナーとしての真価を思い知ったのは、やっぱり「どすこい(仮)」ですねぇ。あの特殊印刷を駆使したカバーデザインはやっぱり凄い贅肉…でわなく贅沢です(笑)。見返しのコートの光沢や紙質の暑苦しさは絶品だし、本文は四隅を角丸に落として丸さを強調し、厚手の紙で束を出し、目次・章扉・ノンブル・柱がすべて傾いているという凝りようで、無駄に手間とコストがかかっている。

豆腐小僧の単行本もそういう意味では物凄く装幀が凝っているんですが、その話はまた今度(笑)。とりあえず、オレは書店で現物を視た瞬間に爆笑しました(笑)。本物の書痴というのは、蓋しこういう人を謂うんですねぇ(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 1日 (金) 19:35

>Noeさん、かもさん

星薬科大の絡みで星新一が何か持ってなかったかと思ったら、持ってないみたいですね。なんかその頃の話はかなり黒歴史になるみたいで、最相葉月の伝記もああいう切り口に対しては文壇内でもいろいろ言われているみたいです(とあるSF協会員に聞いた話ですが)。

>TAKESANさん

瀬名秀明ってSF作家と謂っていいのかどうか結構悩むんですよね。少なくともデビューの頃は「理系ホラー作家」と呼ばれていたような気がします。それを視て「ああ、今は瀬名秀明みたいな作家をSF作家って謂わないんだ」と思ったものですが、その頃にはもう、「SF」と冠しただけで本が売れなくなる時代だったそうです(上と同じ人に聞きました)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 1日 (金) 19:43

そういえば、京極氏の書架が凄いんでしたね。

色々面白いですねえ。

中身無しなコメントすいません…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 21:00

凄く内緒の話ですが、瀬名秀明に「SF読み怖い」ってのを植え付けたのはサークルの先輩だったぼくかも、です(なんて考えるとちょっと怖い。でも授賞式には呼んでくれたけど)。でも20年前も彼の文章力は抜群だったですよ。

で、ぼくはコードウェイナー・スミスとヴォネガットが好きな、超文系SF読みです。あとレズニックかな。

投稿: pooh | 2008年2月 1日 (金) 22:54

▼▼▼引用▼▼▼
瀬名秀明に「SF読み怖い」ってのを植え付けたのはサークルの先輩だったぼくかも、です
▲▲引用終了▲▲
ほう、それは、誠に興味深い話ではありませんか。なるほど、SF読みは怖いのか…。

今の所、このエントリーに出てきた作家の名前で知っているのは10%くらい(適当)で、読んだ事があるのは、京極氏だけかも知れません。何てこったい。

あ。
『パラサイト・イヴ』のゲームはやったんだった。
やっぱゲームなのね(笑)

投稿: TAKESAN | 2008年2月 1日 (金) 23:47

>黒猫亭さん
今度は完璧です>ハンドル(笑)

あ、そうなんですか。すっかり早とちりしてしまいました。色々教えていただきありがとうございます。
とりあえず未読のものはやっぱり読んでみたいですね。

個人的には陰摩羅鬼が姑獲鳥の語り直しというのはどうもピンとこないのですよね。確かにモチーフ(のようなもの)は同じなんですけれども。
僕は特に「姑獲鳥」「狂骨」「鉄鼠」で語られた世界観/テーマに興味があるのでほんのり自作に期待、というところでしょうか。
いや、同じ作品を何回読み返しても楽しめるので(今のところ)、手持ちの作品群で大分満足はしているのですけれど(^^;

投稿: dlit | 2008年2月 2日 (土) 11:36

dlitさん、今日は。

私は一冊しか読んでないので、楽しみが沢山残ってる、って所ですねー。

私の中では、小説≒ミステリーだなあ…。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 2日 (土) 12:02

>poohさん

>>瀬名秀明に「SF読み怖い」ってのを植え付けたのはサークルの先輩だったぼくかも

なんで当然のように関係者だったりするんでしょうね、ホントにこの人は(笑)。瀬名秀明の作品はパライブしか読んでいないので、勝手な悪口を書かないでよかった(笑)。あれについては、オレの実験職の友人は「自身の専門ではなく取材した知識で書いていて、その辺若干借り物の臭いがする」とは言っていましたね。

>dlitさん

PseuDoctorさんやnewKamerさんのように長い綴りのハンドルの方は申し訳ないけど念のタメにコピペさせて戴いていたんですが、dlitさんの場合半角小文字四字だったので油断してました(笑)。

>>個人的には陰摩羅鬼が姑獲鳥の語り直しというのはどうもピンとこないのですよね。

姑獲鳥と陰摩羅鬼を比べると、後者のほうが大幅にページ数が多いのに、もっと中身が薄い気がしますね。姑獲鳥の頃はあのヴォリュームの新書を読むのに慣れていなかったということもありますが、中身自体も薄い気がします。共通しているのはトリックを含む道具立てと、それから「まさかホントにこのままこんなオチでは…?」と誰もが危惧したことがホントにそうだったというところですか。上のパライブの話ではないですが、儒教関係の知識が如何にも借り物なのが知的好奇心の部分で物足りないですね。

映画化は、次は狂骨の順番になるわけですが、事件性の部分ではシリーズ中最も面白みのない単純な話ですから、伝奇的な部分を巧く膨らませられる監督だと好いですね。絡新婦は多分映画化するとつまらない作品になりそうなので、少なくとも何とか鉄鼠までは繋いで欲しいところです。あの和製「薔薇の名前」と謂われた世界観は是非とも映画で観てみたい。

魍魎の映画化は期待以上に好かったので、とにかく狂骨で失速しないで次に繋がることを祈るのみです。本当なら鉄鼠は金田一物の雰囲気を狙っているわけですから、全盛期の市川昆辺りが撮るのが筋なんでしょうけど、かなり前にダメになっている上にもうその頃には生きてないでしょう。

また、クライマックスの印象で謂うと怪奇大作戦の「呪いの壺」のイメージもあるので、これこそ実相寺が撮っていたら面白かったんですが、まあそこまで美味い話にはならないモンです(笑)。

>TAKESANさん

京極夏彦の書斎は凄いですね。壁一面書架で梯子や脚立を使わないといけない書斎というのは、或る種書痴にとっては夢のお部屋ですね。

dlitさんが仰るように、京極作品は何度も読んで楽しめるというところがありますが、やっぱり初めて読んだ時のインパクトには代え難い。まだすべて読んでいらっしゃらないというのは、或る意味羨ましいことでもあります。

シリーズ長編八作と百鬼・百器の四冊が殆ど手つかずで残っているというのは、一時期のめり込んで読む本には困らないということで、大変幸せなことだと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 2日 (土) 21:01

過分に評価していただき大変恐縮です。
 
頬を赤らめ書き込もうか書き込むまいか躊躇してしまう今日この頃です。

ちなみにSFは神林長平、京極は塗仏の前まで、ミステリーは森博嗣の初期なんかが好みです。

投稿: FREE | 2008年2月 2日 (土) 22:38

>FREEさん

過日は大変お世話になりました。こちらを覗いておられることを識りながら、あんまりこういうふうに一方的に語るとご本人が書き込みづらいとは思っていたのですが、あの件ではFREEさんのご見識に大変感銘を覚えたものですから、勝手なことを語らせて戴きました。

重ねてお礼を申しあげます。あのアシストを読み解くことで、彼にとってはそれなりの「意外性」があったわけで、慢心故に他人の意見を通り一遍に読み流していたら自分が恥を掻くということをそれなりに思い知ったと思いますし、それが幾許か彼自身の過剰な自負に対して水を差した効果もあったのかな、と思っています。その意味では、FREEさんのお気遣いも丸々無駄になったわけではないと思います。

>>ちなみにSFは神林長平、京極は塗仏の前まで、ミステリーは森博嗣の初期なんかが好みです

いや、良いご趣味だと思います。京極夏彦は塗仏以降確実に「アベレージ」というものを意識するようになりましたね。オレ的には、塗仏という作品は清涼院流水のJDC物を意識した部分もあるのかな、と思いますが、そんなゲテモノを意識しないほうが良かったのに、と(笑)。

確かに京極堂シリーズにはキャラ小説の側面がありますから、表層的なキャラ小説「でしかない」清涼院流水とは比べものにならないんですが、或る種、京極夏彦流の流水大説批判かもしれんとか思ったりします(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 2日 (土) 23:30

本文に追記しました。

------

>黒猫亭さん

お、それは楽しみです。京極氏の本は分厚いから、ボリュウミィですし(笑)
映画もその内観ようかな。

------

>FREEさん

いえいえ、どんどん書き込んじゃって下さい。

お、やっと、私も読んでる森氏の名前が(笑)

て言っても、VシリーズとGシリーズはほぼ読んで無かったりする、にわかですが。エッセイとかは大体読んでいますけれど。
ちなみに、「私が影響を受けた」人の一人です<森氏

投稿: TAKESAN | 2008年2月 2日 (土) 23:40

おっと。

一応、フィクションへの批判はほどほどに、というのが当ブログの方針ですので、よろしくです…。

私もこのブログでは、面白いと思ったもの以外は滅多に採り上げないので、ご理解頂ければ。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 2日 (土) 23:44

う、うぎゃあ!(@@)

>>dlitさん
>今度は間違ってないですよね?>ハンドル(笑)

ぼ、ぼくはdlitが間違いでdiltが正しいのだと、今の今まで勘違いを……へ、編集者でライターが人名を間違えていてどうする……って、typoや名前を間違えること、人と会ったのを忘れたり気づかないってことが無茶苦茶多いんですが……。
dlitさんならびに、これまで間違えていた方々、平に平に  m(_ _)m。

>黒猫亭さん
『どすこい(仮)』って、そこまで凝ってたんですか。
ぼくは京極さんについてナニか言えるほど知らないのですが、そんな「祖父江慎と紀田順一郎と荒俣宏と水木しげるを兼務」しているような作家が、破格中の破格でないわけがないです。存在していること自体が、奇跡みたいなもんです。というわけで、

>本物の書痴というのは、蓋しこういう人を謂う

御意。

いや、最初は「思いあまって原稿書きにInDesignを採用してしまった、文字組を偏愛する作家」かと思ってたんですよ。作品だって、ここでの話で1冊手にしたことがあるのを思い出した程度です。
実は『どすこい(仮)』軽装版である『どすこい(安)』に書店でヒトメボレして、パラパラっと見ただけで、デザイナーである友人の入院見舞いにと買ってました。受け狙いっていうか、デザイナーの気散じにはうってつけだと思って。その後も自分では読んでません(汗)。まさか、あれが彼で、しかもオリジナルはそんなスゴいことになっていたとは。いや、『(安)』だってヒトメボレするぐらいスゴかったんですよ?
自分ちのエントリを書きあぐねて、疲れ果てて流れてきたのですが、あんまりビックリしたので、ついつい。

投稿: 亀@渋研X | 2008年2月 3日 (日) 04:54

ぼくはなぜか京極堂シリーズは塗仏の途中で読むのをやめてしまいました。あの作品にはきっとなにか、それまでとあきらかに違うものがあって、自分のなかのよくわからないセンサーが作動したのかもしれない。

ぼくはミステリが苦手で、なので京極堂シリーズが始まったときにちょっとアンチ・ミステリとして読んでいた部分があって。榎木津と云うキャラクターに快哉を叫んでみたりとか。
で、それとはまた別に、この分量をこのペースで読ませてしかも読み手の意識が上滑りしないようグリップしておく技術ってのはどんなもんなんだろうな、とか感じたりしました。多分、そのあたり黒猫亭さんのおっしゃるようなエディトリアル・デザイン的配慮の効果も効いているんでしょう。

投稿: pooh | 2008年2月 3日 (日) 06:10

おはようございます。
 
たしか京極は出版する本の形態が変わる(たとえば新書から文庫)と器に中身を合わせるのではなかったかと。

投稿: FREE | 2008年2月 3日 (日) 08:23

>TAKESANさん

あ、すいません、心得ておきます。因みに清涼院流水はファン以外誰も肯定的に語らないという一種珍しい作家で、デビューのきっかけのメフィスト大賞の選考の場でも「これを世に出して良いものか」を巡って激論が交わされたり、京大ミステリ研の大先輩である綾辻さんが身体を張って新本格大賞受賞を阻止したりという経緯があったので、流れるように批判してしまいました(笑)。まあ、お好きな方もいらっしゃるかもしれませんので、何によらず批判的言及は控えさせて戴きますね。

>亀@渋研Xさん

あそこまで凝りまくった一般書籍は見たコトないですね、勝てるのは、オレが関係していた某最大手印刷会社の百年史くらいです(笑)。広く印刷物ということで謂えば、快傑ライオン丸のDVDボックスの箱も特殊印刷が凄かったですが、パッケージは一種「モノ」として扱われているので珍しい話ではありません。やはり書籍でそこまでやるのがトータルデザインとして凄い。今はいろいろな処で用いられている点字用の特殊インクがかなり使われているようです。

冊子や書籍の制作に携わっている人間から視るとかなり贅沢な出来ですね、中身が書き殴りのギャグ短編集なのとの対照もありますが。オレは特殊印刷とか特殊製本のアイテムを手がけたことがないので、「これって本機で刷らないと色校正出来ないんじゃねーの?」とか心配になるんですが、どうやって校正したんでしょうか(笑)。

>poohさん

多分、塗仏のラインというのは、その後の百鬼・百器の系統に流れて行くんだと思います。塗仏自体は「流水大説」調のラノベ的キャラ小説を意識したのではないか、「コズミック」的な物を京極堂シリーズでもやれないかと思ったんではないかと思います。ただ、キャラ立ちを意識した百鬼・百器を通過することで、元のテイストの京極堂シリーズの長編を新たに書き起こすことが難しくなってしまった。

それまでの刊行ペースからすると、姑獲鳥から絡新婦までが異様に早く、絡新婦から塗仏までがやや長くて、それ以降、陰摩羅鬼、邪魅と順当に間が空くようになりましたが、姑獲鳥からの運動性で自然に書けた絡新婦までと違って、塗仏以降は連続性で書けなくなったという事情もあるかもしれません。一言で言うと、「キャラがこわれ始めた」ということなんですが(笑)。

>FREEさん

仰る通り、近年の京極夏彦は容れ物が変わると全面的に改稿する習慣らしいので、新書版と文庫版を比べると、或る意味全体に手が入っています。

一行文字数と一ページの段組・行数が変わってくるので、格好悪い字送り(数文字だけ次行に送られるとか)を直したり、一文がページを跨いだりしないように調整しているそうです。ただ、オレ的には書籍で見開き完結を意識することには疑問もあって、一文がページを跨いで次ページへの運動性を持つのもページターナーのテクニックかな、と思います。

ただ、京極小説には見開きで完結しても次ページへ興味を繋ぐ力がありますので、あの長い小説を読み通す場面で区切りが良くなるということはありますから、京極作品に限っては妥当な選択かなと思います。要は誰にでも当てはまる一般則なんかないってことですが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 3日 (日) 09:20

皆さん、今日は。

皆さんが本読みな事にびっくり。
そして、自分の本の読まなさにびっくり。

あ、黒猫亭さん、ご理解頂き、ありがとうございます。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 3日 (日) 12:35

>亀@渋研Xさん
あ、いえいえ本当にお構いなく。
上にも書きましたが、見た目判別しにくい上に、読み方が無いですからね(笑)世界中どのサービスに登録する場合にもアルファベット四文字のくせにほぼ競合相手がいないので、その点では便利なHNなのですけど。

>黒猫亭さん
ああ、黒猫亭さんのコメントを読んで、自分が陰摩羅鬼に感じていたもやもやがはっきりしました。今度まとまったら自分のところにも書いてみます。

鉄鼠は確かに映像で見てみたい。
僕の中では読んでいて一番画が浮かんできた作品のような気がします。
ただ、キャスティングにしろロケにしろ、かなり費用がいる気がするので、そこそこ十分な制作費を獲得できる流れでつながっていってほしいのですけれど…大変そうですねえ。

本文の方のTAKESANさんの追記の心遣いに感謝です。というか、本文に関係の無いうえに色々気ままに語りまくっててすいませんm(_ _)m

投稿: dlit | 2008年2月 3日 (日) 20:24

あ、いえいえ、とんでも無いです。

---

私の中では、一般的に読みが無いHNの場合、独自の発音がなされます(笑) でも、ぼんやりになってたりしますよね。なんか鼻歌を歌っているような脳内再生で。

投稿: TAKESAN | 2008年2月 3日 (日) 20:51

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