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2008年1月 8日 (火)

反応

はてなブックマーク - 小学校2年生の作文に泣かせられたよ。 - Something Orange

想像力豊かだなあ、と。

作文一つで、何でそんなに色々解るんでしょうね。

こんな子どもに育って欲しく無い、とか、気持ちの悪い文章、とか、すっごい余計なお世話だと、思わなくもない。

他人に推敲された、という可能性は、あるんじゃないかな。私も小学生の頃に、親に直された事ありますし。ここはこういう表現にした方がいい、とか(間違い無く、それは役に立っている。今読み返すと、苦笑しますけれど)。もちろん、本当の所がどうなのか(あったとして、どのくらいであるか、とか)は、判りませんが。

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社会論」カテゴリの記事

コメント

感動できない私。
きっと心の中に余計なものがいっぱい入ってるんですってば。

投稿: 中猫 | 2008年1月 8日 (火) 01:23

中猫さん、今晩は。

 >心の中に余計なものがいっぱい入ってるん
 >ですってば。
この文の主体が誰なのだろう、と考えると、夜も眠れないのです(嘘)

ちなみに、このブログを読むと丸解りの通り、私の心の中にも、余計なものが詰め込まれているのです。
なのでかどうかは判りませんけれど、私も「感動」はしませんでした。いや、子どもは皆、こんなもんだろう、とか思っていたので。
むしろ、感じた事を文章として出力したプロセスに関心が向くのですよね。とても整った「型」なので、アドバイザーはいたんでしょうね。それをどこまで分析的にフィードバック出来たか、というのが興味深いです。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 8日 (火) 01:53

なかなかいい素材で、ついついエントリを起こしてTBしまいました。忙しいのに〜(苦笑)
で、ぼくも作文に「感動」はしてませんが、むしろ「この作文作成が孤独な作業ではなかったのであってほしい」と思ってしまいました。この内容を小2の女の子が一人で書くなんて、ムスメをもつ親としては、あってほしくないのです。

と、ことほどさように、人は信じたいものを信じようとするのですねえ、くわばらくわばら、

投稿: 亀@渋研X | 2008年1月 8日 (火) 03:57

ほんとに本人が書いたならすごいなあと思います。読点の使い方が普通の2年生ではない(今の2年生ってみんなこんなもの?)。

漢字の使い方が疑わしいですが。
(無理やり小学校2年生までに習う漢字だけ使った感じ。これだけの文章が書ける子なら、漢字ぐらいは学校の指導よりはずっと先行して知っている気がしますし、知っている漢字を敢えて使わないという自制が小学校2年生に出来るのでしょうか?そこまで訓練されているのか。)

投稿: Noe | 2008年1月 8日 (火) 08:27

このネタに言及しているエントリーで、これに同意かな、というのを見つけました⇒http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080106/1199659347

------

>亀@渋研Xさん

▽▽▽引用▽▽▽お書きのエントリーより引用

TAKESANさんははてブのコメント群を「想像力豊か」とお書きなんですが、えっと、皮肉……ですよね?(^^;;
△△引用終了△△
もちろん、皮肉であります。
提出された作文の内容だけから、よくあれほど、書き手の人格を分析出来るものだな、と。小学二年生の想像力の出力結果に対して、豊かな想像力を発揮しているな、と思いました。

事実として判明しているのは、小学二年生が ああいった作文を提出した、というものなので、そのプロセスには、色々な可能性が考えられると思うんですよね。それを推測する事自体は、構わないとは感じますけれど。

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Noeさん、今日は。

ほぼ独力なら、物凄い事ですよね。
ただ、少なからず手を加えられているだろうな、とは思います。

ポイントは、大人からのアドバイスがあったとして、それをどう受け取れたか、という事だと感じます。「こう書けば”型”として格好の良いものになるのか」、と考えたのか、「自身の思考を表現するスタイルとしてより適切なもの」として認識出来たのか。中猫さんへのレスの後半にも書きましたけれど。「これは大人にウケのいい文章だな」、とメタな事を考えた、というのも、充分あり得ますね。私自身、そんな子どもだったし…。

------

どういうケースが望ましいか、望ましく無いかは、よく解らないですね。小学二年生なので、容易に変化しますし。
思うのは、こういう小学生が身近にいたとして、周りの人間が、「なんか気持ち悪いな」、と感じるのはダメだろうな、という事です。

こうして書いた、自分の文章を読んでみると、自分はなんて冷えているんだろう、と感じます。あ、メタぶってはいないです、もちろん。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 8日 (火) 11:47

はてブで批判的なコメントを書いている人は、多分、書き手の「冷め方」とか、「大人によるコントロール」とか、そういう所を感じ取っているんだろうな、と思います。独力だとすると、認識力が非常に高くて、それを表現するセンスにも長けている。大人が手を加えている場合は、大人による拘束を受けているのと、大人が上手く導いていっているのと、両方の可能性がある。いずれにしても、出来上がった作文だけからそれを解明する事は、無理な話なのだと感じます。

もし、小学二年生で、ほぼ独力で書いたのだとしたら、相当にメタでしょうね。もしそうであったとして、その子を孤独にするかどうかは、周りの人間次第です。

いずれにしても、書き手の方は、もう10代半ばみたいですし、実在する人間な訳ですよね。その方が今何を考えているか、というのが重要なんじゃないかなあ。どう変化するか、という事でもあるし。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 8日 (火) 11:59

本年もよろしくお願いいたします。

おそらく独力ではないでしょうが、この子の発見をすごいというのなら、それほど驚くことでもないように思います。
これほど長い文章ではなくても、子どもから驚くような発見があることもよくあります。
児童詩でもよく見られます。
それよりも、過剰に反応する大人の方が見ていて面白いですね。

ちなみにこの子ですね。
http://3r-forum.jp/poster/h15/h15_junior-high.html
入選の中村さんです。

投稿: ドラゴン | 2008年1月 8日 (火) 17:44

ドラゴンさん、今晩は。今年もよろしくです。

前、小学生が書いた詩を読んで、とてもびっくりした事があります。こりゃ凄いなあ、って。
結構あるのでしょうね。

確かに、大人の反応が面白いです。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 8日 (火) 19:19

しつこくてすいません。コメント欄で収まらず、またもこのネタで新エントリを書いちゃいました。
必ずしもTAKESANさんやドラゴンさんに向けて書いたということではないのですが、ドラゴンさんのコメントにも触発されたもので、またTBさせていただきます。

投稿: 亀@渋研X | 2008年1月 9日 (水) 09:44

亀@渋研Xさん、今日は。

いえいえ、言及は歓迎なので、どんんどんお願いします。大変参考になりますし。

お書きの事と重なるかと思いますが、私が感じるのは、「得手・不得手」という事でもあるのかなあ、と。それと、思考自体を持つかどうかと、それを出力するかどうかは、また違うのでしょうね。
面白いのが、スポーツなんかでは、早熟なのは持て囃される場合があるのに、こういった、感情の発露のようなもので、「大人っぽさ」が垣間見られると、警戒心的なものが懐かれるのですよね。
なんだか、子どもに無邪気さを求めるとか、無理矢理に「大人からの拘束・コントロール」を見て取ったり、というのがある気がします。

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ちょっと話は変わって。こちらをどうぞ⇒http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/_kamoku/kiso/2000/satoh.html

以下は、リンク先を読まれたと前提して書きます。












この詩、私が上のコメントで言及したものです。作者の年齢を知って、驚いたのですよね。子どもの想像力は凄いし、そもそも、「凄い」というのは、大人が勝手に思っているものなのかな、という感じです。
ちなみに、このエピソードは、言語発達心理学の本で知りました。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 9日 (水) 12:07

こんにちは。

例えば、上司や先輩の助言をもらいながら書かれた企画書、なんてのが連想できると、否定的なコメントはしないんじゃないかなと思いました。

教授の助言を得て書かれた卒業論文、なんて喩えでも良いかもしれません。(卒論がそういう書かれ方をするのかどうか知りませんけど)

投稿: A-WING | 2008年1月 9日 (水) 13:23

A-WINGさん、今日は。

そうですね。そこでやはり、「子どもだから」という所に、差異を見出しているのではないかと感じます。結局、願望を含めているのかも。子どもにはこうあって欲しい、と。

もちろん、たとえば、身近でああいう作文を見かけたとして、うわあ、先生の手が入りまくりだなあ、とか、小学生でここまで書けるのかあ、と、直感的には思うのかも知れないのですよね。でもそれは、相対化すべきなんですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 9日 (水) 13:44

自分が思いもよらなかったもの、逆に勝手に想定されたすごいもの、いろいろありますよね。
あのコメント群のなかか、あるいは言及しているブログに「自分は30代なのに、この作文に書かれていることことに気づけなかった」みたいなのがあったと思うんですが、これはもう完全に「子どもは無知」とか「子どもがわかってることは、おとなもわかってて当然」みたいな前提に立って驚いているわけですよね。

教育問題については誰もが一家言もっているというのと同じように、子どものことや同年代のこと、自分よりも若い世代のことは理解しているつもりになってしまうんでしょうね。
ぼくも気づかないうちに個人的な体験を一般化したり、体験のなかのイイトコ取りで先入観を強化したりしてるんだろうなあと思うと、なんかザワザワするような気持ち悪さを感じますね。

投稿: 亀@渋研X | 2008年1月 9日 (水) 13:56

自分の経験を一般化したり、ものを都合良く忘れちゃったりする事って、ありますよね。

もちろん、自分もやってしまう事は、多々ある訳ですが…。だから、そうなり得る、というのを自覚しておくべきなのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月 9日 (水) 18:30

>ぼくも気づかないうちに個人的な体験を一般化

してました。まさにこの件のエントリがそうだったみたい(^^;;
まだちゃんと咀嚼できていないのですが、ご紹介だけ。

「子どもらしい」って、何?(小学校笑いぐさ日記 2008-01-10)
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20080110/1199981937

書き手は、今年度になって初めて小1を担任している方です。
あ、TAKESANはすでにお読みになってるかな……(汗

投稿: 亀@渋研X | 2008年1月12日 (土) 00:53

亀@渋研Xさん、今晩は。

亀@渋研Xさんが言及していらしたのを見て、昼に読みました。
面白い視点だな、と思いました。もちろん、全部同意する、という事ではありませんけれど。

「子どもが何を認識出来るか」という面と、「子どもがあの文章を構成する事は出来るか」、というのは、相対的に独立しているのではないかな、と思っています。さすがに、独力で大部分を書いた、と信じて疑わない人は、それほどいないでしょうしね…。

投稿: TAKESAN@傑作小説を一気に読んで頭がぽわぽわ中 | 2008年1月12日 (土) 02:38

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