« リンク追加 | トップページ | ABA »

2008年1月23日 (水)

メモ:身体・意味・構造化

※これは、あくまでメモです。

身体意味構造(高岡)。身体の各部に、意味付けがなされている。潜在的にも構造化。たとえば、腕は肩関節を支点にして振り回すものだ、等。

生活習慣や社会的価値観によって形成されると考えられる。集中してパフォーマンスを高めるには、「歯を食いしばる」、とか。

それは必ずしも、合理性を保証しない。バイオメカニクス的に不合理な運動に、「良い評価を与える」場合があり得る。

より一般化すると、「身体意識」の構造。生理学的な無意識的行動パターンと関わる。運動構造。身体意味構造と身体意識の構造の相互作用?

ある専門的な訓練が、身体意味構造を変容させ、それが、より一般的な身体意識の構造をも変化させる。例:「弓腰」に「良い姿勢」という評価を与える武術を習い、教えを遵守する事によって、「腰は入れるもの」、という「意味付け」を行う。どれほど顕在的に行うかは、個人の性格的な因子や、指導者の方針にもよるだろう。そして、「弓腰」の姿勢をとった時の身体意識が、デフォルトとして、無意識に構造化される。

そこで重要なのは、上にも書いた通り、「身体運動の合理性とは独立している」、という事。全く不合理な運動に肯定的な評価を与え、それが、ある体系の核となる事すら、あり得る。尤も、独立、と言っても、解剖学的構造・生理学的機能に規定されている訳だが。

身体意味構造は より認知に近く、身体意識は、手続き的記憶に近い?

身体意識、つまり、ある感覚が統合された構造。無意識~顕在意識に亘る。スキーマ。どのようなメカニズムで形成されるか。その無意識のシステムは、脳の構造・機能と、どう関わってくるか。運動学等では、どう考えられているか。

身体意味構造は、より言語的・視覚的、身体意識は、より感覚・知覚的。

科学的な対象化。どうやって実証的に研究するか。神経科学や認知科学、人類学、記号論、心理学等々、まさに、学際的に研究する必要がある(神経科学や認知科学自体、学際的・領域横断的分野であるが)。意識と脳活動との対応。身体意識を可視化出来るか? 脳イメージングの発展。「身体意識」という概念自体は、運動心理学等でも用いられ、研究対象となっている。私は、高岡英夫の定義による「身体意識」概念を用いている。関連しそうなエントリー⇒Interdisciplinary: 「身体意識」と「身体感覚」  Interdisciplinary: メモ:身体意識仮説の検討 俗に言われる「身体感覚」とは、身体意識でも顕在的なもの、と考える事が出来る。※高岡は、この後に、とんでもない概念の拡張、論理の飛躍を行う。私はそれには、明確に反対である。

|

« リンク追加 | トップページ | ABA »

武術・身体運動」カテゴリの記事

コメント

私は以前アルバイトで、山仕事を手伝った事があります。
地主の人に、持ち山を案内して貰ったのですが、私よりかなり年上のその人はとても身軽でした。
私は趣味の日帰り登山で、少しは体力に自信があったのですが、どんどん置いて行かれる始末。
しかも後で知ったのですが、そのお方は病み上がりだったそうです。
それなのに、岩場や藪をまるで自宅の庭の様に、いとも簡単に歩く姿には驚かされました。
また別の日、別の人にも道案内してもらいましたが、その人も怪我の後遺症があるにもかかわらず、一日中歩き回っても、特に疲れた様子は見せませんでした。
こちらの方も、全国で数十年山仕事をしていたとか。
普段から山の急斜面を歩き回っている人の体は、地形に合わせた柔軟な動きが出来るようです。
その後私は人里離れた藪山に、登る機会が増えました。観光客が車で来る様な山よりも、面白かったです。(冒険家気分が味わえました)
TAKESANさんも、武道に行き詰った時にはいかがですか。藪山の、道無き道を突き進めば、嫌でも鍛えられますよ(^^;。

投稿: TAKA | 2008年1月23日 (水) 21:23

TAKAさん、今晩は。

とある武術家・研究者も、同じようなエピソードを持っているそうです。
なんでも、当時、相当身体能力に自信があったにも拘わらず、小柄な壮年の熟練者に、山仕事(だったと思います)で完敗したとか。

ある仕事を長年続けていると、身体がそれに最適化されて、無駄な動きが少なくなってくるのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2008年1月23日 (水) 23:41

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: メモ:身体・意味・構造化:

« リンク追加 | トップページ | ABA »