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2007年12月 5日 (水)

エティック、イーミック、エティミック、イーミティック

エティック:実質的・自然科学的・没価値的な観点。

イーミック:価値的な観点。体系内における、他の要素との関係に着目。

エティミック:1―エティックな見方に偏って、イーミックな視点を無視する認識。武道やスポーツでたとえると、Aという格闘技 の選手が、Bという格闘技 の技に対して、体系内での関係性を無視して、「こちらの突きの方が優れている」、とか、「あの体捌きはダメだ」、などと考える様な認識。2―自身がイーミックな視点を身に着けていると自覚し、その観点から、エティック的な見方を軽視したり、無視したりする認識。メタな見方をしていると自覚していて、的外れな実証科学批判を行う、等。

イーミティック:上の説明から考えると、書くまでも無いですね(笑)

これは、高岡英夫氏の論を、自分なりに解釈し、なるべく解りやすく纏めたものです。不正確な所もあるでしょうから、エティミックとイーミティックに関して、高岡氏の本より引用しましょう。引用文献:高岡英夫 『武道の科学化と格闘技の本質』

(前略)イーミックな観点の不在、実質レベルの知覚情報を媒介として成立する個別文化体系の不当な拡大(これを筆者は”エティミック”と読んでいる)(以下略) (P73)

 実質レベルの差異/同一性で対象を捉え、それを媒介として、自己体系の機能を以って他者体系の実質―機能関係全体を非難すること、このような”エティミック”な認識態度(以下略) (P73)

これは、エティミックの説明ですね。つまり、「体系」という論理を無視して、実質(自然科学的、と言っても良いかな)的な観点で、体系そのものを否定したり、自己の属する体系を不当に肯定的に評価したり、という事です。上にも例を挙げていますが、他にも、パンチ力測定器を叩いて出てきた「数値」だけで比較したり、というような場合も、あるでしょう。

上で引用した部分に続いて、「エティミックの超克」として、次の様な文章があります。少々辛口ですが、重要な部分なので、ここも引用しておきましょう。

 そして更に、武道実践家には些か過ぎる話ながら、科学者には、各々の専門分野もしくは専門的認識態度(認識体系)へのエティミック化との戦い、超克を要求しなければならない。

 エティックな認識体系を物にしただけで喜び勇んで無反省な要素主義的実証主義者(例えば、大部分の運動生理学者やバイオメカニスト、スポーツ医学者など)、そしてエティックな科学者を近視眼の馬鹿の如く看做して、したり顔を決め込むイーミックな認識態度の覇者(記号学者、言語学者、文化人類学者、社会学者、そして恐らく哲学者の大半が、この部類に属しよう)は、孰れ劣らぬ”エティミスト”である。 (P74)

うーん、痛烈ですねえ。エティミストが当てはまっている人が多いかは、よく判りませんが、そういう認識を持っている人がいるのは確かで、自身も気を付けなければならないな、と思う所です。ここで、私が最近使う、「メタぶる」というのが、上記引用部の後の段落の後段に書かれてある意味での、「エティミック」な態度である、というのが、理解して頂けるかと思います。つまり、ベタ過ぎる人と、メタぶる人を併せて、「エティミスト」と言う訳ですね。

で、次に、イーミティックについての説明です。

 勿論ここで使っているエティミックは、厳密には実践者次元のそれとは違って、(まさにそれの)アナロジーである。だが次の概念、”イーミティック”は、科学的認識態度としてのイーミックとエティックの各々の弱点の超克であり、それらの科学的止揚を示す。

形相と実質への共なる関心、関係主義と実証主義の統合、人文―社会科学と自然科学の調和、それ以外に武道(格闘技・スポーツ)の真の姿を知る道は、ないであろう。(以下略) (P75)

昨日のエントリーに頂いたPseuDoctorさんのコメントへのレスで、”私が初めに「勉強しよう」と思い立った時に好んで読んでいた本”と書いたのですが、その内の一つが、上の引用文献です。だから、メタとベタが共に大事、とか、メタぶるのはダメだ、とか(それでも、メタぶるような認識を形成してしまった事がある訳ですが)、くどいくらい書いているのですね。認識の根底に、流れているのでしょうね。ルーツと言って良いと思います。※ちなみに、メタな視点を持たない認識態度を、高岡氏は、「現場埋没的認識(ソースどれだったかな…)」という言葉で、表しています。

そういう意味で、「文字通り」の、「スタート地点」だったのかも知れません。私にとっては。なにしろ、高校までにほとんど勉強していなくて、そのレベルで武術をちゃんと理解しようと思って手に取った本が、高岡氏の本だったのですから。一般に知られている自然科学者よりも先に、ソシュールとかポパーとかクーンとかファイヤアーベントとかの名前を知った、という。ちょっと変わってますね(笑) だから、科学とはこういうものだ、というのを、刷り込まれたような感じです。上に書かれてある事を、当たり前、として、吸収してきたのですね。

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著者:高岡 英夫
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「随想」カテゴリの記事

コメント

初期の高岡氏の著作は身体運動の世界で普遍的な価値を持つと思います。
でも「気」についての論述を見ると、最初の著書から超常的な気を認める立場にあると書いてるんですね。DSとか言い始めてからのトンデモ展開の根っこは最初からあったんですね。

投稿: グレートパンダー | 2007年12月 5日 (水) 18:46

グレートパンダーさん、今晩は。

そうなんですよね。2000年以降での著作では、よりはっきりと立場を表明なさっていますが、初期の頃からの主張と、根本の所は、一貫していると感じます。基本的な高岡氏の立場は、こちらで引用されていますね⇒http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2005/11/post_3760.html

この姿勢そのものは、科学的に妥当かつ真摯な態度であるし、全く賛同するのですが、高岡氏はここから、ある種超常的な概念をも肯定的に捉えているのですよね。そこら辺が、氏を評価する際の重要なポイントなのだろうと思います。分かれ道、と言うか。人DS図などは、まさに、そういう認識を象徴するものですね。自然科学とかに対する姿勢が、関わっているのかも知れません。

私自身の認識としては、DS、即ち身体意識の構造、というのは認めて良いだろうし、科学的にも有効な仮説である。しかし、その概念を敷衍する過程で、とんでもない飛躍がある、という感じ、ですね。文字にDSがあるとか、時空間を超える、という論理展開は、まさに、疑似科学的ですので…。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 5日 (水) 19:31

『格闘マガジンK』(後の『格闘Kマガジン』)というマニアックな雑誌(知ってる人、いるのかな…)に、山田英司氏の論考がありましたが、私としては、山田氏の高岡英夫論が妥当だと思います。初めて読んだ時には、山田氏は狭量だ、などと思っていたものですが…。ニセ科学論に触れる前でしたからねえ。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 5日 (水) 19:36

 今晩は、『格闘マガジンK』ですか、『フルコン』の山田編集長が創った雑誌ですよね。何回か手にとって見たことがあります。

 「気」があるとすると上手く説明できるというのは自分もある程度わかるんですが、「気」という概念や図式を使わないでする説明だと非常に冗長になってしまって不便なので一種の省略話法だと自分は考えるようにしています。

「気」で説明できるということから、「気」の実在まで行ってしまうところが高岡英夫の勇み足だと思うのですが、いかかでしょう?

投稿: katsuya | 2007年12月 6日 (木) 20:41

katsuyaさん、今晩は。

気などの概念については、以前、A-WINGさんとやり取りした際に、話が出たのですが、⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_5235.html

それらは、工学的な、モジュール等の概念に当てはまるものと考えるのが良いだろう、と思います。
仕組みはブラックボックスであっても構わないのですよね。実証的な方法を取って効果が確認されれば、それは有効な概念として用いれば良い、という。構成概念と言っても良いかも知れませんけれど。
もちろん、仕組みが解っていても、学習効果を高めるために、敢えてそういう概念を用いる場合もありますね。

で、問題は、この先なのですよね。つまり、そのブラックボックスを支える「メカニズム」に、何を想定するか。
私は当然、心理学や生理学、あるいは力学的な論理が複雑に絡み合ったシステムが働いた結果として、それらを捉えています。しかし、別な考えでは、そこに、何らかの超常的なものを前提したり、という場合がある訳ですね。
それを踏まえると、高岡氏は、後者の様な考えであると言えます。仰る様に、「勇み足」であると思われます。私としては、これには、高岡氏が自然科学を深く追求しなかった、というのが関係しているかも知れない、と推測しています。

『格闘マガジンK』の、vol.5ですね。かなり濃い内容ですね。残念ながら、入手は困難だと思いますけれど…。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 6日 (木) 22:45

佐々木茂美氏の本(PDF版)を購入して、あの図(apjさんの所を参照)が載ってるか確かめようとも思ったけれど、さすがにそこまでする事も無いか、と、思い直しました。

なんか、私のコメントの主旨が理解されていないみたいですが、しょうが無いですかねえ。全体の論旨がおかしなものであるとしても、その部分が全てデタラメ、あるいはウソであるなどとは言えない、という事なのですが…。そこをちゃんと分けて考えないと。

投稿: TAKESAN | 2008年4月15日 (火) 16:14

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