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2007年12月 7日 (金)

科学と疑似科学の境界と、古武術的介護

医学書院/医学界新聞【〔連載〕研究以前のモンダイ(8)(西條剛央)】(第2758号 2007年11月26日)

西條氏は、伊勢田氏の著書を援用した上で、次のように論じておられます。

 しかし今のところ,心理学者のほとんどはそうした研究を疑似科学とみなしており,まともには扱いません。もし,「疑似科学」と「科学」の間に境界線があるとすれば,それは「そんなことあるわけない」という我々の常識(信念)によって恣意的に引かれているといっていいかもしれません。人それぞれ「常識」やそれを支える「体験」がちょっとずつ,あるいは大幅に違いますから,当然,それらの境界設定は原理的に不可能になるのです。

これは、超心理学について論じた部分ですが、どうでしょう、科学者側としては(西條氏も科学者ですけれど)、反論があるかも知れないと思っているのですが。伊勢田氏は、もう少し丁寧に、超心理学について論じておられたと思うのですが、西條氏の論では、”「そんなことあるわけない」という我々の常識(信念)によって恣意的に引かれている”という部分が、強調されているように見えます。

ところで、古武術を応用した介護技術というのは、妥当だとされる実証的方法によって、論証が試みられているんでしょうか。私は寡聞にして知らないのですけれども。

介護という現場において用いられるものなので、他の知識や分野、即ち、バイオメカニクスであったり、各種療法等と整合していて、ある程度メカニズムについても論証されなければならないと、私は考えます。当然、統計的方法を用いた論証も、考えられるでしょう。そのような方法を積極的に用い、検証作業を進めているのなら、それは「科学的」、と言えるでしょう。他の知識体系との整合性というのは、科学か否か、という議論において、最重要事項の一つであると思います。

そういう意味では、西條氏の言われる所の「再現性」と「反証可能性」という概念だけでは、科学的と言うには、些か論拠が弱いようにも思えます。尤もこれは、説明を節約した結果とも考えられますので、あまり軽率には物を言うべきではありませんけれども。

この記事に関しては、是非、色々ご意見を頂きたいですね。ニセ科学(あるいは疑似科学)問題と、武術・身体運動の、両方に関わる、大変興味深いトピックですので。

著作を援用された伊勢田さんのご意見も、知りたいですねえ。なんだか、ちょっと違和感のある援用の仕方に、私には思えるのです…。

て言うか、『疑似科学と科学の哲学』、つい数日前に再読したんですけど、図書館に返してしまったのでした。伊勢田さんは確かに、疑似科学と科学の間に境界「線」を引く事は不可能であるとは論じておられましたが、しかし、様々な観点を総合して捉えるなら、ある程度はっきりと区別する事は出来る、という結論でしたよね。

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コメント

 本当の意味で「科学的態度」というのなら、新たな説を提示する側が「効果が客観的に示されていること」または「客観的データから効果が示唆されること」が示されないといけません。それ以前の段階では門前払いの対応でなにもおかしくありません。

> きちんと検証することもなく,「インチキだ」「疑似科学だ」といった批判をする

 というのは、「科学の態度」とは切り離して考えるべき「批判者としての態度」だと思います。

> 古武術介護の科学性を検証する

 のならば、最初にすべきことは、盲検による効果の確認になるはずです。リンク先の記事の「再現性」も「反証可能性」も理解がおかしいですよね。メカニズムの話になってしまっています。
 求められる再現性は効果に対してですし、今回の場合、反証可能性は、効果のあるなしに対する古武術介護側の説明に対して検討すればいいと思います

 超心理学を疑似科学と考えるか科学と考えるかについても、『疑似科学と科学の哲学』を理解していないですよね。伊勢田氏は、超心理学の実験手法は科学的(なものもある)と認めながら、超能力が実在するかしないかで、意味が変わってしまうところで通常の科学とは違うという意見を出しています。
 しかし、リンク先の人はそれを常識的な事象かそうでないかと読んでしまった。この読み方はかなりおかしい。

#私は、手法が十分科学的ならば、それは疑似科学ではなく科学とみとめるべきではないか?と考えているので伊勢田氏に全面同意はしないところなのですが、伊勢田氏の問題提起はきちんと考えるべき視点だとは思います。

投稿: newKamer | 2007年12月 7日 (金) 10:27

newKamerさん、今日は。

ありがとうございます。
本文では慎重な書き方をしましたが、私が知る限りでは、古武術の技法を介護に応用しているものを紹介する書籍では、積極的に実証科学的方法を用いて論証を進めているというのは、見られませんでした。学術論文の参考・引用文献も見られず、経験的な報告、という感じでしたね。書籍の性質(ムック)も考慮する必要はあるかと思いますが、少なくともそれらの文献では、科学的と言うに足るとは、思えませんでした。
CiNiiで調べてみましたけれど、論文も、ほとんど見当たりませんね。ご存知の方がいらしたら、情報を頂ければありがたいです…。

再現性と反証可能性については、私も違和感を持ちました。伊勢田さんの著作に関する言及もそうですね。線引きが不可能、という所をクローズアップし過ぎにも思えました。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 7日 (金) 12:45

補足として。

西條氏による、『古武術介護入門』評⇒http://www.igaku-shoin.co.jp/prd/review/0001414.html

甲野氏の発言についての、私の論評⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_7e7d.html

そもそも、介護における「効果」というものは、かなり複雑な概念であろうかと思います。それをどう評価するか。それは正確になされているか(なそうとしているか)。

※一応。私は、古武術的介護の有用性を否定している訳ではありません。論証が科学的であるかどうか、西條氏の科学に関する認識が妥当かどうか、という所を考えています。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 7日 (金) 13:05

古武術的介護が外部からうさんくさく思われてしまう原因のひとつは、甲野氏の「この技は古典力学的に解説のしようがない」などの不用意な発言でしょう。
http://www.geocities.jp/hasep1997/_7/09/27.htm
リンク先で紹介されている雑誌『構造構成主義の展開―21世紀の思想のあり方 現代のエスプリ475』には甲野氏のSNAF(それなんてABOFAN)な文章が掲載されています。それを読むと「古典力学的に解説しようがない」は「私は古典力学を理解していないし、する気もない」という意味だとわかります。
そういう文章を掲載OKしたのが西條氏だとしたら西條氏の科学観にはかなり問題ありだと思います。

投稿: グレートパンダー | 2007年12月 7日 (金) 13:29

グレートパンダーさん、今日は。

そうなんですね。甲野氏の発言には、現代科学を否定、とは言わないまでも、それでは説明出来ない、というような含みを持たせているものが、散見されます。そこが、私が甲野氏を批判する理由でもあります。『現代のエスプリ』も読みましたが、グレートパンダーさんと同じ感想を持ちました。知らないなら知らないと言えば良いと思うのですが、甲野氏の場合、そこから飛躍してしまいますね。そこが、長野峻也氏等に痛烈に批判されている所以でもあるのでしょうね(長野氏の批判も、ちょっと極端に思いますが)。

長谷川氏の論が、科学的に全く妥当ですよね。測定技術の未発達、当該現象を科学的に検証する科学者の不足、武術界の、外部に対する閉じた態度、等が作用して、科学的研究が遅れている、と考えるのが先で、いきなり現代科学全般を否定するような物言いは、かなり飛躍していると思います。

これは、ある合気道師範の言ですが。
「甲野氏が主張しているような事は、合気道では普通に行われている」、との事でした(直接伺った訳ではありませんが)。

SNAFに、ウケました(笑)

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補足。
岡田氏による連載⇒http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2005dir/n2639dir/n2639_08.htm

投稿: TAKESAN | 2007年12月 7日 (金) 13:47

こんにちは。

伊勢田さんはむしろ「明確な一本の線が引けないからといって、科学と疑似科学が区別できないわけではない」という点を繰り返し強調していたと記憶しているのですが…
あの引用の仕方はどうかなと思いますね。

しかし、自身の科学の定義があるならそれを主張すれば良いのであって、わざわざ線引き問題に言及する必要は無かったのではないかと思います。
この方、他にも科学について色々書いてるんですね。これから読んでみることにします。

投稿: dlit | 2007年12月 7日 (金) 13:56

dlitさん、今日は。

明確な線を引ける訳では無いけれど、ある程度区別は可能だし、グレーゾーンはあるにしても、全てに関してはっきり白か黒とは言えない、という事では無いのですよね。これは、ニセ科学批判者の共通了解でもあるかと思います。

西條氏は、構造構成主義というメタ理論を提唱している、注目の若手の研究者として捉えられているようですね。

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ところで、グレートパンダーさんご紹介の、長谷川氏の日記、非常に興味深いですね。これまで、血液型性格判断関連で、ときたま覗いていたくらいだったのですが、じっくり読んでみようと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 7日 (金) 14:26

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