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2007年12月26日 (水)

占い? 科学?

ちょっとした疑問です。

私は、「血液型性格判断は、占いと同様のものである(場合がある)」という主張の、意味がよく解らないのですよね。
一般的に言って、血液型で性格が判る、というのは、ある性格類型なり特性と、生物学的因子である所のABO式血液型とを結び付けた主張です。

ちょっと視点を変えてみて、「占い的な血液型性格判断」というものを考えてみると、それはつまり、「今日、○型の人はこういう運勢だ」、という類のものなんかですよね。血液型選手権みたいな。

ところが、血液型性格判断は、論理的に、分布に関する言及である訳です。要するに、○型の人にはこういう性格の人が多い、という事実があれば、それは成り立つ。

で、ですね。
血液型性格判断を信じている人は、当然、生物学的な連関を前提しているはずです。何故なら、社会心理学的メカニズム、つまり、思い込みや自己成就現象によって分布が偏る事がある、などという知識がある人がそれを信じるというのは、論理的に考えにくい。尤も、星占い等と融合させた主張の場合なんかは、また違ってくるとは思いますが。そういう方向で、何らかの論理体系をなした場合、それは、いわゆる疑似科学的主張だと看做すのが、妥当でしょうか。すなわち、現代科学の体系に全く矛盾する、という意味で。

従って、血液型性格判断を信じている人の多くが、何らかの(自然)科学的論理を前提としているだろう、と推測しています。

で、ここまで読まれて、誤解されるといけないので、補足。
上に書いた話は、「ニセ科学」論そのものではありません。ニセ科学として批判の対象となるのは、そもそも科学を標榜している主張や、マスメディアによる、「実験」や「調査」を行ったと称するミスリーディング等なので、これらをニセ科学と批判するのは、全く妥当です。特に、情報発信の面で非常に強力であるマスメディアによる流布というのは、重要な点です。

何か、文が激しく纏まっていないですね。取り敢えず、このまま上げます。意味不明な箇所のご指摘や、批判歓迎。

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コメント

kikulogにも書きましたが、現在の血液型性格判断には、二つの流れが混在しています。能見正比古の流れを汲む100%ニセ科学なものと、鈴木芳正の系統の星占いなどとの習合に積極的なものです。表面的には似ているが底流で相容れないものが混在していて、しかも、多くの人は混在している状況に気づいていないか気づいても無頓着なので、矛盾した状況に見えるんじゃないですか。

投稿: かも ひろやす | 2007年12月26日 (水) 09:52

かも ひろやすさん、お早うございます。

社会に広まっている、「性格傾向や相性について説明する際に、血液型の情報を用いる(血液型のみ、あるいは、他の要素も含めて)」という考えは、色々な説に触れた結果、人によって、その受け取り方が異なっているのだと思っています。
で、「ニセ科学」の問題として考えると、主な検討の対象としては、能見氏由来の説で、それを科学的に一般化、対象化したものが、「血液型性格判断」説、つまり、(メカニズムは置いておいて)血液型を知る事で、高い確率で性格を当てるのが可能か、という説なのだと思います。そしてそれは、心理学的研究によって否定された、と。

もし、「信じ方」の傾向を知りたいなら、実際、調査なりは行うべきかと思いますが(量的な評価なので)、ニセ科学論として、血液型性格判断を批判する際には、その情報は、必要である訳では無い、と考えています。そもそもきくちさんは、飲み会の席で行動を見て性格を当てる、という類の現象を対象としているので、その時点で、占い的なものとは区別しておられるのだろうな、と。

ちなみに、このエントリーは、血液型性格判断には否定的であるが、「そんなの、占いみたいなものだから」、と主張したり、ニセ科学と言うためには、社会の多くの人間が科学的だと誤解している必要がある、といった主張をしたり、というものを見る場合があるので、書いてみました。

投稿: TAKESAN | 2007年12月26日 (水) 11:17

話が見えないのですが、単に、「『血液型性格判断は、占いと同様のものである』は事実誤認である」ではダメなんでしょうか。古川竹二は、少なくとも初期は、ニセ科学ではなく「後に否定された学説」ですよね。

「血液型性格判断は、占いと同様のものである場合がある」は、妥当な現状認識です。そのとおりなので、困惑する必要はありません。血液型性格判断を占いとして信じている(少なくとも、否定的でない)人が現に存在することは、観測事実ですよね。

ニセ科学としての血液型性格判断が存在することと、占いとしての血液型性格判断が存在することが排反であると誤認している人がいることが問題ということでしょうか。

投稿: かも ひろやす | 2007年12月26日 (水) 20:37

いや、仰る通りです。

すみません、かなりごちゃごちゃしている文章でしたね。

▽▽▽引用▽▽▽
ニセ科学としての血液型性格判断が存在することと、占いとしての血液型性格判断が存在することが排反であると誤認している人がいることが問題ということでしょうか。
△△引用終了△△
あ、なるほど、そうですね。その表現だと解りやすいです。
結局、占いとして信じている人がいるという事実を、ニセ科学という判断を否定する根拠として持ち出す人がいる、という所が問題だな、という感じですね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月26日 (水) 23:37

こんにちは、最近は法学的リテラシーなんてことにこだわって説明しています。

この「どう受け取るか」に関わる法学的概念の内、一般の人にもリテラシーとして或る程度普及して欲しい概念が「未必の故意」という概念ですね。推理小説などでは時々でてきますけどね。

「未必の故意」とは「行った人間がそのような結果を望んで(故意に)行ったとまでは言えなくても、社会通念的にそのような結果が容易に予測可能であるなら、そのような結果をおこす意図を持って行ったとする」というくらいの意味です。例えば、サラ金に強盗に入って逃げるときに油をぶちまけて火をつけて逃げた結果、サラ金の職員が焼け死んだ裁判などでは「逃げる時間を稼ぐためにやったので殺そうとしたのではない」という被告側に対して「そのような行為をすれば、人が焼け死ぬかも知れないことは容易に予見可能なので、殺そうとする意図と同じ」と殺人罪による死刑の判決が出ています。

これと同じでして、行った本人が「科学的なことと思わせたい」という意図をもっていたかどうかではなく、その本人の行った説明が社会通念的に「科学的と思われる」ことが容易に予測可能であれば、「科学的と思わせたくて行った」とすべきなんですね。

投稿: 技術開発者 | 2007年12月27日 (木) 13:05

技術開発者さん、今日は。

未必の故意は、重要な概念だと思います(昔、親に教わりました。ばっちり推理小説経由で(笑) )。

技術開発者さんやapjさんのお書きになるものを読んでいて、実際、法的な観点というのが大変重要であると、感じています。別の所でも話題になっていますが、「被害」について考える場合などには、特に重要ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月27日 (木) 13:31

O型男性さんはスルーすべきでしょうね。血液型と性格についての言及が論外(考えようによっては、ABO FAN氏に匹敵する酷さ)なのは言うまでも無いとして、それ以前の、態度の問題なので。

一応、参考に(「O型男性」でページ内検索するなりしてみて下さい)⇒http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/fortune/1188727926/

科学や心理学の概念を批判的に検討しているかのような書き方をしておきながら、それらを勉強していない事を平気で仄めかすというのは、なかなか、知的誠実さに欠けているではありませんか。
その前にそもそも、何を言ってる(主張したい)かが、まるで解らないのですけどね…。

投稿: TAKESAN | 2008年1月12日 (土) 11:22

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