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2007年12月16日 (日)

どこに学識があるの?

何か事件が起こると、識者と「称されている」・「呼ばれている」・「どこかの誰かが言っているかも知れない」人達が、自分の経験を基に犯人像を想像し、自説をテレビなりで開陳しますね。

あれ、相当程度に危険だと思うのですよ。色々な意味で。たとえば、視聴者にバイアスを掛けてしまったり、(バイアスという意味で、前者と重なるけれど)特定の属性を持つ人々に不当な印象を植え付けたり。

そもそも。

大部分の「識者」と呼ばれている人は、ある組織の中で、仲間と連携し、様々な情報を得られる環境にあったればこそ、良い仕事が出来た訳で(だから、元○○という肩書きは、ほとんど意味を持たない)。特に、精神分析系の人が、ごくごく限られた情報から犯人像を導くのは、あれはダメでしょう。普通の認識力があれば、「それだけじゃあ、何も解らん」、となるはずです。

で、それが当たれば、優れた洞察力の持ち主として、評価される。はずれたとしても、情報が充分で無い事そのものは、皆解っているのだから、目立った批判は無い。そもそもメディアが訊いている訳ですから、メディアがその人を批判するというのは、考えにくいのですよね。何故か、民放各局で、同じ人を見たりしますし。

経験や実感を過度に一般化するものでは無いと、私は思います。

しかし、上に書いた、報道の構造。巧みと言えば巧みですね。もちろん、ネガティブな意味を込めて、ですが。

最後に本音。

恐らく大部分の事例に当てはまるであろう事を尤もらしく並び立て、さも優れた洞察と知識を持っているかの如く持論を開陳する、誰が認めたか定かで無い「識者」・「専門家」がしたり顔でものを言う状況は、正に、笑止千万であると言えましょう。

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コメント

関連しそうなエントリー⇒http://www.h-yamaguchi.net/2007/12/post_39a5.html

私がこのエントリーを起こしたのは、よそで小田氏のコメントが引用されているのを見て、色々考えたから、なのでした。ワイドショー等では、小田氏の如き発言、数少ない情報に基づいた恣意的な「分析」もどきをする「識者」が、何人か見られます。

投稿: TAKESAN | 2007年12月17日 (月) 12:57

最近、ニュース番組は録画して見ます。
評論家やタレントの発言の時、早送りできるからです。
たまに巻き戻して見る事もありますが、「ああやっぱり」という感じが多いですね。
(デーブ・スペクターさんは面白いので見ます)

投稿: TAKA | 2007年12月17日 (月) 16:06

TAKAさん、今晩は。

ワイドショー等を観ていると、首を傾げる事も、しばしばですね。
何か言わなければ話にならない、という事なのでしょうけれど、そういった構造自体がどうなのだろう、なんて思っています。視聴者に、それを求めている人がいる、というのも、あるのかも知れませんけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年12月17日 (月) 23:32

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