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2007年12月18日 (火)

取り組み

山陰中央新報 - ノーテレビ実践 松江の家庭ルポ

 ゲーム漬けで脳機能が低下する「ゲーム脳」に警鐘を鳴らす講演を聞いたの機に、玉湯幼稚園の保護者がゲームの機会を減らそうと結束。子どもたちは最初は「なんで」と不満そうだったが、じきに外で鬼ごっこをしたり、おもちゃで遊んだりするようになった。(引用は、原文ママ)

うーむ。この時点で、何か重大な事を、見落としているような。

子どもたちは他家でゲームに触れる可能性があるため、成功のカギは一家庭にとどまらない「地域ぐるみでの取り組み」だと実感したという。

そこまでして、ゲームから離すのか…。

ゲーム時間を減らす事そのものには、別に反対はしません。リズムを作るのは、大切かも知れないし。でもそれは、地域ぐるみでやる事なのだろうか。しかも、わざわざ、ゲームとテレビに限定して。

中2は平日平均118分、休日同147分で、全国より9分と5分長かった。

9分と5分…。ばらつきは?

時間を減らすのはいいけど、せめて、「嫌わせない」ようには配慮して下さいね。積極的に遠ざけると、それを嫌悪する、というのは、往々にしてありますから。

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コメント

うわ、そこまでする地域があるんですねえ。
記事にあるように「だらだらと流されるのではなく、主体的にメディアと付き合う」ということ自体はいいと思うのですが、この取り組みで、そういう主体性が身に付くのでしょうか。

「なぜなのか」を理解して同意できていないと、単に大人の目を意識して隠れてするようになることだってあるわけですよね。端的には、自宅でゲームを禁じられている子がよその家に行くとゲームにしがみついちゃうといったことが起きる。そんなことは知っているから「地域ぐるみ」なんでしょうけど、なぜそれが起きるかじゃなくて、どうやってそれを防ぐかにしか目が行ってないんじゃないだろうなあ……。

さらに言えば、理不尽な強制力で禁じられていたと感じている場合は、「禁じられていたもの」を長じて自力で調達できて、誰にも止められないようになると、どっぷりとはまることがあります。
誰もがそうなるわけでは、もちろんありませんが。

ほかにも、下記のエントリで書いたような問題点が当然あるわけで。

ニセ科学が教育に使われると困る理由
http://shibuken.seesaa.net/article/30850385.html

松江は昔から教育熱心と言われていましたが、そのせいかなあ。うーん……いろいろと悩ましいなあ……。

投稿: 亀@渋研X | 2007年12月18日 (火) 02:38

TAKESANさん

「平均値」に振り回されていますね。
幼稚園児を教育する前に保護者の教育が必要なようで。

投稿: Noe | 2007年12月18日 (火) 09:00

こう言っては何ですが、科学性がどうのこうの、と言う以前に「地域ぐるみ」でゲーム禁止なんていう行為をやっている、というのに生理的な「気持ち悪さ」「恐ろしさ」を私は感じますね。

私自身、別にゲームを積極的にやらせろ、とか、そういうつもりは一切ないのですが、地域ぐるみで「こういう風にしてください」と強制する、ということは、家庭の自主性も教育方針も何もなし、ということですからね。
正直、良くこの地域の人々も協力したな、というのを感じますね。私だったら、絶対に協力を拒みますが。

投稿: たこやき | 2007年12月18日 (火) 13:39

皆さん、今日は。

>亀@渋研Xさん

物事は、両面を見ないといけないのだろうな、と思っています。
ちょっと前に、掲示板で、ゲームやお菓子を禁止する事について議論が行われているのを紹介しましたが、そこでも、様々な意見や事例がありましたね。

単に、取り敢えず時間を減らそう、という認識であるように、私には見えます。本来やるべきは、「そのもの」について考える事、であるはずなのに。

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>Noeさん

ほんのちょっとの平均値の違いを、その意味合いをちゃんと解釈せずに、素朴に捉えてしまうのは、よろしくないですよね。算出方法によっては、簡単に変動しそうです。答える際に、バイアス掛かるでしょうし。

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>たこやきさん

推測するに、「ゲームに熱心」、「テレビをよく観る」事に、直感的な、嫌悪感情を懐いている人は、結構いるかも知れません。「軽く」見ている、と言うか。

部活動が過剰だから、運動を休めるのを奨励する、という意見が出たら、ほっとけよ、という反発が多そうな気もします。

そういう意味で、文化に対するステレオタイプが働いているのかな、と。

ただ、ここでは、記事に採り上げられた家庭がクローズアップされている訳ですが、協力に消極的であったり、反発している家庭も、あるのかも知れません。記事を通して、読者にバイアスが掛かる可能性も、ありますね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月18日 (火) 14:16

こんにちは。

やはりというか、私が一番引っかかるのは、ノーテレビ・ノーゲーム運動の結果報告のうち、「いっしょに遊ぶ時間が増えた」とか「家族の対話が増えた」という報告です。
ここからは、テレビやビデオ、ゲームを介して親子が会話するといったことがほとんどない、と言えると思うんですよね。
せっかく高いお金出して買ってるのに、なんで一緒に遊んでやらないんだと、非常に残念に思います。

投稿: A-WING | 2007年12月19日 (水) 13:17

A-WINGさん、今晩は。

そうなんですよね。これは、ゲームは一人でやるもの、という認識を物語っているように、思います。一人で出来るゲームが多いのは事実でしょうけれど、コミュニケーションの手段として見られていないのは、残念です。←もちろん、「そのために」、という意味ではありませんけれど。

実際、「せっかく買ってあげた」のになあ、とは感じますね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月19日 (水) 20:00

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