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2007年12月に作成された記事

2007年12月31日 (月)

大晦日。総括

もう、今年も終わりですねー。←定番

こちらを読んで下さり、また、コメントやトラックバックで言及して下さった皆様、誠にありがとうございます。皆さんからは、いろいろ教えて頂いたり、議論をする事で、知識が蓄えられ、間違いに気付かされ、認識を深める事が出来たと思っております。深謝。自分の身近の環境だけでは得られないものだったと思います。ブログが、時間的・空間的な制限を取り払ってくれるコミュニケーションツールとして、有効に活用出来る事を、痛感しました。

今年は(これからも続くと思うけれど)、ニセ科学についての議論の割合が、多かったですね。自分でも色々考えてエントリーを上げたり、コメント欄で議論したりして、大変勉強になりました。ニセ科学問題の難しさ――ニセ科学への批判、また、その批判活動自体への批判のあり方、など、考えるべき事は、まだまだありそうです。ニセ科学について考える事は即ち、「科学」について考える事を意味するので、必然的に、科学とはどういうものか、という所を考察せざるを得ない。そこでも、皆さんにご意見を頂きました。お陰様で、大分整理が進んできた気がします。ニセ科学批判批判についても、結構書きましたねえ。白熱したやり取りになりました。元は、ゲーム脳と血液型性格判断について調べていただけだったのが、「ニセ科学」問題に興味を持って、そこから、今まで注目出来ていなかった所に目を向けられたので、それは良かった、と感じます。何より、とても賢い皆さんのアドバイスを頂けた事は、貴重です。

ゲーム。私は、モンタばっかり(笑) ゲーム界全体としては、やはり、「任天堂」、ですね。アイデアが見事だったんでしょう。一旦乗ったら、勢いがつくんでしょうね。そして、ばっちり掴んだ。さすが。Xbox360は、もっと評価されていい。来年は、どうなるんだろうか。大きな動きは、特になさそうですけれど。

武術・身体運動。個人的には最も優先順位の高いものなのですが、今年はちょっと、考察に割くリソースは少なかったですね。ニセ科学問題を中心に、勉強していたので。もちろんこれは、「科学とは」という所を考えざるを得ないので、それが結局、武術を科学的に考えるとはどういう事か、という所にも繋がってくるから、基礎的な認識として重要な訳ですが。より一般的な認識が鍛えられれば、具体的な事を理解するのが、よりやりやすくなるのですよね。それに、武術はそもそも、学際的な現象以外では無いので、色々な分野を勉強する事自体、武術について考えるツールを集めているに等しい訳です。

とまあ、こんな感じでした、今年。来年も、似た様なものかな。

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さて、今日は大晦日。紅白観るかあ。でも、友人と出かけるかも知れないけど。

見るとしたら、平井堅さん、コブクロ、しょこたん、かな。

格闘技もあるなあ。舟木×桜庭 戦は、見なければ。後、ボビー×サップ。私は、サップが瞬殺されると踏んでいますが。

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んでは。

皆さん、良いお年をお迎え下さい。来年もよろしくー。

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ゲームで運動

遊鬱さんの所経由で⇒Wiiで子どもの肥満解消ならず、英研究チーム 国際ニュース : AFPBB News

妥当っちゃ妥当な結果でしょうね。

私としては、ゲームへの親しみの度合という変数が、結構効いてきそうにも思います。前にどこかに書きましたね。ゲームをやる人は、「仕組み」が解るので、必要最小限の動きに最適化するのですね。Wiiリモコンを「クイッ」とするだけで、充分有意味な信号を送る事が出来る、というのが解る訳ですね。対して、ゲームとかセンサーの仕組みに意識が向かない人は、思いっきりぶん回したりして、「無駄に動く」。そうすると、運動強度も上がるでしょうから、同じ「Wiiをプレイする」という現象に見えても、その実は、結構違ってくるかも知れません。

で、ちょっと話が変わりますが。
「無駄に動く」と上に書きましたけれど、これは悪い意味では無く、「楽しんでいる」って事なんですよね。ファミリーでワイワイガヤガヤやるんなら、一々細かい所に意識を向けずに、思いっきり動いて、爽快感を味わえば良い。だから、楽しみ方はそれぞれ、って事です。当然、任天堂の中の人は、ここら辺の論理を掴んだんでしょうね。

あ、私はもちろん、「クイッ」を追求する人です(笑)

いかにも「運動を頑張っている感」が無い遊戯の中で、減量効果がありそうなものとしては、サバイバルゲームとか、凄く動きそうですけど、どんなもんなんでしょ。私はやった事無いので(かなり面白そうだと思う)、よく解りませんが。サバゲーの場合、果たして、「屋外でのスポーツ」と、日本では認知されるのかな。

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2007年12月30日 (日)

やる前

かくし芸の直前の特番を観ていて思う事。

「いかに頑張っているか」を前もって知らせて、ていうのは、どうなんだろうか。

本放送が終わった後に、「いかに頑張っていたか」をやるなら、まだいいと思うけれど。

事前に、感動させるための準備をしているようで、そこに思い至って冷めてしまう人も、結構いそうな気がする。

あれです。

あ、こんな事を短期間で出来るようになったんだから、相当努力したのだろうなあ、と、「見せずに」感じさせるのも、一つの演出ではないかと、考えたりする訳です。

もちろん、私が今観ているかくし芸の番組は、それほどでも無い、という意見もあるでしょうけれど。

と、昔、SMAPの空手を観て感動したり、とんねるずの鎌ヌンチャクを観て、すげー、と思った人が、書いてみました。

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新設、お猿さん

なんとなく、新しいカテゴリーを作ってみました。エントリー溜まるかな…。

で、MHFの話。

最近、資金稼ぎのために、ソロで、「逆襲!2頭の牙獣」をやってます。お陰で、剛力珠6 7個出ました(大体、剛体珠と半々くらいの割合)。

んで、今日、ナルコレプター改を作ったので、それで行ってみました。20分針(約24分)でした(スキル:高級耳栓・攻撃力UP大・見切り+3・火事場力+2)。捕獲のタイミングが今一つだったので、きちんと効率よくやれば、ぎりぎり15分針行けるかなあ。つわものだと、どれくらいのタイムが出るもんなんでしょ(スナイプだと、10分針なのかな)。ちなみに、他の武器では、アイスディバイダー改(火事場あり)とゴールドマロウ(火事場無し)で、25分針~30分針でしょうか。うーん、微妙。

それにしても、睡眠属性の大剣は、爽快ですね。火事場発動すると、なかなか(笑) 逆猿だと、特にやりやすい。パーティだと、ちょっと使い所が無いかもですが。

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バカ売れ

家庭用ゲーム機 国内販売額が過去最高を更新(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

やりますなあ、任天堂。

Xbox360は、もっと評価されていい。

PS3……。

来年はやっぱり、バランスボードを使うゲームが増えてくるんですかね、Wii。ソフトのラインナップによっては、消え去っていくデバイスにもなりかねないですが、かといって、標準のデバイスにもなりにくいでしょうしね。あまりにも動くのは(立つというのは、動くって事です)、なかなかね。ゲームは、寝転がったり座ったりしてやるもの、とも言えるし。座って足を乗せてバランスを取る、ってのなら、アリかもしれないけれど。

Xbox360は、もっと評価されていい。

PS3は。

MGS4か、取り敢えずは。PS3専用って決まったんでしたっけ?

FFは、どうなんでしょうね。最早、強い求心力があると言えるのかどうか。

ゲーム、来年はどうなるのかなあ。

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2007年12月29日 (土)

メモ:もっと分けて考える

  • ある言説について、ニセ科学かどうかを考える。温泉の効能書き、ゲーム脳、水からの伝言、血液型性格判断、マイナスイオン、等々。
  • 対象が含む概念の内容を考える。「何を指しているか」。
  • 主唱者はいるか。いた場合、検討は、比較的容易。ゲーム脳は森昭雄氏、水伝は江本勝氏。
  • いない場合。例:温泉の効能書き。論理的には、各温泉場で掲げられているものが含まれる。傾向的なものはあるかも知れないが、ある程度広がりを持つのではないか。
  • 概念の論理構造を分析するのが重要かも。○○を△△すれば□□になる、という類の、単純な構造の説ならば、検討は容易。
  • 血液型性格判断はどうか。主唱者→代表的なのは能見氏。だが、血液型から性格を当てる(逆も)という知識は、社会に浸透しているように思われる。そこでは、「誰が言ったか」は、知られていないだろう。ニセ科学として批判される「血液型性格判断」は、分布が偏っているという説。

…脳がダレてきたので、取り敢えずこれくらいで。

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2007年12月28日 (金)

分けて考えてみる

皆さんのご意見を、是非伺いたいです。批判歓迎。

私は、「ニセ科学」には、「一般の多くの人が”科学的”だと誤解する知識」と、「誰か主唱者がいる、科学を装った」言説の、二つを考える事が出来るのではないかと思いました。

まず後者から。

これは、たとえば、ゲーム脳や水伝など、ある主唱者がいて、著作や講演などで、自説を開陳している場合です。当然これは、その言説を評価すれば良い。もちろん、実際に被害が出ているかどうか、というのは、考慮する必要は無い(それは、批判対象として採り上げる際の根拠、と考えるのが妥当)。つまり、科学の方法によって実証されていないにも拘わらず、それがなされたかの如く主張している訳ですから、それだけで、「ニセ科学」と判断される事になる。また、学術的専門概念を、本来の定義を無視して誤用する言説なども、対象となるでしょう。

次は前者。

これは、多くの人に、「科学的根拠がある」と思われているにも拘わらず、実はそういった事実は無い知識、といった所でしょうか。

これは、初めには、誰か科学者なりが主張したのかも知れないが、それが社会に広まった結果、常識的な知識として、かつ、「科学的に根拠があるもの」だと誤認されている、というものです。一般に浸透したもの、ですね。

この場合には、当然、「一般の人が思う”科学的”」とはどういう事か、などが、問題になってくるでしょう。また、「多くの人が誤解する」、という主張が妥当である事を示すには、定量的に評価なされなければならないでしょう。ここでは、心理社会的な観点が必要とされます。端的に言って、非常に難しい。

さて、これらを踏まえて。

ニセ科学を批判する人、また、その活動そのものを批判する人の両方に、何かを「ニセ科学」と判断する場合に、「社会一般に、科学的であると誤認されている」事が、必要条件だと看做している人が、いるように思われます。

論理的に言えば、”ある程度の科学的知識の理解を前提としているが、実は科学的には妥当では無い、人口に膾炙した「俗説」”も、”誰か主唱者がいて、科学的に実証されたと「言い張っている」説”も、両方が(もちろん、排反するものでは無い)、「ニセ科学」と考えられると思いますが、そこを踏まえずに、後者をニセ科学だと判断する人に対して、「いや、社会一般に誤認されていないではないか」、と反論したりする、というのがあるのではないかと。

ごくシンプルに纏めると。

・科学的で無いが科学を装っているものが、ニセ科学

・主唱者がいるものは、著作なりを参照し、それを現代科学の基準に照らせば、判断は、比較的容易。科学的概念を誤用したり、「実証・検証された」と言ったり、実験を行った、などが主張されているのを指摘すれば良いのだから。

・科学的に検証されていないが、社会一般に科学的であると誤認されている説、の場合には、その立証は難しい。多くの人が、という所は、量的な評価だから、調査なりを行うべきだし、「科学的だと誤認する」というのがどういう事か、というのも問題になる。

・もちろん、両方を満たす説もあるだろう。

・「ニセ科学である」と判断する事そのものには、多くの人に広まっているとか、実害が出ているか、というのは、考慮する必要は無い。

と、こんな感じでしょうか。

こう考えると、多少すっきりするようにも思いますが、どんなものでしょう。文そのものが解りにくいという突っ込みが入りそうですが、私もまだ整理し切れていないので、コメントなりでご指摘頂ければ、ありがたいです。

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2007年12月27日 (木)

必然

宮本茂とWiiFit - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)

これは面白い。

で、こちらを読んでいて、そういえば、こんなの書いたなあ、と、このエントリーの事が、頭に浮かんだのでした⇒Interdisciplinary: 展望

まあ、予想通り、といった所でしょうか。Wiiのコンセプトを考えて推測すれば、当たり前に考え付く事でしたね。「面白いものを作りたい」と考えている人は、めざといのでしょう。これは使える、と思ったものは、どんどん柔軟に採り入れていく。

Wii Fit、かなり売れているみたいです。数は把握していないけれど、売り切れ続出とか。近所の店に行っても、品切れでしたね。

任天堂の仕掛けるタイミングが、実に上手いですね。勢いがある内に、年末商戦に合わせて、ファミリーでワイワイ参加出来てしかも「ゲーム」をあまり感じさせない(既成概念を崩し、ネガティブなイメージを持たせない)ものを出す、という。やるなあ、と。

今後はどんなのが出てくるんでしょうね。楽しみ楽しみ。

Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱) Video Games Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱)

販売元:任天堂
発売日:2007/12/01
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美声

Music 名曲撰 ユメミゴコチ

アーティスト:諫山実生
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/12/12
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音楽配信系のサイトでこのアルバムを探したら、『月恋花』だけ収録されていない件。

ボーナストラックだから、か…。この曲が聴きたかったのに。これ、名曲ですよ。

ベストアルバムだから、他の曲は、もうあるんですよねえ。

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2007年12月26日 (水)

メモ:ニセ科学の定義とか

ニセ科学の定義と判定について考える :: 事象の地平線::---Event Horizon---

熟読玩味の事。

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触発されて、ちょっと考えてみた。以下、走り書き。相当カオス。青文字は補足。apjさんが書かれている事とは ずれてくる所もあると思う。

「ニセブランド品」の喩えをお借りします。

ニセ科学について論じる際、「出す側」と「出回り方」の、二つの視点があるように思った。

つまり、売る側賛同者、流布する人達が、ブランド品であると謳って科学的であると主張する販売するか。この場合、解っていて売る場合←故意と、信じ込んで売る場合←確信がある。大元には、「作る」立場の人間←主唱者。新奇の説の提唱者なりがある。

「出回り方」、もしくは、「受け取り方」。ちょっとアナロジーが不正確になるが、そのまま続ける。

「ニセブランド品」を、「ブランド品と信じ込んで」買ったり使用したりしているか。←科学的と感じているか。受け取る側には見分けが付かないいかにも高級な店構えの、「それっぽいショップ」←大学教授、○○研究所、「科学的に実証」などの文句で売られているもの。

それとも、「胡散臭い店」で売られているものか。←肩書きの無い人。専門の研究機関で無い組織誰にでもニセモノと判るのか。←科学的とは感じない。それまでに蓄積した知識によって、科学的では無い、あるいは、信憑性が低い、と看做す

どちらにアプローチするかで、批判の内容は異なる。「売る側」・「作る側」についての言及の場合、それを売ったり作ったりする事自体←科学的な手続きに則って検証していないにも拘わらず、検証されたと言う。故意かどうかは問わないを批判。「受け取る側」についての場合、ニセブランド品をブランド品だと信じ込んで買う人が多いという事を問題視。←「”科学で無いもの”が、”科学的である”と、多くの人に思われている」状態。つまり、社会的認知の問題「そんなもの、誰でもニセモノって判るだろ。」←ニセ科学など批判するもんでも無いだろう、という非難と主張する人は、「どうせ誰も本物だとは思ってないんだから」、と考える。←社会一般に、「科学的」とは認識されていないんだから、と主張する

ニセ科学は、科学の手続きに則られていないのに、それがなされたと主張されれば、成立する。喩え――「元祖・○○」的なお菓子があるとする。それは、ちゃんと製法を守って作らなければ名乗れない。製法を守っていないのに、「元祖・○○」とラベルを貼って売ってはならない。製法を守ったと思い込んでも、実は誤ってしまっていた、という事もあり得る。そして、売ったという事実そのものが、批判の対象となる。必ずしも、それが沢山売れたという事実が要る訳では無い。つまり、「多くの人が」という量的な評価を問題にするのでは無い。「これが出回ってしまってはまずいぞ」的な批判もある、という事。そして、批判対象の、批判の優先順位は、批判者の問題意識や興味関心のある分野によって、異なってくる。かなり出回ってしまっているから駄目だ。あれはニセモノだと知らしめないと、というのもあれば、まだ広まって無いかも知れないけど、影響力が大きいメディアが採り上げているから何とかしないと、というのもある。量的には少ないかも知れないが、ある程度広まる事自体が、他の文化に対する不当な先入観を植え付ける虞がある、と判断する場合も。

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取り敢えず、こんな感じで。

ふう…。何か、脳をフル回転させたから、爆発しそうだ(笑)

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占い? 科学?

ちょっとした疑問です。

私は、「血液型性格判断は、占いと同様のものである(場合がある)」という主張の、意味がよく解らないのですよね。
一般的に言って、血液型で性格が判る、というのは、ある性格類型なり特性と、生物学的因子である所のABO式血液型とを結び付けた主張です。

ちょっと視点を変えてみて、「占い的な血液型性格判断」というものを考えてみると、それはつまり、「今日、○型の人はこういう運勢だ」、という類のものなんかですよね。血液型選手権みたいな。

ところが、血液型性格判断は、論理的に、分布に関する言及である訳です。要するに、○型の人にはこういう性格の人が多い、という事実があれば、それは成り立つ。

で、ですね。
血液型性格判断を信じている人は、当然、生物学的な連関を前提しているはずです。何故なら、社会心理学的メカニズム、つまり、思い込みや自己成就現象によって分布が偏る事がある、などという知識がある人がそれを信じるというのは、論理的に考えにくい。尤も、星占い等と融合させた主張の場合なんかは、また違ってくるとは思いますが。そういう方向で、何らかの論理体系をなした場合、それは、いわゆる疑似科学的主張だと看做すのが、妥当でしょうか。すなわち、現代科学の体系に全く矛盾する、という意味で。

従って、血液型性格判断を信じている人の多くが、何らかの(自然)科学的論理を前提としているだろう、と推測しています。

で、ここまで読まれて、誤解されるといけないので、補足。
上に書いた話は、「ニセ科学」論そのものではありません。ニセ科学として批判の対象となるのは、そもそも科学を標榜している主張や、マスメディアによる、「実験」や「調査」を行ったと称するミスリーディング等なので、これらをニセ科学と批判するのは、全く妥当です。特に、情報発信の面で非常に強力であるマスメディアによる流布というのは、重要な点です。

何か、文が激しく纏まっていないですね。取り敢えず、このまま上げます。意味不明な箇所のご指摘や、批判歓迎。

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2007年12月25日 (火)

ゲーム感覚

とても良いエントリーをご紹介⇒PSJ渋谷研究所X: これぞ「ゲーム感覚」!?

「ゲーム感覚」というのは、とっても大事です。もちろん、ポジティブな意味で。

ところで、ゲームの話をする際(ゲームの悪影響を語る文脈でよく出てくる)、「ゲームより面白いものがある」と知らしめれば、ゲームからは離れていくよ、という言い方がなされる場合があるのですが、あんまり良く無いんですよね。そうじゃ無くて、「ゲームも面白いが、こっちも面白い」とか、「これとゲームは、実は同じ様なものなんだよ」、とか、そういう風に言わないと。
はっきり言って、ゲームより面白いものなんて、そうは無いですからね。それに、ゲームをしない人からそんな事言われたら、「ゲームの面白さを知らんでしょ?」なんて思ったりするのです。

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仮定を理解しない人

kikulogへ最初に投稿しようとしたコメントを、載せます。あちらでは、ちょっと書き直しました。青文字は補足。

▼▼▼▼▼こ こ か ら▼▼▼▼▼

もうちょっと訊いてみます。

ABO FANさんへ。
 
 >私には、「有意」を使わずには説明できません。
 
駄目です。統計的推測の話はしていないので、有意という概念を使わなければならない、というのは、通用しません。もう、この答えの時点で、おかしい。統計的推測の概念が無いのだろうか。
 
 >「全数検査」でという意味でしょうか?
 
母集団において、差がゼロで無ければ、とうかがっています。誰も、「過去や未来の人」を全数調査するなどという事は、言っていません。「ある時点」での、ある集団において、血液型ごとの差がゼロで無ければ、「関係ある」と、ABO FANさんは判断なさいますか?当たり前の話ですが、私は、母集団における分布がどうであるか、という事を言っているので、調査がどうのこうのというのは、全く的外れです。仮定ですね。もしこうなら、という。
 
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 >ひょっとして、これだけ引用を渋るところを見ると、統計に詳しく
 >ないのかもしれません。
PseuDoctorさんがこのコメントを読んで、失笑もしくは苦笑を催されるのが、目に見えるようです。ABO FAN氏のお顔の皮膚は、果てしなく厚い、あるいは、相当硬い物質で構成されているのでしょう。

▲▲▲▲▲こ こ ま で▲▲▲▲▲

kikulogでのコメント、あんまりうまく無いなあ。あれくらいしか書けませんでした。仮定や喩えを色々出したいのですが、そこから更に拡散される虞があるので、慎重になってしまいます。

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2007年12月24日 (月)

解りやすい

よく、解りやすいテキストとか、「マンガで解る」系について語ってますが、最近2ちゃんねるのまとめサイトでよく見る、「やる夫で学ぶ」系のやつは、一つの理想の形だと思います。馴染みのあるマンガのキャラなんかを組み合わせて興味を引き、掲示板ならではのテンポの良さも相俟って、グングン惹き込まれる。実に巧い。身近の物事と結び付けていて、物凄い解りやすさです。

尤も、ああいうのは、あのような場で書かれるからこそ良い、という面があって、あまり狙い過ぎてしまっては、白けるし、厭きられもするでしょうね。

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既視感

相変わらず、堂々巡りです。

私の質問には、答えてくれませんね。

やはり、実際にわずかでも差が存在すれば「関係ある」と看做す、という事なのかな。で、それを言ってしまうとまずいというのを、認識しているのだろうか。

他の方と私は認識が異なっているかも知れませんけれど、私としては、ここら辺(差に関する議論)について、ABO FAN氏は「解っている」、と思っています。でないと、あそこまで頑なに回答を拒むというのは、ちょっとおかしいかなあ、と。もしABO FAN氏が、差が0で無ければ「関係あると言える」、と宣言すれば、議論は終結しますからね、恐らく(←誰がみてもおかしい事が解るので、ABO FAN氏の主張が崩壊する)。

どうやら、まだやり取りは続きそうです。もしかすると、コメント1000を突破するかも知れませんね…。

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2007年12月23日 (日)

ぷれぜんと

痛いニュース(ノ∀`):「お勧めのガンプラ教えて下さい」ガンダム好きの夫へ妻がクリスマスプレゼント

ガンダムに詳しい方教えて下さい。 : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

こりゃあ、ええ話ですな。

やはり、「嬉し度」で言うと、PGか。PGのZかMk-II辺りなら、狂喜するんじゃないですかね。

百式とかフリーダム系のフォルムが好きと仮定すると、GP01とか。ウイングガンダムは違う?

自分を驚かせ、喜ばせようとして贈られたものなのだから、何であっても、メチャクチャ嬉しいでしょうねー。

意表を突いて、木彫りガンダムとか。…いや、つい最近、店頭に展示してあるのを見かけたのです。

しっかし、掲示板、アツいなあ。

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2007年12月22日 (土)

属性

相当素朴な感想です。

私は、ネット上に言論を開陳する際は実名で行うべきだ、という意見って、よく理解出来なかったりします。そういう類の事を言っていて、自分は凄まじく暴力的な文章を書く人も、たまーに見られますが、あれって、実名を公表しているから、という理由で正当化してるんですかね。よく解らんですが。

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2007年12月21日 (金)

臨床心理学における―2

臨床心理学における科学と疑似科学 Book 臨床心理学における科学と疑似科学

販売元:北大路書房
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ざっと目を通しました。

良書だと思います。巷に溢れる心理療法について、どのような科学的研究がなされているかを紹介し、それが科学的に効果があるのか無いのか、という評価を行っています。

ただ、それほど読みやすい本とは言えないかも知れませんね。一般向けの本では無いので、心理学・実験科学の術語が、当たり前のように出てきます。

タイトルからは、挑発的な内容か? と思われるかも知れませんが、私としては、穏当で、中立だと感じました。

なかなかのボリュームで、心理臨床における様々な方法と、その科学的根拠についてを概観するのに、うってつけの本であると言えます。

参考:安原さんの書評⇒「臨床心理学における科学と擬似科学」|女子リベ 安原宏美--編集者のブログ

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2007年12月20日 (木)

未確認飛行物体 龍球

しょこたん“UFO肯定派”の町村官房長官を一喝!(産経新聞) - Yahoo!ニュース

ほう。

メリン-しょこたん☆ぶろぐ(※しょこたんのブログはベリーヘビーです。)

ヨーゼフ-しょこたん☆ぶろぐ

さめざめ-しょこたん☆ぶろぐ

…ほう。

色々な意味でカオス。

て言うか、産経には驚かされますな。まあ、あの記事自体をネタと捉えてくれ、って事なのかも知れないけど。

それから。

しょこたんは、懐疑論者の本を読んだ方がいいですね。しょこたんの賢さなら、セーガンの本でも読めば、琴線に触れるでしょう。よく解らんけど。

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実写版映画『ドラゴンボール』亀仙人役はチョウ・ユンファに決定(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース

さあ、面白くなって参りました。

なんか、身体が震えるほどの作品に仕上がりそうな予感。

そうそう、実写繋がりで。

男塾のトレイラーが、Gyaoにありました。塾長は不破恒大麿さんでしたね。結構ハマり役かな。

え、観た感じどうだったかって? 実にいいB級アクションに仕上がっていそうです。

ところで、「B級アクション」って、どういう意味?

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世話

ケータイ小説と、それを読んで感動した、と言っている人を罵倒したりするのって、「もっと良いものを知った方がいい」、という「老婆心」なんじゃないですかね。ものすごーくポジティブな表現をするとね。

つまり、素組みしたガンプラを見て感動するとか、合気道で2級を取り立ての人の演武を観て「すげー!」と思う人とかに対して、石川雅夫氏の超絶パール塗装を施した物を見ろ、とか、塩田剛三師範の演武を観ろ、と言うとか、そんな感じかな。

色々なものを知って、感激の閾値を上げるのを望んでいる、と言うか。

もちろん、「自分は良いものを知っている」という自尊心もあろうとは思いますが、それは置いときます。

※私自身は、ケータイ小説の罵倒の仕方には、全く賛同していません。誰でも読める場に書く、という意味では。プライベートではいいかも知れませんが。amazonの書評で、「いかに下らないか」を書いているものを見かけますが、私には全く理解出来ない。それと、ケータイ小説に関して個人的な感想は、持っていません。何故なら、ちゃんと読んだ事が無いから。「ケータイ小説」と括るのがどれほど妥当か、という気もしますが、まあ、ベストセラーになっているものを指しているのでしょうね。

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2007年12月19日 (水)

解説のあり方

興味深い話題⇒So-net blog:Chromeplated Rat:荒川静香の解説(フィギュアスケート)

コメント欄のやり取りもどうぞ。私のコメントは、poohさんの主張にほぼ同意した上で、大部分は、菜々子さんに対して意見したものだったのですが、ほのかに誤解されたような気も、しないでも無いです。私が書いた、

明らかなのは、我々には、よほど近しい関係で無い限り、対象の胸の内など、推測しか出来ない、という事です。解説の仕方をどう感じるかは、多分に、私達の受け取り方、つまり解釈次第と言えます。

この部分は、たとえば、荒川さんが浅田選手に個人的にネガティブな感情を持っている云々と考えるのはほとんど無意味なのではないか、という意味合いでした。もちろん、荒川さんを非難している人に対して掛かっています。私自身は、具体的に淡々と解説する事は、それ自体を歓迎すべきだろう、と思っています。そこに、絶妙な実況のスパイスが加わるのがいいですね。

ちなみに、実況云々の部分(切り出さない云々)は、実況担当者が解説者からどのように「引き出す」かもポイントかな、という意味ですね。実況が的外れな事ばっかり言っている横で、丁寧で淡々とした解説が続くと、視聴者は「噛み合って無い」感を憶えるだろうな、と。

軽く関連しそうな、私が書いたエントリー↓

Interdisciplinary: 過剰

Interdisciplinary: 華美

前者は、競技中の実況・解説や、競技直前の選手紹介の事も念頭に置いて、書きました。

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2007年12月18日 (火)

内在

読みましょう⇒「いっちょ有効なニセ科学批判批判論でも考えてみるか→すぐに挫折」から考えたこと - 思索の海

深く納得。

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ちょっとした余談。

たとえば、ニセ科学論について纏めを作ろう、という議論で、なかなかスマートにはいかない、という話が、poohさんの所で出たりしました。スマートにするという事は、解りやすくするという意味で、それは結局、色々なものを削ぎ落としてしまう、という事でもある訳だから、批判の仕方そのものをも批判の対象にしよう、という部分が、抜け落ちてしまう可能性があるのですよね。かと言って、それを詳しく論ずると、決してスマートにはならない。そういったジレンマがあるので、なかなか悩ましい。だから、「両方」必要なのでしょうね。解りやすい纏めを作りながらも、各論に誘導するようにする。「めんどくさい」のが嫌いな人は、なかなか突っ込んで調べてくれない。だから、階段の一段を低くするような努力が必要なのかな、なんて思っています。

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取り組み

山陰中央新報 - ノーテレビ実践 松江の家庭ルポ

 ゲーム漬けで脳機能が低下する「ゲーム脳」に警鐘を鳴らす講演を聞いたの機に、玉湯幼稚園の保護者がゲームの機会を減らそうと結束。子どもたちは最初は「なんで」と不満そうだったが、じきに外で鬼ごっこをしたり、おもちゃで遊んだりするようになった。(引用は、原文ママ)

うーむ。この時点で、何か重大な事を、見落としているような。

子どもたちは他家でゲームに触れる可能性があるため、成功のカギは一家庭にとどまらない「地域ぐるみでの取り組み」だと実感したという。

そこまでして、ゲームから離すのか…。

ゲーム時間を減らす事そのものには、別に反対はしません。リズムを作るのは、大切かも知れないし。でもそれは、地域ぐるみでやる事なのだろうか。しかも、わざわざ、ゲームとテレビに限定して。

中2は平日平均118分、休日同147分で、全国より9分と5分長かった。

9分と5分…。ばらつきは?

時間を減らすのはいいけど、せめて、「嫌わせない」ようには配慮して下さいね。積極的に遠ざけると、それを嫌悪する、というのは、往々にしてありますから。

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2007年12月17日 (月)

ニネーン

多分、今日で、ブログ開設2周年です。

我ながら、よく続いているものだな、と。ほぼ毎日書いてるし…。

このブログの97%は、皆さんのコメントで出来ています。

これからも、忌憚の無いご意見を、バンバンお願いします。

こんごとも よろしく・・・。

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いつの間にか

アクセスログ見てたら、 Wikipediaからアクセスがあったので、辿ってみたのですが。

疑似科学 - Wikipedia

何故か、ここへのリンクが。代表的…。

しばらく読んでいなかったのですが、履歴を見ると、かなり頻繁に更新されているのですね。結構情報が充実していて、いいですね。相当ニセ科学論について押さえていらっしゃる方が更新しておられるように、見受けられます。「ニセ科学」という語の用法も、きちんと説明されていますし、良くない疑似科学批判についても、触れられています。

追記:この件に関しては、コメント欄必読。

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2007年12月16日 (日)

どこに学識があるの?

何か事件が起こると、識者と「称されている」・「呼ばれている」・「どこかの誰かが言っているかも知れない」人達が、自分の経験を基に犯人像を想像し、自説をテレビなりで開陳しますね。

あれ、相当程度に危険だと思うのですよ。色々な意味で。たとえば、視聴者にバイアスを掛けてしまったり、(バイアスという意味で、前者と重なるけれど)特定の属性を持つ人々に不当な印象を植え付けたり。

そもそも。

大部分の「識者」と呼ばれている人は、ある組織の中で、仲間と連携し、様々な情報を得られる環境にあったればこそ、良い仕事が出来た訳で(だから、元○○という肩書きは、ほとんど意味を持たない)。特に、精神分析系の人が、ごくごく限られた情報から犯人像を導くのは、あれはダメでしょう。普通の認識力があれば、「それだけじゃあ、何も解らん」、となるはずです。

で、それが当たれば、優れた洞察力の持ち主として、評価される。はずれたとしても、情報が充分で無い事そのものは、皆解っているのだから、目立った批判は無い。そもそもメディアが訊いている訳ですから、メディアがその人を批判するというのは、考えにくいのですよね。何故か、民放各局で、同じ人を見たりしますし。

経験や実感を過度に一般化するものでは無いと、私は思います。

しかし、上に書いた、報道の構造。巧みと言えば巧みですね。もちろん、ネガティブな意味を込めて、ですが。

最後に本音。

恐らく大部分の事例に当てはまるであろう事を尤もらしく並び立て、さも優れた洞察と知識を持っているかの如く持論を開陳する、誰が認めたか定かで無い「識者」・「専門家」がしたり顔でものを言う状況は、正に、笑止千万であると言えましょう。

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2007年12月15日 (土)

停滞

kikulogの件。

ABO FAN氏、ひたすら答えませんね。何故だろう。他の事は、結構すんなり答えたのに。

以下、私のコメント(TAKESAN  — December 15, 2007 @01:03:46)の解説。

ABO FANさん
 >ひょっとして、母集団云々の話ではなく「血液型と性格に関係が
 >ある」の定義ですか?
両方です。

定義は何度も訊いたけど、わざわざあちらから水を向けてこられたので、両方、と答えた。

まずは、全数が調査出来て、割合に違いがあったら、という話です。全部調べたとして、差が0で無ければ、「関係がある」と言って良いのか、と訊いています。

核心かも知れない。ちなみに、常識的に考えれば、「それだけでは関係あるとは言えない」、となるはず。しかしABO FAN氏は、恐らく、そう答える事は出来ない。何故なら、差が有意であったから関係があると言える、という前提が崩れてしまうから。ちなみに――私のこの質問、かなり素朴に見えるかも知れません。何の割合か、とか、母集団は何か、とか、書いていないので。しかしそれは、わざとです。「ABO FAN氏が考える」所の差で良い訳です。私が知りたいのは、差が0で無い→関係あり、と認めるかどうか、なので。詳細をこちらが書くと、そこから拡散される可能性がある。

 >それなら、私だけが認めても意味がありませんので、この質問は無
 >意味です。
いいえ。
初めから、ABO FANさんの定義を知りたいと思っているのです。「関係ある」の定義はお持ちでしょう?

他の方が云々というのは、いつものやり方なので、さらりと流しておきましょう。「”関係ある”の定義」を「持っていない」、とは絶対言えない。定義も無いのに「ある」とは言えない。

 >どういう条件なら他の人が認めるのか、という質問であれば回答し
 >ます。
 >よろしいでしょうか?
よろしくありません。
他の人の事が知りたいのなら、他の人に伺います。ABO FANさんがどう考えるのかを、知りたいのです。

これを認めると、「有意差」という語が、また出てくる。ループしてしまう。

※念のため。
「定義」は、「有意」という語を用いないで説明して下さいね。

ループさせないための念押し。有意差が見られる事が定義だ、というとんでもない事を言わせないようにした。

普通、自身の認識がナイーブに取られないように、注意深く言葉を用い、入念に文の整合性をチェックして、ある程度長文になっても、補足を入れるなどして、文を構成しますが、ABO FAN氏とのやり取りでは、敢えて、ごく短文、質問は少数、他の方から素朴と見られても構わない、という書き方をしています。とにかく、ABO FAN氏が何を考えているのかを、知りたいのです。

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2007年12月14日 (金)

弁別

産経妙に、ニセ科学関連記事⇒【産経抄】12月14日 - MSN産経ニュース

きくちさんのお名前も出ています。

で、記事に、ちょっと反論。

 ▼一方で、製造年月日の表示が消費期限や賞味期限に変わったことの弊害を指摘する専門家もいる。かつては、日にちがたった食品のにおいをかいだり、味見をする光景はどこの家でも見られたものだ。今や食べられるかどうかの判断を、すべて作り手にゆだねてしまった。五感の衰えは、本物とニセモノを見分ける力の低下につながっている。

特に後半。ちょっと違うと思う。
五感の衰えとかでは無くて。

期限を超過しても品質にさほど違いは無いだろう、という信念が、自分達の行為を正当化した、と考えるのが、妥当かと思います。結局、どうせ気付かれないだろう、という微妙なラインを狙って、やっている訳ですから。そういう意味で、物凄く悪質なのですね。

消費者にそういう能力を求めるというのは違うと、私は思っています。前に、人造ダイヤ云々の話を書きましたが、食品の味を、しかも消費期限とかを数日ずらした、という所を区別出来るように見分けられるか、というと、そんな事は無理でしょう。と言うか、一般的に、味やにおいに顕著に違いがあるものなど、売る訳が無い。

消費期限が過ぎたお菓子とかを、においを嗅いでみたり、ちょっと食べてみたりして、「うん、大丈夫だ。」と言って食べる人って、いますよね。基本的に、そういう感覚で、やっているんだと思います。売る側がそういう事をやるから、極めてあくどいやり口と言えるのです。

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超弩級

痛いニュース(ノ∀`):【mixi】“ゴキブリラーメン”書き込み騒動で、バーミヤン激怒…問題の大学生の父親「あいつ、また何かやったのか…」

ZAKZAK:今度はバーミヤン激怒“ゴキブリラーメン”騒動勃発

うーむ。

なんか、凄いですね。色々な意味で。

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2007年12月13日 (木)

NKHH

こしだのITジャーナル ●ニセ科学批判批判?に思うこと

感想。

  • 議論において、誠実な態度を保とう、というお考えだという事は、窺える。
  • 文章を慎重に書こうとするあまり、表現が過度に婉曲になってしまい、文の趣旨が、とても見えにくい。
  • どの部分が校正されたのかが明示されていないので、校正前との比較がしにくい。追記部分以外も、修正してありますよね?
  • 言及先ブログの管理者(poohさん)及び、コメンテーターの方々の発言の要約が、あまり正確で無いように思える。皮肉の意味合いを付加してしまっているように、私には感じられました。例↓
    • ”その方が曰く「コメント欄ににぎやかな人がおいでになっているだけのようですが、何か?」。”←「~が何か?」って、一般的に、かなりネガティブな表現で用いられると思います。
    • ”しかしニセ科学批判の側の方々から「であなたは炎上でないものを炎上みたいに書き立ててバラエティー記事でも書こうとか?」という非常に不本意な方向に話が進みそうなので”←このカッコ内の部分、どこの事なのか、判らない…。

後、これは、poohさんのブログのコメント欄を読んでいて思った事なのですが。

あまり、謝罪を繰り返すのは、よろしく無いように思います。不快に思われたかどうか、という所にクローズアップし過ぎているような印象を持たれるかも知れません。以前、別のブログ(冬枯れの街)でも、同じ様な事がありました。不快感を与えたというのは事実でしょうけれど、その根拠には、妥当で無い読まれ方をされた、というのがある訳で。尤も、こういう「態度」の問題に、あまり口出しすべきでは無いのかも知れませんが。

ところで、炎上という概念、なかなか難しいですね。捉え難い。個人的には、投稿者の数の多さ、というのが条件に含まれる気もしています。後、言葉遣いの苛烈さとか、投稿者の論理性の乏しさとか。無理に定義する必要も無いでしょうけれど。

最後に、koshidasuiさんに申し上げたい事。

ニセ科学を批判する人間には、科学者で無い人も多く含まれる、というのも、念頭に置くのが良いと思います。

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ごくん

とあるネットラジオを聞いていたら、学力低下とかの話が出ていました。

どうやら、パーソナリティの方は、(テレビか新聞かは判りませんが)メディアの報道をそのまま受けて、学力は低下している、そして、それはゆとり教育が原因、というのを信じていたみたいですね。後、モンスターペアレントの話もしていました。で、だから日本はダメになってしまう、という意味合いの感想で結んでいましたね。

それを聞いていて、ああ、メディアの情報を鵜呑みにしてしまうのは、やはりあるのだな、と、改めて、思った次第。そこからは、なかなか、ホントに学力って下がってるの? とは、考えないものなのでしょうね。結構それは、一般的な認識なのかも知れません。

たとえば、マスメディアの報道なりを見て、それに関する情報をネットで確認する、という癖があれば、色々な角度から考える事が出来るのですよね。メディアによって、ちょっとずつ内容は違うから、それらを総合して考えられる。場合によっては矛盾が見られたりして、ではどれが妥当なのか、という所に、認識が至る。

そういう意味では、まず鵜呑みにしない、というのが、メディアリテラシーの重要な因子なのかな、なんて思います。

よく噛んで食べないとね。

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2007年12月12日 (水)

疑似科学、あるいはニセ科学とは何か、に関する先入観

亀@渋研Xさんのブログ(PSJ渋谷研究所X: 【種】芹沢文書「覚えておきたい、ニセ科学リスト」の読み方)にコメント入れようと思ったけど、長くなったので、エントリーに。

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ふと思いました。

私は、ゲーム脳や血液型性格判断について調べる内に、ニセ科学論に辿りついたのですが、それまでは、疑似科学や似非科学という言葉も知らず(多分、「見た事」は、あったでしょうけれど)、ガードナーやセーガンの本も、読んだ事がありませんでした。だから、きくちさんや他の方々が書かれたものを初めに読んで、あ、これがニセ科学なんだな、と、すんなり受け容れられたのだと思います。
後からガードナーの本を読んだりすると、現在日本で行われているニセ科学批判は、より「洗練されている」と感じました。言い方を換えると、言葉の意味をある程度「せばめる」事によって、読む方が納得出来る論理展開になっている、と。

で、今回、芹沢さんの文章を読んで、それを非難していた人は(finalventさんとかは特に)、疑似科学に関する古典等を読んだ記憶なり印象なりがバイアスを掛けて、最近日本のネットでそこそこ盛り上がりを見せたニセ科学批判を、それら(海外の疑似科学批判)と同質なものと看做してしまったのだろうな、と思います。そういう意味では、先入観がある見方だと言えるし、自分には、余計な先入観が無かったのだろうな、と。何しろ、ガードナーとかセーガンの名前を知ったのは、ここ3年以内の事ですからね。きくちさんや田崎さんが書いたものを参照する以外、やり方も無かった訳です。「きっかけ」、だったのですから。ハインズとかラングミュアの名前も、そういう経緯で知ったのですよね。

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ニセ科学性を、レーダーチャートで表現するのは、大変良い試みだと思います。それを図示する事によって、決して、単純に評価している訳では無く、色々な要素を考慮して判断しているのを、表す事が出来るのですよね。

で、それをやったとしても、批判は免れないのですね。たとえば、「物事を単純化している。レッテル貼りだ」、とか。要するに、リストを作る場合と、全く類の同じものですね。「分類する」、「纏める」、「判断する」、という共通点のみを見て、そこを批判の対象にする訳です。そういう観点だと、何だって批判出来るのです。

↑これは、将来批判が出てきた場合を想定した文だったりもします。その批判は想定済みですよ、という意味で。書いておいた方が、良いかも知れないので。

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深読み

某ブクマ経由。

今話題の「水素水」「活性水素水」とは何なのか(下) - OhmyNews:オーマイニュース←これを読んだ後に、

りんご習慣で「医者いらず」へ - OhmyNews:オーマイニュース←これを読むと、色々興味深く読めますね。

りんごの方の記事を見て、ざっと思いつく疑問は、

  • その学者は、番組で具体的に、どういった発言をしたのか。明確に、癌に対する効果を謳ったのか。それとも、慎重に研究結果を報告したのか。
  • 動物実験の方法は適切なのか。記事の情報だけでは、よく解らないです。書かれていたとしても、それが専門的に見てどうであるか、というのも、ちゃんとは理解出来ないでしょうけれど。
  • 臨床試験、あるいは、疫学的調査は行われているのか。ちょっと調べたら、りんごに関しては、疫学研究は、あるみたいですね。
  • もし、リンゴジュースが癌を予防する、という発言が行われていたとして、それは、妥当であるのか。それを主張して構わないほど、研究は蓄積されているのか。新しい説であるとすれば、他の科学者からはどう評価されているのか。

こんな所でしょうか。

それにしても、実験の説明は、解りにく過ぎますね。記事の内容だけだと、色々疑問が浮かんでしまいます。

記事の情報からだけから判断するのは早計かも知れませんが、あの動物実験の結果から、癌にリンゴジュースが効く、とするのは、さすがに気が早いように思います。少なくとも、記事を読んで納得させる、とはいかないかと(鵜呑みする人もいそうな気も…)。

 戦後、わが国の医療の技術は格段に進歩した。その反面、それまで庶民レベルで行われてきた家庭医療や東洋医学が衰退した。先進国でりんごの消費量が減少したのは、じつは日本だけである。食は生命の根源だ。食生活から見直し、「医食同源」の精神を大切にすることで本当の意味での健康が維持できるのではないだろうか。

この締め括りは、無理矢理な感じがしないでも無いです。

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2007年12月11日 (火)

ルーペ

コメント欄に書こうとしたら、ちょっと長くなった。

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ぶっちゃけ、finalventさんのような、凄い知性の持ち主なら、ちょっとそっち方面にアンテナを向ければ、容易に理解して下さるだろう、なんて思ってたりもする訳です。知識も驚異的ですしね。とは言え、色々調べた上でのエントリーなのかも知れないんですよね。

言えるのは、”昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング”とは、恐らく昨年に盛り上がった現象の事を指しているのだと思われるが(違う事は無いでしょう、さすがに)、そこでの中心的な立場であったと言える、きくちさんや田崎さん、apjさん達は、必ずしも、海外の疑似科学批判者等に準拠している訳では無い、という事。たとえば、針治療なんかは、○○○○○(←人名。ソース失念したので、伏せます)とかからは、かなり批判される事がありますが、こちらでは(どちら?)、未科学とされる事も多いかと思います。もしそれが、事実に反して、科学的に実証された、と謳ったりした場合には、ニセ科学とされるのですね。

繰り返すと、必ずしも、今までの、いわゆる「疑似科学」批判者等に、そのまま従っている訳では無い、という事。だから、A-WINGさんが、日本発というのを踏まえて、「Nise Kagaku」としてはどうか、と、NHKの文字起こしを英訳する際に、仰ったりしたのですよね。議論は、色々なされている訳です。そういう所を押さえておかないと、ニセ科学批判者は宗教をも否定する、なんて誤解が出てきてしまったりも、するんですよね(宗教に関しての意見は、論者によって、かなり違いがあると思います)。

当然、ニセ科学を批判する人の間でも、意見が分かれる事は、ある訳です。温泉の効用表示はどうか、とかね。これはグレーゾーンと言えるのか、それとも黒か。そういう所も、議論の対象になります。もちろん、「どう考えても黒」、というものも、ある。

カッコつけた言い方をすると、「ニセ科学批判」には、ニセ科学とは何か、とか、そもそも科学的とはどういう事か、というのを考える、知的な活動そのものを含んでいる、と。と言うか、そういう活動を含まないものを、「批判」などとは表現しないのです。

↑ちと、論理が甘いかも知れませんね。おかしな所とか、誤解があれば、ご指摘頂ければ、ありがたいです。

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まず疑う

亀@渋研Xさんのブログの最新エントリー(PSJ渋谷研究所X: 調べたのは誰の国語力?←先にお読み下さい)に、件の記事を、学力低下を示すもの、と捉えているブログが見られた、という事が書いてあったので、関連ブログを、ちょっと覗いてみました。

ホントにそうですねえ…。

これは、もう、はっきりと言えますが、あの記事の情報から「学力低下」に一般化するのは、どう考えても、考察が不足しています。ゲームの影響とか言っている人もいるし…。
ぶっちゃけ、えー、と思いますよね。あの記事を見て情報不足に気付かない方も、なかなかね。自分の高校生くらいの頃でも、その程度の事は解りましたよ。だから、新聞記事とかワイドショーのニュースを見て、なんだそれ、と、いつも思ってた訳ですけれど(それでも全然、認識力不足でしたが)。

以下、コメント欄の補足っぽいもの。

そもそも、「岩波書店の調査の目的」が何か、というのも、ポイントだったりする訳ですね。特に一般論を引き出そうとしたのでは無く、あくまで参考資料として役立つデータとして調査を行ったのかも知れません(もちろんそれは、たった100人の意見を調べただけ、という意味で、情報は少ないと言えます)。元ネタには、

同社は「現場の先生が危機感を持っている表れではないか」としている。

とありますが(平仮名の作文、「八つ」を「はちつ」=国語力低下、教師9割が実感-岩波書店調査(時事通信) - Yahoo!ニュース タイトルは、記者が付けるとは限らないですね。そこの考えが抜けていました)、それ自体は、特におかしな発言でも無い訳ですね。調査した100人の内大部分が低下を実感している、という事なので、それは妥当。しかし、この記事の中に挿入する事によって、「岩波の調査した人、などの認識不足」すら読み取らせてしまう可能性もあったり(つまり、社会調査系の記事を批判的に見る人が、記事から推測して、調査した組織なりまで批判する。少なくとも記事だけからは、どういう意図によって調査されたかは、不明)。

ところで、小学4年の子どもが、「はちつ」と読む事、そんなに驚異的ですかね? よく解りませんね。自分とか友達がそれくらいの頃の、「漢字の読め方」なんて、憶えてませんし。

なんか、関連ブログを読むと、日本の全部の小学4年生が「はちつ」と読んでいる、と読み取ったかの様な(←言い過ぎです)論理の展開があったりで。ほんのちょっと考えれば解りますけれど、「岩波書店の調査の対象の100人に訊いた中の一例(複数の可能性もあるけれど)」、ですからね。身近にそういう子がいたら、「いや、それは”やっつ”だよ(笑)」、「あ、そっかー。」となるのかも知れませんよ。記事に書いてあるのは、「はちつ」と読んだ子どもがいた、という事だけですから、その後にどんなやり取りがなされたか、とかは、解らない訳です。

と、あれだけ短い記事についてでも、これくらい、長ったらしい文章を書いてしまうのですね。それはそうです。短いという事は、情報量が不足しているという意味でもあるから。

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このエントリー、ある部分が、「もしかしたら、こう読まれるかも」、と思い、補足しようかともしましたが、止めておきました。多分、誤読する方はおられないでしょう、多分。

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2007年12月10日 (月)

秘宝

PS3ゲームレビュー「アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝」

むう。

これはなかなか、面白そう。グラフィックもいいですね。

PS3かあ。友人が買わないかな、なんて(笑)

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2007年12月 9日 (日)

その印象は

極東ブログ: [書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)

 なんだかよくわからないのだが、やけくそで雑駁な印象を言うと、偽科学を問題にしている人って、なんか偽科学と同じような臭気を放つという点でそれほど変わらないような気がする。

こりゃあまた、挑発的と言うか何と言うか。「偽科学を問題にしている人」という表現が、とても曲者ですよね。物凄く曖昧。良く言えば、慎重ですが。

パークは確か、ブードゥーサイエンスをいくつかに分類して、結構詳細に論じていましたよね。そこら辺を考慮しなきゃいけない気もするのですが、どうなんでしょうね。

引用前後しますが。

 ごくありきたりに言えば、本書は昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング系の本だ。

こう書いておられるって事は、「ニセ科学」論を念頭に置いておられますね。それにしては、果たしてそれらの議論を押さえていらっしゃるのかな、と、思わないでも無いです。今一つ、よく判らない。

「クリスチャンの科学者は進化論を認めないとでも。」とか、そんな風に取れる内容でしたっけ? 手元に無いので確認出来ませんけれど。思想的なものが影響するとか、そのくらいの主張では無いのかな。確かに、パークの書き方は辛辣で、読み物としての面白さを重視しているようでしたので(前書きに書いてあったかな)、煽る様な書き方とか、ちょっと強い口調には思いましたけれども。

ところで、この本のタイトル、ダメだろう、という意見がありますよね。きくちさんも、書いておられたような。私としては、”わたしたちはなぜ「カガク」にだまされるのか”、とかなら良かったんじゃないかな、なんて思っています。ニセ科学とか疑似科学とかでもいいかも知れませんが。

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2007年12月 8日 (土)

世紀末

ガンホー、「北斗の拳ONLINE」第1次クローズドベータを12月25日に開始

サバイバルアクションRPG 北斗の拳ONLINE

濃いなあ。

昔、PSで、北斗の拳のゲームがありましたけど、あれは傑作でした。セリフとシーンを自由に組み合わせるのがあったんですが、あれで、息が出来なくなるくらい笑いましたね。

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2007年12月 7日 (金)

感想

コメント欄で皆さんとやり取りをしたり、いつも見る他所様のブログや、そこのコメント等を読んだりして、思う事。

何で皆さん、こんなに該博なの? という事。めちゃくちゃ、ものを知ってるなあ、って。

こりゃあ、歯が立たないわ、と思う事も、しばしば。全然敵わないなあ、と。

だから、勉強しようって気が、湧きますわ。自分のものの知らなさを、いっつも思い知らされるので。これは、大きい動機付けですね。

感謝感謝。

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科学と疑似科学の境界と、古武術的介護

医学書院/医学界新聞【〔連載〕研究以前のモンダイ(8)(西條剛央)】(第2758号 2007年11月26日)

西條氏は、伊勢田氏の著書を援用した上で、次のように論じておられます。

 しかし今のところ,心理学者のほとんどはそうした研究を疑似科学とみなしており,まともには扱いません。もし,「疑似科学」と「科学」の間に境界線があるとすれば,それは「そんなことあるわけない」という我々の常識(信念)によって恣意的に引かれているといっていいかもしれません。人それぞれ「常識」やそれを支える「体験」がちょっとずつ,あるいは大幅に違いますから,当然,それらの境界設定は原理的に不可能になるのです。

これは、超心理学について論じた部分ですが、どうでしょう、科学者側としては(西條氏も科学者ですけれど)、反論があるかも知れないと思っているのですが。伊勢田氏は、もう少し丁寧に、超心理学について論じておられたと思うのですが、西條氏の論では、”「そんなことあるわけない」という我々の常識(信念)によって恣意的に引かれている”という部分が、強調されているように見えます。

ところで、古武術を応用した介護技術というのは、妥当だとされる実証的方法によって、論証が試みられているんでしょうか。私は寡聞にして知らないのですけれども。

介護という現場において用いられるものなので、他の知識や分野、即ち、バイオメカニクスであったり、各種療法等と整合していて、ある程度メカニズムについても論証されなければならないと、私は考えます。当然、統計的方法を用いた論証も、考えられるでしょう。そのような方法を積極的に用い、検証作業を進めているのなら、それは「科学的」、と言えるでしょう。他の知識体系との整合性というのは、科学か否か、という議論において、最重要事項の一つであると思います。

そういう意味では、西條氏の言われる所の「再現性」と「反証可能性」という概念だけでは、科学的と言うには、些か論拠が弱いようにも思えます。尤もこれは、説明を節約した結果とも考えられますので、あまり軽率には物を言うべきではありませんけれども。

この記事に関しては、是非、色々ご意見を頂きたいですね。ニセ科学(あるいは疑似科学)問題と、武術・身体運動の、両方に関わる、大変興味深いトピックですので。

著作を援用された伊勢田さんのご意見も、知りたいですねえ。なんだか、ちょっと違和感のある援用の仕方に、私には思えるのです…。

て言うか、『疑似科学と科学の哲学』、つい数日前に再読したんですけど、図書館に返してしまったのでした。伊勢田さんは確かに、疑似科学と科学の間に境界「線」を引く事は不可能であるとは論じておられましたが、しかし、様々な観点を総合して捉えるなら、ある程度はっきりと区別する事は出来る、という結論でしたよね。

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2007年12月 6日 (木)

脳トレとか100ます批判

左巻さんが、脳トレと100ます計算について、言及なさっています⇒Doblog - さまき隊的科学と環境と仕事と遊び -ニセ科学ぷんぷんの「脳トレ」「100ます」

 ぼくには、川島隆太氏の脳科学はある範囲では成り立っても、それが範囲を超えたところにまで適用されると「ニセ科学」になる典型のような気がします。

その通りだと思います。そして、「ある範囲を超えているか」どうかが、非常に微妙な所ですね。まさにグレーゾーン。そういう意味では、川島氏は、実に巧みであると言えるでしょう。ただ、マスメディアは、叩けるとなったら徹底的に叩く所があるので、今後批判が増えると、どうなるかは解りません。尤も、テレビで批判的に採り上げるというのは、無さそうではありますが(テレビが脳トレを好意的に紹介したという事もあるし)。

まあ、PISAの結果に、それらの単純計算作業の重視がどれほど影響しているか、というのは、よく解らない所ですが、流行った、というのは事実ですしね。慎重に分析する必要があろうかと思います。

 「脳トレ」や「100ます」の過剰部分は、やっと最近、問題視されるようになったと思います。教育界の「ニセ科学」の部分を、ぼくは注視していきたいと思います。

マスメディアが採り上げたのは最近ですけれど、WEBでは、脳トレを批判的に捉える論調は、しばしば見かけましたね(私も書きました)。まさに、教育に関わる事なので、ちゃんと考えていかなければなりませんよね。脳トレや100ます計算の場合、もっと一般的に広まったものですし。

私の考えとしは、脳トレは、ニセ科学と科学を跨っている、という印象です。容易にどちらかに行けてしまう危うさは、持っていると思っています。

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2007年12月 5日 (水)

エティック、イーミック、エティミック、イーミティック

エティック:実質的・自然科学的・没価値的な観点。

イーミック:価値的な観点。体系内における、他の要素との関係に着目。

エティミック:1―エティックな見方に偏って、イーミックな視点を無視する認識。武道やスポーツでたとえると、Aという格闘技 の選手が、Bという格闘技 の技に対して、体系内での関係性を無視して、「こちらの突きの方が優れている」、とか、「あの体捌きはダメだ」、などと考える様な認識。2―自身がイーミックな視点を身に着けていると自覚し、その観点から、エティック的な見方を軽視したり、無視したりする認識。メタな見方をしていると自覚していて、的外れな実証科学批判を行う、等。

イーミティック:上の説明から考えると、書くまでも無いですね(笑)

これは、高岡英夫氏の論を、自分なりに解釈し、なるべく解りやすく纏めたものです。不正確な所もあるでしょうから、エティミックとイーミティックに関して、高岡氏の本より引用しましょう。引用文献:高岡英夫 『武道の科学化と格闘技の本質』

(前略)イーミックな観点の不在、実質レベルの知覚情報を媒介として成立する個別文化体系の不当な拡大(これを筆者は”エティミック”と読んでいる)(以下略) (P73)

 実質レベルの差異/同一性で対象を捉え、それを媒介として、自己体系の機能を以って他者体系の実質―機能関係全体を非難すること、このような”エティミック”な認識態度(以下略) (P73)

これは、エティミックの説明ですね。つまり、「体系」という論理を無視して、実質(自然科学的、と言っても良いかな)的な観点で、体系そのものを否定したり、自己の属する体系を不当に肯定的に評価したり、という事です。上にも例を挙げていますが、他にも、パンチ力測定器を叩いて出てきた「数値」だけで比較したり、というような場合も、あるでしょう。

上で引用した部分に続いて、「エティミックの超克」として、次の様な文章があります。少々辛口ですが、重要な部分なので、ここも引用しておきましょう。

 そして更に、武道実践家には些か過ぎる話ながら、科学者には、各々の専門分野もしくは専門的認識態度(認識体系)へのエティミック化との戦い、超克を要求しなければならない。

 エティックな認識体系を物にしただけで喜び勇んで無反省な要素主義的実証主義者(例えば、大部分の運動生理学者やバイオメカニスト、スポーツ医学者など)、そしてエティックな科学者を近視眼の馬鹿の如く看做して、したり顔を決め込むイーミックな認識態度の覇者(記号学者、言語学者、文化人類学者、社会学者、そして恐らく哲学者の大半が、この部類に属しよう)は、孰れ劣らぬ”エティミスト”である。 (P74)

うーん、痛烈ですねえ。エティミストが当てはまっている人が多いかは、よく判りませんが、そういう認識を持っている人がいるのは確かで、自身も気を付けなければならないな、と思う所です。ここで、私が最近使う、「メタぶる」というのが、上記引用部の後の段落の後段に書かれてある意味での、「エティミック」な態度である、というのが、理解して頂けるかと思います。つまり、ベタ過ぎる人と、メタぶる人を併せて、「エティミスト」と言う訳ですね。

で、次に、イーミティックについての説明です。

 勿論ここで使っているエティミックは、厳密には実践者次元のそれとは違って、(まさにそれの)アナロジーである。だが次の概念、”イーミティック”は、科学的認識態度としてのイーミックとエティックの各々の弱点の超克であり、それらの科学的止揚を示す。

形相と実質への共なる関心、関係主義と実証主義の統合、人文―社会科学と自然科学の調和、それ以外に武道(格闘技・スポーツ)の真の姿を知る道は、ないであろう。(以下略) (P75)

昨日のエントリーに頂いたPseuDoctorさんのコメントへのレスで、”私が初めに「勉強しよう」と思い立った時に好んで読んでいた本”と書いたのですが、その内の一つが、上の引用文献です。だから、メタとベタが共に大事、とか、メタぶるのはダメだ、とか(それでも、メタぶるような認識を形成してしまった事がある訳ですが)、くどいくらい書いているのですね。認識の根底に、流れているのでしょうね。ルーツと言って良いと思います。※ちなみに、メタな視点を持たない認識態度を、高岡氏は、「現場埋没的認識(ソースどれだったかな…)」という言葉で、表しています。

そういう意味で、「文字通り」の、「スタート地点」だったのかも知れません。私にとっては。なにしろ、高校までにほとんど勉強していなくて、そのレベルで武術をちゃんと理解しようと思って手に取った本が、高岡氏の本だったのですから。一般に知られている自然科学者よりも先に、ソシュールとかポパーとかクーンとかファイヤアーベントとかの名前を知った、という。ちょっと変わってますね(笑) だから、科学とはこういうものだ、というのを、刷り込まれたような感じです。上に書かれてある事を、当たり前、として、吸収してきたのですね。

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2007年12月 4日 (火)

メタはスタート地点

物事を俯瞰して捉える、というのは、実は、始まりなんじゃないかと思います。

いつまでも、メタ的な論をいじくって、ものを解っている風な認識を懐いてしまって、自己満足に陥っても、しょうがないかな、と。

もちろん、一歩引いて見るという観点は、絶対必要だし、身に着けるべきだけれど、それで満足しては、ダメだと感じます。

ある程度のメタな視点というのは、早めに身に着けておいた方がいいですね。そこから具体的な勉強をすると、より良くものが見えてくる。

メタな認識を持つと、強い「解った感」を得られるのかも知れません。それは容易に、「優越感」に結び付く…。

なんとなく、そんな事を思ったのでした。

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2007年12月 3日 (月)

メモ:内的状態の記号化の難しさ

主観:「力の充実感」←肯定的評価。別の表現では、「気力充満」、「呼吸力が漲っている」、等。

実態:生体力学的に不合理な状態。必要無いのに、拮抗筋の等尺性収縮による関節の固定を行う。この際の知覚に、上記の様な記号表現を与える。

本来、古来の達人・名人が、合理的な身体運動の際の知覚に与えた記号表現が、「呼吸力」等であるが、伝承の過程で、その中身が変容してしまったと考えられる。

それは、科学的方法が発達しておらず、従って当然、身体の状態を客観的に計測する事も出来なかったため。視覚的・聴覚的情報では無く、体性感覚的な、極めて内的な状態に関する情報であるから、記号化が難しい。簡単に言うと、力の入れ具合というものは、見えないし聞こえない(厳密には違うけれど※)。アナロジーを駆使したりし、極意歌伝書、口伝等で、なんとかその情報を伝達しようと試みたが、記号化の困難さを鑑みると、次第にずれが出たり、個人のセンスに依存する面が大きくなったりするのは、仕方の無い事なのかも知れない。

※身体表面の情報から、筋収縮の具合等を推測する事は出来る。また、身体各部のポジションから、どういう筋肉が働いているかを類推し、それを自身の運動に採り入れる。当然それは、ほぼ無意識的。いわゆる「センスが良い」とは、この様な能力が優れている事を言う。まさに、直感力がものを言う世界。

記号化しにくいから、フィードバックが難しい。自身の状態が果たして良いのか。これは、指導者にも言える。指導者自身が出来ているからといって、他者の状態を見極められるとは限らない。基本的には閉じている(内的な状態に関するものが大部分)ものだから、それを、他者の運動に照らし合わせて判断するのは、また異なった能力が必要であると考えられる。ちょっと極端な例だけれど、指導者が(良い運動を)出来ている、生徒も掴みかけている、しかし、指導者の指示をフィードバックする事によって(当然、指導者の善意は前提)、生徒がダメになってしまう事は、あり得る。簡単に言うと、綺麗な立ち方を出来ている人が、他人を綺麗に立たせる事が出来るとは限らない、という事。

そういう状況を打破するには、身体運動文化にも、科学的方法を採り入れる事が必要。当然、スポーツ等では、行われている。武術では、ちらほら見られる、といった所だろうか。

ただ、気を付けなければならないのが、人体の構造・機能の複雑性。たとえ、バイオメカニクス的に、優れた運動の論理が明らかになったとしても、それをそのまま吸収・実現するほど、人間はシンプルに出来てはいない。ある運動に○○筋が重要な役割を果たしている事が判明したとして、その筋肉を闇雲に鍛えれば良い、というものでは無い。数百の骨からなる骨格と、それを取り巻く数百の骨格筋によって、身体は運動する訳だから、システマティックに捉える必要がある。更には、人間は、複雑な認知機構を持った存在であるから、身体運動に関するある単純な情報を採りいれ、それを実現しようとしても、それが即出来る訳では無い。知識と体性感覚的な知覚が一致するとも限らない。それを行うためには、充分な科学的知識(身体運動の場合には、解剖学的知識は、持っておいた方が良いだろう)を蓄え、自身の内的状態を正確に把握する訓練が、欠かせない。後者には、いわゆる「身体の”感じ”」と、可視化された、自身の身体の状態に関する客観的データ(筋電図や圧力版から得られたデータ等)とを照合し、フィードバックしながら、より正確に自身の身体をコントロールするべく、努力すべきだろう。たとえば、ハンマー投げの室伏選手は、脊椎を、かなりの程度、任意にコントロール出来るそうである。(実際どの程度出来るかは不明。客観的に調べられたかも判らない。あくまで参考情報として)

たまに、武術等で、科学的方法を採りいれる事に対して、記号化に嫌悪感を示したり、「直感」の重要さを説いたりして、反論する人がいるが、そういう人は、想像力が不足している。即ち、直感で何とかなる人が、「天才」だった可能性。天才が、優れたセンスをもって真髄を捉え、高度な身体運動を実現した事実を基に、「直感に基づいてやる”べきだ”」、と解釈するのは、端的に言って、誤謬である。論理的には、現在のシステムが優れているのなら、達人・名人は、ある程度の人数いてしかるべきだが、果たして実態は、どうだろうか。※ここでは、達人・名人という概念は、相対的評価としは用いていない(たとえば、実力順に、上から何人を達人とする、という事では無い、という意味)。

…えっと、このカテゴリー、いつもこんな書き方ですけど、意味、解りますよね? 結構ややこしい事書いてるから、なんか心配です(笑) このカテゴリーに関しては、あまり、「解りやすさ」は重視していないので…。

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2007年12月 2日 (日)

ナゾ

ナゾはついに時を越えて――シリーズ第3弾「レイトン教授と最後の時間旅行」 - ITmedia +D Games

二作目、発売されましたね。やってみたいなあ。

このシリーズ、いい出来ですよね。良作。音楽とか凄くいいです。

そういえば、攻略系のサイトに対して、メーカーからお願いがありましたね。それへの批判も、結構あるみたいで。個人的には、ネタバレ注意の表示をしっかりしていれば、構わないのではないかと思っています。そもそも、ああいった謎解きゲームでは、「解こうとしたが解けなかった」、という経緯でサイトを探す、というのが多いのではないかと感じます。著作権的な問題とかあるのかも知れませんが、それはよく解らないです。攻略本関連の話なのかな。

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2007年12月 1日 (土)

メモ:ニセ科学リスト

はてなブックマーク - 覚えておきたい、ニセ科学リスト - 妄想科學日報

かなりの反響の様ですね。

批判的なブクマコメントも、散見されます。それについても含めて、ちょっと、感想の様なものを。

リスト化して並べる事に対する懸念は、解ります。それを鵜呑みにする危険も。いわゆるニセ科学批判批判者が言う所のレッテル貼りとして、機能する可能性があるから。

ですが、どの様なものが、ニセ科学と目されているか、というのをリストアップするのは、決して、意味の無い事では無い、と考えます。

批判は恐らく、芹沢さんも、想定なさっていた事でしょう。私見ですが、芹沢さんは、それを見越した上で、敢えてあのようなエントリーを上げたのだと思われます。

間違いがあれば指摘して欲しいという意味の文章がある事、コメント欄を開いて、直接やり取りをしている、という所から、そもそもああいったリストを鵜呑みにする事自体が、健全な懐疑の精神を持っていないという事を、エントリーを柔軟に変化させるという「姿勢」をもって、メッセージとして発信しているように、私には読み取れるのです。

網羅的にリストを挙げるという事は、項目が増えるに従って、当然、情報量も増える訳ですね。ですから、(関連情報が不足している項目については特に)批判される可能性も大きくなる。かなり、リスクも大きいのですよね。それでも敢えてエントリーを書き、コメントでのやり取りを続けている、という事実そのものに目を向け、著者の意図を読み取ろうとするのが、肝要だと感じました。

あのエントリーを見て鵜呑みにするのは、もうこれは、仕方の無い話だと思います(いくつか発見しました)。そもそも、そういう思考の傾向なのでしょうから。

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