宮本武蔵の像
本エントリーは、以下の資料を参考に書きます。内容は、ほぼ資料に従います。※高岡氏の著作には、いわゆる「トンデモ」な記述も散見されますが、大変深い洞察に溢れています。参考にしない手は無いでしょう。ただし、注意深い読みを要します。
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武蔵とイチロー (小学館文庫) 著者:高岡 英夫 |
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天才の証明―天才・英雄・名人の〈能力の設計図〉 著者:高岡 英夫 |
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極意化の時代―高岡英夫の極意要談〈2〉 著者:高岡 英夫 |
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究極の身体 著者:高岡 英夫 |
この画は、武蔵の「自画像」では無いようですが、いずれにしても優れたものだと思いますし、当時の高度な身体運動を体現した人間を描いた作として、注目に値する物だと考えています。
刀を持つ手の力がかなり抜けている――人差し指側が、空いている。太刀の方が、よりダラリと垂れ下がっている。
後重心――ぱっと見ると、「後に倒れちゃうんじゃ?」と感じる様な姿勢。大腿の裏側の筋肉で支える。
上体のリラックス――胸が突き出ず、腰が入らない、ニュートラルなポジション。首は、軽く前へ出ている様に見える。武術で鍛えた達人の姿勢を見ると、横や後からは「猫背」っぽく感じるのに、前から見るとスッと綺麗な姿勢に感じる。背中の筋肉が程よく発達し、かつ、基本的に弛緩しているので、ふわりとした印象を与える。肩回りが柔らかく、肩が落ちているので、なで肩の印象。しかし、背骨は真っ直ぐに立っているために、前から見ると、猫背の様には感じない。(現代の解りやすい例:野茂英雄選手)
足――いわゆる「ベタ足」に見える。重心が後方にあるので、そう見える。足首の底屈をなるべく使わないため。「リアレバー」(上記資料参照の事)。
肩――刀は重い物体だから、素早く振りかぶり/振り下ろしを行うには、強い上肢帯の筋力が必要だと思われるが、何故に、なで肩風か。刀の構造を考え、いかに有効に遣っていくか、というのを考えると、その論理が解ってくる。※ここら辺の論理を、ちゃんと力学的・バイオメカニクス的に認識したいものです。残念ながら、そこまで至っていません。簡単に説明すると、自分を中心にして刀を振るのでは無く、「刀を中心にして」身体を動かす、という事。上記資料を参照。
こんな所。
しかし、よくこんな画が残ってますね。凄い資料だと思います。なんでも、昔、この画に関して、体育学者間で論争が起こったとか。よく知りませんが。武蔵ほどの一級のアスリートが、これほど後重心なのは何故か? 予備緊張がほとんど見られないのは何故か? という話だったみたいです。簡単に言うと、重心を前に出してから足首で地面を押すのでは無く、身体を中心から「折り畳む様にして」動く訳ですね。特に、武術の様な、比較的狭い攻防空間でのやり取りでは、いかに「早く」動き出すか、というのが、とても重要なのですね。じゃないと、斬り殺されるので。筋肉的に言うと、腸腰筋。武術家によっては、倒れ込む様に、といった表現をする人もいます。本来的には、武術の型というのは、そういう身体運動を構造化せしめるための課目なのですが、果たして、それが達成されているかどうか…。
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コメント
ところで、優れた身体運動を描く、という観点で考えた場合(※あくまでこれは、一つの見方です。漫画は、様々な観点を総合して評価すべきものですから。そういう意味で、紛れも無い傑作だと思います)、『バガボンド』は、実に「惜しい」ですね。
私が見るに(批判歓迎)、骨格が描けていない。また、筋肉の張りなどが、あまり正確で無い。何と言うか、立体を感じさせない、と。
後は、具体的な、武術的に優れたものを描ききれていないかな。
http://www.infosakyu.ne.jp/~ayame/logwing.cgi?article=weblog_1190892343&comment=view
↑ここでのcorvoさんの指摘は、当を得ていると思います。
ここら辺を見事に描ける人がいれば、まさに、天才と言えるでしょうね。そういう意味で、このエントリーで採り上げた武蔵の像は、物凄いのです。
そうそう、超余談ですが。
何ヶ月か前に、水伝ネタで、「ヒトラーの画」とされるものが、載ってましたよね(詳しくは知らない)。私はあの画を見て、めちゃめちゃ歪んでるなあ、と思いました。すぐにでも崩壊しそうな感じ、と言うか。あれを「整った」ものの例で出すのは、なんか違うなあ、と。※もちろん、あのエントリーにおいては、そんな事は本質では無いです。念のため。
投稿: TAKESAN | 2007年11月16日 (金) 01:57
こんばんは。いまでもその感想は変わっていないです。
どうも「バガボンド」は好きになれないです。映像的効果を多用していることもあって、重心がどこにあるのか、非常にわかりにくいのも原因かもしれません。絵を描く上では重心はとても大切です。地球上に物が存在するということは、常に重心をとっていることになるので、そこからずれてしまっているものは不自然に見えます。
>そうそう、超余談ですが。
何ヶ月か前に、水伝ネタで、「ヒトラーの画」とされるものが、載ってましたよね(詳しくは知らない)
あれは歪んでます。poohさんのところにも、ちょっとコメントを書いた気が。具象を目指しながら、デッサンが出来ないのでは、どうしようもないですね。美術大学に落ちるのも当然です。
投稿: corvo | 2007年11月16日 (金) 02:57
TAKESANさん、こんにちは。
刀は、鞭を振るように使用すると、強い力は不要になります。力で振り上げるよりも素早くできますし、あたりは重いです。相手の正拳突きを腕で払うときも同じ要領です。自分の重みを使って跳ね上げる感じです。「刀を中心にして」というより「手の内を中心にして」ではないでしょうか。
投稿: にこん | 2007年11月16日 (金) 11:57
corvoさん、今日は。
重心やら筋緊張の度合やらを正確に描き出す事が出来れば、更に、全く次元の異なる作品に仕上がるでしょうね。宮本武蔵というのは、超一流のアスリート、即ち身体運動家なので、体現した運動をいかに描けるか、というのは、武蔵を表現するという文脈では、欠く事の出来ない要素であると考えます。
>poohさんのところにも、ちょっとコメント
>を書いた気が。
そのコメントを読んでいて、やっぱりそうだよなあ、なんて思ったのでした。
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にこんさん、今日は。
武術ネタにコメント頂いて、ありがたいです。
刀を中心にする、というのは、廻剣の動作をイメージして頂くと、解りやすいかと思います。刀が最も合理的に運動するように、身体を操作する訳ですね。
後、戦法についての観点もあります。武蔵は、周知のように、敵にくっついていく戦法を使っていた訳ですね(漆膠の身)。
もちろん、こういうのは、観点や言語観、その人が到達している運動のレベル等によって、変わってくるものだと思います。
投稿: TAKESAN | 2007年11月16日 (金) 12:53
うーん。
廻剣動作の所とか、明確にイメージ出来るし、直感的に、力学的な合理性が解っているのですが、それをちゃんと記述する事が出来ない…。歯痒いなあ。
剣術についてちゃんと語るには、少なくとも、刀を構成する物質の物性、刀の形状、刃物で物を切るという現象の力学、人間の機能解剖学的構造機能、等々を、科学的に認識出来なければならないのですよね。それでも語れるのは、比較的静的なものですが。斬り合いを論じるとなると、途端に情報量が爆発しますね…。
投稿: TAKESAN | 2007年11月16日 (金) 13:28
廻剣動作について、古流をやっている友人が、「体表を飛び回るブーメランに手を添える」と言ってました。理屈ではわからないでもないんですが、その例えは無理ありすぎだろうと。
投稿: グレートパンダー | 2007年11月16日 (金) 19:22
グレートパンダーさん、今晩は。
喩えって、難しいですよねえ。上手くいけば効果絶大ですが、ちょっと誤ると、大変な事になりますね。
一番いいのは、優れた人の実技を見る事でしょうね。黒田鉄山氏とか。
投稿: TAKESAN | 2007年11月16日 (金) 19:31
武蔵の画、色々
芦雁図⇒http://www.miho.or.jp/booth/html/artimg/00003256_01.htm
枯木鳴鵙図など⇒http://homepage3.nifty.com/gochagocha/BFB0.htm
芦葉達磨図⇒http://photos1.blogger.com/blogger/3821/598/1600/royoo03.jpg
そして、
枯木鳴鵙図⇒http://www.forumkaya.co.jp/artist/sakuhin/AK-MU04/index.html
投稿: TAKESAN | 2007年11月17日 (土) 12:29