何がおかしいかって
母集団の性質を調べる方法を使って、母集団の性質を推測したのに、今度は、そこで推測されたものを、母集団の既知の性質と看做して、他のサンプルでは「原理的」に差が出る、と言っている所。
統計的方法によって推測されたものを、「原理」などと言う所。
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コメント
ほんとに、「目の前に現れているコメントに脊髄反射的に答えを書いているだけ」ですね。
相変わらず「教えを乞われてる」ような返事でしたし。
これを「議論が続いています」と平気で捉えられる神経はものすごいですね。Jさんの脱力や、これまで「議論」につきあった心理学者の徒労感が忍ばれます。
しかしさすが文脈の概念がないABOFAN氏。TAKESANさんの質問の意図が全く分かってないようですね。
すごいなあ。
投稿: みづ | 2007年11月19日 (月) 01:27
みづさん、今晩は。
きくちさんのお考えを知りたいならきくちさんに直接訊きますよ、と、ABO FAN氏に向けて書こうと思ったんですが、やめておきました。余計な事書くと、また拡散されるし…。
やはり、「原理」というものに対する確信が、全ての主張の基礎なのでしょうね。
結構核心に至りそうな発言が出てきたので、調子に乗って、連投しちゃいました。
投稿: TAKESAN | 2007年11月19日 (月) 01:55
これは私の考えですが。
ABO FAN氏系の方とのやり取りでは、詰め将棋的な進め方をするのが良いかな、と思っています。
つまり、一手ずつ攻めて、玉を追い込んでいくイメージですね。一手、というのは、短い質問。それをかわしても、おかしい所が浮き出される様な仕掛けを作っておく。
最新のやり取りでは、次の局面へ行く手を打てる、決定的な発言が出てきました。普段のABO FAN氏の発言は、千日手みたい(←イメージ)なものですからね。
投稿: TAKESAN | 2007年11月19日 (月) 23:31
議論を遊戯的にとらえているかのように誤解されかねない比喩ではありますが、「詰め将棋」「千日手」というのはなかなかうまい言い方だと思います。ABO FAN氏とほかの方々のやりとりは、まさにそんな感じでした。
わざわざ将棋のように退路を封じなければ成立しないコミュニケーションというのは、あまりにも悲しいですが、実際問題、自説が破綻していることを指摘されても認めない主張者に自覚を促すには、それしかないのかもしれませんね。
投稿: 亀@渋研X | 2007年11月20日 (火) 15:32
「遊戯的に」、という部分。確かに、そう捉えられる可能性はありますね。尤も、議論というものには、本質的にそういう部分は内在している、と考える事も、出来ますけれど。特に、ABO FAN氏とのやり取りは、一般的に言う所の「議論」とは、かけ離れているものがありますしね。
>わざわざ将棋のように退路を封じなければ
>成立しないコミュニケーション
やはり、自説のおかしさに気付いていない人とやり取りするには、語らせて、おかしさを浮かび上がらせる様なやり方をしないと、難しいと思います。また、ギャラリーの目もありますね。誰が見てもおかしさが解るようにする。今のままでは、どこがどうおかしいかが解りにくいので、それを、出来る限り具体的に明らかにしよう、という。
ABO FAN氏のやり方は、
席を立って次の手を考える人に、「何故か、次の手を打ってきません。もしかすると、もう指す手が無いのでしょうか。」と言ったり、
いつまでも将棋のルールを憶えず、桂馬を後に動かしたり香車を斜めに動かしたりする人(この人は、ルールを憶えていると思い込んでいる)が、愛想を尽かして対局を拒んだ相手に、「対局に応じてくれなくなりました。もしかすると、私に勝てないと思ったのでしょうか…。」と言ったり、
という感じですよね(二番目の喩えは凄く変ですが、ご勘弁を…)。だから、きくちさんの戦略は、やり取りを終わらせない、という方向なのですよね。千日手的な展開になっても、どっちがダメであるかは明らかで、それは記録として残っていくし、「勝利宣言」をされないためでもあるのでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年11月20日 (火) 16:31