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2007年11月 8日 (木)

教えて貰う事

こんなアツイやり取りがあったのですねー⇒幻影随想: 趣味レベルとはいえ…※コメント欄を

幻影随想: 科学と非科学の境界

幻影随想: 天動説が科学でない理由

幻影随想: それは間違ってすらいない―Not Even Wrong―

かなり濃いですね。

うーん、私が思うのは…

主張のおかしな事を指摘されたのなら、それを真摯に受けとめるべきなんじゃ、という事ですね。

後、よく知らない事について、あたかもちゃんと知っているかの様に書くのは、控えるべきでしょうね。

で、自分が「ある程度解っている」と思い込んでいれば、書いてしまう、というのはある訳ですね。誰だって、そうだと思います。

その場合には、「知っている人」から、批判を受けます。

その批判を真摯に受け容れられるか、というのが重要だと思います。

自分が明るく無い分野に関して書いた事の誤りなり、主張の甘い部分なりを、専門的知識を持った人に、指摘されている訳です。これ、本当は、金を払って教えを請うて教えて貰うのが、普通ですよ。時間を掛けて多くの知識を蓄えてきた人に、レクチャーを受けてるのだから。

後、自分が何か、深く興味を持って追求している分野があるとして、自分を批判している人は、そういう努力を、科学論や物理学に注いでいるのだ、というのを認識するのが重要でしょうね。

批判というのは、本来、ありがたいのですけどね。自分の認識を高めるきっかけになるかも知れないのだから。

当然、ブログに書いたりするという事は、ある程度確信を持って、これが正しいのだ、と思っている、という事なので、それに対して批判が投げかけられるのは、「面白く無い」。それはまあ、解ります。

でも、あれだけ懇切丁寧に説明を受けているのに、あの論の展開は…。

物理学について、かなり突っ込んだ事を言ったのだから、物理の教科書なりを読むのが、筋だと思います。て言うか、そう指摘されているのに。

TAKAさんのコメント(すっごく大切な事が書いてありますよね)、自分の事が書いてあるみたいに思えました。こちらにいらした際にも感じた事ですが。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

 あまりしっかり追っていなかったのですが、私は黒影さんの「科学の線引き」にちょっと疑問を感じました。明確に間違っているという感じでもないのですが、コメントのsatoさんの見解にかなり近いです。

投稿: newKamer | 2007年11月 8日 (木) 10:00

newKamerさん、お早うございます。

天動説は科学か、などの部分ですよね。科学史・科学哲学的に見ても、非常に難しい話なのでしょうね。
敢えて科学という語を使うなら、科学の制度化がなされた19世紀以降の営みを指す、と考えるのがすっきりする気もしますが、よく解らないですね。

投稿: TAKESAN | 2007年11月 8日 (木) 11:20

こんばんは。
読んでみました。

天動説に関しての議論は興味深いですね。黒影さんとsatoさんのどちらの御意見にも頷ける部分がありますが、私にはちょっと難しいです。ただ、一つ思ったのは、話題になっている「天動説」はオリジナルであり、現代の知見を以て再評価したもの(apjさんがかなり早い段階で言及された「相対論的天動説」とか)は含まれていないように感じました。

で、shinpei02さんですが、これはもうTAKESANさんの仰る通りですね。自分の不勉強や間違いを指摘されて不愉快になるのは人情としては解りますが、それでも逆切れや誤魔化しはよろしくないです。
間違いを正して貰えるというのは本当はとても有り難い事で、その意味ではTAKAさんのコメントは感動的ですらあります。

そもそも、何で指摘されて腹が立つかというと、プライドが低すぎるせい(高すぎるではなく)ではないかと思います。こういう時に思い出すのが、天下一武道会で亀仙人が天津飯に向かって「おまえさんの方が強い」と言った時の事です(DB知らない人ごめんなさい)。
この時、天津飯は「あっさり認めやがった。プライドは無いのか」みたいな事を言っていましたが、プライドを「誇り」と捉えればむしろ逆なんですよね。他人より強いという事実でしか自分の強さを確認できない、言い換えれば他人との比較でしか自分のアイデンティティを保てない天津飯の方が、プライドが無いと言うべきなんです。
他者との比較によって「しか」保てないプライドは、脆弱なものだと思います。

つまり、shinpei02さんは「他者よりも知識がある」という点にしか自らの価値を見出せないのではないだろうか、と推測している訳です。

投稿: PseuDoctor | 2007年11月 8日 (木) 22:25

PseuDoctorさん、今晩は。

天動説等に関しては、いわゆる科学の哲学とか科学史の範疇の問題なので、とても難しいですよね。※まず、私自身、物理学的・数学的に理解していないので、論じようが無い訳ですけれど。て言うか、「知らない人」は、普通そう思うのですよね。

TAKAさんは、ご自身がビリーバーだった経験に基づいて、とても丁寧で注意深いコメントを書いておられますね。それに気付くかどうかは、聞く側次第ですが…。

DBの喩え、解りやすいですねえ。
私の好きな言葉(と言うか、文章)に、「大切なのは、自尊心では無く向上心である」(要約)、というのがあります。この文脈での「自尊心」は、他者との比較などを過度に気にし、それによって、自分が優れた存在だと確認したい、というような認識でしょうか。
私も、他人との比較においてアイデンティティを保つような認識を持っていましたし、それによって自尊心が肥大すると、とにかく、他者にネガティブな感情を抱いてしまうのですよね。
今は、全く無いなんて言えないですが(人間だもの)、ある程度、相対化出来ましたね。

他人の事を考える暇があったら勉強するよ、という、そんな認識です(笑)

投稿: TAKESAN | 2007年11月 9日 (金) 00:49

こんにちは。
実のところ、あの議論の流れにおいて元ビリーバーの私が意見するには、少し場違いのような感じもしていました。
ただ、いくつか追い込むような発言が出始めたのが気になり、shinpei02さんやその他の皆様にも何かの参考になるのではないかと思いまして、最後はあのような書き込みとなりました。

以前もTAKESANさんの「やりとり」のコメント欄で申しましたが、批判を受け入れない人を見ると「もったいないな」と思うわけです。
私自身、若い頃は何かにつけて反抗しておりました。
その結果、忠告してくれる人ですら離れていってしまいました。
今現在、失った時間を自力で取り戻すのに大変苦労しています。
忠告をしてくれた人の思いを、今頃になって身に染みて感じている次第です。

「批判をためらわずに受け入れる事ができれば、得るものはたくさんある」
と、今ではそう思っています。

投稿: TAKA | 2007年11月10日 (土) 00:02

TAKAさん、今晩は。

私の場合には、幸いと言いますか、”いわゆる”「ビリーバー」とまでは行っていなかったので、たとえば、自分が私淑している人の論を批判しているものを見ても、ある程度相対化して読む習慣が出来ていたので、良かったとおもいます。いい時期に、良い本や人間に出会えたお陰で、はまり込まずに済んだ、のかも知れません。また、WEB等でやり取りするにあたって、「批判は真摯に受け容れる」という条件を第一として取り組んだ、というのもあります。そういう事が出来るまでに、掲示板やらをやってはいけないな、と。

批判は難しいです。受け容れる難しさが計り知れないだけに、批判を投げかける方も、色々考えます。最近では、n_ohsakiさんともやり取りをしましたが、恐らく、私の批判は、受け容れては頂けなかったでしょうね。

非難なら簡単なんですけどね。罵倒すれば済む訳ですし。でも、それは嫌いなのですよね。凄く嫌い。だから、丁寧に(書いてある内容によっては、ある程度強く)、論を以って批判する、というのをやっています(つもりです)。

投稿: TAKESAN | 2007年11月10日 (土) 00:18

TAKESANさん
まだ批判の内容について考えておりますので、今すぐに受け入れるか入れないかの結論は出ません。

済みませんが、悪しからず。

投稿: n_ohsaki | 2007年11月10日 (土) 01:14

ニセ科学批判をされているサイトをいくつか見てますが、TAKESANさんの批判の仕方は比較的、優しい印象です。
最近のゲーム脳の議論を見ていても、正しい方向へ導きたいという思いが伝わってきました。
いくつかヒントを提示た後で議論を閉め、その後はご自身で解決してもらうやり方は、妥当だったと思います。
私の場合、時間を置いて考えると、別の角度から物を見る事ができた経験があります。
結論を急がなくても良い結果を生む事があるんだなと、その時思いました。

最近は正しい科学的思考を身に着けるため、TAKESANさんの過去のいろんな記事を読んで参考にさせてもらっています。
新しい知識を得るたびに、見渡せる視界がさらに拡がったような感じがいたします。
今まで知らなかった事を学ぶ事は、実に楽しいことですね。

投稿: TAKA | 2007年11月10日 (土) 02:32

こんにちは。

私も昔は中岡俊哉さんの本を読んでESPカードを自作してトレーニングしたりしてました。ですので8月頃のエントリ(今調べたら「きっかけの泡」でしたね)のきくちさんのコメントを見た時に「ああ、他にもそういう人っているんだな」と思いました。
きくちさんにしろ、TAKESANさんにしろ、TAKAさんにしろ、「自分もほんの一寸違えば『あっち側』にいたのかもしれない」という認識を持っている方は、良い批判者になれますよね。

本題に戻りますが、shinpei02さんは凄く勉強されてて知識もあるし頭も良い方だと思います。ですから御自分も本来は「知識の裏付けも無く断定する『根拠の無い自信』」にはむしろ反発や嫌悪感を感じられる方なのではないでしょうか。
でもフォースの暗黒面に堕ちてしまったというか魔境に入ってしまったというか、いつの間にか自分がそちら側に回ってしまった。こういう危険性は常に自覚していなければなりません。

色々と自省した次第です。

投稿: PseuDoctor | 2007年11月10日 (土) 12:08

まず、「批判を受け容れる」というのは、批判者が何を言っているかを真摯に受け留め、解釈する、という事なので…。誤解されている気がしますけれど。

------

TAKAさん、今日は。

私のやり方は、どちらかというと、直接的に、論のおかしさを指摘するだけで無く、色々なものを参照するのを促す事によって、理解を深めてもらう、という感じですね。状況によって異なりますけれど。これはこうですよ、と単に言うだけでは、それを飲み込んでもらうのは、大変難しいですしね。

 >今まで知らなかった事を学ぶ事は、実に楽
 >しいことですね。
楽しいですね。無上の喜びです。自分の無知を知るのは、やる事が、まだまだ色々あるのを知る事ですしね。生きてる甲斐がある、というものです。

------

PseuDoctorさん、今日は。

 >私も昔は中岡俊哉さんの本を読んでESPカー
 >ドを自作してトレーニングしたりしてま
 >した。
おお、PseuDoctorさんも。私は、心霊系でしたね。『恐怖新聞』を読んで眠れなくなったり、『うしろの百太郎』を読んで、守護霊を呼ぼうとしたり。

大人になってからは、いわゆる「意識」の問題、つまり、ニューサイエンスで語られる様な意識の普遍性等を、信奉しましたね(それでも、いわゆるビリーバー的な、排他的な認識にならなかったのは、性格的なものなのかも)。だからこそ、もしかすれば、水伝も信じたかも知れない、という考えを持っています。

批判されて、その防御として、いつも自分が批判している様な態度になり頑なになってしまう、というのは、心理学的な事でもあって、自分もいつそうなるか解らない、と、常に念頭に置いておかなければならない、と思います。

投稿: TAKESAN | 2007年11月10日 (土) 13:34

お読みかどうか判らないけど。

もう仕舞いにする、と言いましたけど、あまりにもどうしようもないので、ちょっとだけ。これで最後です。

ここら辺の文章を、片っ端から読んで下さい↓
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/index.html

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/events/JPSsympo0306.html

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php

投稿: TAKESAN | 2007年11月13日 (火) 00:28

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