自分が科学をあまりにも解っていなかった頃
もう、大分前の事です。
色々な経緯があって、勉強を始めました。※高校卒業後の、私の「勉強」は、色々なきっかけを基に何段階かに分けられて、これは、その二段階目です。
心理学にも興味があったので、心理学の入門書を、紐解いてみます。
そうすると、色々な事が書いてある。記憶の話、感覚・知覚の話、思考や認知の話、学習の話、等々。
で、それを読みながら、思う訳です。「何言ってんの?」とか、「そんなの、当たり前でしょ?」とか。常識的な事が、いかにも尤もらしく書いてある(ように見えた)。※なまじ、科学哲学的なものを齧っていた(と言うのもおこがましいけれど)ので、「ホーリスム」とか、そういう概念ばっかりアタマの中にあって、「これは全体を無視して要素を無理矢理切り出して」云々とか、テキトーな事を思っていたのです。
その頃はまだ、「実証」が科学の真髄である事を、全く解っていなかったのですね。当たり前と信じられている様な事でも、改めて言葉を定義し、実験や観察の仕方をデザインし、得られたデータを処理して様々な傾向を見出して、初めて物を言う。そういう科学の営みを、全然理解していなかった訳です。好んで読んでいたある本には、ちゃんと実証の重要性も書いてあったのに、別の部分に書いてある実証主義批判にばかり目を奪われていた、のかも知れません。
だから、何言ってんの? となる。自分は、自身の直観力の鋭さを信じていたような微妙な人間だったので、これは違うよ、と、文句ばっかり(脳内で)言っていたのです。
科学について、もっと色々考えて、ほんの少し、入り口が見えてきたかな、と思えたのは(それが当たっているかは知らない)、そのずうっと後、ここ数年の事です。
そういう過程を辿ってきて痛感したのは、「よく知りもしない事について、あまり批判的に見ていたりすると、ちゃんと物が見えなくなる」、という事でしょうか。誰かが言っていたから、とか、そういう理由で、ものを見てはならない。
まあ、そんな感じです。
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コメント
28日付けを⇒http://www.yonosuke.net/~iseda/diary/
うおっ、このメンバーは…。
行きたい、けど行けない。
投稿: TAKESAN | 2007年11月29日 (木) 12:45