いずれ
自分が見ているのが実は藁人形だった、という事に気付けるかどうかが、とっても重要だと思います。
あなたは藁人形を相手にしていますよ、と外から言ったところで、それを受け容れるのは難しいのですね。
だから、丁寧に、色々な角度から、藁人形であるのを気付かせようと努力したり。もちろん、ほとんどの場合には、ほっとく訳ですけれど。
基本的には、本人の姿勢の問題ですよね。普段から、メタにものを見るように訓練しておかないと。
本当は、外から言ってくれる人がいるというのは、とてもありがたい事なのですが、それは「その場」では、解らない。
何年か経ってから、認識が変化し、指摘された事を思い出す、というのがあれば、充分なんでしょうね。
でもまあ、藁人形に色々言うのがエスカレートすると、何だかなあ、となる訳ですが。特に、その藁人形の中に、自分が含まれていたりすると。
しょうが無いですね。
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コメント
ワーワーキコエナーイとなると、ちょっとどうしようもないですねえ。
投稿: みづ | 2007年11月 6日 (火) 01:50
みづさん、今日は。
そうですね。いかんともしがたいです。
メタに見る、というのは、こういう場合のためにある、と思います。
投稿: TAKESAN | 2007年11月 6日 (火) 12:52
藁人形とスルメは、メタ的に捉えて同じですか?違いますか?
投稿: n_ohsaki | 2007年11月 6日 (火) 20:28