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2007年11月28日 (水)

自分が天然・自然信仰者だった頃

一つの事例として、書いておきます。

  • 元々、添加物≒身体に悪い、というような認識は、何となく持っていた。テレビを観たり、親から吹き込まれたり、というのが影響していたのだろう。
  • 『美味しんぼ』を、よく読むようになる。それまでに読んだ事はあったが、纏めて読んで、ハマる。
  • 前から「本物志向」的な所があったので、書かれている事を、鵜呑みにする。そこでは、巧みに、人工物や添加物、養殖物や大量生産品に対する「偽物っぽさ」が、メッセージとして含まれていたから。
  • そこで形成された認識は、典型的二分法的思考。科学的定量的分析という事も知らず、ただ「何となく」、良さそうに思えたから、信じた。養殖ダメ、添加物悪者、大量生産品には心がこもっていない、既製品は食文化を破壊する、電子レンジで温めた夕食を食べるのはいけない(安全の観点では無くて、家庭の環境として)、等々。
  • 自分の食事に制限を掛ける。基準は、「何となく」。科学的思考の欠落。インスタント食品は食べない。チョコレートは口にしない、等。
  • 心理的に、窮屈な状態。全く必要の無い、自分自身への拘束をしているのだから、当たり前。論理的に言えば、身の周りにあるほとんど全てのものが、自分の身体を蝕む原因だと考える事が出来るのだから、恒常的な不安というのは、大変なものだろう。※自分の場合は、それほど強いものでは無かったかも知れません。あ、これは食べちゃダメだな、て、テキトーに思ってただけですし。原材料表示を見て判断するとか、そういうめんどくさい事をやったりした訳ではありませんからね。「本格的」な人は、物凄いんでしょう、多分。それをある種の楽しみとしている人も、いるかも知れませんが。
  • これは、大きな問題だと思われるが…。「他人をバカにする」、という認識も、形成された。即ち、自分が忌避しているものを好んでいたり、特に疑わずにいる人に対しての、優越感。もちろん、それは歪んでいる。本物志向的な人が、「物の解らない連中」を見下すという、極めてネガティブな感情。※こういうのにも、程度があるでしょうね。私のがどの程度であったか、というのは、よく解りませんけれど。文章にすると、なんか、「大丈夫かコイツは?」と思われそうな感じですが。

まあ、こういった所です。結構、同じ経験をした方もいそうですが、どんなものでしょうね。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

ありましたねー。わからん奴を見下すっていうのもねぇ。そんな頃は嫌な奴が多くて困る。(笑)
いま、「ありましたねー」と過去形で言ったけど、もしかしたら、いまでもカタチを変えてあるのかも知れないけど……。

投稿: ジャck | 2007年11月28日 (水) 04:51

TAKESANさん

私は逆に「反天然・自然信仰者」でした。
きっかけは、中学校の音楽の先生が授業中に「カップラーメンなんて食べちゃだめ!発泡スチロールがお湯で溶け出して病気になるよ!!」と発言したことでした。
(その場で思わず「いくらなんでもカップラーメン食べただけで病気なんてそんな訳無いじゃん。そんなもの普通に売れないじゃん」と大声で発言してしまい、教室中がシーンとなってしまいました。別にカップラーメンが大好きだったわけでもなく、食って掛かることは無かったかなと今思えば恥ずかしい・・・)
それ以来なんとなく、真偽は関係なく「○○は体に悪いからだめ」という言葉そのものに反発を覚えるようになってしまいました。

投稿: Noe | 2007年11月28日 (水) 08:49

ジャckさん、今日は。

そうなんですよね。周りは皆、やな奴。で、一番やな奴は自分、というオチで(笑) 心がせまーいのですよね。

 >いまでもカタチを変えてあるのかも知れな
 >いけど……。
これは凄く大事ですよね。常に自分を見ておかないと、流れていってしまいますからね。

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Noeさん、今日は。

なるほどー。そういうケースもあるんですね。参考になります。
やはり、二分法的思考はいかんのですよね。中庸でありたいですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年11月28日 (水) 12:32

 こんにちわー。そうだったんですか。
 新人のころ毎日の献立カレンダーみたいなのの担当だったんですよ。その料理に全部キャッチをつけなくちゃいけないんですが、「おいしい」を表現する言葉って実はそんなに多くないんですよね(私の言葉不足が多大にあるんですが)。だから、ついついヘルシーネタものを書くほうがラクだったり、天然自然派のイメージワーディングでお茶を濁すほうが・・・。私はそこはかとなく罪悪感があったほうですね。だからマスコミってうわっつらだなあと思って一度やめちゃったわけですし。現場を取材したらほとんどの方は一生懸命きちんとまじめに仕事してるわけですから。
 ちょっと古いですけど、西島 基弘「食品添加物は敵?味方?」という本がおもしろいです。

投稿: 安原 | 2007年11月28日 (水) 14:30

安原さん、今日は。

そうだったんですよー。『美味しんぼ』にハマっちゃって、影響受けまくりでした。それだけに、最近のシリーズを読むと、ムムム、となってしまうのです。あれは、完全なフィクションとは言いがたいですからねえ。

親戚にも、自然食品を好んで、物凄い拘りを食べ物に抱いている人が、いました。そういう影響もあったのかも知れませんね。

添加物についての議論は、一度、ちゃんと勉強しておきたい所です。

投稿: TAKESAN | 2007年11月28日 (水) 15:14

 そうなんですか。ベジタリアンのレシピ本とか、そういうふうに使うのか、ほーみたいなおもしろい食べ方のものもあって勉強になるんですけどね。なんかほかの人がものすごい身体に悪いもの食べてるって気持ちになるみたいですね。
 あとそうじゃなくて「料理のクリエイティブ性」が失われるのがいやなかんじがあるのかも。以前化学調味料なんとなく避けてる友人が「味が決まらん」っていうので、「昆布茶ちょっとふると決まるよー」って先生の受け売りで教えてあげたら、「それはいいー」とさっそく試してました(笑)

「女子栄養大学の辻村卓志教授は、慣行(通常)と有機の各栽培法で三年間、毎年、レタス、小松菜、ホウレンソウを作り、栄養価の違いを調べた。各種ビタミンやミネラル、総アミノ酸含有量などすべての項目で差はなかった。味や香り、後味、固さなどでも違いは見つけられなかった。」日本経済新聞 2007/10/21

 先日、知り合いのお料理研究家が好きなお店があって、そこのシェフがお客さんから「このお料理おいしいですねー、産地はどこですか!」って聞かれたそうです。「そこのスーパーだけど・・」とシェフが答えたらしくて、「かっこいいー!」って言ってました。きっとお料理の技術だと思うんですけどね。

投稿: 安原 | 2007年11月28日 (水) 17:21

「本物志向的」な人って、「手を加えていない」ものを好む、という感じなんですよね。言い換えると、「自然」。素材本来の、等の言い回しで、肯定的に扱わたり。思い込みの場合も、多々あるのですよね。

チャーハンとかで、旨味調味料を入れたら激烈に美味くなるのに、なんか拘って入れない、とか(笑)

後半のエピソード、いいですねえ。何だか象徴的ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年11月28日 (水) 18:25

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