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2007年11月 5日 (月)

どこがおかしい?

ABO FAN Home Page:懐疑論者の自己矛盾!?についての考察。※強調等はそのまま。

○”結論の要約”について。

ここに、kikulogでも話題によくのぼるグラフが、載っていますね(伊勢田さんがよく言及なさる、アレです)。「性格分布のイメージ図」。

この図が何を意味しているのかは、なかなか解りにくいですね。横軸が比率で縦軸が頻度とは、一体どういう意味だ? と。正規分布だ、というのなら、仮想的に、横軸に、「ルールや慣習や秩序を重視する度」を連続量として置き、クラスをいくつかに分け、縦軸を頻度にしてヒストグラムを書く、とするなら、まだ理解出来ます。しかし、横軸に「肯定率」を取っているのですね。これ、「ルールや慣習や秩序を重視する」という質問に肯定的に答えた人の割合、の事です。おかしな話ですよね。何故、その比率を平均として、正規分布を描けるのか。

さて、ABO FAN氏は、続けて、

平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。

と主張します。件のグラフを前提にして、論を展開している訳ですね。ここら辺の論理が、読む者の脳を大きく揺さぶります。「BやCより大きい部分」とは、一体何を意味するのか。「ピークになる保証はありません」という部分は、誤差の事を言っているのだとも読み取れるけれど、だとすると、やはりグラフの意味が解らない。

○”懐疑論者の主張…「強い関係」はない?”について。

「ポイントはここです!」の部分。ここで引用されている長谷川氏の文は、両方同じ様な意味ですね。全く関係無いかは解らない、と言うのと、あるかも知れない、と言うのは、同じです。

きくちさんの文章に対する言及を見ても解りますが、きくちさんや長谷川氏の論と、従来の心理学者の主張を異なったものであると、強調している訳ですね。即ち、「関係が無い」という言明の部分。ここに関するABO FAN氏の引用・言及の仕方は、かなり恣意的であると思います。「ニュアンスが違うようです」とか、わざわざ書いてある部分は、そうですね。

○”論理の矛盾?”について。

実は、この程度の差でも「強い関係」と言える差が出ると考えるのが自然です。というのは、平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。言うまでもなく、細かいところは違っても、大筋で違うことはありません。

またしても、件のグラフ。悩ましいですね。さて、ここでABO FAN氏は、「ある基準以上」と書いています。これは、どう解釈すべきでしょうか。私が上に書いた、「ルールや慣習や秩序を重視する度」的なものを、イメージしているのでしょうか。難しい所です。ABO FAN氏はまた、「具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。」とも書いています。これはどういう意味でしょう。推測するに、これは――追記:コメント欄をどうぞ→例を挙げると、あるテストを□県と△県で実施したところ、□県:平均60点、標準偏差15点 △県:平均67点、標準偏差20点 だった、というデータがあったとして、平均は7点しか違わないが、□県の下位の点数と△県の上位の点数を較べると、その差は大きい。従って、平均の差が小さいとしても、それは、大きな差を否定した事にはならない――というロジックでしょうか。追記:コメント欄をどうぞ精一杯正確に解釈しようとすると、そうなりますが…。もちろん、それは詭弁です。尤も、合っているかどうか、判りませんけれども。

ちなみに、「強い定義があいまい」、という部分についてですが、明確な定義は、誰もしていないですね、確か。ただ、きくちさんは、標準偏差に較べて平均値の差が大きいか、という事を仰っていますね。定義は難しい、とは思います。

○”ホームラン王の血液型”について。

見ればわかるとおり、圧倒的にO型とB型が多く、AB型が1人いないことがわかります。しかし、プロ野球の選手全体の血液型は、ほぼ日本人の血液型に一致しているそうです(否定論者も含めて何回か調査がされています)。しかし、本当にO型とB型はホームラン王になりやすいのでしょうか?

えっと、プロ野球選手全体の血液型分布が、日本人全体のそれと一致しているのが合っているとして(私はよく知らないです)、ホームラン王云々という例を持ち出してどうこうするのは、妥当ではありませんね。よく指摘される所は、「何故上位10名か」、とか、「そもそもホームランをよく打つ人は、性格が似ているのか」、とか。

……出てきた、イメージ図。さて、これは難解です。今度は、横軸が、「ホームランを打つ確率」。まあ、確率にすると、意味が解らなくなるので、打撃力(ホームランに関する)、とでもしておきましょう。横軸に本塁打数をとって、縦軸に頻度をとったヒストグラムを書く、というのでもいいかな。血液型別にそれを書けば、比較は出来るでしょう。試合数とかルールとかが変更されているので、そこら辺は、ややこしいですが。※これを踏まえると、一番上で言及したグラフとは、そもそも性質が違う、と言えるかな。こちらの場合は、ちょっと設定を変えると、比較的まともに考えられるかも知れない。て言うか、横軸を、ホームランを打つ確率、にするって…。

先に引用した所でもそうだったように、この様なグラフをイメージとして出すに至る部分が、ABO FAN氏の思考を知る手がかりになるのかも知れません。

○”結論”について。

出ました(もう出てるけど)、ABO FAN氏の主張の最も肝の部分。

またこういうことも言えるはずです。差が1%程度の「弱い関係」がある可能性を認めてしまえば、「強い関係」がないことを否定することはできなくなってしまうのです。

これです。これはやはり、私が上で推測した様な論理展開からの、帰結なのでしょうか。もしそうだとすると(自信は無いですが)、分散が極めて小さい分布同士でなければ、「小さな差とは言えない」、という事なのか? しかし、そもそもこの議論、肯定者割合の話ですからね。更に、数ある質問の内、有意であったのが少数で、それは、各年で安定している訳では無い、というのが、重要な部分なのですが。そこからいきなり、例のグラフの様なものを出す論理展開。そこがポイントでしょうか。

”おまけ”の部分は、ちゃんと読んで無いです。今度読もうかな…。結構重要な気もする。

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コメント

kiklogより、ABO FAN氏のコメントを引用。

▽▽▽引用▽▽▽
> 435. とよ — November 4, 2007 @19:52:00

> というのは、例えば、ある地域の男女の身長を調べたら5%程度の差だったけれど180cm(以上)ある人の差は500倍もあったので、男女の身長差は決して小さなものではない、とおっしゃりたいのでしょうか?

意図はそのとおりです。
確か、日本人の成人だと、男で171cm、女が158cmぐらいが平均じゃなかったかと思います(標準偏差は忘れました...)。
ですので、180cm以上となると、比率ではかなりの差が出ると思います。
ただ、私の意図は「男女の身長差は決して小さなものではない」ということではなく、条件を決めないと、差の大きさはなんとも言えないということです。
逆に、180cm以下で比較するなら、ほとんど差はないことになりますしね...
△△引用終了△△(ABO FAN — November 5, 2007 @23:49:43)

そういう事ね。
180cm以上の男性の割合より180cm以上の女性の割合が小さい。だから、平均の差が小さくても、大きい差は否定出来ない、と。そもそも、「差」の意味が違うんですね。
それを、「肯定率」に当てはめている訳か。

やっと、ちょっと解ってきた(気がする)。遅いけど。

投稿: TAKESAN | 2007年11月 6日 (火) 01:29

えーっ。解らないのは私だけなんですか?
正規分布のグラフの下の面積の変化でしたら、確率変数が同じだけΔずれた時、裾野より平均値の近くの方が大きく変化するはずだと思うのですが...

投稿: ちがやまる | 2007年11月 6日 (火) 10:26

えっと、私が推測するABO FAN氏のロジックは、

男性の身長の分布を、μ:170cm σ:10cm
女性の身長の分布を、μ:160cm σ:10cm
の正規分布としたとして(架空)、180cm以上の男性は 約16%で、180cm以上の女性は 約2%だから、その差は8倍もある。だから、「差」は大きい。
対して、170cm以上180cm以下の身長の人は、
男性:34% 女性:14%
差は2倍ちょっとだ。だから、「差」は小さい!

というものじゃないかな、と思ってたんですが、違うのかな…。なんか、猛烈に思い違いをしている気もしますが。

後、「肯定的に回答した人の割合」が、いつの間にか、「ある性格特性の強さ」という量に変換されている、とか。

結局、「差」とか「比率」とか、同じ文脈であっても、その中で同じ語が複数回出てくれば、意味が全く違っているのかな、と思います。

投稿: TAKESAN | 2007年11月 6日 (火) 13:42

で、それを基にすると、ABO FAN氏的には、

平均に小さな差があれば、それは自動的に、大きな差の存在も認める事になる。

そして、心理学の研究で、統計的帰無仮説が棄却された。それは即ち、「差がある」という事である。※ABO FAN氏は、「関係がある」と「差がある」は、同じ意味だと主張。ここは、ABO FAN氏認定の「沈黙した」心理学者、即ち、「関係無い」と主張した心理学者への反論。

「差がある」という事は、「大きな差」を否定しない、という意味だ。※きくちさんや長谷川氏への反論。

こんな感じの思考をしているのではないか、という推測が出来ます。

投稿: TAKESAN | 2007年11月 6日 (火) 13:57

「小さな差」が、サンプルにおける肯定率の差であるとすれば、「大きな差」は、同じ対象については、絶対に言えない。

---

えっと、
 >「その母集団を代表している標本」ではあ
 >りません。
って言っちゃったんですが、どうすればいいんですか?

投稿: TAKESAN | 2007年11月14日 (水) 00:39

多分ABO FAN氏は、母集団を代表している標本、の意味が、解っておられないでしょう。

有意抽出では無いと言えるのか、という話なのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年11月14日 (水) 13:35

zororiさん&Watchtowerさんへのレスは、ある意味、「答え」だと思う。ちょっと凄すぎる。

投稿: TAKESAN | 2007年11月19日 (月) 00:17

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