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2007年10月18日 (木)

思考実験:血液型性格判断

血液型性格判断について、論理を単純化し、ある理想的な研究が可能だったと想定して、それから何が言えるのか、どう考えるべきか、というのを、書いてみたいと思います。

まず、いくつかの仮定。

  • 性格は、状況によらず、一貫していると考える。
  • 性格は、性格検査によって、適切に測定出来る、とする。
  • 性格は、4種の類型に分ける事が出来ると仮定する。それを仮に、タイプI・タイプII・タイプIII・タイプIVの4種類とする。それは、誰もが認め、科学的にも妥当な考えだと保証されている、と仮定する。
  • 人は、他人の性格を、行動のパターンから、適切に分類する事が出来る、とする。

次に、ある大規模な研究を仮想する。

  • 日本に居住するある程度(適当です)の年齢以上の人について、血液型の検査と、性格検査を施す。つまり、悉皆調査を行うと仮定する。
  • 調査対象の100%について、適切なデータが採れたとする。
  • そうすると、各血液型ごとの、性格類型の割合が判明する。

さて、この様な研究によってデータが得られたとして、

  • 割合に、どの程度の差があれば、「性格と血液型は関係する」、と言えるか。
  • また、割合にどの程度の差があれば、「血液型から性格を当てる事が出来る(と認識される)」という現象が、成立し得るか。

A型におけるタイプIが○○%だとした場合、他の血液型でどの程度の割合であれば、「関係する」と言えるか。仮に、完全に対応しているとすれば(たとえば、A型-タイプII 100%、B型-タイプIV 100%、O型-タイプI 100%、AB型-タイプIII 100%)、関係がある、と言える。血液型から性格を言い当てる事は、完全に出来る。←あくまで仮想なので。

そもそも、「関係する」、と、「血液型から性格が当てられる(逆も)」というのは、同じであるのか。違うとすれば、どう違うのか。どこに線を引くべきか。

ABO FAN氏が「関係ある」と言う場合、何を想定しているのか。少しでも割合に違いがあれば、関係がある、と看做すのか。そこの所が、非常に解りづらい。「強い関係・弱い関係」云々と発言する事はあるが、とても曖昧な言い方。少しでも違いがあれば「関係ある」と判断するとすれば、「関係無い」と言えるのは、ほとんど考えられない(ここら辺が、ABO FAN氏のロジックなんですかね。0で無ければ「ある」と言える、という類の。よく解りませんが)。

ここまで単純化すると、後は結構簡単な話かな…。

色々ごちゃごちゃ考えている事はあるけど、取り敢えずはここまで。

------------

と思ったけど、脳に残っている内に、ちょっとメモ。

血液型と性格、とするから、解りにくくなるのかな。

金・銀・銅・木で出来た箱があり、その中に、赤・緑・青・黄の玉が入っているとする。玉の合計は1300個。

それぞれの箱に入っている玉の割合は→金(520)・銀(390)・銅(260)・木(130) 箱には、4色の玉が混合されて入っている。

玉を渡されたとして、色を見て、それがどの箱から取られたものかを当てる。

それぞれの箱に、どういう割合で玉が入っていれば、「高い確率で玉の色から箱の種類を当てる」という現象が成立するか。ベイズの定理を使うのかな。

---

その割合を設定出来れば、血液型と性格がその様に分布している、という仮説が、「血液型性格判断」の仮説、と言えるのか。

後は、無作為に抽出したサンプルから、血液型ごとの性格の分布を推定して、あらかじめ設定した割合と著しくかけ離れていれば、血液型性格判断は反証された(いや、反証されてるんですけど)とし、適合していれば、「成り立っている」と結論する。

これが、「血液型から性格を言い当てる」という点を考慮した仮説構築とその検証、と言える…のか?

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コメント

ABO FAN氏に限って言えば、「血液型から性格を言い当てる」ほど強い関係はない、ってのが彼の主張みたいです。

「[血液型と性格]の新・常識!?&入門 (H11.8.22)」
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm
>血液型による性格の差は思ったより大きくなく、
>回答率の差にしてせいぜい10〜20%程度です。
>人間は、この程度の(小さな?)差でもグループ間の
>差として明確に意識できるようです。しかし、例外も
>かなり多いので、簡単に△型の人は○○の性格というこ
>とはできません。そして、性格は環境や状況によって
>変わるので、血液型による固定した傾向は案外ないの
>です(これはデータにもはっきり出ています)。

だから、彼がどうしてkikulogであれだけ頑張っているのか、ぼくにはわからなかったのですが、TAKESANさんのおっしゃるように
>少しでも割合に違いがあれば、関係がある、と看做す
という話なのだとすれば、わかる……かも(汗

あ、ちなみに、ABO FAN氏のサイトでは、このページに行くのは少し難しいかもしれません。トップページからのリンクが
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/intro.htm.org
になっているので。サイトマップからだと行けるんですが。

投稿: 亀@渋研X | 2007年10月18日 (木) 02:17

ABOFAN氏のその部分(10-20%という意味が不明だし、実際の差は観測にかからない程度のはずですが)は僕も読んでいて、だからこそ程度問題を訊いているのですが、発言が一貫していないと思いますね。
 
素直に読むなら「微細な差はあるが、血液型性格判断は成り立たない」という穏当な結論が出るべきなのだけど、それにしては首相の血液型だのなんだのと「差がある」という話にしたがる。
 
本人の内部でも一貫してないのだと思いますよ。

投稿: きくち | 2007年10月18日 (木) 09:02

>亀@渋研Xさん

そうですね。ABO FAN氏は、「関係がある」が、主張ですね。そしてそれは、「帰無仮説が棄却された」という意味である、と。一応、ここら辺は、kikulogでもはっきりと引き出せた主張ですね。
とすると、ほんの少しでも割合に違いがあれば、「差がある」、つまり「関係ある」と看做す、という事ですね。私は、そう解釈しています。
しかるに、一般的な意味で、そういうのを「関係がある」と言うかと考えると、それは無いだろうと思います。

で、それなのに、下にきくちさんも書いておられるように、首相の血液型云々とかも持ち出していて、意味が不明です。

---

私が考えているのは、ABO FAN氏は、多義的に用いられる「関係がある」という言い回しを、自身の持つ意味内容に合わせ、そこから「文脈を変える」というやり方をしているのではないか、という事です。普通、文脈から語の意味を推測する訳ですが、それを逆に行っているのではないかと。
もちろん、意図的か無意識かは、定かではありませんが。

------

きくちさん、今日は。

やはり、差がほんの少しでもあれば、「関係ある」と看做すのが、ABO FAN氏の主張でしょうね。基本的には。

であれば、本当は、すんなり話は進むはずなのですが、何故あのような、意味が解らないコメントを連発するのか。コンテクストを読み取る事が出来ないのかな…。仰るように、本人の中でも、一貫していないのかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年10月18日 (木) 12:18

整理。

ABO FAN氏は、

 ・心理学者は、「血液型と性格に関係は
  ”無い”」と主張していた。

 ・坂元論文によると、”差”が見られた。

 ・つまり、「関係が無い」という命題は
  否定された。

 ・という事は、「血液型を性格に関係は
  ”ある”」と言える。

 ・しかるに心理学者は、「関係が”無い”」
  と言っている。

 ・あるいは、坂元氏論文を突きつけると、
  「沈黙」した心理学者もいた。

こんな感じか。

投稿: TAKESAN | 2007年10月19日 (金) 12:54

ABOFAN氏の内部のロジックはそんな感じみたいですね。それでは「血液型性格判断」について何も証明していないのですが。
でも、僕のブログでの議論はそれを織り込み済みで、だからこそ「程度問題」について訊いてるわけです。その意味で、相変わらず出発点から一歩も動いていない

投稿: きくち | 2007年10月19日 (金) 13:27

きくちさん、今日は。

そうですね。まさに、一歩も動いていない、ですね。
ABO FAN氏の認識を読み取るのは、なかなか難儀です。最近、ようやっと、掴めてきた気がしますけれども。ある意味で一貫しているのかな、と感じています。

ABO FAN氏にしてみれば(私の解釈だと)、こちらが、「関係ある」事を認めなければ、程度問題に進む事は出来ない、という考えのようですね。ここが、非常に微妙な所です。これは、きくちさんや他の方々が「関係がある」と発言する、のを引き出そうとする戦術にも思えます。どのような意味で「関係がある」と言おうとも、それは直ちに、「ABO FAN氏が思う”関係がある”」の意味に変換され、ご自身のサイトで、ABO FAN氏は、何かしらの宣言をする事でしょうね(たとえば、「科学者が、”血液型と性格には関係がある”事を認めた」、といった具合に)。

投稿: TAKESAN | 2007年10月19日 (金) 14:35

箱と玉のアナロジーは、今一つ正確では無いので、他のを考えるかも。

投稿: TAKESAN | 2007年10月19日 (金) 14:55

僕は「坂元データは微妙なステレオタイプの存在を示唆している」と言ってますけどね。ただし、「それを過去まで延ばすと能見説が否定される」と付け加えているので、ABOFAN氏としても扱いに困っているのでは

投稿: きくち | 2007年10月19日 (金) 17:55

 >ABOFAN氏としても扱いに困っているのでは

ある意味、それが望ましいですよね。自分の論に綻びが出ているのを認識出来る可能性がある、という事ですから、まだ、議論の余地があるという…。

------

全数調査が出来て、割合にほんの少しでも差が出れば、「関係ある」と結論するのか、というのをABO FANさんに訊けば、どうなるだろう…。それの返事がYESであれば、主張(「関係がある」の意味)が、よりはっきりするかなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月19日 (金) 19:42

こんばんは。玉についてですが。
心にとっての(ある種の)インプットx、アウトプットRを考えます。ついでに閾値cというのも。これらはふつうは測れないものとします。
図を描いてみます。方眼紙で、水平方向にx、上に向かってRをとります。ここに右上がりの直線を引きます。この線は反応直線と呼ぶとしますか。R=cを通る水平な線Cも引きましょう。

「あなたは几帳面ですか?」と聞かれた時、この心の反応直線の上を動く人は、xに応じた心の反応Rをするのですが、(はい-いいえ)でしか答えをだせません。Rがcよりも上にあるときに「はい」と答え、下で「いいえ」と答えます。

今度は複数の人を考えます。さっきの人はたまたま平均的な反応をする人で、他の人のとるRはどのxでも反応直線を中心にして上下にずれることがあるとしましょう(ばらつきの決まった正規分布をとるとします)。平均的な人が「はい」と答えるx=x_h というようなところでも、一部の人たちはcよりも下にいて「いいえ」と答えるでしょう。

ここでもう一枚グラフを書いてみていただきたいのですが、xを充分左の方(ほとんど誰もが「いいえ」と答える)から、「はい」と答える人をすべて加えながら大きくしていった時、最後にxが充分に大きくなってほとんど誰もが「はい」と答えるまで、xに応じた「全体のうち「はい」と答える人の割合」はどう変化するでしょうか。

ひとつの質問の集計結果(%)がA型とO型でどんなに大きく違っても、「違った」としか言えませんよね。A型とO型で反応直線の傾きが違う、とか、日本人の反応直線は皆共通であるとしてxやcの設定が違う、とかいう話に持ち込むとするなら、もう1次元情報を増やす必要があるのではないでしょうか。
話が長くてすみませんでした。

投稿: ちがやまる | 2007年10月19日 (金) 21:13

全数調査なら、必ず差が出ますよね。どんな小さな差でもいいのだとしたら、ですが。
どう答えるか知りたいですね。

投稿: きくち | 2007年10月19日 (金) 21:33

ちがやまるさん、今晩は。

現在、精読中であります(ちがやまるさんのコメントは、なかなかに難解なのです…)。

私のたとえ話へのレス、なのですよね?

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>きくちさん

恐らく、仮に全数調査で微細な差が出たとして、それをABO FAN氏は、「関係ある」と看做すのではないかと思います。それが、ABO FAN氏の論の、一つの核なのだと考えています。

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 00:00

私の投稿ですが。
下から2番目のパラグラフで描いてみるグラフは、「xごとの「はい」と答える人の割合」とすべきでした。ここで混乱させてしまっていたなら、大変申し訳ありません。

何がいいたかったか、というと、割合の数字(のしかも差)だけに注目するABO FAN氏のやりかたはまずい、という事です。伊勢田氏のおかしいじゃないかという指摘に、大ざっぱな説明だ、とごまかしていましたが、おそらくどう考えたらいいか解らなかったのでしょう。

腹囲と空腹時血糖、の話なら対象者のデータを散布図にしてみれば関連とその強さまで見えます。これに対応する事を上の話でやろうとすると、(実際には測れないとした)xに対して「はい=1」「いいえ=0」をプロットしたものを描くことになるのではないでしょうか(点が重なって関連が読み取りにくい図です)。その上、集計値として出されているものは、ある(幅をもった)xについて、「はい」と答えた人の割合を示しているにすぎないわけですよね。ですから、集計値をながめるだけでは関連は見えてこない、と言いたかったわけです。

関連に話を持ち込むなら、測れないxをうきぼりにするくふうをする、とか対策を考えなければならないと思いますが、血液-性格にはもとよりそんな事ができるほどの実体がないのですよね。

投稿: ちがやまる | 2007年10月20日 (土) 00:23

↑後ろの方で、「関連は見えてこない」「関連に話を持ち込むなら」というのはどちらも、「関連の「強さ」」の事を言うなら、という話です。関連があるといえるかどうか、に限るなら、それこそカイ2乗検定などで測ることができますよね。どうも表現がまぎらわしくてすみません。

投稿: ちがやまる | 2007年10月20日 (土) 02:13

すみません、グラフに関しては、私では、理解は無理でした…(各変数がどういうものなのかが…)。

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いきなり話ははずれますが。

血液型と性格の連関、という話と、「血液型性格判断」は、ABO FAN氏は、区別出来ていないと思います。「性格判断」の場合、まず、「性格を当てる」事が出来なければならないのですよね(そして、当てるという現象が成り立つ程、性格というものが、はっきりと観察出来なければならない)。でないと、血液型とマッチしているかどうかなんて、言いようが無い。そもそも、ニセ科学とされているのは、後者であるのですよね。

------

また、ずれます(既に、ちがやまるさんへのレスでは無いです)。

「メカニズム」の話がありますね。これは(血液型と性格の関係についての議論においては)普通、生物学的機構を指すと思います。
で、私自身は、たとえば、ステレオタイプによって差が云々、という話があった場合、それも、ある「メカニズム」による現象である、と認識します。
なので、社会心理学的メカニズムと生物学的メカニズムがあって、血液型-性格連関の議論の場合に「メカニズム」と言った際、それは専ら、生物学的メカニズムを指す、という事を意識させるべきである、と考えています。

解っている人にとっては当然の事なのですが、社会科学的な論理に馴染んでいる人が、ちょっと戸惑う場合もあるかも知れない、という印象を持った事があるので。

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 02:14

おはようございます。またご迷惑をかけてしまいましたか。
イメージとしては、質問に「はい/いいえ」で答えるとか、ある商品を「買う/買わない」を決めるとかいう時、心に温度計(ある温度以上になったら「買う」を示すような)をがあってそれが決めている、という感じです。

というわけで話ははずれますが、kikulogの「血液型と性格」はABO FANさんへの対応もさることながら、「血液型-性格」は根拠のないところに壮大な空想をくりひろげてみせている、という点で「陰謀論」のようなものだ、という事を示しておくことも必要でしょうね(もうどこかにはすでに書かれているんでしょうけれども)。

投稿: ちがやまる | 2007年10月20日 (土) 08:01

連続書き込みすみません。温度がxで、温度計の読みがRです。温度xは、目の前の物を食べるかどうか、という問題でいうなら「食欲」でしょう。

ここからたぶん話がはずれると思いますが、温度計の話はあくまでも「仮想」ではありますが、メカニスムを想像して(できるなら想像が的中することを願って)います。20年以上前の生理学の本には「体重は「体重レセプター」というものがあってそのフィードバックを受けているかのように調節される」と書いてありました。当時は体重の増減は血糖の調節とか満腹-空腹中枢などさまざまなしくみが全体として「レセプター」があるかのようにふるまっている、と解釈していたのでしょう。その後まもなくレプチンという蛋白が見つかって脂肪細胞が脳に情報を送っていた、ということがわかり、「おお、レセプターってあったじゃん。」となりました(全体から見ればメカニスムのごく一部なわけですが)。で、仮想的なメカニスムは単にその場をこじつけて終わらすためのものではなく、本来は具体的なメカニスムを念頭に置いているものなわけですよね。

その具体的なメカニスムは、グルコース搬送体のリン酸化、みたいなレベルから、「グラビアやアニメを参照して設定された身体観」や「太ったオヤジを貫禄と見る文化」などに食欲(摂食中枢)が影響を受ける、というレベルまで及ぶわけで、途中で線をひいてどこまでが生物学的というわけにはいかないように思います。

投稿: ちがやまる | 2007年10月20日 (土) 10:09

ちがやまるさん、今日は。

xが、温度の様な連続量である、という事なら、よく解ります。
最初、ちがやまるさんの仰るグラフを紙に書いてみて、横軸の変数がどういう概念なのか、判然としなかったのでした。反応直線を描く、という事は、横軸は連続変数である、というのを示していると思われたのですが、「インプット」という所が、何を指しているのかな、と。どうしても、入力は、「書かれている質問」という視覚的な刺激だと解釈してしまうので…(反応が、はい/いいえ を答える行動)。心理物理学における刺激-感覚グラフも思い浮かべました。

で、一応、昨日読んだ際の私の解釈を述べてみます。

「”はい”と答える閾値は同じでも、各個人によって、反応曲線は異なっている。という事は、たとえ異なる内的状態であっても、行動の結果の解釈として、同じ状態として扱われる(つまり、回答が同じになり、一まとめにされる)ので、工夫して、性格をちゃんと測れる尺度を追求するなりしなければならない」

という感じだったのですが、どうでしょうか。昨日の時点では、全然読めてないかな、と思って、書かなかったのですが…。私としては、入力-反応のグラフにばらつきがある、と言うより、グラフは普遍で、個人によって閾値に違いがある、とした方が、解りやすいと思いました。
…やっぱり、全然読めて無いかも。

---

確かに、陰謀論に似た構造を持っているのかも知れませんね。

---

まず、作業仮説を置いて、それを実証するのが大切である、という事ですよね。
で、性格については、また難しいですよね。そもそもが実体では無い構成概念で、心理尺度を用いて測定するしか無いものですから、それを実体のメカニズムに還元するのは、大変困難な事なのだと思います。

ところで、もちろん私は、社会科学的メカニズムと生物学的メカニズムを峻別出来る、と考えている訳では無く、あくまで、実体として観測出来る現象によるメカニズムと、社会的認知等によるステレオタイプの形成の論理は、取り敢えず両方メカニズムと呼べるから、そこは区別しておいた方がいいかな、という程度の主張ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 13:51

こんにちは。
あの暑さが嘘のように今はすっかり秋。津村さんの件以来ご無沙汰していますがお元気でいらっしゃいましたか。
あの後も拝見していました。
論理について興味深いエントリーがいくつもあり、書こうと思いながらも、つい政治に振り回されそっちの記事ばかり書いていました(^^;
安倍さんの次が福田さん。
目が離せません。

さて、そんな中、今日は血液型ハラスメントを記事にしました。(と言うかTAKESAN さんに刺激されて)その中でブログの紹介をさせていただいたので突然ですがトラックバックをお送りいたしました。宜しくお願いいたします。
では、これからも宜しくお願いいたします。

投稿: せとともこ | 2007年10月20日 (土) 17:28

せとともこさん、今日は。

あ、丁度今、そちらにコメントしようとしていた所でした。
こちらに書きますね。

------

ご紹介、ありがとうございます。なんだか面映いですが(笑)

私自身は、相手の血液型によって付き合い方をガラリと変える、という人には出会った事はありませんけれど、血液型性格判断を信用していて、行動の観察から、やっぱりあの人は○○型だ、と言っている人は、いました。

ネタとして扱って遊ぶという事との線引きをどうするか、というのは、結構考えてしまいます。就職試験の採否の判断材料にするとかは論外ですが、たとえば、酒飲みの場でどこまでネタにして良いか、というのは、なかなか難しいです。

------

津村さんの件の際には、冷静で真摯なご意見を頂けて、大変ありがとうございました。

ここ数日で、大分冷え込んできました。私は寒い方が好きなので、結構嬉しかったりします。

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 17:46

いい雰囲気のところにお邪魔します。(すみません。)
刺激-反応(感覚)関係を思い浮かべていただけたのでしたら、ふたりのイメージは違っていないだろうと思います。ここではシンプルに反応「直線」を考えている、ということです。

あくまでも、性格を測るのに用意された質問へ「はい/いいえ」で答えている、という枠組みの中の話をしていたのですが、その質問への応答特性を示すこのグラフが何らかの性格特性発現の生理プロセスを反映する、と想像することは許されるでしょう。
とりあえず、この枠組みで考えるとしたらどこを押さえておかなければならないか、どんな情報が必要かは見えてくるのではないかと思います。

TAKESANさんの「入力-反応のグラフにばらつきがある、と言うより、グラフは普遍で、個人によって閾値に違いがある、とした方が、解りやすいと思いました。」は、最終的にはそれでいいと思います。今の時点で、具体的にどう考えなければならない、というしばりはないでしょうから。ただし、私のはじめの書き込み(次ので追加修正させていただきました)では、ある集団で(実際には測れない)xに応じて何%の人が「はい」と答えるか、というグラフ(そこでx=x_a の場合など)が実際の集計に対応しているだろう、その場合偶然のばらつきがどこに影響しているか、という所を見ていただきたかったので、この「特殊な質問応答装置」を検討する場合にはとりあえず閾値一定として考えてみてください。

血液型の違いがこのような質問応答装置のどこに影響しているか、という事になると、異なった応答特性を引き出す質問をたくさん並べてプロフィルを比較する、ということになるでしょうか。
実際にはそんな質問は存在しそうにない、ということなのですが。

投稿: ちがやまる | 2007年10月20日 (土) 18:33

▽▽▽引用▽▽▽
血液型の違いがこのような質問応答装置のどこに影響しているか、という事になると、異なった応答特性を引き出す質問をたくさん並べてプロフィルを比較する、ということになるでしょうか。
△△引用終了△△
具体的な所を論じていくと、物凄く複雑な研究になるのでしょうね。性格概念そのものや、心理測定尺度のデザインに関する議論にもなってきますね。
なかなか難しいです。

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 22:54

性格の自己評定と、性格に対するステレオタイプが一致する、というのを、何故あそこまで信じているのでしょうね。

 ・性格と血液型が連関している事を信じてい
  る人が70~80%いる。(この推定は妥当な
  のか?)

 ・各血液型にどのような性格が対応するか
  を、認識している。(まず、血液型性格
  判断を信じている人は、その具体的な内
  容を知っているのか。また、それは、同
  じような内容なのか)

 ・従って、性格の自己評定をさせると、血液
  型-性格ステレオタイプと一致する。何故
  なら、自己評定を行った個人は、ある血液
  型を持った人間の集合に含まれる要素だか
  らである。(ここがおかしいんだけど)

こんな感じ? よく解りませんけど。

投稿: TAKESAN | 2007年10月21日 (日) 13:26

メモです。纏まり無いですが、ご容赦を。

ABO FAN氏的三段論法

 ・A型の人は几帳面だろう。

 ・自分はA型である。

 ・よって、自分は几帳面だろう。

…む。ABO FAN氏が言う所の、「ステレオタイプがあれば」というのは即ち、上の論法が多くの人々に成り立つような差があれば、という事か?

とすると、「サンプルデータに顕著に差が出る程のステレオタイプがあれば」、サンプルデータに差が出るはずだ、と言っているのか? これはトートロジーか。

そもそも、仮に、社会的にステレオタイプがある程度形成されていようとも、抽出したデータに差が出るとは限らない(程度の問題であるから)、という話なのだよね。と言うか、サンプルデータから、より大きな集団の傾向を探ろうとしている訳で。

…ふう。「逆回し開け」を解読しているかのような感じだ。しかも、(多分)釣りじゃ無いかならあ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月21日 (日) 13:54

メモ。

「差」というのは、全体(取り敢えず、日本人)における、「”自分は几帳面だ”と答えたA型の人の割合」と、「”自分は几帳面だ”と答えた、それぞれの血液型における割合」の差なのか?

で、その「差」は、サンプルサイズを大きくすれば、検出される、と。

当たり前ですよね、そんなの。差が「全く」無い事自体、考えるのが困難なのだから。

昨日の27:00頃にkikulogに入れたコメントは、ここら辺の疑問を念頭に置いて書いています。初めは、サンプルに必ず差が出ると言っているの? なんて思ったもので(上のコメント参照)。

でも、母集団においてほんの僅かでも差がある、というのを言っているとするならば、それなりに一貫している気もする訳です。

で、ステレオタイプが形成されていれば「原理的に必ず差が出る」は、明らかに過言ですね。主張が強すぎる。「自分は几帳面だと”答えない”A型の人」が存在すれば、その論理は破綻するから。

うーん、はずれてるかな。

投稿: TAKESAN | 2007年10月22日 (月) 11:23

TAKESAN,みなさん、こんにちは。

また素朴な疑問ですが、自然科学の統計から帰納的に求めるというのは、こういうのでよいのでしょうか。既出でしたらすみません。算数教育をやりながら、統計はあまり得意ではないので、お恥ずかしいのですが。

性格を4つに区切る必要もなく、例えば、「几帳面」という気質?について、A型ではほとんど認められ、その他ではほとんど認められなかった場合に初めて、A型と「几帳面」とが関係あるといえるのではないでしょうか。
たとえA型が60%、B型が40%で明らかに差があったとしても、B型でもその気質が出ている以上、血液型が影響したとは言えないように思います。
喩えが正確はわかりませんが、Aという病原菌をマウスに注入したあと60%が発症して、Bという病原菌をマウスに注入した後40%が発症したと言う場合は、A,Bそれぞれが関係あると言うより、別の要因もあると考えるように思います。
つまり、いろいろな気質について、明らかにその血液型にしか見られないものがあって、さらにその血液型のほとんどに見られるものがあってはじめて関係あると言えるのではないでしょうか。
しかも、それは日本でなくて、ジンバブエでもモンゴルでも、フィンランドでも、ブルネイでもどこでも同じ結果が出る必要もあるように思います。
ABOFAN氏の議論を読む気力もないので、素人みたいな疑問ですが、どうでしょうか。

投稿: ドラゴン | 2007年10月22日 (月) 17:18

ドラゴンさん、今晩は。

まず、「関係ある」という概念をどう解釈するか、というのが、重要だと思われます。

つまり、生理的な機序の中で、重要な役割を占めている事を意味するのか、それとも、皆が「○型は△型だ」と「思い込んでいる」から、そのステレオタイプに当てはまる様に、性格が形成されているのも、「関係がある」と言うか。

いずれにしても、血液型と性格に強い連関があるならば、全体において、「大きな差」が出るはずなのですよね。で、それが出ていないから、強く関係しているとは言えないだろう、と。

もし、日本人全体から無作為にサンプルを採ってきて、そのデータを統計的に解析してみたら、どうやら物凄く大きな差があるようだ、という結果が出れば、そして、時間的(経年の影響を受けない)・空間的(どの場所でも同じ様な結果になる)条件による違いが見られず、そのような結果が出るのであれば、初めて、メカニズム云々の研究が、意味を持ってくるのだと思います。

結局の所、割合に大きな差があって、それが、性格判断出来るほどであったとして、それを「関係がある」と言うか、というのは、別の問題なのですね。

▽▽▽引用▽▽▽
たとえA型が60%、B型が40%で明らかに差があったとしても、B型でもその気質が出ている以上、血液型が影響したとは言えないように思います。
△△引用終了△△
うーん、生物の様な、超複雑なシステムの場合、そこまで割り切る事は出来ないんじゃないかな、と思います。たとえば、煙草と肺癌の関係とか、タミフルと異常行動との関係に纏わる議論なんかを思い浮かべると、いかに難しい話であるかが、解ります。こういうのは、疫学とかが関わってくるのでしょうね。「因果関係」とは何か、とか。

ただ、言えるのは、「血液型性格判断」は、そこまで行くほどのものでも無かった、という事では無いのでしょうか。結構簡単な話で否定出来る、と。
だからこそ、きくちさんは、この話題を「練習問題」として位置づけておられるのであろうと、私は理解しています。

投稿: TAKESAN | 2007年10月22日 (月) 18:37

こんばんは。
ドラゴンさんのような場合に大抵まずやってみるのが、「几帳面である、と答えた事と、A型ないしB型である事に関連があるか」という検討です。

几帳面か
はい | いいえ |
----+------+
a | b |A型
-+-+----血液型 
c | d |B型
-+-- 

こんな感じの集計表を作って、枠内に人数を入れます(箱がどうしてもくずれるようですので、想像で補ってください)。もしも几帳面とA/Bに関連が無かったら、全体のA型B型の割合(たとえばA型の割合は(a+b)/(a+b+c+d))と几帳面の割合(「はい」の割合なら(a+c)/(a+b+c+d))から、それぞれの人数が予想できるはずです(A型で「はい」なら、(a+b)(a+c)/(a+b+c+d))。実際に観察されている人数(たとえばA型で「はい」ならa人)が偶然で説明できない位予想からはずれてゆがんでいたなら、几帳面とA/Bに関連が認められた(無いとはいえなかった)といおう、ということになります。

病原菌の場合は、途中で考えられるすべてをブラックボックスに入れて、「注射をした」と「動物の生死」だけの関連を検討することになります。その他の条件は統制してあるという前提での話であることはもちろんですが。

投稿: ちがやまる | 2007年10月22日 (月) 20:26

動物の生死じゃなくて、「発症」でしたね。
「発症までの時間」を比べるような場合もあります。

投稿: ちがやまる | 2007年10月22日 (月) 20:36

TAKESAN、ちがやまるさん

早速、有り難うございます。
おっしゃることは分かりますが、なんというか、何かしっくりこないものがあるんです。
社会科学、教育でも統計調査はよくあります。キャリア教育で進路決定の要因とか、授業場面で指導法の効果測定とか。
こういうのの分析は、解釈が重要ですね。そこが研究者の力量だったりもします。違うだろ、って思うものもあります。朝ご飯と学力とかですね。

自然科学でも、こうした関係は、同様に考えていいんですか?もっと明確な尺度がありそうな気がしたんです。自然科学の方法をよく知らないための誤解かもしれませんが。

投稿: ドラゴン | 2007年10月22日 (月) 22:07

自然科学、と一口で言っても、色々な分野がありますよね。それぞれで、統計解析の方法は、様々な用いられ方をしているものと思います。
具体的にどう扱われているかは、私は明るく無いので、不用意な事は言えませんけれども。

どうでしょう。統計というのはあくまでも、数学的に解析してどうだったか、という事しか言えないのであって、それによって得られた情報をどう解釈するか、というのは、実質科学的問題であり、それまで蓄積されてきた知識体系とどう整合、または矛盾するか、という所とも照らして考えていく、と、私は考えていますけれども。

後、理論科学と実験科学でも、違いがあるのかも知れませんね。

------

ちがやまるさん、今晩は。

ちがやまるさんにコメント頂けるのは、大変ありがたいです。ご教示、感謝します。

投稿: TAKESAN | 2007年10月22日 (月) 23:33

「あわてものの誤り」と「ぼんやりものの誤り」だと、憶えやすいですよね。

αwatemonoの誤り

βonyarimonoの誤り

これって、誰が初めに言ったんでしょうね。いつの間にか伝わっていた、って感じなのかな。

投稿: TAKESAN | 2007年10月23日 (火) 02:36

kikulogへのコメントの補足。

まず、「何における」差であるかを、明らかにする。

そこで、母集団における差である、という発言が引き出せた場合に、「どのような」差であると考えているかが、重要となる。

つまり、「程度問題」をABO FAN氏がどのように認識しているか、というのを、ABO FAN氏自らに語らせようという意図。

スルーされたら意味無いですけど。

投稿: TAKESAN | 2007年10月23日 (火) 02:44

おはようございます。
ドラゴンさんのお話にもどると私が言えることもTAKESANさんと同じです。問題の構造が同じなら使われる統計的方法は共通といえるでしょう。
ひとつの結果をどう解釈するか、もさることながら、研究は、より本質的なより効果的な(影響力の大きな)課題(仮説)を探し出して検証に向かう、という「知識体系を作る」活動の一ステップである、と考えたらいいのではないでしょうか。

kikulogではせっかくのTAKESANさんの質問も、新手のおとしどころの見えない書き込み群にうもれてしまいそうですね。

投稿: ちがやまる | 2007年10月23日 (火) 10:52

ちょっと対処に困っています

投稿: きくち | 2007年10月23日 (火) 11:32

ちがやまるさん、今日は。

▽▽▽引用▽▽▽
研究は、より本質的なより効果的な(影響力の大きな)課題(仮説)を探し出して検証に向かう、という「知識体系を作る」活動の一ステップである
△△引用終了△△
解りやすいですね。私もそう考えています。

---

認知心理学なんかもそうだと思うのですが、まず、仮説を構築し、そこから演繹的に導かれた命題をテストし、仮説が反証・もしくは確証される訳ですよね。仮説は、既知の神経生理的構造を踏まえた上で構築されると思いますが、詳細なメカニズムは、必ずしも明らかで無くとも良い(情報処理メカニズムを仮定する)。で、研究によって得られたデータを解析し、テスト命題の真偽を判断するのが、統計的方法なのですよね。もちろん、研究のテーマによって、他にも色々あるものと思われますけれども。

---

 >新手のおとしどころの見えない書き込み群

全く主張が判然としないですよね…。いや、根本の認識自体は解るような気もしますが。

------

きくちさん、今日は。

そうですね…。なんだか、凄く拘りが見えるコメントですね。結局、何が仰りたいのかなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月23日 (火) 13:14

きくちさんが必死に火消ししてるのが痛々しいです。
「ニセ科学批判者」を貶めるための新たな刺客か?

投稿: Noe | 2007年10月23日 (火) 16:37

TAKESAN、ちがやまるさん

有り難うございます。
了解しました。

新手については、なんなんでしょうね。
よけい参加しづらいですね。

投稿: ドラゴン | 2007年10月23日 (火) 18:38

うーん。単に、自身の主張を知って貰いたい、という感じなのかなあ。
議論の流れとか、話されているテーマを押さえておいた方がいいんじゃないか、と思うんですけどね。
後、語の用法が、今一つ判然としませんよね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月23日 (火) 18:48

上のコメントは、Noeさん宛てです。

------

ドラゴンさん、今晩は。

話題自体は、エントリーと関わっている事ですし、議論のテーマとして構わないのかも知れないですが(私が云々する事でも無いけど…)、なんというか、あの熱のこもり方に(熱がこもっているから、では無いです)、読んでいる側としては、え、と思ってしまいます。今一つ、解りにくいですし。

投稿: TAKESAN | 2007年10月23日 (火) 18:58

TAKESANさん

「新たな刺客」は、新規のギャラリー(そんな人いるんだろうか?)から見た場合、お二方を比較すると、「肯定派も否定派もどっちもどっちじゃん」と思われそうな気がして書いてみました。

投稿: Noe | 2007年10月24日 (水) 08:29

Noeさん、今日は。

あ、それはありそうですね。

でも、「どっちもどっち」と認識出来るほどの理解力があれば、問題を正しく捉えられているという事で、刺客としては見ないかな、という気も(笑)
ほとんど関連知識を持たない新規の読者の場合は、もう、まるでどうなっているかワカラン、となるくらい、カオスな状況ですしねえ。私達は、慣れてしまってるのでしょうけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年10月24日 (水) 12:54

「新たな刺客」さん(^^;; については、登場前後の日にひょいと覗きに来た読者には、どう評価したらいいかわからなかったかもしれませんね。いまはきくちコメントや,その他の方のコメントのおかげで「なにか違うベクトル(信念とか願望とか)で語っている人」ということは誰が見ても明確になっていると思います。

もっとも、後から来たにしてもあのコメント欄を頭から順に読もうとするような人にとっては、彼だけに集中して考える必然はない(ほかの膨大なコメントの一部に過ぎない)わけで、登場当時から「なんだこりゃ」だったでしょう。少なくとも「どっちもどっち」とは見えなかったに違いありません。
ぼくらはずっと読んでいるから、あれがクローズアップされて目に入るわけで(^^;;

でも、ちょっとだけ教訓を残してくれていますよね。「信念のみを根拠にしてなにかを批判するのは危うい(ことがある)」。もちろん「推奨」でも同じなわけですが。

投稿: 亀@渋研X | 2007年10月24日 (水) 16:31

 >「信念のみを根拠にしてなにかを批判する
 >のは危うい(ことがある)」。
そうなんですよね。「まず信念」があるように見えて、読んでいて、凄く違和感を覚えたのでした。
もしかすると、「信念が、研究方法に対する姿勢に影響する」、というのを仰りたいのかな、とも思ったのですが、どうもそうでは無かったみたいで、結局何が仰りたかったのだろうな、と。

---

実際、予備知識が少ない人が、何となくググったりした結果、あのエントリーに辿りついたとして、すぐに閉じる気がします…。あのエントリーと、ドライヤーエントリーは、明らかに、中級者(←適当)以上向けの内容ですしね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月24日 (水) 17:19

こんばんは。

私は、あの方の発言を読んでいて「善意のビリーバー」という言葉が頭をよぎりました。まさしく「信念」のみが先頭に立っているわけです。しかしながら、もし「最終的な結論さえ妥当ならば過程は問題にしない」というのであれば、水伝などの考え方と大同小異になってしまいます。

動機には賛成できるだけに、対応に困りますね。

投稿: PseuDoctor | 2007年10月24日 (水) 22:14

信念を前面に出し過ぎていて、その信念に合う様に物事を解釈してしまわないだろうか、というのは、自分自身の認識をチェックする際にも、常に考えている事ですね。やはり、「こうであって欲しい」というのは、誰しも思うでしょうから。

たとえば、「差が無いと信じる」というのは、科学的な態度ではありませんしね。
※「信じる」の意味内容にもよるけれど…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月25日 (木) 00:18

しっかし。

「出典」て言葉が好きな方だなあ。

---

今回の一連のコメントで、私が出した質問について(後の方。まだ、直接レスは貰ってません)、全部YESなのだと判断して良いだろうと思います。

即ち、
性格の自己評定はステレオタイプに従ってなされているから、母集団において差が出て、それが心理学的研究によって採られたデータにも必ず反映される。心理学者のデータに差が出ないならば、それは、統計解析(データの採り方含む)がまずかったからだ。
という感じでしょうか。

と言う事は、
有意差が出た時には、それが母集団における差を反映していると考え、出なかった場合には、研究が間違っていた、と判断する。
のでしょう。

――っと、丁度、レスがついた。

さて、次は何を訊きましょう…。

――kikulog読者の皆さんにとっては、何を幼稚な事を訊いているのだ、と思われそうですな。でもですね。まず何を考えているかをちゃんと引き出さないと、と思う訳ですよ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月25日 (木) 00:58

そうそう、私の方略は。

 ABO FAN氏のコメントを引用して、そこにレ
 スをつけ、それ以外の余計な事は書かない。

です。
そうすると、「出典は?」と返されにくいのですね。つまり、出典は、ABO FAN氏のコメントそのものです。

投稿: TAKESAN | 2007年10月25日 (木) 01:00

こんばんは。
自分の言っていることが、多くの人に伝わっていないと認識してきたのは、多少の進歩かなという感想を持ちました。
でも、相当に酷い思考回路の持ち主ですね。

投稿: corvo | 2007年10月25日 (木) 02:56

>――kikulog読者の皆さんにとっては、何を幼稚な事を訊い
>ているのだ、と思われそうですな。


幼稚なことを、などと思っている人はいないか、いるとしてもごく少ないと思います。なんとなれば、それなりの数の方が

>まず何を考えているかをちゃんと引き出さないと、と思う訳ですよ。

と考えて投稿をされているように見受けられるので。

ぼくもときどき「それはどういう意味? ひょっとするとこういう意味?」などと問いただしたい衝動に駆られますが、枝葉を増やすだけのことしかできそうにないので自粛しております。
そういう身からすると、Jさん、伊勢田さん、TAKESANさんの投稿が問題点を的確に取り出しておいでなので感心しております。

投稿: 亀@渋研X | 2007年10月25日 (木) 07:57

corvoさん、お早うございます。

基本的にはループでありながら、ほんの少しずつ、進んではいるかな、という感じですね。あまりにも歩みが遅いので、なかなか疲れますけれど。
ABO FAN氏が「何をどう考えているか」が、もう少しで、ある程度明らかになる気がします。それが出来れば、具体的な批判が可能になりますね。

------

亀@渋研Xさん、お早うございます。

ABO FAN氏にショットガン論法を用いられない様に、なるだけ短く質問を書くように、気を遣っています。で、超シンプルで、極めて基本的な事も問おうとしています。そこが、見方によっては、幼稚に見られるだろうな、と思っています。
結局、ABO FAN氏は幼稚な段階に留まっているのではないか、という事も含ませてあるのですね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月25日 (木) 11:35

こんばんは。

久し振りに向こうに書き込みました。ご覧頂けばお解りのように、心理学にも統計学にも全く触れていません(笑)。それ以前の段階にも問題が多々あるという点を示したかったので。

TAKESANさんの発言が幼稚などとは全く思いません。むしろ、物凄く考えられた結果として、シンプルな問いになっているというのが伝わってきます。どうしても饒舌になってしまう私などから見れば、感心するばかりです。

しかし、TAKESANさんの質問に対するコメント・・・
1)必ず差が出るはず
2)差が出れば証明された
3)差が出なければエラーである
見事に「反証不可能性」を形成していますね。

投稿: PseuDoctor | 2007年10月25日 (木) 22:59

ABO FAN氏に答えが頂けたみたいで、今kikulogを読んで、レスを書く所です。
結構、しっかり答えて下さっていますよね。ありがたいです。

さて、次はどういう質問を…。イメージは出来てますが、ちょっと練らないと。でも、矛盾がシンプルなかたちで示されているので、指摘は結構簡単だったり。これは成果なのかな。

 >久し振りに向こうに書き込みました。

poohさんの所のコメントを読んでも思ったのですが、PseuDoctorさんの練りに練られた文は、凄いですね。あれほど、明快かつ的確に表現するのは、芸当ですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月25日 (木) 23:30

予定。

もし、ABO FAN氏が、「母集団に差がある」事を認めたら、「標本に差が出るのは母集団に差があるからだ」、という意味かを問います。

そうすると、ABO FAN氏の、「血液型と性格に関係がある」という言明が、母集団に対する言及である事が、明らかになります。

そこで、次の段階として。
「母集団で」どのような差があれば、「血液型と性格には関係がある」という(ABO FAN氏的)命題が成立するか、というのを訊ねます。
それで、やっと明らかになる……はず?

投稿: TAKESAN | 2007年10月26日 (金) 00:04

ジョブズ・ファンさんの主張は、ある意味シンプルですよね。

要するに、「血液型性格判断は、差別の道具以外に利用法が無い」、という事でしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月26日 (金) 00:06

みなさんのおかげで急激に話が進んでいる気がします。あれは僕にはできない。
 
僕はちょっとジョブズ・ファン氏の正義感に消耗気味です。言いたいことはわかるんですけど。

投稿: きくち | 2007年10月26日 (金) 09:03

TAKESANさん。
きくちさん。
おはようございます。


ジョブズ・ファン氏の正義感?
正義感はともかくとして、きくちさんのブログに関しては、私は若干、責任を感じています。
Wikipediaから引用した極端な例を言質にとって、
いつまでも「差別、差別」と書かれているので、
恐縮しています、、、
なんだか私が引っ張ってきたみたいで、ごめんなさい。(ファン氏は、しかも、私の本当に言いたい事なんて一つも理解してくださらないのに、、、)
なんというのか、ジョブズ・ファンさんもそうですが、あの手の主張する方は『一点突破、全面展開」の節があります。
主張のある部分は正しいのですが、「おいおい、それだけじゃないだろう。世の中って」と言うところが考えつかないのですよね。
『差別」の問題なんて、一面で語る事なんてできないのに。

と、言う事できくちさん。すみません。
本当はきくちさんのブログに書こうかと思ったのですがTAKESANさんちは癒し系でホツとするので、TAKESANさんに甘えました。

そうそう、
先日のエントリー「スイソク」にはつい笑ってしまいました。

では、、、またね。

投稿: せとともこ | 2007年10月26日 (金) 10:27

きくちさん、今日は。

進んでいますね。やっとの事で、という感じです…。

再び、母集団を想定していない、というコメントが出てきたので、ここについてどうしようかと思案中です。どうやら、物理科学の法則のごとき論理を、血液型云々に関して、見出しておられる様ですので…。
もうちょっとで見えそうです。

 >ジョブズ・ファン氏

そうですね…。実は、前回のコメント群で終わりかな、と思っていました。何と言うか、「言いたい事は解る」という部分があるので、うーん、となってしまうのですよね。

------

せとともこさん、今日は。

ジョブズ・ファンさんの主張については、全く別の場面で、また、言い方がちょっと異なれば、それは一つのトピックとして、興味深いものになったのだと思います。

 >癒し系

たまに、殺伐としますけれど(笑)

スイソクの通りには、進みませんでしたね…。もうちょっとで、色々解ってきそうなのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年10月26日 (金) 13:00

メモ

ABO FAN氏は、血液型と性格の関係について、物理科学の法則の様な関係が成り立っている、と主張する。

しかるに、その主張の根拠となる「原理」が、まるで判然としない。

ABO FAN氏は、「データ」に差が出ると言っている。これは即ち、たとえば、物理学等で、一般化された法則から演繹された予測と実験結果が一致する、という様な事となぞらえているのだろう。

という事は。

検定しようがしまいが、「差が出る」と主張している、という事だ。母集団を想定していないという発言は、ここから来ているのだろう。

結局、比率の差とか、そういう部分を、全く考えていない可能性がある。※ここが最も重要かも。ここら辺が、色々交錯していて、解きほぐしにくい。

やっぱり、「手紙」の頃から、一貫している。

さて、どうしましょ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月26日 (金) 13:19

こんばんは

「科学的に説明する技術」
福澤 一吉 著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797341238

最近こんな本が出ました。買って読んで見ましたが、なかなか良かったです。
ターゲットは中学生以上ぐらいでしょうか?
 
ABOFANさんに読んでもらいたいですね。

投稿: FREE | 2007年10月26日 (金) 21:59

実は最初にスティーブ・ジョブズとか松田優作とかいうふうに名前を「詐称」(ですよね)されてしまうと、そのあとどれほどまともなことを言われても、文字通りには受け取れないんですよね。
そういうのって重要だと思う。
あれが松田U作とか「すてーぶ・じょぶす」とだったら、僕の対応も全然違うんですけど。
 
もしご当人がここを読んでたら、そういうことですから。

投稿: きくち | 2007年10月26日 (金) 23:03

FREEさん、今晩は。

お、なんか、面白そうな本ですね。読んでみようかな。

 >ABOFANさんに読んでもらいたいですね。

ABO FAN氏には、是非、物事を解りやすく説明する努力を…。

------

>きくちさん

そうですよね。なんでしょうね、初めの「態度」と言うか。
優作・ファン氏も、まあ、あの流れでああいうHNに替えるというのは、どう思われるのかを解っていて、敢えてやったのでしょうね。印象はよろしく無いです。「おちょくり」に見えなくも無い。

でもあれですね。”いわゆる「有名人」”だと、そういう印象ですよね(存命の人は論外)。あれが「アインシュタイン」とか、「ヘーゲル」とかだったら、セーフかなあ。よく解りませんけど。

投稿: TAKESAN | 2007年10月27日 (土) 00:28

ABO FAN氏のコメントを読んで眩暈を覚えているのは、私だけでは無いはず。

以下、メモ

やはり、ABO FAN氏は、実験科学における仮説演繹法の様なモデルを、想定しているのかな。即ち、

仮説:血液型と性格に関係がある。

仮説が妥当であれば、データに差が出る。

データに差が出た。

よって、血液型と性格には関係がある。

……書いていて、頭が痛くなってくる。仮説の構造が全く明らかになっていない。で、関係があるとはどういう意味かと問うと、差がある事だ、と答えたりする。
この論理だと、一度でも帰無仮説が棄却されれば、関係があると言える。その意味で、ABO FAN氏の発言は、一貫している。でも、むちゃくちゃなんだよなあ。帰無仮説が棄却出来なければ、それはデータが駄目だ、とか言うんだから…。

なかなか、道のりは遠そうであります。母集団とか標本調査の話になれば、進みそうなんですけど…。ABO FAN氏の論理は、性格の論理構造の全容が解明されないと、絶対に成り立たないんですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月27日 (土) 01:18

あのアナロジー(万有引力云々)は、どう考えてもおかしいと思うんだけど、これ以上脳を使うとオーバーヒートしそうなので、今日はここまで。

投稿: TAKESAN | 2007年10月27日 (土) 01:35

亀@渋研Xさんの所に書こうとしたけど、説明が不正確だといけないので、こちらに。メモとして。

○○○ここから○○○
「統計学的に有意」というのは、「確率的に滅多に起こらない事(偶然とは言えない事)」、という意味だったかと思います。5%・1%が一般的ですね。検定なんかだと、「差が無い」事を仮定して、差が無かったと考えた場合、(端折りあり)実際に採られたデータはどれくらいの確率で得られるのだろうか、というのを計算して、最初に決めた水準(5%とか1%とか)より低ければ、「こんなに低い確率という事は、差が無いという仮定を捨てた方がいいかな」、と結論する訳ですね。それ(確率が小さい事)が、有意という事ですね。
○○○ここまで○○○

------

不正確な所があれば、ご指摘頂ければ…。
ところで、「有意差」という語は、Wikipediaによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%84%8F
▽▽▽引用▽▽▽
帰無仮説を「二つの母数に差がない」という形にした場合には、帰無仮説が棄却されることを「2つの母数には有意差がある」と言う。
△△引用終了△△
との事です。これは要するに、たとえば、帰無仮説:μ=30 を検定する、などで帰無仮説を棄却した場合には、「有意差がある」とは言わない、という事なんですかね?

投稿: TAKESAN | 2007年10月30日 (火) 03:57

ウィキペディアで引用箇所を確認しただけですが、2群間の(たとえば)平均値を比較する場合を挙げて言葉の使用例を示しただけでしょう。1群の平均値を特定の数値と比較する場合も同じ話として理解できると思います。t検定でしたら平均値の推定分散値が変わるだけだと思います。

投稿: ちがやまる | 2007年10月30日 (火) 08:04

ちがやまるさん、今日は。

ありがとうございます。
手元にあるものでは確認出来なかったので、ちょっと書いてみました。

投稿: TAKESAN | 2007年10月30日 (火) 12:19

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