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2007年10月16日 (火)

メモ:下肢の使い方

武術では、「足を使わない」動きが良い動きだ、と言われる事がある。

これは、端的に言うと、足首関節の底屈を主には用いない、もしくは、先行させない運動。

半身で立ってみる。そのまま、「足裏を地に着けたまま」、足底の前側で、地面を押す(つまり、足首を底側に回転させる)。当然、普通に足首を曲げれば、踵が浮く。しかし、足裏を着けたままという条件があるので、他の部分の筋肉を収縮させて、見かけ上は運動していない様にする必要がある。そうすると、下腿の辺りに充実感を覚える(筋感覚等が基になっているのだろう)。それを、「力(←武術的に肯定的な意味での)が充実している」、と捉える場合がある。ある知覚に、好ましい意味付けを行う訳である。

しかるに、その運動は、ただ姿勢を維持するためには、エネルギーを無駄遣いしているし、何より、本来他の目的に用いられるべき筋肉を、「余計な事に使っている」という意味で、力学的にも不合理である。

「下肢を動かすには、まず足首を底屈させる」、という運動は、無意識のレベルまで刻み込まれているスキーマであると考えられる。尤も、それを確認するには、実証研究が必要であるが(体育学等で、なされているかも知れない)。

骨盤から下の解剖学的構造を考えてみると、身体を移動させるために、まず足首を動かすのが不合理である事は、すぐに解る。四つんばいになってみて、手で地面を押して身体を浮かせようとしてみれば、解りやすい。肩を上げて上腕を回転させるのを先行させるのが良いのは、当たり前と思うはず。

だが、下肢の場合、なかなかそうはいかない。理由は何故だろう。常に接地しているからだろうか、手は細かい作業を行うので、上肢帯は、どんな人でも、ある程度は自由に動くのだろう(個人差は大きいが)。それが、下肢の適切(より合理的)な運動を気付かせない(思い出させないと言った方が良いか)のかも知れない。当然、社会的な理由、即ち、「教育」の効果も考えられる。つまり、歩く時は足で地面を蹴って進みましょうと教えられれば、それを学習する、という事である。

下肢の場合も、上肢と同じく、「根元から」動かすべき。そのためには、足首の運動を先行させずに(固めるという意味では絶対無い。これ重要。「足を使わない」というのを忠実に守ろうとして、ギチギチに固める場合が見られる)、大腿部を先行させる。

足首の運動を先行させないためには、あまり重心を前に置くべきでは無い。前に出過ぎると前方に倒れるから、強めに足首で地面を押して、倒れない様に修正しなければならない。だから、もっと後ろに重心を置き、足首を微細にコントロールし、倒れない様にする(ほうきを逆さにして、柄に掌を当ててバランスをとる遊びがあるが、それをイメージすると、解りやすい)姿勢を、デフォルトにするべきである。そうすると、「グッと足で地面を押している感じ」が無くなり、重心がゆらゆらしているさまを味わえる様になる。これが古来、「浮身(これは、全身の”感じ”に着目)」や「足を使わない(下肢に着目)」等と呼ばれた身法なのであろう。

即ち、「体幹主導系(被制御体幹系)」(高岡英夫による)の運動。体幹部の大きな筋肉を先行して用い、四肢はそれに従って動かす。手をつかわない、足を使わない、という類の教えは、この構造を身に着けさせるものだろう。

さて、大腿を先行させる、と先述したが、これを考える際、注意しなければならない事がある。

それは、「腿を上げる」積極的な意思を持って行うと、却って良くない運動になる場合がある、という所である。

大腿を挙上させる筋肉は、深部にある腸腰筋や、太腿(こっちは「ふともも」と読んで下さい)の表面にある大腿四頭筋であるが、腿を上げろと指示されてそれを行う場合、後者が積極的に使われる場合がある。大腿直筋は、二つの関節をまたがっているから、股関節の屈曲(挙上)と共に、膝関節も伸展させる。これを、最小限に抑えなければならない(下腿は自由に動いた方が、より精密な運動が出来る。力学的な問題もあるだろう)。だから、ただ単に太腿を上げて、腸腰筋を使うようにする、というトレーニングを見かける事があるが、あれは、「使えるようにする」という点においては、あまり好ましく無い。たとえば、太腿の表面に触れながら、そこが硬くならない様に注意しながらゆっくり腿を上げる、等の配慮が必要だろう。

また、大腿四頭筋をゆるめ、足首を柔らかく使うために重心を後ろにすると、腿の裏側が使える様になる。ほとんどの人は、前側に重心があり、前に倒れるのを防ぐために、足首の底屈や膝関節の伸展を使っているが、上手く身体を使えている人は、逆に、後ろに倒れるのを、股関節の伸展(大腿骨を、後方に回転)によって防ぎ、身体を支えている。「出来る」人は、普段何気無く立っている時も、腿の裏が張っているはずである。

この様にして、身体の中心が使えてきて、末端を微細にコントロール出来るようになってくると、独特の「感じ」が出てくる。古来、武術を修めた人は、この「感じ」を、何とか言語化しようとしたのであろう。それが、「浮身」であったし、「無足」である。「抜き足」や「差し足」も、その一種なのかも知れない。

参考文献:

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