ダメな正当化
ニセ科学の議論でも陰謀論の議論でも、よく出てくる話ですが、「自分を、世間に認められない悲劇の存在」と看做し、高名な科学者等に準える場合がありますよね。
よく引き合いに出されるのが、コペルニクスとかガリレイとか、ウェゲナーとか。
批判を「攻撃」と看做し、それが多くなるにつれて、「理不尽に攻撃されている自己」を、ガリレイの糾弾に重ね合わせたりする訳ですね。
たとえば、ちょっとダメになってしまった私が、次の様な主張を行ったとしましょう。
「掌にある皺の総ての長さの合計は、知能と高い相関関係がある。知能には、太陽から降り注ぐニャントロ光線を受け取る量が密接に関わっており、掌の皺は、ニャントロ光線を吸収する重要な部分なのである。」
この様な主張を唱えれば、ただちに、「何を言っているのだ」、「小学生からやり直せ」、「ムーの読み過ぎだ」、「はいはいわろすわろす」、等の罵倒の雨が、降り注ぐ事でしょう。もちろん、奇特で誠実な人間であれば、その主張のおかしさを、丁寧に指摘し、自覚を促す事でしょう。
しかし、ちょっとダメになってしまった私は、その様な批判を受けて、次の様に訴えるに違いありません。
「私の説に罵詈雑言を浴びせる批判者達は、新たな科学的原理を認めようとしない、愚かな存在である。その様な存在ばかりであるのは、悲劇的である。しかしながら、かつてガリレイがそうであった様に、私の説は、今後の科学的実証研究によって、必ずや、科学的真理の地位を獲得するであろう。その時に、批判者とその追随者達は、激しい悔恨の情に見舞われるに違い無い。」
ここで私は、既存の科学的理論等、全く意に介していない訳です。あるのはただ、持説に対する強い確信、理不尽に自分を糾弾する攻撃者に対する嫌悪、等の感情。そして、自分が真理を掴んだという強い自信。その真理を掴んだのが自分のみであるという、肥大した自尊心です。
まあ、そうなってしまうと、周りが見えなくなってしまうのでしょうね。他人の言う事など聞かないのです。自分が死んでから証明されるかも知れない、とか考えていれば、安心して死ねる訳ですし。
そこには、謙虚さのかけらもありませんね。他者の批判に耳を傾ける事も出来なくなってしまう。説得は難しいのでしょう。
なかなか悩ましい話です。
| 固定リンク
「社会論」カテゴリの記事
- メタスパイラル(2011.12.14)
- すさまじい(2011.12.09)
- ひとまずまとめ――患者調査において、「宮城県の一部地域及び福島県の全域について調査を行わない」事について(2011.12.06)
- 資料――患者調査において、「宮城県の一部地域及び福島県の全域について調査を行わない」事について(2011.12.03)
- 歪んだ正当化(2011.12.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こんばんは。
こういう話って、「芸術」にも置き換える事ができるなあと、最近思っています。
ついつい悲観的な立場を美化しがちになるのですよね。
投稿: corvo | 2007年10月29日 (月) 02:17
corvoさん、今晩は。
自分が優れていると思いたい、というのは、誰しも考える事なんですよね。それをどこまで相対化出来るか、自分を客観的に(他の人間との比較で)評価出来るか、というのが、大切なのだと思います。
まあ、自分は天才だ、と思った事がある人間の、「経験者語る」、というやつです(笑)
投稿: TAKESAN | 2007年10月29日 (月) 03:02
例外をどう捉えるかですね。
ちょっと違いますが、青色発光ダイオードの中村修二さんが一時期「常識はずれのことをしなくてはだめだ」と盛んに言っていました。今も言ってるのかな。
「常識はずれのことをすれば大発見ができる」というのと「常識はずれのことをしたら大発見ができた」というのとはずいぶん違っていて、中村さんは後者なのに、あたかも前者のように言っていたわけです。
実際には「常識はずれのこと」のほとんどすべては失敗に終わり、例外的に大成功があるのですね。だから、同じくらい「常識はずれ」の事例をたくさん集めてみれば、実は死屍累々のはずなんです。
同様に、コペルニクスやウェゲナーは例外なんですねえ
投稿: きくち | 2007年10月30日 (火) 13:20
きくちさん、今日は。
常識に囚われない発想というのは、常識を押さえた上で、他の人の意見等を参照にした上で、初めて生きてくるのですよね。
常識に云々という所だけクローズアップしてしまい、表面だけなぞると、それを正当化の手段としてだけ用いてしまって、先行研究や、今までに積み重ねられてきた科学的知識の集積を無視したりする、という。
ニャントロ光線クラスの話を大真面目に主張する人は、いるのですよね。で、批判されたら、自身を偉人に準えて、防御する。ガードナーが、疑似科学を主張する人の傾向として挙げたものもありましたね。
ここら辺は、心理学的な問題なのでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年10月30日 (火) 13:37
あれですよね。
きくちさんが仰る、
>「常識はずれのことをすれば大発見がで
>きる」
と思い込むと、「常識を押さえなくても良いのだ」、ってなっちゃうんですよねえ。勉強しない事、常識に耳を傾けない事を正当化する理由、としてしまう。
投稿: TAKESAN | 2007年10月30日 (火) 13:48
美術においても、きちんと過去の美術史を理解しておかないと、傑作ができた!と思っても、すでに存在しているコンセプトだったなんてことは多々あるわけです。
逆に、凄いオリジナルだと思っていたものが、その根っこをたどっていくと、きちんと筋道を通っていたりするものです。
そのあたりのことが、一般的に凄く誤解されているように、いつも感じています。
投稿: corvo | 2007年10月31日 (水) 09:53
corvoさん、今日は。
その意味で、押さえておく、というのは、大変重要ですね。
前にも書いた事があるのですが、たとえば、アリストテレスの体系の様なものを独自に作ったとして、それを現代に発表したとすれば、やはりそれは、認められる事は無いのですよね。発想力は豊かであるにしても。
投稿: TAKESAN | 2007年10月31日 (水) 12:56
こちらでは初めまして、
武術や芸道の「守破離」ではないですけど、先人の残したものを極めないと新たな創造は困難ですよね。
科学論ではクーンが伝統を忠実に極めた者こそが伝統を革新するという事態を「本質的緊張」と呼んでいますね。クーンの分析ではコペルニクスは正にそのケースなんですよ。
だから、既存の理論をろくに知らない人が、自分をコペルニクスに喩えるのは、かなり滑稽な事だと思います。
投稿: katsuya | 2007年10月31日 (水) 19:58
katsuyaさん、今晩は。
そうですね。守を怠って、いきなり破から先に行く、と言うか。
私がよく書く事ですが、自分が考えた程度のものは、他に考える人がいたに違い無い、と認識すべきなんですよね。
「常識とは異なる事を考えた」という共通点だけで、自らを偉人に準えるのは、いかにもダメですね。
投稿: TAKESAN | 2007年10月31日 (水) 20:32
こんにちは、皆さん。
最近、人と話をしていて、「嫌なニュースばかりだね」というので、「珍しいことがニュースになる」という常識にたてば、まあ、「嫌なことが珍しいレベルにある」ということではないかなんて話をしました。
なんとなく自信を失いそうにはなるけど、全ての事務次官が接待漬けであることが当たり前だったり、全ての食品の賞味消費期限が偽られるのが当たり前だったりするなら、ああいうニュースはニュースとしての価値を失うのではないか、なんて考えてみたりしています。
ニセ科学に関しては「学会で認められなかった間違った話」とか「素人だからプロなら手を出さないことに手を出して間違った」とかいうのは、あまりに当たり前のこととして、科学史上のエピソードにも何もなりはしないわけです。そういう当たり前の事が有る中で「学会でなかなか認められなかった正しい理論」とか「素人だからプロがやらないことをやって発見した現象」なんてものが、ほんのわずかにあるので、「これは珍しい、面白い話だ」と科学史上のエピソードとして残る訳ですね。
なんとなく、こういう「珍しいことがニュースになり、エピソードとして残る」という常識が忘れられている気もするわけです。
投稿: 技術開発者 | 2007年11月 2日 (金) 08:22
技術開発者さん、今日は。
なるほど、解りやすいです。
突出した人の周りには、無数の、取るに足らない「非常識」を大真面目に唱えた人が、いる訳ですよね。だから、常識はずれの事を言うというだけでは、(良い意味で)突出する十分条件とはならない。
で、一部の人は、「突出」した方に、自分を入れたいのでしょうね。平凡に終わるよりは、歴史に名を刻みたいのかも知れません。
それが、他人から見れば滑稽な態度であったとしても。
投稿: TAKESAN | 2007年11月 2日 (金) 12:51
こんにちは。あちらを遠慮してこちらへ。
>「自分を、世間に認められない悲劇の存在」
これに関連していそうなので。
いや、n_ohsakiさんの不安なお気持ちだけは大変良く分かるのです。
私もある日突然体調不良になり、憂鬱な日々を過ごした時期がありましたもので。
当初、化学物質過敏症を疑いましたが色々なサイトを見て比較した結果、
「信憑性は薄そうだし、これが原因では無いな」と判断しました。
現在も体調は万全では無いものの、精神的には落ち着きを取り戻しています。
もし、専門家の意見を取り入れず自分の直感を優先していたら、今頃はTAKESANさんのお世話になっていたかも。
「新説?」のコメント欄にn_ohsakiさんが登場なされた時、「これは長引くな。」と思いました。
お気持ちだけは分かるので。
投稿: TAKA | 2007年11月 4日 (日) 21:22
TAKAさん、今晩は。
直感とは、とても強力なのだと思います。他人の言う事が耳に入らなくなるほどに。
私がここに書く、「ダメな」認識の例というのは、ほとんど全て、自分が持っていた認識でもあります。
自分が正しいと思うためには、耳を塞ぎ、目を閉じるのが、一番ですから…。
そういうのは、自分でも何回もやってきた事です。だから、そのような思考がどう問題かを、なるだけ丁寧に書いて説明しよう、と心がけています。なかなか難しいですが。
投稿: TAKESAN | 2007年11月 4日 (日) 23:35