投力下げ止まり?
ここ10年は下げ止まり=短距離と投力「低下なし」-小中高生の体力・文科省調査(時事通信) - Yahoo!ニュース
思うに。
短距離走は、他の競技等に共通する運動なので、妥当なのかも知れないけれど、投力(ソフトボール投げ)を、一般的な体力を測る指標とするのは、どうなんでしょうね。※体力低下というのは、事実なのでしょうが、それをどう評価するか、というのは、また別の問題。
物を投げるというのは、習わなければ上達しないスキルですから、社会的状況(世間に野球が浸透しているかとか、そういう話)に左右されそうな気もします。ソースは失念しましたが、野球がほとんど普及していない所では、物を投げる際、男女ともに、いわゆる「女投げ」(この表現はどうかとも思うけれど)なんですよね。で、短期的な訓練によって、改善されるらしいです。
だから、投げる能力の様な、文化的要因が大きく関わりそうなスキルを、「体力」の要素と考えるのは妥当なのか、という疑問が出てくる訳です。まあ、ぶっちゃけると、「物を投げる能力が要るか?」とか、「江戸時代の人間は、投力は高かったのか?」とか。
こんな事書くと、体力テストは無意味だと思ってるのか、とか、そう言われそうですが、もちろん、そんな事はありませんです。そう思っている人は、結構いそうではありますが。
これらは、体力科学をあまり勉強していない素人の、素朴な疑問であります。的外れな点もあろうかと思いますが、こういった疑問を持つ人はいそうなので、書いてみました。
ところで。
現在の若者の体力低下をもって、脳機能一般へ論理を展開し、現代人の脳機能そのものが衰えている、とする論者もいますね。人によっては、現代の「キレる」若者と結び付けたり。それって、一般化が過ぎますよね。飛躍です。
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コメント
こんにちは。
それは思いますね。
ボールを投げる、などは端的に現れると思いますけど、短距離走などでもやはり技術に左右される部分はあると思います(素人の場合、陸上競技の専門家のような人にちょっとフォームを矯正してもらうと、大分、タイムが短縮できたりしますし)。そういう意味では、体力と技術、双方が試される試験じゃないか、と思いますね。
純粋に身体能力…と言う意味でいうと、握力であるとか、背筋力であるとか、そういうものになってしまう気がします。
勿論、そのような技術を身に着けているのか? というのを調べるのもちゃんと意味のあることだと思いますし、あった方が便利な部分もあると思います。
ただ、体力の低下がそのまま悪といえるのかどうか、という問題も含めて(日常生活に支障を来すレベルで体力がないのは拙いですが、皆が皆、スポーツ選手のような体力を保持している必要はないですからね)、ただ低下だからダメ、みたいな話をするのはおかしいでしょうね。
投稿: たこやき | 2007年10月 8日 (月) 16:06
たこやきさん、今日は。
パフォーマンスは、体力・スキル・メンタル・知識の掛け合わせですから、体力テストという場においても、メンタルの部分が、必ず関わってくるのですよね。まあ、端的に言ってしまうと、「こんなんやってられるか」、と多くの人が思えば、平均は下がる訳で。ホリスティックに考えると、そうなるのかな、と。
私がよく書く事ですが、専門的概念と世間での使われ方にずれが出るのは、考慮しなければならないかな、と感じます。専門的には、「体力」と一口に言っても、それには下位概念がありますしね。世間的には、「体力」といえば、エネルギー的体力を指すのではないかと感じます。
もちろん、体力テストをデザインし、調査する人達は、専門家集団である訳ですから、ここら辺の論理は、当たり前に考えられている事と思います。ただ、それによって得られた情報をどう解釈するか、また、メディアがどういうかたちで報じるか、という所は、熟考の必要があるでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 17:13