« たとえ話 | トップページ | エピデミック »

2007年10月20日 (土)

生き死に

Interdisciplinary: スイッチは余り関係無いんじゃ?のコメントに投稿しようと思ったけど、長くなったので、エントリー上げます。軽くガラが悪いです。

掘り出しニュース:中学生の2割「死んでも生き返る」 - 毎日jp(毎日新聞)

この調査については、別の所に書いた気もするけど、どこか忘れたので(もしかしたら、全然違う話かも。似たようなのが多いので)、ここへ。

なんか、本になったそうで。

2割って、めちゃくちゃ少ないよね。(調査対象の)8割の人が、人間は死んでも生き返らないと考えているのが、ある意味脅威的だ。

▽ゲームを毎日3時間以上する小学校低学年児童は「死んでも生き返る」と答える割合が多い

勘弁してよ。なんでいきなり、こんな話が出るの? どう見ても、印象誘導じゃないか。
ゲームに全く興味の無い人にも聞きたいけど、こういうのって、おかしいと思いません? だって、「だからどうした」、としか言いようが無い話じゃないですか。

復活とか輪廻とか、死=自我の消滅とか、そういうのって、そんな簡単に、どっちが良い、とかいう問題じゃ無いだろうに。そもそも、皆が思ってる「生き返る」って、全部おんなじ意味なの?

こういった調査からは、一般論は引き出しにくいと思う。どういう属性の人はこういう傾向がある、という類のね。で、そんな調査の対象の内部で見られたデータにおける傾向の話をしてどうするの、という感じです。大体、ゲームを3時間やる人は、全体の何割なんだろうね。で、その中の何割が、死んでも生き返る、と答えたのかな。

仮に、一般的に、ゲームをやる時間が長い人は、生き返りを信じている、という傾向があったとして、それをどう解釈するかは、また別問題。

東京大名誉教授で解剖学者の養老孟司さんが「命の大切さを実感させるには、死んだ人を見せればよい。『理解』するのではなく『実感』させることに意味がある」などと説いた提言も盛り込まれている。

そんな単純な問題か? いや、死を身近に感じさせるのが重要という意見には、特に反対はしないんだけど。まあ、抜粋された文なので、このくらいで。

あ、ふと思いついたけど。
「命の大切さを実感する」事と、「生き返りを信じる/信じない」って、関係あるのかな。そもそも、「命の大切さを実感する」とは、どういう意味?

死生観ってのは、単に科学の問題では無く、様々な、思想的・宗教的なものが、関わっているはずで、それは、とても複雑な事だ。調査を行うのは意味が無い、なんて言わないけど、やるんなら、しっかりやるべきだよね。

こんな書き方をしていると、「もし、しっかりとした研究がなされていても、難癖をつけるに違いない」、と思われそうですが、そんな事は、全くありませんので。ただ、ゲームという「メディア」の影響というものは、コンテンツを考慮しなければ論じられないので、少なくとも、ゲームはこうだ、という、時間的に普遍な、固定した影響を言う事は、不可能です。メディアそのものの特性の影響力を論じないのであれば。そこら辺が、化学物質の生体に与える影響等の現象との違い、なんでしょうけれど。

|

« たとえ話 | トップページ | エピデミック »

「文化論」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

私も中学生ぐらいのころは、生き返りを信じてました。でもそれは、いつかは自分も必ず死ぬという事実を認めたくないところから来てました。一般的にも、そういう心理状態の子は沢山いるんじゃないかと思います。

むしろ、中学生ぐらいの歳で、既に死を人生の終わりとして認識できている方が、ちょっと怖いです。中学生ぐらいの歳だと「どうせ死ぬんだから・・・」みたいな、暗い方向に行くのではないかと。

あと、自分が子供のころどうだったか思い出せないような歳のとり方は、マズイと思います。

投稿: A-WING | 2007年10月20日 (土) 10:53

A-WINGさん、今日は。

私自身、「もしかしたら生き返ったりするのかも知れない」、というのは、ちょっと正確には思い出せませんが、高校生くらいまでは、考えていた気がします。死の後には無があるだろう、という考え(これは、多くの人がそうだと思いますが、小学3年くらいの頃に、思いつきました)と共に、それを思いつめていたので、かなりきつい状態ですよね。元々、合理的に思考しようとする人間で、かつ無信仰ですから、結局、実在論かつ唯物論的な考えに至りましたけれど。

そもそも、本当に死を認識するというのは、結構凄い事なんですよね。死の先にある無を受け止めようとしなければならないから。時には、気が狂いそうになるほどの恐怖に、襲われますしね。そこら辺を解っていて、ああいうアンケートをやったのか、とか、ちょっと疑問です。また、ある信仰を持った人にとっては、輪廻や復活は、それこそ自明な事のはずで、そういう背景は考慮されているのかな、と。

 >あと、自分が子供のころどうだったか思い
 >出せないような歳のとり方は、マズイと思
 >います。
1000%同意です。

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 14:01

スラドの反応は面白いですな⇒http://slashdot.jp/articles/07/10/19/1041206.shtml

で、スラド経由で⇒http://momi.jwu.ac.jp/jidou/nakamura/kyouiku_9.html

▽▽▽引用▽▽▽
ここ数年の間に、これまでの考えでは到底理解できないような数多くの子どもによる残虐な事件が多発している。
△△引用終了△△
ここを見よう⇒http://kangaeru.s59.xrea.com/

http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51340930.html

投稿: TAKESAN | 2007年10月20日 (土) 15:33

こんな曖昧きわまる調査での2割を何故問題にするかと言えば、やはり「死生観が希薄になって犯罪が云々」と繋げたいんでしょうね。

どんだけ若い奴を馬鹿にしてんだよと。

投稿: 黒屋ぶるー | 2007年10月21日 (日) 23:15

黒屋ぶるーさん、今晩は。

そうなのでしょうね。信念があるのでしょう。直感に基づいているから、なかなか相対化しにくいんだと思います。

やはり、上のA-WINGさんのコメントの最後のパラグラフに、同意ですよね。自分が若い頃の認識とかを、もっと思い出した方がいいんじゃいないかなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月21日 (日) 23:28

こんばんは。
黒屋ぶるーさんの仰っているように「犯罪」に結びつけることが多いわけですが、こうなると2重の飛躍があるんですよね。

まず、この調査によって、「生死観が希薄である」とは言えるのか? と言う点。
ついで、「生死観の希薄さ」が「犯罪」に結びつくのか? と言う点。
スラドのコメントにもありましたけど、「死んでも生き返る」のでは「殺す意味が無い」ともいえるんですよね(笑) 殴るのでも蹴るのでもなく、殺す、のは、生死観がはっきりしていなければ出来ないと思います。
直感に基づいていなければ、逆にそういう結論に持っていけないだろう、と言う風に思います。

なぜか、記事で紹介されていた本は、近所の図書館にあるようなので、今度、借りてこようと思っています。
こんな本より、『ゲーム教育論』とか『シリアスゲーム』を入荷して欲しいのですがね…。

投稿: たこやき | 2007年10月22日 (月) 00:08

たこやきさん、今晩は。

死生観というのは、多義的であり、どの様な認識であれば良いとは、なかなか言えないものなのですよね。

たとえば、これも色々な所で指摘されていますけれど、「死んでも生き返る」という問いに回答(「はい」)した場合、それは、全部同じ意味を指すのか? また、たこやきさんも仰るように、死生観と行動が、実際どう結び付くのか、とか。
こういった調査の前提として、この設問にこう答えるのは問題である、というのがあるように思えます。

解りやすいのでしょうね。「死んだら生き返ると思っている」→「命を軽視している」→「殺人等を犯す」、というロジックは。

------

以下、余談。

私としては、人を殺す人間って、「人が死んでも生き返らない」と信じているから、やるんじゃないかな、と思ったり(特に、明確な動機がある場合)。
(たこやきさんのお書きの事と繋がりますね)
相手の命を未来永劫消滅させたい(←語義が矛盾)から、殺すんじゃないですかね。殺人に至る原因・動機も様々だし、「死んでしまった」場合もあるでしょうし。相撲部屋の事件なんて、明らかに、想像を絶する最悪の事態ですけれど、あれを、「仕方が無い」と認識する人間も、いるかも知れません。

そこで、「質が変わった」とか言う人もいますね。どうしても、差異を強調したいのかな。「今と昔は違う」と思い込みたい人が、いるのでしょうね。

なんか物騒な事書いてますが。

投稿: TAKESAN | 2007年10月22日 (月) 02:16


ちょっと、文が滅裂ってますけど、あんまり気にしないで下さい…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月22日 (月) 02:18

「生き返り」と「生まれ変わり」を混同している気が激しくします。(質問者も回答者も)

自分自身に関していえば、「死ぬ」の定義が「なにをしても生き返らない状態」です。
「生まれ変わり」に関しては、信仰としてはありかなとも思いますが、昨今の「オーラ」系の胡散臭さが鼻について、最近は信仰としても受け入れがたくなっています。

>TAKESANさん

「死んでも生き返る」と真剣に信じていたら、安易に殺人なんかできないですね。殺してもすぐに復讐されてしまう。

投稿: Noe | 2007年10月22日 (月) 11:17

Noeさん、今日は。

そうなんですよね。「死んでも生き返ると思うか」、という問いへの回答(5件法か?)ですから、「それぞれが持っている死生観」を、無理矢理分類しようとしているのでは、と思います。

たとえば、心臓が活動しなくなり、腐敗した遺体が蘇生する、と考えているのか、それとも、一回死んでも「生まれ変わる」とか、いつの時代にか復活する、と考えているのか。

少なくとも記事を読む限りでは、そういう所への配慮は見えてこないです。書かれている可能性はありますが(ここは、慎重に考える必要があります。たとえば、他の関連の質問もあるかも知れないし、自由記述もあったかも知れないですから)、いずれにしても、記事の紹介の仕方は、あまり妥当とは思えないですね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月22日 (月) 11:37

今、丁度、その記事で紹介されている本をめくっているんですが、細かいデータはなく、
「ゲームを長くやる子供ほど、死の普遍性に対する認識が低い」
とか、そういうのが箇条書きにされているだけですね。しかも、その直後に書かれた一文でずっこけましたよ。
「葬儀に出席したことのある子供、ない子供で「人はいつか死ぬと思いますか」と聞いたところ、出席ありは1413人中29人が、なしは368人中22人が「死なない」と答えた。これを統計的に分析すると葬儀経験のない子供の方が「死なない」と答える割合が多いのです」
…どう考えても、「統計的分析」とはいえません。ただの割り算をしただけですって(苦笑) しかも、この対象は小学校1~4年生なんですけど、同じ質問の年齢別割合ですと、「死なない」が6歳で60%弱、7歳で90%くらい、8歳、9歳でそこより微増…くらいなんです(細かい数値はありません)。と言うことは、「葬儀経験」じゃなくて、単に年齢との関係じゃないか? ともいえるんですよね(年齢が上がれば上がるほど、葬儀出席経験者の率は上がるに決まっていますから)。
明日、細かく検証しようと思いますが、かなり滅茶苦茶な予感ですね~(笑)

投稿: たこやき | 2007年10月27日 (土) 23:08

上の年齢別割合ですが、「死なない」ではなくて、「死ぬ」の間違いです。

投稿: たこやき | 2007年10月27日 (土) 23:09

▽▽▽引用▽▽▽
出席ありは1413人中29人が、なしは368人中22人が「死なない」と答えた。これを統計的に分析すると葬儀経験のない子供の方が「死なない」と答える割合が多いのです」
△△引用終了△△
これは…。「統計的に分析」かあ。
色々な意味で興味深そうな本ですね。今度、探してみようかな。

投稿: TAKESAN | 2007年10月28日 (日) 00:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/8515558

この記事へのトラックバック一覧です: 生き死に:

« たとえ話 | トップページ | エピデミック »