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2007年10月 3日 (水)

おかしな論法

倉庫の中に、リンゴとバナナとみかんと桃が、500個ずつ無造作に入れてあります。

そこから適当に、取りやすい所から、200個の果物を取り出し、ダンボールに詰めました。

中身は、

リンゴ:130 バナナ:40 みかん:10 桃:20

です。

で、そのダンボールを、知り合いにあげたとします。「これ、ウチの倉庫から持ってきたんだけど、あげるよ。」、とか言って。

すると、貰った人は、中身を見て、「へえ、リンゴが一杯入っているね。倉庫に沢山あったんだ。」、と言いました。

この人がいっている事は、おかしいですよね。

なので、指摘してあげました。

「いや、たまたまリンゴが多くなったんだよね。倉庫には、全部500個ずつあったんだけどねー。」

でも、こう反論してこられました。

「え、だって、倉庫に同じ数ずつあるんだったら、ダンボールに入ってるのが偏るって変じゃない?」と。

これっておかしいですよね。どう考えても。

------------

多分こんな感じ。具体的にはちょっと違いますけど。

細かい設定に突っ込まないように。

例:誰の倉庫よ。果物が200個入るダンボールってどうよ。八百屋かよ。倉庫に無造作に果物が入れてあるってどうよ。知り合いって、どういう関係よ。適当に取って知り合いにあげるって、どういう状況よ。

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血液型性格判断」カテゴリの記事

コメント

「こういう状況になるからには、こういう背景があるはずだ」という思い込みは、私もしばしばやらかします。なんというか「わかってるつもり」ってやつなんでしょうね。
これが原因でカアチャンとやり合うこともしばしばなんですが、単なる「そうではないかもしれない。別の可能性もある」なんていう程度の反論に対しては「蓋然性が低過ぎる」なんつて却下したくなってしまって、さらに険悪な空気が漂うことも。

極端なことを言うと、仮に「私の知る限り9割9分9厘がこれだ」ということだけでは足りなくて、「その場合にはこういう共通点があり、今回も同じ特徴が見られるので大変に確率が高い」ぐらいはないと「まず間違いないだろう」とまでは言えないし、それでも「このケースは残りの1厘でした」ということはあり得る。
文脈によって、その1厘は無視できるケースとできないケースがある、ってこともありそうですが。
いずれにしても、ヤバい論法であります(大汗

投稿: 亀@渋研X | 2007年10月 3日 (水) 01:35

確率・統計のセンスが、とても重要だと思います。
もちろん、ちゃんと勉強していなくても、そういうセンスを直感的に身に着けている人も、いるんですよね。何かおかしいなあ、と感じる、という。機会が状況に埋め込まれていて、知らず知らずの内に、そういうセンスが鍛えられるのでしょうね。

---

でも、こういうのって、自分が解ったとしても、他人に解って貰うのが一苦労だったりするんですよね。直感とは強固なもので。まず、直感がいかに当てにならないか、というのを解らせるべきなんでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 01:58

確率・統計のセンスかあ。統計とかがよくわかっていないので思うだけかもしれませんが、それだけでもないような気もします。こう、ハマりやすいパターンもある気がするんですよ。

「どういう状況になるにしても、きっと背景というか理由があるはずだ」というのは、まあ大筋で間違ってないと考えていいと思うのですが、「その背景や理由は自分が知っていて思い出せるアレなのではないか」→「アレであろう」→「アレに違いない」と自由落下的にストーンとすり替わって間違っちゃうことがあるんですよね。
「そのほかにもコレもあるしソレもある」ということを知らなかったり思い出せなかったりするというか。
「直感(考えなくても心当たりがパッと出てきたとき)」でもやらかしちゃいますが、「考えに考えてやっと思い当たったとき」にも「やった、ついに見つけた!」とか思ってやらかしやすいような気がする経験者であります。<だからそれがヤバいと

投稿: 亀@渋研X | 2007年10月 3日 (水) 02:23

亀@渋研Xさん、今日は。

私の考えは、確率・統計的センスというのが、直感的な思考で得られた認識の処理の仕方にも関係しているだろう、というものですね。
たとえば、ギャンブラーの錯誤、とか。あるいは、テレビで凶悪犯罪の報道を観て、「日本での凶悪犯罪は増えているのだ」、と結論する、とかですね。こういうのは、少し勉強した事があれば、回避出来るものですね。

で、仮に確率論・統計学の専門的知識を持っていたとしても、自分のよく知らない分野については誤った判断を下す、という事もあるのですよね。前にも書いたのですが、統計解析の本を書いている学者が、現在は犯罪が増加している、と判断している文章を、見た事があります。
あまり知らない事についてはそういうセンスが疎かになる、とか、思い入れがあるものについては、直感を優先してしまう、というのは、多いにあるでしょうね。

なので、そういうセンスを様々な対象に適用出来るセンスが必要、と言うか。

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kikulogの「血液型と性格」エントリーでのやり取りは、まさに、確率・統計のセンスが問われるんですよね。この場合、専門的な知識も要る、という事ですが。※私には全然足りませんけれど。

血液型性格判断は、本質的に統計の問題なのだと思いますが(性格概念そのものについての議論は置いとかないと、収拾がつかなくなるので)、意外とそこが認識されていない気がします。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 11:46

こんにちは。
給食のみそ汁の缶を思いうかべて下さい。上にねぎや油揚げが浮かんでいて、中間ほとんどはただの汁、底にはじゃがいもや肉が沈んでいる時。うまく分けるにはよそう時によくかきまぜるか、各層からあんばいよく取るかである。
こういうのは私は統計(学)の問題ではないと思っていて、kikulogに書かせてもらう時には、なんでも統計(学)につなげないでほしいという事を念頭に置いています。統計学が応用場面をひろげてきていることは勿論認めますが。

なんでそんな依怙地な奴になってしまっているかを書かせてください。以前、中学高校の先生も含むあるメイリングリスト(非会員でも中味が読めました)で目撃した話です。ある大学の物理学の先生が、結果の図をながめて仮説を考えている、という話をしかけた時に、別の大学の生物の先生(論文を書いたり学生の指導などのために必死で統計学の勉強をしている方)がそんなやり方じゃだめだ、と切って捨てるいい方をしました。私の考えでは、その生物の先生は自分の目の前の勉強のせいで、問題解決のどこにどのような戦略として統計学を使うか、というあたりを冷静に考えられなくなっていたのではないかと思いました。面子をつぶされた形になった物理学の先生はその後メイリングリストに姿を見せなくなりましたが、このちょっとしたやりとりが全国の中高の理科の先生達に与えたネガティブな影響を思って私は暗澹とした気持ちになりました。統計的方法はクリティカル=シンキングの過程のうち、どうしてもそれを使わなければならない部分に限って問題にするのがいいのではないでしょうか。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 3日 (水) 14:33

こんにちは。

こういう反論する方って、サイコロを6回振ったら必ず別の目が1回ずつ出るって思うんでしょうね。
それとも、こういう例えをしたら「それはない」って言われてしまうのかな。出目の確率はみんな同じなのに。

投稿: Noe | 2007年10月 3日 (水) 14:40

ちがやまるさん、今晩は。

えっと、すみません。ちょっと、仰る事が掴めないです…。

いや、一般論として、方法は適切な場面で用いるべきだ、というのはその通りだとは思うのですが…。

------

Noeさん、今晩は。

そうですね。結構気付きにくい事なのかも知れません。ギャンブラーの錯誤は、言われればなるほど、と思うけれど、言われなければ、おかしいとは考えないのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 17:50

みなさん、こんばんは。

統計については、小学校の学習指導要領でも弱い部分で、PISAの調査でもはっきりと弱さが出ていました。
ちょっと重いですが、次の問題の19ページに「盗難の問題」というのがあります。
http://www.ocec.ne.jp/linksyu/pisatimss/sugakuriterasi.pdf
グラフの読み取りの問題ですが、グラフ自体をよく理解していないと、問題点に気づきません。
こういう調査結果から、次の指導要領では、統計を強化しようという議論になっています。
ただ、ここでいう統計は、厳密な意味での統計学ではありません。
算数教育では、「素地」の指導というのがあります。ベースになるもの、という意味でしょうか。例えば、低学年でも「半分」ということは理解できますね。「半分」とか「半分の半分」とかを普段から学習に取り入れていれば、上の学年に行ったときに分数の理解が早く深くなります。
そんな意味での「統計の素地」というのに近いでしょうか。複雑なものをグラフにして整理してみるとか、いろいろな数値の関係を読み取るとか、そんな程度でしょう。
ちがやまるさんの言われるのもなんとなくわかるような気がします。朝ご飯推進の方々の相関関係の説明も、統計を無理に使っているような気がします。人をだますのに数を使うのも常套手段でしょう。
ただ、TAKESANの言われているのは、統計「学」というより、統計的な「素地」だろうと勝手に解釈します。数の裏側にあるものを読めるような力というか、感覚みたいなものを大切にしようということでしょうか。
Noeさんの言われるサイコロも、「公平に目が出るサイコロ」という前提が必要なんです。その前提をもとに確率が計算できるのです。でも子どもと実際に振ったら、やはり材質に偏りがあったりして、出やすい目があり、振れば振るほど偏りが出ることもあります。現実は、そうなんです。
だから、TAKESANの最初の問題も、反論する人は、「果物は公平に取られる」という現実から離れた前提をもとに考えてしまったということでしょうか。


投稿: ドラゴン | 2007年10月 3日 (水) 18:29

ドラゴンさん、今晩は。

「盗難の問題」については、安原さんが紹介されていて、私もその時やってみました。「読解力」の問題は、なかなか難しいです(笑)⇒http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016028633.html

▽▽▽引用▽▽▽
TAKESANの言われているのは、統計「学」というより、統計的な「素地」だろうと勝手に解釈します。数の裏側にあるものを読めるような力というか、感覚みたいなものを大切にしようということでしょうか。
△△引用終了△△
そうですね。もちろん、統計学そのもの、という事では無くて(峻別出来るものでは無いけれど)、たとえば社会調査であるとか、そういう所の「読み方」を鍛える、という、そういう事ですね。身近の現象に結び付けて学習していく、と言うか。で、その根底には、学問としての確率論や統計学の論理がある訳ですよね。私の言いたかったのは、そこら辺ですね。

サイコロを投げる…という話を考える時、最初に思ったのは、「そんなん、投げ方で変わるでしょ」、でした(笑)

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 19:13

あ、その「統計の素地」というものですね。できるだけ目的を具体的に描いて、そこに必要なものを挙げてみるような検討をお願いしたいように思います。それで、どうしても「統計」(私は推測統計学を思いうかべている事に今気付きました)でなければならないかどうか。たとえば「比」や「率」、「割合」というものをきちんと理解すればいいなら、「統計」を持ち出さなくてもいいと考えるわけです。
ドラゴンさんのおっしゃる「統計」は、「比」や「率」、「割合」の応用問題としての人口統計、産業統計みたいなもののことかもしれません。このへんのことばの混乱は私にはさばけません。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 3日 (水) 19:13

あ、ちがやまるさんと入れ違いに。

私が言っているのはもちろん、記述統計も推測統計も、両方ですね。

たとえば、凶悪犯罪が増えたとか少年犯罪が増えた、というのは、記述統計に近い方の話ですよね。実際の数がどうなっているか、という事実に関する問題である訳ですから。

で、その事実に反する信念を形成する(凶悪犯罪は増えていないのに、「増えている」と判断する)場合に働くのは、誤った一般化ですよね。少年犯罪の報道を多く見聞きする、とか、噂話で取り上げられる、とか、マスメディアがそのまま、「増えている」と言っているのを見聞きする、とか。そこで働く論理って、全く偏ったサンプルから母集団の性質を決め付けてしまう、というものと同質だと思います。だから、そういう信念を形成「しない」ためのセンスが、「統計」のセンスだ、と書いたのですね。

こういう主張をする際に「統計」という語を用いるのは、不適切でしょうか。私は、特に問題無いと考えているのですが…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 19:25

わたしは言葉遣いを問題にしているのではないつもりです。統計学を学ばないとしっかりしたものの考え方が身につきませんよ、というメッセージが発せられている場所に向かって、そこでは本当に必要なのでしょうか、という疑問を投げかけている、ということなのだと思っています。凶悪犯罪の例では、それは「測定バイアス」というズレの問題に還元できますよね。繰り返しになりますが、「統計的方法はクリティカル=シンキングの過程のうち、どうしてもそれを使わなければならない部分に限って問題にするのがいいのではないでしょうか。」ということです(シンキングというと沈んでるみたいですが、自分ではthと発音してますので)。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 3日 (水) 20:33

あ、すみません。やっぱり、仰る事が、よく解らないです。論点が掴めません。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 22:41

えっと、一応、このエントリーについての補足ですが。

私が本文に書いたのは、統計の議論をしているのに、統計に関する知識が無いのはダメだよね、という話です。要するに、ABO FAN氏の論理展開を、喩えを用いて記述した訳です。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 22:41

あ、ただ解らないと言うだけでは、激しく失礼なので。

私が解らないのは、ちがやまるさんが、

 誰かが言っている意見そのものに対する批判

を仰っていて、それが私の意見を指しているのか、それとも、別の所の具体的な意見を指しているのか。あるいは、
 
 特に具体的な対象は無く、一般論として仰っ
 たのか

の、区別が付かない、という事です。
初めは、私の主張に対して批判をして下さっているのかな、と思ったのですが、どうやら、そうでは無いみたいですし…。

後、
▽▽▽引用▽▽▽
「統計的方法はクリティカル=シンキングの過程のうち、どうしてもそれを使わなければならない部分に限って問題にするのがいいのではないでしょうか。」
△△引用終了△△
この部分が掴めなくて。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 3日 (水) 23:00

一般論として聞いてください。問題を扱う時にどうしても統計だとか確率だとかを持ち出す必要があるかどうかを考えてほしい、ということです。バイアスの問題は統計だとか確率だとかから一旦切り離すほうがわかりやすいと思います。
ABO FANさんの悲劇は自分が充分な知識を持つ前にメイルだとかブログだとかの「論争」に集中してしまったことではないかと思います。彼は統計の知識が無かったということですが、彼にとってより必要なものは統計の知識以外にあったのではないでしょうか(そのものの事を象徴的に「クリティカル=シンキング」と呼んでも、そうはずれてはいないだろうと思います)。彼の様子をROMの方々が見て、先ず「統計や確率もべんきょうしなくちゃいかんかな」という思いを抱くとしたら、あそこでの議論は成功とは言えないだろうと私は考えます。(誰かにどうこうしろ、と言いたいわけではありません。)

投稿: ちがやまる | 2007年10月 4日 (木) 00:03

いや、それは違います。

ABO FAN氏は、心理学者の方法に則っている、と表明された訳です。そして、心理学では、心理統計の方法によって、研究がなされています。

という事は、ABO FAN氏の統計学的知識がどれくらいのものなのかを明らかにするのは、かなり重要な事である、と言えます。

少なくとも、血液型性格判断(あるいは、血液型と性格の関連)について具体的に論じる際、統計の知識は必須なはずです。したがって私は、あのエントリーを見て、「統計なんかも勉強しないと、血液型と性格についてちゃんと論ずるのは難しいな」、と感じた人がいるとすれば、それはむしろ、プラスであると考えます。
と言うか、あちらでの議論における「成功」が、何を指すのか、よく解りません。

一般論として、何かを論ずる際に、必要かどうかを検討する、というのは、その通りだと思います。
で、あのkikulogのエントリーでは、それ(追記:統計の知識)は必要な事だと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 01:26

誰かのインセンティブになるなら、それはそれでいいでしょう。私もTAKESANさんを説得するつもりはありません。でも言いかけたことですから、説明だけはしておこうと思います。
おおまかに統計学を応用する分野は、純粋な統計学(数理統計学)との間に接合部分を持っています。接合部分は、psychometry, econometry, epidemiologyなどです。もちろんその中ではめちゃくちゃ数学的な事をやっている人もいますが、特に学部レベルで教育として伝えられる部分は親学問(psychology, economics, medicine)の問題解決のための枠組み、方法であると思います。それはkikulogでバラライカ宮崎さんがちょっと言っておられた尺度の事とか、私がここで繰り返しているバイアスの事とかを思いうかべています。それに対して、ある分布から独立に採ってきたサンプルを前提にする「統計的方法」とは分けて考える方がいいでしょう。「統計」をコンプレックス(複合体)にするのでなく、分けて小さくして数学に返してあげるのが、一般教養にとって必要だろう、と言っているのです。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 4日 (木) 02:15

みなさん、おはようございます。

「統計の素地」については、次の資料をご参照ください。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/004/07092711/003_1.pdf
文部科学省は、この方向で進めるようです。
この中から、小学校では「数量関係」、中学では「関数」「資料の活用」の項目が、「統計の素地」にあたるかと思います。特に中学では、項目を一つ増やしましたので、文科省の力の入れ具合が分かります。
私が思うのは、このような内容というか学力を、日常なり、学習なりに生かそうというものです。ちがやまるさんが、最初に書かれた「たとえば「比」や「率」、「割合」というものをきちんと理解すればいいなら、「統計」を持ち出さなくてもいいと考えるわけです。」と近いものかと思います。数学的な思考を、通常の思考の中で的確に活用できればいいということで、「統計」そのものを出す必要はないと思います。
例えば、小学校でも学校のまわりで危険なところとして車の多いところを考えます。これは分布の考え方ですね。印象と実際に調べた台数などを比べて、危険なところを見つけ出していければいいと思います。
最近、本当にあった話ですが、知り合いがある場所は「絶対に渋滞している」と言うのです。実は、そこで1回しか渋滞を経験していないんですが、本人は「100%」を強調します。印象が優先して、頭の中で正確な実態が処理できていないというか、そんな感じです。1回行って1回渋滞なんで確率100%かもしれませんが、使い方を間違っていますよね。でも、このような人はよくいますね。
というわけで、「統計」を持ち出す必要はなくても、「統計的な思考」(ちょっと乱暴な表現ですが)は、いろいろな日常や学習や議論の場面では必要になるかと思います。
これが、私の最初論点です。
ちょっと長くなりそうなので一息。

投稿: ドラゴン | 2007年10月 4日 (木) 10:04

ドラゴンさん

私がサイコロの例を出したのは、ドラゴンさんの前提をもちろん含んだもので、仮に理想的なサイコロを理想的に振ったとしても、それぞれの出目の確率は毎回1/6なので、全て別の目がでると決まっているわけではないということを意図しました(分かりにくくてすみません)。

これは統計的なセンスというよりも、統計を適用すべき場面の選択の問題ですね。

ちなみに私はABOFANさんの、全数検査の結果で統計的にものをいうという感覚に一番違和感を覚えました。

投稿: Noe | 2007年10月 4日 (木) 10:22

ちがやまるさん、今日は。

「分けて考える」というのがどういう事なのか、よく解りません。
と言うより、論点があやふやで、上手く掴み取れないでいます。

私が知識不足ゆえに読み取れていない、という可能性もありますけれど。

------

ドラゴンさん、今日は。

▽▽▽引用▽▽▽
この中から、小学校では「数量関係」、中学では「関数」「資料の活用」の項目が、「統計の素地」にあたるかと思います。
△△引用終了△△
こういう所に力を入れる、というのは、いいですね。

ドラゴンさんの知人の方のエピソードは、象徴的ですね。もちろん、私の言う統計のセンスとは、そういうのも含めています。

------

Noeさん、今日は。

 >これは統計的なセンスというよりも、統計
 >を適用すべき場面の選択の問題ですね。
昨日(今日か)寝ながら考えたのですが、料理のアナロジーを用いると、包丁の使い方にたとえられるのではないかと、思いました。
つまり、出刃包丁の使い方、柳葉包丁の使い方、薄刃包丁の使い方。そして、何を調理する際にどの包丁を使うか。野菜を切る時に出刃を使うのはダメだし、柳葉で大根を切るべきでは無い。※刃物一般の使い方に精通すれば、どんな包丁を使っても、仕事は出来ると思いますが、あくまで喩えなので。

で、ABO FAN氏は、「包丁の使い方がおかしいのでは?」と指摘された訳で。「自分はこの包丁で材料を切っている」、と主張されているのですから、そこにツッコミを入れるのは、当然なのだと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 11:50

なんだか ABOFAN氏の話になってますが、そこは空気を読まずに…。

最後の

> 「え、だって、倉庫に同じ数ずつあるんだったら、ダンボールに入ってるのが偏るって変じゃない?」

は全くおかしい(ダンボール箱に詰めるのが無作為であるか否かに関係なく)ですけど、

> 「へえ、リンゴが一杯入っているね。倉庫に沢山あったんだ。」

ここまでならおかしくはないですよ。「リンゴが一番沢山あった」の意味だとしても。

投稿: ROMときどきボソッ | 2007年10月 4日 (木) 15:29

ROMときどきボソッさん、今日は。

おかしい、というのは、この時点で倉庫に入っている果物の割合を決める事は出来ない、って意味ですね。

リンゴが沢山ダンボールに入ってるから、倉庫にリンゴが余ってたんだろう、という推測それ自体は構わないですが、当たっては無いですよね?
もちろん、こういう発言を日常でやったら「おかしい」と判断する、という意味では無いです。

当然、次の発言と、セットになっている訳です。説明しても通じなかった、という所と。

もしかしたら、「おかしい」という語の捉え方の違いなのかも知れないですが…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 17:43

 >この人がいっている事は、おかしいです
 >よね。
を、「この人が言っている事は、当たっていませんよね。」とでも読み換えて頂ければ良いかと思います。
それなら大丈夫ですよね?

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 17:57

ドラゴンさんのお知り合いの例は、一回の観察結果で「限りなく100%に近い推定値が得られた」ということですが、あらかじめ、近くに迂回路が無い、橋や踏切が近くにある、ホームタウンを控えて通勤者が集まる、などの情報を把握していればそんなこともありそうな気がします。

この事を考える時に、実はその知り合いの方は朝の状況にもとづいて昼頃の予測をしている、とか、週日の観察で休日を予測している、問題になっているのと反対の車線しか見ていなかった、という様な事態は頭に入れていません。それは「推測以前」の話でしょう。ずっと私は「バイアス」の事を言い続けていますが、このように倉庫全体にある物品について言うのに入り口近くにある物だけしか見てない、といった話は「統計以前」に済ませておく事をおすすめします。
どうでしょう、こんどは少しは論点がはっきりしたでしょうか。

(ABO FANさんについては、じつは何度も見事な一本負けを喫しているのに「まだまだっ」と立ち上がってきている状態ですので、一般的な興味からでしたら、「統計」については突っ込んでも無駄でしょう。)

投稿: ちがやまる | 2007年10月 4日 (木) 18:03

ちがやまるさん

すみません。知人の例は、「一回の観察結果で「限りなく100%に近い推定値が得られた」ということですが、」というのではなくて、無茶苦茶勝手な解釈をしていながら、いかにも確率論を応用したような表現をする人の例です。表現が分かりにくかったようで、すみません。
数字の意味を理解していないと言うか。よくいませんか、何の根拠もなく「それは○%だね」という人です。きちんとした推論ができないというか。印象だけなんです。
こういう人は、降水確率の意味なんか全然分かっていないんでしょう。あと知能指数とか偏差値とかも。
というわけで、日常や学習や議論などのそれぞれの場面で、「統計の素地」となるような思考力が必要だろうな、と思うのです。

ちがやまるさんの言われることは、なんとなく分かるような気がします。統計以前という点です。

投稿: | 2007年10月 4日 (木) 19:20

いえ、やはり解らないです。正直な所、さっぱりです。

…ここを読んでいる方は、幾人かいらっしゃると思うのですが、もしかすると、ちがやまるさんの仰りたい事を解って無いのは、私だけなのでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 19:31

ドラゴンさん(多分)へ。

あ、やっぱりそうですよね<お知り合いの例

まさに、ドラゴンさんの仰る事が、私も言いたかった事です。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 19:34

TAKESAN さん

あ、推測ではなく断言している、と解釈しているわけですか。「リンゴが一番沢山あったのかな?」ならOKですか? それならいいんですが。

1回のサンプリング(観察)では確かな事は何も言えない、って誤読する人がいるといやだなって思ったわけです。
(大昔ですが、イベント数の少い物理実験をやってまして、「何か言う」のに苦労しました。)

投稿: ROMときどきボソッ | 2007年10月 4日 (木) 19:47

こんばんは。

ええと、私もちがやまるさんの仰る事が理解出来ている自信はありませんが、とりあえず感じた事を書いてみます。

ちがやまるさんは、おそらく「統計的な物の考え方(例:バイアス)」と「ツールとしての統計(例:検定)」とを区別すべきであり、後者を狭義の統計(学)とされているようです。そのうえで「考え方」の方を「ツール」よりも優先すべき、と仰りたいのではないかと思います。

TAKESANさんはクリティカルシンキングとかの考え方も勉強なさっている一方で、統計学「も」必要であると感じられたわけですから、それはそれで良いと思うんですよ。むしろ、ちがやまるさんが危惧しておられるのは「考え方」が身に付いていないのに「ツールの使い方」だけ覚えて統計が解ったつもりになってしまう危険性についてだと思います。
おそらくTAKESANさんの使われている「統計」という言葉には「考え方」と「ツール」の両方が含まれているのではないでしょうか。だとすれば、ちがやまるさんの仰る(と私が考えている)内容を理解し難いのも解る様な気がします。

以下余談です。
「考え方」を理解せずに「ツールの使い方」だけ身に付ける、という事を考えているうちに、図らずも「議論に対する姿勢も心構えも学んでいないのに屁理屈や論点ずらし等のテクニックだけ覚えてしまった人」を連想してしまったのでした。

投稿: PseuDoctor | 2007年10月 4日 (木) 23:32

ええ、そうですね。
なので、直後に「え、だって」、と、知り合いは言っていますよね。要するに、「決め付けてしまった」、という感じです。

趣旨は、「ランダムで無いサンプリングから断言する事は出来ない」、ですね。それを示すために、「そこから適当に、取りやすい所から」なんて書き方をした訳です。全く恣意的に選んだ、という意味で。

上にも書いた通り、ABO FAN氏の論理展開を、喩えを用いて記述したつもりでした。
はっきり言ってしまうと、「倉庫→日本人」、「ダンボール→首相」です。
「多分こんな感じ。具体的にはちょっと違いますけど。」は、ABO FAN氏の論理はこんな感じだろう、という意味ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 23:40

上の私のコメントは、ROMときどきボソッさん宛てです。

------

PseuDoctorさん、今晩は。

あ、ありがとうございます。

もし、PseuDoctorさんが仰るような事を、ちがやまるさんが主張なさっていたのだとすれば、私は全く、それには賛同します。

で、私は、
▽▽▽引用▽▽▽
確率・統計のセンスが、とても重要だと思います。
もちろん、ちゃんと勉強していなくても、そういうセンスを直感的に身に着けている人も、いるんですよね。何かおかしいなあ、と感じる、という。機会が状況に埋め込まれていて、知らず知らずの内に、そういうセンスが鍛えられるのでしょうね。
△△引用終了△△
と、最初の方で書いたのですよね。統計学と書かずに「確率・統計」と書いたのは、それらの専門知識を学ぶ、という事を「意味しない」様に、書いたつもりです。その後に、
▽▽▽引用▽▽▽
で、仮に確率論・統計学の専門的知識を持っていたとしても、自分のよく知らない分野については誤った判断を下す、という事もあるのですよね。
△△引用終了△△
▽▽▽引用▽▽▽
kikulogの「血液型と性格」エントリーでのやり取りは、まさに、確率・統計のセンスが問われるんですよね。この場合、専門的な知識も要る、という事ですが。
△△引用終了△△
とも書きましたし(「この場合」と、kikulogでの状況を強調)。

だから私は、初めから、統計学や確率論の理に適った思考を直観出来る事を指して、「確率・統計の”センス”」と書いた訳ですね。当然、それらの直観を、顕在的・分析的に洗練するには、統計学や、それらを応用した ものの考えを勉強する事も、大切だと考えています。

で、この言葉の使い方がまずかったのかな、と思ったのですが、どうもそうでは無いみたいで…。
なので、仰る事がよく解らない、というのを、連発してしまっている訳です(凄く失礼な物言いと思いつつも)。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 4日 (木) 23:55

TAKESANさん:「はっきり言ってしまうと、「倉庫→日本人」、「ダンボール→首相」です。」
これは予想外でした。すでに述べた(つもりになっている)ように、ABO FANさんの問題は「確率・統計のセンス」よりももっと根本(「自分の主張を述べない、述べることができない」など)にあると私は考えていますが、こんな視点から本文が書かれていることがわかっていたら、私が発言する事は何も無かったと思います。
書いたことについて補足するなら、研究開始時点でパイアスに対処すべき(もちろん、できる限りにおいて、です)というのは大切な原則であると考えています(実験などでは試行錯誤で対応していくことができる場合もありますが)。ここでいうバイアスは「統計的方法」には含めていません。
「何を明らかにしたいか」→「そのためには具体的に何を示すか」→「実際に得ようとしているもの、得られて手許にあるものは、目的にかなっているか」。これは「確率・統計のセンス」以前の問題だと考えています。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 5日 (金) 06:24

ちがやまるさん、今日は。

 >これは予想外でした。

あれ、そうですか…。私は初めから、そこについて書いたのですけれど。

▽▽▽引用▽▽▽
ABO FANさんの問題は「確率・統計のセンス」よりももっと根本(「自分の主張を述べない、述べることができない」など)にあると私は考えていますが
△△引用終了△△
えっとですね。はっきり申し上げると、それは、「解り切った事」、です。それこそ、何年も前から。私は、ABO FAN氏の言っている事が具体的にどうおかしいか、という所を問題にしているのですから…。
歴代首相と血液型云々から日本人一般について敷衍するのは、「理論的」におかしい事とは、言えないのでしょうか。そこが「どうおかしい」のか解らない、という人に、バイアスなどの論理をのみ説明をすれば良い、という事でしょうか。

 >これは「確率・統計のセンス」以前の問題
 >だと考えています。
と言われても、という感じです。なぜ、わざわざ「以前」という仰り方をなさるのか、解りません。峻別出来るものなのでしょうか。

ギャンブラーの錯誤の様な誤謬をおかす人に対して、「確率のセンス」が云々と言うのは、特に問題無いと思うのですが、そうでも無いのかな…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 5日 (金) 11:49

「ギャンブラーの錯誤」というのは、「よくできたサイコロで連続して5,6回1の目が出たら、次に1が出る確率は0に近いように感じる」というような事ですか。だとしたら、はじめから「確率」の話ですよね、それは。

「首相の血液型」では検討しようとする問題はたとえば「首相になったような人はふつうの人とは血液型が違う」です。「首相になったような人」とは一体だれか。「首相になるような人」がもし設定できるなら、結果はそのような人一般へ適用できるでしょうけど、「首相になった人」だけについての結果はその集団までしか適用できないなあ。そこでのたとえばO型の人の割合が日本人全体の割合と違えば「首相になった人はふつうの人と血液型が違う」と言ってもいいかな、と考えるところまでが統計・確率以前です。
「首相になった人」のO型の割合は能美氏の本では13名中O型9名なのだそうです。その後の人を追加すると(安倍、福田氏はどちらもO型でないそうですがその二人を入れないでおいてあげると)、24名中O型13名だそうです。ここから確率の話になりますが、仮にO型の人の割合が30%とすると二項分布を使うと(13名中9名O型の確率+13名中10名O型の確率+・・・と足していって)9名以上になる確率は0.004くらいだそうです。24名中13名以上O型になる確率は0.0115 (低い方にずれる場合も考える必要がありますが、略します。結果にも影響ありませんし)くらいだそうです。「首相になった人」のO型の割合は30%とはいえない位高かった、という結果になります。
結論は「首相になった人はふつうの人と血液型が違っていた」でしょうね。どんな意味があるか、と聞かれれば、たぶん偶然でしょう、と。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 5日 (金) 17:41

そこの所を、「統計・確率以前」と敢えて表現する論理が、私には掴めません。
そこを「確率・統計のセンス」と表現するのが何故問題なのかが掴めない、と言った方が良いかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 5日 (金) 19:46

首相の例で言えば、二項分布を使って比較したところだけを統計、その背景にある理屈を確率、とすることによって、場合によってはそこだけをブラックボックスにしておいて、信頼できるたとえば専門家に任せることもできます。
そこを一旦切り離してしまえば、二項分布なんて中学か高校に忘れてきた人でも安心して問題の構造を考えることができるわけです。逆にまず「確率」をどこかに適用しようというのでは混乱するでしょう。私がはじめに出したコメントに出てきたあるメイリングリストの生物学の先生は「おれ様が勉強したくらい統計学をやらないと、まともな議論はできないぞ」というメッセージを発していたわけです。まず問題の本質を考えよう、比べたり関係づけたりする技術はあとまわしでいい、ということを特に専門技術として使わなくてもいい人々に知っておいてもらいたいのです。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 5日 (金) 20:23

もしかすると、私が、
▽▽▽引用▽▽▽
「おれ様が勉強したくらい統計学をやらないと、まともな議論はできないぞ」というメッセージ
△△引用終了△△
に類似した主張をしていると読めた、という事なのでしょうか。

---

なんだか、何の話をしているのか、解らなくなってきました。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 5日 (金) 22:31

私が分割して「統計・確率以前」と呼ぶところまでまとめて「『確率・統計』のセンス」としなくてはならない、とTAKESANさんが考えておられるように見える意味がむしろわかりません。私の狭い経験の中では、先の生物学の先生がすべてをひっくるめて「統計学」としておられたので、そうならない方がいいと考えている例として思い浮かべています。

「統計・確率以前」を切り出したことで「首相の血液型」はわかりやすくはならなかったですか?

投稿: ちがやまる | 2007年10月 5日 (金) 23:01

すみません。
 >とTAKESANさんが考えておられるように見
 >える意味がむしろわかりません。
ここの文意が取れないです。私が、「”しなくてはならない”と言っている(ように見える)」、という意味でしょうか。

▽▽▽引用▽▽▽
「統計・確率以前」を切り出したことで「首相の血液型」はわかりやすくはならなかったですか?
△△引用終了△△
いや、ですから、ちがやまるさんが仰る「統計・確率以前」の部分について、それを確率・統計に関係する事だと言っても構わないですよね、という話です。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 5日 (金) 23:22

これは、議論からちょっとはずれて、質問なのですけれど。

ちょっと、ちがやまるさんのコメント(首相と血液型の話)を読み返して、思ったのですが、
最初に書かれてある
 >「首相になった人」のO型の割合は能美氏の
 >本では13名中O型9名なのだそうです。
この部分の”「首相になった人」”と、最後の方の
 >「首相になった人」のO型の割合は30%とは
 >いえない位高かった、という結果になり
 >ます。
この部分の”「首相になった人」”というのは、同じ意味なのでしょうか。
ちょっと解らなかったもので…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 6日 (土) 01:59

「いや、ですから、ちがやまるさんが仰る「統計・確率以前」の部分について、それを確率・統計に関係する事だと言っても構わないですよね、という話です。」
これはむしろ「何故?」と素朴に聞き返したいところです。

議論からはずれた質問、という方では、「首相になった人」は全く同じです(そうじゃないとだめですよね)。後ろの方は、9/13は首相になった人それぞれがふつうの日本人(ランダムにとればO型30%になるはず)からランダムにとったことでは説明できないくらい高かった、ということを言おうとしました。ちょっと言葉が足りなかったかもしれません。ちなみに、「ランダム」という言葉が効果的に使える範囲が、私の言いたい「統計的方法」もしくは「確率・統計に関する部分」という事になるかと思います。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 6日 (土) 03:49

ちがやまるさん、遅ようございます(笑) 私もまだ起きてました。

 >これはむしろ「何故?」と素朴に聞き返し
 >たいところです。
えっと、たとえば、
▽▽▽引用▽▽▽
「首相になった人」だけについての結果はその集団までしか適用できないなあ。
△△引用終了△△
というのを「統計的な考え」と呼んでも構わないのでは、という意味です。それほどおかしな事を言っているつもりは、無いのですけれど。

---

後段へのレスです。

「首相になった人」は、同じなのですね。とすると、
▽▽▽引用▽▽▽
「首相になった人」のO型の割合は30%とはいえない位高かった、という結果になります。
△△引用終了△△
この表現は変な気がするのですが…。「首相になった人」ではダメなのでは?

ちがやまるさんは、
 >仮にO型の人の割合が30%とすると二項分布
 >を使うと
と書いておられますよね。この割合は、何における割合なのでしょうか。

何故検定を用いているのかが、よく解らないのですよね。と言うか、”「首相になった人はふつうの人と血液型が違っていた」”と結論するのに、検定は要らないと思うのですけれど。

すみません、何だか質問ばかりですね…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 6日 (土) 04:38

おはようございます。
ちょっと角度を変えて、ある中学校の剣道部員(男子全員)と柔道部員(男子全員、どちらもある程度人数がいるとします)の体重を比べたい、という場合を考えます。同じ日の同じ時間帯(給食前とか)にフリチンで同じ体重計を使って養護教諭が体重を測定しました。私のこれまでの立場では、ここまでが統計・確率以前です。
1. ここで得られた結果を女子部員に対して適用できないのは明らかと思いますが、このような事項を「統計的な考え」とあえて呼ぶ必要はないのではないでしょうか。お米屋で袋に入った米(集団)の味を見てどの銘柄がおいしいかその結果をの適用範囲はどこまでか、という事を考えるような場合では別に「統計的な考え」とはいわずに同じ考え方をしているわけです。
2. ふたつの部で体重を比較するという時(私が統計的方法と呼ぼう、と言っている部分)、平均値を比べたり全体につけた順位を比べたりしますが、そこではそれぞれの集団が(統計的に想定される)母集団からランダムに得られた標本である、という骨組みの中で偶然の大きさが見積もられます。

これはTAKESANさんのふたつの質問の答えになっているでしょうか。「2.」のように、なぜ検定するんだ、というようなところに疑義が残る場合でも、「統計以前」「統計」と分けておけば、問題全体を見失わなくて済むように思います。なお、「O型の人30%」の意味はゆうべ(けさ?)の投稿で書いたつもりです。

TAKESANさんは「”「首相になった人はふつうの人と血液型が違っていた」”と結論するのに、検定は要らないと思うのですけれど。」とおっしゃるのですが、どのような根拠にもとづいて結論なさるのですか?

投稿: ちがやまる | 2007年10月 6日 (土) 09:20

なぜ検定するんだ、とか、どうして信頼区間が計算されるんだ、という話は「統計的方法」として分けて考えましょう、と言ってきてました。
そこでは、神様の目から見たかのように、世界の設定をある状況に定めた場合にどのような世界が起こりえたのか、それはどのような割合で存在しえたのか、を考えていると言ってもいいと思います。30%O型の人のいる人口から首相というグループができ上がった場合に、どんな首相グループが存在する可能性が高かったのか。ある平均値とばらつきを持つ人口から男子柔道部員グループが生じたとすると、存在したかもしれないあらゆる世界のうちさまざまにずれた平均値をとる可能性はどれくらいあったのか。
ドラゴンさんが前に挙げておられた降水確率(ある地域で、ある期間内に、1mm以上の降水量が観測される確率)などは、今観測されている状況を生み出したであろうさまざまな設定をもつ世界を一旦想定しておいて、その中から最も考え得るストーリーを選び出し、今度はそのストーリー(世界の設定)にもとづいて将来生じうるあらゆる世界の中で、雨の降る、降らないの割合をもとめていることになります。
またちがやまるはあやふやな事を言いだしよって、しかし実際どうなっているか興味あるなあ、と思われたような場合は、やめとけ、なんて言いません。ただ、この辺りをブラックボックスにしておいても、首相の血液型や部員の体重は考えられます。だからこそ、「統計的方法(確率・統計)以前」と「統計的方法」は分けた方がいいでしょう、と言ってきているわけです。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 6日 (土) 11:21

ちがやまるさん、今日は。

私は、「呼ばなくてはならない」とは言っていないはずですよ。「呼ぶ必要はないのではないでしょうか。」と仰っていますが、そもそも私は、呼ぶ必要がある、と書いた訳ではありませんし。

……なんか、私が物凄く言葉に拘っている様に、見えている予感。

---

▽▽▽引用▽▽▽
TAKESANさんは「”「首相になった人はふつうの人と血液型が違っていた」”と結論するのに、検定は要らないと思うのですけれど。」とおっしゃるのですが、どのような根拠にもとづいて結論なさるのですか?
△△引用終了△△
「首相になった人」のO型の割合は、「9/13(もしくは13/24)」だからです。
検定をしたのなら、「首相になった人は」と言うのは違うのでは、という事なのですけれど。「首相になった人」は、同じ意味だったのですよね(先の質問)。

※こちらについては、私が根本的に思い違いをしている可能性がありますね。

ちょっと、きくちさんのコメントをお借りします(「血液型と性格」より)。
▽▽▽引用▽▽▽
たとえば、「歴代首相にはO型が(日本人の血液型分布から考えて)多い」というのはたしかに「事実」なんですが、そこから言えることは「歴代首相にはO型が多い」という事実以外になにもないわけです。その事実だけでは、どんな一般論も引き出せない。
△△引用終了△△(きくち May 21, 2007 @13:42:14)
私が言いたいのは、このきくちさんのコメントと、同じです。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 6日 (土) 12:01

まず、言い方のことですが。
「▽▽▽引用▽▽▽
「首相になった人」だけについての結果はその集団までしか適用できないなあ。
△△引用終了△△
というのを「統計的な考え」と呼んでも構わないのでは、という意味です。」(TAKESANさん)
の「呼んでも構わないのでは」に対して、
「呼ばない方がいいのではないですか」と私が主張しているわけです。

次。
「「歴代首相にはO型が多い」という事実以外になにもないわけです。その事実だけでは、どんな一般論も引き出せない。」(TAKESANさんによるきくちさんの引用)
これに対応することは金曜夕方に
「「首相になるような人」がもし設定できるなら、結果はそのような人一般へ適用できるでしょうけど、「首相になった人」だけについての結果はその集団までしか適用できないなあ。」(ちがやまる)
で述べていました。「統計・確率以前」という言い方をしていましたが、「統計的方法の外側」と言った方がよかったでしょうか。どんな対象についてどんな観察をするか、したか、が定まれば、最終的にデータを検討した結果がどこまで適用できるか決まります。

投稿: | 2007年10月 6日 (土) 12:52

 >「呼ばない方がいいのではないですか」と
 >私が主張しているわけです。
これはもう、「呼ばない方がいいとは特に思わない」、という答えになるでしょうね。現時点での私の認識だと、「呼ばない方がいい」という所に納得するのは、難しいと思います。

---

後段については、
それを主張する際、「統計的センスも重要だよね。」と言うのは構わないのでは、というのが私の意見なので、相容れないでしょうね。感覚としては、「料理には力学的センスも大切だよね。」と言うのと、似たような使い方です。

---

昨日ちがやまるさんが出された例について、もう一回伺いたいのですが、
 >「首相になった人」のO型の割合は30%とは
 >いえない位高かった、という結果になり
 >ます。
これは、検定からの帰結ですよね。私は、「30%とは言えないほども何も、最初から数値は明らかなのでは?」という事を言いたかったのですが…。それを確認するために、最初の「首相になった人」と後の「首相になった人」は同じであるのかを、質問した訳です。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 6日 (土) 13:33

ギャラリー(おられるかな…)に質問です。

上のコメントで、私がちがやまるさんに何を訊いているのか、明らかですかね?

もしかすると、自分にしか理解出来ない書き方をしている可能性があるので。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 6日 (土) 13:44

30%についてのご質問は、前に書いた部分をコピーしてみますね。足りないところをご指摘ください。

「後ろの方は、9/13は首相になった人それぞれがふつうの日本人(ランダムにとればO型30%になるはず)からランダムにとったことでは説明できないくらい高かった、ということを言おうとしました。ちょっと言葉が足りなかったかもしれません。」(ちがやまる 10月 6日 (土) 03:49)

「統計的方法」は問題全体を考える時には切り分けておいて、全段(外側)では統計とか確率とかいわない方がいいですよ、というのは繰り返して言いますが、私の主張です。説明しようとしたからには何がいいたいかわかってもらいたかったわけですが、説得するつもりはありません。

首相の血液型の割合は、どんな結果になろうと首相以外に適用できない、という部分がTAKESANにとっては「確率・統計」のセンスが必要とお考えになる部分で、私はそこに「確率・統計」ということばを用いない方がいいと主張している、という事だけが明確になった、ということですか。あんまりめでたしではなかったような。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 6日 (土) 15:56

上の「全段」は「前段」の誤りです。これまで「統計・確率以前」と書いてきた部分になります。typoはたくさん犯してきていますが、これはさすがに文脈に影響しそうですので、訂正いたします。すみません。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 6日 (土) 16:02

まず後半へのレスです。

 >TAKESANにとっては「確率・統計」のセン
 >スが必要とお考えになる部分で
と言うか、「確率・統計のセンス」と呼んでも構わない、と。もちろん、それを読み取るのを「センス」と言っているのですから、まあ、必要、と捉えられても、構わないのかなあ、という感じでもありますけれど。

---

前半へ。

▽▽▽引用▽▽▽
首相になった人それぞれがふつうの日本人(ランダムにとればO型30%になるはず)からランダムにとったことでは説明できないくらい高かった
△△引用終了△△
うーん。多分、ここをしっかりと読み切れていないのだと思います。
「何を検定したか」が、解っていないのですよね。
という訳で、もうちょっと考えてみます。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 6日 (土) 18:15

みなさん、こんばんは。

私も、統計以前と統計方法は区別したほうがよいと考えます。ただ、統計以前についての判断の中にも「統計のセンス」が活用されているだろうと思います。
ここからは、言葉の問題なのではないでしょうか。私は、単純に「傾向を読む」、「分布を考える」なども「統計のセンス」に含まれると思っております。それで、算数科での「統計の素地」という言葉について説明してみました。
ある問題(数学の問題だけでなく、日常的な課題)に対したとき、その解決のためには、頭の中では、いろいろな考え方が使われます。類推したり、比較したりと、その中に統計的な考えもあるのだろうと思います。
ただ、統計以前のものについて、「統計のセンス」と言うことで、議論が錯綜するのであれば、何かわかりやすい別の言葉があれば、落ち着くように思います。

投稿: ドラゴン | 2007年10月 6日 (土) 23:42

ドラゴンさん、今晩は。

私が言いたかったのはつまり、日常の場面には、統計的な問題が、散らばっていたり、埋め込まれていたりするので、問題解決や、直感を相対化するためには、確率・統計のセンスは重要だよね、という事ですね。個別の問題において、「それは統計では無いのでは?」と考えるのは、全然構わない、と思う訳です。でも、峻別は難しいだろうから、日常の場面では、ある程度ゆるやかな言葉の使い方をすればいいのでは、という意味だったのですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 7日 (日) 00:08

私が思うのは、そんなところです。ですから、お二人のどちらにも同意できるところもありました。

それと、「統計」と言いながら、それ以前の人もいるということですね。

ついでに一言。
私も、首相の血液型は、偶然だと思います。なぜ首相だけなんでしょうか。そもそも、それぞれの首相の性格もずいぶん違うように思います。
また、もっと性格に左右されそうな職業があれば、そういう職業の血液型の傾向も調べる必要があるでしょう。そのような職業があればですが。

もうひとつ、みなさんは心理学を中心に議論されているようですが、統計的に有為が認められれば、立証されたとなるんですか?
先天的かどうかは、生物学ですよね。演繹的な証明が必要というか優先しませんか?
例えば「遺伝子はひとつの形質しか発現しない」であれば「血液型を発現する遺伝子は、ほかの遺伝情報を持ち得ない」「したがって、ということで、どんな統計結果より、優先しませんか。
生物は得意ではないので、前提が間違っているかもしれませんが。
血液型の議論に参加していないで、こんなことを言うのもなんですが。

投稿: ドラゴン | 2007年10月 7日 (日) 00:48

懐疑的に考えるとすぐに思いつくのは、「首相にO型が多いのは解ったけど、そもそも首相と性格は関係するの?」という考えだと思います。私が知る限り、首相に性格検査を実施して云々、という話は、聞いた事が無いですね。首相はどういう仕事をするからどうのこうの、といった、極めて適当な推測をしているだけですよね。

本来、血液型と性格の結び付きという問題は、最も小さく考えても、現在の日本人全員に成り立たないといけませんよね。小さな集団で強い関係があったとしても、それは、一般的に用いられる所の血液型性格判断とは、全然違いますし。

血液型性格判断については、きくちさんがよく仰っているように、「血液型と性格は連関しているのか」、という問題とは、分ける必要があると思います。否定されているのは、前者なんですよね。

本当に、性格と血液型とが生物学的に連関するか、というのを言うには……どうなんでしょう。究極的には、メカニズムを解明しなければならない、という事なのかな。ちょっと解らないです。

統計的に有意である事と、それを実質科学的にどう評価するか、というのは、また異なった問題だと思います。

ちなみに、「血液型性格判断が成り立つには、どの様な事実が見出されれば良いのか」、という事については、私の考えは、「解らない」、です。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 7日 (日) 01:18

ちがやまるさんへ。

やはり、ちょっと掴み切れないので、最初に読んで感じた疑問を、書いてみます。恐らく、私の理解不足ゆえの幼稚な疑問も含まれていると思いますが、お許し下さい。

▽▽▽引用▽▽▽
首相になった人それぞれがふつうの日本人(ランダムにとればO型30%になるはず)からランダムにとったことでは説明できないくらい高かった
△△引用終了△△

 ・そもそも、「首相」が「ふつうの日本人」
  からランダムに採られていないのは自明なの
  ではないか。

 ・ちがやまるさんは、二項検定を行っている
  が、ちがやまるさんが想定されている母集
  団と帰無仮説が、よく解らない。

▽▽▽引用▽▽▽
「首相になった人」のO型の割合は30%とはいえない位高かった、という結果になります。
△△引用終了△△(投稿 ちがやまる 2007年10月 5日 (金) 17:41)
が、検定結果からの帰結というのが解らない。また、上で引用している部分と、全く違った意味の文章に思える。「30%とはいえない位高かった」のは、「首相になった人のO型の割合」では無いのではないか。

などです。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 7日 (日) 01:21

TAKESANさん「私が言いたかったのはつまり、日常の場面には、統計的な問題が、散らばっていたり、埋め込まれていたりするので、問題解決や、直感を相対化するためには、確率・統計のセンスは重要だよね、という事ですね。」
私の言いたかったことは、問題解決のためにはまず問題の構造を考えてみることが大切で、そこへは、はじめから「統計・確率」という考えやことばを持ち込まない方がいいよね、という事でした。
ドラゴンさんがおっしゃるように、ここを「統計以前」ということばで呼ぶのはあまりに情けないので、何か考えないといけないというのには賛成です。

TAKESANさんのご質問については、私の10月 6日 (土) 15:56の投稿から続けましょうか。
「30%についてのご質問は、前に書いた部分をコピーしてみますね。足りないところをご指摘ください。

「後ろの方は、9/13は首相になった人それぞれがふつうの日本人(ランダムにとればO型30%になるはず)からランダムにとったことでは説明できないくらい高かった、ということを言おうとしました。ちょっと言葉が足りなかったかもしれません。」(ちがやまる 10月 6日 (土) 03:49)」

帰無仮説:首相になった人の属する母集団においてO型の割合が30%である
想定している母集団:日本人のサブグループの中に、そこからランダムにとったサンプルが「首相になった人」であるような集団を想定している

TAKESANさん「そもそも、「首相」が「ふつうの日本人」からランダムに採られていないのは自明なのではないか。」

O型という性質に関して、ランダムに採られているとみなせるかどうかを検討しています。仮想的なストーリーを考えると、江戸時代の間に特定の社会階層だけにO型がすごく多くなっていて、首相達の多くはその子孫だったりするとO型の割合は日本人全体に比べて高くなるでしょう(念のためですが、私はこれを信じているわけではありません)。

注意しなくてはならないのは、この帰無仮説とその母集団は特定の「統計的方法」の内部だけで設定されているもので、問題全体(統計的方法以前もしくは外側)の仮説や研究対象の母集団とは分けて考える必要があるということです。
(互いの対応関係については考慮・反省する必要は当然あるでしょう。)

投稿: ちがやまる | 2007年10月 7日 (日) 04:01

ドラゴンさん(10月 7日 (日) 00:48)の「ついでに一言」についてです。
「私も、首相の血液型は、偶然だと思います。なぜ首相だけなんでしょうか。そもそも、それぞれの首相の性格もずいぶん違うように思います。」
これは、調べやすいところから見ていって、たまたま片寄りが認められた所について言い立てているのでしょう。宝くじに当る人もいるように、きわめてめずらしい事でも起こること自体はあたりまえなのです。それが偶然ではなくて背後に何かメカニスムがあるのかは、改めて検討しなくてはならないでしょう。それをしないで特定のメカニスムを喧伝するのがとんでもの特徴だということです。

「先天的かどうかは、生物学ですよね。演繹的な証明が必要というか優先しませんか?」
特定の遺伝子の有無と生物の特徴(表現形質)との関係は、そんなに簡単なものではないようですし、まだ明らかにされていない部分がほとんどです。性格や気質に至ってはドーパミンの代謝に関する遺伝子があるとどう、といった話がちょっとある程度のようです。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 7日 (日) 04:51

ちがやまるさん、お早うございます。

私は多分、初めから確率・統計という言葉を持ち込んで議論した方がいいよね、とは言って無いのですよね。議論する時に、そこら辺の論理に引っかかる事があるから、それは重要だよね、と。
そこは理解して頂きたいな、と思います。

---

私が解らなかったのは、過去に数十人しか存在していない歴代首相、つまり、「首相になった人」を標本とした検定から何が言えるのか、という事でした。帰無仮説:π=0.3だとして、その母集団は、何なのだろうな、と。私としては、言えるのは、せいぜい、「首相になる様な傾向を持った人」とか、「今まで存在した、そして、これから存在する首相の集合」くらいなんじゃないかと考えました(これも言うのは難しい気がしますけれど…)。

で、検定から得られた帰結(π>0.3を採択)が、※追記:帰結から
▽▽▽引用▽▽▽
首相になった人それぞれがふつうの日本人(ランダムにとればO型30%になるはず)からランダムにとったことでは説明できないくらい高かった
△△引用終了△△
なのは(追記:となるのは)、どうもしっくりこないな、と感じました。私は、あの検定からは、

 「首相になる様な人」の集合におけるO型の割
 合は、30%とは言えない。

くらいしか言えないんなじゃいかなあ、と思いました。「首相になった人」の母集団のO型比率が0.3より大きい、という仮説が採択された事実から、「首相になった人はふつうの日本人からランダムに採られたとは言えない」と帰結する論理が、掴めないのですよね。確率や分布に対する理解が、まだ浅いのでしょうね…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 7日 (日) 11:13

こんにちは。
kikulogに、日本人のO型の割合が0.4という人が現れていたので、ウェブで見渡してみたところ、0.38~0.40という数字が多いようでした。私が参照していたサイトの0.3とは大分違うようですので、とりあえず0.38を採用して数字を改訂しておきます。
お目にかける確率は、首相のO型の割合が低い方にずれた場合も加える(両側検定)必要がありますが、大きい方だけにずれる場合(片側検定)も参考として書いておきます。
13名中9名の場合 p=0.040(両側) p=0.023(片側)
24名中13名の場合 p=0.139(両側)p=0.079(片側)
これだと、能見の時代にぎりぎり有意だったけれど、今は(安倍、福田両氏より前から)首相のO型の割合は日本人一般のものとは違うとはいえなかった、という事になりますね。


*******
※管理者による追記(2007/10/8):このコメントについて、ちがやまるさんによる補足があります。(ちがやまる | 2007年10月 8日 (月) 08:59)を参照下さい⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_1896.html#comment-20959288

投稿: ちがやまる | 2007年10月 7日 (日) 18:40

ナルトさんは、どういう意図で、書き込んでいらっしゃるのでしょうね。なんか、釣りにも思えるのですけれど…。※追記:釣りという表現は良くないですね。失礼しました。

閑話休題

 >ウェブで見渡してみたところ、0.38~0.40
 >という数字が多いようでした。
あ、そうなのですね。
最新の情報って、どこら辺にあるのかな…。

------

ところで、青木繁伸氏の掲示板で、こんなのを見つけました⇒http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/lecture/mb-arc/arc024/240.html

安保氏は、よろしくない評判を見る事があるのですが(著作は読んだ事無いです)、こういうのを書いておられるんですね。「顆粒球人間」とか「リンパ球人間」とか、初めて見た。ググると色々出てきますです…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 7日 (日) 20:49

コメント1000を超えましたねー。

うまい具合に、ちがやまるさんが、1000番になりましたね。

ページの重さが大変な事に…。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 7日 (日) 21:14

あのエントリーも1000を目処に封印できると思ってたんですが、伊勢田さんやちがやまるさんのコメントが核心に迫りつつあるので、「血液型と性格2」を作りました

投稿: きくち | 2007年10月 7日 (日) 22:25

ドラゴンさんの質問への僕なりの回答です(血液型性格判断について話すときは、必ずこの説明をします)。
 
血液型と性格が関連するかどうかは、統計調査でしか決まらないと考えてます。
 
もし「血液型と性格が関連する」ことがはっきりしたなら、そこにはメカニズムがあるはずです。仮に現在の知識ではわからないとしても、「あるはず」なんです。
一方、「血液型と性格が関連することの説明になりうる」生理学的メカニズムを発見できたとしても、それが本当に「観測可能な現象」として表れるとは限りません。「メカニズムはあるが、現象としては観測されない」ことはあっていいわけです。

投稿: きくち | 2007年10月 7日 (日) 22:42

「血液型と性格1」は、(多数の重複はあるにせよ)非常に豊富な情報を含んでいますよね。読んでいて、勉強になります。詭弁を弄する人のケーススタディにもなっていますね。

ABO FAN氏のコメントそのものが、(もしかすると、解くのが不能な)難解なパズルの様です。

---

後の方のコメントについて。

全くその通りですね……って、そもそも、主にきくちさんの書かれたもので、勉強した訳ですけれど(笑)

きくちさんが再三指摘なさっている様に、血液型性格判断に懐疑的な人でも、メカニズム論の誤謬に陥っている場合がありますね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 00:50

 >「メカニズムはあるが、現象としては観測
 >されない」ことはあっていいわけです。
この論理を解りやすく説明するアナロジーが作れないかなあ、とか、結構考えてたりします。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 00:54

Jさんへのレスが、今までに無く明快である様に見えるのは、気のせいだろうか(言ってる事が妥当だ、という意味では無い)。

こっちは本質では無いけど。
いつものクセ(クエスチョン3連鎖とか)が少ないので、印象も違って見える。やっぱり、ものを読む時に、感情は動くものだから、印象は大事。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 02:10

ABO FAN氏の悪い所は、相手が言っている事を勝手に解釈して、「○○なのでしょうか?」と言う所。
たとえば、きくちさんの「歴代首相」という表現から、「戦前の首相も含む」と解釈し、それを、ほぼ決め付けたり、ちがやまるさんのコメントから、血液型性格判断を否定する番組は全部捏造の可能性があるから信用しないという事なのか、と、かなり吹っ飛んだ感想を書く、とか。

これが、他人をイラつかせる戦法なのか、それとも、文脈を無視して本気でそういう事を考える認識傾向なのかは判らないけれど、読み手を不快にさせる場合があるのでしょうね。それは、判りやすい罵倒表現等とは、またちょっと違う印象なのでしょう。

ちなみに私は、ABO FAN氏のコメントを読んで不快になった事は、無いですね。わたし的には、不快になる要素は無いです。かなり微妙なレスをされた事もあるけれど、何とも無いなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 02:45

そろそろ寝ないと…。

ABO FAN氏の主張のコアは(やっと、「背理法」を書いてくれたなあ)、

 ・必ず差が出る。

という所と、

 ・2.もし、血液型と性格に全く関係がない
  とすれば、(戦後の)首相の血液型は日本
  人の平均と一致するはずである。

ここ(「血液型と性格2」:ABO FAN — October 8, 2007 @01:58:40)ですね。

明日になれば、沢山のツッコミが入ってるのかな。……おっと、今日、か。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 03:04

私も過大な期待を持っていたわけではないですが、せっかくのJさんのコメントに、あれだけ中身のない回答ができるとは、(「議論の」などという枕詞をつけない普遍的な意味での)誠実さが全くありませんね。
TAKESANさんのおっしゃるとおり明快に見える分、その中身のなさに兇悪さを感じます。

やっぱりな、というところではありますが、

あーあ、と。

投稿: みづ | 2007年10月 8日 (月) 03:20

私の直近の投稿(↑)ではA型の40%とO型の30%が混乱していました(統計以前)。申し訳ありませんでした。廃棄、あるいは廃棄とみなしていただくか、単に数字をいじってみましたという物として読んでいただくか、どちらかでお願いいたします。

1000番取得、なんだかうれしいように感じます。2進法にどっぷりつかっておられる方なら1024のほうがうれしいかもしれませんが。

投稿: ちがやまる | 2007年10月 8日 (月) 08:59

「血液型性格判断」の問題は本質的に疫学だと思うんですよ。メカニズムは(必要なら)後からついてくる。

投稿: きくち | 2007年10月 8日 (月) 09:30

皆さん、今日は。

>みづさん

Jさんへのレスは、中身はともかくとして、ABO FAN氏が何を考えているか、というのは、解りやすくなっていますね。結局、「手紙」の頃と一緒なのかな、という感じです。

どんどん皆さんのツッコミが入っていますが、ABO FAN氏の返答の仕方によっては、またループに突入なのでしょうね。

------

>ちがやまるさん

了解しました。先のちがやまるさんのコメントに、追記を入れておきました。

------

>きくちさん

そう思います。血液型性格判断の否定即ち生物学的メカニズム的連関の否定、と取る人は、おられますね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 8日 (月) 11:51

ナルトさんのコメントは、あんまりでしょう。

言っている内容がどうこう、の前に、「人の話を聞かな過ぎ」、だと思います。

これこれはどうですか。と聞かれているのに、自分はこう思う、とだけ書き込んでいたら、そりゃあ、議論になりようが無いです。

しかも、勝手な前提が多いしね。
きくちさんの書かれたものを、あまり読んでいないのでしょうかね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 9日 (火) 12:19

おとといのきくちさんのコメントより。

▽▽▽引用▽▽▽
それが本当に「観測可能な現象」として表れるとは限りません。「メカニズムはあるが、現象としては観測されない」ことはあっていいわけです。
△△引用終了△△(投稿 きくち | 2007年10月 7日 (日) 22:42)
血液型性格判断の場合、ここでの「観測可能な現象」は、「行動」とするのも解りやすいかな、とも思います。
生物学的連関はあっても良いが、それが行動次元にどれほど反映されるかは、また別の話で、それは、統計的な調査によって明らかにされるものだろう、という事ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 9日 (火) 12:28

そもそも、スポーツで一流になる、という、様々な能力が掛け合わされた結果としての現象に関して、性格が最も重要な要素であるかの様に前提している事自体、おかしく感じる訳で。

競技によっては、身体が小さい方が有利(ジョッキーとか。モータースポーツもそうなのかな)、という事もあって、それは当然、体力的な因子なのですよね。

強靭な精神力があっても、体力やスキルが不足していれば、一流にはなれないのです。それに、他の能力の変化によって、メンタルも変動すると考えられますよね。それが果たして、気質的な要素を覆い隠すほどで無いのか、疑問。

もっと言うと、一流スポーツ選手になるには、家族の援助、信頼出来る仲間の存在、経済的事情、等々の、無数の事柄が関わっています。

投稿: TAKESAN | 2007年10月 9日 (火) 13:39

あれは「釣り」ではないかと思って見てたんですが、どうも本気のようにも見えてきました。
しかし大リーガーにしろ首相にしろ、「なる人とならない人とは性格が違う」ということは、大リーガーはみんな、首相はみんな、性格が似ているって言ってるのに等しいんじゃないでしょうか(逆に首相、大リーガーにならない人の性格が「似ている」とも)。
なんか変なような。。。

投稿: みづ | 2007年10月10日 (水) 00:45

みづさん、今晩は。

ナルトさんのコメントが増えるにつれて、やはり本気なのだろうな、と感じます。
2ちゃんねるのスレでは、ABO FAN氏とやり取りした方なんじゃないか、とも言われていますが、メールのやり取りにはあまり目を通していないので、よく判らないですね。

血液型と性格の関係の議論のはずなのに、首相と血液型とか、スポーツ選手と血液型とか、の話になっているんですよね。その前に、「首相と性格」や、「スポーツ選手と性格」について考えないといけないのでは、と思うのですけれど。
ロジックとしては、

 ・歴代首相や歴代日本人メジャーリーガー
  (←以下では語を省略)の成員は、群内
  で、性格が似通っているであろう。

 ・首相やメジャーリーガーには、特定の
  血液型が多いというデータがある。

 ・よって、首相やメジャーリーガーに多い血
  液型は、首相やメジャーリーガーに適する
  性格(とか気質)と連関しているであろう。

と、こんな感じでしょうか。

そもそも、ある程度強い連関の話をしているのだから、一々特殊な集団を出さずに、より母集団を広げて論じるべきだし、それを、再三指摘されているのですよね。首相にO型の割合が多いらしい、とか、メジャーリーガーにA型が多いらしい、と言われても、「ふーん」としかならないと思うのですよね。

スポーツには体力的要因が大きく関わるし、政治には、色んな大人の事情が関わってくるでしょうから、血液型がどうこうという問題じゃあ全然無い、と思うんですよね。

性格が、首相になれるかを左右するとすれば、随分単純な世の中ですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月10日 (水) 02:07

kikulogにコメント入れようと思ったけど、あまり重要な事でも無い気がするので、こっちに。

------

今晩は。
 
細かいですが、私が書いたのは、
 >「同じような人」
 
ではなく、「同じ様な性格」、です。
 
 >特定の性格特性(適性といってもいいと思
 >いますが)が求められることは、たぶん事
 >実でしょう。
何故、「たぶん事実」なのでしょう。それは、根拠薄弱の推測では?

------

しっかし、ABO FAN氏は、本題に関係無さそうな事を、どんどん書いてますねえ。

血液型と性格が強く連関すると判明した後に、歴代首相にO型が多い事をもって、「首相になる人はこういう性格であろう」、と言うなら、まだ解るんですけどね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月14日 (日) 23:38

まだやり取りは続きそうだから、やっぱ、短い質問を少なめに投げかけた方が良いと思う。前と同じか、前よりひどいくらい、論点の拡散、誤読、曲解(か誤読か、判然としないけど)が見られるし。

なかなか難儀ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月16日 (火) 00:38

ちょいとメモ。

○分布がどうなっているか。

・差がある。

・性格が判断出来るほど?

○差が出たとして、何故そうなっているか。

・社会心理学的メカニズムによる。

・生物学的メカニズムによる。

そして、

・「関係がある」とは何を指すか。

---

ここら辺の所が、錯綜しているように思える。だから、ABO FAN氏の主張を少しずつでも引き出しながら、そこを検討すべき。不用意に、「別に少しくらい差があったって構いませんよ」、などと言おうものなら、「関係があると認めた」、と書かれかねない。

投稿: TAKESAN | 2007年10月16日 (火) 00:54

TAKESAN こんばんは。

こういうのは既出かもしれませんが、素朴な感想です。
http://cute.cd/toshi/ketsueki/index.html
芸能人・有名人の血液型です。
これを見ても、長嶋と野茂が同じ性格とは決して思えませんし、どうして共通性が出てくるのでしょうか。すごく疑問です。あとアントニオ猪木と桑田とか。孤高の天才なんて言われても、そんなの性格でもなんでもないですよね。
早稲田の齋藤投手も、そこの分類ではA型的な性格のような気もしますが、血液型支持者は納得しているのでしょうか。
「実は齋藤投手もO型の性格なんです」なんて決めつけると、それこそ差別的な問題になりますよね。

投稿: ドラゴン | 2007年10月17日 (水) 18:17

ドラゴンさん、今晩は。

おー、こんなまとめのページがあるんですねえ。しかし、よく調べたなあ。

適当な分析がされてますね。

キムタクと稲垣さんなんて、全然性格違うっぽいし。

実際、ステレオタイプが働いて、相手の行動を、それに見合うかたちで解釈する、というのは、大いにありそうですね。そういう決め付けをしている人を、見た事もあります。

------

ちょうど、明日分のエントリーで、血液型性格判断について、書く所でした。

投稿: TAKESAN | 2007年10月17日 (水) 22:38

ドラゴンさん、TAKESANさん、こんばんは。

>芸能人・有名人の血液型です。
あの、冒頭のバンド別(とは言わないんだろうなあ)の血液型分析は、どういう意味がある(つもり)なんでしょうね。「TOKIOは顕著なO型的グループで、嵐は典型的なA型グループ」とか、そういう話でもしたいのかな。
あ、違うか。楽しければ、話のタネになれば、なんでもいいという人たちだっているはずですもんね。その場合、「血液型はこんなに偏っているのに、そんなに×型的でもないよね、おもしろいねー」とかでもいいのか。
なんの意味があるのだと問うだけ無意味なんでしょうね。

>これを見ても、長嶋と野茂が同じ性格とは決して思えません
これ、ずっと引っかかっていることのひとつなんですが、多分、「同じ血液型だと同じ性格だ」とまでは、ビリーバーの方たちも言わないんじゃないでしょうか。ABO FAN氏の「性格ではなくてなんちゃら傾向だ」じゃないけど。
そうは言っても、「なにか性格的な共通項がないと話がおかしい」ってのは変わらないわけですが、細かい話を持ち出せば、なんとでもこじつけることができそうでもありますよね。「○○なのに意外に△△なところが×型的で」とかなんとか。

なんかもう、陰謀論と同じで、思いつきでいろんなことを唱えている人がたくさんいて、ちゃんと考えようとすると頭痛とメマイで立ち直れなくなります。
でも、この手の議論のおかげで、相互に整合性なく「いろんなことを唱えている人がたくさんいる」ことが無制限に許される、言い換えれば、全体の体系と関係のない無秩序が許される、という事態が「在野の研究」では起きやすいのだなあ、ということを学びました。これを百家争鳴と呼んじゃったら、過去のすべての論客に申し訳ないですよね。プロパーの重要性を再確認した次第です。

長々と失礼しました m(_ _)m。

投稿: 亀@渋研X | 2007年10月18日 (木) 01:41

▽▽▽引用▽▽▽
これ、ずっと引っかかっていることのひとつなんですが、多分、「同じ血液型だと同じ性格だ」とまでは、ビリーバーの方たちも言わないんじゃないでしょうか。ABO FAN氏の「性格ではなくてなんちゃら傾向だ」じゃないけど。
△△引用終了△△
私は、ここのポイントがかなり重要だと思っていて、たとえば、(これは、統計云々を考える以前に、私が直感的に捉えた論理なのですが)血液型性格判断を信ずる人は、とても強い関係を主張している訳ですが、それに対して「野茂と長嶋の性格はどう見ても違うんじゃ?」と反論すると、個人差がある等の、回避をされる可能性があるんですよね。でも、強く関係するはずなのに、なんで、正反対とも言える性格の人が現れるの? とか、それは結局、環境の作用が大きいと認めているのでは、とかの疑問が出るのですね。
場合によっては、「表面上は違うように見えても、本質的には似ているのだ」、とか言ったりも…。気質概念を用いたりして。でもそもそも、性格の話なんですけどねえ。

普通なら、「TOKIO、4人同じなのかあ。あれだけ個性が違う人達なのに、血液型は一緒なのね」、となると思うんですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年10月18日 (木) 11:58

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