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2007年9月 6日 (木)

わからんなあ…

apjさんのブログのコメントを読んでいて、思ったのですが↓

コメント整理中 :: 事象の地平線::---Event Horizon---#com6305(中澤さんのコメント)

コメント整理中 :: 事象の地平線::---Event Horizon---#com6309

コメント整理中 :: 事象の地平線::---Event Horizon---#com6310(mimonさんのコメント)

水伝に関して、

内容自体は非常にいいこと言っていると思う。(中澤さん)

とか、

あの本が幼児向けの絵本であれば(mimonさん)

とか、意味がよく解らないのですよね。

「あの本」とは、江本氏の本の事でしょうけれど、「あの本が幼児向けの絵本であれば」って、どういう事なんでしょう。幼児に向けて、どういう風に書きますか。ここの「であれば」の仮定が、解らない。それと、中澤さんの、「内容自体」。内容自体、って、何でしょう。水伝から何を切り落とし、何を残したものが、「内容自体」とされるのでしょう。正直、さっぱり理解出来ないのです。

それと、mimonさんの出された活水器の例、妥当な喩えなのでしょうか。そういう製品というのは、そもそも、水質を変化させる、という機能を謳っているものなのですよね? 対して水伝は、事の始めから、道徳的問題と絡めて論じられる主張です。我々が良い言葉だと思っている言葉は実は、水をキレイにさせる力を持っていたのだ、という言い方なのですから。もしかして、「水は美味しくなる」という部分と、「良い言葉」を対応させているのかな。もちろん、美味しさというのは、味覚と密接に関わっている認知で、言葉の良し悪しというのは恣意的に決まっている事なのですから、かなり異なった問題です。

私が水伝の間違いは、道徳的(主観的)な面が二次的だと言うのは、客観的な部分での間違いのほうが、より大きい問題であると感じるからです。

私は、どっちが大きい問題であるか、などという事は、そもそも言えない、と考えているのですが、どうでしょう。どちらの方が、という言い方は、違うんじゃないですか。そもそも、がっちり絡み合っているのですから。

中澤さんの、

頭から否定して糾弾するだけなら魔女狩りと同じじゃないかな。

この喩え。魔女狩りを持ち出すのは、適切なのかな。仮に、「頭から否定して糾弾するだけ」、という行動が、「魔女狩りと同じ」、とするのが、妥当だとします。その場合、「頭から否定」とはどういう事か、とか、「糾弾するだけ」、とはどういう事か、という疑問が出てきます。頭から否定、って、どういう意味なのでしょうね。ちょっと良く解らない。

水伝に関して、内容は良いのだから、と言う意見は、たまに、見る事があります(kikulogで議論もした)。でも、どの部分の事を言っているのか、判然としないのですよね。「良い言葉を使いましょう」、という所なのでしょうか。しかしそれは、水伝でも何でもありませんよね。

うーん、わからん。

皆さんのご意見を、伺いたいです。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

どう思うかは人それぞれだろうとは思いますが、
水伝(とそれを肯定する言説)は結局「多数者が良いと思うものを正当化するためならどんなデタラメな根拠を持ち出しても構わない」と言っているようなもので、
これを単純に「良いもの」と考えてしまう発想というか、「ありがとう」を良しとしないような思想を「ダメなもの」としか捉えられなそうな無神経さが怖いですわ。

あと、あれっすよ。
あんたら身体にいい影響さえないなら、他人に感謝の言葉も述べられないような薄情者なのかと。

投稿: 黒屋ぶるー | 2007年9月 6日 (木) 02:05

黒屋ぶるーさん、今晩は。

よく話に出る事なのですが、水伝って、良い言葉を使いましょうという「根拠」に、水も綺麗になるのだから、というのを持ってきていて、それは、おかしな話だろう、と感じるのですよね。幾何学的美醜と善悪を、結び付けたりする所も。後は、何かを良いと規定する事で、他のものに不寛容になる。これについては、corvoさんのブログのエントリーが、大変参考になると思います。

水伝は、水が言葉によって変化する、という主張があって、それを基にして、行動の規範を説く、という構造な訳ですよね。それを切り離してしまっては、水伝の主張では無くなってしまう。だから、apjさんのブログへの、お二方のコメントに、違和感を覚えました。

江本氏の主張を、知らない人もいるんでしょうね。死海の話とか、ハリケーンに関する言及とか。これを知っているか知らないかの差は、結構大きいかも。

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超余談。

これ、その内書こうと思ってたんですが。
水伝的には、吉本新喜劇って、もう、絶対ダメダメですよね。みんな、ムチャクチャ乱暴な言葉使ってますしね。
で、思うのは、ああいうを楽しめない様な水なら、水なんかに教わらなくても結構だ、と。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 03:01

こんにちは、みなさん。

 水伝が「間違い」なのは、自然科学的に間違いだからではなく、道徳という社会的な規範を「間違って伝えるもの」だからです。

 分かり易くするというより、すこしお読みの皆さんを混乱させる目的で変なたとえ話を出しましょう。カッコウなどのように他の鳥の巣にタマゴを生む鳥(託卵と言います)では、託卵されたタマゴは他のタマゴよりも早く孵り、ヒナは他のタマゴを巣から落としてしまいます。そして仮の親が運ぶ餌を独り占めすることで成長します。これを人間の社会規範で見るなら、「酷いこと」とみえるのでは無いかと思うわけですね。では、人間の規範に基づいて、カッコウなどは絶滅させてしまいしょうか?みんなで、カッコウを殺して回りましょうか?

 なんとなく、どこかから「それは自然の摂理だ、人間の道徳なんて当てはめて考えるな?」なんて声が聞こえてきた気がします。自然界を観察すると、こういう風に人間の道徳を当てはめて考えてはならない事にしばしばぶつかります。それでは、自然の摂理を人間の道徳にあてはめて考えるのはどうでしょう。カッコウは託卵をするのだから、人間がこっそり病院の新生児室にしのびこんで、生まれたばかりの赤ちゃんを取り換え、盗んだ赤ちゃんはどこかに始末する。自然界の中で同じようなことが行われているのだから、人間がやってもかまわないのでしょうか?誰も非難したり処罰してはならないのでしょうか?

 こんどは「それは自然の摂理ではない」とかいう声が聞こえてきた気がします。そう、こんなことを考えるていくと、自然の摂理と人間の道徳は別な物として認識しないと、いろいろと困ったことが起こることが分かります。

 水伝は「自然の摂理」としても嘘ですが、それが嘘であるということ以上に「自然の摂理」と「人間の道徳」を混在させるという大きな間違いをさせようとするものである点において大きな問題なのです。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月 6日 (木) 08:22

ディテイルに反応しますが。

魔女狩りと云うのが生じる要因はいくつかあるんですが、中世ヨーロッパで猖獗を極めたときの主要因としては「それまでの共同体が解体される時期にあたり、通用してきた規範が変化してきた」「そのなかで、魔女と云うものの存在がキリスト教と云う規範に対する『アンティクライスト』として位置づけられ、熱狂的な現象となった」みたいな部分が大きいんですね。

そう考えると、スケールはとても小さいですけど、「ニセ科学批判」も「科学万能批判」も、魔女狩りに類似した背景は持ってはいるのかもしれません。でも少なくとも魔女狩りは「頭から否定して糾弾するだけ」のものではないので、その意味で中澤さんの意味で魔女狩りと云う言葉を使うのは完全な的外れです。

投稿: pooh | 2007年9月 6日 (木) 08:28

技術開発者さん、今日は。

私は、「内容自体」はという書き込みを読んで、それは、”自分が、問題無いと思える様に水伝を切り刻み、再構成して、それについて語っている”のではないか、と感じました。「良い言葉を使いましょう」は水伝では無いし、幼児向けの絵本として書けば……という仮定も、とても曖昧。

技術開発者さんが仰る様に、水伝とは、
 >「自然の摂理」と「人間の道徳」を混在させるという大
 >きな間違いをさせようとするもの
という所がまさに問題なのであって、mimonさんが仰る、道徳的な部分が二次的である、と考えるのは、よく理解出来ないです。

------

poohさん、今日は。

それは魔女狩りだ、という喩えが出てくる時、そこには、全く具体的に検討せず、直感に従い、反論も聞かずに糾弾する、という意味合いが含まれると思います。しかるに、ニセ科学というものは、どこがどうそうなのか、というのを指摘出来なければ成立しないので、アナロジーとして、当てはまらないと感じました。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 12:15

>まあ、たしかに「水伝」はオカルトだけど、ただ、内容自体は非常にいいこと言っていると思う。

いや、ハッキリ言って 水伝は 「考える葦にとって絶対悪」とい言い切っていいでしょね。


>水伝が「間違い」なのは、自然科学的に間違いだからではなく、道徳という社会的な規範を「間違って伝えるもの」だからです。

これが ニセ科学のカテゴにはいっている理由は
本に出てくる「実験」という単語と自然科学の棚にこの本が置いてあるためかもしれませんね。
(きくちさんが「夏休みの 自由研究」は「科学研究」ではありません と素晴らしい指摘を。)

猿蟹合戦や北風と太陽 が ニセ科学だとか 自然科学的に間違いだとか言われることはないですし。

技術開発者さんがしてくれたカッコウの話に関心をもったら 次は 素晴らしいコミック「寄生獣」オススメしたいですね~。

ってapjさんのブログですべきコメントなのかーと思っていながら送信ボタン押してみたり。

投稿: 骸 | 2007年9月 6日 (木) 16:21

骸さん、今日は。

ニセ科学の議論の際に、ではサンタクロースはどうか、とか、そういう話が出てきますよね。でも、水伝は、そもそも「実験」の話が入っている訳で。水伝の「内容自体」と言ったら、それは、瓶に入った水に文字書いたラベルを貼ったり、というのを、必ず含むのですよね。そこを強調しているから、サンタクロースの様な類の話とは、異なる、という。

------

上で触れている、corvoさんのブログの水伝関連のエントリーの紹介と、私自身の考えは、こちらに書いてあります⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_91ad.html

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 17:17

ごめんなさい。ピンぼけのコメントでした。

慣用句としての「魔女狩り」は、「ある共同体のなかでひとつの心性が支配的になって、特定の属性を持つものを排除し始める」と云うような意味だと思います。

でもこれって、なによりも回避すべきことだ、と云う認識が批判者の間では共有されていると思います。て云うかなによりもまず、「ニセ科学批判」って発想は支配的でもなんでもない(^^;。

投稿: pooh | 2007年9月 6日 (木) 23:09

元々の魔女狩りには、「属性をでっちあげる」、という構造がありますよね。魔女なんて、存在しない訳ですし。ですから、ニセ科学批判にそれを当てはめるのに、凄い違和感を、感じました。

もちろん、慣用句の用法に拘り過ぎだ、というツッコミも、あるかも知れませんけれど。

駄目なニセ科学批判は、ニセ科学批判者から批判を受ける、というのが、あまり理解されていないのかなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 23:43

こんばんは。
わかる気がするんです。推論ですけど。
水伝を肯定的に紹介されているブログを読んでいて、

プロセスについてはよく判らないけれども、きれいな「写真」があるし、「科学」ってかいてあるし。不思議だけど本当なんだろう。

みたいなニュアンスを感じるときがあるんですね。
で、「ありがとうっていうのはやっぱりいいことなんだ。水の結晶もこうなる」って感動してる、彼/彼女の目に映っているのは「無機物」じゃなくて「自然」なのかしら、と考えたりしてます。

apjさんのところでコメントされていた方の真意は判りませんが、
怪しい部分を「不思議だが本当だ」でスルーしちゃうと「いい話」
にみえちゃうと思います。

ちなみに私は、学校の先生が授業で教えるのはだめだけど、子供が勝手に信じるのはアリかも、と考えてます。オカルトと同じで。

投稿: thotc | 2007年9月 6日 (木) 23:43

thotcさん、今晩は。

水伝の話に触れるのって、色々なケースがありますよね。学校の先生が、実験の話まで含めて紹介した、という場合。こーださんがテレビで喋っているのを観て、いい話だ、と思った場合。こういう場合は、どこにクローズアップしているかが、それぞれ異なるので、あ、いい話だなー、と感じるのはあるでしょうし、私も、何となく、理解出来ます。

でも、apjさんのブログのコメントでは、「内容自体」、と表現されているのですよね。これは一体、何を指すのだろうか、と。色々な部分をスルーすると、「水伝の内容自体」には、ならないはずなんですよね。そういう所が、気になったのでした。
この事については、ここに纏めました⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_7641.html

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 23:56

確かに いじめられている側の子供が水伝を受け入れて(信じて)しまった場合、
血液型コンプレックスに似た様な自己の否定の可能性がありえますね

ボクはいつも酷い事を言われている きっと体の中身も醜くなってるんだ

など考えられなくないですね

私は茂木さんが批判している形の ファシズム的という部分に共感なんですが。
ホント 百害あって一利なし という感じがします 水伝は。

"ウザイって書き込みあったけどウザイんで消します"
と kikulogで きくちさんのコメントがあったと思いますが

「ウザイと言われたら 同じように ウザイ と言う気持ちになるでしょ」
というのが"本来"の言いたい事だとしたら
水伝は余りにも いわゆる "蛇足" そのものなんですよね。

上の きくちさんのコメントは 等身大というか ハッキリ言ってる所がなんかイイですね~w

投稿: 骸 | 2007年9月 7日 (金) 22:40

骸さん、今晩は。

水伝が引き起こす可能性のあるものは、自己否定・不寛容・排他、等々、ですね。自己否定は、起こりうるだろう、という程度の、推測ですけれど、不寛容というのは、言葉を二分するという所から、容易に導けます。死海の話からも、それが窺えます。

▽▽▽引用▽▽▽
「ウザイと言われたら 同じように ウザイ と言う気持ちになるでしょ」
というのが"本来"の言いたい事だとしたら
水伝は余りにも いわゆる "蛇足" そのものなんですよね。
△△引用終了△△
そうなんですよね。そしてそれは、本当は、言葉の体系がどうなっているか、とか、お互いの関係性はどういう状態か、という所から考えていくべきなのですよね。言葉はそうなっている訳ですから。

言葉を、きっちりとした、リジッドなものだと考えると、言葉にとらわれてしまうと思うんですよね。強く内省的な人だと、自分を追い込む事もあるんじゃないかな、と。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 7日 (金) 23:08

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