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2007年9月23日 (日)

ゲームと教育

テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから Book テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから

著者:藤本 徹,マーク・プレンスキー
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは面白そう。読んでみようかな。

ここに、コンテンツ紹介が⇒Serious Games Japan: 「テレビゲーム教育論」発売開始

すごく面白そう。つい先日、脳力が低下とかなんとか言っている本が出たばかりなので(未読)、比較してみるのもいいかも知れませんね。

ところで、藤本氏と言えば、これの著者ですね↓

シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム Book シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

こちらも未読ですが、近い内に読むつもりです。

こちらは、藤本氏のブログ。さっき見つけました⇒Another Way - 教育・学習、シリアスゲーム、留学生活のブログ

ゲームの教育への応用、シリアスゲームについては、あまり知識が無いので、色々勉強せねば、と思っています。

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ゲーム論」カテゴリの記事

コメント

こんばんわ。エントリーと関係なくてすいません。TAKESANさんとこちらを読んでおられる方、興味あるかも?と思って。高校生向けの講座ですが、一般の方も大丈夫な講義です。

http://high-school.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_time/2007w/071214.html
http://high-school.c.u-tokyo.ac.jp/
超常現象 vs 科学――不思議をつくりだす方法――
日時:2007年12月14日 17時30分から
場所:18号館ホール
講師:滝川 洋二
東京大学教養学部附属教養教育開発機構
教養教育社会連携(ベネッセコーポレーション)寄付研究部門


 あなたは超常現象――火の玉、透視、予知、心霊写真、勝手にものが動くポルターガイスト現象などなど――に興味はありますか。超常現象は面白そうだと感じているのなら、あなたは結構だまされやすい人かも知れません。納豆ダイエットで捏造が発覚したように、科学を装って人をだますことも少なくない社会です。
 今回会場で、一見超常現象のような、「火の玉を電子レンジで作る」、「本来陰に隠れて見えないものが見えるようになる蜃気楼現象」、「電気を通さない代表のようなガラス棒に電気が通り、ガラスが明るく光り続ける」他のちょっと不思議な現象を科学実験でお見せします。現象には必ず理由があります。その理由を探り、科学を楽しみながら身につける方法、科学を装ってあなたをだまそうとするエセ科学に対し、楽しい思考で批判する視点を紹介します。
 不思議から出発し、不思議を作り出すたのしい科学の世界への案内です。

投稿: 安原 | 2007年9月23日 (日) 17:55

安原さん、今晩は。

おお、ありがとうございます。
これはいいですねえ。高校生向けに、こういった公開講座を開催するというのは、とても良い試みだと思います。実践で確認出来る、というのがグッドですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月23日 (日) 18:38

http://takoyaki-tako-tako.de-blog.jp/takotako/2007/09/post_6698.html

うおっ。たこやきさん、早い!

…なんか、凄そうですね。中学生PC部の対照が大学生って。これじゃ、母集団も何も無いじゃないか。

読まないとなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年9月23日 (日) 18:57

私もその比較には驚きました。
中学校のPC部員と大学生を比較して、何の意味があるのかサッパリ理解できませんでしたし。
そもそも、森氏によれば、そのPC部員たち、3年間、部活動でPCを扱ったのに「ビジュアル脳」にしかなっていないそうです(一日15分以上やるとダメ、とか他で書いているんですけどね)。

ちなみに、あとがきで川島隆太氏の発言を取り上げ、いかにも川島氏の研究が自分の実験と同じである、というような書き方もしています。
川島氏が怒るだろうな…と感じましたね。

投稿: たこやき | 2007年9月23日 (日) 19:51

たこやきさん、今晩は。

まさに、相変わらず、という感じですね。こういう持説の発表の仕方を、いつまで続けるのだろう…。

▽▽▽引用▽▽▽
あとがきで川島隆太氏の発言を取り上げ、いかにも川島氏の研究が自分の実験と同じである、というような書き方もしています。
△△引用終了△△
それはいかんですね。激しくいかんですね。

なんだかなあ、ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月23日 (日) 22:41

『テレビゲーム教育論』は、先週の日曜日、日経新聞で採り上げられていました。
その日のうちに書店で貼り出されていたのを見かけたで、こちらにでもタレコミに来ようかなと思っているうちに、先を越された感じです(^^;)
いま改めて調べると、「ゲームが映す世代断絶、否定超えた視点必要—評論家芹沢俊介氏(今を読み解く)」という記事だったようです。残念ながらネットでは読めませんけど、下記に概略が紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/mobile?date=20070918

芹沢俊介の「自分にはわからん」という態度は評価してもいいと思ったり、あの本とこの本を並列で判断できんというのはいかがなものかと思ったり。

投稿: 亀@渋研X | 2007年9月23日 (日) 23:19

お、ありがとうございます。

批判(ここではネガティブな意味合い)するにしても肯定するにしても、まず「知る」事が大切だと思うんですよね。害悪論をぶつ人は、あまりにもそれが足りないという印象です。ゲームを知っている人ならあり得ない様なミスとかやらかしますしね。もちろん、害悪論否定にも、乱暴な論理はあったりする訳ですけれど。
ゲーム影響論というのは、優れて社会科学的な問題だと思っています。そういう面からのアプローチが必要ですね。決して、静的な文化では無い訳ですし。

投稿: TAKESAN | 2007年9月23日 (日) 23:53

芹沢氏の著書に書いては、氏が編著した『引きこもり狩り』というのを読んだことがあります。
「引きこもり」の矯正施設(?)での暴力による死亡事件を中心にした著書なのですが、その中で印象的だったのが、「善意の道は地獄へ通ずる」という言葉です。
「自分たちは善意でやっているんだ」という意識が、自分の行動を正当化し、そこから外れるものに対する寛容さを失わせてしまう、というようなことなのですが、これは(森氏や岡田氏が本当に善意からのみ発言するのかどうかは別にして)「ゲーム害悪論」などに関しても当てはまるのではないかと思います。

投稿: たこやき | 2007年9月24日 (月) 06:08

たこやきさん、今日は。

 >「善意の道は地獄へ通ずる」

これは、考えされられる言葉ですね。

ニセ科学の議論でも、善意の問題が、よく採り上げられますね。水伝もですし、ゲーム脳もそう。善意による信念が、学問的な正確な検証を経る事無く突き進み、それが、不寛容へ繋がっていく、という。
自分が、「何ものかを積極的に嫌っている」のではないか、という所に、目を向けるべきなのだと思います。個人的な好き嫌いはあっても良いけれど、それを”正しさ”と結び付けると、ロクな事にならないですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月24日 (月) 12:10

本屋で、こんなのを見つけました⇒http://www.amazon.co.jp/dp/4163692606

ぱらっとめくったんですが、うーん…。

色んな本が出るもんですねえ。
こういう本って、メカニズムの話が、それっぽいかたちで出てくるんですよね。そんなに明確に因果関係を論じられる程、脳の事、ゲームの事が、解っているのかな?

---

思うのは、
物事を積極的に嫌わせてどうするのだろう。
という事です。

これについて、明日アップするエントリーに書こうかな。

投稿: TAKESAN | 2007年9月24日 (月) 17:24

ITmediaにこんな記事が出ていたのでたれ込み。

Wiiで引きこもり克服も――精神医療にゲームを活用 - ITmedia News
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/28/news068.html

最後のほうに「分析」のほうの事件報道関連のコメントも。

まあ、しょせんは道具とか方法論なので利用の仕方もいろいろある、が、好き嫌いが入っちゃうと判断を誤りやすくなるとか、そんな話でしかないですよね。ありふれた話だけに、誰にとっても人ごとじゃないんですけどね。冤罪事件とかと同じですね(ある種のゲーム論や俗流若者批判はまさに冤罪だったりする可能性が高いわけですが)。

投稿: 亀@渋研X | 2007年9月29日 (土) 12:15

亀@渋研Xさん、今日は。

記事のご紹介、ありがとうございます。

マスメディアの論調なんかは、「初めに好き嫌いありき」、になっているように思えるのですよね。それで、色々なものの原因を押し付けてしまう。
そして、もしかすると他に考慮すべき要因があるかも知れないのに、それから目を逸らせてしまったり、非難の対象に関わる人へのネガティブなステレオタイプを作ってしまったり、という事も起こってしまう。

だから、やるべきは、正確に評価する事なのだと思っています。悪影響があるなら、それをきちんと考えていくべきだし、有効活用出来るなら、そこを探っていけば良い。
なのに、ゲームは、ファミコンが出てきた頃から(メジャーになってきた頃から)、色眼鏡で見られてきたのですよね。なかなか悩ましい事です。最近は、ある程度改善されているかも知れないですが、楽観は出来ないですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月29日 (土) 12:51

ちょっと古めの記事ですが⇒http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/95662/

こんな記事があったんですねえ。

投稿: TAKESAN | 2007年11月21日 (水) 20:24

この記事の方も「ノスタルじいさん」の一人ですね。

メンコもビーダマも、駄菓子屋で手に入れるにはお金がいるし、小遣い貯めて手に入れた戦力も、負ければ取られるしで、殺伐とした遊びなんですけどね。

この記事を書いた人は、ほんとはメンコやビーダマで遊んだことがないか、自分が子供だった時のことを忘れてるか、なかったことにしてるんだと思います。
こんな評論書いてるようでは、子供に舐められます。

投稿: A-WING | 2007年11月22日 (木) 11:44

調べてみると、50歳くらいの方のようです。

記事を読んで思ったのが、「あまりゲーム経験が無いんじゃないかなあ。」という事でした。
古めの遊び。年代的には、遊んだ事はあるでしょうから、後者(忘れている。無かった事にしている)なのかも知れませんね。

子どもはバカでは無いので、ああいう記事を読むと、失笑するでしょうね。ものを解って書いてないでしょ、という感じで。

投稿: TAKESAN | 2007年11月22日 (木) 13:52

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