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2007年9月 4日 (火)

信じ方’

Interdisciplinary: 信じ方

水伝(に限らず、ニセ科学全般に言える事だと思いますが)を「信じている人」、と一口で言っても、その認識の内容には、ばらつきがあると思います。これ、重要だと思います。

友人に薦められた等して江本氏の本を読み、深く納得して、信仰心に近いものを持った人。何となくテレビを観ていたら、自分の好きな芸能人が出ていて、その人が水伝の話をしているのを聴き、「ふーん、そうなんだ。」と感じた人。綺麗な結晶が出来るかどうかは判らないが、音が影響を与えるかも知れないな、と感じる人。等々…。たとえば、こーださんがテレビで喋っていたのを観て、信じた、とか。発信者の属性に依存する、というのはあり得ます。尊敬する先生から紹介された、とかでも、ですね。もちろん、既有の知識の量も関係しているので、非常に複雑な話、だとは思いますけれど。変な話、大嫌いな芸能人が言っているのを聞けば、全く信じないかも知れません。尤も、嫌いな人の話を真面目に聞くか、という考え方も、出来ますが。

水伝の主張を受け容れる人が皆、最初に挙げた例の様に、積極的に江本氏の本を読んで、その上で信じている、という訳ではありません。江本氏の著作を読んで、とは限らない、という事。ですから、江本氏はこんな事まで主張しているのだよ、と教えれば、その主張を、荒唐無稽なものだと考え直す事もあると思うのです。例えば、水に「ありがとう」という言葉を聞かせれば綺麗な結晶が出来る、という説を受け容れる人でも、文字を「見せて」綺麗な結晶が出来る、という説には納得はしないかも知れませんし、文字を見せる事をも受け容れる人でも、「日本の神の名前を見せたら、結晶が御札の形になる」(書いてて頭が痛くなってきますが…)という主張を知ったら、疑うかも知れません。より深く信じる可能性も、無くは無いですが、どうでしょうね。これは、何回も出しますけれど、「阪神優勝」は、無いですよね。ある意味、合理的認識をチェック出来る一つのテスト、と言えるかも知れませんが。(阪神優勝と書いた紙を貼ったら云々、という話を信じたとすれば、水伝の論理のおかしさを認識するのは、かなり難しいでしょう。)参照⇒Masaru Emoto's Website:■ 2003年9月16日(火) 阪神優勝

これらを踏まえると、専門家(つまりプロの科学者)が追試をして反証し、その結果を広く公開する、という事も、決して無駄ではないのでは、と思います。勿論、江本氏等は、様々な理由を付けて、反論を行うでしょうけれども、「何となく信じている人」とか、「そういう事もあるかもなあ。」と思っている人達に対しての、有用な情報にはなるのではないか、と考えています。これは、その後も、田崎さんの文章に対する(反証実験の是非)議論があったし、apjさんのブログでも議論がありました。現在の私は、水伝に関する厳密な意味での追試は、そもそも出来ないし、行ったとしても、水伝の支持者側は、様々なアド・ホックな、姑息の言い訳をして、批判を逃れようとする可能性があるので、敢えて科学的に妥当な実験は行うべきでは無い、という考えです。ちなみに、他のニセ科学はともかく、水伝に関しては、まず、言語学的論理から導かれる批判に、答えなくてはなりません。それが出来ない内は、自然科学的実験云々などという段階には、全く進めません。参照⇒思索の海 - 水に答えを聞く前に ←端的に言えば、1)他の言葉との関係を無視して言葉を切り取って、意味を云々する事は出来ない。 2)そもそも、言葉の音やかたちは、意味と、必然的に結びついていない 3)物理的に無数のパターンが存在する音や画像が、どうやって、水に「理解」されるか(AさんとBさんが書いた文字は、全く同じというのはあり得ないはずだが、それを「同じ」文字であると、水はどうやって「知る」のだろうか) という事です。

ちょっと考えが甘いでしょうか?甘かったですね。「科学者の実験によって反証されている」、というのは、科学としての体裁になりそうなもの、つまり、ゲーム脳等については、有効でしょうけれど、水伝に関しては、安易に行うのは、却って良くない場合がある、と考えます。

それにしても、水伝は、自然科学的メカニズムを云々する前に、先ず人文・社会科学的に批判すべき内容だと思うのですが、そちらの専門家からは、批判の声は挙がっていないのですかね。挙がりましたねえ。いくつかの「マスターピース」(by poohさん)も、生み出されました。多分、「知らない」のでしょうね。何を隠そう、私も、水伝を知ったのは、数ヶ月前ですからね(忘れていただけかも知れませんが。もっと前かも)。正確な事は失念。「ニセ科学」や「疑似科学」等に特別な関心を持って、アンテナを張り巡らせないと、なかなか詳しく知る機会は無いのでしょうね。私が関心を持ったのは、「ゲーム脳」や「血液型性格判断」について調べたのがきっかけです。

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コメント

補足&余談。

本文では、「アド・ホック」は、「後付けの」、という意味で用いています。「姑息」は、「その場しのぎ」という意味。その場しのぎは後付けだから、意味は重なっている訳ですが。
姑息の誤用は多いですね。

最初は、「アド・ホック(姑息)の」、と書こうとしたんですけどね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 4日 (火) 14:43

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