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2007年9月 3日 (月)

メモ:「ゲーム」研究について’

Interdisciplinary: メモ:「ゲーム」研究について

「ゲーム」についての論評――「ゲーム」を、一様な性質を持っている文化と看做し、影響が云々と論を進める。つまり、ゲーム文化の複雑さを無視している、という事。

「ゲームを対象化」する――「ゲーム」という概念の必要十分条件を明らかにする。難しい。ここで言うゲームは、コンピュータゲームの意味。幾つかの条件によって定義された、「ゲーム」概念が、どの様な広がりを持ちうるかを考察する。我々は、どこまでを「ゲーム」として認識するか。古くはゲーム&ウォッチから、現在のPS3用のハイクオリティゲームまで、含み得る。たまごっちも、アーケードゲームも、PCゲームも、「ゲーム」と言われる。多くの論評は、一部のゲームに見出される性質(つまり、必要条件では無い)を、他のゲームにも共通する性質であると看做す(過度の一般化)、という誤謬を犯している。例えば、「サッカーはスポーツである」と教えられた人が、「スポーツとはボールを扱う文化である」という誤りを犯す様なもの。この論理は、「ゲーム」だけでは無く、他の文化にもあてはまる。ゲームを全然知らない人が持つ典型的なイメージとして、昔のシューティングゲームなんかが当てはまりそうですが、どうでしょうね。後、擬音で「ピコピコ」なんてのも。今時言わないかな。過度の一般化について――よく書く事ですが、たとえば野球やサッカーについて調べて、「スポーツ」一般の話をしたら、誰だって、「スポーツにも色々あるのでは?」と思いますよね。それが、ゲームの場合には、あまりなされない。文化の普及の仕方が違う、というのもあるだろうし、「身体運動」として、変化が無い、というのも、あるかも知れません。要するに、ゲームをやらない人が、ゲームをやっている人を見ると、「ディスプレイを前にして、コントローラをかちゃかちゃやっている」、と映る訳ですね。コンテンツの違いは無視する。本を読んでる場合だと、「何を読んでるか」、というのは意識されると思うんですけどね。「漫画」も、「ゲーム」と同じ様な印象を与えるかも知れません。

「ゲームを批判する」論者と、「ゲームを批判する人を批判する」論者との視座の違い――前者は、「ゲーム」を、狭く、単純な文化であると考え、後者は、幅広く、多様性を持つ文化であると考える。認識のズレ。「一口で言えない」という所を認識しているかどうか。

「ゲーム」を取り巻くもの――ゲームの攻略記事を、雑誌やWEBで読む。ゲームについて、友人や家族と語らう。ゲームがきっかけで喧嘩する。ゲームを創る。ゲームを売る・買う。ゲームの「影響」について議論する。これ、重要。ディスプレイの前でコントローラを触るだけが、ゲームに関する行動では無い。ゲームという文化の、発達や認知に与える影響を考えるならば、無理に切り取らずに、システマティックに捉えなければなりません。単純化して考えたい人は、ゲームに「強烈な悪影響」があると論ずるのですね。それこそ、薬物に匹敵する様な。そうすれば、一般論(単純な論理で色々なものを説明出来る)を語れるから、便利なのでしょう。

文化に格付けをする事の危険性――ある文化を「劣等」と看做し、その文化を愛好する者や、当該文化の創造に関わる者を、非難・差別する。その認識を助長する概念装置が開発され、それがマスメディアに載って流布する。「ゲームばっかやってると、ゲーム脳になるぞ」、という類の言明。ゲーム脳になる、と言うのは、脳の機能が衰える、というのと同義で、それは、科学的な根拠が不明確なものなのだから、ゲーム文化に関わる色々な人に対する、謂れ無き非難です。

局面――一つのゲームソフトでも、様々な「局面」が存在する。それを無視してはならない。特に、近年のゲームはそう。RPGでも、フィールド探索・戦闘(ザコ)・戦闘(ボス)・エピソードの進行・ミニゲーム…等々、色々考えられる。たとえば、「RPGをやっている時の脳活動を…」という文章を読んだ場合、ゲームする人は、「どのソフト? それって、戦闘の時? フィールド歩いてる所?」等、沢山の疑問が出るはず。

熟達度――ゲームにも、「上手・下手」がある。上達の度合いによって、認知活動に差が出る。パズルやアクション、シューティングで顕著だと思います。2D格闘アクションを例に出すと、ある程度の水準のプレイをしながら会話する事なんて、簡単です。しかるに、初心者の場合、憶える事が一杯あるので、注意資源を、「上達」に割かなければならない。もっと解りやすい喩え。車を運転する際、助手席の人と、会話出来ますよね? その時、車の運転に対する意識は、ほとんど無いはず。

勝手な前提――ゲームについて語る際、「部屋に閉じ篭って」とか、「一人で」等の条件を、勝手に付け加える場合がある。それらは、「他の人間とコミュニケーションをとらずに」という、ネガティブな印象を含んでいる。大部分は、それらの条件を持つ(一人でプレイ出来、狭い空間でプレイ出来る)と考えられるが、それは、「一人でしかプレイ出来ない」という事を意味しない(「行動空間が狭い」事は、かなり一般的にあてはまると思われる)。多くの場合、一人でプレイ「可能」というのは、言えると思います。RPGなどは、代表かな。オンラインゲームを一人で(MMORPG等を、人間とパーティを組んで)やっているのを、「一人」と看做すかは、また別の問題でしょうけれど。小学生なんかで、一人で籠もってゲームをやってる子は、どれくらいいるかな。その場合、他の子どもとのコミュニケーションに注意した方が、良いと思います。「ゲームをやっているから」、というのでは無くて。

生活の時間配分――一日のどの程度の時間を、ゲームプレイに充てるか。置き換えの話、です。よく話が出る(最近も出た)、ゲームプレイ時間と学業成績に負相関が見出された、というのは、勉強に割く時間が少ないからだろう、という推測の方が、妥当に思います。もちろん、詳しく調べるべきですが。

積極的悪影響論と消極的悪影響論――前者は、「ゲーム脳」論に代表される、ゲームが、心理・生理的に、薬物が与える様な(悪い)効果を持つと考える。ゲーム脳や脳内汚染。後者は、運動をする時間が少なくなる。他人とのコミュニケーションの機会が減る、寝不足になる、等の主張をする。後者が主張する現象が現れる原因として、前者の主張する論を挙げる場合もある。後者は、当てはまる場合も、結構あるでしょう。しかし、マスメディアが「ゲーム」をクローズアップするのが、目立つ印象があります。スポーツに割く時間との関係なんかは、ニュースとして採り上げる事は、あまり無いと思います。つまり、ゲームを特別に採り上げる理由があるだろうか、という疑問ですね。

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コメント

たこやきさん@遊鬱さんブログ 経由の情報。

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※出版社のサイトでは、情報見つかりませんでした。

これは、読まざるを得ない…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 4日 (火) 01:43

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