パズル
知らない事を知らないと言うのは、ちょっと恥ずかしいけれど、知らない事を知っているかの様に言うのは、もっと恥ずかしい。
知りもしない事について「知っている」、と言ったって、言った瞬間に知識が脳に流れ込む訳じゃ無いから、素直になればいいのにね。
知っていると「思い込んでいる」場合もある。自覚としては、ある程度の知識を持っている、と。でも、実は全然知らない(知識が足りない)という事は、ある。
そこに気付くかどうか、だと思う。それを気付かせてくれる様な助言があったり、本を読んだりして、自分が知らないというのを知る。
無知に気付くためには、自分の認識を俯瞰で見る能力が必要なんだよね。何を知らないかを知る、という事だから。超巨大ジグソーパズルで、どのピースがはまっていないかをちゃんと把握する様なもの、か。
無知を「嫌がる」人は、そうならないんだろうなあ。知識を増やす事もせず、自分が知らないのを認めたがらない。でも、ピースがはまって無い所を手で覆い隠して、はまっている、と言っても、指の隙間から、ちゃんと見えるんだよね。はまって無いのを自覚してはいるのだけれど。
負けず嫌いなのかな。
他人に負ける/勝つ よりも、世の中の事についてどれだけ知っているか、というのが、大切なんじゃないか、と思う。
とまあ、そんな事を、ふと考えたのでした。自分は出来てるのか、と問われれば、ある程度出来ていて、ある程度出来ていない、と言えるでしょう。なんじゃそりゃ。
| 固定リンク
「随想」カテゴリの記事
- ぐだぽよー(2011.12.15)
- 知識の使い方(2011.12.04)
- Mochimasaさん(2011.11.30)
- 片瀬さん(2011.11.28)
- 自分で考える(2011.11.28)
この記事へのコメントは終了しました。


















コメント