言語力?
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 「言語力」育成、脱「ゆとり」も…中教審が指導要領改定へ
能力が下がったのかどうかは、よく知りませんけれど、向上をさせようとする事自体は、良いのだと思います。
問題は、何をするか、ですけれど。
学校で指導がなされていない、と言うより、直感を重視して、物事を分析的に捉えようとする事が軽視されている(今も昔も)、というのが駄目なんじゃないかと思う、今日この頃。そしてそれは、近年、マシになってきているのではないだろうか、と思う、今日この頃。
国際的な学力調査で、ポイントだと感じたのは、無解答が多い所なんですよね。日本人的心性、というものがあるとすれば、「間違った意見を言うくらいなら、黙っている」、というのがあるんじゃないかなあ。良い悪いではありません。それは、内省を促し、より良いものに仕上げようとする方向へ行くかも知れませんし、完全主義的になって、自己評価を過度に下げるかも知れません。一概には言えませんね。
お互いの意見をぶつけ合い、相互批判する事に慣れさせるとか、そういうのが重要だと思います。批判=文句(ネガティブな意味での)・非難 と捉えられない様な認識を育てる、と言うか。
後、個人的には、中学辺りで、言語学(とか記号論とか)を学ばせるべきだと考えています。
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コメント
apjさんのブログ経由で⇒http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070817it01.htm?from=top
▼▼▼引用▼▼▼
中教審は、こうした力が欠けていることが、人間関係の構築が苦手な子供を増やし、いじめやニートなどの問題の遠因となっていると分析。言語力の習得を通じ、子供のコミュニケーション能力を向上させることも目指したいとしている。
▲▲引用終了▲▲
こりゃあ、飛躍が過ぎるんじゃないかと思う。遠因と書いてはいるけれど。遠因と言ってしまえば、何でも、そこには当てはめられる。
---------
結局、認識や感情を言語で表現する、というのが重要な訳で。言葉という道具の使い方、ですよね。私は、小2くらいから、作文を親に直されましたけど、そういうのは、役に立っていると思います(文章を書く能力より、読解力の形成に。文章を書くのは大嫌いだったので)。学校教育も大事だが、それ以外での学習も大事。
大人が勉強するのも、一つの手かと。
投稿: TAKESAN | 2007年8月17日 (金) 14:00
apjさんや酔うぞさんが書いておられますけれど、「感想を書く」、だけじゃ、駄目ですよね。「他人が理解出来る文章を書く」、じゃないと。
単に「感想を書く」だと、自分で読めさえすれば良いので、色んな部分を端折ってしまっても、自身の経験の事なので、補完されて、読めてしまう。
ですが、「他人に理解出来る様に」、となると、同様の経験をしていない人、それについて知らない人に対して「説明をする」、というのが求められるので、文章を構成する力を高めざるを得ない。そうじゃないと、「意味解らん。」で、終わってしまうので。
他人に理解して貰おうという気が微塵も感じられない文章を書く学者も、いますけどね…。
投稿: TAKESAN | 2007年8月17日 (金) 14:09
「数学の問題を文章題にすると、混乱が出る」、という話について、適当な推測。
多義的に読んでしまうのではないかな、と。読解力が無いのでは無くて、色々な読み方をしてしまう。ここはこれが言いたいの? それとも違うの? という感じで。質問すれば良いのだろうけど、文章読解そのものも、問題の内、という意識があるから、躊躇してしまう。
で、当該分野についての知識が不足していると、専門的な概念の意味について、あやふやな理解だから、「この書き方だと、こういう事を問いたいのだろう」、という判断をつけにくい。という訳で、知識の多寡も、関係しているでしょう。
4枚カード問題みたいなもんです。違うか。
投稿: TAKESAN | 2007年8月17日 (金) 14:19
最初の読売新聞の記事を読む限り、中教審はそもそも「ニート」について理解しているのかな? というのを感じざるを得ませんね。「ニート」って、年齢と状況が揃っていれば、資格勉強中だろうが、起業準備中だろうが、何だって全て「ニート」ですから…。
イジメなんかにしたって、昔から沢山あるわけですし…。
どうも、何かやる際に「いじめやニートの遠因になり得るから」と言っておけば社会が支持してくれる、みたいな変な認識を持ってしまっているんじゃないか? と思えて成りません。
投稿: たこやき | 2007年8月17日 (金) 14:38
たこやきさん、今晩は。
ニートの部分集合(一般的なニートの定義に、ネガティブな条件を付加した集合)に、ニートそのものを代表させる様な書き方をしているのは、よく見かけますね。
いじめについては、そもそもそれは、多様なパターンがある訳で、差別等にも関わってくる複雑な問題なのですから、いかにも安易な分析であるな、と思いました。
投稿: TAKESAN | 2007年8月17日 (金) 17:57
>読解力が無いのでは無くて、色々な読み方をしてしまう。
個人的な話ですが、私は自動車免許の筆記試験の際にこの状況に陥りました。
あれって(大学入試などと比べると)設問が曖昧なので、自分の持っている知識で普通に答えられそうな問題でも文章次第で引っかかったりとか。なんとか一発合格でしたが。
知識以外の何かを問うているんじゃないんだから、もうちょっと問題文の校正をちゃんとしてくれよ、と思いました(笑
閑話休題。
言語能力の向上が、どれだけコミュニケーション能力の向上に役立つかというのも考えなければならないと思います。
(これは「コミュニケーション能力」という言葉だけが独り歩きしているせいで、その定義が曖昧なせいもありますが。)
例えば「ツーカーで通じる仲」とか「阿吽の呼吸」などの言葉で表されるような、明らかに非言語的なコミュニケーションというのも存在するわけで。
いじめられた経験のある人間から言わせれば、子どものコミュニケーションにとって重要なのは、いかに場の空気を読むかであって、言語コミュニケーションの占める割合なんて本当に大したことはないと思うのですがね。(空気が読めないが故にいじめられたので。
投稿: 黒屋ぶるー | 2007年8月17日 (金) 21:44
黒屋ぶるーさん、今晩は。
あー、運転免許の試験は、ややこしいですよねえ。ややこしい問題の代表、と言うか。ああいう設問をちゃんと読解するのが、注意深い運転に繋がる、って事なんですかね。それでも交通事故は起こる訳ですが。
いじめ、というのは基本的に、「爪弾き」だと思います。前に(いじめカテゴリーのどれかに)書きましたが、「いかなる理由も」、いじめを正当化する根拠にされ得る。言葉を巧みに使う事が、いじめの原因になる事だって、あるのですよね。それは、仰る様に、「空気を読む」事が出来るかどうか、に関係しますね。
枠からはみ出る人間を排斥する、という行為なのですよね。
投稿: TAKESAN | 2007年8月17日 (金) 23:14
これ、PISAで出題された、「読解力」の問題を、安原さんがご紹介されたエントリーです⇒http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016028633.html
この問題、「読解力」か? って感じです。
投稿: TAKESAN | 2007年8月19日 (日) 00:46
PISAの設問は「学習結果を日常生活に応用できるか」「そのために熟考できるか」がテーマなんです。
読解力の設問であれば、「実際に言論活動ができるか」をシミュレートするといった主旨です。書かれている文章の筋道を追えていて、それを使って自分なりに根拠などを示しつつ結論に到達したことがわかる回答ができれば、結論がどうであっても得点に結びつくといったものです(引用しながら反論したり賛成したりする用な文章を書く、といった感じが想定されていると思います。多くのブログでの言説に似ていますね。ただ、掲出されている「手紙」の論理に飛躍や思い込みがあるといった指摘も得点になったかは……忘れました(^^;))。
こういう「正解のない設問」は日本では少ないので、子どもたちは戸惑いもしたでしょう。教育界では設問にある種のショックを受けて「OECD型読解力」とか「PISA型読解力」といった新語も生まれました。日本の教育界がこれまで考えて来た読解力(やリテラシー)とは違う、ということですね。
投稿: 亀@渋研X | 2007年8月20日 (月) 07:02
追伸。
上記は記憶で書いちゃいましたが、下記あたりに設問のねらいとか分析などが出ています。
概要
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04120101.htm
読解力
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201.htm
科学的リテラシー
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05071301.htm
数学的リテラシー
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05071101.htm
「概要」から引用すると
>読解力とは、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。
ですね。「読解」とされてはいますが、「書かれたテキストを」「利用し、熟考」して「自らの目標を達成」する能力ですから、論述する力も問われていると言ってもいいのかもしれません。
投稿: 亀@渋研X | 2007年8月20日 (月) 07:08
ありゃ。安原さんが引用している設問が出てない……資料を間違えたかな?
でもまあ、OECDのPISA2003って調査はそういうもんだってことで(汗
投稿: 亀@渋研X | 2007年8月20日 (月) 07:15
亀@渋研Xさん、お早うございます。
この間寄った本屋で、PISA型読解力の本を、見かけました。(余談ですが、向山氏の本が、山の様に…)
たとえば、PISAの結果をマスメディアが報道する際、「読解力が低下した」、となる訳ですけれど、その際受け手は、一般的に用いられる所の「読解力」として、解釈するのだと思います。測られた「読解力」と、日常的に認識している「読解力」に、ずれが出るだろう、という事ですね。
もちろん、読解力の成績が芳しく無かったのは事実なので、そこはよく考えるべきでしょうね。
無答割合が多い所なんかは、結構重要なポイントの気がします。読めなかったんじゃなくて、答えを書く事そのものをためらったのかな、と。文意を読解する事と、それを基に、自身の意見を文章のかたちで纏める事。そして、それを実際、解答として書くか、というのは、一応、別ですしね。自身の意見を開陳する事を躊躇する、というのがあるかも知れません。
安原さんもお書きになっている様に、文化的な問題も関わっている、というのもあるでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2007年8月20日 (月) 11:15
こんにちは。
一昔前に国語教育界では論理的議論の能力を高めるなんてことが結構目標として連呼されていたような気がするのですが(ちょうどその頃教育実習生でした)、その後どうなっちゃったのか…
個人的には言語学とか文法論って、数式を使わずに論理的な分析力をトレーニングする、良い題材だと思うのですが、問題は国語の教員になる人でもきちんとした言語学の教育を受けられる人が結構少ないということだと思うのですよね。
投稿: dlit | 2007年8月21日 (火) 08:36
個人的な経験では、学校の授業で、論理的能力を高める様な進め方をしているものは、あまり無かったなあ、という印象ですね。どちらかというと、学校以外での身近な人とのやり取りで、多少は鍛えられたかな、と。
そういえば、学校内では、学活とかで、議論は行われていたなあ。
中学生辺りから、言語学一般の知識を学ばせるのも、かなり有効なんじゃないかと考えています。
論理的能力を鍛えるための土台という意味で、批判を嫌がらないとか、自身の意見を出す事を過度にためらわないとか、そういう所も気をつけるべきですよね。
投稿: TAKESAN | 2007年8月21日 (火) 13:11
メモ
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/10/pisatimms.html
大人で、台形の公式で「どうして台形の面積が求められるのか」、という「意味」を解っている人が、どれくらいいるだろうか。円周率の「意味」を解っている人が、どのくらいいるだろうか。
私はそれを、20歳過ぎてから知りました。
投稿: TAKESAN | 2007年10月31日 (水) 13:20