メモ:合気
例によって、武術に関心の無い方には、全く意味の解らない文章です。出来れば、関心の無い方の感想も伺いたいのですが、書きようも無いですよね…(ここは解るがここの意味はさっぱり解らん、とかでもいいのですけれど)。
- 「合気」という現象。ここでは、両手取りに限定して話を進める。
- どの様な現象が起こるかを記述する。
- 受けは力一杯、取りの腕を掴む。一点に固定し、そこから動かさない様にする。
- 取りは、掴まれたまま、まるで掴まれていないかの様に、自分の腕を動かす。
- その後、各種の技に移行する。
- 具体的な技は置いて、この、「掴まれていないかの様に」という部分が、「合気」という部分だと言える。
- ポイントは、取りが、「掴まれていないかの様に」、自分の腕を操作出来る、という所である。
- これは、主観的な、「ぶつからない」とか、「抵抗を感じない」という言葉等でも表現される現象。つまり、一般的な、物を持ち上げる様な運動とは、「感じ」が異なる、という事である。
- 外から観察して、腕を掴まれた人間が、自分の腕を自由自在に動かせる、と見える現象が成立するには、いくつかの可能性が考えられる。以下に記述する。
- 受けが、本気で掴んでいない。
- (上とも重なるが)取りが、相対的に強大な体力(筋力)で腕を「動かせている」ので、主観的な、「力のぶつかる」感じが無い。つまり、筋力をぶつかり合わせている、という事。
- 何らかの、生理学的・心理学的メカニズムが作用し、受けが、まともな筋力発揮を出来ない状態になっている。
- 何らかの、バイオメカニクス的メカニズムが作用し、受けが身体構造の弱点をつかれ、取りのわずかな筋力発揮による運動によって、力が出せない状態に追い込まれる。
- 1:これは、人文・社会科学的メカニズム(高岡)による合気。即ち、「やらせ」に近い。論理的には、受けが意図的に軽く掴む場合と、無意識的に軽く掴んでいながら、思い切り掴んでいる様に思い込んでいる場合がある。
- 上位者を立てようと、わざと軽く掴む。
- 無意識的に、相手が技を簡単に掛けられるくらいの強さで掴んでいるが、自分では、そうでは無いと思っている。
- 主観的にも強く掴んでいると思っているが、上達の度合いが低い為、掴み方の要領が解っておらず、結局、技が容易に掛かる。
- 2:結局、受けが固定しようとする力に対抗出来る力を加える事が出来れば、腕は動く。腕相撲等と同様の論理。成人が、小学2年生相手に腕相撲をすれば、力を使っていない様な主観で、相手を手玉に取る事が可能である。一番目の現象が起こる為の、バイオメカニクス的な原因である。
- 3:これはつまり、生理学的反射や、条件反応的なメカニズムが働き、身体が思う様に動かせない状態に陥っている、という事である。人文・社会科学的メカニズムとは異なり、「やらせ」的要素が無くなる。つまり、「動きたい」と強く考えても、何らかの生理学的な論理により、動く事が出来ない、という意味。
- 4:人体は、解剖学的構造に規定された運動を行う物体である。従って、構造として、筋力発揮が行いにくい、力学的な、いわゆる「弱点」の様なものが存在すると考えられる。
- 再び、「合気」について考える。それは武術的技法であるから、取りを制しようとする相手に対して、そうさせまいと、技を施す訳である。従ってそれは、取りと受けの目的が、相反する事を意味する。即ち、「受け:取りが腕を動かせない様にする」「取り:掴まれている腕を自由に動かす」、という具合に。
- であるから、人文・社会科学的メカニズムによって成立する合気は、この議論においては排除される。なぜなら、人文・社会科学的メカニズムによる合気は、自然科学的・心理学的(社会心理学は除く)合理性を前提としないでも成立するのが条件なので、「受けが取りを、動かない様に制する」事が「出来ない」からである。受けが取りを動かない様に「してしまったら」、自然科学的合理性が必要条件となるから。
- 次に、受けが取りより体力的に劣るから、取りが技を施す事が出来る、という場合を排除する。これは、武術家の共通認識として、「強大な筋力を用いる技は、駄目な技である」、というものがあるから。一般的に筋力の衰える高齢者の達人が、屈強な若い弟子達を、ものともせずに投げ捨てる、という現象を、高級な技と看做している。
- これは言い換えると、高齢者に備わっている程度の筋力でも、高級な技が施せる筈である、というのを示している。当然、人文・社会科学的メカニズムは除外するので、科学的合理性が高い身体運動によって、達人技が成立する、と考えるのである。
- 再び、両手取りを考えてみる。それは先ず、取りの両手首を、受けが両手で把持する、という状態から始まる。そして受けは、取りの腕が動かない様に、身体をコントロールする。
- 取りは、両手を拘束された状態から、自由に動かす事が目的であるから、受けが力を発揮出来ない状態にしなければならない。それには、1)小さな力でも、生理学的な反応を引き起こす事が出来るポイントに刺激を与える(大東流琢磨会の、森恕師範が、この様な説を主張)か、2)バイオメカニクス的な、構造的弱点を攻め、力を出そうにも出せない状態に陥れる、という可能性が考えられる。
- 1):相手が把持する掌のいずれかに刺激を与え、それが、力を出せないという身体的反応を引き起こす、という説。この説についての疑問
- もしその様なポイントがあれば、相手の体力的な条件を無視出来、生理学的反応を利用した技法であるという意味で(という範囲に限定して)、大変に汎用性が高い。論理的には、ある程度の体力さえあれば、プロレスラーの様な体格の者をも制する事が出来るのだから。しかし、掌にその様な特異的なポイントがある、というのが、よく解らない。解剖学的・生理学的根拠が示されている訳でも無い。
- 元々合気というのは「奥義」として取り扱われる様なものであるので、そこには「守秘」がついてまわる。即ち、仄めかしはするが、細かい論理は外部に出す事が出来ない、という具合に。また、達人技であるから、そもそも技法を体得している人間の数自体も少ない。加えて、現象が観察出来たとしても、それが人文・社会科学的メカニズムに拠らない、という事を論証するのも、難しい。だから、「どうしてそうなるのですか?」と問うても、秘密であると言われるか、全く科学的で無い説明体系を持ってこられるかの、どちらかになる。
- 仮に、その様なポイントがあるとして、その様な繊細な刺激を、どんな状況においても駆使する事が出来るか。また、受けの精神状態によって、効果が変わるという事は考えられないか。
- 2):相手が反抗しにくい所に力を加え、腕を操作する。この論理についての疑問
- 構造的弱点を攻めるのは、ある程度合理的であるが、もし圧倒的な筋力差が存在した場合には、どうなるか。一般程度の体力の人間が、力士の様な者に掴まれたとして、技を施せるか。
- 弱点を攻めても、受けは、腕や手指がコントロールしにくくなるという程度であるが、そこから、身体全体が動けなくなるとか、爪先立ちになるとかの、よく合気の技法の説明で出てくる現象へ、どう移行するのか。
- 他人数掛けの問題。合気系武術には、自分の両手を4人に持たせて技を掛ける様な技法が存在する。その場合に、様々な方向から伸びている腕の解剖学的弱点を攻める、などという事が、果たして可能か。神秘的とすら表現される合気の秘技には、デモンストレーション的技法(技法のレベルを誇示するという意味。演技的という意味では無い)としても、他人数掛けがある。
- 構造的な弱点、と言っても、人間は、多数の関節を持ち、それを脳で制御して運動させる存在である。従って、受けも、抵抗をし続ける。その様な状況下での技法に、謳われる程の汎用性があるか。
- 武術的には、「汎用性」が重要である。相手がどんな体格であっても、どんな精神状態であっても、同じ様に出来る、という汎用性。汎用性が低い技法を「奥義」などと言う事は出来ない。その様な汎用性を満たす事が可能なのか。論理的に当然ながら、「合気」というもの自体が「幻想である」、という主張すら、考える事は出来る。否、寧ろ、武術に懐疑的な人は、その様な認識を持つ傾向が、あるのかも知れない。
合気について科学的に考えると、ざっと、これくらいの事は出てくる訳ですね。ポイントは、汎用性。誰にでもどんな状況でも出来るか。そして、体力的に強く無くとも出来るか。もしくは、高齢でも鍛えられる筋肉を主に使えば出来るのか。
私自身は、高岡英夫氏の論理が、有効であると考えています(意識操作除く)。もし高岡氏の仮説が否定されれば、合気という現象は、それ程の汎用性の無い技法であって、様々な神秘的説明は、全て幻想、もしくはお手盛り、或いは単に、受けの能力不足によって、相対的に、「技が出来てしまった」かの、いずれかであった、という事になります。高齢の達人が…というエピソードは、相対的に強大な体力の持ち主の話だった、という事になっちゃう訳ですね。
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コメント
合気系武術をやっておられる方のご意見、伺いたいなあ。もちろん、批判も大歓迎。
でもまあ、こんな事言ったらなんですけど、批判は難しいかも。だって、書いてあるの、「当たり前」の話ですから…。
むしろ問題なのは、こんな当たり前の話が、武術家の書くものに、滅多に見られない事なんですよ。
投稿: TAKESAN@無駄に長いエントリーを書いて、頭がボーッ | 2007年8月 7日 (火) 02:08