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2007年8月22日 (水)

意味

Interdisciplinary: 信じるの、コメント欄からの続き。

ある程度纏まった気がするので、エントリーとして。ほとんど、FREEさんとの対話なので、何の事やら判らない方が多いと思いますが、個人的には、かなり有意義なやり取りだと感じていますので(議論の進め方そのものも)、読んで欲しいなあ、なんて。元々コメントのつもりで書いたので、FREEさんへの語りかけ、というかたちです。

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私の主張を再度書くと、「信じるという状態に至るには、経験や学習がきっかけとなる」、という事ですね。たとえば、FREEさんの仰る防衛反応が働き、「信じる」という状態に至るのだとしても、それは結局、知識や経験に依存する、のではないでしょうか。

私は恐らく、FREEさんの仰る意味での「信じる」を、認識出来ていると思います。これは確認なのですが、FREEさんの仰る「信じる」は、「状態」の様なものですよね? 顕在意識において、より整合的な知識体系を受け容れる余地が無い、他人に耳を貸さない。或いは、体験を重視する、という様な。
で、そうであるとして(また、勝手な前提すみません)、私は、そういう現象は、あると思います。

私が言いたかったのは、「過程として」、知識や経験と「信じる」は連続的である、または、顕在的に意識していなくとも、無意識的に(直感的・直観的に)は関係しているだろう、という事です。だから、乳児の例を出したのですね。「言語的では無い」、と言うべきかも知れません。

私が思うに、FREEさんは、顕在意識のレベルでの「信じる」を念頭に置いておられ、私は、直観的・直感的な論理をも含めて論じている。そこにズレが生じたのではないでしょうか。

適切な例かは判りませんけど、書いてみます。
SSFSさんは、「自分の正しさ」を「信じている」、と言えますよね。文章を読む限り。これは、FREEさんの仰る意味での信じる、だと思います。そして、知る事による態度の変化などとは、「断絶」している様に見えます。
しかし、SSFSさんは、他の方の投稿を読み、何が言われているかは「知っている」訳ですよね。「記憶している」、でもいいです。
で、私が言いたいのは、そういう経験でも、潜在意識へ落とし込まれはするだろうけれども、SSFSさん自身の顕在的(自覚的)なものの考え方には、「絶対に影響している」だろう、という事です。

どうでしょうか。結構、上手く説明出来た様にも思えますけれど…。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

こんばんは

長文です。
 
そうです。私にとって「信じる」は現在のみを指しています。信じるに至った過程は「信じる」現在を絶対的なものとして再構成され意味づけも変化すると考えます。
 
TAKESANさんがおっしゃるように、信じている状態の人に対して言論や経験がまったく無力かというとそうでない事は私も思います。その影響を抑えきれない状態が信じていたことが信じれなくなる瞬間に繋がると思います。
ただ、信じる状態は時制が現在しか存在していないし、フィルターも強固で、かつ信じている内容に合わせた解釈を行うので効果がどこまで期待してよいのか疑問です。
 
また信じてない状態から、信じる状態への移行も連続しているのかの疑問が拭えません。例えで適切かどうか自信がありませんが、宗教の例を試してみます。宗教について学ぶとします。キリスト教でもイスラム教でも仏教でもいいですが、宗教学や文献学、宗教哲学や宗教史など学べるものは多くあります。ですが、知ると事で信じることへは必ずしも繋がりません。そこにある言説や構造を理解することが信じることに直接繋がらないのではないのかと考える所以です。逆にそのような事を知らなくても信じている人は多数いる訳です。もちろんある地域や文化の中で生まれながら周囲の環境に宗教があり信じている人もいる事も多数あります。それを経験と言われればそうです。生得的なものではない事は確かです。しかしそれは認知構造というかその人の世界観が成立する時期に、その環境において必然的に前提であった為ではないでしょうか。
 
そのような例はとりあえず横に置くとしても、学ぶ・知る・理解する、の段階から信じる状態への変化には論理的でない情動的というか価値観の変化のような飛躍が必要ではないでしょうか。
 
TAKESANさんのおっしゃるところの知るから信じるへの移行に対する連続性はどのぐらいでしょうか。直観的・直感的なものも含んだという事ですが、直観的・直感的こそが飛躍の部分だと思うのです。論理的連続性の中には含まれないのでは無いかと思うのですが。
 
そうすると、知る・論理的な理解するなどとはどこまで含むのか、直観的・直感的の限定、などという話に拡散していきそうですね。
少なくとも「信じる」に対しては言葉の定義や使い方の問題でズレていたという話で、指し示した意味に大きなズレがなかったと思います。
 

SSFSさんの件は信じていて声が届かないというのも確かです。なんだかフェスティンガーの認知的不協和実験の再現のような気もします。信念に対しての行動が、認知的不協和になったため、信念のほうを行動に合わせたんじゃないかと見える事に気付きました。
またSSFSさんに届いている声は、声を送っている皆さんとどれくらい意味が共通している部分があるのかを考えてしまいますね。

投稿: FREE | 2007年8月26日 (日) 01:20

FREEさん、今晩は。

 >TAKESANさんのおっしゃるところの知るから信じる
 >への移行に対する連続性はどのぐらいでしょうか。
これは難しいです…。私の主張は、理論的に、知識と「信じる」が連続していないとは考える事が出来ない、という主張だったので、そこを具体的に考えると、正直、はっきりとした意見は、今の所は出てこないです。いや、率直に言いますと(FREEさんも、触れておられますが)、どの様な視点で分ければ良いか、などが、具体的にイメージ出来ないのですね。
ところで、私は、直観・直感は、「論理的」であると思うのですが、いかがでしょうか? もちろんそれは、誤謬の可能性も含む、という意味ですけれど。こうなると、用法の問題にもなって、私には手に負えないですが…。直感・直観とは何か、という話になって、完全に哲学の議論になっちゃいますね(笑)

SSFSさんは、難しいですね。たとえば、他のブログとか掲示板で、kikulogに来られる方と話をしてみる、というのも、一つの手かも知れません。場が変わると、心境も変化するものですし。
尤も、そんな事を受け容れないのが、SSFSさんの頑なな所、なのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 02:09

こちらでの話とはそんなに関係ありませんが、NATROMさんのブログのコメント欄で、「知る」と「信じる」に関して、ちょっとした議論になってますね⇒
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071105

議論、とは言わんかな、あのやり取りだと。

投稿: TAKESAN | 2007年11月 7日 (水) 12:05

こんばんは。

うむむむ、あそこで最初にコメントの口火を切ったKohさんと仰る方は、Oncology(腫瘍学)をなさっているという事ですから、要するに医学系の研究者でいらっしゃる訳です。だけど「『科学』学のようなもの(科学哲学とかの事でしょうか)を正統に学んだ経験がない」のですね。

私は以前「医者に案外トンデモさんが多いのは何故か」について書かせて頂きましたが、その時には専ら臨床医を念頭に置いていました。
決してKohさんがトンデモさんだと言いたい訳ではありませんが、たとえ研究者といえども「科学」そのものについて学ぶ機会は決して多くないのだなと思った次第です。

投稿: PseuDoctor | 2007年11月 7日 (水) 22:19

PseuDoctorさん、今晩は。

あ、しばらく目を離した隙に、結構コメント欄 のびてますね。

私がちょっと驚いたのは、Kohさんが、「経験科学」という語をご存知無かった事でした。

一部のコメントは飛ばしているので、やり取りを精読してないのですが、なんというのでしょう、やはり、科学をメタに捉える分野に触れる、というのが重要でしょうか……と考えたけど、Kohさんが仰るような意見も、そういう分野で出てくる話ですよね…。なんか、科学哲学系の、相対主義よりの本を読んだりすると、一気にそちらに傾きそうな気も、しないでもないです。

思うに、「信じる」の一点だけの共通点をもって、科学と宗教を同一視するのは、かなり乱暴な捉え方なのかな、と。

 >私は以前「医者に案外トンデモさんが多い
 >のは何故か」について書かせて頂きましたが
PseuDoctorさんがあそこで説明なされた事が、関わっているのかも知れませんね。

ちなみに、(どうでもいいですが)私自信は、超穏健な無神論者だと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年11月 8日 (木) 01:09

こことは関係無いけど⇒http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071113#p1

…。

山口先生の文に、只ならぬセンスを感じたのは、私だけではないでしょう。たとえば、
 >そんなことを思いながら、きょうは鶏のか
 >ら揚げにしようなどと思い、
とか。
 >{ ●▼● }←骨盤

これは凄いと思った。

なんか驚異的だなあ。医師の方なんかは、卒倒しそうになるんじゃないかな。

でもなあ。『秘伝』とか読むと、この程度のは、普通に出てくるんだよね。

投稿: TAKESAN | 2007年11月13日 (火) 14:14

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