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2007年8月21日 (火)

メタ

社会学玄論 : 疑似科学批判が流行る理由

具体的な対象を考えずにメタ論を展開したのだとすれば、それを正直に仰れば良いと思うのですよ。それ自体は批判されるべき事ですが(「疑似科学批判の流行り」という社会現象を対象にしておきながら、それに関わる人物に関する言及が出来ないというのは、おかしい。初めから、単にメタ論をぶつための材料として、「疑似科学批判」を持ち出してきた、とすら考えられる)、それを認めれば、そこから具体的な議論に入っていく事が出来る。そうすると、有意義なやり取りを行う可能性も出てくる訳で。もちろん、それが出来る人は、そもそもああいう書き方はしないよ、という事も言えるかも知れませんが(他のエントリーの書き方からも、それが推測出来る)、それは一応置いといて。

で、質問にまともに答えようともせずに、とにかく他人より一段階メタレベルであろうとするかの様な事を、いつまでもやっていたら、全然駄目ですよね。お話にならないです。

これは、このエントリーを執筆している時点での感想です。論宅さんが今後、実名を挙げて批判なさる可能性も、無いとは言えませんが、それは、望み薄、でしょう。apjさんときくちさん、とのやり取りにおいて、それを仄めかしてすらいないのですから。あまっさえ、2007-08-21 00:41のコメントの様なレスをしています。当然、今から、どんな人間がニセ科学批判を展開しているだろうか、というのを調べ、ニセ科学批判批判を論じても、駄目ですね。調べれば調べる程、代表的なニセ科学批判者が、科学の絶対視などしていない事に、まともな認識力があれば、気付くのですから。

未だによく解らないのですが、「科学を絶対視」って、どういう意味なんでしょうね。

※「擬似科学批判の流行り」について。

「流行る」と表現しているので、一定の期間、多くの人の話題に上っているという現象を指しているのは、明らか。そして、最近、WEBや新聞、新書等でニセ科学批判をしている人は、限られている。その方々を、「流行りを担っている」、代表的なニセ科学批判者だと考えると、きくちさんや左巻さん、あるいは、こなみさんやapjさん、田崎さん、『メディア・バイアス』を書かれた松永氏、等々が、まず挙げられる。特にきくちさんは、NHKの番組に出演なさった事もあり、ニセ科学批判者の筆頭として挙げられる。ニセ科学でググってみると、よく解る。

とすると、疑似科学批判者として、上に挙げた方々を想定していないというのは、明らかにおかしい。ニセ科学が話題になったのは、田崎さんの水伝関連の文章と、きくちさんの番組出演が、大きなきっかけだから、「言及出来ない」事自体、考えにくい。そうだとしたら、「疑似科学批判が流行っている」という知識だけを持っていて、誰が何を言ったかは具体的に知らない、という事。要するに、「流行り」については、具体的な認識を持っていない、と結論出来る。

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コメント

多分「ここらで一言云っとくか」以上のものではないんでしょうね。そんなんだったら何も云わないほうがまだましなのに。

投稿: pooh | 2007年8月21日 (火) 06:22

こんにちは。

 僕は「流行」って言ってしまうこと自体も結構すごいな、と思います。apjさんがよく力説していますが、ニセ科学は科学とそれに関係する人々にとっては、生活を脅かしかねない存在なわけですよね。
 それを「流行り」って…まあ単に「最近よく見かける」ぐらいの意味で使ったのかもしれませんが。

 コメント欄にapjさんのところに行って勉強するみたいなことを書いてあったので、その辺りの事情もきちんと勉強してほしいと思います。

投稿: dlit | 2007年8月21日 (火) 08:17

おはようございます。

論宅さんは、きくちさん、apjさんから無料指導受けられててお得ですよー。
このまま、コメント削除スキルの発動が無いことを願うばかりです。

しかし、なんでハンドルネームを色々使うんだろうか。

投稿: tank | 2007年8月21日 (火) 08:18

僕は「指導」なんかしてないです。00:41みたいなコメントを書く人を指導する気になんかならないよ。
00:41は「勝った」気だったんですかねえ。あのやりかたでは、仮に局所的に相手を言い負かせたとしても、「まともに議論しない人」という評価が残ってしまうだけで、自分にとっても損なんですけどね。やっぱり、よくある「局所的勝利」しか考えられないタイプなのかな。勝ち負けじゃないのに

投稿: きくち | 2007年8月21日 (火) 09:35

たざき文書や視点・論点(きくちさん)の動画に対する反応の部分しか見てないんじゃないか,という印象を受けました.「はてブのコメントだけ見て元エントリは読んでない」みたいなかんじ.

確かに,はてブの注目エントリのコメントだけ眺めて,あぁいかにも受けそうな話だねぇ,なんて思ったりすることもありますけど,でもふつう,それで元記事についてのわかったような批判を書いたりはしないですよね.

投稿: たかぎF | 2007年8月21日 (火) 09:40

テレビで芸人が「萌えー」って言ってるのを見ただけで、「萌え」について語るようなものだな。
おいらには「萌え」って概念は難しすぎて、まったくわかりませんが(^^

投稿: きくち | 2007年8月21日 (火) 09:42

> テレビで芸人が「萌えー」って言ってるのを見ただけで、「萌え」について語る

あー,そういわれると,そういうことする "知識人" っていっぱいいる気がしてきた :-p

投稿: たかぎF | 2007年8月21日 (火) 09:49

> そういうことする "知識人" っていっぱいいる気がしてきた :-p

テレビのコメンテーターの仕事ってそういうことですよね。

投稿: newKamer | 2007年8月21日 (火) 10:31

こんにちわー。

ここに書いておられるような方には無縁のことと思いますし、むしろそれは言い過ぎではないかと逆に窘められるかもしれませんが、最近つとに社会学にカブレタそれも統計を無視した床屋談義を語る連中が害虫のような気がしてきました。

つまり、近代科学という現代社会を支える大木に巣食う害虫です。むしろ「ゲーム脳」や「水伝」を正面から信じて、その真偽をもって戦っている方々のほうが「質が良い」(苦笑)のではないかと。自分だけが「世界」を知っているんだと徒らにメタメタなことをもって議論をかき回して悦っている連中とは語り合うこと自体が無駄なような気がします。というわけで、そのような害虫にかかずらわってあたら時間(そして精神衛生上も)を無駄にしないほうがいいのではないかと思いますが、いかが?

投稿: 遊鬱 | 2007年8月21日 (火) 11:24

皆さん、今日は。

おお、こんなに沢山のコメントが。
読みにくくなってしまうといけないので、まとめてレスしますね。

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>poohさん

多分そうですね。なんでしょう、スキを見せたくないのかな、という気もします。よく解りませんが。

>dlitさん

あの文脈で言われている「流行り」というのは、最近ネット上で話題になり、新聞とかでも「ニセ科学」という文字が見られる様になった、という程度の意味なのでしょうね。で、それとメタ論を絡めてしまうので、あんなちぐはぐな物の書き方になるのだと思います。
論宅さんにとって「勉強」とは、揚げ足取りの材料を探し出す事、では無いのを、祈ります。

>tankさん

あれだけ色々懇切丁寧(ですね、どう考えても。強い批判ではありますけど)に説明を受けていて、何か思う所は無いのかな、という感じです。

>きくちさん

論宅さんが、少なくとも、「論点を逸らす」、「批判に正面から答えない」、という態度であるのは、よく解りました。まさに、負けないための進め方ですね。実は進んでなどいない訳ですが。

>たかぎFさん

私もそういう印象です。
元々、科学社会学とか科学哲学とかの議論に着目していて、科学万能主義的なものの考え方に批判的な印象を持っている所に、メディアでニセ科学批判が話題になっているのを知り、無理やり絡めて論じてしまった、という様に見えました。

>きくちさん

ああ、そんな感じかもです。萌えって元々、十数年前から使われてたんですよねえ。意味が変容・多義化していったみたいな印象です。って、余談でした。
表面をなぞって中身を見ていない、という感じですかね。

>たかぎFさん

いますね、「識者」とか。テレビ観てると、唸る程出てきます。流行り物を扱う雑誌の編集者とか…。

>newKamerさん

そうですね。いかにも知りそうに無い事でも話を振って、それに答えざるを得ない様にさせる、というのがいかんのかな、とも思います。

>遊鬱さん

仰る事、同意です。個人的には、害虫は言い過ぎと思いますけど。
私や遊鬱さんは、論宅さんの、安原さんの所でのコメントの書き方を知ってますからねえ…。

遊鬱さんが仰る様に、メタぶった言説というのは、具体的な議論をかき乱しちゃいますね。どこまでもメタであろうとするので、直接的な議論には至らないし。

 >徒らにメタメタなことをもって議論をかき回して悦っ
 >ている連中とは語り合うこと自体が無駄なような気
 >がします。
いや、インターネットが拡大すると、メタメタな言説の数自体も増えてくるでしょうし、それに批判を加えるのも、意味のある事かな、と。もちろん、「もしかしたら、議論に応じてくれるのかな?」という微かな期待もあったりする訳ですが。
って言うか、メタメタに対する批判って、遊鬱さんもよくやってる事じゃないですか(笑) それを自覚した上で、わざと言ってるでしょ? 害虫というメタファーに、「小物」って意味も含めて、それに時間を使わない方が、って事で。

投稿: TAKESAN | 2007年8月21日 (火) 13:01

イラストがみょーな味を出してますね。
内容については、基本的に皆さんの仰る通りなんですが・・・何ていうか、この人の文章を見ると、全般に「論理というものが侮辱されている」ように感じてしまいますね。
「論理ってのは、あんたのヨタ話をもっともらしく見せる為のオモチャじゃないぞ」って思います。
まあ、一言で言えば屁理屈と言うか、屁理屈未満という感じもします。

投稿: PseuDoctor | 2007年8月21日 (火) 22:05

(新しくアップされたエントリーとコメントを読みながら書いています。クラッシャーが出現しましたね)

伊勢田さんの本を読んでおきながら、ああいう記述をするのかあ、という感じです。

率直に言って、何を仰りたいのか、益々意味が解らなくなってきました…。

ところで、論宅さんは多分、「ニセ科学批判」については、あまりご存知無いのかも知れませんね。きくちさんは敢えて、「疑似科学批判」を用いておられますけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年8月21日 (火) 23:00

こんばんは
 
疑似科学批判批判の理解する疑似科学批判は擬似「科学批判」と括弧で括ってしまえばよいと思います。擬似科学を批判しているんじゃなくて擬似な科学批判・・・。

投稿: FREE | 2007年8月21日 (火) 23:36

”擬似「科学者批判」”とか。科学の方法そのものについては、認める場合もあるので。

「擬似」と言うより、「的外れ」、って感じもしますけれど。

「的外れ科学者批判」とか、

「科学者を批判しているつもりらしいけど実はそれは藁人形だった件」、とか。

ニセ科学批判批判にも、妥当なものはあるのですよね。反証可能性が唯一の基準だ、という様な意見に対する批判とか。論宅さんは、その様な認識に基づいて、「流行り」のニセ科学批判者を、非難してしまった訳ですね。そして、それを過度に一般化してしまった。撤回はなされたみたいですが。

なんちゃって一般論(byきくちさん)は、「どこかの誰かに当てはまる」のですよね。で、誰かに当てはまるから書いてやれ、なんて気持ちでやっちゃうと、いざ具体的な所を突っ込まれると、何も答えられなくなるんですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月21日 (火) 23:56

有効な一般論を語るのは酷く難しいんですよ。それは尋常じゃない視野を要求される。
ひっくり返すと、大抵の一般論は必然的にオレ理論の枠を出ないんですよね。なんちゃって一般論にならざるを得ない。

投稿: pooh | 2007年8月22日 (水) 00:12

社会現象を対象にすると、一般化には、また独特の難しさがあるのだと思います。論宅さんご自身が、そんな感じの事を書いてるんですけどね、こことかで⇒http://mercamun.exblog.jp/7277126/

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SSFSさんは駄目だなあ。どうしようもない駄目さだ。まあ、その直ぐ上に、とても綺麗な文章があるので、あまり気にしない様にしましょう。
とは言え、きくちさんに対する態度として、最低のものであるのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 00:31

SSFSさんにはもうかける言葉はありません。少なくとも「自分からの視点以外は認めない」というところが修正されない限りは何を言っても無駄ですね。謙虚さというか、人間誰しも無知な事があるという事を思い至らないような書き方です。

ゆがんだレンズで上からだけでしか円錐を見ていない状態では真の姿に近づく事なんて出来ないのに。

投稿: FREE | 2007年8月22日 (水) 00:49

一般論は難しいです。
ニセ科学についてしゃべるとき、最後に一般論を言っておこうとは思うのだけど、結局、「一般論は難しいので、必ずしも当てはまらない場合も多いのだけど」みたいな言い訳をたくさんしてしまいます。
 
SSFSさんは、なんでああいう風に自分自身を「低く」見せる書き方をしてまで、がんばるのでしょうね。局所的勝利は意味がないと言ってるのに。

投稿: きくち | 2007年8月22日 (水) 00:59

FREEさんへ。

いかにして対象を非難するか、という目的意識から、その材料を探しているだけ、という印象です。知識を深め、認識力を高めようというモチベーションが、全然感じられないですよね。

レンズを通してものを見ている、という事に気づいてないのでしょうね。メタにものを見るとは、こういう時のためにあるのに。

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追伸
「信じる」の方の、レス、しばしお待ち下さい…。なんだか、解りかけてきた様な気がするので、それを整理して、じっくり纏めようと思います。もうすぐ休むので、多分、今日の昼以降になります。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 01:12

きくちさんへ。

常に、過度の一般化になってしまうのではないか、というのは、考えますよね。それを、事あるごとに主張して、残しておくのも重要なのでしょうね。

(SSFSさんにそんな事を言っても無駄だ、という突っ込みがあるかも知れませんが)SSFSさんは、自分を批判してみればいいんですよね。自分の書いたものを読み返す、という事はしないのかなあ。
と思うのは、SSFSさんの文章が、論理的に完全に破綻している訳では無いから、なんですよね。いや、まあ、最大限好意的に見て、ですが。結構解り易い文章だから、どこがおかしいかが、直ぐ判るんですよね。だから、「何で、自分の言ってる事のおかしさが解らないの?」とか思っちゃいます。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 01:20

 こんばんわ。ありゃ論宅さん、なぜ、「名前」を出さないのかしら・・・・・・(苦笑)。
 先生方にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。

 「神は妄想である」(リチャード・ドーキンス)おもしろかったです(既読でしたらすいません)。この本のなかの「エセ科学批判の批判」の状況が書かれてます(論宅さんにも読んでほしいなあ)。
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 「聖典の真理はいわば論理学でいう公理であって、推論の過程によって生み出される最終産物ではないのだ。聖典こそ真理であり、もし証拠がそれと矛盾するように思えるなら、捨て去るべきは証拠であって、聖典ではない。それに対して、私は科学者として真実だと考えること(たとえば進化)は、聖典を読んだからではなく、証拠について調査・研究をおこなってうえで、真実だとみなしているのである。彼らと私のやり方はまったくといっていいほど、異質なものだ。進化に関する本は、それが神によって書かれたから真実だと思われるわけではない。(略)
 とりわけすこしばかりの哲学的素養をもつアマチュアが、あるいは「文化相対主義」に感染し(「すぎ」たかな 安原注)た人々がいちばんよくそういうことを言ってくるのだが、このあたりでうんざりするようなデマ情報を提起するかもしれない。すなわち科学者のそういう「証拠信仰」こそ、原理主義的な信仰と同じ類の事柄だと言い出すのだ。
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 きょうはほぼ1日「安原さんの気持ちはわかります」(→気持ちの話していませんが)といわれながら、えんえんと話をしていました(笑) しかし一歩前進と思ってがんばります。

投稿: 安原 | 2007年8月22日 (水) 01:57

こんにちは。

SSFSさんはきっと、ネット上で自分の発言によって信頼を得たことがないんでしょうね。それをするには奇策はなくて、結局地道に誠実な議論を積み上げるしかないわけですが。

apjさんのところでもkikulogでも、つまらないこと言ってないで求められていることに誠実に答えれば(答えられれば)むしろちゃんとした「論客」として扱われるということに気づいていない。きっとちゃんとした立ち振る舞いをしてちゃんとした扱いを受けたことがないんでしょう。一度そういうことを経験すれば、今自分がやってること(本論から逃げてるだけの局所戦)の愚かさがわかるのに。

一応ここはSSFSさん公認のヲチサイトですから(^O^)、御本人も必死で読んでるだろうと予想して書いてみました。

投稿: みづ | 2007年8月22日 (水) 02:06

何度も書いてるのだけど、SSFSさんも「局所的に勝つ」ことにとらわれすぎてるんですよ。一点でも自分の主張を引っ込めると「負け」と思ってるんでしょう。今まで、小さな一点でも引っ込めたことはあったかな・・・記憶が定かではないので、もしかするとあったのかもしれないですが、おぼえはないです。
もちろん、こんなのは「勝ち負け」じゃないのだけど、仮に「勝ち負け」で考えるとしても、大局を忘れて局所的勝利に拘泥すると、全体としてつじつまが合わなくなってしまいます。「引くべきところは引く」というのは大事なんですけど
自覚的にそうであるというよりは、認知的不協和だと思いますが。

投稿: きくち | 2007年8月22日 (水) 09:28

皆さん、今日は。

>安原さん

論宅さんが、ニセ科学批判(疑似科学批判)に言及なさっていて一般論を展開しておられたので、採り上げました。
ドーキンスの本は未読ですが、その内に読んでみようと思っています。引用部分、成る程、と感じますね。

「証拠」の話をすると、「色々な考え方が…」と言われるのは(遊鬱さんの所のコメントの話)、なかなか悩ましいですよねえ。

>みづさん

SSFSさん自身は、積み重ねている、と考えているのかも知れませんね。それ以前に、根本的な問いに「答えない」のが、全然駄目な訳ですが。
何か、今日も、田崎さんの文章を引用し適当な事を仰っていますが、かなり見苦しいです。

 >御本人も必死で読んでるだろうと予想して

どうでしょうねえ。さすがに、もう読んでおられない様な気もしますけれど…。

>きくちさん

ギャラリーの「目」も、意識出来ていないのでしょうね。もしかすると、自分の事を妥当だと認めてくれるギャラリーも沢山いる、と思っているのかも。ROMの話を時々されますしね。

うーん、私の憶えている限りでは、主張を引っ込めた事は、無かった様に思います。
本当に、勝ち負けに拘っておられるのでしょうね。私なんか、誤っていたり勘違いしていたり、相手の主張が妥当だと感じると、直ぐに認めるので、何でそんなに拘ってるんだろうな、と思います。

個人的に興味深いのは、「全く無自覚であるのだろうか」、という事ですね。「もしかすると、自説に駄目な所があるのではないだろうか」、とは微塵も思っていないのかな、と。文章を読む限り、その様に思えますが…。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 11:49

SSFSさんに関しては、認知的不協和だと思うので、半年くらい書き込みをやめたほうがいいんですけどね。というか、読むのもやめないとだめか。
読み続け、書き続けている限り、ループから抜け出せないでしょう。

投稿: きくち | 2007年8月22日 (水) 12:10

ちょっと休んでみれば良いのですよね。それで認識が変わるかどうか。もしかすると、ABO FAN氏の様になってしまうかも知れませんが(なってしまっているかも)。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 12:27

こっちに書こうかな。

「自説撤回」での論宅さんのコメント(2007-08-22 17:46)より
 >菊池先生が科学絶対主義者であるという言説も撤
 >回します。お詫び申し上げます。
って事は、きくちさんを科学絶対主義者(どういう概念か解りませんが)と看做していた事は、認めた訳ですね。

前に私がエントリーに言及した事に触れておられますが、
そこに貼られている私のエントリーを読めば、
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_8010.html
「疑似科学」という語の使い方に疑問を呈しているのが、解って頂けると思います。

注意深い人は、「流行りの疑似科学批判」では無く、「流行りのニセ科学批判」と書くはずです。それをせず、ああいったエントリーを書いた、という事は、きくちさん達の活動を、具体的には調べなかった、というのを意味しますよね。

だから、初めから、具体的な話をして、この疑似科学批判はここがおかしいのではないか、とすべきだったのですよね。「科学の絶対視」とか、他の、無理矢理な一般化をするのでは無くて。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 19:45

どうやら本当に「最近のニセ科学批判」とは関係なく書かれたエントリーだったようですね。
はやめに具体例を出しておいてくれればよかったんですがね

投稿: きくち | 2007年8月22日 (水) 19:59

その様ですね。
ニセ科学がある程度話題になっている、というのを何となく知って、きくちさんが書かれたもの等を調べずに(読んでいたらあんな書き方は出来ないので)、他のブログで科学万能主義的な疑似科学批判をしている(と論宅さんが感じられた)のを見つけたりして、それを一般化してしまったのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月22日 (水) 20:17

このエントリーに書く事に、他意はありません。

津村さんのご意見、尤もな懸念だな、と思う部分もあると共に、何だかちょっと、違和感も覚えました。

何故かな、と考えてみたんですが、多分、「コミュニティ」に対する津村さんの印象に対して、なんだろうと思います。

津村さんは、非専門家にはこう見えるであろう、と、「専門家」の立場から、論じておられているのですよね。そして、「コミュニティ」に対して、少しネガティブな印象を、記述しておられる。

で、「非専門家」たる自分が、それを読むと、「いやいや、私は科学者でも技術者でも無いけれども、きくちさん達の活動に、そんな印象は持っていませんし、認定など求めてもいませんよ」、と感じてしまう訳です。
もちろん、テレビや新聞等で、ニセ科学が批判されるのを見聞きして、「よくぞ言ってくれました」、と思う事はあります。しかしそれは、「認定して欲しい」などという話では無いのであって、○○はニセ科学である、という主張は、ニセ科学とはどういう意味か、というのを論じた上で、語って欲しいのです。そして、それはなされていると思います。

危惧なんて、持とうと思えばいくらでも持てます。

一言で表すと、「その”コミュニティ”に関わっている”非専門家”の意見を、色々と参照なさいましたか?」という事なんですね。

素人だって、素人なりに、色々考えてるんですよ。

おかしいかな? この意見。

投稿: TAKESAN | 2007年8月23日 (木) 14:34

こんばんは。
論宅さんの所、雑音さえ入らなければ、思ったよりまともな議論になりそうですね。勿論、きくちさんの力によるところがとても大きいのですが。

SSFSさんについては、実は私は未だに彼に対する態度を決めかねているところがあるんですよ。本人の為だけを考えるなら「無視」が一番良いと思っています。「そんな態度を取り続けるなら誰からも相手にされなくなってしまうよ」という事を認識して欲しいので。
しかしROMの皆さんの事を考えると、放置して好き勝手に発言して頂くのも、あまりよろしくない気がします。両方を考えたあげくの折衷案が「無視する根拠になった発言のポインタだけを示す」というやり方だったのですが、どうもあまりうまく作用していないようです。ちょっと違う方法を考えた方が良いのかもしれません。

ところで、真面目な話をしているところに何ですが
>TAKESANさん
>とても綺麗な文章

べ、別にアンタの為に綺麗にした訳じゃないんだからねっ!

・・・いや、勿論冗談です。
「綺麗な文章」などと言われたのは初めてなので、ちょっと「ツンデレ」っぽい返しをしてみたかっただけです。失礼しました。

投稿: PseuDoctor | 2007年8月23日 (木) 23:09

PseuDoctorさん、今晩は。

そうですね。
論宅さんは多分、あれが雑音だと解っていらっしゃるので、議論は進みそうな気がします。
ニセ科学の判断は、極めて社会科学的な現象でもあるので、そこの所の議論が深まれば、とても面白くなると思いますね。

SSFSさんは…難しいですねえ。comさんの様な反応が良いのかな、という気もしますし、もうスルーでいいか、とも思います。しかしまあ、どんどん駄目な書き方になっちゃってますよね。

 >「綺麗な文章」などと言われたのは初めてなので

おっ、ツンデレ(笑)
実際、科学的研究とはどういうものか、学術論文はどの様にして認められるか、というのが、極めて解りやすく説明されていると思います。続きが楽しみであります。

ただ、「あのエントリー」に書かれているので、「濃い人」以外の目に触れにくい、というのは、思っちゃいますね。あそこを読むのは、奇特な人達(←誤用)なので(笑)

投稿: TAKESAN | 2007年8月24日 (金) 00:31

津村さんの件,
「○○はニセ科学ですか?」って人を "非専門家" と解釈したのかも.いや,そういう質問をしている人以外は「非専門家も認定活動に協力することで何らかの社会正義を実行したとの充足感を得ている」に含まれるのかしら.

「正義」に見えるんでしょうかね? 「正義」って胡散臭くてイヤだなぁ.kikulog でよくコメントする人達には「迷惑だからなんとかしたい」という人が多いと思うのですが,まぁでもそう見えるっていうのは仕方がない.違うと思うけど.

投稿: たかぎF | 2007年8月24日 (金) 00:36

たかぎFさん、今晩は。

私も、「正義」って、あんまり…という感じですね。押し付けがましいし、独善に至る可能性もあるし。apjさんがよく仰ってますよね。正義で無く利害だ、と。

私自身、ゲーム脳なんて意味不明な事が広まったら、めちゃくちゃ困るよ、という動機からニセ科学を調べて、今に至りますし、そこに、大仰な「正義感」というものを見て取られると、却って戸惑うくらいです。
「見える」というのは、よく解ります。外から何となく眺めているのだから、「見える」んでしょうね。でも、津村さんは間違いなく、批判的に論じておられるのですから、もっと具体的に検討して頂きたいと思います。

「コミュニティ」とか、「非専門家」とか、私、「一括り」にされるのが、物凄く嫌なんですよね…。いや、自分を「コミュニティ」なるものに含めて良いのか、よく判りませんけど。

投稿: TAKESAN | 2007年8月24日 (金) 01:00

いや、僕は正義感で動いているよ。
 
と言ってみる

投稿: きくち | 2007年8月24日 (金) 01:45

余計な差し出口なんですが、別に正義感に基づいてニセ科学を叩くわけじゃなくても、「『困るなあ』と『正義感』がぜんぜん関係ない」なんてこともないなあ、とも思います。一人の人の中で「利害7割、正義感1割、その他いろいろが2割」とかね。

津村さんの懸念そのものは、順等というか健全だとぼくは思います。フォーラムみたいな場でもネット上でも「ニセ科学かどうかを判定して欲しい」という声は、それなりによく出て来ますよね。「これも怪しくないですか?」っていう疑問とか。ニセ科学批判は、ある程度はレッテル貼りとしてどうしても機能してしまうんだろうと思いますし、さまきさんのように、その需要に応える方法を考えちゃう方もいるんだと思います。
ただ、そういう声が出てくると、柘植さんだとかほかの人だとかが(微力ながらボクも)〈5分で伝授できる「ニセ科学」対策(http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_48b0.html)〉とまったく同じようなことを言っていたりするわけで。もちろん、違うことを答える人もいるわけですけどね。そこはソレゾレの考え方があって、ソレゾレにやってるわけですから。

だから、ある意味で津村さんは論宅さんよりは、具体的な発言を見ているのかもしれないとさえ思います。

でも、ニセ科学問題に向き合っている人の多くは、同じ思いを抱えているとボクは感じています。非専門家も含めてね。ごく少数のなかの多数派がナンボのもんかという気もするけど。津村さんは、そこまでは津村さん自身の言う「コミュニティ」を見ていないのでしょう。どのWebサイトにしても、そういう部分まで含め簡潔に文章化したドキュメントとかはなくて、膨大なログに埋もれている状態だし。

やっぱ、もっと幅広い論点のFAQをまとめないといけないなあ。オレあたりの仕事なんかなあ……。

投稿: 亀@渋研X | 2007年8月24日 (金) 03:33

正直な話、津村さんのブログを見て私ちょっと呆れました。
なんていうのかな、kikulogを見て出てきた疑念が、「あるものがニセ科学かどうかを、きくちさんをはじめとする専門家が判定する機関にこうしたブログはなる危険性があるから私は危機感を持つ」程度のものでしかないとは・・・
少なくともkikulogにコメントされている方々の中に、安易に「何がニセ科学なのかそれだけ教えてくれ」みたいな人は今ほとんどいないでしょう。
研究者も、私を含む一般人もほとんどの人が、そんな御神託じみたニセ科学認定みたいなものに意味なんかない事も分かっているし、ニセ科学の蔓延が社会の空気や世論の動きと無関係であるはずが無い事も理解していると私は思っています。
ニセ科学の蔓延を食い止めるには一般層の知識力の向上が遠回りでも有効ではないか、とか。
だからこそ、今まで何度も科学教育の話も出てきてますし、私みたいに一般層のリテラシーの向上が重要だと何度もしつこく書き込む人間も居る訳で(^_^;)
そういったkikulogの中身完全無視の一方的な懸念を表明されても途方に暮れるだけなんですよね。
あ、それと私の場合は「怒り」がニセ科学批判の根底にあります。
特に、あのタミフル問題の時のTV等の報道や評論家やジャーナリストの無知な言動を見て、いつかこんな報道を繰り返して世論を誘導しようとするこの連中に、「落とし前」をつけさせてやろうという思いが一層強くなりました。

投稿: 内海 | 2007年8月24日 (金) 03:43

 こんにちわ。
 なんか論宅さんが私のコメントが欲しいということなので、TAKESANさまのところで答えさせてくださいね。私、「文字は白地にのせるほうが、読者が読みやすい原理主義」なんで(笑)

 これは渡辺正先生が御著書に書いていたことですが。私はこのスタンスをフォローするような仕事をしたいと思います。
 「答えはひとこと、事実に基づく情報が足りない。確信をもって発言するには、ゆるぎない基礎を要する。基礎になるのは正確な「情報」と「事実」で、遺伝子組換えの場合、「事実」のほとんどは科学と技術の話。そして世の論争にはまともな科学の裏打ちがない。
 事実をしっかりつかんだうえで、社会・倫理面なども考えあわせれば、論争もまともな姿になる。事実(科学)を足場にしない議論は砂上の楼閣に等しい。とはいえ心配はいらない。議論の基礎となる科学の考え方は、ふつうの知性をもつ人にとってはむずかしくはないからだ。
 GM技術の論争では、ニセの科学情報と解釈、単純な誤解の基づく感情論が横行し、両陣営とも毒舌や個人攻撃に走りやすい。そんな調子だと大衆紙は喜んでも市民の益にはならない。」

投稿: 安原 | 2007年8月24日 (金) 10:05

この書き込みはぼくが日頃自分のところで「できれば避けて欲しい」と云っている「コメンテーター同士の会話」にあたると思います。
ごめんなさい>TAKESANさん

よく分からないのですが、安原さん(安原宏美さんとお見受けします)は論宅さんの保護者のような立場におありなんでしょうか?

いや、ただ単純に、書き込みの意図がよく分からないので、ご発言をどう理解したらいいのか迷うなぁ、と云うだけの話なんですが。

投稿: pooh | 2007年8月24日 (金) 10:46

>TAKESANさま 本当にたびたびすいません。
>poohさん はじめまして。いつもブログ読ませていただいております。

>論宅さんの保護者のような立場におありなんでしょうか

ぜんぜんちがいますが(話の流れを中断してすいません)、こちらのエントリーを読んでいただけると幸いなのですが、ここで一度納得していたみたいなので、なんでまた先生方に迷惑をかけるのかと・・・ちと悲しくなりました。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10037431937.html

投稿: 安原 | 2007年8月24日 (金) 11:08

皆さん、今日は。

まず、「正義感」について。
ぶっちゃけ、「正義感」なんていうのは、自分はこれをやるべきだ、という意思があれば、そこには大抵付随するものだと思います。こうした方が社会は良くなるんじゃない? と考えている訳ですからね。

で、「正義感」を批判的文脈で用いる場合、ネガティブな意味合いが含まれる事があるので、それには違和感を覚えます。何でしょう、具体性が無く、「まず正義感」、で動いてる、と言われている様な印象かな。だから、自分から、それが動機であるかの様にはあまり言いたくないんですよね。
って言うか、「正義」というのを掲げるのが好きでない世代なんです(笑)

皆さんへのレスは、次のコメントで。

投稿: TAKESAN | 2007年8月24日 (金) 11:11

poohさん、安原さんへ。
連投、投稿者同士のやり取り、一切構いませんので、お気遣い無く。むしろ、歓迎するくらいです(笑)

>きくちさん

と言う訳で(上のコメント)、正義感と言えば正義感ですね。あまり強調すると、誤解される虞があったりしますけれど。

>亀@渋研Xさん

厳密に考えると、利害そのものが、正義感と関係している、という事も言えるのでしょうね。

上にも書いた通り、津村さんのご意見には、尤もな部分が含まれていると思います。ただ、もう少し、「見て」頂きたい、という所もあります。

 >ある意味で津村さんは論宅さんよりは、具体的な
 >発言を見ているのかもしれないとさえ思います。
上に「他意は無い」と書いたのは、その事を意識しています。最初に言及した論宅さんのエントリーと同じ様に捉えている訳では無い、という意味で。

危惧というのは一般論ですから、「当てはまる」んですよね。どこかの誰かに。それはそれで、重要な視点です。
ただ、ニセ科学批判に興味を持っている人が、津村さんの意見を読んで、「そんなの解ってますよ」、と感じる事も、結構あるんじゃないかな、と。
FAQは、あった方がいいかも知れませんね。

>内海さん

仰る通りだと思います。津村さんが、kikulogをどう読んで、ああいった印象を持つに至ったか、よく理解出来ないくらいで。
物凄く傲慢な事を言いますと(皆さん、ごめんなさい)、もしkikulogが、安易にニセ科学の認定を求める様な人々の集まりで、論理的な議論などなされていない場だったら、私は、読んだり書き込んだりしていないと思います。色々勉強して、そんな場で無い事を認識したので、毎回緊張しながら書き込んで、皆さんの意見を見て勉強させて頂いています。
怒り、というのは、確かにありますね。動機というのは、様々な感情が絡み合って形成されているもの、なのだと思います。

>安原さん

論宅さん、ここ読んでるのかなあ…。

そうですね。同意です、って、安原さんの所とかで勉強した事なんですけどね(笑)

>poohさん

論宅さんと安原さんは、度々議論を繰り広げておられるんですね。今回と同じ様な感じのやり取りを(安原さんの所では、社会科学系の話ですね)。論宅さんのエントリー、安原さんとの議論を受けての物も、ありますし。

コメンター同士のやり取りは、全然いいですよー。

>安原さん

論宅さん、最近のエントリーでは、議論を進められそうな雰囲気ですが、どうなのでしょうね。そうだと良いのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年8月24日 (金) 11:39

TAKESANさん、どうもすみません。安原さん、ご回答ありがとうございます。背景をちゃんと把握したわけではありませんが、腑に落ちました。

安原さんがもし論宅さんとけっこうやりとりがおありのようなら、論宅さんのところのコメント欄に湧いている複数ハンドルのコメントについて、あまりお気にされないようお伝えいただければ、と思います。
あれはニセ科学を話題にすると必ず登場して議論の破壊を狙う愉快犯ですので。

投稿: pooh | 2007年8月24日 (金) 12:04

もし論宅さんがこちらをお読みでしたら。

上にpoohさんがお書きの様に、論宅さんのブログへのノイズの様な書き込み、ある人の可能性が考えられます。もし、同一アドレスからの複数HNでの書き込みであれば、無視するのが妥当と思われます。

投稿: TAKESAN | 2007年8月24日 (金) 12:23

TAKESAN さま

>議論を進められそうな雰囲気ですが、どうなのでしょうね。
 どうなんでしょうね・・・。

 話ずれてるように思われるかもしれませんが、ずれてないつもりで書きます。

 最近の宮台さんのエントリーがこれです。 
-------
 「殺したいと思えば殺せるし、犯そうと思えば犯せるのに、それだけは絶対にしたくないと思う「脱社会的存在」がいるのは、なぜでしょうか。これは解かれなければいけない問題です。〈世界〉の根源的未規定性を受け入れ可能にする機能をもつ「宗教的なるもの」の真髄に関わる問題でしょう。
-------
 「殺したいけど絶対にしたくないと思う脱社会的存在」なんて「そのへんの人間じゃないですか」って返せばいいんですが、ここにひっかかる人がたまにいるんですわ。
 オウムでびびったこのへんの方たちは「宗教」にいくよりも「宗教的なもの」に包摂して、「犯罪精神医学」にいくよりは「精神分析的なもの」に包摂しようとしたんです。でも言い換えなんで、まさに「エセ宗教」だし、「エセ精神医学」。

 アメリカで「進化論」を勉強している子供が大変少ない状況を危惧して書かれたのが、ドーキンスの「神は妄想である」なので、それを書き込ませていただいたのですが、そこでも「じゃあ宗教がなくなったら、その埋め合わせをするものはなんだ!○○を救ってくれたのはなんだ?」と死ぬほど食ってかかるタイプの「議論のワナ」がいろいろ書かれてます。まあ「埋め合わせ」を探すところまでは否定しませんよ(文学とか哲学とか、いろいろありますし)。
 ですが、鈴木謙介のように、「事実による連帯はネトウヨ」だの「事実は解釈に過ぎない」など、「物語」のために「科学的思考を求める態度」を敵にする(もしくはひとからげにして対抗させる)言説は遊鬱さんのいうとおりで、だからたたきました。先のエントリーは論宅さんに「ぜったいマネすんな」って意味で書いてあげたのに、悲しいですね。
 
 「水伝」批判はほんとに人文系こそ応援すべきだと思います。

投稿: 安原 | 2007年8月24日 (金) 21:08

当該エントリーを見てみたのですが、宮台さんの書くものは読んだ事無いので、独特の概念の意味を、読み取りにくかったりします…。

▼▼▼引用▼▼▼
 「殺したいと思えば殺せるし、犯そうと思えば犯せるのに、それだけは絶対にしたくないと思う
▲▲引用終了▲▲
って、とても普通の心性だと思ったり。文脈がよく解らないので、読めてないのかもですが。

--------

何でしょう、「数値嫌い」、「実証嫌い」、というのがあるかなあ、という感じですね。社会現象は定量的分析では真の姿は明らかにならない、とか。それが妥当な部分を含んでいるとしても、実証科学的方法を蔑ろにする理由は無いのになあ、と。蔑ろにしているのかは、ちょっと解りませんけれど。←遊鬱さんや安原さんの所を通して情報を得て、宮台氏や鈴木氏の著作を読んでいないので、慎重に書いています。遊鬱さんの所で引用された鈴木氏の文等を読むと、上の様な印象は感じます。

たとえば、ニセ科学に関する議論を社会科学者が眺めると、興味深く思って貰えるんじゃないかなあ、と思いつつも、パオロ・マッツァリーノ氏とか論宅さんが、とても的外れな論評をしていて、うーん、となっちゃいます。社会学者なんかで、ちゃんとニセ科学を論じておられる人、いないかなあ。

いや、そもそも私は、社会科学は実証科学だと思っているのですけどね。メディアに採り上げられるのは、インパクトのある言葉を使う人なのかな、という気もします。データを集めてそれを解析して…って、地味だし、面倒くさい事ですものね。それより、自分勝手な体系を構築して解釈する方が、遥かに楽ですし。ワイドショーに出てくる「専門家」が、断片的な情報から精神分析「みたいな」論評をしているのを見ると、うんざりします。

だから、安原さんの仕事は物凄く大きい訳ですね。『犯罪不安社会』もですし、『おはよう奥さん』の記事もそうですね。実際、私も安原さんのブログで、大いに勉強していますし。

水伝については、文科系の人にも、声を挙げて頂きたいですね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 00:19

テロリズムねえ…。

また随分と、物議を醸しそうな語を選んだものですな。

何だかちょっと、力が抜けるわあ。

ニセ科学認定者として機能している、か。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 00:33

こんばんは。ものすごく出遅れましたが、議論の流れは読んでいました。
僕のような科学者でない人間までもが、ニセ科学批判に関わっている事に、「流行」という印象をもたれていたのかなと思っていたのですが、どうやらそういったことではなかったようですね。
そもそも多くのニセ科学は、科学的かどうかという以前の問題であることが多く、普通の読解力や観察力を持っていれば、なんとなくおかしいと感じる事はできるもののように思っています。
kikulogでの一連の書き込みを見ていても、ニセ科学を擁護したり指示したりする人たちの文章は破綻していたり、矛盾していることが多く、人の話を聞かない、質問には答えない、といったサンプルを多数見る事が出来ます。
感情に流されずに、読み込んでいけば、かなり多くのヒントが含まれていると思います。

「テロリズム」とは、極端な表現ですね。
自ら思考停止しようとする典型のように思えます。

投稿: corvo | 2007年8月25日 (土) 03:05

これも横道かも知れませんが、「科学ではない、ひとのこころを埋めるもの」については、osakaecoさんが緻密な論考をされていましたね(ぼくとの大喧嘩の直後に(^^;)。いや、経済学者としてのスタンスからではなかったですけど。

いやほんとうに、ニセ科学ってのは社会科学的にとても興味深いテーマだと思うんですよ(ぼくは1年近くそればっかり云ってるかも)。でも、コミットしてくる方はあまり見掛けない。稲葉先生も本格的にコミットしようとはしてこないし(稲葉先生の場合、適切なスタンスが見つかってないんだろうなぁ、と想像はつくんですけど)。

投稿: pooh | 2007年8月25日 (土) 08:14

TAKESANさま

おはようございます。
>データを集めてそれを解析して…って、地味だし、面倒くさい事ですものね。それより、自分勝手な体系を構築して解釈する方が、遥かに楽ですし。

めんどうですね。手間ひまをかけても、ギャラがあがるわけではないですしね(笑)

>インパクトのある言葉を使う人なのかな、
そうですね。最近はあまり言われなくなりましたが(いわれるか 笑)、「おもしろくない」っていうのはよく言われましたね。
たとえば「ガンにならない食事改善しよう」って企画があったときに、私なら「ガンは長生きになったんだから、加齢とともに増えるガンで死ぬようになるのは当然だよね。だから今、みんなが気にするようになるのは理解できる。でーも、江戸時代の食に戻れっていうのは“ガンで死なないため”っていうのはおかしいよ。だって平均寿命が30歳くらいだっけ?ガンで死ぬほうが難しい」っていうと、合理的にはわかっても「でもでもおもしろくない」ていわれたりする場合もありました。それに編集者がそもそももってるページのワク組の考え方を壊すことにはなるんで、いやがられますね。でもやっぱり「ほんとにガンになってほしくない」っていう企画者の「正義感」や「使命感」は肯定したいと思います。だからこそ生産的に物事をいっしょに考えていってくれるようになれるのかどうかは、ほんとコツコツと時間を使うしかないのかなあと。
 「善意」って「人のためになっている」と思っているから暴走するんで、私は歯止めとして「科学的思考」や「実証」をきちんとおさえておきたいって思ってるように思います(思う、ばかりですいません 笑)

投稿: 安原 | 2007年8月25日 (土) 11:12

corvoさん、今日は。

ニセ科学を議論する際には、「グレーゾーン」の話も出てきますし、そもそも二分法的思考は駄目だ、とも言われるのですよね。その上で、限りなく黒に近いものとピックアップして、ニセ科学と紹介している、という事情があるのに、それを理解しない人も、おられるみたいで。

テロリズムという表現、煽りでなければ、とても勘違いの激しい書き方ですね。ものを見ていないとしか言い様が無いです。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 11:16

poohさん、今日は。

たとえば、社会心理学的に見ても、とても興味深い対象なのですよね、ニセ科学って。

kikulogでも、「教育の専門家」の姿が見えてこない、という話がありましたが、教育学的にも、ニセ科学の問題は、かなり重要なのではないかと思います。ニセ科学に近い所としては、神経神話的言説の流布もそうですね。
もちろん、ドラゴンさんの様な、教育の専門家もおられる訳ですけれど、もう少し、大きな声が上がっても、良さそうなものです。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 11:23

安原さん、今日は。

 >「おもしろくない」っていうのはよく言われましたね。

あー、こういうのは、言われそうですねえ。誤解される表現かも知れませんけれど、私は、データを集め、それを適切に処理して「事実」を得るプロセスが、「面白い」と感じます。自分のバイアス、ステレオタイプを破壊してくれるのは、ありがたいですしね。

「善意」は、ニセ科学の流布のについての議論の際にも、よく触れられますね。水伝にしても、善意から広めようとされているし(コアにいる人達がどうかは、判りませんけれど)、ゲーム脳にしても、教育に携わる人の「善意」によって、森氏の講演が今でも行われている、という現状です。善意であるが故に、批判の仕方にも、難しいものがある。それは悩ましい所です。

こういうのも、結構議論されている事なのですが、ニセ科学批判批判な人は、果たして見ているのかな…。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 11:31

さて、津村さんが書かれた、「(7) 根拠が確かでない危機感を述べる。」という部分⇒http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_05f4.html

この問いに、具体的に、どう答えられるのでしょうね。私は、それを想定して、何度かその事について、書きましたけれど(「どう変化したか」はともかくとして、ニセ科学的言説が流布されているのは、事実である。従って、それを批判すべきである)。ここら辺は、柘植さんのお考えとは、ちょっと違いがあるかも知れませんね。私は、ニセ科学的言説の普及を、科学リテラシーの「低下」に根拠を求めた事は無いし、「病理」という言葉も、意識して使わない様にしています。

ちなみに、ゲーム脳説であれば、教育に携わる(別々の)機関が定期的に、森氏の講演を催している、という事実から、流布されている、というのは言えますし、血液型性格判断については、テレビでの採り上げられ方から、広く普及している、と言う事は出来るでしょう。長谷川芳典氏のサイトは、優れた、データ収集所です。

「科学的な態度の欠如」と「ニセ科学の蔓延」は、ひとまず別の話、と判断すべきと思います。密接に関連しているとは考えられますが。

追記:「病理」という語を使うべきでは無い、と主張している訳ではありません。捉えられ方が幅広いという意味で、自分は使わない、という、個人的な語感の問題です。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 12:16

ご参照下さい

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_53f7.html

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d85f.html

こういう所は、ニセ科学を批判する者同士であっても、意見が分かれるのでは無いでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 12:22

この部分まぁTAKESANさんとは重なるのだろうなぁとは思っていたのだけれど、ぼくも問題が「科学リテラシーの低下」にあるとは思っていません。教育の現場にいる人間の科学リテラシーの低下については問題だなぁ、とは思ってるんですが。

で、ぼくの場合はそれを「社会全体の病理」に求めようとします。この辺柘植さんに近い部分があると思います。これをデータをもとに裏付けようとすると、多分「カルト絡みの事件の増減」とか「マルチ商法トラブルの増減」みたいなデータを出してくるのが適切なんだろうな、と思います。そんなデータは持っていませんが。

ただ、「カルトのトラブルは増えていないのでほっといてもいい」とか「マルチはつねに一定数の被害者がいるものだ」みたいな結論が出たからと云って、だから放置していいのだ、みたいな結論にはならないと思うんですけどね。

投稿: pooh | 2007年8月25日 (土) 18:14

文章ぐだぐだでした。最後の段落だけ直させて下さい。

ただ、「カルトのトラブルは増えていない」とか「マルチはつねに一定数の被害者がいるものだ」みたいなデータが出たからと云って、だから放置していいのだ、みたいな結論にはならないと思うんですけどね。

でした。

投稿: pooh | 2007年8月25日 (土) 18:15

ニセ科学が広まるというのは、情報が伝達される、という現象ですから、マスメディアのあり方とか、インターネットの拡大等も、要因となっていると考えられます。そこに、科学リテラシーの低下などの論理がどれ程関わっているか、という所については、私は、はっきりとした考えは持てていないのですよね。それを正確に論ずるのは、大変に難しい。ニセ科学の議論に、社会科学者にも参入して欲しい、というのは、その事も念頭に置いています。

論理的には――科学リテラシーの高低を横軸にとって、縦軸に頻度をとった度数分布を想定して、数十年前と今の分布のかたちが変わっていないとしても、ニセ科学の情報が広く伝達される、という事は、あり得るのだと思います。当然、「科学リテラシーが向上」と、「ニセ科学が以前より蔓延した」も、同時に起こり得ると考えられます。

で、それを踏まえて、私は、上のコメントにも書いた様に、ある程度ニセ科学的言説が流布されているという事は事実であるから、それを何とかすべきである、という認識です。多かろうが少なかろうが、増えていようが減っていようが、ですね。そして、血液型性格判断やゲーム脳等が、一定の広がりを見せているのは事実ですから(上に書いた事は、充分な傍証になると思います)、その事について、きちんと論じ、対処すべきである、と考えています。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 23:37

こんばんは
 
津村さんの話の中心は「ニセ科学の認定機関として」社会から見られる・求められる事への危機感というか苛立ちが一番大きく考えれれているのでは無いかと読めました。
 
確かにきくちさんやajpさんの意図にかかわらず見ようと思えばニセ科学を対象として事例を集めて論じている科学者とその取り巻きと見る事も可能です。また、そのあり方に対して疑問を投げかけたときに本人も取り巻きも反応していることから閉鎖されていると見られる事もあると思います。
 これは実際の意図や実態とは関係ない場所での話しで、掲げる看板に対してコミュニティーが持たれるレッテルというかイメージの問題です。またイメージが一人歩きする事とイメージに引きずられる可能性についての危機感で、これを払拭するにはやはりどんなイメージがついても引きずられない実績の蓄積しかないと思うのですが。
結局現時点では「本当にその様なものかどうか観察してください」と言う事しか出来ないと思います。

投稿: FREE | 2007年8月26日 (日) 01:43

これは、難しい問題なのですよね。

私が思うに(とても強く思うに)、いかに、コミュニティ内(ニセ科学について関心を持ち、論じ合う人達、という程度の意味です)で、注意深く議論を進め、外部に対しての情報の出し方に、細やかに配慮しようとも、「外からは如何様にでも見る事が出来る」、のですね。

だから私は、「そもそも言及するなら調べる」べき、だと考えているのです。現に、実態は異なる、のですよね。きくちさんがあれ程丁寧に説明なさっているし、津村さん曰くの「コミュニティ」も、同じ様な考えの人が馴れ合っている訳では無い、と主張しても、危惧する、というのは、よく解らないのです。じゃあどうすればいいんですか、というのも、知りたい所ですね(※代案が無いなら批判はするな、という持論は、全く無いです)。

 >結局現時点では「本当にその様なものかどうか観
 >察してください」と言う事しか出来ないと思います。
そう思います。やっぱり、FAQみたいなものも、あって良いかも知れませんね。水伝に関する反証問題の時も、そう感じましたけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 02:25

「占い」と「性格判断」の異なりについても、この間kikulogで話題が出たし、私もここに、書いたなあ。

血液型を聞いて、「この人はこういう性格であろう」と、ある程度の確信を持って推測するのは、「占い」とは認識され得ないと思うんですけどね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 10:35

論宅さんが、私に言及していらっしゃいますが、意味がよく解らないなあ…。いや、あの方のコメントを完全スルーしているので、文脈が全く把握出来ないのです。

キーマン、って何ですかねえ。後、何に敏感なんだろう。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 01:52

あの方が論宅さんのところに津村さんのところでの議論をコピペしてらっしゃるんですよ。で、両方にコミットしているサイトとして、ここが一種ハブサイト的なものである、と認識されているのかと。
まぁ、そういう意味で的外れな評価と云うわけではないと思いますよ。

うちはタコ殴りステーションみたいに言われてますけど(あ、これは論宅さんがおっしゃったのではないですが)。

投稿: pooh | 2007年8月27日 (月) 12:35

poohさん、今日は。

ああ、成る程。

論宅さんの表現、ちょっと大仰な場合があるので、言及された側としては、「へ?」となる事もあるので…。「ネット議論創発」という程の、大層なものでもありませんしね。

後、あの方のコピペを、どちらかというと受け容れているっぽくて、そこに、ありゃ、と感じたのでした。もちろん、それが駄目、と言っている訳では無いです。色んな事情をご存知無いので、しょうが無いかな。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 13:03

http://mercamun.exblog.jp/7384782/

何だこれ。

水伝の事、全く調べて無いでしょ。

何か、ちょっと呆れます。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 2日 (日) 20:02

なんか、爆弾が炸裂した感じですね。
この段になって今さらなにを素人くさいことを言ってるんだ、と。
「社会学」が聞いて呆れます。

投稿: A-WING | 2007年9月 2日 (日) 20:42

A-WINGさん、今晩は。

そうですねえ…。
ここに来て、それは無いんじゃない、という感じです。ある意味びっくり。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 2日 (日) 22:26

 こんばんわ。
 素朴な「相対主義者」にありがちな逃げ方ですね(笑)どうでもいいなら口出さなきゃいいんですけどね。
>神による創造論と進化論は同列です。
 まっそれで、「宗教教育」に予算ついて、純潔教育とかすすめられて、中絶した医師が放火されてるアメリカのような事態も小さな問題なんでしょうね。
 私は多くの人が「水伝」批判には好意的だと思います。問題なのはこういった「素朴な相対主義者」とか「社会学」のふりした「社会学者」じゃないだろうかと思います。えらそうに「嘲笑する」ことによって無効化をねらいます(なぜかわかんないけど)。このへんの「社会学」って「社会」にはあんまり興味ないんじゃないですかね。映画とか観ててぐちゃぐちゃ言っててくださるほうが世のため本人のため幸せなんじゃないかなあと思います。

投稿: 安原 | 2007年9月 2日 (日) 23:15

安原さん、今晩は。

私は、「メタぶっている」なんて言い方をしますけれど、なんでしょうねえ…「見ていない」、と言うか。

「こういうモノに真剣に関わる価値があるのかと思います。」(論宅さん)って、さりげなく書いてますが、これはなあ…。
江本氏の本は読んでいないでしょうね、間違い無く(読んであれを書いたのだったら、読解力が無い)。

「そういう現象があったら世界も平和になるかもという程度です。」(論宅さん)って、本気かな。あまりにナイーブかと。corvoさんの所でも、読んでみればいいんですけどね。

ふまさんのコメントをそのままにしている、という事は、認識がシンクロしてるのかな。よく解りませんが。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 2日 (日) 23:47

論宅さんの最近のエントリについては自分のところで取り上げたりしようかとも思ったんですが、やめました。特に意味がない気がするので。

ROMの方でも、ここまでの議論がどんな経緯を辿ってきたか、をご存じなら、論宅さんの発言の水準ももうお分かりでしょうし。

投稿: pooh | 2007年9月 3日 (月) 12:41

poohさん、今日は。

そうですね。私も言及しようと考えたのですが、やめました。

残念、と言うか。いや、ある意味、予測出来た事でもあるのかも。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 3日 (月) 13:37

http://anond.hatelabo.jp/20070903204722

よく集めたなあ。

ここも参考にして下さったみたいで。ありがとうございます。

ここやpoohさんの所や某ブクマを参照しているという事は、相当のウォッチャーですな。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 4日 (火) 12:31

「世界も平和になる」ってすごいこと言いますね。
「水伝」の現象が実現されたら、むしろ世界中は混乱に陥るとおもうのですけどね。「水」兵器がたくさん開発されそう。
「物語としても駄目だ」と発言することに拒否反応を起こす人が、意外に多いのが不思議です。物語(フィクション)というのは、もっと練られていて、普遍性を持っているものですし、「水伝」はつじつま合わせのために「写真」を使っているところが、即席で安易であると思います。
「物語」なら、「言葉」だけで語れと。
進化論と創造論の下りは、呆れてものも言えません。

話は変わりますが、僕のblogの「独学」のエントリーについているコメント。少し似たような雰囲気を感じ取っています。

投稿: corvo | 2007年9月 4日 (火) 13:18

corvoさん、今日は。

(以下、ニセ科学問題としての水伝批判は、置いときます)
あまり考えずに書かれたのでしょうね。考えた上で、あの文章だとすると、全く駄目ですね。
水伝を、「物語としてなら」許容出来る、と思う人が、いるのかも知れません。色々想像すると、そんな事にはならないのは、解りそうなものですけれど…。

------

 >僕のblogの「独学」のエントリーについているコメント。

やり取りを拝見していますが、なんだか、どういう意見を主張なさりたいのかが、今ひとつ掴めないです。
余談ですけれど、「嘘」の反対の意味で使うなら、「正直」が一般的かな、という感じがしました。「事実」は、あまり適切で無いかな、と。

あの流れだと、しばらくやり取りが続くかも知れませんね。言葉の使い方に注意深い(と「自覚は」なさっている)方のようですし。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 4日 (火) 14:18

不思議なのは、こういう方はどうして最終的に自分の脳天気さについて開き直るのかということです。
いや、人間、どこかしら脳天気なところがあるとは思うのですよ。
ただ、それを外に向かって表明する場合、何らかのためらいというか恥じらいというか、少なくとも「理性」の部分で生きているからには、感じるものだと思うんですが。
ある種の「放り投げ」というか、投げ出しを感じるんですよ。
オルテガのいうところの「大衆」というか。
見ててあまりいい気持ちにはなりませんね。

投稿: みづ | 2007年9月 4日 (火) 22:54

みづさん、今晩は。

うーん、何でしょうね…。
論宅さんにしろ津村さんにしろ、新しいエントリーとか読むと、まるで、それまでの議論が無かったかの様に見えて(少なくとも、私にはそう見えます)、何か、変な感じがします。上手く言い表せませんけれども。

文章そのものの感想としては、今poohさんの所に寄せられている皆さんのコメントと、同じ様な感じですね。あ、名無しさんが、鋭い意見を仰っているな、と思ったら、FREEさんでしたか。

感覚的な表現で恐縮ですが、「下りて来ていない」、という感じです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 00:03

ニセ科学についての想定問答として、ダメプさん(と言うか)のこちらがありますね。ご存知無い方は、どうぞ⇒http://black.ap.teacup.com/programer/29.html

私も、作ってみようかなあ…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 00:10

ちょっと、津村さんの文について、書いてみます。以下、引用は、http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a5a6.html

その前に、ちょっと別の事を。

他人が書いた文章を読む場合、「書き手がどの様な認識であるか」、という所を読み取る視点と、「多くの人に、”どう読まれるか”」という所を検討する視点、があります。当然これらは、峻別出来るものでは無く、絡み合っているでしょう。書き手が自覚出来ていない部分が文章に表れる、というのも、当然考えられます。

では、改めて。

津村さんは、
▽▽▽引用▽▽▽
世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。
△△引用終了△△
と書かれました。これは明らかに、「比較」している訳です。「必要性」を感じるか感じないか、というのは、それについて具体的に調べ、検討した上で、判断なされる事のはずです。今までの議論の流れからすると、そうでしょう。しかるに、津村さんが、ニセ科学の事例について、具体的に検討したというのは、エントリーやコメントからは、見えてきません。

もちろん、津村さんの意図としては、特に比較するというものでも無く、自分には取り組みたい事があるから、ニセ科学批判活動には口出ししない、という表明をなさりたかった、という事なのでしょう。しかし、今までの議論の流れがある訳ですね。そして津村さんは、研究者なのです。それが考えられていない書き方だな、というのは感じます(「私としては」の部分に、個人の意見を強調する、という意図も見えるけれども)。

きくちさんの、「菊池はだめで田崎はよい」は、「菊池よりは田崎がよい」、とする方が良い様な気もします。ちょっとしたニュアンスですけれど。

------

個人的には、田崎さんの文章は、ニセ科学問題の入門としては、相応しく無いと思います。きくちさんのニセ科学入門の方が、よろしいでしょう。理由は、

 ・色々のパターンのニセ科学を取り扱っており、ニセ科学
  と一口に言っても、事例によって、具体的な構造は異
  なる、というのが詳しく説明されている。つまり、一般性
  が高い、という事。
 ・短く纏められており、短い時間で読む事が出来る。

 ・田崎さんの文は、ニセ科学の一例である水伝に関して
  詳しく説明しているものであるから、大変具体的。ニセ
  科学について知識が乏しい人にとっては、却って解りにく
  い場合がある。
といった所でしょう。「ニセ科学ってどんなものなんだろう」、と考える人に、田崎さんの文を薦める事は、無いですね。田崎さんの文は、「水伝を知っている人」に、薦めたい所です。

※普通は、複数の文章を参照しながら勉強していくものなので、どっちが相応しいとか、別に言う必要も、無いかも知れません。とは言え、概要を知るには、きくちさんの文章が最も適切であると、考えています。順序としてはね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 5日 (水) 11:03

もはや、言及するのもアレですが⇒http://mercamun.exblog.jp/7414534/

何でしょう。どこまでもメタでありたい、って事なんですかね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 8日 (土) 23:51

そのうち何かの結論に辿り着くかも知れませんよ。

(かりそめのものでも、自分自身に対してだけでも)結論を出す、と云うことを指向しているのかどうかって辺りから、申し訳ないけど怪しいとは思ってますが。楽しそうだな、と云う印象しか受けなくなったので、読まなくなりました。

投稿: pooh | 2007年9月 9日 (日) 09:08

なんだか、ふまさんの意見を取り入れて、どんどん突っ走っている、という印象です。今はちょくちょく覗いていますが、その内読まなくなると思います。

率直に言うと、ちょっとどうしようも無いな、という感じです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 9日 (日) 11:41

だめなんで、とっくに読むのをやめました。
でも、ふまくんの相手はしないほうがいいと思う

投稿: きくち | 2007年9月 9日 (日) 20:53

駄目ですね。かなりのものです。

なんというか、ふまさんと同調でもしてるんですかね。よく解りませんけど。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 9日 (日) 23:08

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