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2007年8月26日 (日)

もどかしさ

技術系サラリーマンの交差点: 「ニセ科学」関連・最終記事

津村さんの仰る事に感じる違和感は何だろう…。上手く纏まらないので、引用しつつ、検討してみます。

意図(理念)は私も十分納得しています。納得していることを繰り返し強調していただいてもこれ以上納得できないので話が進展しません。

これは、ここまでの議論を見ていて、そう感じますね。津村さんがどの様に「納得」なさっているのか、今一つ解りませんけれど。

「レッテルを貼ってほしい」という一般の人からの熱い期待がある中、専門家としてその期待に応えることに注意が向いてしまうのは人間的に自然なように思います。

「レッテルを貼ってほしい」という所の解釈が、難しい。たとえば、テレビなり新聞なりで、「ゲーム脳はニセ科学だと言える」、と主張するのは、「レッテルを貼る」、と言えるか、とか。「ニセ科学批判者は、色々な説にニセ科学のレッテルを貼って満足する集団である」、と「レッテルを貼っている」様に見える、と言うのは、幼稚な物言いかな。

私が「現実の困難さ」を感じた材料は、菊池さんのウェブログよりもむしろ「ニセ科学批判」を展開するその他の掲示板やブログ群です。それと、菊池さんと柘植さんの氏名で検索すると出てくるページ群です。

これはもう、具体的に論じて欲しい、としか言い様が無いです。直前にも書いてある様に、津村さんは、それを示して批判する、という事は、なさらない方針の様ですが。「菊池さんと柘植さんの氏名で検索すると出てくるページ群」、って、曖昧な表現だなあ。ググって上の方に出てくる、という意味なのかな。まさかとは思いますが、吉岡氏のサイトの事ではありませんよね。

内容的に、理念を説くものよりも個別の「ニセ科学」をめぐる論争(あるいは批判される側との確執)を多く目にしました。そして、書き手側の熱の入れ方や記事数の多さは、個別の論争や確執に関わるもののほうが理念的なものよりも勝っていると感じました。

さて、ここが今一つ解りません。個別の論争や確執があるというのが、それ程問題なのでしょうか。そもそも「確執」とは、どの様な事を指すのでしょうね。具体的に示してくれればなあ…。いや、他人のやり方にとやかく言ってはならない、というのは、思うのですが、津村さん自身が、ニセ科学批判者に批判を加えておられる訳ですから、何だかすっきりしないのです。

そのような材料を「科学とは何か」を伝える目的に使うことの困難さを感じました。

あれ。ニセ科学についての議論、”「科学とは何か」を伝える目的に使う”、のですか。私は、ニセ科学を論ずる際には避けて通れないので、考えざるを得ない、という認識に至る事はあっても、初めから、「科学とは何か」を考える際に、ニセ科学を題材にする、というのは、積極的に主張されているものでは無い、と考えていました。限り無く黒に近いもの、とか、多くの専門家によって誤っていると判断されている過去の事例なんかは、ニセ科学の典型として、「材料」として用いられる、というのは、あるのかも知れませんけれど。頭蓋計測学とか。でもまあ、これは、論者によって異なるものでしょうね。

問題なのは批判対象がピックアップされる手続きと考えます。批判されて当然なものが批判されるのはいいとして、批判されるべきなのに運良く対象にならないものが発生するのは不公平でしょう。

これは違うでしょう。優先順位問題ですから。きくちさんも強調されている事だし、そもそも、ニセ科学的なものを網羅するのは無理です。大体、「批判されるべき」とは、どういう観点から決めるのですか? 私自身は、ゲーム脳を率先して批判していますが、それは、自身の利害も絡んでいるからです。それと、ゲームに関する知識が、それなりにあるから、ですね。そもそも、何らかの「科学的な」説を主張しているのですから、それは、批判的に検討されて然るべき、でしょう。そういう意味で、

個人がボランティアでやっている段階では仕方ないかもしれませんが、多数の科学者の同調を得て進む場合、しかも「被害防止」でなく「科学の啓蒙」が目的であるなら、公平さが求められると思います。

これは、的外れにも思います。もう一度同じ事を書きますが、ここで言う「公平さ」とは、何を意味しているのでしょうか。

ニセ科学は蔓延しているか、という疑問についての自分なりの考えは、別のエントリーのコメント欄に、書きました。これについては、論者によって、考えは異なっていると思います。少なくとも私は、「ニセ科学が社会に広まっているのは、社会全体の科学リテラシーが低下しているからだ」(左巻さんなんかは、こういうお考えに見えますが、どうなんでしょうね)、という主張には、今の所、与しません。個人的に「病理」という語を使わないのも、コメントに書いた意図からですが、そういうのも、解釈の問題ですからね。自身の語感を一般化するものでも無いでしょう。

まとめ部分は、何だかなあ、という感じです。「コミュニティ」と形容し、一括りにして批判なさったのに、最後はそれですか、って。これ、偽らざる感想です。

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コメント

すっごく甘い書き方だなあ…。

ツッコミ歓迎。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 02:37

 こんにちは。

>私が懸念しているのは「ニセ科学批判という情報の送り手がどんな理念を持つか」ではなく「その情報が間違いなく受け手に伝わるか」です。

>「レッテルを貼ってほしい」という一般の人からの熱い期待がある中、専門家としてその期待に応えることに注意が向いてしまうのは人間的に自然なように思います。

 となると、「レッテルを貼ってほしい」という需要がある限り何やってもムダ、と言ってるように見えちゃうんですが、そうなんでしょうか。

 あと、公平云々の話は、きくちさんなどが見ると脱力しちゃうんじゃないかなぁ……。(^^;

投稿: みづ | 2007年8月26日 (日) 02:37

みづさん、今晩は。

レッテルを貼って欲しい、と言う人がいたら、「レッテルなんか貼りませんよ」、と返すのでしょうし、実際、そうしていると思うんですよね。後、思うのが、「これって、科学的に証明(実証の事)されてるんですか?」と聞かれて、「ええ、そうですよ。」と答えるのも、レッテル貼りになるのかな、と。「ニセ科学だ」と言う事は、科学的実証が無い(もしくは、既に反証された)、というのを意味するので、言明の構造自体は、あまり変わらない気もします。尤も、そう単純でも無くて、文脈が関わってくる訳ですが。

どちらにしろ、「レッテルだけを求める人に対してどうしろと?」というのが、正直な感想です。

公平に…というのは、何回か出ましたよね。その度に、何回も説明があったのですよね。どういう基準で「公平」なんて言えるのかなあ。

----------

本文の補足。
頭蓋計測学は、「ニセ科学」とは言えないかな。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 03:29

科学的に実証されているなら「実証されている」だし、実証されていないのに実証されているかのように言うなら「ニセ科学」でいいわけです。わからないものはわからないと言うしかないしね。
 
「レッテル貼り」とは何かと言うと、だんだんわかんなくなってくるんだけど、個々の事例について「これはニセ科学である」と主張することではないですよね。
 
そうではなくて、あらゆるものごとを「あれはニセ、これはニセではない」と分類してまわろうとすることを「レッテル貼り」と呼んでるんでしょう。しかし、そんなことはそもそもできないわけです。
 
グレーゾーン問題にしろ優先順位問題にしろ、「分析化学会夏の学校」でしゃべったし、津村さんは前の席で聞いてはったわけですが・・・
間違い科学とニセ科学の違いとか、メカニズム論ではなぜだめかとか、基本的な話はしたんですけどね

投稿: きくち | 2007年8月26日 (日) 09:26

例えばぼくのような書き方のエントリは、読み方によってはまるでそこに「確執」があるかのように感じられるかも知れません(TAKESANさんについてもそうかも)。で多分、そう云うのはお嫌なんだと思います。面倒だし、そんなふうに見えるようなかたちで社会と関わりたくない、と。

で、それはそれで、それ自体で批判されなければいけないようなものではないひとつのスタンスではあるんでしょうけど、柘植さんの主張(社会のなかの科学者論、です)とは真っ向から対立しますよね。津村さん側にもいろいろな事情があってはっきりとはものが云えなかった部分もあるんでしょうけど、実はすごく単純な主張だったんだな、と云う気がしています。

投稿: pooh | 2007年8月26日 (日) 09:52

レッテルだけを求める人に対しては、「ご自分で貼ってみてください」がいいんじゃないでしょうか。

私は、津村さんの文章からは、「ニセ科学を撲滅しようとしても無駄、不可能」と言いたいんじゃないかと感じられるのですが、どうでしょう。だとしたら「そんなこたぁわかっとる」ですけどね。

あと、ニセ科学が蔓延する理由として、私は、人の性質からきてるのだろうと思ってます。「人は驚きを好む」という。ある意味「病理」ですけど。

ともかく、仮に「病理」という表現を採用するとして、「自分は病気なのだ」と自覚するところからやらないと、この手の病気は、治らないんだろうなと。

投稿: A-WING | 2007年8月26日 (日) 09:54

きくちさん、お早うございます。

ニセとそれ以外にきっちり分類出来る訳では無い、という事自体が、そもそもニセ科学について論ずる際には、押さえられているんですよね。グレーゾーンの話も、よく出てきますし。

それに、水伝とか血液型性格判断とか、ニセ科学と表現したら、猛烈な反発も出てくるんですよね。”「レッテル貼り」を求める人”が、”「科学者がそう言っている」という既成事実だけを求める人”、というのを意味しているとすれば、それ(既成事実のみ)を得たとして、どう用いていくのか。「○○はニセ科学らしいよ」、と言われて、「そうなんだ」、と反応「出来る」のは、元々科学にある程度の関心を持っている人、なのではないだろうか、とも思います。信じている人にそう言ったって、「何言ってんの?」と返されるでしょうし。
「何だか怪しいと思ってたんだよ」、という人の信念を強化してしまう、というのは、一つ考えられますけれど。

「○○はニセ科学だ」→「ニセ科学って何?」となるのが、まあ普通のやり取りだと思います。それで答えられなければ、レッテルしか知らない、となって、意見の正当性は認めて貰えないんじゃないかな、と。
レッテル貼りを求めるというのは、科学者に対して過度の信頼を持っている、というのを意味する気も。そうで無い人は、科学者がレッテルを貼っているというのを意識すれば、反感を抱くでしょうし。現に、反感を抱かれていますしね。

津村さんのご意見に対して思うのは、批判するなら具体的にするべきだし、それをしないのであれば、初めから批判などしなければいい、ですね。あの様に仄めかされては…。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 10:11

poohさん、お早うございます。

「確執」という語を見た時、すぐに浮かんだのは、自分の所やpoohさんの所で、(ニセ科学を肯定する人と)たまに起こるやり取りは、間違い無く「確執」と捉えられるだろうな、という事でした。

津村さんは、他者のスタンスを、批判的に検討したのですよね。これはもう、ご自身の意見も批判される覚悟である、と看做して構わないのだと思います。

リンク先の柘植さんのコメントには、深く納得しました。文体は柔らかですが、厳しい批判になっていますね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 10:19

A-WINGさん、お早うございます。

 >「そんなこたぁわかっとる」

これを感じるんですよね。自分は多分、「コミュニティ」とやらに含まれる人間だけれど、仰る懸念については色々な議論があったし、そりゃ解ってますよ、という。「コミュニティ」について批判しているのだから、「コミュニティ」に関する具体的な検討を行うのが、筋ってものだと思います。

「病理」。自分もそれにやられる可能性がある、というのを、常に意識していかなければならないのですよね。もちろん、やられていた、という経験を持つ人も、いる訳ですけれど。

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「コミュニティ」に関する具体的な事例を出されたとして、それが、駄目な意見であれば、当然、「コミュニティに属する人達」からも、「こりゃ駄目だ」、と評される事でしょう。ニセ科学を批判する人同士でも、お互いに批判する、というのは、しょっちゅうやっているのですしね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 10:32

 自分トコのblogが、設備保守の停電のためサーバごと止まっているので、向こうのコメント欄に書き込んできました。
 
 「レッテル貼り」については、そりゃ「レッテル剥がし」だ、としか言いようがない。ニセ科学批判は、科学でないものに「これは科学」というレッテルが先に貼られている場合にしかできないので。

投稿: apj | 2007年8月26日 (日) 17:45

apjさん、今晩は。

成る程。納得です。

津村さんは、「科学のレッテルが貼られている科学で無いもの」の上から、「ニセ科学のレッテル」を貼る、というイメージで捉えておられるのかな。当然、それは的外れなのですが。実態は、レッテルを剥がしたり、そのレッテルのおかしさに言及したり、というものですしね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 18:08

 >上から、「ニセ科学のレッテル」を貼る

「単に貼る」か、「何故貼るかの説明(何故剥がすか、の説明)をした上で貼るか」、の違いかな。津村さんが仰るのは前者なのでしょう。

投稿: TAKESAN | 2007年8月26日 (日) 19:07

 これは本論と関係ないですが……。

 「正義感」「レッテル貼り」というような言葉が、多くの議論の中でア・プリオリにネガティブな意味とされているのはどうしてなんでしょうね。

 「正義感」は全然悪いことじゃないし、「レッテル貼り」だって、適切なレッテルは理解の助けになる。

 この文脈でどう使われてるかというのは別の話ですが、少なくともそういう議論のやり方はずるい。……そこまで言わなくても、「手抜き」。(^O^)

 個別の価値判断を示してから(「正義感」は何故ダメなのか、「レッテル貼り」が何故悪いか)使うのが誠実なやり方だと思うんですよ。
 こういうのってどうかなあ、と思ったので。

投稿: みづ | 2007年8月26日 (日) 22:42

「レッテルをはってくれ」という人に対しては,個別にその都度「そういうもんじゃないから」と言いつづけるしかないでしょうし,現状そういう対応をしてますよね.
それでも考えない人はいるでしょ,と言われればそうだけど,本当に「それじゃどうしろと?」ですよねぇ.
もちろん,(科学)教育をなんとかする必要があるけど,それが成功するまで何もしないほうがいいってものでもないだろうし.

時々,「それは対処療法に過ぎない,根本的解決になってないから無駄である」みたいなことを言う人がいるけど,対処療法だってやらないよりずっとマシでしょう.ことに根本的に解決する妙案がなかったり,あっても即効性がなかったりする場合には.

投稿: たかぎF | 2007年8月26日 (日) 22:48

結局津村さんのこの「最終記事」を見ても、津村さんが今のニセ科学批判に対して何故ここまで疑念を抱くのかが私には正直理解できません。
彼女の書いた

>>私が懸念しているのは「ニセ科学批判という情報の送り手がどんな理念を持つか」ではなく「その情報が間違いなく受け手に伝わるか」です。

という事も、apjさんの意見と被ってしまいますがf(^ー^;
受け手がどんな形で情報を理解し、何を感じるかまでは送り手は責任を持つ事は出来ないでしょう。
その後の

>>問題なのは批判対象がピックアップされる手続きと考えます。批判されて当然なものが批判されるのはいいとして、批判されるべきなのに運良く対象にならないものが発生するのは不公平でしょう。

という意見もそうですが、完璧さを求めるスタンスに立つと見せかけて、自分が何もしない事を自分で納得するための言い訳を述べているように私には見えるのですが。

投稿: 内海 | 2007年8月26日 (日) 22:49

あ、すいません、連投になります(^_^;)
上のたかぎFさんの「抜本的な解決策が無い場合は、何もしないで見ているよりも対処療法でもいいからした方が良い」という考えはとても肯けます。
で、少しそれとは話の方向が違いますが、津村さんのエントリを読んでいて頭に浮かんだ記事があって、評論家の山形浩生が「論座」に書いた「ヤバい経済学」の書評なんですけど

http://cruel.org/asahi/ronzayabai.html

例えば文中から引用すると

>>ぼくはそれは、主に日本の経済学(いやアカデミズム全般)の世界にはびこる、悪しき病気のせいだと思う。

 それは生真面目さと、その派生物であるタコツボ主義という、社会の活力を削ぎ、人々を死に至らしめる恐ろしい病気だ。

 本書は経済学の本なのに、お金の話はほとんど出てこない。お金はせいぜいがアメリカのギャングたちの家計簿くらいだ。これが経済学? と多くの人は思うだろう。相撲の八百長の研究、出会い系サイトに隠された暗黙の偏見や不動産広告の変な言い逃れ、犯罪と中絶の関係から子供の成績の決定要因? なにこれ? 本書があまりとりあげてもらえないのは、(アマゾンのレビューにも見られるように)そもそもこんなのは経済学のやるべきことじゃない、人気取りの悪質なスタンドプレーにすぎない、という意見がかなり多いせいじゃないか。

という文の経済学のところを分析化学に置き換えたものが、津村さんが柘植さんの考えに持つ違和感なのではないか、とか。
また(引用箇所が長くなりますが)

>> さて経済学のツールでもっと広い社会現象を分析しようとした一派は前にもいた。ノーベル記念賞学者ゲーリー・ベッカーたちだ。かれらは浮気や殺人やドラッグ中毒まで経済学の概念を使って分析しようとした。要するに人は、自分にとって得でなきゃそんなことはするまい、というわけ。その試みは(もちろん制約はあったが)予想外に説明力を持つ重要なものだった。

 ところがこれに対して日本のえらい経済学者たちは、こうしたテーマを経済学が扱うこと自体が嘆かわしいと論じた。だいたいドラッグは人の効用関数を破壊するから合理性の前提が崩れる、分析できない、と。だがベッカーは、まさにその効用関数がドラッグによって、どう変化させられるのか、というのを考えようとしていたのだ。分野そのものを勝手に狭く定義づけ、その外にあるものを排除するのではなく、それを自分たちの分析の中にとりこむ手段を考えたところにベッカーの慧眼があった。

 そして実は、そうした考え方は、タコツボ経済学者たちにとっても、本来は重要であるはずなのだ。前出の人物も含め、日本のえらい経済学者は才能が枯渇すると、みな同じ道をたどる。ホモ・エコノミカス批判のお説教だ。経済学は、人に合理性ばかり追求し、儲けばかり求め、人の心と倫理を失わせグローバリズムで人々を不幸にする悪しき思想だ、ホリエモンのような連中を量産するばかりだ、経済学に人間の心を、経済ばかりを追求して金の亡者になってはならない等々。救われないことに読む側もこの手のお説教が大好きで、学者としての評価は決して高くないガルブレイスに人気があるのもそのせいだ。

 でも、こうした人たちは、心だの倫理だのをどうやって経済学に導入するのかについて、何もアイデアがない。嘆かわしいことです、とくだらない説教をするばかり。かれらは、眉根に皺を寄せてる自分が好きなだけだ。そこには経済学を未来へと開くものは何もない。

 そしてそれこそ、本書が経済学の未来を担うものである由縁なのだ。経済学がお金ばかり考えてるのはけしからん? そうかもしれない。だったら、人がお金以外のものにどう反応するかをきちんと考えることこそ、まさにこれからの経済学のやるべきことじゃないか。そして、それがお金とどうからみあって最終的な人間の選好が決定されるか、それを見極めなきゃいけないじゃないか!
 
ここで山形浩生が言っている事は、多分津村さんにも当てはまると思う。
「一般の人が『ニセ科学』を一種のレッテル貼りと誤解する懸念」を抱くのは結構。
でも、それじゃあ一般人が科学者のレッテル貼りだと誤解しないような方法は?
また、批判対象が恣意的に選ばれてしまうのは不公平だと言うのなら、具体的にどうやって公平に批判対象を選ぶの?
そして一番重要な事。
そのニセ科学批判に対する疑念から、何か新しい科学に対する物の見方とか、分析化学のこれから先の展開とか一般人への科学者からのアプローチなどにとって有益な考えがでてくるの?
おそらくだけど、こうした問いに津村さんは上の「タコツボ経済学者たち」と同じく何のアイデアも持っていないと思う。
何の代償案も提示せず、ただきくちさんやapjさん、柘植さんが行っているニセ科学批判の揚げ足取りに終始するエントリを書いて何になるのかを津村さんには真剣に考えてほしい。
それすらしないで、一方的に「これでニセ科学について書くのは終了です」なんて言われても納得なんか出来ないですよ。

投稿: 内海 | 2007年8月27日 (月) 00:05

皆さん、今晩は。まとめレスですので、長文です。

>みづさん

「正義感」はちょっと微妙な所ですが、「レッテル貼り」は、一般的にネガティブな用いられ方をするかな、という印象です。レッテルを貼って中身を検討しない、という意味合いでしょうか。
で、そういう表現は、受け手によって色々解釈が変わるので、もっと具体的に仰って欲しかった、という感じです。こういうのを見た。それはレッテル貼りだ、という風に。そうでないと、「レッテルを貼る」にネガティブな意味を込めて、自身の発言で閉じてしまうので、議論がしにくいですよね。

--------

>たかぎFさん

私が津村さんの文を読んで疑問に思ったのが、「レッテル貼りを求める人」というのは、どういう人なのだろう、という事ですね。

で、仰る様に、中身はどうでもいいからレッテルを貼ってくれ、という人がいるとして(まあ、存在はし得る、でしょうから)、その人には、そういうものでは無い、と言い続けるしか無いし、そういう人が存在し得るからニセ科学批判は行うべきでは無い(もしくは、やり方が良く無い)、と言うのは、やはり違うと思います。

対処療法は重要だと思います。ニセ科学批判は対処療法的で、それは却って弊害をもたらす、という主張があると、「じゃあどうすれば良いですか?」 とか、「対処療法の具体的中身は調べましたか?」と聞きたくもなります。

もし、津村さん曰くの「確執」が、弊害の一つなのだとすると、私には、理解出来ないですね。いや、そもそも、「確執」が何を指しているのかが、さっぱり解らないのですが…。

--------

>内海さん

まず、「情報の受け手」を意識する事自体は、当然なのですよね。どう捉えられるか、というのを吟味して、情報発信の仕方を考えていく。で、具体的にニセ科学批判の活動を調べてみると、かなり周到に、そういう所は、考えられていると思います。実際最後には、受け手の解釈に委ねられる訳ですが、「一体どこまでやれば良いのですか?」という疑問は、出てきます。

公平さを求める、という話について。
何をもって優先順位が高いか、とか、津村さんは、意見を表明なさった方がよろしいでしょうね。当然の事ですが、観点によって、優先順位は異なる訳で。批判者の知識・興味関心にも依存しますし。セーガンとかガードナーの似非科学批判にも、同じ様な感想をお持ちなのかな…。「あれよりもこれを」、と言いたいなら、自分が具体的に言及すべきだ、と思います。

-------

>内海さん(2番目のコメント)

成る程。山形さんの意見、興味深いですね。津村さんにどの程度あてはまるか、というのは、ちょっと何とも言えませんが、示唆的な主張ですね。

津村さんの仰る事、一般論ですよね。極めて抽象化した。
レッテルを貼られたのを知って、その知識のみで、中身を考えない人が出てくるかも知れない。それはそうです。
対象の採り上げ方に不公平が出るかも知れない。それもそうです。ごく一般的に考えるとね。被害を定量的に把握出来るかは、知りませんが。

――津村さんの文章を読むと、そんな印象を受けます。で、津村さんは、色々なサイトをご覧になって、ネガティブな印象を持たれた様ですが、それは具体的に論じないみたいですね。まあ、はっきり申し上げて、「歯痒さ(とても適切な表現だと思う)」を感じます。

私なら、中身を見て、その中身を正確に理解しようとし、関心のある人に勘違いされない様な、情報発信をします。そして、こんな辺境の地ではありますが、それを実践しようとしています。ここはこう見えるかも知れないけれど、実はそこに関しては、こういう議論があるのですよ、とか。個人的には、その方が建設的であろうと思います。

コミュニケーションの基本は、
 ・相手が何を言いたいかを理解しようと努める
 ・自分が言いたい事を、なるべく誤解されない様に伝
  える事を心掛ける
というものだと考えています。ちょっと話がずれてきましたが…。

-------

ところで、津村さんは、私達がここでこうして意見を重ねている事を、津村さんとここの「確執」、と捉えられるのでしょうか。そうで無ければ良いのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 01:44

津村さんの意見は。

 ・用いている言葉について、意味を共有すべく注意を
  払っていない。

 ・自身の経験を過度に一般化する。

 ・具体的に言及せざるを得ない様な書き方をしなが
  ら、仄めかし程度でしか触れない。

 ・議論の相手が意図を説明しても、でも自分はこう読
  んだ、という話に持っていく。

という印象です。

▼▼▼引用▼▼▼
だから、「最初はレッテル貼りが必要」と堂々と言えばいいのではないですか。「レッテル貼り」という言葉のネガティブさにたじろぐ必要はないと思います。
▲▲引用終了▲▲(Posted by: ここの管理人 | 2007.08.26 at 10:52 PM)
あの…初めに、ネガティブな評価の文脈で「レッテル」という語を用いたのは、津村さんではありませんでしたっけ? 何だか、凄くちぐはぐな感じがするのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 11:55

 ちょっとひどいなあ。
 向こうに書いた方がいいのかどうか、かなり迷ったんですが……。

>「啓蒙が目的」と聞くと、お行儀のいい活動をイメージします。

 あまりに脳天気な(←ネガティブな意味で使っております)認識にびっくりです。

 この「知」だとか「論理」だとか「科学」、あるいは「言葉」の恐ろしさに対する無自覚さは何でしょうか。
 「啓蒙」がお行儀がいい、なんて。
 近所の文化教室あたりをイメージしているのでしょうか。

 あと、「レッテル貼り」はやっぱりネガティブなイメージがあることを分かってて書いてたわけですね。
 ずるいなあ。

投稿: みづ | 2007年8月27日 (月) 16:19

みづさん、今晩は。

「お行儀のいい活動」、という意味も、よく解らなかったりします。文脈を考慮すると、「確執」を生み出さない様な活動、なのでしょうけれど、そもそもその「確執」という意味も、判然としませんし。
「啓蒙」の一般的な用いられ方を考えると、色々な意味を含ませられると思いますけれど、いずれにしても、ちょっとはっきりしませんね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 18:22

あちらのコメント欄にはもう行かないほうがいいかと。
多分もはやなにを云っても、「ニセ科学憎しの確執に囚われたネットイナゴ的批判者の来襲」としか捉えていただけない可能性大です。

投稿: pooh | 2007年8月27日 (月) 18:26

もし、きくちさん達の指摘(敢えて批判とは言わない)が、poohさんが仰る様な感情を喚起したとするならば(仮定)、それは残念な事ですね。もしかすると、このエントリーが、そうさせたのかも知れませんけれど。

ここにでも、津村さんが書き込まれれば良いのですが、それもなさらないでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 19:01

津村氏のこの間の書き込みを読みとおしてみて、実はこの方の主眼は「巻き込まれたくない」にあるのではないかという印象を受けました。そういう皮膚感覚的な反応にもっともな理屈を付けようとするために「レッテル貼り」とか「確執」という言葉が具体性をともなわずに出てくる。それ以上に議論が進展せず、読む人が釈然としない、さらには不可解とまで感じるのはそのせいだと思います。

この方は最近になってニセ科学批判を知ったとのこと。私も初めて、例えばkikulogのSSFS氏がらみのエントリーを読んだとき、SSFS氏(一人)対SSFS氏批判側(多数)の議論の応酬で、多くは書かれた内容そのものに対する批判ですが、中にはそこから派生して書き手の人格や人間性に言及するものもあり、相当強面という印象を受けました。

恐らくこの方には、議論の内容の是非以前に、議論の仕方に関するこの方独特の規範があるのではないかと推察します。この規範を逸脱すると、争いごとや喧嘩沙汰という「雰囲気」に分類されてしまうのだと思うのです。そんなのに加担したくないし仲間だとも思われたくないということじゃないかと。こんな推量だけを書くのはまずいのかもしれませんが。

投稿: ネット沙代 | 2007年8月27日 (月) 21:43

こんばんは。最新の津村さんのコメントを読みましたが、どうにもさっぱり理解できないです。菊池さんの書き込みについても、誤解ではなく、理解できていないように感じました。
いつ菊池さんが「「ニセ科学という社会悪を正す」が最大の目的」と言ったのだろうか。様々なネット上の議論を見て来た雑感としては、そんなことを感じた事は一度もありません。
多分、津村さんは自分がこう思いたい、ということに他者や他者の思考をあてはめなくては気が済まない人なのかも。
「ニセ科学」の問題が、いまだに科学サイドの問題だけと思っているのでしょうね。ここでは自明のことと思いますが、特に「水伝」に関しては、言語学、芸術という面から見ても、大きな問題をはらんでいます。そういったことまでは、まったく頭がまわっていないように感じました。
批判する相手を「怒らせる」ことが、どうしてそんなに悪いことなのか。この人は喜怒哀楽なく、他者と関わっているのだろうか。どう読んでも、僕には彼女の主張が理解出来ませんでした。

投稿: corvo | 2007年8月27日 (月) 23:28

ネット沙代さん、今晩は。

確かに、仰る様な事は、一連のエントリー・コメントを読むと、感じられます。

ネット沙代さんが持たれたという、SSFSさん関連のエントリーへの印象、重要だと思います。あそこのコメント欄の書き方については、議論が起こりました。あまり人格的な事に踏み込んだ書き込みをするべきでは無い、という意見も出ましたね。今はもう、そういう段階を超えた様な感じですが。私もここで、SSFSさんについて、おちょくっている、と捉えられる事があるかも知れません。書き方には注意を払っていますが、それでも、色々な印象を持つ人はいるでしょうね。それについて批判を受けるために、コメント欄を開放している、というのはあります。

津村さんの場合、「どう読めるか」、という所に、拘っておられる様に思います。それは当然、とても重要な事なのですが、今回、きくちさんやapjさん、柘植さんが、説明を試みておられ、具体論に進んでいくべきだと考えるのですが、そうでは無く、「どう読めたか」、に終始してしまっていて、そこに、何とも言えない感じを覚えます。

それぞれの人にそれぞれの言葉遣いがあるので、ある程度の一般論を基本に据えながら、具体論に関しては、柔軟に対処していくのが良いと思うのですよね。
端的に言うと、「津村さんはそう読めたかも知れませんが、他の読み方をしている人も、いるのでは?」という事ですね。で、それを踏まえつつ、具体論を進める事によって、議論が集積される訳ですね。色々なパターンについて、記録が残っていく、という。文章や発言なんて、思考を完全にアウトプット出来る訳無いのですから、どんどん議論・批判をしていけばいいと思うんですよね。

------

corvoさんへ。

私も、最新のコメントを読みました。そして、corvoさんと同じく、ほとんど、意味が解りませんでした。

もしかすると、ニセ科学が及ぼす悪影響として、詐欺等の、「ある意味解り易い」現象しか、想定しておられないのかも知れません。だから、ニセ科学批判の目的として、科学知識の啓蒙やらをクローズアップして、そこにネガティブな印象を抱くのでしょう。

個人的には、「社会見学のように批判対象を選ぶ」(Posted by: ここの管理人 | 2007.08.27 at 10:42 PM)なんて言われると、はあ、そんなに軽い活動なんですか、と、感じてしまいます。※余談。社会見学は、大切ですよね。

津村さん、きくちさんが仰る事が、解りにくい、ですか。びっくりですよ。大体、「解ろう」となさってるのかな。

投稿: TAKESAN | 2007年8月27日 (月) 23:54

こんばんは。
最初にお断りします。以下は全て私の勝手な推論です。
津村さんは「他者(世の中の全ての人)の感情を傷付けない事」に強いウェイトを置いているように見受けられます。勿論それは欠点でも何でもなく、単なる個性に過ぎないのですが、今回はそれがマイナスに作用しているようです。
つまり、意識的か無意識かはともかく、津村さんの中に「感情のもつれを引き起こす事は、それ自体が『悪』である」という基準があると仮定すれば、多くの部分が上手く説明できます。「他者批判をしない」という自己ルールに関しても、「確執」という単語の選び方にしても、「怒らせる事」を問題視している点にしてもそうです。
であるからこそ、ニセ科学批判が穏やかなものか激しいものか、啓蒙なのか社会正義の実現なのか、の区別にこだわる訳です。おそらく彼女にとって「相手の感情を傷付けても構わないほど強い批判」は「社会悪に対抗する」というような強いエクスキューズの下でのみ許容されるのではないでしょうか。単なる「サロン」的なものの中で和やかに「啓蒙活動」を行っているのなら良いけれど、他者の感情を傷付けても構わないほど強い批判活動に自分が加担している(と思われるかもしれない)と考えただけで拒否反応が起こるのかもしれません。
また、議論が白熱してくると感情的なもつれになる事を恐れるあまり、何とか収束させようとしてしまう。その際に最も取りやすい戦略は、有効かどうかはともかくとして「全て自分のせいにする」というやり方です。ここにきて「私にはこのように受け取れた」という主旨の発言が増えているのはそういう意味かもしれません。確かにそうすれば感情のもつれは起きにくくなるでしょうが、議論自体は消化不良になってしまい、逆に燃料投下になってしまうという危険性もあるのですが。

以上は全く私の勝手な想像ですし、的外れだとすると津村さんに大変失礼なのですが、ネット沙代さんの仰る点とも繋がってきますし、もしその通りだとするとなかなか議論は噛み合わないでしょう。もし「私はなるべく他者の感情を傷付けたくない」というのが御自分の基本ポリシーであるのならば、その事を明確に表現されれば、また違ってくるとは思います。

投稿: PseuDoctor | 2007年8月28日 (火) 23:23

感情を傷付けない様に、というのは、私も感じます。「誠実さ」や「謙虚さ」等を、強く志向なさっているのかな、という気がします。

▽▽▽引用▽▽▽
おそらく彼女にとって「相手の感情を傷付けても構わないほど強い批判」は「社会悪に対抗する」というような強いエクスキューズの下でのみ許容されるのではないでしょうか。単なる「サロン」的なものの中で和やかに「啓蒙活動」を行っているのなら良いけれど、他者の感情を傷付けても構わないほど強い批判活動に自分が加担している(と思われるかもしれない)と考えただけで拒否反応が起こるのかもしれません。
△△引用終了△△
ここは、大変納得出来ます。社会におけるニセ科学の位置づけの評価と、それに対する(津村さんが実際に見た)批判の強さとが、ずれていると思われている、という事ですね。はっきり言ってしまうと、「たかがそんな事に、何故あそこまで批判を繰り広げ、確執が起こる様な事をするのか」、という疑問を感じておられるのではないか、という。

-------

こんな事を言って良いのかどうか、判らないのですが…。

津村さんのブログでの議論、恐ろしく「穏やか」、だと思います。暴れている人の事は、取り敢えず置いといて。津村さんの書き方だと、炎上する可能性も、かなりあるのですよね。

何が言いたいかというと、きくちさんやapjさんや柘植さんや他の方々は、丁寧に、論理的に、誠実に、きちんと説明をなさっているのだから、せめて、具体的に答えるくらいはして欲しいな、と。

ご自身の所で「確執」を生じさせない様に、ああいう書き方をなさっているのでしょうけれど、読む人によっては、逆効果になるので(PseuDoctorさんが仰る意味で)、気を付けた方が良いですね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月29日 (水) 01:40

こんにちは。津村さんの書き込みを読みましたが、かなり驚いてしまいました。
吉岡氏のサイトに書かれたものを読み、
「これらを読んで、菊池さんたちのコミュニティの品位を疑いました。」というコメントを残しています。
僕自身、吉岡氏のサイトは精読したわけではありません。むしろ、日本語のおかしさ,論理展開の駄目さに、まったくついていけず途中で読むのをやめてしまった、というのが正直なところです。
また、彼の商売のしかたにも問題があると認識していました。
それを、科学者である津村さんが、菊池さんたちの批判と対等のものと考えている事に、大きな違和感とともに失望を感じます。たとえ一時であったとしても、吉岡氏の発言を説得力のあるものと判断するとは。とても不思議です。

投稿: corvo | 2007年8月29日 (水) 13:00

やっと具体的に書かれましたか。

やはり、吉岡氏の事でしたね。で、それを一般化した、と。

後はもう、何も言いますまい。

あ、一言だけ。
実際、凄まじく失礼ですよね。色んな人に対して。

投稿: TAKESAN | 2007年8月29日 (水) 13:03

corvoさん、今日は。

入れ違いになりました。上のコメントは、corvoさんのコメントを読む前に書いたものです。

私も、驚きました。ある程度推測出来ていたとは言え、ホントにそうだったの、という感じです。

吉岡氏の文章そのものに、説得力を感じたのだとしたら、何と言うか……何も言えませんね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月29日 (水) 13:08

ふと思った。

▽▽▽引用▽▽▽
知的サロンに集う暇のある人たちが中小零細業者の仕事を槍玉に上げて楽しんでいるという雰囲気を感じました。
△△引用終了△△(Posted by: ここの管理人 | 2007.08.29 at 06:11 AM)
この印象は、かなり凄い。「楽しむ」って、嬉々として、という意味合いなのかな。槍玉に上げて、という文からも、窺えますが。少なくとも私は、誰かを批判する際に、「楽しい」などという感情を持つ事は、あり得ません。そんなの、人それぞれでしょ。

kiklogでの議論とか、こことかpoohさんの所とかでの皆さんとのやり取りとか、真剣にやってるんですけどね。知的好奇心が満たされる、という意味では「楽しみ」ですが、誰かを論難する事自体が楽しい訳が無いです。悪趣味だし。

きくちさんは、吉岡氏の文章はわざわざ読まない、と仰ったはずですよ。

投稿: TAKESAN | 2007年8月29日 (水) 13:18

ネット沙代さんの

>実はこの方の主眼は「巻き込まれたくない」にあるのではないかという印象を受けました。そういう皮膚感覚的な反応にもっともな理屈を付

というあたりでの反応だとは思うのですが、ただ、本当に何も知らずに吉岡のところに行って、あれを読んでああいう印象を受ける人がいるのだとしたら、(特に津村さんは ── 今回は取り乱したとしても ── それなりにちゃんとした論理思考ができる人だろうし)それはそれでとても困ったことですねえ。

「何でそんな読み方できるの?」と呆れちゃうんですが、逆に、「「論理」以上に「空気」で文章を読む」という姿勢は、案外それほどマイナーな読み方ではないのかもしれないのかな、と思ったりして。

投稿: みづ | 2007年8月29日 (水) 15:17

みづさん、今日は。

ニセ科学批判についてあまり調べない内に、吉岡氏の文章を初めの方に読むと、津村さんの様な印象を持つ事があるのだな、と思いました。仰る様に、ちょっと困りますね。津村さんには、両方を、もっと細かく検討して頂きたかったな、という感じです。

吉岡氏が一方的に論難されている、という「空気」を感じる場合もあるのでしょうねえ。私の場合、kikulogのログをほとんど読んだ後に、吉岡氏のサイトを見たので、「一体何だこれは」、と思ったのですが、そうでない人もいる、という事なのでしょう。

津村さん、吉岡氏がkikulogやapjさんの掲示板を逐一チェックしていて(別に、kikulogに書き込む人が、吉岡氏に触れている訳でも無いのに)、それに非難を繰り広げている、というのは、ご存知じゃないのかなあ。知った上での感想なのかも知れませんが。

投稿: TAKESAN | 2007年8月29日 (水) 16:19

吉岡氏の主張内容の妥当性を判断するのには、通常の日本語能力だけあれば充分だと思います。

ぼくはずっと自分のところでは「津村さんの主張にも理あり」と云うか、津村さんのように受け取られる可能性を批判者側も意識しなければいけない、もちろん忘れてはいないけれど折りに触れてリマインドすべきだ、と云うスタンスだったんですが。
(どう読めたかは知りません。どう読めようと、「そう読めた」と云うことがこの方にとってはすべてのようなので)

多分PseuDoctorさんの推論が正しいと思うので、なんと云うかちょっと相当にがっかりしています。
もちろんこれはぼくの勝手な期待が過大だった、と云うだけのことなので、「津村さんに対する批判」ではありませんが。

投稿: pooh | 2007年8月29日 (水) 18:33

最初から単純に「こういうのは(感覚的に)私は受けつけないから身を引くことにします」とでもおっしゃればよかったのだと思います。自身のブログの原則を曲げてまでそれに理由付けしようとしたために、書けば書くほど引け際が遠ざかっていって泥沼にはまりこむこととなった。そもそも大して関わったわけではないので、身を引く事自体、宣言する必要なんか無かったと思います。

ですから、出だしで誤ったため引け際を失ってしまった事故のようなものかなとも思っていたのですが、最後の吉岡氏への言及を読むと、先に書いたような「この方独自の議論の規範の問題」というよりも「単なる議論の雰囲気の問題」と言った方が妥当な感じがしてきてちょっとビックリです。

でも、「性分」が「論理」に優先することはありがちですから、この方のように科学的思考方法や論理のトレーニングをある程度積んできたはずの専門家の中にもこういう反応をする人は結構いるのかなあ。私には判断がつきませんが。
仮にそうだとするとなかなか大変そうですね(野次馬的ですみません)。

投稿: ネット沙代 | 2007年8月29日 (水) 20:23

poohさん、今晩は。

うーん、残念と言うか何と言うか。きくちさんも仰っていますが、一体、批判する相手に対してどの様な態度を取れば良いのか。
「他人の生活を脅かす」って、ニセ科学については、どう考えておられるのだろう。やっぱり、「軽く」見ているのでしょうか。 PseuDoctorさんが仰ったのが妥当であると感じます。

------

ネット沙代さん、今晩は。

津村さんのコメントを素直に読むと、吉岡氏に対するきくちさんや他の方々の反応が、「真剣さが相手にも伝わるように行」っていない批判で、「礼儀」がなっていない、と判断した、という事ですよね。(←二つのカギカッコ内は、津村さんのコメントより引用)正直、その様に読むのは難しい、と思います。一応慎重に書いているのは、私がニセ科学批判を勉強しながら吉岡氏の文書を読んだから、ですが、率直に言えば、「あれを読んでそんな感想は持てないでしょ」、という印象です。

何でしょう。「ニセ科学の様な取るに足らないもの」を提唱する人の「生活を脅かす」様な批判の仕方として、全く礼儀を欠いたやり方であった、という事か。

議論には、「背景」があるのですよね。そこを読み取ろうとしないで、批判を繰り広げたのだろう、という感想です。

「真剣さが相手にも伝わるように」(コメント引用)とは、吉岡氏の文章を読んだ上での発言ですよね。私には、全く理解出来ないなあ。

投稿: TAKESAN | 2007年8月30日 (木) 00:10

こんばんは。
うーん、かなりがっかりと言うか、脱力感に近いものを感じます。やっぱり「感覚」とか「感情」の問題だったようですね。で、それを何とか理屈づけようとするから、言えば言うほどグダグダになっていく。
Poohさんのところにも書きましたが、確かに心情的には理解できる部分もないわけじゃないんですよ。でもそれを判断基準の一番上に持ってくるのは、どうしても私の考え方とは相容れないものを感じてしまいます。

投稿: PseuDoctor | 2007年8月30日 (木) 00:18

今回ポイントなのは、「心情的には理解出来る所もある」、という事なのだろうと思います。批判にも礼儀は必要だろうし、誠意をもって行わなくてはならない。
ところが、津村さんは、「自分はこう思う」、と、閉じてしまっていたのだと思います。そして、最後辺りまで、仄めかす様な書き方しかなさらなかった。

礼儀というのは、社会的に共通する次元と、個人的な価値観とが絡み合ったもので、社会的文脈によっても異なるものだから、具体的に、ここは良くないのではないか、という指摘をして、それこそ「議論」すべきだったのに、閉じたものの言い方をして、そこから批判を行ったので、見ている側は、何とも言えない歯痒さを感じました。

-------
余談。
たとえば、私は、色々な人を批判していますが、「礼儀」を失する事の無い様に、注意を払っています。でも、SSFSさんに対する発言等は、そうは見られないかも知れません。だから、「聞けば」いいのだと思います。「あなたはこう書いていて、自分はこう解釈したが、本当の所はどうなのか?」と。それが、健全なコミュニケーションだと考えます。ここのコメント欄を開いているのは、それが理由の一つですし。

投稿: TAKESAN | 2007年8月30日 (木) 00:29

ここにいたっての「個人の価値観による価値判断の問題だ」はいくら何でもまずいと思いますね。最初にそう宣言されたわけではないのですから(宣言してればそこで議論は終わり)、この間に真剣に説明を試みた人達の振る舞いは何だったのかということになります。未だに引け際(引き方)を見誤っておられるような気がします。価値観云々はもちろん本当のことだとは思いますが、それでも状況を冷静に分析した上で、もっと別の結び方があるのではないかなと。

きくち氏のコメント、厳しいのでしょうか?
ストレートそのもので低回がないため、恐ろしくわかりやすいというのはありますが、それ以外では、今回は表現の仕方としてはむしろ控えめな印象を受けましたが。

投稿: ネット沙代 | 2007年8月30日 (木) 12:11

ネット沙代さん、今日は。

津村さんは明らかに、一般論を語っておられたはずだと思うのですよね。もっと言うと、
 個人的にはこう感じた。それは、一般的に見ても妥当
 なものである。
と表明された訳ですね。

何と言うのでしょう。やり取りの状況によって、意見を、個人の価値観と一般論との間で行ったりきたりさせている、という印象です。

 >きくち氏のコメント、厳しいのでしょうか?

ROMを意識されての事かも知れませんし、「婉曲でなく率直」、という意味なのかも知れないです。後、「津村さんにとっては」厳しい言い方だ、という事でもあるでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年8月30日 (木) 12:34

津村さん、引き際や駆け引きに、ものすごおおおおく疎い方なのではないかと感じています。
文章もますます分かりにくくなってきています。田崎さんの文章の表現方法を評価する前に、ご自身の表現の仕方のまずさ、表現には責任がともなうということ、自覚されたほうがよいでしょうね。
ネットの発言が一人歩きをするのは、発言者が責任を自覚していないからだと思います。これまでもそういった経験をしてきたのかもしれません。
「私は、もし分析化学会近畿支部の企画で「ニセ科学問題」を取り上げる案が出て意見を求められるようなことがあれば否定的なことを言うつもりでしたから、まさしく邪魔をする気になっていました。」
こういった意見の表明はどうなんでしょうね。
荒らし行為を繰り返す人以上に、今後こういった人の存在のほうが「ニセ科学問題」を複雑にしかねないと思います。邪魔をするではなく、まったくノータッチでいていただくのが、公共の利益であると思います。本当に失望しました。

投稿: corvo | 2007年8月30日 (木) 23:21

津村さんの意見には参考とすべき部分もあって。でも彼女は研究者であって、厳密には「一般人」じゃないので、研究者として求められるべき態度もたぶんあったんです。そこで無自覚に自分の意識を「一般人」にすり寄らせてしまった。スタンスが混乱したままの論旨展開を行ってしまった、と云うことだと思います。

なんと云うか「無自覚」と云う意味では、安易にニセ科学商品に名前を貸してしまう科学者に近いものがあったと思います。確かに悪意はないんでしょうが。

投稿: pooh | 2007年8月30日 (木) 23:24

>corvoさん

いきなり田崎さんの文章に対する評価が出てきて、あれ、と思いました。多分、良い批判の仕方、という事で、紹介なさったのでしょうけれど。

津村さんの、「まさしく邪魔をする気になっていました。」というのは、虚無僧さんの柘植さん批判を受けてのもので、「邪魔をしなければ却って害がある」、という意見からの発言でしょうから、それは、しっかりとした根拠で主張して頂きたいですね。少なくとも、今回ブログに書かれた様な曖昧な根拠では、全く不足している、と思います。

------

>poohさん

 >無自覚に自分の意識を「一般人」にすり寄らせてし
 >まった。スタンスが混乱したままの論旨展開を行ってしま
 >った
まさに、そういう印象です。そして、その様な敷衍に、首を傾げてしまいました。

最新のコメントによれば、ニセ科学について、改めて纏められるそうですね。どの様になるのか、大変興味深いです。

投稿: TAKESAN | 2007年8月30日 (木) 23:41

こんばんは。
うーん、確かに津村さんの文章は解り難いですね。でも私には「邪魔をする気になっていました」発言は、柘植さんの「邪魔するな」発言に対する肯定意見として語られたもののように読み取れました。

なぜなら、津村さんはこれまでの発言で「かつて自分が『ニセ科学批判』を誤解していたこと」を明確にしておられます。「邪魔する気」が過去形で述べられている事から、これは誤解していた時期の心情を述べたものと考えられます。つまり、現実に邪魔する気があったのだから「邪魔するな」と言われても仕方ない、だから柘植さんの発言は批判されるべきではない、だから虚無僧さんの発言には驚いた・・・となるのではないかと思います。

いやいや、本当に解り難い文章ですね。「驚いた」というような感情の表明だけでなく「意見」を述べて頂ければもう少し正確に伝わると思うのですが。

投稿: PseuDoctor | 2007年8月31日 (金) 00:23

PseuDoctorさん、今晩は。

そのまま読むと、「柘植さんの津村さんに対する批判は、”罵倒”には当たらない」と、津村さんご自身が認識しておられる、という事でしょうね。で、津村さんが「邪魔しようとする(このこ言葉は語感がよくないので、「批判」とかでも)」理由は何だろう、というのが、ポイントになるのだと思います。あ、「邪魔しようと”した”」かな。仰る様に、現在は、認識が変化した可能性もありますしね。

整理すると、津村さんは、
 ・柘植さんの意見を見て、もしニセ科学問題が企画とし
  て採り上げられたら、それを批判しようと考えた。
 ・柘植さんは、津村さんのエントリー等を読んで、「邪魔を
  するのは(後略)」と発言された。
 ・津村さんは、ご自身が、ニセ科学批判について否定的
  意見を述べようとしたのは事実であるから、それを受けて
  の柘植さんの「邪魔」は、罵倒には当たらない、と考えて
  いる。
といった所でしょうか。

まあ、柘植さんの「邪魔」という表現が妥当であったか、というのは、よく解りません。いつも投稿を読んでいる者としては、「いつもならあまり使われない表現だな」、と考え、そこに、気持ちの強さを見て取った訳ですが。これも、どういう意図で書き、どう受け手が取ったか、という話なので。虚無僧さんのご意見については、「それは当事者同士の問題なのでは?」という印象でした。

確かに、意図を読み取りにくい文章ですね…。

投稿: TAKESAN | 2007年8月31日 (金) 00:48

こんにちは、皆さん。

 なんていうか、学会の機関誌の記事にしろ、きくちさんの講演にしろ、書いたこととか話したことの後ろにはその何倍もの考察があるというのが研究者の常識であるわけです。或る意味でエッセンスのみを取りだして示しているが記事であったり講演であったりするわけですから、その記事や講演で「それを読んだり聞いたりした自分は全て理解したハズだ」などと言うことは無いわけですね。その部分に大きな問題があるわけです。
 例えば新しい分析方法が学会で口頭発表されたとして、口頭発表だけから「じゃあやってみよう」なんてやると、発表者が悩んで解決した部分なんかでやはり同じように悩むことも起こるわけです。せめてきちんとした論文になるのを待って、その論文を熟読してからやってみるべきだし、一番良いのは、その研究者の研究室に行って根掘り葉掘りノウハウまで聞き出してからやるのが楽なんですね。また、研究者同士というのは一度発表してしまったネタについては、そうそう隠しもしないものですからね。

 きくちさんあたりはニセ科学に関してはおそらく24時間ぶっつづけで話してもまだ話し足りないくらいの考察を持っていて、そのエッセンスを1時間くらいの講演で話している訳です。

 分析屋にとって自分が考案した分析法が世の中のあちこちで使われたりするというのは一種の理想なので、「あなたの分析法を人に紹介するのに協力します」みたいな態度は普通は嬉しい訳ですが、でもエッセンスの部分だけで「自分は全て理解した」ようなつもりで協力されても正しい普及の「邪魔」になるだけすからね。単にそう言っているだけですよ。

投稿: 技術開発者 | 2007年8月31日 (金) 18:01

技術開発者さん、今晩は。

『視点・論点』への感想(これも言った方が良い、あれも言った方が良い、という意見)に対してきくちさんが、話したい内容の何分の一かに過ぎない、という事を、よく仰っていましたよね。たった10分の番組でしたからね。

講演等で何かが主張されていて、それに対して批判を行うなら、対象に関する知識を収集するのは、基本なのだと思います。

だから、「自分にはこう読めた」、というのと、「著者(や演者)が何を主張しているのか」、というのは、別に考えるべきだと思うのです。それで、津村さんは、自身の感想を一般化してしまったために、批判を受けた訳ですね。

「自分はこう読めた」、「一般にはこう読まれるであろう」、「著者が主張したいのはこうだろう」、というのをちゃんと分けて考えないと、的外れな批判になってしまうのだと、考えています。

言って無い事を勝手に補ったり、言って無い事は考えていないのだ、という決め付けは、厳に戒めなければならないな、と思います。

------

前のコメントの補足。

 >確かに、意図を読み取りにくい文章ですね…。

は、津村さんのコメントへの感想です。

投稿: TAKESAN | 2007年8月31日 (金) 20:49

最後のまとめがアップされましたね。

どうでしょう。私は、「ニセ科学」という表現が、ベターであると思います。ここには、色々な考え方があるでしょうね。「ニセ」という語が強過ぎる、という人もいるでしょうし。津村さんも、日常的に用いるにはニセ科学が良い、と言っておられますね。

ところで、津村さんは、消費行動に直結するニセ科学をクローズアップしておられますが、ゲーム脳や血液型性格判断については、どうお考えなのでしょうね。これらは、差別的に用いられる可能性があるという意味で、詐欺商法に用いられるニセ科学とは、また違った問題がありますよね。「ゲーム脳が治る!」とか謳って物を売ったら、ややこしくなりますけれど。幸い、そうはなっていませんが(本が売れている、という事実はあるかも知れない)。

「病理」という表現に関しては、語感の異なりでもあるので、語に拘る事も無いかな、という気はします。「具体的にどの様な現象を問題にしているか」、という所が重要なので。それを「病理」と表現するのが妥当かどうか、というのは、また別の問題ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 2日 (日) 13:10

「本当の最終記事」における菊池氏と津村氏のやりとり(ここに書き込んで良いのかな?不適なら削除して下さい)は、少し前に話題となった柘植氏の「邪魔をしないでくれ」発言がキーポイントであることを示す内容ですね。要するに津村氏はニセ科学批判の「邪魔をするつもりがあるのかないのか、いったいどちらなの?」ということでしょう。

邪魔するつもりがあるのなら、それはそれでこの方の自由ですが、立場上結構覚悟のいることですね。それに、ニセ科学の方達は喜ぶでしょう。

一方、邪魔するつもりがないのなら、「科学の専門家であり研究者である津村氏」がことさら「必要性をさほど感じない」と発言することは軽率というべきですね。邪魔をしているととられても仕方がないでしょう。もし「つもりはないが結果的に邪魔してしまった」ということなら、そういう総括が必要と思います。とはいっても今更それを要求しても無駄かもしれませんが。

菊池氏としては、議論がほとんど成立せず暖簾に腕押しのようなスッキリしない状況(ここのタイトル「もどかしさ」は言い得て妙ですね)のままの幕引きに、「ひとこと言っておかねば」ということなのだと推察しました。

津村氏は「個人の主観的な判断の表明に対してとやかく言われる筋合いはない」とおっしゃりたいのかもしれませんが、それは少し違うような気がします。主観と断れば何を書いてもよいというわけではない。まして、「科学の専門家であり研究者である津村氏の発言」であれば尚更です。少なくとも「私の主観的判断はきわめて客観性に乏しい可能性があります」とでも断っているのでなければ、読む人は「必要性をさほど感じない」の次に潜む「そしてそれは客観的に妥当な判断だと思っていますよ」を読みとってしまうでしょう。

ところで、紹介されたリンクと同じ価値観なのでしょうかね?

投稿: ネット沙代 | 2007年9月 6日 (木) 23:06

ネット沙代さん、今晩は。

基本的に、あからさまに他人を中傷するものであったり、卑猥な言葉が書いてあったり、個人情報を晒すものだっとり、という以外の投稿は、なんでも構いませんので、お気軽にどうぞー。

------

初め津村さんは、柘植さんが、組織としてニセ科学を「認定」するべきだ、と主張なさっていると考え、それに対して「邪魔をしよう」、と、一連のエントリーを書かれたのですよね。で、それについて、津村さんも誤解なさっていた、と振り返り、また新しくエントリーを上げた。しかるに、その新しいエントリーでは、また、少し不用意に読まれる書き方をなさった訳ですね。

そうですね。仰る様に、「暖簾に腕押し」、という風にも感じます。

新しいコメントについて(Posted by: ここの管理人 | 2007.09.06 at 10:36 PM)。

 >個人の「危機感」の形成には身近な人の考えが強く
 >反映されるでしょうから
と書いておられますね。それは確かに、部分的にはそうです。しかし、これは大変失礼な言い方ですが、想像が足りなかった、と表明している様にも読めます。要するに、身近の人の考えが反映された価値観(低い危機感)をもって、批判を展開なさったのですから。
たとえば、私の身近の人間で、「ニセ科学」という語を知っている人はいないし、そういう問題を話し合う事も、無いです。ですが、色々調べ、考えた結果、大変大きな問題だと感じ、ここに色々書き、よそ様の掲示板やブログで、勉強しています。

津村さんの仰り方だと、身近に違う価値観を持った人が現れなければ、自身の価値観が変化する事は起きにくいだろう、と、捉えられる訳で。やっぱり不用意だなあ、と。どんどん、自身の文章が厳しく読まれる様な書き方を重ねている、と言うか。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 23:32

 >ところで、紹介されたリンクと同じ価値観なのでしょう
 >かね?
うーん、どうでしょうねえ…。もしそうだとすると、あまりに素朴ですが…。

たとえば、ゲーム脳を信じるのは勝手…なんて、間違っても言えないです。

「リンクすると気の毒なので」って、凄い含みを感じさせますね。どうとでも取れる。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 6日 (木) 23:36

津村さんのように「もっと他にやることがあるしニセ科学問題が重要とは思えない」,とか,あるいはもっと素朴に「厄介事に巻き込まれたくない」,と感じる理系の研究者は,実は結構多いんじゃないかと思うんですよね.
そもそもニセ科学に対する科学者のこれまでの対応が,基本的に「目くじらをたてるほどのものではない→放置」だったわけですから,そんなに急に変わるとも思えないし,多分,津村さんが特殊な例というわけではないんだろうな,と.
(もちろん,単に思うのとわざわざブログに書くのとは違う,影響を考えてよ,ってのは全くそのとおりだと思います.)

なんというか,だから,「科学者なのに」とびっくりしたりがっかりしたりしても仕方がなくて,淡々と指摘していくほかないんだろうなぁ,と,ぼんやり考えてました.やっぱり「批判のしかた批判」系のFAQが必要なんだろうなぁ,とか.

投稿: たかぎF | 2007年9月 7日 (金) 01:09

引き際というか「引き方」を間違えてるんです。無条件に引いてしまえばいいのだけど、それはしゃくだから(と自覚しておられるかどうかはわかりませんが、平たく言うとそういうことでしょう)、余計なひと言を言っちゃう。

投稿: きくち | 2007年9月 7日 (金) 01:11

たかぎFさん、今晩は。

放置なのか関わりたい(津村さん曰くの「邪魔をする」も、「関わる」と言えるので)のかがよく解らない書き方だった(そして、今もそう見える)、というのが、ある思います。そこのあやふやな所が、皆さんの色々な指摘を呼んだのだろうな、と。

FAQは、あると良いですね。案内という意味でも。

------

きくちさん、今晩は。

確かに、「しゃく」という感情が、見て取れます。

個人的には危機感を覚えない、という意見の、幾度にも亘る表明を、何故あれ程書くのでしょうね。一言付け加えずにはいられない、という事なのかな。
▽▽▽引用▽▽▽
個人の「危機感」の形成には身近な人の考えが強く反映されるでしょうから、ともこさんのように言う人が私の身のまわりに増えれば、私の考えも変わると思います。
△△引用終了△△
この書き方は、ちょっと駄目ですね。身近な人間の影響でしか、危機感を覚えないのか、と読まれますよね。裏を読んでしまうと、身近で無い人に何を言われようが、危機を実感する事は無い、と言っている、と。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 7日 (金) 02:22

こんにちは、皆さん。

 かなり前に「棚ボタのたとえ話」なんてのを作りました。 「棚からボタ餅がおちてこないかな」と棚の下に座り込んでいる人に脚立を持ってきて棚の上を覗き込ませる方法のたとえ話ですね。
 最初から「脚立持ってきて取れ」なんて言っても、人というのはなかなか動かない。だから最初は「後ろの壁をたたいてみたら」なんて座ったままできそうなことを言う訳です。そうすると「そのくらいなら」とやってくれる。次は「壁のもっと上なら効果があるかも」なんてことを言う。人間は一度何かを始めると勢いというのがつくから、立って壁の上をたたいたりする。「立ったついでだから脚立もってきたら」というと、「まあ、立ってしまったからね」と動き始める、なんて変なたとえ話ですね。

 実際これは社会心理学でいうところの「一貫性」というやつでして、良い方向にも悪い方向にも使えます。悪徳商法なんてこういう「最初は小さなことをさせる」ことからはじまるのがとても多いわけですね。
 
 でもって、このやり方で脚立を持ってきて覗き込ませようとしているときに、「たたいたって落ちはしないよ」といわれるのは、とても邪魔であるわけです。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月 7日 (金) 04:43

技術開発者さん、今日は。

きっかけを与えようとしている所に、そんな事してもしょうが無いよ、と言うのは、ありますね。それは結局、足を引っ張る、という事にもなりますね。

津村さんの文章、「取り敢えず」終息させたい、という意図が、読み取れてしまいます。きくちさんが仰る様に、引き方が良くない、という事でしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 7日 (金) 11:50

とりあえず終息させたいなら、とにかく余計なひと言ふた言を書かないのが重要ですよ。

投稿: きくち | 2007年9月 7日 (金) 13:30

きくちさん、今日は。

そうですね。

でも、まだ書きそうな気がします。気がするだけですが。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 7日 (金) 16:34

 こんにちは。

 以前、某所で(^O^)、SSFS氏について

>なんか、あまりに似てるので。

 と書いたのですが。(SSFS氏が例の方に似てる、です)

 とうとう御本人からも仲間だと認定されてしまったようで……。

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Commented by kikulog-ne at 2007-09-06 13:02 x
ニセ科学批判批判者に告ぐ

ABOFAN、SSFS、吉岡を筆頭に

キクログに侵攻せよ!!!

津村ブログ攻防戦で相手は弱っている。今こそ、壊滅だ
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 「攻防戦で弱っている」なあ……。(^^;;

投稿: みづ | 2007年9月 8日 (土) 01:12

みづさん、今晩は。

SSFSさん、これを知ったら、どう反応なさるでしょうね。
さすがに、ABO FAN氏に強く同調する事は、無いと思いますが…。

しかし、「津村ブログ攻防戦」って、凄いセンスですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 8日 (土) 01:40

津村さんのコメントを読んでいると、想像力が欠落しているのではないのだろうか、と思えてしょうがないです。
想像力がないということは、思いやりに欠けるということと同義であると思うのですが。それとも、凄く頑固なだけなのかな。

「津村ブログ攻防戦」ってものがあるとしたら、弱っているのは津村さんのほうでしょうね。

投稿: corvo | 2007年9月 8日 (土) 02:24

こんにちは、皆さん。

>>とりあえず終息させたいなら、とにかく余計なひと言ふた言を書かないのが重要ですよ。
>でも、まだ書きそうな気がします。気がするだけですが。

 上で「棚ボタのたとえ話」というのを書きましたが、「とりあえず壁をたたいてごらんなさい」みたいに動くきっかけを与えようとする行為を「そんなことしても落ちませんよ」と邪魔する人がやっかいなのは、本人が「この人たちより自分の方がかしこい」と思い込んでしまうことにあるわけです。みかけは確かにそうなりますね。棚ボタ期待で座り込む人は賢くないし、その人に脚立を取りにいって棚の上を見ることを進めるのではなく壁をたたくことを進めている姿だけ見るならとうていかしこいとはいえないわけですからね。

でも現実的には、棚ボタ期待で座り込んでいる人よりは賢いかもしれませんが、きちんとステップを踏んで動き出す気にさせようとしている人は「いろいろなことを考えた末に「こういうことから勧めよう」なんてしているわけですから、邪魔する人の方がはるかに「考えが足りない」というのが現実です。

ただ人間というのは、一度、「自分の方がかしこい」みたいな形で弾みをつけてしまうと、なかなかその形から抜けられないものですからね。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月 8日 (土) 03:58

corvoさん、今日は。

私が感じる印象としては、「誠実でありたい」というのと、「個人の考えを書いておかなければ」、というのと、「取り敢えず終わらせたい」、というのが絡み合っていて、結果、ああいう書き方になってしまっているのではないかなあ、と。公開された場に書く文なので、どう読まれるか、という視点が重要なのだと思いますが、そこがちょっと、不足しているんじゃないかと。

------

技術開発者さん、今日は。

ああ、よく解ります。私は、メタぶっている、という表現をしますが、「メタであると自覚」している、という事は、つまり、自分の事を賢いと思っている、という意味ですね。具体的に考えずに、表面をなぞっているだけなのに、いかにもメタっぽい物言いをする、という。それが津村さんに当てはまっているかは、よく判りませんけれど、あの書きぶりだと…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 8日 (土) 11:51

某ブクマ経由⇒http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20070906/p1

参考として。
あらきさんの考察がどのくらい妥当であるか、というのは、よく解らないです(読み取りにくい)。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 8日 (土) 12:28

 情報不足だと考えたのでコメントしてきました。
 私が、環境ホルモン問題について何も議論しなかったのは、環境ホルモン濫訴事件と関わったことによります。科学的には不確かだけども放置も出来ないようなときに、どうやって一般の人に情報を伝えるかと言うこと自体が、話し合われている真っ最中だというのが私の認識です。リスクコミュニケーションと読んでいますが。
 多分、リスクの程度をどうやって正しく伝えるかといったことも含めてこれから専門家によって検討されていく話だと思います。ですから、今の段階で、あからさまにニセな科学の議論と一緒くたにしても、混乱するだけで得られるものは少ないだろうと思います。

投稿: apj | 2007年9月 8日 (土) 22:24

apjさん、今晩は。

あらきけいすけさんがお書きの事は、一般論としてとても大切であるし、耳を傾けるべき所もあるのだと思います。

ただ、津村さんのブログのやり取りの延長で、その様な論点から議論を行うのは、却って混乱しそうな気がします。あの流れから、そういった所に論点を収束させるのは、難しいとも考えていますが。
あらきけいすけさんは、
 >これまでの自らの態度を整理・説明する態度に終始し
 >ているように思われた。
と書いておられますが、津村さんが誤解なさっていたのですから、誤解された側としては、まず丹念に、自身の立場や認識を説明するのが、当然の事と思います。

上に、あらきけいすけさんのエントリーが「読み取りにくい」と書きましたが、津村さんのブログでの議論の話題と、一般的なニセ科学批判に見られる不充分な点の指摘とがごっちゃになっていて、そこがちょっと解りにくいな、と感じました。

思うのは、
▽▽▽引用▽▽▽
そこらのおっちゃん、おばちゃんにどこまでの判断を要求しなくてはいけないのかという問題を議論できていない。
△△引用終了△△
これは、議論出来ていない、というより、議論はあるが、整理がなされていない、とか、そういう事ではないかと思います。もちろん、その事を指して、「議論”できていない”」、という表現を使われたのかも知れませんが。
で、そういう部分を自覚しているからこそ、文科系の人達にも議論に加わって欲しい、という話がよく出るのではないかな、と。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 8日 (土) 23:15

こんばんは。「環境ホルモン問題」という言葉を使うだけで、特定の問題を示したつもりになるのは止めてほしいなあとつくづく思うでありますよ。「水伝」といえば、それで問題が言いとめられたかはともかく、何を対象にしているかは明確です。その程度に絞りこむためには、「(いわゆる)環境ホルモン騒動において、○○氏が××した件」くらいの話をしてくれなくては。そこまで降りないで問題を提示したつもりになってる人は自分が何を言ってるのか自覚して発言してるのでしょうか。>津村、あらき両氏

投稿: ちがやまる | 2007年9月 9日 (日) 00:36

ちがやまるさん、今晩は。

あ、なるほど。

私は、環境ホルモンに纏わる話に関しての知識が不足しているので、ニセ科学問題とどの様に共通していて、どう異なるか、というのが、よく解っていなかったりします。なので、その部分に関しては、ちゃんと読めていない所があります。

あらきけいすけさんのエントリーに関しては、色々な論点が綯い交ぜになっている、という印象です。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 9日 (日) 01:34

 環境ホルモン問題に言及するのであれば、最低でも中西準子氏の「環境リスク学」でも読んでからにしてほしいです。

・ダイオキシン問題の報道の問題点と本当のところはどうだったか
・ハザードとリスクを区別しなければならないということ
・環境ホルモンの候補物質リストを作って調査するSPEED'98(by環境省)が引き起こした騒動と、結局候補物質の中にほ乳類への影響が確認されるものが無かったこと
・莫大な研究費がつぎ込まれたが、結局SPEED'98は廃止が決定されたこと。

 この空騒ぎの過程で、一般の人に、どうやって情報を伝えていくかということそのものを考えなければならないという反省が生まれ、リスクコミュニケーションという分野ができつつあります。
 合理的判断が必要だという共通点はありますが、ニセ科学批判とは全く別に、異なった分野の専門家によってリスクコミュニケーションの方法が検討されているところです。ニセ科学批判の情報の伝え方と、どの程度共通したものが出てくるのかはまだわかりませんが、今のところは、そんなに似ているところがあるように見えません。メタな部分で何か有効な議論が出てくるかどうかも不明です。
 津村さんの「環境ホルモン問題」への言及の仕方では、一体どのあたりまでわかった上で、話題にしたのかはっきりしません。これはあらきさんも同様です。お二人とも、リスクコミュニケーションがどういう展開になっているのかを把握していただかないと、議論がぶれるのではないかと思います。
 私はたまたま中西さんと知り合い、訴訟を通してリスクコミュニケーションがどう話し合われたかというシンポジウムの内容も後で知ることができました。今までの所、ニセ科学批判の内容とリスクコミュニケーションの共通点を挙げるとしたら、「二分法ではやっていけない」というところくらいでしょうか。リスコミ自体については今後の進展に期待したいところです。

投稿: apj | 2007年9月 9日 (日) 02:46

どうなんでしょうね、、、
私は津村さんが環境ホルモン問題を、ニセ科学の社会みにおける優先順位の話題であえて言及した理由を、水伝やマイナスイオンといった「ニセ科学批判」ではおなじみの話題では、きくちさんやapjさんの活動に「横棒」的な批判を加えることは難しいと判断して、自分がある程度理解している(と考えている)社会的な優先順位の比較的高い環境ホルモンの話題を出してきて、「ニセ科学問題はやっぱりそんな深刻な問題じゃない」というイメージを第三者に持たせたいという意図があるように見えますが、穿ちすぎかな(^_^;)
それと「雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題」を語るなら、私は経済学が特に有効な気がしますが、この対応を見るとあんまりその方面できくちさんや他の方々に「ケンカを売る」事はしたくないし、出来ないんでしょうね。

それにしても、津村さんのコメントを見てみると

>>「 世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」

という文をきくちさんやapjさんが誤読したといっているようにしか見えないんですが。
しかもその文は自分が危機感を日頃感じている話題を、ただ並べてみただけみたいな言葉は、ニセ科学批判の活動をあまりにもバカにしていると考えます。
どうしても黙ってこのやりとりを終わらせる事をせずに、きくちさんやapjさんに何らかの形で一太刀浴びせたいんでしょうねf(^ー^;

投稿: 内海 | 2007年9月 9日 (日) 03:56

こんにちは、皆さん。

「他者危害原則」に関する議論(私は「倫理の根底の相互利害」という言い方をすることが多いですけどね)というのは、もっていけるならきちんと持っていって議論したい場面が多くあります。しかし、相手がきちんとその部分で考えていなければ、議論にならないものなんです。

もともと、社会生活で何かに「あぁ、良いことだな」と感じたり「なんか、嫌な話だな」と感じる面と言うのは、社会的に文化によって醸成された倫理観によります。そしてそれを掘り下げれば、必ず「相互利害」とか「他社危害原則」に行き当たるわけです。ただ、日ごろそれを掘り下げないのは、社会に普及している規範が、これらの原則に良くマッチしていて、掘り下げる必要がないほどうまく働いているからです。数学の公式が実際の場面では答えを出すために単に当てはめらればすむのと同じでして、数学の公式を必要とするたびに公式の証明を行うということがされないのに等しいわけです。

津村さんは、ニセ科学問題において社会規範そのものの有効性について悩まれていたわけではないと思うわけです。もっと浅い範囲での混乱のように見受けられたので、私は社会規範の範囲での話を書き込みました。その段階で「他者危害原則」にもとづく社会規範論をやらなかったから「残念だ」とか言われても困る気がしますね。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月 9日 (日) 04:18

皆さん、お早うございます。

>apjさん

ありがとうございます。ご教示感謝です。
津村さんは、http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_431f.html
のコメント欄で、
▽▽▽引用▽▽▽
KENさんのご指摘はごもっともです。私が「レッテル貼り」がきらいな理由を自分の体験に基づいて説明したかっただけですが、そもそも「環境ホルモン」に対する認識が人によって大きく違いますし、余計な混乱を招く書き方だったと思います。
△△引用終了△△
と書いておられるんですよね。これを見ると、あらきけいすけさんの、apjさんのコメントに対する返答にある、水商売と環境ホルモン問題の違いを指摘すべきだった、というのが適切なのだろうか、という気がします。

------

>内海さん

津村さんの意図の明示としては、上のコメントの引用に、「レッテル貼りが嫌いな理由」の説明のため、とありますね。「レッテル貼り」という部分にクローズアップして、それを剥がすのは大変だ、というのを主張なさりたかったのだと推察されます。その過程などの具体性に、津村さんがどれ程の相同性を見たのか、というのは、よく解らない所ですね。

あれなんですよね。「私としてはさほど感じない」という言い方は、個人の価値観の表明であるとも読めるけれど、それと共に、あの文脈からすると、一般論に敷衍している、と読まれる可能性もあるのですよね(そして、それが指摘された)。具体的に調べていないなら、「必要性を~感じません」では無く、「よく解らない」、とすべきだったのかな、と。

------

>技術開発者さん

 >相手がきちんとその部分で考えていなければ、議論に
 >ならないものなんです。
ここだと思うんですよね。あらきけいすけさんが仰る事は、大変重要な部分だと思うのですが、津村さんのブログでのやり取りの流れでその議論を望むのは、ちょっと、文脈からして難しいのではないのだろうか、と。ニセ科学批判活動に対する誤解がそもそもあったのだから、それを説明する事が先決だったでしょうし。
たとえば、津村さんのブログの議論のどの部分から、どこのコメントへの返答から、あらきけいすけさんが望まれた所へ論点をシフトしていけたのだろうか、と考えると、よく解らないです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 9日 (日) 11:29

あらきです。
>TAKESANさま
わかりにくいエントリで済みません。「所詮、覚書である」と言い訳させてください。

>たとえば、津村さんのブログの議論のどの部分から、どこのコメントへの返答から、あらきけいすけさんが望まれた所へ論点をシフトしていけたのだろうか

これについては津村さんが「環境ホルモン」が頭にあったと書いたエントリの時点で、誰かが(できればapjさんのようにキチンと分かっている方が)、それまでの流れを無視してでも「環境ホルモンに関する物事をケース・スタディ・モデルとして考えるのは、科学コミュニケーションであるという点を除いて、ほとんど共通点をもたないのでミスリーディングになる」と指摘するべきだったかなと思います。そしてこれを僕もしなかった。忸怩たるものがあります。

>技術開発者さま
>私は「倫理の根底の相互利害」という言い方をすることが多い

とありますが、この用語について勉強をしたいので、文献等ございましたら(できれば拙ブログの当該エントリに)ご教示願います。「他者危害原則」はJSミル以降の自由主義の基礎を論ずるときに出る基本用語で応用倫理学的に確立された用語だと思っております。これに相当する語で初めて聞く単語ですので、ぜひとも勉強したいのです。

投稿: あらきけいすけ | 2007年9月 9日 (日) 12:40

あらきけいすけさん、今日は。

解りにくい、というのは、論点が解きほぐしにくい、という意味だと取って頂けると、ありがたいです。←何かそのままですが…。

具体的に、環境ホルモン問題とニセ科学問題との相違を指摘するべきであったのかどうかは、私には、ちょっとよく解らない所があります。上に引用した津村さんのコメントや、その後の議論を見ると、津村さん自身、違いがあるのは解っていて書いた(或いは、書いた後で、違う事に気付いた)、という感じがします。
まずは、ニセ科学に関して具体的に知ってもらう、というのが、先決だったのではないかと。津村さんは、ニセ科学についてはあまりご存知無かった様なので、その時点でメタな議論にもっていくと、却って混乱する可能性もあったのではないかと考えています。

 >「倫理の根底の相互利害」

これは、術語と同じ様な概念を、独自の言葉遣いで表現する事がある、という意味だと取りました。技術開発者さんは、「私は~言い方をすることが多い」、と表現なさっていますし。

投稿: TAKESAN | 2007年9月 9日 (日) 14:37

こんにちは、皆さん。

>術語と同じ様な概念を、独自の言葉遣いで表現する事がある、という意味だと取りました。技術開発者さんは、「私は~言い方をすることが多い」、と表現なさっていますし。

そうです。実のところ、もはや原典も示せないわけですが、法学とかを独学し始めた頃に「法の基本は社会の構成者の相互利害」という事を教わり、「なるほど」と納得したわけですね。法の中でも特に刑法系になると「社会秩序の維持」という概念が強く出てきます。社会保険料の横領などという話に「今からでも告発して牢屋に入れてやろうか」とかいう話も出ていますが、横領などの経済事犯などで被害弁済がなされていても、そういう民事罰とは別に刑事罰が発動するのは、直接の被害弁済では、社会秩序を維持するための強制力、いわゆる抑止力に欠けるためです。

 「他者危害原則」の応用的な考え方の中に「直接の被害者との関係以外に社会秩序を損ねることで間接的に社会の構成員に対して危害を加える」があるために、立場等を利用した犯罪などには、それに相当する罰が用意されていたりするわけです。

 人は社会を構成することで社会から多くの利得を得ているわけですが、その基本に「秩序の維持」があります。それゆえ、社会秩序の既存は特定の人に対する直接の危害ではなく、社会全体に対する危害として罰せられる面を持つわけです。私自身は環境ホルモン系の話以外では説明しようとしていた面はありますけどね。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月10日 (月) 04:23

おっと、寝ぼけて書き間違えました。

上で「社会秩序の既存は」というのは「社会秩序の毀損は」の書き間違いです。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月10日 (月) 08:02

技術開発者さん、お早うございます。

ご説明、ありがとうございます。

ちなみに私は、「他者危害原則」という概念を、あらきけいすけさんのエントリーを読んで、初めて知ったのでした…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月10日 (月) 11:28

こんにちは、TAKESANさん。

>ちなみに私は、「他者危害原則」という概念を、あらきけいすけさんのエントリーを読んで、初めて知ったのでした…。

自由主義社会の5原則の一つなのでね。現代の法学を倫理面から理解しようとすると避けては通れないのですよ。実は5原則の中には「愚行権の原則」というのもあってね。他者危害の原則に抵触しなければ、人は自らの不利益となる行為を行うこともまた権利と見なすわけです。

実のところとても難しい問題を含むわけでして、ニセ科学を信じて何かの商品を買うと言う行為も愚行権の行使としてみるならそうも見えるけど、そうやって買う人が増えてニセ科学の商品が市場に氾濫するなら、社会秩序の維持という観点からは他者危害原則への抵触も考えられる訳です。だかといって、他者危害原則をあまりに厳格に考えるなら、社会の統治機構、つまり行政権力にあまりに大きな力を与えることにも成りかねない面があるわけですね。というのは、この他者危害原則こそが、行政が個人および個人間の活動に口を挟むことを許す根拠であるからなんです。

そういう意味で、私なんかは「社会に流行っているかどうか」を蔓延ニセ科学の判断基準に使っている面があります。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月10日 (月) 17:56

ああ、なるほど。

傍からみると愚行であっても、それを行う権利も認めるべきである。が、それが社会秩序を乱す場合もある、という事ですね。両方を考えなければならない、と。

よくニセ科学で、当事者(末端の方の)には善意の者もいるので悩ましい、という話が出てきますが、こういう論点とも絡んでくる訳ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月10日 (月) 18:13

津村さんのブログの、きくちさんの一行コメント、きくちさんが書かれたのですよね?

Iuthさんと、全く同じ印象を持ちました。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 00:15

僕が書きました。apjさんの書き込みで津村さんが「納得」されては困るので。

投稿: きくち | 2007年9月11日 (火) 00:44

あ、どうもありがとうございます。

apjさんの意見を受けてのコメントにしては、あまりに短いものでしたので(apjさんの文章の分量を鑑みて)、「あれっ?」と思いました。あのコメントだと、きくちさんが、apjさんのコメントのどこに同意なさらないのかが、解らないですし。

「これ、きくちさんが書かれたのかな?」というのが、率直な感想です。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 00:59

ええ、どこに同意できないかがわからないように書きました。なんというかな、詳しく説明するだけの優しさはもう失ったということです

投稿: きくち | 2007年9月11日 (火) 01:07

あ、そういう意図でしたか。

きくちさんの事ですから、他のROMに、私と同じ様な印象を与えるのは、想定した上で書かれたのでしょうから、私の疑問が野暮なものでしたね。失礼しました。

いや、率直に言うと、私自身、apjさんの提案のどこが妥当で無いのか、よく解らないのですね。だから、上のコメントを書いた次第です。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 01:19

apjさんは優しすぎるなあ、ということかな。
いや、正直に言うと、最初はもちっと丁寧に書いたのですが、書いてもどうせ津村さんには通じないなあと思ってごっそり消した結果があれです。

投稿: きくち | 2007年9月11日 (火) 01:23

きくちさん、お早うございます。

きくちさんのコメントの直後の津村さんのコメントを読むと、結局どうしたいんだろうな、という感じはします。よく解りませんけれど…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 10:34

わかんないですよ
僕の見立てでは、彼女は単に「引き際」を間違った上に「引き方」もできてなくて、すでに本心とは別のところでずるずるやってるだけだと思います。
その意味で、apjさんは津村さんを買いかぶりすぎでしょう。

投稿: きくち | 2007年9月11日 (火) 12:37

ああ、
 >本心とは別のところでずるずる

ですね。そうとしか見えないです、確かに。何でしょう、「取り繕っている」という表現がぴったりな感じです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 12:50

ええ。だから、発言内容に即して解釈しようとするapjさんには同意しないわけです

投稿: きくち | 2007年9月11日 (火) 12:59

なるほど。(ちょっと遅いですが)何となく、解った様な気がします。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 13:06

いや、わからないように書いたので、わからなくて当然です

投稿: きくち | 2007年9月11日 (火) 13:12

あ、もちろん、「何となく解った」が掛かっているのは、きくちさんが一行コメントを書かれた意図、にです。

きくちさんが、津村さんの所にどういうコメントを書こうとされたのか、とかは、当然、全く解らないです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 13:22

>技術開発者さま
>そうです。実のところ、もはや原典も示せないわけですが、法学とかを独学し始めた頃に

なるほど法学の勉強が基礎になっていらっしゃったのですね。その方面でアタマが整理できそうな本がないか自分で探してみます。ありがとうございます。

>TAKESANさま
自由主義の5原則は僕の日記に加藤尚武の抜書きがあります。その3番目が「他者危害原則」、4番目が「愚行権」になります。よかったら参照してください。
http://ud037.are.ous.ac.jp/d200202.htm#205

投稿: あらきけいすけ | 2007年9月11日 (火) 14:18

初めまして。
津村さん経由でこちらのブログも興味深く拝見させていただいています。
途中から入る無礼を最初にお詫びしつつ、ちょっと個人的な感想を書かせて下さい。

学生時代からの友人である私には、
実は今回の津村さんの反応には驚いています。
彼女は専門以外でもサークルなどで科学論も勉強していました。
科学と社会との関わりには並々ならぬ思いをもっています。
また教育についてもロマンのある人です。
そんな津村さんがニセ科学・疑似科学であのような反応をしたということは、彼女自身も語っているように「環境ホルモン」うんぬんが背景にあったものと考えます。
しかし、皆さんのご意見やあるいは自分でも調べるうちに変わってきたのだと思います。
直近のきくちさんとapjさんへのコメントは彼女の柔軟さと私は思います。
人は誰だって間違います。
勘違いします。
確かに「引き際」が宜しくないかもしれない。
でもいいじゃないですか。
津村さんにとって初めての「引き際」経験かもしれません。
この経験を通して、津村さんがニセ科学を改めて知り、また今まで無関心だった人も関心をもったのではと思います。
大切なことは後ろ向きの人にも手を差し伸べることと考えます。

私もニセ科学については今回の件で改めて勉強させていただきました。
随分考える機会を得たと喜んでいます。ありがとうございました。

ちょっとした感想です。
失礼をいたしました。

投稿: せとともこ | 2007年9月11日 (火) 18:33

あらきけいすけさん、今晩は。

ご教示、ありがとうございます。参考になります。

あ、ちょっと伺いたいのですが。

「あらきけいすけの研究日誌」の方の、本日付けの文章を拝読しました。
そちらに、専門家からの~という発言に関する言及がありますね。で、一般論として、納得出来る事ですし、同意出来る部分もあります。
ただ、ちょっと解らないのが、あらきけいすけさんが、(ニセ科学批判者が)どれくらいのレベルの議論を、どの様なかたちで明示すべきか、と考えておられるのだろうか、という所です。

たとえば、倫理学の基本的概念を用いて、ニセ科学問題の倫理に関する部分をしっかり説明した纏まった文章が無い、という事なのでしょうか。
ニセ科学問題は、科学的専門的に認められていないにも拘わらず、科学的であると看做される知識、についての議論ですよね。ですから、科学者はまず、科学の営みとか、科学的とはどういう事か、という部分について説明するのが、先決ですよね。そもそも、それが周知されていないが故に、起こる事なのですから。

そういう事情を踏まえると、ニセ科学問題は、文科系科学の問題でもある、というのを言い、文系の専門家に議論に加わって欲しい、と考えるのは、当然でもあると思うのです。科学者のリソースを鑑みても。
たとえば、ニセ科学を信ずる過程には、社会心理学的メカニズムが関わっているだろうから、心理学系の人達にも議論して欲しい、と発言するのは、別に構いませんよね? こういう言明は、ある分野に特化した体系的な知識を有した専門家に対する敬意(非専門家が浅薄な議論を行うべきでは無い、という姿勢も)も含んでいると思うのですが、いかがでしょうか。

あらきけいすけさんは、「”まず”倫理的問題を考える”べき”である」、とお考えなのでしょうか。そしてそれは、ある程度専門的な概念を用いて行わなければならない、という事なのでしょうか。

そこが、ちょっと解らない所です。

ちなみに、私が最も関心を持っているニセ科学は、ゲーム脳ですが、私はゲーム脳に関して、
 ・特定の文化に携わる人々を不当に貶める言説である。
 ・ゲームに、色々な物事の責任を押し付ける事によって、
  他の重要な要因を見落とす危険性がある。
 ・科学に対して猜疑心を持つ人の科学不信を、益々助長
  するおそれがある。
 ・育児に従事している人の不安を煽る危険性がある。
等の、様々な問題点があり、ここにも、何度も書いています。たとえば、これらに関しても、倫理学上の概念を用いた説明を心がけるべきだ、という事なのでしょうか。
いや、その事自体は、私も大切な部分だと思います。問題点がより整理され、議論も進んで行くかも知れません。
でも、やはり、率直に考えるのは、「専門家に何か言って欲しい」、です。これはもう、正直な思いです。

かなり長文になりましたね…すみません。
  

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 19:03

せとともこさん、今晩は。

コメントは歓迎ですので、お気軽にどうぞ。

まず、津村さんの書き方が、「取り繕っている様に」見える、というのは、私の率直な感想です。もちろんこれは、書かれた文章からの推測です。

うーん…。実は、ちょっと混乱しているのですね。
上で、きくちさんとやり取りしていますが、私は、きくちさんが具体的にどういう考えをお持ちなのかは、全く解りません。と言うか、知りようがありません。apjさんは、提案を出されましたが、私は、あのまま終息するのだろうな、と思っていました。ですが、きくちさんは、apjさんの提案には納得なさっていないみたいです。私は、apjさんの提案が妥当な所かな、と考えていたので、どういう異論があるのか思い付かないのですね。

すみません、ちょっと、考えが纏まっていないので、変な文章です。

投稿: TAKESAN | 2007年9月11日 (火) 19:34

個別のニセ科学の害を認め、それに対する批判活動の意義も認めると断っておいた上で「ニセ科学は社会の病理」とも「社会の機能の何かがおかしくなっている」とも思えないと発言することの「立場上の曖昧さ・不明朗さ」、そしてそれに起因する、「発言内容の主観から客観への敷衍」について、お気づきでないのか、気づいていても行きがかり上仕方なく書いておられるのか、それとも意図的なものなのか、いったいどれなの、ということだと思います。

いずれにしても、ことさら「危機感を共有できない」に類する趣旨の内容を何度も表明してこられたことは事実ですので、ここに至っての「引き方」としては、当該部分の何らかのかたちでの「削除や編集」以外に、当該部分の孕む問題に対処する方法は次の二通りしかないように思えます。

(1)「邪魔する」ことになってもよいから、「ニセ科学は社会の病理」とも「社会の機能の何かがおかしくなっている」とも言えない理由について、しっかりとした論拠を示す(「好きな人には信じさせておけば・・・」というようなブログの紹介などではなく)。

(2)それは自分にとっては証拠の有無や論理の問題などではなく、単なるフィーリングの問題だと宣言する。

いずれも理系の研究者の発言として読まれることを承知の上でということになりますが。
「津村氏個人の生活における優先順位であるということを明示する」を(2)の代用とするというのは、旨く説明できませんが私は何か釈然としないものを感じます(というか、わざわざ言うことなのでしょうか?)。

投稿: ネット沙代 | 2007年9月11日 (火) 21:14

ネット沙代さん、今晩は。

纏めて頂いて、ありがとうございます。

大変解りやすいですね。
(1)については、「実感出来ないから」、という理由を表明なさっていますね。ですから、それが最も強い論拠、なのだと思われます。で、結局、(2)を根拠にしている、という事なのだと感じます。

個別のニセ科学の害と、社会一般についての論を、何故あの様に切り離せるのか、というのが、よく理解出来ないんですよね。

うーん、何か、ちょっと思考が交錯してしまってるなあ…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 00:07

apjさんがこのエントリの近くで、apjさんにとっての「環境ホルモン問題」は行政のリスクコミュニケーション問題と考えている、という説明をされていたと思いますが、そう規定して問題にとりくむ事には何も問題はないと思います。
しかし、「環境ホルモン問題」という言葉を持ち出した時にあらゆる人がそのような定義を用いているとは限らないし、用いなければならないわけでもありません。世間に広まる段階で(広義のリスクコミュニケーションとはいえるわけですが)「きわめて低い濃度で影響を与える可能性がある」という言葉が使われましたが、これを言った人は親ねずみに多量の催奇形性物質を食べさせて子供の奇形をしらべる研究をする人でした。この人が本当にそう信じていたか研究費がほしくて大げさな表現をしたかは多分明らかにはなっていませんが、これはニセ科学商品を売ろうとする商売と似ているように思われます。「そのような物質を規制する制度そのものがない」という立花隆とゼミ学生たちのことばも世間に影響したわけですが、これはどう捉えるべき問題か。さらに、「環境ホルモン」というネイミングがそもそも悪かったわけですが、尿道下裂が増えているのではないか、というような問題、特に脂質系の情報伝達などに影響を与える外来因子はないか、というような問題はなお地道に継続して研究されているわけで、一時「環境ホルモン」に含まれた問題のすべてが空騒ぎで過去のものというわけでもないでしょう。津村さんの観点から「環境ホルモン」にまた別の問題がたてられたとして、何もおかしくはないと思います。ただ、はじめに挙げた例でapjさんがなさった程度には本人が問題を規定・説明する必要はあったということでしょう。
他人が出ていって捌けばよかったと読めるあらきさんの意見は理解できません。

投稿: ちがやまる | 2007年9月12日 (水) 06:06

こんにちは、皆さん。

 きくちさんがどうお考えなのかは知りませんが、私に言わせると「周回遅れ」なのに「先頭集団と間違われる走り方をしている」部分が、「困ったな」と感じている部分です。

 誰も「社会病理だと思わなくてはならない」なんて言っていないわけです。ただ、きくちさんたちがこれまで膨大な思考を費やして得たものとして「社会病理である」という認識があるのに対して「自分も同じだけの思考を費やした結果として社会病理と思えない」と言っているように見える書き方をされるので「困る」訳です。「自分は、まだニセ科学について考え始めたばかりで、そのためか自分には社会病理という認識はない」ということが読み手にわかる書き方なら私なんかもたぶん反応が違うと思います。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月12日 (水) 06:13

>TAKESANさん。

言葉足らずでしたが、(1)で「思えない理由」ではなく、「言えない理由」と書いたのは、こういう状況に至ったのだからもう少し客観的な説明をする必要があるのでは、という含みです。だから「実感できない」では駄目で、「あなた達が間違っている」ことを示すということです。これはその後に書かれた技術開発者氏のコメントとも、ある意味で関係します。

それから「個人の生活における優先順位」の話ですが、これは誰にでもあることですね。人それぞれ、その有り様は違うでしょうが、仕事や信念と「生活」との折り合いをつけるのに苦労しています。

「今度の集まりでニセ科学について話してくれないか」という依頼に、その日は結婚十周年の記念日でしかも連休、夫婦での旅行を予定していたので断るという人もいるであろうし、奥さんの逆上を覚悟で旅行の方を延期する人もいるでしょう。しかしこれは「社会の病理」や「危機感」とは違うレベルの話です。

専門家が関わって、今後、他でまた起こりうるかもしれない問題についての議論が展開され、この種のテーマについては、研究上の話ではなくとも研究者同士の議論はなかなか厳しいものなのだなということを知りましたが、その帰結が「人それぞれです」に等しい内容となるならば、帰結の部分だけは「ちょっと甘い(あくまで議論の質としてですが)んじゃない?」というのが私の「個人的感触」です。

投稿: ネット沙代 | 2007年9月12日 (水) 12:14

あらきけいすけさんに、上の私の質問に対する返答を頂いたのですが、上手く整理出来ないでいます。あれを「炎上」と呼ぶのが妥当なのか、私にはよく解りません。「自然科学者の議論とは思えないほど見苦しい議論が展開」というのも、理解し難い所です。津村さんが具体的なニセ科学についてあまりご存知で無い段階で、メタレベルな議論に持っていくべきだった、というご意見は、妥当なのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20070911/p1

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ちがやまるさん、今日は。

私は、あの議論でのいわば当事者は、きくちさん、柘植さん、apjさんだと考えていますが、まず津村さんが、ニセ科学の議論について、誤解なさっていたので、そこを説明するのが先決であったし、また、それはなされました。

しかるに、あらきけいすけさんは、議論の途中で、メタレベルへ持っていくべきであった、と仰っています。そして、実際に(後の方で)展開された議論を、「見苦しい議論」とまで表現なさっています。私には、理解出来ない所です。

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技術開発者さん、今日は。

ああ、それは、とてもよく解ります。
そう、「社会病理だと思わなくてはならない」とか、「社会病理が蔓延ってしまったのだと認めろ」、という話では無いのですよね。そもそも、(こちらをお読みの方はお解かりでしょうけれど)私自身、それについて、必ずしも同意している訳では無いですしね。
その「書き方」は、という事なのですよね。上でネット沙代さんが書いて下さった様に、はっきり自身の態度を表明すべきだ、という事でもあるのだと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 12:54

あ、上のコメントにある、「上でネット沙代さんが書いて下さった様に」、は、(ネット沙代 | 2007年9月11日 (火) 21:14)の事です。

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ネット沙代さん、今日は。

あ、なるほど。
で、私が思ったのは、「津村さんは、それくらいしか根拠は出せないだろう」、という事なのですね。つまり、”「あなた達が間違っている」ことを示す”程の論理的根拠は恐らく持っていないだろう、と。もしかすると、「社会的な病理だという事を、ニセ科学批判者自身が積極的に論証していない」、という理由も出てくるかも知れません。しかしそうすると、「ニセ科学批判者の論考を充分参照したのか」、という批判が出てくるでしょう。

私の感想も、ネット沙代さんの「個人的感触」に近いものではないかと思います。

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後半の方の議論について、私自身、津村さんのお考えに対して、思う所があるのですよね。他人の認識についての推測を多く含むので、書くのは躊躇っているのですが。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 13:08

僕は分析化学となんの関係もないのに「分析化学会夏の学校」なるものに呼ばれてしゃべりに行ったわけです。津村さんは前のほうで僕の話を聞いておられたうえに、昼食の席でも話をしました。
その結果があれかい、ということなので、他のみなさんとは少々事情が違います。
 
休日を割いてまで「分析化学会夏の学校」なんてものに行ったのが間違いだったのでしょう。せっかくの休日なんだから、子供と遊んでいればよかったよ。

投稿: きくち | 2007年9月12日 (水) 13:33

やっぱり、書いておきます。仄めかすのは良くないし、他の方のコメントを受けるかたちでしか書いていなかったのも、あまり良くない。
他の皆さんの認識についての推測も含みます。それは違う、という箇所があれば、ご指摘下さい。

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・津村さんは、個人の実感として、ニセ科学問題が、社会の病理とかの一般的な問題と繋がっているは思えない、という事を表明した。

・しかし、それまでの文脈、コメントの書き方などから考えると、「自分なりに調べてみたが、一般論に敷衍出来るとは思えない」と理解した、と読める。

・これはつまり、ニセ科学問題は社会一般の問題に敷衍されないという意見の表明と、同じである。結局、ニセ科学批判者の意見に反対している、と読める。要するに、実は「一般論を語っている」、という事。

・だが、津村さんは、apjさんの提案を受け、エントリーに追記等をする事によって、個人の価値観としては、ニセ科学問題を優先的に扱うというのは出来ないが、個別のニセ科学は問題である、というのを書く、と表明した。

・これは、エントリーに書く事と「本音」を乖離させたまま、「落とし所」を見出そうという行為である。つまり、表面的な、「取り繕う」やり方である。

・きくちさんはそこに対して、apjさんに同意出来ないと言い、apjさんの提案は優し過ぎる、と言った。きくちさんは、それまでの津村さんのコメントを読んで、津村さんには恐らく何を書いても解ってもらえないだろうと判断し、あの一行コメントを投稿した。

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私は、この様に読みました。

私自身の考え。
apjさんの提案に賛成です。津村さんに、ニセ科学問題についての具体的な理解をすぐに求めるのは、時間的にも無理なので、「書かれた文章から、ニセ科学批判が誤解を受けない様にするしか無い」、と思います。

きくちさんが、apjさん提案のどの部分に同意出来ないと書いたのかは、私には全く解りません。少なくとも、あの場面であの一行コメントは、印象の良いものでは無いでしょう。投げつけた様にしか見えないから。きくちさんの書くものによく触れている人は、何か含みを読み取ろうとするでしょうけれど。それ以外の人には無理でしょう。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 13:47

きくちさん、今日は。

あ、上のコメントは、きくちさんのコメントを読む前に書きました。

で、上にも書いた通り、あの一行コメントは、印象は良くないものだと思います。意見を読まれるという事を考えると。私なんかは、何か含みがあるんだろうな、と思ったりはする訳ですけれど(なので、昨日のやり取りになりましたが)。いや、それも考えた上での投稿なのでしょうけれど、私が感じた印象と同じものを持った人もいると思うので、書きました。

他の人と事情が違う、というのは、そうなのでしょうね。私なんかには、「事情が違うというのを理解する」という事しか出来ないので、計り知れない所がありますが。こういう場合、「共感」は不可能なので、こういう歯切れの悪い書き方しか出来ませんけれど。※きくちさんが「共感してもらいたい」という意図で書いた、と私が読んだ訳ではありません。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 13:58

津村さんに説明したって何も通じないし、説明する元気はもうないのですが、apjさんの「優しい提案」で納得されても困るというのはあります。それではたぶん津村さんは「本質的なことは何も理解しないまま」この件を忘れてしまうでしょう。それくらいなら、疑問をたくさん抱えたままでいてもらうほうがいい。少なくとも「解決していない」という思いは残していただいたほうがいい。
 
どの部分に同意できないかも津村さんに自分で考えていただけばいいです。僕は何度か、「子供じゃないんだから」とか「大人なんだから」と書いたのですが、最後のあれも「大人相手だから、これ以上は説明しません」という程度に思ってください。
 
この件については、「徒労感」しか残っていないので、投げやり。

投稿: きくち | 2007年9月12日 (水) 14:00

ああ、きくちさんの「徒労感」と「投げやり感」については、なんか、凄く伝わってきます。上に書いてる事と違うじゃないか、というツッコミは無しの方向で…。

私の考えは、
ここまできたから、津村さんにもっと深く考えてもらうのは期待出来ない。
という事なのかも知れません。もう無理だ、という感じで。だから、apjさんの提案がいいかな、と思った訳でして。もういいから、せめて誤解を招かない様に修正して下さい、という。ある意味で、諦めなのかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年9月12日 (水) 14:06

きくちさんのお書きのことにも関係あるかもしれませんが、おもにあらきけいすけさんの(TAKESANさんへのアンサーとしての)エントリを読んで。

自分の事情とか、自分の環境なんかを説明して、相手に理解を求めることには強い抵抗感が(感情的に)伴います。相手方にはかならずしもこちらのことを理解する理由はないので、理解を求めることにどうしても潔さの欠如のようなものを感じてしまう。

なにをどんなふうに積み重ねてきても、通じていないのならまさに「力不足であった」と云うことなんですよね、きっと。

って愚痴です。ごめんなさい。

投稿: pooh | 2007年9月12日 (水) 14:28

poohさん、今晩は。

そうですね。同意です。

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地道に続けていくしか無いのだな、と思います。通じなければ、言葉を尽くして何とか説明する。それでも通じない時は……私自身は、結構、原因を自分に帰属する方なので、自分が問題だろうと思うのですが、それも程度問題かな。

ちゃんと読んでもらいたい、というのは、結構感じます。

って、何の事を言っているのか、自分でもよく解りませんが。

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きくちさんの「想像力」というエントリー、全く同感です。

投稿: TAKESAN | 2007年9月13日 (木) 01:36

思うのですが。

”「人を傷つける要素を持つもの」という要素”というのが、よく解らないんですよね。

ある対象を「ニセ科学」と判断する際には、科学の手順に則っているか、というのが基準になる訳ですよね。

あの私の質問(と言うか、あそこは質問じゃ無いけど)に対する答えが「いいえ」なのが、面白いですよね。その後の説明の文章も、凄く周到。質問で無い所に「答え」を用意したというのも、意図的なものでしょう。
中心的に扱われているものは、人を傷つける度合いが大きいと判断されている、という含みも持たせてありそうで。「現在のニセ科学批判」とも書いてあるし。

て言うか、「人を傷つける要素を持たないもの」って、あるのかなあ。

apjさんが説明なさっていますが、私は、温泉に関するエントリーを読んだ時、apjさんの説明通りに読みました。だから、あらきけいすけさんがそこに触れているのを読んで、よく意味が解らなかったのです。apjさんが書かれたのは、温泉の効用に関して「科学的であると感じられるかどうか」、という意味だと読んだのに、あらきけいすけさんは、人を傷つけるという所がポイントであると、apjさんのエントリーから読み取った、と書いておられるので。
ですから、私は(あらきけいすけさんのブログの)コメントでは、そこには触れなかった訳ですが。

投稿: TAKESAN | 2007年9月13日 (木) 02:21

ニセ科学かどうかの判断,ではなくて,わざわざ批判をするかどうかの判断には,「迷惑かどうか」が判断基準のひとつになりうると思います.あらきさんの「人を傷つける」という表現は,私にもしっくりきませんが,「世の迷惑」的なことをおっしゃりたいのかも.

「迷惑かどうか」を基準に,といっても,実際には「迷惑」のレベルも,自分の仕事に近いことについてのウソをばらまかれて直接的に迷惑,とか,詐欺的な商売で社会的に迷惑(→めぐりめぐって自分にも不利益),とか問題によっていろいろあるだろうし,どのレベルで「放置」から「批判」対象になるかも人によるでしょう.
何についてどの段階で批判が必要と思うかは人それぞれですよね.これって優先順位問題か.

「人を傷つける要素を持つもの」云々というのが,あらきさんが何かを「ニセ科学として批判する対象」と判断する基準だ,ということなら,それはひとつの判断ですね,とおもうのです.でも,皆がそういう判断基準でやるべきだ,という話だとすると,それはちょっと変かなぁ.

投稿: たかぎF | 2007年9月13日 (木) 12:54

たかぎFさん、今日は。

そうですね。これは、ニセ科学を批判する「動機付け」に関する事なのだと思います。

で、あらきけいすけさんは、私の文章を受けて、それへの答えとして、「いいえ」と書かれた上で、人を傷つけるという要素を考えるべきだ、と仰ったの訳ですが、私が書いたのはそもそも、
▽▽▽引用▽▽▽
ニセ科学問題は、科学的専門的に認められていないにも拘わらず、科学的であると看做される知識、についての議論ですよね。ですから、科学者はまず、科学の営みとか、科学的とはどういう事か、という部分について説明するのが、先決ですよね。そもそも、それが周知されていないが故に、起こる事なのですから。
△△引用終了△△
と、「ニセ科学の判断」について書いたのですが、そこを受けての文としては、ちょっと違うのではないかな、と思った次第です。

批判の優先順位を考える上で、誰がどれくらい「困る」か、というのは、念頭に置かれるものだと考えます。たとえば私の場合、ゲーム脳によって、色々な人が困ると考え、それを優先的に採り上げています。

私は、あらきけいすけさんが、「ニセ科学の判断」の条件に、人を傷つけるかどうか、を含めている、と読んだのですが、違うのかなあ…。そこら辺が、ちょっと解らない所です。私の文に対する返答を見ると、どちらとも取れるので。

ニセ科学の判断とは、人を傷つけるかどうか、では無く、「科学的知識と了解されているかどうか」、という、社会的認知の問題なのではないかと思います。であるからこそ、社会学的・社会心理学的にも興味深い対象なのである、と考えています。だから、apjさんは、温泉に関するエントリーを書かれたのですよね。社会にどの様に見られるか、という部分に着目して。

投稿: TAKESAN | 2007年9月13日 (木) 13:39

あ、補足。

ニセ科学の判断は、提唱者が科学と言っているかどうか、とか、科学の術語をでたらめに使っているか、とか、未検証なのに「実証された」と言っているかどうか、というのも重要ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月13日 (木) 13:43

うーん,何かをニセ科学と呼ぶこと自体に,価値判断が含まれていないわけではないので…
「ニセ科学」という言葉に「批判するべきもの」的なニュアンスをどのくらい含むと思ってるか,とか,そういうところで食い違いがあるような気がします.

投稿: たかぎF | 2007年9月13日 (木) 14:19

▽▽▽引用▽▽▽
「ニセ科学」という言葉に「批判するべきもの」的なニュアンスをどのくらい含むと思ってるか,とか,そういうところで食い違いがあるような気がします.
△△引用終了△△
ああ、そうなのかも知れませんねえ。

うーん、何でしょう――私としては、「批判するべきもの」と言うより、「批判されても仕方が無いもの」、という意味合いではないかと思っているのですけれど…。で、何故「批判されても仕方が無い」のか、というと、それは、科学を騙っているから、科学と思われているから、ですよね。

ある知識の体系を「ニセ科学である」と判断する事自体には、それ程価値判断が含まれるとは思わないのですが、どうなのでしょう。もちろん、「ニセモノ」だと看做すという価値判断は、ある訳ですが。それはまた、ちょっと別の話ですよね。

ニセ科学だと判断するのと、個別のニセ科学の問題点を具体的に指摘するのは異なる、と言うか。

投稿: TAKESAN | 2007年9月13日 (木) 14:40

こんばんは。

私はあらきけいすけさんのブログを未読なので単なる一般論で書きます。
例えばウソをついている人がいたとして、その人に向かって「あなたはウソツキだ」と言う場合に、単なる事実の指摘から強烈な告発まで、無数の段階があります。しかし文字だけだとどの段階なのかは全く解りません。
そうした「不明確さ」が存在する為に、受け手の解釈する余地が大きくなってしまいます。もっと言えば、受け手のバックグラウンドやその他の条件に左右されうるのです。科学者や科学に携わる人達が「科学かそうでないか」という議論を展開しているのなら、事実だけを問題にしている可能性が高いですが、業界人同士の話題に出たとすれば価値観と不可分に語られるでしょう。
人によってこうした違いが存在する事、各自がそれぞれ特定の段階付近で考える傾向が強い事は通常あまり自覚されないだけに、意識的に自覚する必要があるでしょう。そんな風に、TAKESANさんとたかぎFさんのやり取りを見て思いました。TAKESANさんの「自分は定義の話をしているのに」というお気持ちは良く理解出来ますし、そういう書き方をなさっていると思います。しかしそれでも、価値観と不可分の受け取られ方をしてしまう場合もあるのでしょうね。難しいです。


ところで、きくちさんの「想像力」というエントリを読んで、何と言うか、うまく表現できませんが、何とも言えず胸が詰まる様な感じがしました。
私もこの件がらみでPoohさんのところに書きましたが、想像力は本当に大事ですね。言われて一朝一夕に身に付くものではない。だからこそ尚更大切。

以下は例によって単なる推測ですが。
津村さんの発言を拝見していると、議論のあらゆるレイヤーで想像力が不足しているように思えます。ですから、津村さん側からは「何だか解らないけど、相手が急に怒り出した」ように見えているのかもしれません。つまり、決して悪意ではないけれど、自分の行為の結果として引き起こされるであろう相手の反応を「あらかじめ」想像できない。
もしかしたらそのせいで、これまでに何回かそういう(自分には理解し難い理由で相手を怒らせてしまった)事を経験されていて、そこから「他者の感情を傷付けない事」を非常に重視するように「学習なさった」のかもしれません。想像力を伸ばす方向ではなくそちらへ行ってしまったのだとすれば、彼女にとって損な事です。

こういう風に他人の内面を勝手に素人分析するのは基本的に失礼な行為なのでしょう。しかし「よくわかんないけどKYなんだよ」というような思考停止状態には陥りたくないですし、彼女の行動を合理的に説明できないのは、私にとってかなり苦痛です。

投稿: PseuDoctor | 2007年9月13日 (木) 23:36

私が考えているのは、

あるものを「ニセ科学」と判断する事について、
・現時点で科学的方法に則って実証なされているか。
・提唱者が科学を標榜するか、社会一般に科学と認知されているか。
というのが、判断基準である。
しかし当然、個別のニセ科学を批判する場合には、ある価値判断が加味されている事がある。

という事ですね。ですから、まずニセ科学の定義(と言って良いのかは判りませんけれど)があり、それから、色々な文脈における「使われ方」で、様々な条件が付加されているのだと思います。もちろんそこは、きちんと考えるべき事だと考えています。

たかぎFさんは、上のコメントで、
 >「ニセ科学として批判する対象」
を決める時の条件として、「人を傷つける」という部分が重要だ、とあらきけいすけさんが主張なさっているのではないか、と仰っていますが、私も、実際はそうなのだろうな、と感じています。これは、ニセ科学判断とニセ科学批判の違い、とでも言うか。で、あらきけいすけさんは、ここを混同しているかの様な書き方をなさっているので(多分、混同していない)、そこがよく解らないなあ、と思ったのでした。

津村さんの文については、
本音が別にありながら、建前で取り繕おうとしている、という印象です。なので、あの様になっているのでしょうね…。

きくちさんの「想像力」のエントリー、推測ですが、社会学の概念を弄するあの方にも向けられているのではないかと、思っています。

投稿: TAKESAN | 2007年9月14日 (金) 00:56

あ、すっかり忘れてました。

私は、あらきけいすけさんに質問をしましたが、それは、http://150.55.136.37/d200709.htm#911
こちらの文に対してです。リンク貼って無かった…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月14日 (金) 01:05

「ニセ科学」という呼び方は、「疑似科学」に比べてぜんぜんニュートラルじゃないですよね。でも、あらきさんも津村さんも、そこからすでに違和感があるんじゃないかなあ、なんて思ったりもします。

きくちさん、つうか、きくまこ氏(ああ、もう、どう呼んだらいいのか(^^;))がなぜ「疑似科学」ではなく「ニセ科学」という呼び方を選びとったのかは「ニセ科学入門」あたりにも書かれている通りですけど、そこれは読んでいないとか、読んでも自分では共感できない、なぜそこに共鳴する人がいるのかもよくわからない、なんてこともありそうに思います。

議論を呼ぶ呼び水の意味では、「ニセ科学」という大変に強い言葉をまこ氏が選んだのは大正解だったとも思うのですが、「なんだかよくわからないけど、出発点からひっかかるような気がする人」も少なくないってことがあるに違いないと考えています。

乱暴に言っちゃえば「よい疑似科学と悪い疑似科学があって、悪い疑似科学の問題を扱いましょう」みたいな話だったらアレルギーは出にくいのでしょうけれどもね。

投稿: 亀@渋研X | 2007年9月14日 (金) 04:25

こんにちは、皆さん。

倫理という問題を分かりやすく扱おうとすると悩ましいのが、倫理というのは社会的には一般に規範の形をとって示されているということです。

変なたとえ話をしますと、昔の大工さんの道具箱には長い紐の輪っかが入っていまして、3:4:5の比率になるところに印がつけてあったりあったりしたわけです。でもって大工さんが曲尺では間に合わない大きな直角が欲しいときを出すときに助手とともにそれぞれ印のところを持ってピンと引っ張ると直角ができるわけですね。ピタゴラスの定理です。別に大工さんはピタゴラスの定理を知っているわけでは無くて、直角の出し方を知っていたということなんですね。

でもって、もしも一度引いたその直角が狂っていた場合に普通はまず、紐に付けた印が3:4:5になっているかチェックしたり、助手がきちんと印の所を持って引っ張っていたかをチェックすることになりまして、ピタゴラスの定理が正しいかという確認のために証明問題を解くということは無いわけです。

実は規範と倫理の関係もこれに似たところがありまして、何か規範がおかしく感じたりした場合に、規範の適用範囲として正しいかをチェックしたり、規範の解釈にご判断が無いかをチェックするのが普通であって、倫理の基本にさかのぼってのチェックまでは必要が無いことが多いわけです。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月14日 (金) 08:10

少なくとも僕個人が「ニセ科学」という言葉を選択した理由については、「ニセ科学入門」にも書いたとおりで、「価値判断を含む」ことを意図しています。
もちろん、これに対して反感を持つ人がいるであろうことは予想していました。価値判断を含む言葉は嫌いだ、という人もいるでしょうし、「品がない」と思う人もいるでしょう。講演などでは「ニセ科学という言葉が嫌いな人は好きな言葉を使えばいい」と明言しているので、津村さんはそれも聞かれたはずです。
もちろん、好きな言葉を使えばいいのですが、ただ「ニセ科学という言葉は品がない」などと品のいいことを言うかたには何も期待しません。「俺はずっと疑似科学で通してきたんだから、今更変えないよ」とか、「疑似科学のほうが画数が多いから好き」とか、「ニセってカタカナはかっこ悪い」とかそういう理由は納得できます("品"と"かっこ"の違いは重要)

投稿: ニセ科学 | 2007年9月14日 (金) 08:55

ごめんなさい。名前のところに「ニセ科学」とはいってしまいました。これじゃ、ふまくんみたいだね。上のコメントは僕です。

投稿: きくち | 2007年9月14日 (金) 10:58

>亀@渋研Xさん

そうですね。全くニュートラルでは無いんですよね。だから、表現自体に違和感を覚える人も、多いのだと思います。

私も、『ニセ科学入門』の、きくちさんの主張に賛同して、ニセ科学という語を用いていますが(ここには、「似非科学」と書いた事もあります)、そこを読まずに色々考えている人も、いるでしょうね。読んだ上で批判するのは、全然構いませんが、「ニセ」という語を含めるには、何か意図があるのでは? と考えるのも、重要なんじゃないかなあ、と。そうすると、きくちさん達が書かれたものを読もう、となるでしょうし。

------

技術開発者さん、今日は。

なるほど。

あらきけいすけさんは、ニセ科学批判では「倫理の基本にさかのぼってのチェック」がなされていない、と、批判をなさった訳ですね。

------

きくちさん、今日は。ホントに、一瞬、ふまさんかと思っちゃいました(笑)

上にも書いた通り、私も、『ニセ科学入門』でのきくちさんの主張を読んで、ニセ科学という語を用いる様になりました。ニセモノをニセモノと呼ぶのは、全く妥当だと思いますし。

思うのですよね。この人は何を考えているか、を考えるべきでは、と。ニセ科学という語という、かなり強く、価値判断を含む表現を用いているのだから、そこには何か意図があるのかも知れない、という風に。そういう所を想像せずに、直感的な印象だけを書いたりしてしまうと、周回遅れ(by技術開発者さん)に見えるのだと。

誰も参照出来ない様な所に書いてあるならともかく、『ニセ科学入門』は、一番見えやすい所にある訳ですからね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月14日 (金) 12:26

googleで「ニセ科学」を検索すると「ニセ科学入門」がトップに出てきて、その文書のはじめのほうで「なぜ疑似科学ではなくニセ科学という言葉を採用するか」を説明してあるのですね。だから、意図は充分に明らかにしてあると思います

投稿: きくち | 2007年9月14日 (金) 14:12

ですね。yahooで検索してもトップですし、多くのポータルサイトはgoogle検索なので、まず目につく資料ですね。
読んでおくべき文、だと思います。

で、そこでちゃんと説明されているのですよね。ニセ科学について語る場合は、それを踏まえた上で、色々意見を主張すべきなのだと考えています。

投稿: TAKESAN | 2007年9月14日 (金) 14:41

もちろんあれは僕個人の説明なので、人によって意図は違うでしょうが

投稿: きくち | 2007年9月14日 (金) 14:53

ある種の流行現象としてニセ科学批判を捉え、言及するならば、それを担った中心的な人達の主張をまず見てみよう、という事ですね。
流行現象って言っても、WEBの一部で盛り上がり、新聞などで採り上げられるようになってきた、というくらいの意味ですけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年9月14日 (金) 17:00

名誉毀損とな。意味が解らない。

説明しといた方がいいのかな…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月14日 (金) 22:51

こんにちは。

???名誉毀損???
これは、ある意味で恐るべき発言です。
だって、柘植さんは「悪徳商法対策」からニセ科学批判に入ってこられた方ですよ?ネット上で起こり得る法律問題に関しては、疎い筈が無いじゃないですか。津村さんがどのくらい法律に詳しいか存じませんが、少なくとも法律の専門家ではない。そうした立場で柘植さんにああいう言葉を投げつけるという事は、まさしく、まさしく
「自分が周回遅れである事を認識していない」
「相手の事を想像する・慮る姿勢が無い」
という態度そのものですよ。

という事は、柘植さんの発言の意図がこれっぽちも伝わっていないばかりでなく、非常に手の込んだやり方で「アンタの言う事なんて聞けないよ~。おしりペンペン」と言っているようにすら見えます。例えるなら「差し出してくれた相手の手を掴んでそのまま関節を極める」ような行為だと思います。きくちさんに対しても物凄く失礼だと思いましたが、今回は柘植さんに対して失礼極まりない。

もし無意識にやっているとすれば凄い事です。特殊能力に近いかもしれません。でもいつまでもこんな書き方をしていたら、本当に炎上しかねませんね。

投稿: PseuDoctor | 2007年9月15日 (土) 12:07

PseuDoctorさん、今日は。

何故津村さんが、名誉毀損などと書かれたのか、全くもって理解出来ないです。柘植さんがきくちさんの心情を勝手に代弁した、と津村さんは誤読したのでしょうけれど(誤読自体はしょうが無いとしても)、名誉毀損という言葉が出てくるのは、何なんでしょうね。
なんか、悉く的はずれですよね…。ちょっと凄いと思います。


投稿: TAKESAN | 2007年9月15日 (土) 13:00

投稿: TAKESAN | 2007年9月15日 (土) 13:37

 一応、簡単に説明してきました。
 津村さんが、ニセ科学批判について周回遅れなのはわかりましたが、法律について完璧に無知じゃないかな。

 追加で、SSFSさんへの対応についても書いてきました。kikulogでは相手にしないことになり、ウチの掲示板では出入り禁止にしたら、こちらで削除した内容を他所にコピペするぞと恫喝して去って行かれました。荒らしの予告ですので、blog主や板管理者の皆さんはご注意下さい、ってところです。

 それから、津村さんがおっしゃってた「確執」の中身ですが、意外な展開になってきています。状況の報告は以下のサイトでやっています。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/action/
http://www.i-foe.org/h19wa1493/index.html
 お茶の水大が、掲示板書き込みを理由に名誉毀損で提訴されたのですが、書いたのは私で板管理者も私です。それで、独立当事者として訴訟に参加するため、私の代理人弁護士とともに法廷に出向きました。そうしたら、原告は、名誉毀損をやった本人が目の前に居るのに、訴えるつもりがないと裁判官の前で主張してしまった。こんな名誉毀損訴訟があるのかと、別の意味で謎が深まるばかりです。
 ネットでの主張は確かに「確執」に見えたかもしれませんが、法廷での行動がまるでそれとは一致しないんです。わけがわかりません。

投稿: apj | 2007年9月15日 (土) 13:43

常識的な捉えられ方から考えても(私も、法律に関しては知識が無いので)、あれを名誉毀損と言うのは、理解出来ませんでした。しかも、柘植さんのコメントは、きくちさんの心情に関して憶測を巡らせた訳でもありませんしね。

SSFSさんは、あらきけいすけさんのブログにも、書き込んでいますね。段々、あの人の様に…。

 >原告は、名誉毀損をやった本人が目の前に居るのに、
 >訴えるつもりがないと裁判官の前で主張してしまった。
一体、何がしたいのでしょうね…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月15日 (土) 13:56

こんにちは。
先日、初めてこちらにデビューさせていただきました。
その後も楽しいエントリ−を拝見しています。

さてさて、津村さん。
困ったチャンになりました。
私もつい直近の反応にはびっくりしています。
柘植さんと言われるのですか、あの方のコメントを読んで、私は「津村さん、よかったね!理解してくださる方がいて」と思い安心していたのですが、その後の彼女のコメントを見てびっくり。
「なぁ==に、この挑発的な書き方は」と。
本質からずれてきましたね、、、

こうしたときは原点に立ち戻ることが一番なのですが、、、
それにしても、津村さん。
本当にどうしたのだろう???

直接、コメントを書こうかと思ったのですが、
今の彼女には石を投げられるようにしか思えないのかと思って遠慮しました。
友人としては、今は静観しています。
早くトンネルから抜けるといいのですが、、、

投稿: せとともこ | 2007年9月15日 (土) 14:06

せとともこさん、今日は。

ちょっとカタめのエントリーもありますが、ゆる~いのもあるので(笑) 読んでやって下さい。

あの、柘植さんへのコメントは、さすがにどうかと思います。

柘植さんが書かれた「反応」というのは、津村さんのブログでの「書き方」にかかっているはずですが、そこを読み取れなかったのかな、という感じがします。あれ程丁寧で周到に書かれた柘植さんの文に対してああいう返答をなさるのは、いけませんよね。「柘植さんのコメント」にバイアスがかかっているのかも知れません。

常識的な判断力があれば、名誉毀損に当たる、などという言い方は、極めて慎重に行われるべきだ、というのは解るはずなのですが…。

投稿: TAKESAN | 2007年9月15日 (土) 14:30

柘植さんはこのあたりで「最も注意深い書き方をする方」なんですがね。
「沈黙する」という選択肢があるのに

投稿: きくち | 2007年9月15日 (土) 23:55

きくちさん、今晩は。

津村さんの新しいコメントを読んだのですが、(何度目か解りませんけれど)ちょっと呆れてしまいました。色々な意味でずれてる。

さすがの柘植さんも、唸ったのではないかなあ。「ここまで”ちゃんと読まれない”のか」、と。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 01:08

ああ、すみません、訂正。

 >ちょっと呆れてしまいました。

ちょっとじゃ無いですね。
文脈(文字通りの意味だけで無く)とかを、考慮しなさ過ぎだと思う。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 01:19

こんにちは、皆さん。

 なんとなく老子の「善の善たるを知る、これ不善のみ」なんて言葉を思い出してしまいました。心の表層にのみ現れるものをいくら追いかけても何もつかむことはないものです。それを足がかりにして心の中に入っていかないとね。

 少し、全く関係のない話でも書いてみます(おいおい)。実は「静電気シシ脅し」なんておもちゃをこさえてみました。何のことはなくて、水槽の上、40cmくらいから直径3mmくらいの「糸のような水流」が落ちていて、その水から1cmくらい離れたところにシシ脅しが置いてあるだけのものです。でもって、アクリルパイプをフェルトでこすって摩擦帯電させたのを近づけると水が静電気に引っ張られて曲がってシシ脅しに入って動いて、シシ脅しの尻尾に置かれた、呼び出しベルをたたいて「チン」となるなんておもちゃです。

実はこれを作ったときに、「このおもちゃに『マイナスイオンが出てます』なんて書いておくと受けるだろうな」なんてジョークを言いながら作りました。滝もあるし静電気はあるし、マイナスイオンが世に流行った条件は満たしていますからね。でもって「それを書くと私ははれて『ころびニセ科学批判者』になるのだろうか?」なんてことも言ったりしました。書かなかったし、担当してくれる人には『マイナスイオンの質問が出たらうまくかわせ』なんて指示しておいたのですけどね(笑)。

別に話題と関係ないけど、どこかで紹介してみたかったというだけです。

投稿: 技術開発者 | 2007年9月16日 (日) 03:54

技術開発者さん、今晩は。

あれほどまでに、ずれた解釈をされ、何とも言えない気持ちになられたのではないかと、推測しております。

---

そのおもちゃを見てマイナスイオンを想像した人は、いるでしょうねえ。
いいおもちゃですね。ちびっ子に見せたら驚かれ、喜ばれそう。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 04:36

これまでの「無条件に撤退せず、余計なひとことを書いてしまう」という対応からすると、逆ギレ(というと悪いですが)はありだな、と思います。

投稿: きくち | 2007年9月16日 (日) 10:37

今や、三言くらい書いておられますね。

津村さん、「深入りしたく無かった」という意味合いの事を、書き過ぎです。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 11:30

「自分が完全に引いて」終結させるということができないんです。これやると、いつまでも終わらないし、自分の評価を下げるだけなんですが。
 
自尊心をあまり傷つけずに撤退するひとつの方法は「時間をかけて、よく考えてみます」といって「休戦」を宣言することでしょう。これはSSFSさんに忠告したのと同じですけどね

投稿: きくち | 2007年9月16日 (日) 14:00

恐らく、「退く事そのもの」が、最も自尊心を傷つける行動だと認識しているのでしょうね。他者による評価を考えず、自己評価で閉じてしまっているのだと思います。

---

これは、SSFSさんによく当てはまると思いますが――自身を客観視出来れば良いのですが、それが出来るなら、あそこまでずるずるとは行かないだろうな、というのも感じます。

結局、「退く=負け」→「負けたく無い」→「退かない」 という戦略なのでしょう。とってもまずい戦略。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 14:23

ええ、そうです。自己イメージが大きすぎるのだと思います。
だから、「撤退ではなく、休みである」と自分を納得させる手があるだろうという気がするのですが、まあ当人じゃないからね

投稿: きくち | 2007年9月16日 (日) 17:53

難しいんでしょうね。ちょっと計り知れないですが。

SSFSさんにいたっては、休むとか自分でブログを開くとかでは無く、あんな事をしましたしね。何かを「確信」しているのかな。やり方がムチャクチャですが。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 19:29

こんばんは。
先の「奇跡」のエントリー、訪問者数とアクセスの大きな違いに貢献したせとです〜〜〜

物理学会できくちさんの講演を聞いた夫からニセ科学について知らされたのは昨年です。
以来、頭の隅におきながらも他のことに追われていたのですが、今回、津村さんの件で再び私の中でクローズアップしてきました。
と、いうことでTAKESAN さんのブログを何回もクリックしています。
ゲーム脳も大変興味深く拝見しています。
いずれ私も自分のブログでアップしたおりはトラックバックさせてくださいね。

さてさて、津村さんに関して一言(一言ですむか)書かせてください。
津村さんは柔軟な方です。
多分、今は本当に迷走していて、ご自分でもどうしていいのか分からない、、、が、なんとか積極的な方向でいきたいと喘いでいるのです。
以前のコメントできくちさんにどのようにしたら納得いただけるかという趣旨のものがありました。私はあれを読みながら『人に納得をしてもらうことじゃなく自分が如何に納得することだろう」と思ったのですが、、、
その後、話が進んで津村さんにはコメントを差し上げる機会を逸しました。
で、なぜここでこうしたことを書くかというと、
きくちさんとTAKESAN さんのやりとりを拝見しながら、やっぱり違うよそれと思ったのです。
津村さんは自尊心とかそんな膠着したもので撤退できないのではないと思います。
真剣に向き合いたいが、その向き合い方がズレタのだと思います。
きくちさん。
お願いです。
もう一度だけ津村さんに声をかけてください。
厚かましく僭越なお願いかもしれませんが、
ニセ科学を知ろうという仲間の一人になりうる津村さんだと私は思います。

TAKESAN さん、、、
こちらのブログで僭越なことを書いて本当にごめんなさい。
今度、『論文の読み方」のエントリーを参考にして私も書かせていただきます!!

投稿: せとともこ | 2007年9月16日 (日) 21:12

せとももこさん、
 もし、あなたのおっしゃる通りなのだとすると、津村さんの場合は、特に
・知らないことを知らないと認識できないままに書いてしまう
・書いた文章がどう読まれるかという視点が欠けている
ということなんでしょうか。
 ニセ科学批判の現状を十分知らずに書いた、という指摘が相次いで、「よく調べないで書いてはまずい」ということを学習なさったはずなのに、その直後に「名誉毀損」発言が出ています。
 また、誠実に向き合おうという気持ちがあるとして、文章の方は普通に読むと「余計なことを言い過ぎ」な状態になってしまっているわけですよね。
 悪意には解釈したくないんですが、ずれてるとたら
・何を学習すべきだったかという部分
・内心と書かれた文章から読み手が一般に受ける印象
がずれてるってことになるんでしょうか。
 だとすると、コミュニケーションをするのが難しくなりそうなんですが……。

投稿: apj | 2007年9月16日 (日) 22:46

せとともこさん、今晩は。

このブログ、何故か(って、私の独り言が多いからでしょうけれど)、アクセス数が3倍以上にはなるんですよね。

▽▽▽引用▽▽▽
TAKESAN さんのブログを何回もクリックしています。
ゲーム脳も大変興味深く拝見しています。
いずれ私も自分のブログでアップしたおりはトラックバックさせてくださいね。
△△引用終了△△
ありがとうございます。色々ご意見を頂けるのは、とてもありがたいので、是非お願いします。
---
他人を批判する内容の文章を書く以上、それに対する批判・反論は、受け容れます。遠慮無くお願いします。

確かに、自尊心云々というのは、他者の心情に関する推測を含むので、少し踏み込み過ぎたかも知れません。はっきりしなかったかも知れないので、私がどの様な意味で自尊心という語を用い、津村さんの心情について推測したのかを、説明します。

少なくとも今回の一連のやり取りにおいては、津村さんの文章は、やはり不用意な書き方であったと言わざるを得ません。「余計な一言」をあれほど続けてしまうというのは、何か言っておかなければ、という心情の表れだと思います。このままでは津村さんの評価が下がる、で、評価が下がるのは誰しも嫌な事です。ですから、それを避けるために、一言書いてしまう。つまり、自尊心を傷付けられたく無い、とは、自己に対する評価を下げたく無い(評価が下がったと認識したく無い)、という意味です。今までのコメントを読むと、そういう解釈以外は難しいです。

ところで、
私は、津村さんが「真剣に向き合いたい」という部分は、そうで無いとは思っていないです。で、それと自尊心云々という事は、特に矛盾したりする訳でも無いと思います。

ただ思うのは、真剣に向き合おうとしているにしては、それが見えてこない文章だ、という事です。

▽▽▽引用▽▽▽
TAKESAN さん、、、
こちらのブログで僭越なことを書いて本当にごめんなさい。
今度、『論文の読み方」のエントリーを参考にして私も書かせていただきます!!
△△引用終了△△
いえいえ。全然構わないです。

これは、あまり書く様な事じゃ無いのかも知れませんが、一言。
ご友人が批判を受けていて、それを目にするのは、あまり気持ちの良いものでは無いと思います。にもかかわらず、大変冷静なご意見、また、こちらを気遣うコメントまで頂いて、ありがとうございます。お心遣いに感謝します。

------

>apjさん

自身の文がどう読まれるか、という視点への配慮が足りない、というのは、とても感じます。

(これは、せとともこさんへのレスでもあります)たとえば、今の時点で、きくちさんが再び声をかけられたとしても、それを津村さんがしっかり受けるのだろうか、というのは思います。

------

ちょっとごちゃごちゃした文ですね、すみません。

投稿: TAKESAN | 2007年9月16日 (日) 23:53

僕のお薦めは、上にも書いた通り、津村さんが「よく考えてみるので、この話題はしばらく止めます」と書いて、本当にそれ以上この話題を書かないことです。その際に、余計なひとことは決して書かない。あくまでも「自分は考えるために、いったんこの話題を離れる」という態度に徹することです。本当によく考えたと自分で思ったら、再開してもいいし、別に再開しなくてもいい。
それで誰も怒らないし、誰も困りません。
 
せとさんには申し訳ないけど、僕は津村さんのところに書きません。
もしかしたら、ふま君がこれをコピペするかもしれませんが

投稿: きくち | 2007年9月17日 (月) 01:42

きくちさん、今日は。

そうですね。それが良いと思います。

ふまさん、ここを読んでいれば、コピペするかも知れませんね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月17日 (月) 12:17

http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-355.html#comment403

どっかで見た名前ですな。偶然なのか他の何かなのかは解りませんけど。

投稿: TAKESAN | 2007年9月17日 (月) 12:46

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