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2007年8月25日 (土)

思う

「思う」の応酬だけじゃ、議論は進まないんですよね。「根拠」を出さないと。

その、「根拠」そのものにも、様々な解釈の可能性があるのだし、突き詰めて考えていかければならないのに、それ以前の所で立ち止まっちゃあ、全然駄目ですよね。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

本当にそう思います(あ、「思う」だ)。
「じゃあその根拠は何か」って掘っくりかえすように考えていくことで、思索が深まって、思索の意義が生まれてくるんですよね。

ぼくは自分のところのエントリでは文体上「思う」を多用しますけど、それは「とりあえずそう思えるからそう思うんだ」と云うことじゃないし、そう受け止められないよう文脈を整備しているつもりだったりします。

投稿: pooh | 2007年8月25日 (土) 08:40

あ、書いて下さった(笑)

「文章に”思う”という表現を使うのは駄目なのか」、なんて突っ込みが入りそうだなあ、と考えながら、そこには触れずに上げたので、poohさんが分析して下さって、ありがたいです。

もちろん、本文に書いてある「思う」というのは、単に思惟する、という意味では無く、何を対象にした発言か、というのがポイントになる訳ですね。「自然現象がこうなっている」と「思う」とか、「社会構造はこうだろう」と「思う」とか。その「思い」を検討するには、観測・観察によって得られたデータを適切に処理し、事実を見出していかなければならないんですよね。

「データの処理の仕方に恣意的なものは入り込まないのか」、という疑問があると思いますが、その疑問のために、「様々な解釈の可能性があるのだし」、という部分を入れておいたのですね。データ解釈自体がとても難しいのだから、それ以前の段階で留まっていては、議論が進みようが無い、という。

投稿: TAKESAN | 2007年8月25日 (土) 11:41

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