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2007年8月に作成された記事

2007年8月31日 (金)

補間

ブログとか掲示板への書き込みを読んで、いつの間にか、書き手の属性を推測して、パーソナリティを作り上げている事、ありますよね。

こういう文章を書く人は、こういう素性だろう、とか、この趣味の人は、女性/男性だろう、とか。文体によって、年齢や性別を推測したりもしますね。

もちろん、私もそうで、某氏の事を男性だと思っていたら、女性だというのが判明して、ちょっと驚いたり。

で、そうやって、ある種の人物像を作り上げると、その像に対するステレオタイプから、その人の思考を予測したりします。

過去の書き込みのパターンから、認識の状態を読み取るのは、整合性があると思いますが、たとえば、年齢や性別等の属性を知った場合、それに対するステレオタイプが働いて、バイアスを掛けてしまう事が、あります。書かれていない部分についても、要らぬ憶測を巡らせてしまうのですね。

私が一切の属性を明かさないのも、そういう理由ですが、読まれる方は、私の過去の書き込みを見て、性別や年代等の見当を、つけているでしょうね。場合によっては、はっきりとしたイメージも、抱くかも知れません(私は、性別も年齢も、一度も書いた事ありません。年代については、何となく書いてますが)。はっきり書かれていなければ、イメージが完全には固定されないので、都合が良いのですね。

いくら、属性を知った所でバイアスは掛けない、と考えていても、なかなかそれは、難しいですからね。

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2007年8月30日 (木)

何か凄いタイトル

わけまけ - Wake up, Make up. - いい女はパッとしない男に惚れるらしい。によると、澤口氏が、新刊において、ゲーム脳やマイナスイオンに言及している模様。

「マイナスイオンが脳にいい」と書いてあるとすると、相当なものですし、ゲーム脳については、何をかいわんや、です。

とは言え、どの様な文脈でどう書かれているかが、ちょっと解らないので(最近は、ゲーム脳については、完全に懐疑的な言及をしていたので、確認の必要あり)、今度本屋に行った時に、調べてみましょう。

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高級技の汎用性

覚え書きより。修正あり。

○術の汎用性

充分な闘気で向かってくる敵に対して、触れ合気の様な術技がどこまで通用するだろうか。

生理・心理学的反応がメカニズムの大部分を占めるのだから、相手の状態によって、技の効果も変わってしまうのではないか、という疑問が出てくる。我を忘れる程怒り狂っている敵に対して、そっと触れただけで(力学的に小さいエネルギーで)動きを止め、或いは体勢を崩す、というのは、やはり難しいのではないか。

○考えられる答え

  • 練習時の様な、ある程度の協調的な関係があり、お互いに平静な状態である場合にのみ通用する、(非協力な”敵”を制する目的からすると)汎用性の低い技術である。
  • 相手の状況に左右されない(つまり、ごく敏感な生理学的・心理学的メカニズムに働きかける)。という事は、誰にでも、どの様な時にも、相手が反応するだけの刺激が与えられるならば通用する、極めて汎用性の高い技術である。

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端的に書くと、こうです。

「軽く触れる程度の力で相手を制すると言われる技には、どれくらいの汎用性があるのですか? こちらを殺そうとする相手にでも、出来るんですか?」

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2007年8月29日 (水)

ダメダメ

PCがトラブりまして、クタクタです。

何か一つの症状の原因を追求するのに、凄まじい労力を使うんですよね。問題の切り分けに、めちゃくちゃ時間が掛かるし、上手くいったかな、と思ったら、全然駄目だったりするし…。

結局、最短なら35秒くらいでクリア出来るトラブルの解決に、300分くらいかかりましたよ。ええ、駄目駄目ですよ。

しかも、Windowsをリカバリーしましたよ。アプリとか、インストールし直し、ですよ。後ちょっとで、HDDをフォーマットする所だった…。メールのデータなんて、一年以上前のバックアップしか無いのです。最悪です。もちろん、バックアップをこまめに取ってない自分が。今日電器屋のUSBメモリのコーナーの前で、「バックアップ取っとかないとなあ」、と思った直後なので、悔しさも一入なのです。

勉強に時間を費やした、と、自分を慰める事にしましょう。これを、認知的なんちゃら、と言うとか言わないとか。

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2007年8月28日 (火)

瓶とレッテル

apjさんのアナロジーをお借りします⇒ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし :: 事象の地平線::---Event Horizon---

実際の、主なニセ科学批判――「科学的」という「レッテル」が貼られた瓶から、レッテルを剥がす。もしくは、上からレッテルを貼り直す。レッテルを剥がす、というのは、何故そのレッテルが駄目なのか、どこがおかしいかを説明する、という意味。レッテルを貼り直す、というのは、どこがどうおかしいか、という説明と、「ニセ科学」を書いたレッテルを貼る、という事。場合によっては、「ニセ科学」そのものについての説明も、書かれている。

レッテルに書かれた「ニセ科学」の文字は、説明書きより大きいし、目立つ。説明書き、読まない人は読まない。どんなに注意深く、説明を書いたとしても。

とはいえ、「ニセ科学」というレッテルが貼られた瓶に関心を示しているのだから、多くの人は、「何故そうなのか」、という所にも、興味を持っているのではないか、という推測も出来る。「ニセ科学」を論ずる場合には、「科学」そのものについて、考えざるを得ない。「ニセ科学というレッテルが貼られている」事実だけを欲しがる人が、どれ程いるのだろうか。いるとして、何の目的で欲しがるのだろう。

最も基本的な事として、「科学的」というレッテル自体が、「科学の手続きによって実証された」という意味を示す記号である。

「科学的」というレッテルを貼った側にも当然、何故それを貼ったのか、という事が、説明出来なくてはならない。それは、科学的に妥当だと認められた手続きによって実証された、という「事実」に基づかなければならない。本来、相当厳しい審査をクリアしなければ貼る事が許されないものを貼っているのだから、説明出来て当然のはずなのである。

そもそも「科学的」というレッテルを貼った人が、「ニセ科学」というレッテルを貼り直されているのを見て怒るのは、当たり前。確信を持って、「科学的」レッテルを貼ったのかも知れないのだから。当然、何故「ニセ科学」レッテルを貼ったか、という事が、説明出来なければならない(その説明には、色々なパターンがあるだろう。それは、瓶の中身による)。レッテルを貼り直すには、それ相応の、リスクがある。

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聴衆の前で、瓶からレッテルを剥がす、あるいは、上から新しいレッテルを貼っている、という行動をしている人がいる。どうやら、新しく貼られたレッテルには、「ニセ科学」という文字が書いている様だ。他にも文字が書いてある様だが、上手く読み取れない。レッテルを剥がしたり貼ったりしている人は、一所懸命何かを説明している。時には、瓶の中身を取り出し、それを見ながら説明を続ける。

聴衆の一人が、「ニセ科学のレッテルをきちんと貼ってくれるのを求めていた。ごまかさずに貼って欲しい」と言った。

成る程。「瓶にレッテルが貼られるという事実」を求めているのか――。

参考:技術系サラリーマンの交差点: 私が問題性を感じた理由(聴衆の一人――のくだりは、引用文を参考)

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アナロジーを正確に用いようとするのは大変です。厳密にたとえようとすればする程、辻褄が合わなくなってきます。当然ですね。異なる現象なのですから。

瓶の中には、ある纏まった知識について書かれた説明のコピーが入っている、とでもして下さい。

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2007年8月27日 (月)

XYZ

チョン・ウソン、日本ドラマ『シティーハンター』主演へ

やっぱ冴刃役は、沢村一樹さんでしょ。

でも、チョン・ウソンさんが冴刃役とは、どこにも書いてないんですよね。原作が同じ、ってだけで、全然別物なのかも知れないし。

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答えを貰った子は…

はてブ経由⇒全国こども電話相談室[にんげん・せいかつ]

…。

2002年かあ。出始めの頃ですね。

他に色々な質問がありますねえ⇒全国こども電話相談室[にんげん・せいかつ]

素晴らしい問いばっかりだ。

答えるに相応しい人を、ちゃんと選ばないとね。

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咀嚼

 科学によって解明されていないことはたくさんあるし、未解決の謎も多い。何百億光年もの広がりをもち、百億年ないし百五十億年の時を経た宇宙にあっては、すべての謎が解き明かされる日は永遠に来ないのかもしれない。われわれ科学者は毎日のように、予想もしなかった驚くべき事実にぶつかっている。ところが、ニューエイジ思想や宗教の本のなかには、「科学者という連中は、この世には自分たちの発見したものしか存在しないと信じ込んでいる」などと書かれたものがある。たしかに科学者は、神秘的な啓示を否定するかもしれないが、それは、啓示を受けたという本人の申し立て以外には、何の証拠もないからにすぎない。だからといって科学者は、自然界についての自分たちの知識が完璧だなどと思ってはいないのである。

 知識を得るための道具という点では、科学はとうてい完璧などと言えた代物ではない。ただ、人間が手にしている道具のなかでは、いちばん“まし”だというだけのことだ。この点一つをとってみても、科学には民主主義と似たところがある。科学は人間の進むべき道を教えてはくれないけれど、どの道を選べばどうなるかは、はっきりと示してくれる。(カール・セーガン著 青木薫訳『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』より引用)

この、示唆に富んだ文章を、噛み締めましょう。自身の持っているステレオタイプ的認知を、相対化してみましょう。大切なのは……科学者は、科学はどうこうだ、というのを聞いて鵜呑みにする事では無く、科学者が書いたものを読み、言う事に耳を傾け、科学という知の体系について理解する事、なのではないでしょうか。

自分が好きなもの、積極的に関わっているもの、職業に対して、ちゃんと中身を考えない、ステレオタイプな事を言われているの見聞きするのは、嫌ですよね。誰だってそうでしょう。そしてそれは、科学や科学者も同じ、です。

色眼鏡をはずしてみましょう。そうすると、今まで見えていなかったものが、見えてくるかも知れません。自分は色眼鏡を掛けてしまっているのではないか、というのを、常に意識しましょう。気付かぬ間に、誰かがそっと、掛けているのかも知れないのですから。

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期待

論宅さんへ。ここをお読みかどうか判りませんが。

一度、社会学の専門用語をなるべく排した上で、社会学的にニセ科学問題を論じたエントリーを、読んでみたいです。

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2007年8月26日 (日)

もどかしさ

技術系サラリーマンの交差点: 「ニセ科学」関連・最終記事

津村さんの仰る事に感じる違和感は何だろう…。上手く纏まらないので、引用しつつ、検討してみます。

意図(理念)は私も十分納得しています。納得していることを繰り返し強調していただいてもこれ以上納得できないので話が進展しません。

これは、ここまでの議論を見ていて、そう感じますね。津村さんがどの様に「納得」なさっているのか、今一つ解りませんけれど。

「レッテルを貼ってほしい」という一般の人からの熱い期待がある中、専門家としてその期待に応えることに注意が向いてしまうのは人間的に自然なように思います。

「レッテルを貼ってほしい」という所の解釈が、難しい。たとえば、テレビなり新聞なりで、「ゲーム脳はニセ科学だと言える」、と主張するのは、「レッテルを貼る」、と言えるか、とか。「ニセ科学批判者は、色々な説にニセ科学のレッテルを貼って満足する集団である」、と「レッテルを貼っている」様に見える、と言うのは、幼稚な物言いかな。

私が「現実の困難さ」を感じた材料は、菊池さんのウェブログよりもむしろ「ニセ科学批判」を展開するその他の掲示板やブログ群です。それと、菊池さんと柘植さんの氏名で検索すると出てくるページ群です。

これはもう、具体的に論じて欲しい、としか言い様が無いです。直前にも書いてある様に、津村さんは、それを示して批判する、という事は、なさらない方針の様ですが。「菊池さんと柘植さんの氏名で検索すると出てくるページ群」、って、曖昧な表現だなあ。ググって上の方に出てくる、という意味なのかな。まさかとは思いますが、吉岡氏のサイトの事ではありませんよね。

内容的に、理念を説くものよりも個別の「ニセ科学」をめぐる論争(あるいは批判される側との確執)を多く目にしました。そして、書き手側の熱の入れ方や記事数の多さは、個別の論争や確執に関わるもののほうが理念的なものよりも勝っていると感じました。

さて、ここが今一つ解りません。個別の論争や確執があるというのが、それ程問題なのでしょうか。そもそも「確執」とは、どの様な事を指すのでしょうね。具体的に示してくれればなあ…。いや、他人のやり方にとやかく言ってはならない、というのは、思うのですが、津村さん自身が、ニセ科学批判者に批判を加えておられる訳ですから、何だかすっきりしないのです。

そのような材料を「科学とは何か」を伝える目的に使うことの困難さを感じました。

あれ。ニセ科学についての議論、”「科学とは何か」を伝える目的に使う”、のですか。私は、ニセ科学を論ずる際には避けて通れないので、考えざるを得ない、という認識に至る事はあっても、初めから、「科学とは何か」を考える際に、ニセ科学を題材にする、というのは、積極的に主張されているものでは無い、と考えていました。限り無く黒に近いもの、とか、多くの専門家によって誤っていると判断されている過去の事例なんかは、ニセ科学の典型として、「材料」として用いられる、というのは、あるのかも知れませんけれど。頭蓋計測学とか。でもまあ、これは、論者によって異なるものでしょうね。

問題なのは批判対象がピックアップされる手続きと考えます。批判されて当然なものが批判されるのはいいとして、批判されるべきなのに運良く対象にならないものが発生するのは不公平でしょう。

これは違うでしょう。優先順位問題ですから。きくちさんも強調されている事だし、そもそも、ニセ科学的なものを網羅するのは無理です。大体、「批判されるべき」とは、どういう観点から決めるのですか? 私自身は、ゲーム脳を率先して批判していますが、それは、自身の利害も絡んでいるからです。それと、ゲームに関する知識が、それなりにあるから、ですね。そもそも、何らかの「科学的な」説を主張しているのですから、それは、批判的に検討されて然るべき、でしょう。そういう意味で、

個人がボランティアでやっている段階では仕方ないかもしれませんが、多数の科学者の同調を得て進む場合、しかも「被害防止」でなく「科学の啓蒙」が目的であるなら、公平さが求められると思います。

これは、的外れにも思います。もう一度同じ事を書きますが、ここで言う「公平さ」とは、何を意味しているのでしょうか。

ニセ科学は蔓延しているか、という疑問についての自分なりの考えは、別のエントリーのコメント欄に、書きました。これについては、論者によって、考えは異なっていると思います。少なくとも私は、「ニセ科学が社会に広まっているのは、社会全体の科学リテラシーが低下しているからだ」(左巻さんなんかは、こういうお考えに見えますが、どうなんでしょうね)、という主張には、今の所、与しません。個人的に「病理」という語を使わないのも、コメントに書いた意図からですが、そういうのも、解釈の問題ですからね。自身の語感を一般化するものでも無いでしょう。

まとめ部分は、何だかなあ、という感じです。「コミュニティ」と形容し、一括りにして批判なさったのに、最後はそれですか、って。これ、偽らざる感想です。

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2007年8月25日 (土)

思う

「思う」の応酬だけじゃ、議論は進まないんですよね。「根拠」を出さないと。

その、「根拠」そのものにも、様々な解釈の可能性があるのだし、突き詰めて考えていかければならないのに、それ以前の所で立ち止まっちゃあ、全然駄目ですよね。

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2007年8月24日 (金)

ホリスティック

文系白書ブログ: ホリスティックを標榜しているのに。。。

確かに、ホリスティックな医療などを謳っておいて、めちゃくちゃアトミスティックな事(←システマティックに考えない、という意味)を言っていたりするのを、見る事があります(色々調べた訳では無いのですが)。波動とかの原理を用いて、それによって何でも説明する、というのも見かけますが、これは結局、ホリスティックという事を、誤解しているんじゃないかなあ、と。

私は、「ホーリスム」というのを、高岡英夫氏の著作で知ったので、その影響が大きいのですが(哲学的には、クワインなのかな)、高岡氏は、ホーリスムに当たる日本語の概念として、一般的に用いられる「全体論」では無く、「関係主義」という言葉を用いています。これは、要素間の連関、システムとしての全体性、というものを意識させる、という意図があると思うのですが(他にもあります)、それを踏まえると、全体を見渡しつつ、細かい要素もきちんと見ていかなければならない、というのが、認識出来ると思います。ソシュール言語学も眺めたので、より、そう思うのかも知れませんね(高岡氏も、ソシュールの影響を受けている)。

ですが、ホリスティックなものを勘違いしている人の中には、総てに通底する原理とか、そういうのを求め過ぎて(高岡氏にも、そういう所があるんじゃないかと思います)、基礎的な科学の論理を蔑ろにしてしまう人も、いるのではないかと。

床に網を広げているとします。

で、網の結び目を一つ摘んで、ちょっと動かします。

そうすると、全体の網の目の形が、変わりますよね。

ホリスティックに考えるというのは、こういう所に目を向ける事、なんだと思います(哲学的には、色々難しい議論があるのかも知れませんが…)。そんなに大袈裟な事じゃ無いんですよね。

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2007年8月23日 (木)

ゲーム脳は何故ニセ科学か

社会学玄論 : 疑似科学批判の基準のコメント欄で、きくちさんが、ニセ科学のパターンを、4つ挙げておられます。(Commented by きくち at 2007-08-22 23:11)

基準が多様になってしまうのは必然的で、たとえば擬似科学には(1)反証不可能でポパー的に見て科学ではないもの(2)反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの(3)反証可能で直接には反証されていないが、他の科学知識と整合しないので反証する必要のないもの(4)反証可能だが実証も反証もされていないにも関わらず実証されたものであるかのように詐称しているもの、などさまざまなパターンがありうるからです。

さて、この例に照らすと、ゲーム脳は、どれに当てはまるでしょうか。

まず、「(1)反証不可能でポパー的に見て科学ではないもの」です。森氏の主張は、ゲームを長時間すると、前頭葉の機能が低下し、認知症と同じ様な状態になる、というものですね。その仮説に矛盾する命題は、簡単に導かれるので、反証不能であるとは言えないでしょう。長時間ゲームをやって、脳機能が低下しない事が観察出来れば、反証されます(論理を単純化すると)。

次に、「(2)反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの」 どうでしょう。これには当てはまるでしょうか。ゲーム脳仮説そのものの検証は、長時間ゲームをやらせ、その際の脳活動のイメージングのデータを採り、認知機能のテストを行う事によって、行えると考えられますが、そういう研究は、恐らく無いと思います。松田剛氏の研究は、ゲーム中・ゲーム後の脳活動のイメージング研究ですし、その他の社会心理学的研究等も、ゲーム脳説の論証では無いので、「反証された」とは言い切れないのだろうな、と思います。間接的な反証の材料にはなるかな、とも考えますけれど。もちろん、森氏がまともな論文を出していないので、それをわざわざ検証する必要など、無い訳ですが。

「(3)反証可能で直接には反証されていないが、他の科学知識と整合しないので反証する必要のないもの」、はどうでしょう。ごく慎重に考えると、ゲームを長時間して脳機能が低下する、というのは、全く他の知識と矛盾する、とは言い切れないのかな、とは思います。ただ、現在の神経科学・心理学等の知見から、長時間の光刺激やらの悪影響を整合的に説明する仮説が、構築出来るのだろうか、というのは、疑問です。もちろん、乳幼児期に、ゲームばかりやらせていると、他の刺激が抑制され、双方向的なコミュニケーション能力が育たないため、発達に悪影響を及ぼす、という主張もある訳ですが、それが、森氏の言う「ゲーム脳」説と同じものなのか、という疑問も出てきます。そもそも森氏は、まともに概念を定義してすらいないので、ここら辺は、ややこしい所です。

「(4)反証可能だが実証も反証もされていないにも関わらず実証されたものであるかのように詐称しているもの」 これが、ゲーム脳をニセ科学と断言して良い理由の一つですね。上にも書いた様に、「反証されている/いない」は、どう判断すればいいか、ちょっと悩ましい所ですが、「実証されていない」というのは、はっきり言えます。それは、・ゲーム脳説に関するまともな論文が無い事 ・『ゲーム脳の恐怖』の内容が、論理的な矛盾、データの恣意的解釈、経験による印象の過度の一般化に満ちている事(ゲーム文化そのものに対するまともな考察も、皆無) ・森氏が、各所で、ゲーム脳説が実証されたものであるかの如く(講演会や、マスメディアのインタビュー等で)触れ回っている事――等から、導けます。

血液型性格判断は(2)、水伝は、(1)もしくは(3)ですね。マイナスイオンは(4)でしょうか。ゲーム脳は、最も慎重に考えると、(4)になりそうです。そもそも定義がはっきりしない、というのも、押さえておくべきですね。

ニセ科学と一口に言っても、色々なものがあるのですよね。もちろん、現在(4)の理由によってニセ科学と判断されているものであっても、今後、科学的知識として認められるという事は、起こり得ます。現在実証されていないにも関わらず、それがなされたかの様に主張され、流布されたものが、ニセ科学なので。

という訳で、ニセ科学と科学の間に、明確な線引きを行う事は出来ない。それは、社会状況とも関わってくる問題である、というのは、よく認識しておくべきだと思います。

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2007年8月22日 (水)

意味

Interdisciplinary: 信じるの、コメント欄からの続き。

ある程度纏まった気がするので、エントリーとして。ほとんど、FREEさんとの対話なので、何の事やら判らない方が多いと思いますが、個人的には、かなり有意義なやり取りだと感じていますので(議論の進め方そのものも)、読んで欲しいなあ、なんて。元々コメントのつもりで書いたので、FREEさんへの語りかけ、というかたちです。

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私の主張を再度書くと、「信じるという状態に至るには、経験や学習がきっかけとなる」、という事ですね。たとえば、FREEさんの仰る防衛反応が働き、「信じる」という状態に至るのだとしても、それは結局、知識や経験に依存する、のではないでしょうか。

私は恐らく、FREEさんの仰る意味での「信じる」を、認識出来ていると思います。これは確認なのですが、FREEさんの仰る「信じる」は、「状態」の様なものですよね? 顕在意識において、より整合的な知識体系を受け容れる余地が無い、他人に耳を貸さない。或いは、体験を重視する、という様な。
で、そうであるとして(また、勝手な前提すみません)、私は、そういう現象は、あると思います。

私が言いたかったのは、「過程として」、知識や経験と「信じる」は連続的である、または、顕在的に意識していなくとも、無意識的に(直感的・直観的に)は関係しているだろう、という事です。だから、乳児の例を出したのですね。「言語的では無い」、と言うべきかも知れません。

私が思うに、FREEさんは、顕在意識のレベルでの「信じる」を念頭に置いておられ、私は、直観的・直感的な論理をも含めて論じている。そこにズレが生じたのではないでしょうか。

適切な例かは判りませんけど、書いてみます。
SSFSさんは、「自分の正しさ」を「信じている」、と言えますよね。文章を読む限り。これは、FREEさんの仰る意味での信じる、だと思います。そして、知る事による態度の変化などとは、「断絶」している様に見えます。
しかし、SSFSさんは、他の方の投稿を読み、何が言われているかは「知っている」訳ですよね。「記憶している」、でもいいです。
で、私が言いたいのは、そういう経験でも、潜在意識へ落とし込まれはするだろうけれども、SSFSさん自身の顕在的(自覚的)なものの考え方には、「絶対に影響している」だろう、という事です。

どうでしょうか。結構、上手く説明出来た様にも思えますけれど…。

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「脳トレで」、か?

クルマ高齢社会:脳トレで認知力改善 川島教授ら実験、自動車業界が教材に-家庭:MSN毎日インタラクティブ

この内容だと、「脳トレで」という見出しの書き方は、ちょっと違うんじゃないかと思うけどなあ。色々な専門家が集まって、それぞれの知見を出し合い、トレーニング(かなり盛り沢山に見える)を開発し、テストした訳ですよね。こんな感じで、「つかみ」の様なタイトルをつけるのは、どうなんでしょ。気にし過ぎかな。

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2007年8月21日 (火)

メタ

社会学玄論 : 疑似科学批判が流行る理由

具体的な対象を考えずにメタ論を展開したのだとすれば、それを正直に仰れば良いと思うのですよ。それ自体は批判されるべき事ですが(「疑似科学批判の流行り」という社会現象を対象にしておきながら、それに関わる人物に関する言及が出来ないというのは、おかしい。初めから、単にメタ論をぶつための材料として、「疑似科学批判」を持ち出してきた、とすら考えられる)、それを認めれば、そこから具体的な議論に入っていく事が出来る。そうすると、有意義なやり取りを行う可能性も出てくる訳で。もちろん、それが出来る人は、そもそもああいう書き方はしないよ、という事も言えるかも知れませんが(他のエントリーの書き方からも、それが推測出来る)、それは一応置いといて。

で、質問にまともに答えようともせずに、とにかく他人より一段階メタレベルであろうとするかの様な事を、いつまでもやっていたら、全然駄目ですよね。お話にならないです。

これは、このエントリーを執筆している時点での感想です。論宅さんが今後、実名を挙げて批判なさる可能性も、無いとは言えませんが、それは、望み薄、でしょう。apjさんときくちさん、とのやり取りにおいて、それを仄めかしてすらいないのですから。あまっさえ、2007-08-21 00:41のコメントの様なレスをしています。当然、今から、どんな人間がニセ科学批判を展開しているだろうか、というのを調べ、ニセ科学批判批判を論じても、駄目ですね。調べれば調べる程、代表的なニセ科学批判者が、科学の絶対視などしていない事に、まともな認識力があれば、気付くのですから。

未だによく解らないのですが、「科学を絶対視」って、どういう意味なんでしょうね。

※「擬似科学批判の流行り」について。

「流行る」と表現しているので、一定の期間、多くの人の話題に上っているという現象を指しているのは、明らか。そして、最近、WEBや新聞、新書等でニセ科学批判をしている人は、限られている。その方々を、「流行りを担っている」、代表的なニセ科学批判者だと考えると、きくちさんや左巻さん、あるいは、こなみさんやapjさん、田崎さん、『メディア・バイアス』を書かれた松永氏、等々が、まず挙げられる。特にきくちさんは、NHKの番組に出演なさった事もあり、ニセ科学批判者の筆頭として挙げられる。ニセ科学でググってみると、よく解る。

とすると、疑似科学批判者として、上に挙げた方々を想定していないというのは、明らかにおかしい。ニセ科学が話題になったのは、田崎さんの水伝関連の文章と、きくちさんの番組出演が、大きなきっかけだから、「言及出来ない」事自体、考えにくい。そうだとしたら、「疑似科学批判が流行っている」という知識だけを持っていて、誰が何を言ったかは具体的に知らない、という事。要するに、「流行り」については、具体的な認識を持っていない、と結論出来る。

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2007年8月20日 (月)

科学者人形をサンドバッグにする人

前にコメント欄で紹介したのですが、改めて、言及してみます。※強調等は、原文ママ

科学者の常識の欠如 - アルスブルグの研究室

「自分は特別な存在だ」と勘違いし、虚構の正義を振りかざして悦に入っている彼らを、私は「ニセ科学者」と呼んでおります。

”「自分は特別な存在だ」と勘違いし、虚構の正義を振りかざして悦に入っている”科学者をニセ科学者と呼ぶのは、別に構いませんが、具体的に、「彼ら」と、きくちさんや他の方々を指して用いておられますね。他人の心性について憶測を巡らせ、それを基に非難を繰り広げるのは、あまりよろしくないと思います。

この後に氏は『マイナスイオンの商品が多く売れたのは、消費者がマイナスイオンの健康効果に科学的な裏付けがあることを信じたからだろう』と主張していますが、そうでしょうか。そんな馬鹿なことありません。消費者は、科学的な裏付けなど求めておりません。そんなことを気にするのは神経質な科学者だけで しょう。

「科学的な裏付けがあることを信じ」るというのは、必ずしも、具体的に、「この商品は、科学的にきちんとしたテストを行った上で市場に出回っているのだろうか」、と思惟する事を、意味しません。「この商品にはちゃんとした効果があるのだろうか」、と考える際に、「企業は科学的に根拠の乏しいものは出さないであろう」、という前提を持っていたり、テレビショッピングで「科学者」や「データ」が出てくるのを観て、「ふーん、科学者が色々やってるんだ…」と認識する事等も、含んでいます。いわば、「何となく」信じている、というのを指している訳です。

洗剤が汚れを落とすのに、化学的メカニズムが働いている、というのは、ほとんどの人間は知ってます。「効果がある」ものを求めるという事は、直観的に、科学者や企業によって研究なされたものである、というのを、認識している訳ですね。市場に出回る製品に対する信用というのがそもそも、科学に対する(何となくの)信頼を含んでいる、と考えられます。「科学的な裏付けがある」と認識するのは、「科学者がお墨付きを与えた」とか、「新技術!」とパッケージに書いてあるのを信頼する、という意味も含めてあるのですね。

科学が証明できなくても、我々の体は現に 健康になっているのです。それで十分なのです。ゲルマニウムも然りです。

「現に健康になっている」というのを、どの様にして評価しているのでしょうか。体験談?

事実は、こうではないでしょうか。「ゲーム脳説を聞 いた親や先生は、ゲームが脳に与える負の影響を心配し、子供にゲームを止めるように言った」。ただ、それだけなのです。親や先生は、ゲーム脳説におけるα 波やら何やらという根拠など、考慮していません。ゲームは脳に害を及ぼすようだ。だから、止めさせなければ。それだけです。心配だから、 止めさせる。ゲーム脳説を受け入れた親や先生が、子供にゲームを止めるように言うのは、躾の根拠を科学に求めた結果ではないのです。

意味が解りません。ゲーム脳の提唱者が「科学者」だという事を、忘れていませんか。森氏の講演会では、脳波のデータや、神経科学の専門用語等の、「科学を仄めかす」ものが用いられる事は、ご存知ですか。隣に住む中学二年生の子どもが同じ事を言えば、「同じ様に」信じるでしょうか。情報を解釈する際、発信者の属性を考慮する事は、ありませんか。そもそも、脳の働きと心が密接に関連しているという考え自体が、「科学的」なのです。

何にせよ、科学者の代表である氏と我々の間には、日常生活における認識のずれがあることは間違いないでしょう。

きくちさんが「科学者の代表」である、とする根拠がよく解らないし、「我々」が誰を指しているかも解らない。恐らく、「科学者以外」の集合を示しているのだと思われますが、それを「我々」と言われても、という感じです。私は科学者ではありませんが、きくちさんの仰る事に、大いに賛同する者です。無茶な一般化を行うべきではありません。

「いくら科学が発達しても将来的 に解明されることは絶対にない」、ということではないと、氏に代わり弁解しておきます(氏は後者のつもりで主張していることは明らかですが)。氏は、続い て極めて危険な発言をしています。

何故にきくちさんの代わりに弁解なさるのか、さっぱり解りませんが、それは置いといて…。ここの直前の文章も併せて、説明が、よく理解出来ませんね。後者というのは、括弧の中だけを指しているのか、「ことではない」まで含んでいるのか。

曰く、『水に心はない』、と。繰り返しますが、これは極めて危険な発言です。「危険な」という言葉は以下の意味で使用し ています。すなわち、「心(意識)」というものがどのように生じているのか、現代脳科学を以ってしても解明されていないのに(ニューロンの活動が精神活動 に対応していることは分かっていますが)、軽々しく「水に心はない」と言ってしまうことです。

ここで言われる「心」とは、自己意識(色々な概念があると思いますけど)の事だと思いますが、それが神経細胞の活動に対応しているのは、認めておられる訳ですよね。科学的には、その通りです。それを前提にすると、「水に心は無い」という言明は、全くおかしくありません。ここを否定すると、科学の話では無くなってしまいます。

氏は、小学校の教師が「水に関する説」を道徳の授業で紹介したのは、道徳の根拠を自然科学に求めたからだと思い込ん でいますが、そんな馬鹿なことはありません。小学校の教師は「水に関する説」を、言葉遣いについて考えるための単なる題材として取り上げたのであり、そこに根拠(~だから・・・するべし)など求めてはいません

TOSSの授業実践の例とか、それに対する児童の感想とか、見た事ありますか。「何故」題材として用いたのですか。つまり、選択した根拠は?

恰も、科学者以外の人間がニセ科学批判を展開していないかの如く看做しているのが、根本的な思い違いですね。むしろ、科学者ステレオタイプを強固に形成していて、それを前提にしてしまっている、という印象。

科学者の常識の欠如~再来 - アルスブルグの研究室

彼らはゲーム脳説の最も重要な主張、「脳が壊れる」ことを恐れた。根拠はわからないが、なんだか危ないという話だから、ゲームをやめさせた。科学的根拠の存在がゲーム脳説受容の決定打になったのではなく、彼らは根拠から切り離された主張だけを受け入れたのだ。

意味が全く理解出来ません。上にも書きましたが、「誰が言った」という情報は、考慮しないのですか。「大学の先生が言ったのだから」、という認知が働くというのは、ありませんか。「大学の先生が言っている→大学の先生は、専門的な科学の知識を持っている→この先生の言っている事は、科学の知識に基づいて認められているのだろう」、という認知は、認められませんか? 一応言っておきますが、これは、一々顕在的・分析的に思考する、という意味ではありませんよ。

誰がどう考えても、2.のように親は考えた、とする方が自然ではないか?この点について反論があるなら聞いてみたいものだ!

「何だか危ないようだね」と発言する事は、科学的根拠を意識しない事を、意味しません。既有知識や直観的認識というものを、もうちょっとお考えになった方が、よろしいでしょう。

例えば、人は風邪をひいたら薬を飲むが、なぜ薬を飲むかといえば、それが効くからだ。決して、薬物の分子的作用機構を気にしてはいない。しつこいようだが、一般市民が信じているのは効果であり、根拠の存在ではない。

どうも、「科学的根拠を信じた」というのを、「ある程度分析的に考え納得した」、と考えておられる様ですね。そう読めます。大部分の人が、薬の具体的な生化学的メカニズムを気にしていない、というのは、その通りでしょう。で、そんな事は、多分、誰も言っていません。

科学者である氏と一般市民の間には相当な認識のずれがある。疑似科学を論じる前に、まず、市民に歩み寄るところから始めてはいかがかな?

kiklogで聞けばいいのにね。私も一般市民ですけど、ブログ主さん(お名前が解らないので、失礼します)と、相当な認識のずれがあります。一般市民も色々、って事かな。

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2007年8月19日 (日)

昔の考え

ずっと前に書いた覚書から、ちょっと引っ張ってみます。細かい部分は修正。日付を書いてあるのに、何年に書いたものかが解らない…。特定のテーマを設定している訳でも無く、走り書きしたものなので、かなりばらばらです。

”頭の良い人”というのは、自分が何を知っていて、自分が何を知らないかを解っている人。事象の構造を、分析的、或いは直観的に見抜いている人。

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自己と他人の「認識のずれ」を認識する。

自分と他の人の考え方が違うのは当たり前なのに、自分の考えを押し付けたり、人の言う事を自分勝手に解釈し、勝手に腹を立てたりする。そして、仲違い・喧嘩・悪口等の、ネガティブな現象が起こる。

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肉親が死んだ、という演技をする時に、他の事を考えて感情を昂らせ、涙を流したとして、それは果たして、「本当の演技」を言えるのか。

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相手の言った事に反応する前に、少し立ち止まる。相手が何を考えているのか、同一の言葉に対しての、双方の認識のずれ。

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自分の頭の良さを自覚している人は、他人の考えが浅薄なものに感じ、相手を見下す事があるかも知れないが、それは、まだまだレベルが低い、という事。

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自分の事を、「頭が悪い」と言う人がいるが、使わないものが、良くなる筈が無い。これは、自動車の免許を持ってない人が、「自分は車の運転が出来ない」、と、当たり前の事を言っている様なものである。

うーむ。ここに書いている事と、共通しているかな。同じ人間だから、当たり前かも知れないけど。でも、すっごく偉そうですね(文体を、ちょっと変えました)。調子に乗ってる感がある。他人の意見をそれ程積極的に調べず、思弁を巡らせて書いたものなので、自分は結構賢いかも、とか思ってたんでしょうね。なかなか恥ずかしいですなあ。

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2007年8月18日 (土)

おとなのリテラシー

ちょっと不機嫌モード。

森昭雄氏に講演を依頼したり、説を肯定的に採り上げてるのって、マスメディアじゃないんですよね、今は。教育委員会だとかの、直接、教育に携わる人達なんですよね。TOSSもそうでしたね。

はっきり言って、「そっち」の人達のリテラシーはどうなっとるんだ、と思います。学力低下がどうこうとか言っときながら、ゲーム脳を(肯定的に)採り上げるなんて、噴飯物だとは思いませんか。 科学リテラシーを向上させるべきは、若い者だけか?

数ヶ月に一回のペースで、森氏の講演会が催されるなんて、どう考えても、おかしな話でしょう。主催者側は、なーんも調べて無いのでしょうね、事前に。調べた上で、「賛否両論だが…」なんて判断をしたのであれば、認識力が著しく欠落している、って事です。両論ある事だけ理解して、両論の中身を検討しないのだから。

ちゃんと理解しようともせず、直感を補強しそうだからと(これまた直感的に)飛びつく。そういう姿勢を見て、大人は解って無いな、と溜息をつく若者がいるって事に、気付いた方が良い。

ゲーム脳説を蔓延らせているのは誰だ?

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誰かと思った

えええええっ!⇒レコーディング・ダイエットのススメ: スタイル&顔の遍歴

知らんかった…。下の方の画像なんて、違う人じゃないですか。

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達人技

kikulogで、YMNさんが貼られた達人?の動画、ご覧になりました?

あれが武術だ、と思われるのはアレなので(笑) 本物の達人の動きを、ご覧下さい。武術に明るく無い方でも、「何かが違う」、というのは、感じる事が出来るでしょう 。

Aikido Journal Videos(「Gozo Shioda at Yoshinkan Aikido Demonstration c. 1980 (4 min. 20 sec.)」をダウンロード。動画が追加されると、ページが変わるかも)

でも、ちょっと画質が悪くて、何をしてるかさっぱり解らん、って事になりそうな…。YouTubeに上がってるのは、ことごとく著作権的にアレそうなので。ここくらいしか無かったんですよねえ。

『グラップラー刃牙』シリーズの、「渋川剛気」ってご存知ですか? 故・塩田剛三師範は、そのモデルになった方です。

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2007年8月17日 (金)

言語力?

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 「言語力」育成、脱「ゆとり」も…中教審が指導要領改定へ

能力が下がったのかどうかは、よく知りませんけれど、向上をさせようとする事自体は、良いのだと思います。

問題は、何をするか、ですけれど。

学校で指導がなされていない、と言うより、直感を重視して、物事を分析的に捉えようとする事が軽視されている(今も昔も)、というのが駄目なんじゃないかと思う、今日この頃。そしてそれは、近年、マシになってきているのではないだろうか、と思う、今日この頃。

国際的な学力調査で、ポイントだと感じたのは、無解答が多い所なんですよね。日本人的心性、というものがあるとすれば、「間違った意見を言うくらいなら、黙っている」、というのがあるんじゃないかなあ。良い悪いではありません。それは、内省を促し、より良いものに仕上げようとする方向へ行くかも知れませんし、完全主義的になって、自己評価を過度に下げるかも知れません。一概には言えませんね。

お互いの意見をぶつけ合い、相互批判する事に慣れさせるとか、そういうのが重要だと思います。批判=文句(ネガティブな意味での)・非難 と捉えられない様な認識を育てる、と言うか。

後、個人的には、中学辺りで、言語学(とか記号論とか)を学ばせるべきだと考えています。

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なまえ

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 名前は「@」、読みは?=文字使用も多様化-中国

Yahoo!ニュース - サーチナ・中国情報局 - 【中国】何と読むのか?「劉@」君 奇妙な名前登場で困惑も

これは…。どうなんでしょうね。

そういえば(全然話は違いますけど、名前繋がりって事で)、日本で、子どもにとんでもない名前を付けようとした人が、いたなあ…。

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2007年8月16日 (木)

改竄

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 「石屋製菓」返品処理で期限改ざん…課長提案、部長が容認

頻繁に食べる訳ではありませんが、大好きなお菓子なんですよね。

こういうのって、ばれる事は無いだろう、という認識が働くんですかね。ばれても大した事は無いだろう、という認識では、多分あり得ないので。

石屋製菓アイスに大腸菌群、「白い恋人」賞味期限も改ざん : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「深く反省している。今後も調査を進めるが、これ以上の問題はないと思う」などと話した。

「これ以上の問題はないと思う」って、何に対しての発言なんでしょうね。品質管理上の問題は改善したから、衛生的な問題は無い、という意味なのかな。それとも、今回以前に同様の問題があったという事実は発覚しない(ばれない、という意味では無いです)だろう、という意味か。後者の意味合いで発言したのだとしたら、「今回たまたま起こってしまったのだ」、というのを強調したかったのかな。たまたまでも起こしちゃいかん訳ですが。

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2007年8月15日 (水)

誰それの合気

佐川幸義師範の合気はどうだったか、というのを考えるのは難しいですね。まず、動画が残っていない。そして、そもそも受けた人しか、「感触」が解らない。だから、体験者の証言から、推測していくしか無いのですよね。

現象としては、手首を掴ませた老人が身体をちょっと揺すったら、掴んでいる人が吹っ飛ぶ、というものですね。前にも書いた通り、その様な現象が起こるには、色々な可能性がある訳です。

たとえ、「自分は本気で掴んでいた」、と主張したとしても、それは、そう「思って」いただけで、実際に、力学的に合理的な掴み方が出来ていたか、というのは、相対的に独立の話です。

だから、同じ様に見えても、実は違うのだ、という意見が出て、議論になり、しまいには、水掛け論になってしまう訳です。

一つの技法のメカニズムについて論じても、他の技法も同じとは限らない、というのもあります。手首を掴ませて行う技は、バイオメカニクス的説明とか、生理学的な反応を使っているのだろうか、等の仮説を立てられるけれども、柔らかいセーターの襟元を持たせ、そこから相手を吹っ飛ばす、というのは、どうしても、解らない。

じゃあ、どう考えるか。いくつかの可能性がありますね。もちろん、本気で掴んで、ちゃんと掴めている。それを軽く投げ飛ばす、というのを前提にするのですね。人文・社会科学的メカニズムの割合が大きい現象は、除外します。で、そういう技術が出来ているか、そして、何故出来るのか、というのを検証するのは難しい。何故ならば、出来る人が、いないから。

出来る、と言う人がいれば、その人に対して、誰かに本気で掴ませて、技が出来るかを確かめなければなりません。当然、同門の人等は、除外します。まあ、一番良いのは、「金を掛ける」事ですね。押さえつけられたら受けの勝ちで、手が上がったら(ここでは合気上げ)取りの勝ち。で、勝った方に5,000円進呈する、とかですね。受けには、古流や合気道を見下していて、かつ格闘技を経験している人がいいでしょう。力士とかプロレスラーがベターですね。強い人達に、本気を出させる訳です。20~30人も集めれば、色々解るのではないでしょうか。※この案は、高岡英夫氏が、本に書かれたものをヒントにしています。ソース失念。内容は、剣術に対する技を鍛えたいなら、金を払って、本物の剣術家に切りかからせれば良い、といったもの。ここで金を払う、というのは、剣術家側にもリスクがあるから、という理由。

そういう実験を重ねて、研究していくべきでしょうね。もしかすると、佐川師範が演じて見せたと伝えられる技法が、お手盛りを排した条件で実現し得る、というのは、永久に示されないかも知れませんね。真面目な話。もし、そういう技法があり得る、と言うのなら、自分がやるか、出来る人を連れてきて、厳しい実験条件の中で、技をやって貰わなければなりません。「いや、出来るんだ」、と言ったって、「じゃあ、見せて下さいな」、と返されるのが、落ちです。

受けと取りは、「手首を掴む/掴ませる」という協力関係を保ちつつ、「上げられまいとする/上げようとする」、という敵対的な関係でもあるのですね。そういう意味で、かなり特殊な条件です。そういう所も考えないといけません。

言及しない方がいいかも知れませんが、生体磁気云々について(多分、ほとんどの人は、何の事か、意味が解らないと思いますが…)。仮説を出すのは結構だと思いますけれど、科学的にこうなっている、と主張するなら、立証の責任は、言い出した側にあります。論文なりを出さないと、誰も相手にしませんよ。いや、実証研究をした、と言っているんでしたね。結構物凄い主張をしているのだから、相当しっかりした証拠を出さなきゃね。

あ、ちなみに。私は、別の所にも書きましたが、高岡氏の説の、「意識操作」には、全く賛同していません。何らかの心理学的な関係によって、離れた人間が吹っ飛ぶ(様に見える現象が起こる)、と言うならばともかく、他人の意識を直接操作出来る、というのは、飛躍が過ぎます。

透明な力―不世出の武術家 佐川幸義 Book 透明な力―不世出の武術家 佐川幸義

著者:木村 達雄
販売元:講談社
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2007年8月14日 (火)

そうなのだろうか?

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 相次ぐホームレスら襲撃… なかなか生かされない教訓

「最近の少年は他者へのやさしさと、“こうされたら人が困り、大変なことになる”との想像力が欠如している。だから、犯行がエスカレートする」

私は、違うと思う。「“こうされたら人が困り、大変なことになる”との想像力が欠如している。」のでは無くて、「この人達が困り、大変なことになっても構わない」、といういびつな認識があるのではないか。それは明らかに、差別心だろう。その心性が、どの様にして形成されたのか、私には、推測する事しか出来ない。しかし、「想像力が欠如」しているのでは無く、想像力が歪みきっている、というのは言えるのではないだろうか。(尤も、広い視点をとれていない、という意味で、相対的に想像力が欠如している、とは言えるのかも知れないが)

あなたの周りにもいないだろうか。ホームレスが人生の落伍者であると看做し、その概念そのものに、侮蔑の言葉を投げかける人が。自身より下層の存在であると位置づけ、優越感に浸っているのであろうか。

その様な言葉を聞いている子ども達は、どう思うだろう。それを考えるのが、「想像力」だ。

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何故?

書評:新井紀子『生き抜くための数学入門』(理論社YA新書)とか個別メモ【第816回】 6月になった(2007年6月1日)を読んで、新井氏の本を読んでみようかな、と考えたのに、その事をすっかり忘れていたのですが、図書館のサイトで本を探している時に、ふと思い出し、2冊借りてみました。

で、今、この本を読んでいます↓

こんどこそ!わかる数学 (岩波科学ライブラリー 128) Book こんどこそ!わかる数学 (岩波科学ライブラリー 128)

著者:新井 紀子
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

まだ半分ちょっとしか読んでいませんが、実に良い本だと思います。とても解り易くて丁寧。一通りの勉強はして、単語とか公式は何となく憶えているかな、という人には、うってつけなんじゃないかと。どうしてそうなるか、という所を、ちゃんと説明してくれています。

世の中には、「何故そうなるかは置いといて、取り合えず憶えておこう」、というのを、物凄く苦痛に感じる人がいます。結構多いかも。解らないと、気持ちが悪いんですね。で、何故、というのを考えている内に、授業がどんどん進んでいって、ついていけなくなる。

身の回りに、「何故」に答えてくれる「先生」(学校の教師だけではなくて)がいれば、色々アドバイスを受ける事も出来るのですが、そういう人がいなければ、悶々としてしまうんですよね。この本は、良い先生に、なってくれるのではないでしょうか。

他の本も、読んでみようと思います。

追記:上記の本は読み終わり、今、この本を読んでいます↓

生き抜くための数学入門 Book 生き抜くための数学入門

著者:新井 紀子
販売元:理論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本に、凄く興味深く、また、考えさせられる文章があったので、引用します(P11 ルビ省略)。

 ある新聞社の記者さんは,こんなことを言いました。
「先生,最近の小学校じゃ,円周率を『約3』なんて教えているんですよ。どう思います?」
 この人は,円周率をとってもたいせつに考えてくれているんでしょう。
「円周率が約3なんて言ってちゃ,日本もおしまいですよね。」
 円周率がわからないような子どもたちだけになったら,日本はおしまいだ,とそのくらい,円周率をたいせつに思ってくれているんですね。ならば,聞いてみましょう。
「ところで,円周率って何ですか? どうして円周率は3.から始まるんだと思います?」
 と,その人は「え゛っ」と絶句したまま,答えなくなってしまいました。
 ふしぎだな。
 ふしぎでしょう?
 円周率が何か,ということがわからないのに,どうしてこの人は,「円周率が約3になったら国が滅びる」って力説できるんだろう?

前にkikulogに書いたコメント(http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1170070232#CID1172722195)を思い出したり。彼・彼女ら(上の新聞記者氏の様な人)にとって、「円周率を知っている」というのは、「円周率というのは、3.14なんちゃら…」という記憶がある、という程度の事なのでしょう。

何か、新井氏の本、大村平氏の本に続いて、ファンになりそうな予感。凄く面白いし、読者に何とかして解って貰おう、という姿勢が、とても感じられます。

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2007年8月13日 (月)

口伝

この場で考えたり、前に思いついた、「身体運動の要諦の、メタフォリカルな表現」、つまり、「口伝」を、書いてみます。比喩表現なので、全く同じものが、どこかの武術の流派に存在するかも知れません。武術家は、「喩え」が好きなので、似たような事を言っている人は、沢山いるでしょうね。結局、身体の力を抜いて、柔らかく使い、中心を先行させる※のを、促す訳ですね。だから、言葉は違っても、本質的な所は、共通しているのですね。後は、具体的に、どういう状況であるか、というのを、加味している訳です。※高岡英夫氏の言う「体幹主導系(被制御体幹系)」

  • 身体を、鞭を撓わせる様に動かす。
  • 犬が身体を震わせる様に。※中国武術に、「トウケイ(多分、漢字はちゃんと表示されない)」というのがあった気がします。
  • 全身を、雑巾が絞られる様にする。※テンシケイ、とか。
  • 酔っ払って倒れこむ様に。※力を抜いて、身体をバラバラに。
  • 腕がちぎれて吹っ飛んで行く様な感じ。※突きとか。
  • 背骨の辺りに止まった虫を払い落とす様に。
  • 身体を波打たせる。※定番。
  • 砂で出来た棒を壊さずに持つ様な感じ。※得物を持つコツ。
  • 腹の中から太股を吊り上げる感じ。※腸腰筋主導。空手の柳川昌弘氏がよく使われる表現(具体的な言い回しは違う)。
  • 肩甲骨が手になった様な感じで。※腕を動かす際には、肩甲骨・肋骨を先行して動かす。
  • 足は「置く」。※私は、「抜き足差し足」というのは、腹の中から脚を動かすのをイメージさせる言い回しでもあったのではないか、なんて思ってます。
  • 鍔元から剣先まで使って撫でる様に。※刀の操作。料理をやる人には、刺身を切る様に、というのも良いかも。
  • ちょっと高めの椅子に腰掛けているかの如く。※ハムストリングス主導の起立を促す。高岡氏が著書で、塩田剛三師範の姿勢を評する際に、同じ様な表現を用いました。余談ですが、私は、その部分を読んで、「おお、同じ事書いている」、と思いました。いや、私が高岡氏の説を参照にしているので、当たり前と言えば当たり前ですが。
  • 腕に麻酔が掛かって、全く動かせないかの様に。※私が実際に用いたイメージ。とにかく、四肢の運動を先行させない。もちろん、脚にも用いる事が出来ます。
  • 上腕が抜けて、ぶら下がってしまう様な感じ。※三角筋やらの弛緩を促す。試みてから出来るまでに、数ヶ月掛かりました。表面にある筋肉の場合、触れれば弛緩しているかどうか解るので、便利。

こんな感じですかね。一番良いのは、解剖学的知識を身に着け、それと知覚を正確に結びつける事です。それが最も客観的ですから。ただ、あまり解剖学的に分析的にやろうとすると、難しい所もありますね。知覚が主観的であるという事も、ややこしい。そういう事情があるので、武術における口伝は、バラエティ豊かに発展したのでしょう。現代なら、筋収縮を計測する方法もあるし、解剖学の知識も簡単に手に入るので、それを使わない手は無いです。

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2007年8月12日 (日)

ケータイ小説

痛いニュース(ノ∀`):【携帯小説】“女子中高生携帯作家”の小説、「感動して一晩中泣いた」と同世代は絶賛…「援交・ホストネタばかりでバカバカしい」との批判も携帯小説サイト管理人 「どれも同じ内容でヒドい」|Ameba News

私、携帯小説とやら(表現として変だと思う。「ケータイ小説」の方がいいかな)、読んだ事無いんですよね。携帯で、WEBはほとんど使わないし。

「ワンパターン」と、「崩壊した文法」が、共通して見られるっぽいですね。山田悠介氏(ケータイ小説をよく読む層に受けているって事かな)の文章は、まとめサイトかなんかを見た事があって、衝撃を受けたのを憶えています。あと、映画化された『恋空』とか。そこまで批判しなくてもいいんじゃ? と感じるくらい、痛烈な書き方をしているまとめサイトとか、ありましたね。

まあ、中高生時代は、結構偏狭(と書くとアレだけど…)なんじゃないかなあ、と。文法的な問題は、重要かも知れないけれど、ストーリーのワンパターンとかはなあ。別にいいんじゃない、と思……うーん、そうとも言えないか(笑)

で、ケータイ小説って、そういう内容のものばかり、なんですかね? 前、森村誠一氏だかがケータイ小説を書いている、という記事を読んで、へえ、と思った記憶があります。まあ、ケータイで読むくらいなら、文庫やら電子ブックやらで読むよ、って事なのかな、と思いますけれど。

以上、昼ドラを結構観たり、映画版のセカチューが好きだったりする人間で、赤川次郎・森博嗣作品好きでもある人間の、タワゴトでした。昨年やっていた『美しい罠』(東海テレビ系)は、傑作でしたぜ。ワンパターンでもいいんですよ。役者の個性とか纏まりとかを、重視するので。

文章力とか読解力を鍛えたいなら、学術書を読むのが一番じゃないかな。たまに、中学生が書いたんじゃなかろうか、というレベルの、大学向けのテキスト(の一部)とかありますが。

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言語発達

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 赤ちゃん教育ビデオに効果なし=言語習得遅れる恐れも-米大調査赤ちゃんの「脳発育促進ビデオ」、実際は有害? - ITmedia News

詳しい内容は調べていないので、記事を読んだ印象を書きます。

まあ、インタラクティブなメディアではないので、見せっ放しではいかんのだろうな、というのは思います。養育者とのやり取りというのは、究極的なインタラクティブ性なので、それをするのが最上なのだと考えます。

少なくとも、ビデオを用いる事による有効性は見出せなかった、というのは、言えそうです。負の相関関係はありそうだ、という事ですね。

ただ、「有害」というのをどれ程言えるのだろうか、という疑問が出てきます。それに頼る事によって、養育者―子 間のコミュニケーションの機会が減るのだろう、という程度に留めておいた方がいいでしょうね。「有害」というのは、結構強い表現ですから、慎重に考えないと。

もちろん、研究方法が妥当だったのか、というのもありますが、それについては、よく解らないです。6~8語の習得の違いというのは、個人差の範囲内ではないのかな、という気もしますが。そもそも、どの程度のバラツキがあるのでしょうね。縦断的研究もした方がいいのではないか、とも。

一般論として、養育者は、常に子どもに気をかけ、目配せし、語りかけるのが良いのだと思います。それに、教育効果を謳うビデオでも、「道具」として用いる事は出来ますよね(商品が、「見せるだけで」、というのを謳っていれば、それは論外ですが)。ビデオでも何でも、それを使ってコミュニケーションを深めるのが、良いのではないでしょうか。絵本でも、読み聞かせをしながら子どもの反応を窺う、というのなら良いですが、ただそこにポンと置くだけじゃ、駄目ですしね。

いずれにしても、養育者を焦らせたり、不安を煽る様な事は、しない方がいいですよね。かといって、テキトーに子どもに接しても、いかん訳ですが。

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2007年8月11日 (土)

信じる

FREEさんのコメントへのレスです。

私の書き方が多分に抽象的で、読み取りにくい所がありますね。私自身が、信じるという概念を、捉え損なっているのかも知れません。

理解したと感じたものを正しいと判断し、自らの判断に依って立つことの土台とすることを「信じる」という言葉の意味に使われたのでしょうか?

私が言いたかったのは、「知る」事が、「信じる」事の根拠になる、というものですね。経験が信念を強化する、と言ってもよいかも知れません。
従って、FREEさんの出された例全てに、当てはまると考えています。一つ一つについて、具体的に書いてみます。そうすれば、私の認識はどうなんだ? というのが明らかになると思うので。

  1. 省略。
  2. 幽霊を信じる。――様々な体験談を見聞きし(知り)、また、自身で「心霊現象」と言われているものを経験し(その様な現象が起こり得る事を知り)、幽霊が存在する事を信じる。幽霊が存在すればこの様な現象が起こるであろう、という仮説から、その現象を体験し、この様な現象が起こったのは、幽霊が存在するからだ、と結論付ける。というロジックでしょうか。当然、後件肯定の誤謬の可能性は知らないか、無視する訳ですね。
  3. 超能力を信じる。――これも、上記と同様です。超能力があれば、指先を軽く動かすだけでスプーンが曲がる、という仮説があり、スプーンが曲がったという体験から、超能力があるに違いないと信じる。力学的に不思議でも何でも無い現象なのに、科学の知識を「知らない」事が、超能力を信じる要因になる、という。
  4. 科学を信じる。――これは、現象の制御・予測・再現、等を、高い精度で可能にする知識体系であるのを「知る」事によって、外界は科学のメカニズムに従っているに違いない、と考える訳ですね。私はそれも、「信じる」に含めて考えています。たとえば、唯物論的一元論は、全て物質の振る舞いに還元出来ると「信じている」、とも言えるのではないかと思います。
  5. 友人を信じる。――友人の行動のパターンを観察し、自分を助けてくれる、思いやってくれる、裏切らない、という事を、確信する訳ですね。それは、論理的には飛躍ですけれど、取り合えず、「今までこうだったから今後もそうだろう」、と考える、と。「友人を信じる」と言うより、信じられる(他の、諸々の条件を併せて)人を「友人」と表現する、とは言えないでしょうか。

1についても、他と同じ様なものなのだと思います。神という概念そのものが多義的なので、色々なパターンがあると、考えられますけれど。

たとえば、発達心理学の実験から明らかになった様に、乳児でも、「物体が一瞬で消失する」というのは、「信じていない」訳ですよね。それは、「物体は一瞬で消失しない」のを「信じている」、とも言えます。当然それは、知覚経験を元にして形成された信念ですね。そこを通ってきた人間が、たとえば、自称超能力者の物体消失ショーを観て「本物だ」、と思うのは、世界に対する自身の知識からは説明出来ないから(そして、具体的なマジックの技法を知らないから)、ですよね。つまり、自分の知識からはずれた現象が起こる事を「知る」。世界についての知識を再構成するのだと思います。それが、「信じる」という事だと考えます。

あらゆる信念は、知識と経験から切り離す事は出来ないのではないかな、と思います。

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まっする。クラウド

『キン肉マン マッスルグランプリ2』公式サイト映像配信第11弾はキン肉マンと運命の5王子 / ファミ通.com

ビッグボディを出していいのか? だって、あのキャラって…。

どうでもいいですが、私が好きな超人は、アシュラマンとかソルジャーとかネプチューンマンとかです。

『FFVII』関連作品の原画や映像が出展される展示会が開催決定 / ファミ通.com

『VII』関連の作品、多いですねえ。私、『VII』をやったのと、『ADVENT CHILDREN』(以下AC)を観たくらいです。ACは面白いと思いました。大川透さんが出てるので、それだけで、観る価値がUPするのです。

キン肉マンマッスルグランプリ MAX Video Games キン肉マンマッスルグランプリ MAX

販売元:バンダイ
発売日:2006/07/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン (通常版) DVD ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン (通常版)

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2005/09/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年8月10日 (金)

それよりも

某ブクマ経由⇒制服の子に悪い…クールビズ廃止、西岡議運委長が突然提案 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

それより、子どもの制服を廃止すればいいんじゃない?

子どもの頃、何故自分達は自由な恰好が出来ないのだろう、という問いに、大人から与えられた、よく解らない回答(自分が言われたのを思い出して書いてます。うろ憶え)。

  • 子どもの頃は我慢が大切だ。
  • 子どもは風邪の子。冬には寒いくらいの恰好で、身体を鍛えるのが良い。
  • 服装を自由にすると、服を沢山買えない人が、白い目で見られる。
  • 子どもの分際で、贅沢を言うな。

こんな感じでしたね。

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こころの科学

ブログの紹介です。

認知的体験

認知心理学者の海保博之さんのブログです。大変勉強になります。

ログを纏めて読んでみようと思っているのですが、結構膨大で、更新頻度も凄いので、なかなか…。

新谷説が所々紹介されているのは、ご愛嬌。

「温かい認知」の心理学―認知と感情の融接現象の不思議 Book 「温かい認知」の心理学―認知と感情の融接現象の不思議

販売元:金子書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本、面白いです。オススメ。

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中性化?

ニューストップ > トピックス > 芸能 > 若槻千夏 > 若槻千夏、Coccoが堂々「うんこ」発言連発のワケ - Infoseek ニュース

「女性が中性化している」と分析する。

へえ。

「女性が開放的になり中性的になっている。今どきの女子大生は男性がそばにいても平気で『おしっこ』と口にする時代。女言葉が残っているのはテレビドラマの世界だけですよ」

ホント? いや、よく知りませんが。

Coccoさんの方は、単なるメタファーじゃないですか。それくらいは使うと思いますけど。音を発する事自体が、って意味なのかな。

言葉遣いが変わったとして、それ、中性化とか、そういう問題なんですかね。

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2007年8月 9日 (木)

きっかけの泡

思うに、殆どの人って、ビリーバーだった経験を持っているんですよね。そりゃそうですね。子どもの頃からオカルト系の情報に触れず、フィクションにも親しまず、徹底的に自然科学の勉強をしてきた(もしくは、養育者が徹底的に懐疑的で、オカルト本等を「教材」として用い、懐疑精神を叩き込まれた)、という人は、そんなに多くはいないでしょうから。

だから、「いつ懐疑に目覚めるか」、という事なんだと思います。当然、懐疑的精神を身に着けず、ビリーバーのままの人もいるでしょうし、徹底的にオカルトを排撃する様な所まで行く人も、います。それを両極として、色んな考えの人間が、分布しているのでしょうね。

きっかけも様々でしょう。何気無く、セーガンやガードナーの本を手に取って、書かれてある事に痺れたり、ニセ科学についてWEBで調べている内に、色々な考えを知ったり。

私もそうですが、ある程度の年齢になって、懐疑論者に「転向」した人が、結構いるのだと思っています。ホント、上にも書いた様に、些細な「きっかけ」なんですよね。

私のブログを読んで懐疑的精神に目覚めた、という人はいないとは思いますが(殆どの読者の皆さんは、そもそも懐疑的にものを考えていらっしゃる方々でしょうから)、そういう事について積極的に情報を発信して、少しでも興味を持って貰えればいいな、と考えています。

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2007年8月 8日 (水)

どっちだ

ふと思った。

私、文系なのか、理系なのか、どっち?

結論。

そんなもん、どっちでもいいよね。わざわざ自分は「何系」なんて、決める必要無い。

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水伝の呼び方とか

テクノラティで、「水伝」で検索すると、批判的なブログがヒットし、「水は答えを知っている」で調べると、概ね肯定的な紹介が見られます。

「水伝」が、ニセ科学について議論している人の間で使われる専門用語?的用いられ方をしているから、でしょうね。そういう議論を知らない人は、「水伝」と略す事自体も、知らないのですね。批判的に捉えている人には、「水伝」という略称が定着しているのでしょう。

ブログ検索をすると、水伝を肯定的に捉えているブログが、やはり一定数見られますね。信じるのは自由だ、としか言いようがありませんが、もうちょっと、「言葉」について考えてみて欲しいですよね。自然科学以前の問題として。dlitさんのエントリーを読んだりすれば、水伝のおかしさには気付けると思うのですが、そこまで辿りつく機会が、なかなか無いのでしょうね…。悩ましい事です。批判的な意見を冷静に見られるか、というのも、関係するでしょうし。ソシュール読んでみれば、と言う訳にもいかないしなあ。

一番いいのは、こーださんとかが、「『一般言語学講義』、おもろい!」とか言ってくれる事なんですけどね。…はい、妄想ですよ。でも、カリスマ性の高い人が、勉強するのを促して欲しい、という部分は、結構本音だったりします。良くも悪くも、影響は大きいのですから、科学的・論理的思考の大切さを促したりする様な人がいれば、いいですね。

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2007年8月 7日 (火)

民明書房

Yahoo!ニュース - スポーツ報知 - 「魁!男塾」実写映画化…坂口拓3役だ主演&脚本&監督

うーん、観たいような観たく無いような。

塾長は誰がやるんだ?

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メモ:合気

例によって、武術に関心の無い方には、全く意味の解らない文章です。出来れば、関心の無い方の感想も伺いたいのですが、書きようも無いですよね…(ここは解るがここの意味はさっぱり解らん、とかでもいいのですけれど)。

  • 「合気」という現象。ここでは、両手取りに限定して話を進める。
  • どの様な現象が起こるかを記述する。
    • 受けは力一杯、取りの腕を掴む。一点に固定し、そこから動かさない様にする。
    • 取りは、掴まれたまま、まるで掴まれていないかの様に、自分の腕を動かす。
    • その後、各種の技に移行する。
    • 具体的な技は置いて、この、「掴まれていないかの様に」という部分が、「合気」という部分だと言える。
  • ポイントは、取りが、「掴まれていないかの様に」、自分の腕を操作出来る、という所である。
  • これは、主観的な、「ぶつからない」とか、「抵抗を感じない」という言葉等でも表現される現象。つまり、一般的な、物を持ち上げる様な運動とは、「感じ」が異なる、という事である。
  • 外から観察して、腕を掴まれた人間が、自分の腕を自由自在に動かせる、と見える現象が成立するには、いくつかの可能性が考えられる。以下に記述する。
    1. 受けが、本気で掴んでいない。
    2. (上とも重なるが)取りが、相対的に強大な体力(筋力)で腕を「動かせている」ので、主観的な、「力のぶつかる」感じが無い。つまり、筋力をぶつかり合わせている、という事。
    3. 何らかの、生理学的・心理学的メカニズムが作用し、受けが、まともな筋力発揮を出来ない状態になっている。
    4. 何らかの、バイオメカニクス的メカニズムが作用し、受けが身体構造の弱点をつかれ、取りのわずかな筋力発揮による運動によって、力が出せない状態に追い込まれる。
  • 1:これは、人文・社会科学的メカニズム(高岡)による合気。即ち、「やらせ」に近い。論理的には、受けが意図的に軽く掴む場合と、無意識的に軽く掴んでいながら、思い切り掴んでいる様に思い込んでいる場合がある。
    • 上位者を立てようと、わざと軽く掴む。
    • 無意識的に、相手が技を簡単に掛けられるくらいの強さで掴んでいるが、自分では、そうでは無いと思っている。
    • 主観的にも強く掴んでいると思っているが、上達の度合いが低い為、掴み方の要領が解っておらず、結局、技が容易に掛かる。
  • 2:結局、受けが固定しようとする力に対抗出来る力を加える事が出来れば、腕は動く。腕相撲等と同様の論理。成人が、小学2年生相手に腕相撲をすれば、力を使っていない様な主観で、相手を手玉に取る事が可能である。一番目の現象が起こる為の、バイオメカニクス的な原因である。
  • 3:これはつまり、生理学的反射や、条件反応的なメカニズムが働き、身体が思う様に動かせない状態に陥っている、という事である。人文・社会科学的メカニズムとは異なり、「やらせ」的要素が無くなる。つまり、「動きたい」と強く考えても、何らかの生理学的な論理により、動く事が出来ない、という意味。
  • 4:人体は、解剖学的構造に規定された運動を行う物体である。従って、構造として、筋力発揮が行いにくい、力学的な、いわゆる「弱点」の様なものが存在すると考えられる。
  • 再び、「合気」について考える。それは武術的技法であるから、取りを制しようとする相手に対して、そうさせまいと、技を施す訳である。従ってそれは、取りと受けの目的が、相反する事を意味する。即ち、「受け:取りが腕を動かせない様にする」「取り:掴まれている腕を自由に動かす」、という具合に。
  • であるから、人文・社会科学的メカニズムによって成立する合気は、この議論においては排除される。なぜなら、人文・社会科学的メカニズムによる合気は、自然科学的・心理学的(社会心理学は除く)合理性を前提としないでも成立するのが条件なので、「受けが取りを、動かない様に制する」事が「出来ない」からである。受けが取りを動かない様に「してしまったら」、自然科学的合理性が必要条件となるから。
  • 次に、受けが取りより体力的に劣るから、取りが技を施す事が出来る、という場合を排除する。これは、武術家の共通認識として、「強大な筋力を用いる技は、駄目な技である」、というものがあるから。一般的に筋力の衰える高齢者の達人が、屈強な若い弟子達を、ものともせずに投げ捨てる、という現象を、高級な技と看做している。
  • これは言い換えると、高齢者に備わっている程度の筋力でも、高級な技が施せる筈である、というのを示している。当然、人文・社会科学的メカニズムは除外するので、科学的合理性が高い身体運動によって、達人技が成立する、と考えるのである。
  • 再び、両手取りを考えてみる。それは先ず、取りの両手首を、受けが両手で把持する、という状態から始まる。そして受けは、取りの腕が動かない様に、身体をコントロールする。
  • 取りは、両手を拘束された状態から、自由に動かす事が目的であるから、受けが力を発揮出来ない状態にしなければならない。それには、1)小さな力でも、生理学的な反応を引き起こす事が出来るポイントに刺激を与える(大東流琢磨会の、森恕師範が、この様な説を主張)か、2)バイオメカニクス的な、構造的弱点を攻め、力を出そうにも出せない状態に陥れる、という可能性が考えられる。
  • 1):相手が把持する掌のいずれかに刺激を与え、それが、力を出せないという身体的反応を引き起こす、という説。この説についての疑問
    • もしその様なポイントがあれば、相手の体力的な条件を無視出来、生理学的反応を利用した技法であるという意味で(という範囲に限定して)、大変に汎用性が高い。論理的には、ある程度の体力さえあれば、プロレスラーの様な体格の者をも制する事が出来るのだから。しかし、掌にその様な特異的なポイントがある、というのが、よく解らない。解剖学的・生理学的根拠が示されている訳でも無い。
    • 元々合気というのは「奥義」として取り扱われる様なものであるので、そこには「守秘」がついてまわる。即ち、仄めかしはするが、細かい論理は外部に出す事が出来ない、という具合に。また、達人技であるから、そもそも技法を体得している人間の数自体も少ない。加えて、現象が観察出来たとしても、それが人文・社会科学的メカニズムに拠らない、という事を論証するのも、難しい。だから、「どうしてそうなるのですか?」と問うても、秘密であると言われるか、全く科学的で無い説明体系を持ってこられるかの、どちらかになる。
    • 仮に、その様なポイントがあるとして、その様な繊細な刺激を、どんな状況においても駆使する事が出来るか。また、受けの精神状態によって、効果が変わるという事は考えられないか。
  • 2):相手が反抗しにくい所に力を加え、腕を操作する。この論理についての疑問
    • 構造的弱点を攻めるのは、ある程度合理的であるが、もし圧倒的な筋力差が存在した場合には、どうなるか。一般程度の体力の人間が、力士の様な者に掴まれたとして、技を施せるか。
    • 弱点を攻めても、受けは、腕や手指がコントロールしにくくなるという程度であるが、そこから、身体全体が動けなくなるとか、爪先立ちになるとかの、よく合気の技法の説明で出てくる現象へ、どう移行するのか。
    • 他人数掛けの問題。合気系武術には、自分の両手を4人に持たせて技を掛ける様な技法が存在する。その場合に、様々な方向から伸びている腕の解剖学的弱点を攻める、などという事が、果たして可能か。神秘的とすら表現される合気の秘技には、デモンストレーション的技法(技法のレベルを誇示するという意味。演技的という意味では無い)としても、他人数掛けがある。
    • 構造的な弱点、と言っても、人間は、多数の関節を持ち、それを脳で制御して運動させる存在である。従って、受けも、抵抗をし続ける。その様な状況下での技法に、謳われる程の汎用性があるか。
  • 武術的には、「汎用性」が重要である。相手がどんな体格であっても、どんな精神状態であっても、同じ様に出来る、という汎用性。汎用性が低い技法を「奥義」などと言う事は出来ない。その様な汎用性を満たす事が可能なのか。論理的に当然ながら、「合気」というもの自体が「幻想である」、という主張すら、考える事は出来る。否、寧ろ、武術に懐疑的な人は、その様な認識を持つ傾向が、あるのかも知れない。

合気について科学的に考えると、ざっと、これくらいの事は出てくる訳ですね。ポイントは、汎用性。誰にでもどんな状況でも出来るか。そして、体力的に強く無くとも出来るか。もしくは、高齢でも鍛えられる筋肉を主に使えば出来るのか。

私自身は、高岡英夫氏の論理が、有効であると考えています(意識操作除く)。もし高岡氏の仮説が否定されれば、合気という現象は、それ程の汎用性の無い技法であって、様々な神秘的説明は、全て幻想、もしくはお手盛り、或いは単に、受けの能力不足によって、相対的に、「技が出来てしまった」かの、いずれかであった、という事になります。高齢の達人が…というエピソードは、相対的に強大な体力の持ち主の話だった、という事になっちゃう訳ですね。

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2007年8月 6日 (月)

昔の人の想像力が豊かだったんじゃないんじゃない

何か、中学生だかが、ペットボトルを破裂させたとかなんとかいうニュースがありましたけど、それに対して、今の若者は想像力が欠落している、という人が出てきそうな予感。

でもあれです。昔の人が、自作の拳銃を作って撃ったとか、爆弾を作って教室で爆発させたりとか、そんな話もありますぜ。ホントかどうかは知りませんけど。あ、自作のラジオでミスって、近隣に電波障害を起こした、という作家さんもいますぜ。

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一球入魂

MORI LOG ACADEMY: 一球入魂って

「一球入魂」って、試合に使われる球の扱いに精神を集中させる、という意味なんじゃないですかね。「一つの投球動作」では無くて、「一つのボールという存在」、みたいな。だからもちろん、ボールがダメになって交換しても、一緒。

「一球一球に魂を込める」、という意味だとしたら、魂の容量が、投球動作毎に回復する、というイメージかな。ゲームやってる人なら、余裕でイメージ出来ますな。魂ゲージが増減していて、最高時にボタンを押すと、剛速球が投げられるとか。森さんのイメージだと、魂が複数あるか、一つの魂が削られているか、どちらかですね。MP(マジックポイント)ならぬ、TP(タマシイポイント←ツッコミ不要)。ただ一球に魂を全部込めるのは、マダンテ。

真面目な話、身体のコントロールや、どこに投げるか、というのを、疎かにしてはならない、という教えですね。投球動作は連続的では無いから、各動作毎に、最高のパフォーマンスが考えられる訳ですね。もちろん、ペース配分の問題は、ありますが。要するに、その時々に発揮し得る最高度のパフォーマンスを実現せしめるよう努力せよ、という教えですね。

あ、そうそう。

魂って、何ですかね?

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2007年8月 5日 (日)

読めない

幼児のボキャブラリー急増メカニズムに新説――米研究 - ITmedia News

ほう。

習得が簡単な単語を小さな瓶、難しい単語を大きな瓶に例えると、単語を繰り返すたびに瓶の中身が増え、中身がいっぱいになったところでその単語を習得できるというメカニズム。簡単な単語(小さな瓶)よりも難しい単語(大きな瓶)の方が多いため、習得できる単語(いっぱいになる瓶)がある時期に急激に増えるのだという。

うん、全く意味が解らない…。日本語として、どうかと思うんですけど。皆さん、読解出来ます? と思ったら、はてブに同じ様なツッコミが。あらきけいすけの雑記帳 - 要領を得ない科学記事を参照。

喩えなのに、全く具体的にイメージが出来ないって、どういう事でしょう。

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2007年8月 4日 (土)

ぱにっく

何か、しょこたんがパニクッてるみたいですね。ログを読むに、心霊現象的な事(←何それ)を体験したのかな? それで衝撃を受けているご様子。よくわかりませんけど。

いや、中川さん(←違う人みたいだ)は、オカルト的な事には懐疑的なんじゃないかなあ、なんて勝手な印象を持ってたので、ちょっと意外かな、と思って。でも、楳図かずおさんを尊敬なさっているみたいだし、元々そっち系を信じる方なのかも知れませんねえ。

ちなみに私は、子どもの頃、『恐怖新聞』とか『エコエコアザラク』とかに、やられました。あんなもん、小学2・3年生が読むマンガじゃあ、無い。怖いなんてレベルじゃありませんからね。精神衛生上、あんまり良く無いです(笑) 後、魔太郎とかにもやられましたけど。他にも、『ブラック商会変奇郎』とか『うしろの百太郎』とか。…うーん、凄いラインナップだ。超ネガティブなマンガばっかり。

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お、このエントリー、1000番目だ。よー書いてますなあ。

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2007年8月 3日 (金)

教育

文系白書ブログ: 僕が何故ニセ学位を許せないかを書いておく。

全く賛成。

ところで、素朴な感想として、(勉強せずに)金で学位を手に入れるという心性自体が、私には理解出来ないですね。まあ、色んな事に「役に立つ」から、なんでしょうね。学問を修めたいとか、教養を深めたいとか、研究に邁進したいとか、考えてもいないのでしょう。

通信制の大学に対する一般の印象は、薄いものなのかも知れませんね。放送大学が、放送技術等に関連する教育を受ける大学だと思っている人も、かなりいますし。経済的な事情で進学出来なかったとか、ある程度年齢がいってから、勉強したいと考えた、という人にとっては、通信制大学というのは、大変に魅力的な選択肢です。だから、もっと充実させるべきですよね。そういう選択肢を選ぶ人というのは、学問に対する熱意が非常に高かったりするのですね。まあ、一般に当てはまる訳では無いかも知れませんが。面接授業の様子を見てみれば解ります。私語とかあり得ませんから(ちょっと言い過ぎか)。

あとね、自然療法の人達は、現代医学を否定するのなら、同じ土俵で勝負しなきゃね。
箱庭の中で、全然再現性の無いトンデモばら撒かれても迷惑なだけですよ。
多分、現代医学を否定すると共に、現代科学の方法そのものをも、否定するのでしょうね。大変厄介ですね。土俵に上がる必要がそもそも無い、とか言っちゃうんですものね。代替医療と分類されている分野について真摯に考えている人は、科学的なエビデンスについても真剣に考えておられますが、そういう真面目な人達の足を引っ張る事も、あるのでしょう。

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肥大する自尊心と、自尊心を守る為のストラテジー

思弁を巡らせる。

これは、他の人も考え付かない事に違い無い、という認識に至る。

その認識が、確信に変わる。

他に同じ様な考えを持った人がいるか、そういう考えが書かれた本があるか、等を調べず、自説を展開していき、確信を深める。

自分の能力が優れていると考え、他人の認識力を見下す。

他人に、自説に対して批判的な指摘を受ける。

攻撃、あるいは非難されたと感じる。聞く耳が持てない。

攻撃されているのは、自身の説が優れていて、それを認めたく無いからなのだ、と考える。

調べてみた方が良い、という指摘にも耳を貸さない。

批判が蓄積する。

益々、排撃されていると感じる。

思考が凝り固まる。閉じてしまう。

他人からの忠告を聞かないというのは、論破されない為の方略。自説を自分勝手に展開していれば、負けようが無いから。そう、負けたく無いのだ。

それは結局、自身が考えたものが大した事無いのだというのを思い知る、という経験を、したく無いから。

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2007年8月 2日 (木)

ロボットの形をしたパズル

+D Style:「トランスフォーマー」

私は、ものの仕組みがどうなっているか、という事に、とても関心を持つ方ですが、その心性を醸成したのは、間違い無く、テレビゲームとプラモとトランスフォーマーです。

トランスフォーマー、説明書を見ずに変形させようとすると、かなり頭を使うのですね。パズルと一緒で。で、プラスチック製ですから、「バキッ!」といかない様に、気をつけなくちゃいけない訳です。手先も繊細に使うんですよね。私、買って貰った変形もののおもちゃを、その日の内に、胴体から真っ二つにしてしまった事が、あります(笑) にがーい経験。マシンロボなんかは金属製で、結構丈夫でしたが。

今はそんな事も無いですが、子どもの頃は、変形ものフリークだったのです。ガンダムでも、一番好きなモビルスーツは、ZとZZでしたし(今は、キュベレイとかゼフィランサスとか)。ヴァルキリーも好きでしたねえ。アニメ(初代)観てないのに。

で、変形ものの憧れのキーワードが(解らない人には解らない)、「完全変形」。「差し替え無し」という文句に、どれだけ心惹かれた事か。「何、頭部差し替え無しで、胸部へ収納出来るのかっ!」とか。いかに「部品があまらない」かが、ポイントなのです。今は、MGのSガンダムが出たりして、いい時代になったものです。

…あれ、何の話がしたかったんだ?

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2007年8月 1日 (水)

恐竜本

本屋に行ったら、児童書コーナーで、恐竜関連の書物のフェアっぽいものをやっていたので、何冊か、めくってみました。

私、子ども向けの本は、ビジュアルをふんだんに用い、わかりやすさを重視して書かれているので、大人向けの本より余程参考になる場合がある、という持論があります。そもそも、知識がほとんど無い子ども向けの本なのですから、そういう所はより意識されるのではないかな、と。だから、全然知らない分野についてなら、子ども向けの図鑑とかを読むのも良いですよね。

で、色々見た感想としては、豊富なイラストが用いられていて、丁寧な説明があり(当たり前ですが)、とても面白いですね。ああいう本を集めてみるのも、良いかも。古生物学関連に興味を持つと、ハマるかも知れませんねえ。

そうそう、ああいった本の中の、大部の物のイラストって、凄く沢山のイラストレーターの人が関わっているのですね。一冊の本の中に、色々なタッチのイラストがあって、面白いです。

イラストを見ていて、「このイラストは、何か、説得力を感じるなあ(骨格や力学が感じられる)」、と思って調べてみると、ことごとくcorvoさんの手によるものだった、というのは、ここだけの話です。

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あわせて読みたい

poohさんとdlitさんが使っておられたので、私もやってようかな、と⇒あわせて読みたい - あわせて読みたいについて

右サイドバーの一番下に、貼り付けました。

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