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2007年7月17日 (火)

理解が出来ない行為

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 1歳半の二男を畳に投げ落とす、母親を傷害致死容疑で逮捕

私には子どもはおりませんけれど、親戚の子や友人の子と接する機会はあります。で、そういう経験からすると、小さな子どもを畳に投げ落とすとか、認識不能の行為です。想像自体出来ない。かっとなってとか、そんな問題では無いです。どんな心理状態であっても、それは絶対に出来ないという、そういう行為ですから。

各家庭の事情とか、母親の心理状態とか、いかなる理由も、この行為を正当化する事は出来ません。

子どもを投げ落とすんですよ。あんな壊れ易く、尊い存在を。私には理解出来ないし、しようとも思えないです。

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随想」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
理解不能ですか。ううむ。おそらくTAKESANさんは「想像を絶する」ということが言いたいのかな、と勝手に解釈しつつ、関連エントリを書いてみましたのでトラックバックいたします。

もし「そんなことはとっくに知っていて、そのうえで言ってる」ってことだったら、もうてんで大きなお世話で恐縮です(で、その可能性が高そうだなあ、と思ってもいるんですけど)。ま、その場合でも、誰かの役には立つかもしれないから、それはそれでよしで(汗

自分だったらと考えると……うーん、自殺や心中をはかることはあっても、殺そうとは思わなさそうなんですが、そもそも「かっとなって」だから、殺そうと思ったんじゃないだろうしなあ……。というわけで、ぼくだってちゃんと理解できる気はしないんですけどね(大汗

投稿: 亀@渋研X | 2007年7月17日 (火) 16:49

 私も亀@渋研Xさんと同じような感じで考えています。「理解できない」という感想は理解できるし、実際「ありえない」と思いますが、異常者でない人が、こういうことを起こしても不思議ではないといった感じです。

 「24時間×年単位」の重さは並大抵ではないですから。

投稿: newKamer | 2007年7月17日 (火) 19:01

亀@渋研Xさん、今晩は。

改めて、自分の認識を説明しようと思って書こうとしているのですが、なかなか、上手く言葉が出てこないですね…。

「理解不能」というのは、それぞれのケースの事情等を論理的に認識する事は出来るけれども、それを実感のレベルで想像する(自分がする事があり得るかも知れない、と考える)のは無理だ、という感じでしょうか。そういう意味で、とても感情的な書き方だと思います。お書きの様に、「想像を絶する」が、適切かも知れません。

もちろん、私には子はいないので、まず前提として、「自身の子どもがいる」、「自身の子を育てる」という経験が無いので、これもまた、想像によるものです。

子育てに悩んだ経験がおありの方の中には、本エントリーを読んで、経験が無いのに適当な事を書いている、という印象を持たれた方もおられると思います。それを意識しつつも、こういう内容を書きました。寧ろ、自身の実感(実感出来ないという実感)を吐露したかったのかも知れません。

すみません、なんか纏まっていないですね。
こういう問題や、いじめについては、自分の実感に基づいて書く事が多いのですが、一応、冷静な見方も出来ているかな、というのは、自覚しています。普段、実感や経験を相対化すべきだと、くどいくらい主張している人間なのに、こんな書き方をするのは、一貫していないですね…。

投稿: TAKESAN | 2007年7月17日 (火) 19:03

newKamerさん、今晩は。

私は多分、亀@渋研Xさんがご指摘の事は認識した上で、書いたのだと思います。でも、それを敢えて本文に入れなかった所に、割り切れなさと言うか、納得のし難さを含めたのかも知れません。納得というのはもちろん、そういう事もあるよね、という諦観では無いですけれど。

自分の行為に対して、「かも知れない」などと書いてしまうくらい、悩ましさを感じています。

投稿: TAKESAN | 2007年7月17日 (火) 19:13

そうだ、これは補足しておかないと。

私はこのエントリーで、母親の精神状態(何らかの病気であった可能性も含めて)を、特に想定してはいないです。もしかすると、「理解不能だ」という部分から、「理解不能な行為を犯した母親は、異常者であったのだ」、と主張していると読まれる可能性もあるので、一応。

私の主張したかったのは、この行為自体――子どもを投げ落とすという、具体的行為そのものに対する戦慄、だったのだと思います。腕に抱かれた子どもを、高い所から投げ落とす。腕の力を抜き、あるいは腕を振り、子どもを身長の何倍かの高さから落下させる。その行為に対して。

やはり、極めて感情的な文章ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年7月17日 (火) 20:01

こんばんは
 
ひとが他者の行動を理解するとは難しいですね。
 
ひとつは行動に至るプロセスを想像ししトレースする事ができたと認識すること。
そして「行動に至るプロセスを想像ししトレースする事ができたと認識すること。」を他者と結びつける事で、理解不能な恐怖から自らを解放することなんじゃないかと思います。
 何でも良いから理由が欲しい、理由なき行動はトレースできない、問題行動だったら防御できない、だから理由を後付けで生み出してしまう、なんて事はあると思います。
 

投稿: FREE | 2007年7月17日 (火) 22:49

TAKESANさんが感情的に書いたというわけではないと思ってはいるんです。ただまあ「理解できない=異常者の犯罪」と読まれる可能性はあるかと思います。

TAKESANさんの「割り切れなさ」というかもどかしさを、少なくともぼくはなにがしか受け止めることはできているようには思います。同じような心境になることは、ぼく自身も少なくないし(吉村医院の件とか)。
知識として知っていることをあえて書かなかったのではないか、おそらくそうだろう、ということは「各家庭の事情とか、母親の心理状態とか、いかなる理由も」というあたりからも、想像はできました。
このblogの他の記事やkikulogでのコメントを読んでいなければ、かなり悩んだだろうとは思いますが。

すでに書いたように、ぼくも「実感をともなって」という辺りになるとアヤシイのですよね。自分の感情が制御できなくなって、発作的な行為に出る可能性なんかないとまでは思えないし、しかし、それにしても本当になし得ることだろうか、とも思える。

逆のケースを考えても同じです。たとえば家族が生命の危機に陥ったら自分の身をなげうって救おうとすることが可能か、特に「敵」を殺せるか。こういう類いの問いにも、同じような答えしか出せません。冷静な判断ができなくなるだろうとは思っても、その結果、どんな行為に出てしまうのか……。どんな想像をしてみても、自分に対して説得力をもたないんですよね。

投稿: 亀@渋研X | 2007年7月17日 (火) 22:56

FREEさん、こんばんは。

>理由を後付けで生み出してしまう

ありがちで、なおかつこわいですね。自分の生活実感を裏切らない「説明」あと、無批判にうのみにしちゃいそうな危うさや、自分をだましちゃいそうな危うさは、常に感じています。
なにしろ禁煙ひとつできないわたしなので(汗

投稿: 亀@渋研X | 2007年7月17日 (火) 23:06

FREEさん、今晩は。

仰る通りだと思います。

私は、色々な事をトレースして認識しようとする方なんですよね。
で、今回の件は、後付けの理由を想像する事は出来るけれども、それと、あの行為そのものに至るという所の間に、断絶を見ているのかも知れません。

もしかすると、「ここに共感(という言葉も、ややこしいですが)するのは駄目だ」、という、強い抵抗感の様なものが、あるのかも…。

投稿: TAKESAN | 2007年7月18日 (水) 00:40

亀@渋研Xさんへ。

ああ、このエントリーは、普段読んで下さっている方は、色々汲み取ってもくれるかな、とも考えましたし、その他の方には、誤解されるかも知れないな、とも思いながら書きました。ある程度感情を出す事で、主張の強さを表したかったとも言えますね。確かに、不用意な書き方でもあります。

▼▼▼引用▼▼▼
逆のケースを考えても同じです。たとえば家族が生命の危機に陥ったら自分の身をなげうって救おうとすることが可能か、特に「敵」を殺せるか。こういう類いの問いにも、同じような答えしか出せません。冷静な判断ができなくなるだろうとは思っても、その結果、どんな行為に出てしまうのか……。どんな想像をしてみても、自分に対して説得力をもたないんですよね。
▲▲引用終了▲▲
もしかすると、私がああいう書き方をしたのは、自分に言い聞かせるという意味があったのかも知れません。いかなる正当化も出来ないと認識する事によって、後からの理由付けの余地を無くそう、という。

投稿: TAKESAN | 2007年7月18日 (水) 00:54

寛容でありたい、なるだけ共感を心掛けたい、と思う心と、ああいった行為は正当化されるべきでは無い、という心が、せめぎあっているのかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年7月18日 (水) 00:58

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