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2007年7月27日 (金)

血液型性格判断

私の、現時点での、血液型性格判断(及び、それをニセ科学と看做す論拠)に関する認識を書きます。ご意見を頂きたいです。

血液型性格判断と性格相関の違い。

関連はあって良い、傾向もあって良い。しかし、それと、ABO式血液型の情報のみから性格を当てるというのは、全く別の事だ。

多くの研究で、血液型間の性格差について有意差が見られない、つまり、「差が無いという仮説を否定するだけの充分な根拠が見出されなかった」、という結果が出ているのだから、血液型から性格を当てられるだけの関連は無いと看做すのが、論理的に当然の帰結である。

ステレオタイプの問題がある。社会的に、「○型は△だ」、という認知が形成されていて、それが実際の性格形成に影響を与える、という理論。もしそうであれば、性格形成に環境要因が大きく寄与している事を意味するから、「血液型と性格との間に、(生物学的な)強い関連は無い」という事の論証になる。これは、「ある血液型の人には、特定の性格の人が多く見られる」、という主張とは異なるが(後者は、メカニズムを棚上げにして、分布に言及しているだけだから)、これ自体、上に書いた様に、反証されている。そもそも「ニセ科学」として批判されているのは、「血液型”性格判断”」だという事を忘れてはいけない。否定されているのは、「血液型が性格と生物学的に関連する」という言明では無い。

では、もし今後、多くの研究で、血液型間で、性格の分布に有意差が見られ、それが強く関連する事が見出されればどうするか。その場合には、血液型性格判断が、信頼の置ける科学的理論だというのが示されたという事になる。それだけの話だ。ニセ科学というのは、科学的に実証されていないにも拘らず、実証されたかの如く主張されたり、周知されたりする説の事だから、現時点での「ニセ科学」という評価には、何の関係も無いのである。ところで、上で仮定した、今後の研究で強い関連が見出される、というのは、1)ステレオタイプの効果の強さを認める 2)それまでの研究にことごとく不備があった(ので、生物学的な関連を見落としていた) のどちらかを意味するので、そもそも起こり得るのかは、疑問である。ステレオタイプが性格形成に影響を与えるとして、それが、性格判断が出来る程のものになるかどうか、というのも、難しい問題だが。

実は、ABO FAN氏も、興味深い論点を出してはいるのである。それは、「どの様な研究で、どの様な結果が出れば、”血液型から性格を言い当てる程の強い関連が見出された”と言えるのか」、という事だ。これについては、そもそも、血液型性格判断を主張する人、あるいはその支持者が、統計学的・心理学的にまともなデータを出していないので、批判者がわざわざ出す事でも無いのだが、科学的考察としては、大変興味深いものではある。

ABO FAN氏のロジックはこうです、多分――ABO FAN氏:ある程度信頼のおける心理学的研究において、性格特性と血液型の分布について、有意差が見られた。これは、「関係あるデータ」と言えるのではないか→批判者:少ない項目について有意差が見られただけで、しかも結果が安定していないので、強い関連があるとは言えない→ABO FAN氏:では、「血液型から性格を言い当てられる程の関連」とは何か? どう定義されるか→批判者:そもそも、有意差すら安定的に見出されていないので、強い関連がある事自体、否定出来るのだ→ABO FAN氏:いや、だから、「血液型と性格に関係あるデータ」を示しているのだ……以下ループ

以下、追記

分布に偏りが出る場合、次の三つの理由が考えられる。

  1. 血液型と性格に、生物学的な関連があり、それが現れている。
  2. 血液型と性格に、生物学的に強い関連は無いが、偶然偏っている。
  3. 社会的認知(ステレオタイプ的な)により、自己成就現象が起こり、分布が偏っている。

上記のいずれの理由であっても、大きな偏りさえあれば、「血液型から性格が当てられる(逆も)」という現象は、起こる。血液型性格判断を肯定する主張をする場合、上記のどの論理を根拠にするか。それをしっかり分けて考えているか。一般的には、1.を想定していると思われるが。

思考実験。たとえば、悉皆調査をして、日本に住む全ての人に、信頼性・妥当性の高い性格検査を行い、血液型と性格についての分布に関するデータが得られたとする。その場合、データをどう解釈するか。記述統計の範疇なので、検定などの問題では無くなる。尤も、論理的には可能だが、実際的には不可能な調査であるけれども。

本質的な問題。「性格から血液型を言い当てられる」という現象を、どう定量化するか。難しい。

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コメント

「俺を説得できるだけの証拠を出せよ。俺が説得されなきゃ無効だからな」といっておいて、「どんな証拠が出されれば説得されるか」については情報を出さずに自分のなかに条件を保留しておく、という。

ちょっとあからさまに云うと、これはやくざのメソッドですね。

投稿: pooh | 2007年7月27日 (金) 07:48

poohさん、お早うございます。

私の考察は、恐らくそれ程はずれてはいないと思いますが、ご本人は、どれくらい自覚しているのでしょうね。kikulogでも散々指摘されていながら、あの反応をしていたのを考えると、解ってやっている様にも思えませんけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年7月27日 (金) 09:47

> poohさん
 ABO FAN氏の目的は、偉い否定派の学者に血液型性格判断が正当だと認めさせることにありますから(kikulogなどの議論においては)、「どういったデータがあれば認められるか?」といった質問自体は非合理ではないと思います。

 ABO FAN氏は議論において「血液型性格判断が妥当か?」には全く興味がないんです。これは自分の間違いが指摘される可能性にも興味がないということです。相手をどう論破するかにしか興味がありません。

 私は、批判側も「血液型性格判断の妥当性」と「ABO FAN氏の論破」というふたつのちょっと違った方法が必要なことを、ごちゃ混ぜにして行っているように見えます。

 この先の考えがまとまらないので、中途半端ですが以上。

投稿: newKamer | 2007年7月27日 (金) 09:59

本文に追記しました。

投稿: TAKESAN | 2007年7月27日 (金) 10:07

 もうちょっと。
 議論が「半信半疑のギャラリー向け」であれば、ABO FAN氏を全く無視し、きちんとした考え方を伝えるべきだと思いますし、「ビリーバーのギャラリー向け」であれば、正面からABO FAN氏と議論すべきでしょう。

 そして、これが重要ですが(笑)、私はABO FAN氏とは議論したくないです。そもそも「血液型性格判断」の定義って結構困難な話だと思うんですよね。
 「積極的根拠がなければ却下」というルールが分かっていない人と議論するのは、それだけで骨が折れるのに、ABO FAN氏は日本語での意思疎通に問題があるようなので。

投稿: newKamer | 2007年7月27日 (金) 10:12

> newKamerさん

> 「どういったデータがあれば認められるか?」といった質問自体は非合理ではないと思います。

そのとおりです。もっとも妥当な対応です。
なので、戦術的には、「そこが明らかにならない限り議論にはならない」と云う事実を明確に示し続ける(あの場の議論できくちさんの取り続けた)メソッドが正解です。

「そこを明確にすると負ける可能性が出る→負けないために明確にしない」と云う姿勢がはっきり見えてしまうと、その時点で「負けたくないから明確な議論をしない」と云うスタンスであることが丸見えになってしまう、と。その時点で既に「論者」ではなく、したがって主張は「論」ではなくなるんですよね。
自分で自分のやっていることがつねに分かっているとは限りませんが。

で、ぼくは「この種の議論を行う人間の『論』なんてこの程度のものだ」と云うのを公開の場で示すのは特に無意味なことだとは思わないです。

投稿: pooh | 2007年7月27日 (金) 10:22

newKamerさん、お早うございます。

私としては、「ABO FAN氏の目的」がそもそも、捉えどころの無いものだと思っています。これは端的に、「あなたは何がしたいのですか?」と問うても解らない、という事ですね。あまりにも主張がバラバラで、掴めない。
だから、きくちさんは、まずABO FAN氏に問いかける事によって、主張を明らかにして貰おうとされた訳ですね。それも、上手くいきませんでしたが。

 >「どういったデータがあれば認められるか?」といっ
 >た質問自体は非合理ではないと思います。
これは、全くその通りです。ですが、氏の場合は、自身の曖昧な主張と絡めた上で、その様な問いかけをするのでですよね。私は、その質問に誰も答えなかったのは、皆さんの戦術だったと思っています。ABO FAN氏の主張を明らかにさせない内に、その議論に乗ってしまっては(たとえば、定義は難しい、と言ってしまっては)、つけ込まれる、あるいは、都合良く利用される可能性があるので。

確かに、ごちゃ混ぜにしてしまっているという所も、あるでしょうね。たかぎFさんも、こちらにお書きになっていましたし、私も書いたのですが、まずABO FAN氏の矛盾を指摘するより、短く質問して、主張を何とか引き出すべきだ、という話がありました。ニセ科学として血液型性格判断を議論するのは、また別の論点ですしね。

ABO FAN氏の論破は不可能でしょうね。元々破れているのですから。

投稿: TAKESAN | 2007年7月27日 (金) 10:24

>newKamerさん

私も、議論は出来ない、と考えています。なので、上にも書いた様に、徹底的に訊く、というのが、一つの有効な手段かな、と考えました。

仰る通り、性格判断の定義は、大変難しいと思います。

-------

>poohさん

上にも書いた様に、きくちさんの採られたやり方が、あの場では、最も妥当だったと考えています。

ところで、
 >「負けたくないから明確な議論をしない」と云うスタ
 >ンス
を、ABO FAN氏が自覚しておられれば、ある意味解り易いのですよね。解ってて議論を回避している、という事になるので、何だ、ダメダメな論法じゃないか、って。
これはあくまで憶測ですが、ABO FAN氏、そういう自身の心理に気付かない様な、無自覚的な方略を採っているのかも知れません。自分の矛盾に目を向ける前に、他人の揚げ足を取る、とか。
完全に解っていながら、ああいった一連の論理展開を行っているとすれば、それはそれで凄いですが。

投稿: TAKESAN | 2007年7月27日 (金) 10:36

破れているものを、更に細かく千切っても、あまり意味が無いんですよねえ…。

投稿: TAKESAN | 2007年7月27日 (金) 10:40

『RikaTan』に、ニセ科学の特集が載っていましたが、その中の、きくちさんが書かれた文章、お手本の様でした。素晴らしい。

投稿: TAKESAN | 2007年7月28日 (土) 15:47

kikulogに書いたコメント、ちょっと喩えを思いついたのですが、ちと微妙な気がするので、カットしました。で、こっちに書いてみます。

 >ニセ科学問題という具体的な知識を知らしめる事に
 >よって、それがいち早く広まる事が、期待されてい
 >るのだと思います。
この後に、
  変な喩えですが、TOSSが水伝を浸透させた様に、
  ニセ科学の知識を、現場の方々に浸透させる、と
  いう。
という意味合いの事を書こうとしました。
微妙。TOSSのやり方を喩えに用いるな、って絶対言われる。

投稿: TAKESAN | 2007年8月11日 (土) 00:58

左巻さんのコメントの最後の文が、凄く気になるんですけどー。

投稿: TAKESAN | 2007年8月11日 (土) 23:08

kikulogの、「血液型と性格」エントリー。
ナルトさんのコメントが、一体誰に向けられていて、そして結局何を主張したかったのか、というのが、全く理解出来なかったのです。何か、他人の書いた文章を精読していないとしか思えない様な書きぶりですね。他の方の文は、ちゃんと読まれていないと感じます。

ところで。
自分の身の周りの観察や体験を敷衍し、一般論を語るのは、厳に戒めなければならない。これは、常に心に留めて置くべきでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年9月18日 (火) 02:16

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