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2007年7月23日 (月)

区別出来ないのはどっちだろう

PSJ渋谷研究所X: ドリームガールズと霊能捜査官

子どもだったぼくは「そんなもんを本気で現実と混同するバカな子どもなんかいない」「マンガと現実の区別がつかないマンガ読みなんかいない」なんて思ったものだった。

それと共に、「そんな混同をする奴なんて、本当のマンガ読み(今だとゲームとかも)じゃ無い」、という考えも持ったりしますね。要するに、愛好者同士でそういう共通了解を持つ事が、そんなアホな読み方するなよ、という要求にもなる訳です。

もちろん、フィクションに触れて、「そういう事はあるかも知れない」、と思うのは、大いに起こり得ます。しょっちゅう、と言ってもいいでしょうね。でもそれは、「混同」とはちょっと違う。思う事と、それを現実の生活で実行する事は、違うのですね(もっと正確に言うと、「区別が出来なくなって」実行する、という事です)。で、「そういう事はあるかも知れない」、という子どもの疑問に答えるのは、オトナの役割でしょう。でも、そのオトナが、現実と仮構を区別出来ないのだ、と騒ぎ立てたり、フィクションの、現実には起こり得ない部分についてちゃんと説明出来なかったり。時には、オトナ自体が、コロッと行っちゃう訳ですね。

バーチャルと現実との区別が出来なくて云々…と言うその口が、ニセ科学的な健康グッズについての効能を嬉々として語ったり、超能力捜査の可能性を強く信じて、その手の番組に、現を抜かしている(←敢えてこう表現)のです。これって結構、滑稽でしょう。果たして、ありそうも無い事を信じ切って、現実と混同しているのはどちらか。

私達は、知っています。フィクションにどっぷりと浸かってきたから、どんな話があるか、どういうパターンか、そういうのを、類型として捉えています。いかに現実と乖離したものを尤もらしく見せるか、というのが、クリエイターの腕の見せ所である、というのも考えます。要するに、現実を知っていないと、話にならないんですね。メタなんですね。メタで無いと、対象に振り回されているというネガティブな評価を、受けちゃいますから。そういう意味で、子どもの頃から、鍛えているのですね。

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コメント

少し前にapjさんのところで「きくまこ氏のような筋金入りのSF者はトンデモ耐性が高い」と書いたのって、TAKESANさんがこちらのエントリに書かれたような意味合いだったんですよね。

まぁぼくも無防備と云うか、「フィクション慣れしている人間はなまじの安いフィクションには騙されない」と云うのが共通認識だと思い込んでいた部分があるので(^^;、ほかのコメンテーターのみなさんの反応に実は結構まごつきました。「この世に不思議なことなどなにもないのだよ」じゃないですけど、怪力乱神を語り慣れた人間は基本的に簡単に騙されたりしないと思います。

投稿: pooh | 2007年7月23日 (月) 19:51

poohさん、今晩は。

▼▼▼引用▼▼▼
「きくまこ氏のような筋金入りのSF者はトンデモ耐性が高い」と書いたのって、TAKESANさんがこちらのエントリに書かれたような意味合いだったんですよね。
▲▲引用終了▲▲
だから、「筋金入り」とお書きになったのですよね。筋金が入っていないSF者では駄目な訳で(笑)

色々知る事、が重要だと思います。何でもありって訳でも無いですが、小さい頃から色んなものに触れていて慣れた、という部分があるのですよね。そこを考えず、よく解らずにものを言うオトナもいますよね。私達の年代の人間は、そういう意味で、オトナを結構、バカにする様な所もあったり…。それはそれで、問題ですけれど。
力を見せ付けるオトナが多いといいんですよね。もちろん、その力は、「知力」な訳ですが。

投稿: TAKESAN | 2007年7月23日 (月) 23:57

こんばんは.
ゲーム脳を真に受けてそうなおじさんおばさんのほうが,ドラマと現実の区別がついてなさそうな印象がありますね.なんかこう,いろんなことを「真に受けすぎ」なかんじ.
「北の国から」を真に受けて中嶋朋子に「蛍ちゃんいつ東京に出てきたの?」なんて話かけちゃったり,鬼教師役がはまってたからって天海祐希に「教育再生会議」の有識者委員を打診しちゃったり.
自分が区別つかないから,子供も当然区別できないと思うんでしょうね.

投稿: たかぎF | 2007年7月24日 (火) 00:20

たかぎFさん、今晩は。

昔よく聞いた話ですけど、ドラマでわるーい役を演じている人(プライベート)に遭遇して、その役の人間であるかの様に看做して罵倒した、とかいうのは、ありましたね。石を投げたり、とかも。まあ、本当の事かは判らないですが(芸能人のネタかも知れないし)、結構象徴的なエピソードですね。

「真に受け」過ぎ、というのは、感じます。「偉い人」が言ってる事を信じ切っちゃったり。(以降、ちょっと書き過ぎかも知れないですが) サブカルチャー等に触れる訳でも無く、かと言って、科学的認識力を鍛えた訳でも無く、という人は、鵜呑みにする傾向があるのかな、という印象を持っています。私がよく書く、「実感としては寧ろ、オトナにリテラシーが無い様に見える」、というのは、こういう考えからですね。天海さんに委員を依頼するなんて、愚の骨頂ですものね。教育現場をドラマだと思ってるのか、という感じです。

 >自分が区別つかないから,子供も当然区別でき
 >ないと思うんでしょうね.
これ、まさにそうだと思います。自分が区別出来てないから、他人もそうだと思い込む。自分がよく解らない(←ネガティブな意味)ものだから、それに触れる人も、よく解らない。

想像力の欠如かな、と。フィクションに触れて想像力を鍛えて、現実と仮想を区別出来ないという馬鹿げた主張を笑う、という所まで含めて、「筋金」な訳ですね。その筋金が入っていない。かつ、科学的認識力と自然科学的知識という筋金も入っていない。フニャフニャですね。

うわ、やっぱ書き過ぎかも…。ちょっと調子に乗っちゃいました。

投稿: TAKESAN | 2007年7月24日 (火) 00:44

多分、「荒唐無稽な話は受け付けられない」という理由でSF的なものやオカルト的なものを退けるっていう流れが、かつてはあったんですよね。ある種の保守主義というか。
だけど、その多くがいろんな意味で無力化されちゃったんじゃないでしょうか(権威主義的だったからとか、いろんな理由があるのでしょうけれども)。そして無力化にはぼくら辺りの世代も一役買っちゃったんじゃないか、なんて気がします。
その結果、「真に受ける人」を増やす側に力を貸しちゃったんだったら、ちょっと忸怩たるものがあるなあ、とも思います。

投稿: 亀@渋研X | 2007年7月24日 (火) 12:22

比較的若い世代になると、「他人の言う事を真に受ける」事そのものに、ネガティブな評価を与えたりしますね。でも、これにもちょっと問題があって、それが論理に裏打ちされた健全な懐疑なら良いのですが、猜疑や嘲笑の対象としてしまうという、負の面もあるんですよね。
こういった傾向が、ある程度一般的に見出されるとすれば(実感としては、そう思います)、それを醸成したのは何なのかなあ、というのを考える事もあります。サブカルチャーの一般化とWEBの普及の影響は、大きい気がします。

本当は、データも無しに、こういう論を展開するのは、あまり良い事では無いのですけれど…。でも、世代間による傾向の違いというのはあると思うので、それを考えるのは興味深いと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年7月24日 (火) 12:52

自然科学的知識とか直接関係ないと思います.それ以前の問題というか.

いろんなレベルで区別がついてないんですよね.
フィクションと事実の区別,願望と現実の区別,自分と他人の区別.
メタ認識ができない,っていうことなのかなぁ.例え話がうまく通じないタイプなんじゃないですかね,こういう人.
うーん…若い人にもいるような気がしてきた.

投稿: たかぎF | 2007年7月24日 (火) 22:53

こんばんは。
子供の頃から物語に親しむ、っていうのは結構重要だと思います。何故なら、フィクションをフィクションとして楽しむというのが、かなり高度な知的作業だと思うからです。自分の脳内に物語世界を構築して、そこに深く入り込む。入り込まないと楽しめないけれど、同時にそれを外から見ている自分も意識している。皆さんが言及されているように、そうしたメタな認識が出来ないと十分にフィクションを楽しめない訳です。
逆にそういうメタ認識が出来れば、荒唐無稽であっても馬鹿馬鹿しいと思っても、それなりに世界に入り込んで楽しめる筈です。更に、良質なSFというのは荒唐無稽に見えても整合性のとれた世界観を重視していますから、非現実的だけど強固な仮想世界を構築するには都合が良いですよね。そしてそういうメタ的な思考様式が自然に身についていく事によって、自己を客観視したり、多面的な物の見方を身に付けたり、二分法の罠に陥らなかったり出来るのだと思います。

投稿: PseuDoctor | 2007年7月24日 (火) 23:33

こんばんは
 
空想を真剣に楽しむって結構論理的だと思うんですよね。PseuDoctorさんがおっしゃるとおり、この空想の世界では論理的に正しい行動が、正しいと思えないと「ご都合主義」って思えて、出来の悪い作品にみえてしまう。現実の世界の論理と空想の世界の論理を分けて考えないと楽しめないもので、読むには結構、経験がいると考えています。
 
SFやファンタジーって作者が理神論的な神様みたいに世界を構築してルールを決めて、その中でキャラクターが世界観の枠内で動かなければ、ぼろが出てしまう。頻繁に干渉する神様が作ったのでは面白さ半減です。

(ちなみに神林長平が好きです)

投稿: FREE | 2007年7月24日 (火) 23:46

たかぎFさん、今晩は。

いや、自然科学の知識は関係あると思います。中学で習う内容とか、そういうレベルの事ですけれど。もちろん、ある程度体系的な知識を持つのが必要条件だ、という事では無いです。

若い人にもいるでしょうね。私自身は、あまり見た事ありませんけれど。

何と言うか、「素朴」な感じで、物を深く考えない、という印象ですね。鵜呑みにする人は(←これは、若いとか年配とかの事では無いです)。

よく知らない事について訝るというのは、普通の反応だとは思うのですが、もうちょっと考えて欲しいな、と感じる事はありますねえ。

投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 00:08

PseuDoctorさん、今晩は。

まさにその通りですね。鳥瞰ですね。虫の目(フィクションの世界に浸る)と鳥の目(自分が何を考えているかを考える、とか、制作者の意図を読み取る、とか)は、両方持つ事が可能だと思っています。

小説でもマンガでもゲームでもそうですが、多様なコンテンツを楽しめる所が、特徴の一つなんですよね。それらを比較したりして、メタな認識を鍛えるのが重要ですね。
虫の目しか持っていないのは駄目で、それを駄目だという共通認識が形成されていて、(メタで無い人の)愛好者としての評価が下がる様なシステムがあれば良いのだと思います。サブカルチャーの愛好者なんか、奇異の目で見られる事があるので、半ば自虐的に、メタな認識を持つ所がある気がします。

投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 00:15

FREEさん、今晩は。

フィクションは、現実とのズレを楽しむ面があると思います。うん、これは現実には無理だけど、いかにも「ありそうに」描けていて上手い、とか。

私は、小説ではSFは殆ど読まないですが、マンガとかゲームは、結構接しているかな…。

投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 00:22

 >自然科学の知識は関係あると思います。

補足。

フィクションに触れて、多様なものを比較する機会があまり無い。かと言って、科学に興味を持って、懐疑的・論理的思考を鍛える訳では無い。だとすると、メタな認識を鍛える機会に乏しいのでは無いだろうか。

という意味ですね。あくまで推測的です。

投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 00:26

余談ですが。

高岡英夫氏は、メタで無い、俯瞰してものを見られない認識を、「現場(げんじょう)埋没的認識」と表現しました。なかなか適切な表現だと思います。

誰か、「現場埋没」って使ってるかな、と思ってググったら、自分のブログが上に(笑)

投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 00:39

すでにTAKESANさんのおっしゃっていることと重複しますが。

メタとベタ、なんていい方をしますけど、鳥瞰も虫瞰もどちらも持ち合わせるのが望ましいんですよね。ただ、鳥瞰寄りのひとはベタを軽視しがちだし、虫瞰寄りのひとはメタの存在をそもそも理解できなかったりするし、結構難しいですけど。

投稿: pooh | 2007年7月25日 (水) 12:36

poohさん、今日は。

 >メタとベタ

おお、これはいい表現ですね。ググってみたら、結構使われているんですね。解り易いです。

仰る通りで、メタな人は、ベタな人を近視眼的とバカにしたりしますし(2ちゃんねるで目立つ)、ベタな人はそもそも、空を見上げて鳥の存在を確認する事が無い訳で。どちらにも陥らない様に心掛けたいです。

投稿: TAKESAN | 2007年7月25日 (水) 12:49

なんとなく、ここに。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/life/education/080826/edc0808260809004-n1.htm

はてブでは、吉村氏が批判されているけれども、私としては、記事のタイトルと構成によるミスリーディングに見えなくも無いのです。吉村氏が言っているのは、エビデンスが示されている訳では無いけれど、理論的考察としては、それほど突飛というほどでも無い、と感じます。のび太の例が少々まずいかな、とは思いますが。後、「刷り込み」。これをアナロジカルに用いるのはどうかな。

なんか、坂元章氏が不当に非難されているのを思い浮かべたのでした。

もちろんこれは、記事の内容だけからどこまで言えるか、という話です。

投稿: TAKESAN | 2008年8月27日 (水) 16:51

このsankeiの記事、「いじめ」っていうカテゴリーにあるんだと気づくまで、なにを言いたいのかが理解できませんでした。かなり焦点のボケた記事という印象です。
吉村氏はマンガ学会の理事でもあって、マンガ愛好家の側からマンガを研究し続けている人のようです。そういう人物の説明がキャプションにある肩書きだけというのも痛いです。

吉村氏が言っていること自体は、以前から誰頭が指摘している、そんなに無理矢理でもない話だったりしますね。そのせいで、はてブでも「古い」とか言われちゃってるんでしょうけど。

投稿: 亀@渋研X | 2008年8月27日 (水) 21:21

亀@渋研Xさん、今晩は。

上でも書いた坂元氏の時もだし、最近の「水素水」やクルクミンの話もそうですが、記事での「味付け」が下手なせいで、実はまともな考えであるかも知れないのにそれが歪められて伝えられる場合がある、というのを考えています(坂元氏の記事は、それほどおかしな書き方では無いと思いましたが)。この記事で言うと、カテゴリーをいじめ問題にしている辺りもそうですね。

特にタイトルはひどいと思いました。「無自覚」、「刷り込み」などという語を用いれば、それが、意図しない所で心に刻み込まれるものだ、というのを強く印象付ける。それは一般に起こり得る事なのに、いかにも良くない事であるかのような書きぶり。
吉村氏の主張は、(恐らくは)坂元氏が言われる「ゲームリテラシー」のような穏当なものだと思うのですが、タイトルと記事の構成によって、マンガに対するネガティブイメージを形成するようなものになっていると感じますね。

参考:坂元章氏の例⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/3575923

投稿: TAKESAN | 2008年8月27日 (水) 22:11

ああ、違った。

クルクミンではありませんでした。

投稿: TAKESAN | 2008年8月27日 (水) 23:53

ぼくが疑っているのは(というか、まず間違いなかろうと思うのですが)、本日のうちのネタ先1でも言われている「決めうち」ですね(や、これってy_arim氏ではないか)。

ネタ先1
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080826/1219738507

ねじ曲げるくらいなら、載せなければいいわけですが、ストックがなければページに白が出る。でも、どうせフリーでなければ減給さえされずに叱責されるだけだろうになあ(フリーの場合は切られるでしょう)。情けないです。

投稿: 亀@渋研X | 2008年8月28日 (木) 00:48

さっき読んだ所でした。

そういう事情はあるのかも知れませんね。

インタビューを受けた人や、対象(ここではマンガ)を愛好していたりする人にとっては、堪ったものではありませんね。

「影響」というのに、強く反応するんですよね。サブカルチャーは、マスメディアによって、強い悪影響を言われる事がかなりあるので。
はてブでは、記事と共に吉村氏をも非難しているのが見られたので、記事に書かれてある主張だけからそこまで言えるのだろうか、と疑問に思ったのでした。

投稿: TAKESAN | 2008年8月28日 (木) 01:13

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