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2007年7月29日 (日)

バイアスシリーズ

無自覚に形成してしまうバイアスについて考えたエントリーを、集めてみました。

Interdisciplinary: 批判対象に対する的外れな思い込みの形成

かなり微妙な日本語なので、簡潔に纏めます。

「数字が全てじゃない!」と発言する人の思考

  • 客観的データの提示を求める人間に、「冷たい」という印象を持つ。
  • 体験や実感を過度に重視する。
  • 実証科学的データは、現象の一面を切り取ったものだと考える(それは部分的に正しい)。そして、データに還元する事そのものを忌避する。
  • 実証データを重視する人に対して、「実感や経験の軽視」を見て取る。これは、飛躍である。

Interdisciplinary: 理屈を言う人は上達しないであろうバイアス、の形成

高度な実践が目的であるのに、理屈を言って、パフォーマンスが伴っていないのなら、それは、批判されて然るべきです。

しかしそれは、「理屈を言うべきでは無い(現象を分析的に捉えようとしてはならない)」、という事では、ありません。

果たして、自分が教えている事は、客観的に見て、合理的であるのだろうか、と考えるならば、直感・実感を、一旦相対化してみる必要性に、気付くはずです。

「擁護システム」というのは、高岡英夫氏提唱の概念で、上位者が自身の立場を守ろうとするシステムの事です。それが、無意図的に形成された場合には、「潜在的擁護システム」と呼ばれます。要するに、「理屈を言うな」、という「教え」が、上達の対象(武術等)に対する分析的・探求的思考を失わせる機能を持つ場合がある、という事ですね。「理屈はいいから取り敢えずやってみろ」、というのは、全くの初学者には有効ですが、それをいつまでもやってはならないのです。上達の機会を逃す事に、なりかねないのですから。

Interdisciplinary: そんなもんやってて何になるんだバイアス

つまり、「社会の役に立つか」、という観点が、偏見の基になるのではないか、という話です。「やる事によるメリット」が認識しにくいので、「有害性」を論ずる事に躊躇しない、という。サブカルチャーは、恰好の攻撃の的、なのではないでしょうか。

自分が嫌いなものは、「社会に益をもたらさないもの」だ、と考えれば、「自分の正しさ」を確信出来る訳です。

Interdisciplinary: 科学者は適当だバイアスの形成

テレビに出る「科学者」を、「科学者の典型」と看做してしまうバイアス。「専門知識を持っている訳では無いが、直観的認識力に優れている人」が、「テレビで適当な事を言う科学者」を観て、「科学者は適当なのだ」、というステレオタイプを形成してしまうのですね。

たとえば、心理検査もどきを用いて芸能人の人格を云々する「心理学者」が、いたとしましょう。賢い人は、「そんなんで、人の心が解るの?」という、尤もな疑問を持つ訳ですね。実際、心理学者は、そんな単純な方法で人の心をどうこうしない訳ですが、そういう事情を知らない「賢い人」は、「心理学(者)は胡散臭い」と結論する訳です。過度の一般化を行ってしまうのですね。理想的には、心理学を勉強するのが良いのですが、なかなかそうもいかない。

で、その「賢い人」が、言動の及ぼす社会的影響が大きいと推測される、たとえば、有名な芸能人であったり、作家であったりすると、「あの人が言う事はある程度妥当だ」、と考える同調者が、「科学者は適当だ」というバイアスを共有してしまう、というメカニズムです。「適当だ」の部分には、「頭の固い」でも、「融通が利かない」でも、「理屈ばっかり言う」でも、何でも代入出来ます。「同調者」は、「誰が言った」かを、重視しているのですから。

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