« 無関心?(※消去済みです) | トップページ | 思ひ出 »

2007年7月14日 (土)

ゲームとは何か(2)´ 寿司とゲームのアナロジー´

Interdisciplinary: ゲームとは何か(2)

前回は、私達が日常的に「ゲーム」と呼んでいるものの定義を試みました。しかし、これだけでは充分ではありません。今回は、「ゲーム」という文化が、具体的にどの様な在り方をしているか、について考察します(以下、特に断らない限り、「ゲーム」は、「コンピュータ・ゲーム」を指します)。

ゲームには、様々なジャンルがあります。以下列挙してみましょう(コンピュータゲーム - Wikipediaより引用)。

※引用文は省略

実に多数の種類が挙げられます(勿論、必ずしも峻別出来るものではありませんが)。

ゲームは、テレビと同様に、専ら光と音を媒体とするので、芸能・スポーツ・経済・軍事・政治等の、様々な文化に関する情報を伝達する事が可能です。要するに、何でも表現出来る、という事です。ゲームはマルチメディアなので、大変豊かな表現が可能です。テレビと異なるのは、一つのコンテンツ内で、人間の信号の入力に応じた結果が出力される、ということでしょう※。つまり、操作出来る、という事。インタラクティブなメディア。自分が思う様にキャラクターを動かす事が出来たり。下に書いていますが、テレビのチャンネルを替えるのとは、ちょっと違います。

※テレビで、「チャンネルを変える」という操作がありますが、これは、コンテンツを選択する操作です。又、ビデオの早送りや巻き戻しの機能は、「(広義の)ゲーム」には当てはまらないでしょう。

私は前回

「ボウリング」や「パチンコ」、「麻雀」や「将棋」、「メール」や「チャット」は、「コンピュータ・ゲーム」とは言えない、となります。

と書きましが、例えば将棋では、ディスプレイ上に盤面を表示させれば、それは「(コンピュータ)ゲーム」と認識される事になります。他のゲームも同様です※2。将棋や碁等は、本質的に、駒や石の位置関係等の構造が重要であって、駒や石の材質等は、何でもいいのですね。だから、目隠し将棋というものが成立し得る訳です。もちろん、ディスプレイ上に表示されたドットの集合でも、構わない。デジタルなんですよね、将棋とかって。まあ、ホリスティックに考えると、駒の手触りがどうとか、そういう所を重視する場合もあるでしょうけれど、それは置いておきます。対して、パチンコゲームとかドライブシミュレータとかは、いかに現実の挙動を再現するか、というのが重要なのですね。だから、元々模擬なので、本物を知っていて、それと比較するという面があります。

※2ボウリングやパチンコのゲームは、広義の「シミュレーション(模擬)ゲーム」と言えるでしょう。対して、将棋やオセロやチェス等は、元のゲームそのもの(の媒体を換えたもの)と言う事が出来るでしょう(駒や盤は、木でも紙でも金属でも、何でも構わない。音声のみで進める事も出来る)。

この様に、「ゲーム」とは、様々な文化の要素を含む、とても複雑な文化現象である、と言えるでしょう。これは、無限の「ゲーム」が創造され得る、という事でもあります。論理的には、色々出来ます。教育的なゲームとかも。シリアスゲームですね。最近、DSで、そういうジャンルのソフトが結構出ているのは、興味深い所です。

何度も書きますが、ゲームの悪影響を主張する論者には、この視座が決定的に欠けているのです。そもそも多様で複雑であるものを、無理矢理一括りにして(あるいは、ごく小数の例をもって)、その影響云々を論ずるのは妥当ではありません。もし「ゲーム」が悪影響を及ぼすと言うのであれば、多様な在り方をしているゲームに共通する論理※3を明らかにし、それがどの様に悪影響※4を及ぼしているか、そのメカニズムを解明しなければならないのです。もし大部分のゲームに好ましく無い影響があるとすれば、ゲームが、ある程度一様な性質を持っていなければならない訳ですね。それは、全てのゲームに共通の構造がある、また、悪影響を与える因子を含むゲームが多く普及している、のどちらかです。

※3私は、「ゲームに何が含まれないか」を考察する事が重要であると考えています。例えば、全身的な身体運動を伴わない事、等です。勿論これは一般論ではありません。現状では比較的少ない、と言える程度です。ただ、これを基に、ゲームをやり過ぎると運動不足になる、という程度の事は言えると思います(生活の時間配分の問題なので当然です)。ですが、飛躍して、これ以上の事は言うべきではありません。一般的なゲームは身体を大きく動かさないからといって、ゲームをすると身体に悪い、と主張するのは言い過ぎだ、という事です。勉強をやっている人に、あまりやり過ぎると、運動不足になるよ、と言う事はあると思いますが、それは別に、「勉強の弊害」を述べる、という意味合いでは無いですよね。相関関係(擬似相関)と因果関係との違いも考える必要があります。

又、ゲームの特徴としては、「対象を直接的に操作出来る」という事が挙げられると思います。例えば、ゲームの世界に積極的に参加(映画等は、受動的)して、「英雄」や「支配者」を演ずることが出来ます。勿論、「大量殺戮者」でも「聖者」でも、です。この積極性というのは、小説や映画とは異なった性質と言えるかも知れません。こういうインタラクティブ性というのは、結構重要な部分だと考えています。もちろん、良くも悪くも影響する事がある、という意味ですが。

※4そもそも「悪影響」とは何か、という問題もあります。「ゲーム脳”派”」の人達は、脳の前頭前野の機能低下を主張します。ゲーム脳系。ゲームを薬物と同一視したりして、生理・生化学的論理に強引に結びつけようとする。「認知」を対象に含めている研究者は、例えば、「暴力性を高める可能性(ゲーム脳派は、前頭前野の機能低下の結果による暴力性の高まり、あるいは抑制の低下を主張します。そこに「認知」の視点は見られません)」を言います。前者は論外として、後者については良く考える必要があります。何故ならば、「暴力とは何か」という事まで考察しなければならないからです。後者は、坂元章氏等の研究の事ですね。

これは勿論、特定のジャンルのゲームをした場合に、心理学的にどの様な効果を及ぼすか、といった研究を否定するものではありません※5。寧ろ、この様な研究は、積極的に行われるべきでしょう。ただ、この様な研究を行う際、結果について安易な解釈を施すべきではないでしょう。常に、別解釈の可能性や、他の環境の影響の検討、実験環境そのものが与えるバイアス等を考慮すべきです。

※5ゲームの与える影響、についての心理学的研究としては、お茶の水女子大学の坂元章氏の社会心理学的研究が、評価出来ます。ただ、「暴力とはそもそも何か」という視座や、実験環境の与えるバイアス、他の環境の与える効果との比較、といった観点が足りない様に思われます。2006年9月24日追記:この指摘は的外れですね。坂元氏の著作を全て検討した訳では無いので、こう判断を下すのは妥当ではありませんでした。「攻撃」や「暴力」等の構成概念については、心理学的に様々な定義が為されているので、それに従って研究を進めるのは、当然の事です。定義や心理測定尺度が妥当であるかとか、それらの語が世間でどの様に使われているかという社会言語学的問題は、取り敢えずは切り離して良いと思います。ただ、研究結果を世間に公表する際には、この問題が深く関わってきますから、良く考えねばならないでしょう。追記は、茶色に変更。

これまで、「ゲーム脳」論の妥当性から、そもそも「ゲーム」とは何か、というまで、私なりに論じてきました。概念の曖昧さや、論旨の不明確な所等はあると思います。ですが、「ゲーム」というものが、そもそも複雑で、多様な文化であるという事、そして文化を解くには、広く人文・社会科学的な考察が必要である、という私の主張には、同意して頂けると考えています。同意して下さいました? 何だか解りにくいかもですが(笑) でも、ゲームをよくする人にとっては、当たり前の話を書いているだけなんですよね。

研究者は、もっと文化の複雑性というものに目を向けるべきです。複雑なものを、必要以上に単純化せず、その複雑さを充分に認識して、研究に当たるべきではないでしょうか。何らかの化学物質の影響といった話ならともかく、様々なコンテンツを表現出来るメディアについての話なのですから、これは当然の事です。

------------

Interdisciplinary: 寿司とゲームのアナロジー

学者が、「寿司が身体に与える影響」を研究する、と言って、トロだけ食べさせて、体調の変化等を記録し、その結果をもって、「寿司が身体に与える影響を解明した」と主張したら、皆さんはどう思われるでしょうか。

とても滑稽だとは思いませんか。

森昭雄氏等の研究は、これに似たものです。

この喩え、結構気に入っています。多分、寿司に共通するのは、「酢飯を使う」事なのだと思います(由来とか知らないので、適当)。だから、どんなネタを使うか、によって、味も違うし、栄養価も全然異なるのですよね。で、ネタを一つ用いてそれを食べさせた所で、寿司一般がどうこうとは、言えない訳です。寿司が身体に良い、というのは、結構言われる事だと感じますが、それは恐らく、寿司には魚が多く用いられる事、シャリには酢が含まれる事、等の事実から、総体的に見て、栄養学的にどうだ、というのが言われているのだと思います。なので、ゲームに関しても、同じ様なアプローチをすべきなのですよね。あるジャンルのゲームがどうこうと言うなら、それがどのくらい分布しているか、とか、ゲーム一般に共通する因子があるというなら、それを示すとか。寿司で言う「シャリ」に当たる部分は、ゲームで言うと、入出力装置ですね。「ネタ」に当たるのは、ゲームのジャンルや、各ソフトで用いられる具体的な表現方法(グラフィック。サウンド)や、コンテンツに含まれる、クリエイターの思想的な部分等でしょう。

|

« 無関心?(※消去済みです) | トップページ | 思ひ出 »

「ゲーム論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/7127740

この記事へのトラックバック一覧です: ゲームとは何か(2)´ 寿司とゲームのアナロジー´:

« 無関心?(※消去済みです) | トップページ | 思ひ出 »