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2007年6月 6日 (水)

或る親子の会話:水伝編

「今日学校で、先生に、面白い話聞いたんだけど。」

「どんなの。」

「えっと、水に何か言って凍らせたら、それの形が変わる、とかいうやつ。」

「へえ。」

「で、なんか、水が入ったビンに、字を書いたシール?を貼っても、そうなるんだって。」

「ふうん。変わるって、どんな風に。」

「ありがとうだったらキレイになって、ばかやろうだったら、汚くなるらしいよ。」

「そうなんだ。で、その話聞いて、どう思ったの。」

「え、どうって?」

「うん、いい話だなー、とか、何かおかしいな、とか。」

「え、いい話だと思ったけど。だって、ありがとうって、いい言葉でしょ。それに、言葉で水のかたちが変わるなんて、なんか凄いよね。」

「ホントに、そう思う?」

「うん。」

「うーん、じゃあ、ちょっと考えてみて。日本語でありがとう、って書くんだよね。」

「うん。」

「だったら、他の言葉は。英語とか、中国語とか。」

「あー、それなら、サンキューもキレイになる、とか言ってたなー。」

「でも、それって、変じゃない? だって、ありがとうとサンキューって、全然違うじゃない。聞いた感じもそうだし、大体、字が違うよね。書いた字でも、キレイになるんでしょ。」

「うーん。」

「それに、同じ言葉でも、人によって違うよね。声も違うし、日本語を習ったばっかりの外国人だと、発音が違うでしょ。”アルィガトゥオウ”、って感じで(笑)」

「そだね(笑)」

「字もそうでしょ。だって、”ありがとう”って言っても、漢字もひらがなもカタカナもあるし、ローマ字だってあるじゃない。それに、字が下手な人と上手な人がいるでしょ。それを、どうやって分けてるのかな。」

「確かに。でも、何かあるんじゃない? 言ったり書いたりした時のこころとか。」

「でもそれだと、字を書いたり声を出したりする意味が無いよね。」

「こころが、字とか声に乗っかってる、とか。」

「それだったら、何の字を書いてもいいし、どんな音でもいい、って事にならない?」

「そっか。うーん…じゃ、ありがとうのこころは、ありがとうって言葉にしか乗らない。どう?」

「それだと、さっき言ったのは? 外国語はどうなる、とか。音だって全然違うのに。どうやってそれを、見たり聞いたりしてるのかな、水が。」

「そっか。うーん、じゃあ、ありがとうって言ったら、キレイに見えるんじゃない? なんか、気分がよくなるとかで。」

「それじゃ、最初に言った、水がキレイに”なる”って話とは、違ってきちゃうよね。先生、人は水で出来てるから…とか言ってなかった?」

「あー、言ってた。人は沢山水で出来てるから、ありがとうを言えば、体にもいい、って。」

「でしょ。それって、キレイに見えるとかとは、全然違うよね。」

「あー、そうだね。…あれ、何で、人が水で、とか、そんな話、知ってんの?」

「結構有名な話だからね。知ってたよ。」

「えー、そうなんだ。」

「で、言葉ってね…一つ言葉があったとしたら、ちゃんと意味が決まってる、とか思ってない?」

「うん。」

「でも、違うんだよね。うーん、何があるかな……りんごって言葉あるよね。果物。」

「うん。」

「あれって、”りんご”って言わなくてもいいんだよね。アップルって言ってもいいし、なんでもいい。別に、テキトーに言葉作って、明日からそれを使っても。りんごを明日から”ロンギ”って言います、って決めても、別にいいし。」

「でもそれじゃ、知らない人は、困るんじゃない。ロンギ食べる? って言っても、何それ、ってなるよね。」

「そうそう、だから、みんなが知らなくちゃいけないんだよね。日本語でも英語でも、今使ってる言葉は、みんな一緒にこう使いましょうって、約束してるだけなんだよね。」

「じゃあ、言葉は何でも使っていい、てこと?」

「というか、この言葉はこうで、他の使い方はしちゃいけない訳じゃない、ってこと。でも、みんなが自分勝手に決めちゃったら、何も通じなくなっちゃうから、これはこういう意味で使いましょう、って、とりあえず、決めてるんだよね。ほら、ロールプレイングに出てくる魔法とか呪文とかって、知らない人には訳分かんないけど、同じゲームやってる人には、ちゃんと分かってもらえるよね。そんな感じ。あと、方言ってあるでしょ。何々弁ってやつ。あれもそうだよね。他の所に住んでる人には、通じなかったりするよね。ニュースとかでもやってるよね。事件があった場所に住んでる人にインタビュー、とかで。」

「あー。」

「だから、大事なのは、この言葉を聞いたら相手はどう思うか、とかをちゃんと考えよう、ってことだね。自分はこうだ、と思っても、相手は違うかも知れない、ってね。」

「相手のことを考えましょう、ってことだね。」

「そうそう。水がどうなる、とかじゃなくてね。だって、変でしょ。水がキレイになるからいい言葉使おう、って。いい言葉って何かとか、ちゃんと考えようね、って話。こういうことってない? 自分が言ったことを勘違いされて、そんなつもりじゃなかったのに…ってなったこと。」

「うん、ある。」

「そういうことなんだよね。同じ言葉使ってても、ちょっとズレちゃう。だから、どんな意味で言ったんだろうなあ、とか、そういうのを考えないとね。」

「そっかー。」

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

これは素晴らしくわかりやすいですね。
以前僕が書いたエントリと相補的に機能すると思ったので、ひとまずトラックバック送ってみましたが、本文の中でも紹介しようと思います。

ところでこれ、もしかして体験談なんでしょうか?

投稿: dlit | 2007年6月 6日 (水) 17:29

dlitさん、今晩は。

 >これは素晴らしくわかりやすいですね。

ありがとうございます。そう言って頂けると、嬉しいです。

 >ひとまずトラックバック送ってみまし
 >たが、本文の中でも紹介しようと思い
 >ます。
こちらも、ありがとうございます。

 >ところでこれ、もしかして体験談なん
 >でしょうか?
いえ、全くの、想像の産物です(笑) もし自分に子どもがいて、子どもが水伝の話を知ったとしたら、どうするかなあ、と仮定して、創ってみました。勿論、授業で水伝が出てきたら、というケースは、先生とのコミュニケーション等が関わってきて、寧ろそちらが難しいのですが、このエントリーでは、あくまで、水伝のおかしな部分を解り易く説明する、という所を、考えてみました。

投稿: TAKESAN | 2007年6月 6日 (水) 18:56

とても平たく水伝のおかしなところを会話調で説明してあって分かりやすいですね。
水伝のことをよく知らない人にも分かってもらえる気がします。

でも実際にこの話を子どもから聞かされた母親としては
すぐにこんな風に切り返すことはできませんでしたね。
やっぱり子どもが信じている先生の話を即座に否定するのは難しいです。
幸い、その後子どもが「水の結晶」の話はしませんが、もしこの先その話が出てきたらこんな風な会話をゆっくりとしたいとは思っています。

投稿: トモ | 2007年6月 8日 (金) 09:09

トモさん、今日は。

ありがとうございます。解り易さを重視して書いたので、嬉しいです。

実際の状況では、一番の難関は、先生とのやりとりですよね。子どもが先生を強く信頼している場合等は、説明も難しいでしょうね。
その部分についてこうすべきだ、というのは、なかなか言えない所があるので、ここでは、水伝のおかしな所を噛み砕いて説明する、という部分に限定して、書きました。何となくおかしい気がするけど、上手く説明出来ない、という際の参考になれば、と思いました。

親子で無く、友達同士の会話、というシチュエーションも考えたのですが、そちらでも良かったかも知れないですね。

投稿: TAKESAN | 2007年6月 8日 (金) 11:11

お返事有難うございます。

子どもが先生から聞いてきた話だから難しい、というよりも
「尊敬する(or尊敬すべき)相手」から聞いた話だと対処がややこしい気がします。
だから水伝の話を教えてくれたのが友人であっても
その友人のことを尊敬していたり、大好きだったりした場合は
否定をするのが難しいですね。

投稿: トモ | 2007年6月 8日 (金) 12:15

相手にどのくらい信頼を置いているか、という所ですね。そこに、ニセ科学問題の難しさがあるのだと思います。

投稿: TAKESAN | 2007年6月 8日 (金) 12:26

こんにちは。

>「尊敬する(or尊敬すべき)相手」から聞いた話だと対処がややこしい気がします。

これって逆の場合もあって、尊敬する相手から諭されて、考えを改めるということもありますよね。
でも、そういったことは、なかなかレアケースなのでしょうかね。

投稿: corvo | 2007年6月 8日 (金) 12:29

ウチは息子が担任の先生から聞いてきたわけですが
聞いてきた当日、嬉しそうに話す様子は
ワタシとしては驚きでした。
今もこの話が息子の心にあるのかは分かりません。
話を蒸し返すようで聞けないです。

ワタシが息子にとって尊敬する相手なのか
ちょっと自信がないのですが^_^;
でも今後「いい言葉で結晶が・・・云々」ということを
息子が口にしたときには、しっかりと話して聞かせたいと思っています。

投稿: トモ | 2007年6月 8日 (金) 13:08

corvoさん、今日は。

結構、そういうのは、ある気もします。一クラスに数十人の子どもがいますから、ある程度の数の家庭で、水伝の話はされているでしょうね。ですから、その後に諭されて、考えを改める、というケースも、意外とあるかも知れませんね。

投稿: TAKESAN | 2007年6月 8日 (金) 13:15

トモさんへ。

学校で話を聞いた子ども達が、それをどう捉えるか、というのも、ポイントなのでしょうね。どのくらい信用したか、とか。それによって、説明の仕方も変わるでしょうしね。

投稿: TAKESAN | 2007年6月 8日 (金) 13:23

遅ればせながら、上のエントリからリンクはっておきました。
親子、友達同士など色々状況はあると思いますが、こういう風に平易な言葉遣いでやさしく説得できる方が少しでも多くなると良いな、と思います。

投稿: dlit | 2007年6月 9日 (土) 20:28

dlitさん、今晩は。

ご紹介、ありがとうございます。

水伝は、常識のレベルで充分おかしさに気付けるものだ、というのを知って頂けると、ありがたいですね。

----------

お読みの方へ。
論理的におかしな所等、ご指摘を頂ければ、ありがたいです。

投稿: TAKESAN | 2007年6月 9日 (土) 20:58

1年前のエントリーへの書き込みお許し下さい。
 私の場合,二年前,実際に高く評価していた担任の先生が,水伝事業をされて,教育界,特に真面目にいろいろ素材を探しておられる方が,日々の時間もネットからの情報もあまりないところで,うっかり地雷を踏んでしまうことがあるであろうと想像をしていたので,余り驚きませんでした。武術で言えば,後の先を取る心構えが出来ていたつもりです。

 一連の関連サイトのプリント出力を子供に持たせました。科学的におかしいと指摘して云うよりは,それに込める意味と乖離した二元論的世界が存在することの矛盾,それをまた水が知ることが出来ることの矛盾という説明の方が,子供には伝えやすかったです。

 映画「ラスト・ボーイスカウト」で,主人公役のブルース・ウィリスが,深い愛情を込めて,自分の奥さんに“Sara...Fack you!”と何度も伝えるのでしたが,これこそ,人間の感情と,言葉の上っ面と実際に伝えようとしている意味の乖離を,また,その乖離ゆえに深い愛情が背景にあるのだと,人間だけが理解し得る最高の“I love you!”の場面でした。
 深い愛情に立脚しない“I love you!”など掃いて捨てるほどあります。水伝は一件良いものを伝えているようで,薄っぺらな世界だと思います。
 「水は,言葉に騙される」んでしょうか。

投稿: complex_cat | 2008年7月24日 (木) 13:17

complex_catさん、今日は。

古い記事へのコメントは、むしろ歓迎です。

水伝は、科学的に誤りであるという部分と、言葉について全く素朴であるという部分の、2つの本質的な誤りを内在しているのですよね。私は、まず初めに、後者の方に注目しました。
実は、科学者の皆さんも、後者的な批判をそもそも行っているのですよね。両方とも批判している。そこが理解されていない事もあるようです。

信じるきっかけは、色々あるのかも知れません。自分が属する文化の優位性を信じたいのだ、とか、言葉の力を信じたい、とか。

私は、言葉に恣意性という性質があるのを知って、とても楽になりました。言葉の呪縛から解放された気分でしたし、また、コミュニケーションにおける齟齬が何故起こるか、というのも、ある程度理解出来ました。語形が「正しい語意」を持っていて、それが物理的な根拠を持っているなどと考えるのが、どれほど不自由な考えであるか、思いを馳せるべきでしょうね。もちろん、不自由であるから、が批判される理由では無いですが(「間違っている」のが理由)。

投稿: TAKESAN | 2008年7月24日 (木) 14:22

水伝事業×
水田授業○

「語形が「正しい語意」を持っていて、それが物理的な根拠を持っているなどと考えるのが、どれほど不自由な考えであるか、思いを馳せるべき」

 これは,非常に上手く問題を言い表している表現ですね。
 人への説明に,使わせていただきます。

 水伝的には,相手への理解や愛情を示したのに,伝わらなかったとか云う場合,それが伝わらないのは,相手が水以下だと云うことなんでしょうかと思ったりします。大人がウソばっかり言っている世界で,一方的に水は功だから,水のように素直になりましょうなんてのも,滑稽の極みに思えます。幼児や低学年向け教育的にはありなのか。

投稿: complex_cat | 2008年7月24日 (木) 17:24

ありがとうございます。

▼▼▼引用▼▼▼
 水伝的には,相手への理解や愛情を示したのに,伝わらなかったとか云う場合,それが伝わらないのは,相手が水以下だと云うことなんでしょうかと思ったりします。
▲▲引用終了▲▲
これは思考実験的な話ですが、水伝を受け容れるならば、「ありがとう」という言葉を掛けた「のに」通じなかった、という現象があった場合、良い言葉が効かないような状態になってしまっているのだ、という認識を持つ可能性すらありますね。一般的には、言葉は状況や人間関係によってニュアンスが生まれてくるのだ、という解釈をする訳ですが、そうならず、アド・ホックに、水伝を正当化しようとする方向に行くのですね。
尤も、これは実例に基づいた話では無いのですが、水伝は、そういう所で既に矛盾しているんですよね。

下手すると、信じていないから良い言葉が影響しないんだ、なんて言いかねない訳で。

上に書いたような話を読んで、「んなバカな事は無いでしょ」、と思われる方もあるかも知れませんが、江本氏は、死海の名前を変えようとか、ハリケーン(カトリーナ)が起こった時も、凄まじい事を言ってるんですよね。つまり、あらゆる面で破綻しているから、「何でも言う事が出来る」。これも水伝の本質です。

投稿: TAKESAN | 2008年7月24日 (木) 18:24

このエントリー、隠れたオススメ(意味不明)なので、定期的に上げておこう。

投稿: TAKESAN | 2009年2月15日 (日) 12:01

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» [学問]「水からの伝言」に言語学の立場から反論する [思索の海]
 というわけで、宣言どおり「水からの伝言」に対する言語学的な視点からの反論を書いておくことにします。  これまでこのブログではこういう話題は全然取り上げてこなかったので突然に思われるかもしれません。web上でこの話題に出会ってからかなり多くの関連サイトをのぞ... [続きを読む]

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