「疑似科学」の用法
↑いわゆるニセ科学批判の話とは、ちと違います、多分。
そもそも、「科学」と「疑似科学」をどう捉えているのかが、ちょっと読み取れないです。少なくとも、ニセ科学の事でないのは判りますが。
論旨そのものも、解る様な解らない様な…。
あ、コメント欄に説明があった。それでも、何となくしか解らないなあ。恐らく、「疑似科学」の用い方に、ニュアンスがあるのでしょうね。
| 固定リンク
「科学論」カテゴリの記事
- メタスパイラル(2011.12.14)
- 主観、主観、ただ主観(2011.12.12)
- 公衆衛生(2011.12.07)
- ひとまずまとめ――患者調査において、「宮城県の一部地域及び福島県の全域について調査を行わない」事について(2011.12.06)
- 科学コミュニケーション――科学語での会話(2011.12.04)
この記事へのコメントは終了しました。


















コメント
TAKESAN様、お久しぶりです。
当該記事を読んでみましたが、これは自然科学の方法論だけが「科学」だと思い込んで、社会科学や人文科学を「擬似科学」だと非難する自然科学者への皮肉と受け取ればよい話でしょう。
社会科学は社会やそれを構成する要素としての人間が考察の対象ですから、「対象に直接聞いて統計を取る」のが基本的な方法論になります。すると母集団をどう設定するか、得られた結果から何を読み取るか(たとえば多数派を「平均的な例」として取り上げるのか、少数派の特殊な例をクローズアップして取り上げるのか)によって、結論は全く違ったものになってしまいます。一部の自然科学者には、こうしたことさえ「非科学的」と映ってしまうようなのです。
人文科学も同じで、これまで人間が積み上げてきた、言語やその他の方法による文化遺産が考察の対象ですから、それは全く「経験」に頼るものであって、絶対不変の法則が導き出せるものではありません。ですから「人文科学はそもそも科学ではない。そんなものは大学に必要ない」と言ってはばからない自然科学者もいるわけです。
社会科学も人文科学も、自然科学とはまた違った方法論が存在しているのであって、「好き勝手なことを言えばよい」わけでは断じてないということが、一般の人はもとより自然科学者の間でさえ十分理解されていないのは、非常に由々しきことです。擬似科学信奉者はそこにつけ入って、浅薄な「科学万能主義批判」を繰り広げるのですから。
当該記事の文も、社会・人文畑の人には容易に理解されるでしょうが、自然畑の人にはなかなか真意が伝わらないかも知れませんし、擬似科学信奉者には自分たちを支持する意見だと曲解されかねないのが気がかりです。
投稿: 朴斎 | 2007年6月24日 (日) 11:10
朴斎さん、今日は。
▼▼▼引用▼▼▼
これは自然科学の方法論だけが「科学」だと思い込んで、社会科学や人文科学を「擬似科学」だと非難する自然科学者への皮肉と受け取ればよい話でしょう。
▲▲引用終了▲▲
恐らくそうでしょうね。客観的に観測不能な内観報告等を対象とする方法に関しては、たとえば、J.B.ワトソンによる、内観主義的な心理学に対する批判等がありましたね(現在とは状況が違うのでしょうけれど)。科学の方法については、現代にも様々な議論があり、科学哲学的な問題とも絡んでくるのだと思います。
私がこのエントリーを採り上げたのは、「疑似科学」という語の用い方に違いがあるのを感じたから、ですね。いわゆる「ニセ科学」と同様の用いられ方をする場合もあれば、自然科学的な論理から社会科学的方法を批判したりする際の、方法の不備を表す事もありますね。論宅さんが言及されたのは、後者の方なのだと思います。
確かに、社会科学的方法に対して、曖昧であるとか、客観性に欠ける、等と、批判的に見ている人は、いるのかも知れませんね。これは、学者の科学観に、大きく関係するものだと思います。心理学でも、知覚(という主観的現象)を研究する方法は、果たして科学と言えるのか、という批判もありますしね。なかなか難しいです。
▼▼▼引用▼▼▼
当該記事の文も、社会・人文畑の人には容易に理解されるでしょうが、自然畑の人にはなかなか真意が伝わらないかも知れませんし、擬似科学信奉者には自分たちを支持する意見だと曲解されかねないのが気がかりです。
▲▲引用終了▲▲
私が気になったのは、そこなのかも知れません。それと、タイトルが、「疑似科学批判論者への疑問」であるので、そこから、ニセ科学批判者まで敷衍してしまうおそれもあるのではないかと、懸念したのですね。(後、言い回しがちと難解かな、とも思ったのですが、これは、余計なお世話ですね…。)
気にし過ぎ、なのかも知れませんが。
投稿: TAKESAN | 2007年6月24日 (日) 12:52
あ、後、「自然科学者は社会科学を疑似科学(科学的方法に不備がある)と看做している」、と一般化される可能性も、懸念しました。勿論これは、最早、論宅さんの意図とは離れた、「文章がどう読まれるか」、という話ですが。
投稿: TAKESAN | 2007年6月24日 (日) 13:00
>「人文科学はそもそも科学ではない。そんなものは大学に必要ない」と言ってはばからない自然科学者
の存在が前提となっているのなら理解できますけど、その前提で書かれたことが文章中に出てこないので、誤解を招く文章であることは確かだと思います。
ただ私も、前提を書かずに、わかる人にだけわかるといったものを意識的に書いてしまうことがあって、以後気をつけようと思ったので、そういう意味では意義のある記事でした。
あと、記事の中で気になったのは、茶碗が持ち上がる現象について、物理学と社会学では見る部分が違うのに、両者が同じところを見ているように書いて、「だからこっちの見方がより科学的だ」という話になっているところです。
簡単に言うと、あるモノを指して「形が良いと評価するよりも、色がいいと評価するほうが評価法として正しいのだ」と言っているようなものだと思います。
なんか作文の添削みたいになってしまいました(笑)
投稿: A-WING | 2007年6月24日 (日) 13:24
>その前提で書かれたことが文章中に出
>てこないので
そうですね。私も、そこは気になりました。
▼▼▼引用▼▼▼
茶碗が持ち上がる現象について、物理学と社会学では見る部分が違うのに、両者が同じところを見ているように書いて、「だからこっちの見方がより科学的だ」という話になっているところです。
▲▲引用終了▲▲
朴斎さんが仰る様に、一部の科学者に対する皮肉であると読み取れば、言いたい事は、解らないでもないですね。(一部の科学者に対して)そんな事を言うんなら、こんな事だって言えてしまうぞ、という感じで。
この種の話題は、あまり突き詰めると、難しくなってきますね。
投稿: TAKESAN | 2007年6月24日 (日) 14:50
http://mercamun.exblog.jp/7206299/
ああ、こういうレベルの話なんですか。poohさんが採り上げられたエントリーは、ここの続きみたいな感じですね。
だとすると、poohさんが言及なさったエントリーの前段は、結構すっきり理解出来るかな。でも、イデオロギー云々では無く、「科学だと思い込む」場合もあるんですよね。主唱者は、ほとんどこれなのかも知れないし。
もちろん、批判されているのは、主に後段なのですが。
科学が、論宅さんの仰る意味で、イデオロギーとして機能し得る、そして、ある程度機能している、というのは、その通りなんでしょう。
その事と、「科学は反証可能で価値中立的な知識であり、イデオロギーではない」という言明に含まれている「イデオロギーではない」という部分は、ちょっと違うんじゃないですかね。議論のレベルが違うんじゃないかと。
それにしても、難解な文章だなあ…。
投稿: TAKESAN | 2007年8月20日 (月) 14:02
http://mercamun.exblog.jp/7281934/
こういうのを読むとなあ…。
だから、万能主義って何ですか。
「治安悪化神話解体論者」というのは、後藤さんとか遊鬱さんとか安原さんの事でしょうけれど(安原さんと論宅さんは、よく議論している)、こういう、よく解らない決め付けをされるのは、たまらんのじゃないですかね。
投稿: TAKESAN | 2007年8月20日 (月) 14:21
具体的な事、書くのかな。
まさか、 2007-08-20 23:25に書いたエントリーみたいなのを、続けるのかなあ。
メタなのはもういいから、具体的に誰の事を言っているのですか、という話なんですよね。
前のエントリーでは、「何故流行るのか」と書き、明らかに具体的な対象を想定しているかの様な論じ方なのに、最新のエントリーでは、メタな書き方をしていますね。
まあ、今後、apjさんやきくちさんにレスなさるかも知れないので、様子見かな。
投稿: TAKESAN | 2007年8月21日 (火) 00:16