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2007年6月19日 (火)

はずれてるかな?

うーん、この種(今日最初に上げたエントリーへ、GO)の話題が出るたびに思うのですが。そして、何度も書いていますが。

理科的なリテラシーが「低くなった」とか、或いは、今の若い世代は、それが低い(前の世代が若かった頃に較べて)、とか、どこまで妥当なのかな、と。こういう主張の場合は、明らかに、「比較」ですからね。以前よりどうだ、という。

私は、ニセ科学が蔓延している状況を論ずる際には、社会一般の科学リテラシーが「低下」した、という事は、前提「していない」のですよね。
私の認識としては、今も昔も、リテラシーが低い人は、一定の割合で存在する。それがどの様に推移したのかは、精確な評価は難しい。しかし、現状がどうであれ、リテラシーの底上げは必要である。という感じですね。だから、昔がどうであったとかは、論じていないです。
で、ニセ科学が流布するという現象については、情報化の進展で、時間的にも空間的にも、広がり方のスピード・範囲が、圧倒的に大きくなった、という所が問題だと思っています。そして、そういう説が、以前より圧倒的に広まっているか、また、それはリテラシーの「低下」が要因か、というのは、別の話です。もしそれを主張するなら、それこそ、科学的に精確に論ずるべきですから。

そもそも、社会総体の科学リテラシーの高低と、ニセ科学的言説の流布の程度は、相対的(あくまで相対的、です)に独立した問題であると考えています。

何か纏まって無いですね。

反論等があれば、ありがたいです。

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このコメント、apjさんのブログのエントリーの、酔うぞさんのコメントを読んだりして、考えたものです⇒水伝またきた :: 事象の地平線::---Event Horizon---

以降は、エントリーの主旨と全くはずれるので(そして、多くの人にとっては瑣末な指摘なので)、こちらに書きますが、

それが、最近では子どもたちの経験の範囲は非常に狭くなった。
そして、ゲームなどバーチャルな経験は圧倒的に増えたから、どうも高校生になっても、理科・工作といったものを楽しんだことがないらしい

ここで表現されている「バーチャル」がどういう意味なのか、ちょっと掴めないです。それと、前段と後段が、「から」で接続されているのも、変です。理科や工作を楽しんだことがない「根拠」を「ゲームなど」に求めるのが、ちょっとおかしいです。ここで、「バーチャル」に何を含意させているかが、ポイントになってくる訳ですね。もし、「現実の行為の代替」という意味を含ませてあるのであれば、文は整合します。ですが、その場合には、「バーチャル」という語を、誤解なさっている、という事になります。ゲームは単にゲームであって、それは、現実の経験を忠実に再現したものなどでは無いからです。
で、もしそういう含意が無いのであれば、わざわざ「ゲームなど」を持ってくる必要は、ありません。将棋ばかりやっていて、小説ばかり読んでいて、サッカーばかりやっていて、工作経験が殆ど無い、という様な言明と、あまり変わりませんので。

また、「ゲーム」という語が出てきたから過剰反応してるよ、と思われた方も、いらっしゃるでしょうね。そういうご指摘への返答は明快で、「その通り」、です。

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コメント

二分法的思考という意味で、「デジタル的思考」を用いるのに、凄い抵抗感を覚えるのですけれど、これは私だけの語感なのでしょうか。いや、デジタルの機器や、それを好んで使う人への批判をも含意してしまうのではないか、という所への懸念なんですけどね。考え過ぎなのだとは思います。

投稿: TAKESAN | 2007年6月19日 (火) 14:14

科学的リテラシーの高低については、これまでの調査は知識量を問うているような気がするのですけど、どう思います?
科学的に思考する力については、ちゃんと計れたことがないんじゃないでしょうか。だとするとあまり意味のある比較にはならないよなあ、なんて思ってます。

投稿: 亀@渋研X | 2007年6月19日 (火) 15:19

直観的には、そう思います。勿論、知識量と、それを使いこなす能力は関係する訳ですけれど、その「科学的思考力」を上手く測る調査が為されているか、という問題は、ありますよね。国際的な調査では、PISAのもの等がありますが(マスメディアが採り上げましたね)、これの結果、及び設問を見てみると、果たして能力そのものが落ちているのだろうか、とか、読解力の問いには、文化的な違いが関係しているのではないか、とか(これは、大人に解かせてみたかったりします)、疑問も出てくるのですよね。※この件については、安原さんのブログに詳しいです⇒http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016028633.html

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016182461.html

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10016225955.html

あまり深入りすると、いわゆる「学力低下」の議論に入らざるを得ない訳ですが、そうなると、私の手に負えないです。ただ、単純に「学力が低下した/していない」と論じる事は出来ず、様々な議論がある事は認識しておく必要があるのだと、思っています。調査されている「学力」が、実際に「知識を使う能力」を測れているのだろうか、という点も含めて。

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これは全くの余談(と言うか、妄想)なんですけど、大人に対する学力調査をやったらどうなるかなあ、と思っています。それで比較してみるのは興味深いんじゃないかな、と。

投稿: TAKESAN | 2007年6月19日 (火) 17:30

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E4%BD%8E%E4%B8%8B

wikipediaの、「学力低下」のページです。

あ、補足ですが。
私は、「学力が低下している」とも「低下していない」とも、言った事は無いです。ただ、直観的としか言えない理由で(つまり、身近の経験を一般化している)、学力が低下している、という論を見る事もあるので、それは早計ではないか、と考えています。事が、自分の詳しく無い分野になった途端に、直観に頼る、というのは、よくありますので…。

投稿: TAKESAN | 2007年6月19日 (火) 17:40

実は私も「デジタル的思考」という表現にひっかかりを感じている一人です。
デジタルの仕組みを踏まえて二分法的思考を喩えるなら、「低分解能的思考」とか「低周波数的思考」ですかね。アレゲな表現で「4MHz的思考」とか。

投稿: A-WING | 2007年6月19日 (火) 18:23

A-WINGさん、今晩は。

テレビとかで、デジタル云々と、ネガティブな意味合いで用いる人って、「多分、解って無いのに適当に使ってるだろ」、って感じなんですよね。象徴表現と言うか。だから、慎重な人は、ああいう文脈では、「デジタル/アナログ的思考」という表現は、余りしない気がします。

細かいっちゃあ細かい話ですけれど。

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「定量子化思考」とか。←何か違う様な。

追記:うわあ…。上の「定量子化思考」は、「低量子化思考」です。

投稿: TAKESAN | 2007年6月19日 (火) 18:50

 「デジタル思考」については、私の印象もたぶん似たところにあります。ただ、デジタルとかアナログとかがもう本来の意味を失っているのかな?と思っている点で多分一緒ではないとは思いますが。

 余計な意味を付加しないためには、普通に二分法で問題ないと思うんですけどね。わかりにくいわけでもないし。

投稿: newKamer | 2007年6月19日 (火) 22:04

 表現の違いでしかないのですが、知識を使いこなす能力もまた知識なんじゃないかな?と思っています。

 「考え方」という知識と、「結果」という知識ですね。

 と、書いてみたのは「ビリーバーと我々の違いはせいぜい特定領域の知識量の違いでしかない」という考えでいるためです。

 科学的思考方法という知識を得る機会がなければ、不合理な結論を受け入れるのは当然であって、我々は偶然にもそういった領域の知識を得る機会があって(努力もあるかもしれないけれど)、実際手に入れたと。

 ビリーバーはビリーバーなりに、知識の範囲内での合理的思考をしているのだというのは、結構重要だと思うわけです。

 というわけで、エントリの内容から思いっきりはずれました…すみません。

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 学力低下の問題は、本質的に「最近の若いもんは…」問題とか「最古の武器が最強説」であって、年寄りと若者の間には、考え方の違いがあるということに過ぎないと邪推しています。

 確かに年によって揺らぎはあるでしょうけれども、本質的ではないと思います。

投稿: newKamer | 2007年6月19日 (火) 22:17

多分、「デジタル」という語が、ネガティブな意味合いで用いられる所に、ちょっとした抵抗感があるのだと思います←自分の事なのに、「思う」って…。象徴的表現としても、古くなっているとも。

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▼▼▼引用▼▼▼
 科学的思考方法という知識を得る機会がなければ、不合理な結論を受け入れるのは当然であって、我々は偶然にもそういった領域の知識を得る機会があって(努力もあるかもしれないけれど)、実際手に入れたと。

 ビリーバーはビリーバーなりに、知識の範囲内での合理的思考をしているのだというのは、結構重要だと思うわけです。
▲▲引用終了▲▲
私もそう思います。また、ここにも度々書いていますが、自分がよく知らない分野については、ニセ科学かどうかが判断しにくい、という事もあり、その場合に、懐疑側に立って慎重に見る、という「姿勢」が、重要だと思います。基本的な、科学の方法に対する知識と、常に慎重に見る姿勢、それから、関連情報を収集するにはどうすれば良いか、という知識、ニセ科学言説に一般的に見られるパターンにどの程度適合しているか、等々を総合的に把握する能力が、重要だと考えています。

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学力低下については、慎重に見たいと思っています。いわゆる俗流若者論に利用される場合も、あるからですね。
尤も、慎重に見る、と言っても、実際に著しく低下している可能性もある訳で、そこは、学術的にきっちり検証すべきだとも考えています。

投稿: TAKESAN | 2007年6月20日 (水) 00:22

上の方でTAKSENさんがちょっと触れているPISAについて、実施主体のOECDの人が説明している記事がありました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/gakuryoku/archive/news/20070329org00m040030000c.html

これだけ見ると、成人を対象としたPIACCという調査もあるようですね。まだ研究中みたいな感じでもありますが。
しかし、日本のPISAの結果もマスコミの捉え方(いわゆる学力低下)と、文科省やOECD側の捉え方(一概に学力低下しているとは言えない)とでぜんぜん異なるので、実施してもまた百家争鳴になるだけかもしれませんが。

投稿: 亀@渋研X | 2007年6月21日 (木) 16:29

興味深い記事ですね。

私は、どちらかと言うと、認知科学や学習科学的な考えをする人間なので、記事に書かれている様な内容に、肯きますね。よくドラゴンさんが、こちらに書いて下さる教育観、と言うか、お考えにも、賛同しています。

 >実施してもまた百家争鳴になるだけか
 >もしれませんが。
喧々囂々やるのが、ある意味健全なのかも知れませんね。学力とか知能とか、そもそも実体が存在しないものなので、色々な考えの人がいて、主張をぶつけ合うのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年6月21日 (木) 17:31

話は替わって、記事でも触れられていますが、「意欲」というのは、決定的に重要だと思っています。

個人的に考えているのは、ボトムアップより、トップダウン(←言葉の使い方が微妙かも)の教え方をするのが、良いのではないかなあ、と。
最初にCPUやら記憶装置やらの構造機能を説明するより、先ず一通り、「パソコン」を使わせてみて、アプリケーションはどうやって動いているか、とか、そういう仕組みを分析していく方が、興味を持ちやすいし、具体的にイメージし易いと思っています。後、ビジュアルをふんだんに使うとか。
そういう意味では、私は、かなり「経験」とか「実感」重視、なんですよね。

いきなり、「光が網膜に点在する視細胞により受容されて、電気信号に変換され…」なんて説明しても、多くの人は、興味持てませんよね。それより、「人はどうやって物を見ていると思いますか」、というのを考えさせる方が、「面白い」んじゃないかと考えます。そして、自分で考えた「仮説」と、「実態」がどう合っているか、また違っているか、というのを教える、という。
ここら辺をどうするか、というのが、教師の教え方の勘所、なのではないでしょうか。

投稿: TAKESAN | 2007年6月21日 (木) 17:44

投稿: TAKESAN | 2007年7月 6日 (金) 12:47

PISAの結果が出ましたね。
あまり調べていないのですが、こちらの見方が、バランスが取れていて、参考になると思います⇒http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1063819.html

思うのは、
マスメディア(特にテレビ)は、こういうニュースを出す時、もうちょっとしっかり伝えた方がいいんじゃないかな、という事ですね。あまりに適当だと思います。順位が下がったと、それくらいですからね。後は、問題を紹介して、どういう誤答があったかの紹介、とかかな。
社会にとって、物凄く大切な事なのだから、それだけじゃあいかんですよね。変化の仕方をどう捉えるか、とか、順位の変動がどういう意味を持つのか、とか、いくらでも、考えるべき事はあるのに。

個人的には、以前からの傾向である、無回答の多さとか、興味・関心の低さが、かなり問題であると感じます。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 5日 (水) 13:33

TAKESANさん

マスメディアの伝え方と聞いて、先日の学力テストの結果分析を思い出しました。

「基礎問題よりも応用問題のほうが点数が悪いから、今の若者は応用力が低下している~」

って、普通応用問題のほうが点数悪いでしょう。殊更強調するようなことじゃない。おまえら「応用力の低下」って言いたいだけちゃうんかと。(関係ない話題ですみません)

投稿: Noe | 2007年12月 5日 (水) 15:25

Noeさん、今日は。

確かに。「低下」は、経時的な比較をして初めて言える事ですね。

これは余談ですけれど、基礎が出来ていれば、一般的に、「応用」も出来るはずなのですよね。
とすると、基礎の成績がそこそこで、応用が今一つであれば、それは、基礎そのものも出来ていない事を示唆するのかな、なんて思っています。応用というのは、基礎的な力をはかるもの、つまり、「型」からはずれた問題において、学んだ事を適用して解けるか、というのをやらせている訳ですしね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 5日 (水) 17:34

PISAについての報告書(PDF)⇒http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/071205/001.pdf

日本、結構優秀なんじゃないかな。顕著に低下した、とは言えない気もします。
しかし、読解力は低いなあ。

問題を見てみましたけど、思ったのは、「あー、大人で解けない人は、一杯いるだろうな。」って事でした。凄く良く出来てますねえ。かなり高度だと思った。肝心の、読解力と数学的リテラシーの問題は非公開ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 6日 (木) 19:25

こんにちは。
TAKESANさんがtoshi先生のブログを紹介しているのが、なんだか勝手にうれしかったりしてます(^^)
PISAがらみでは、下記の「KOYASUamBLOG2」の記事もおもしろいですよ。短いですが示唆に富んでいると思います。

PISA2006
http://koyasu.jugem.jp/?eid=1095
社説の論旨
http://koyasu.jugem.jp/?eid=1096

発表された日の「めざましテレビ」で電話コメントを寄せていた教育学者の方は、短い時間でうまいコメントをしていました。名前を忘れてしまったのが残念ですが、PISA関連でよく出てくる中嶋教授ではなかったなあ。
あいまいな記憶で書いちゃいますけど、まず「PISAは『知識を実際の生活に活かせるか』という能力を測っているものであって、いわゆるゆとり教育で重視してきたもの。これをいわゆる『読み書き計算』的な学力の問題ととらえて、ゆとり教育の失敗などと考えるとおかしなことになる」というようなことをおっしゃったんですね。
で、これを受けて大塚某が「よくわからないけど、結局どういうことなんだ」みたいなありがちな質問をする。
返して「短く言うのは難しい。しかし今回の調査ではっきりとわかったのは、OECD加盟国の中で、日本の教育予算は最下位グループであり、極端に少ないということ。こうした能力を向上させようと考えるならば、授業時数を増やすといった付け焼き刃的な対応でどうにかなるようなことではなく、少人数指導とか教員の増員などといった枠組みからの対処が必要」なんて感じ。

ぼくは「うまい!」と笑っちゃいました(^_^)

投稿: 亀@渋研X | 2007年12月 7日 (金) 09:21

おお、ありがとうございます。大変詳しい分析ですね。参考になります。産経の社説とか凄い…。

私も、参考になったエントリーを、ご紹介しますね↓
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/12/pisa2006.html

http://plaza.rakuten.co.jp/yotayotaahiru/diary/200712040000/

http://plaza.rakuten.co.jp/yotayotaahiru/diary/200712050000/

それにしも思うのは、中原さんもお書きのように、「順位」というのはわかりやすく、インパクトがあるのだな、という事ですね。本来、それだけでは情報は不足していると考えるべきなのに(報告書には、詳しい情報も載っているのに)、メディアは、そのインパクトのある情報だけを報道して、それだけ、なんですよね。果たして、報告書すら読んでいるのかどうか…。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 7日 (金) 12:33

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071208-00000048-jij-soci

うーむ。

この記事を見せて、「他にどういう情報が書かれていれば、良い記事と言えるか、挙げてみましょう」、と問えば、いい練習問題になるんじゃないですかね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月 8日 (土) 18:55

>他にどういう情報が書かれていれば、良い記事と言えるか、挙げてみましょう

いや、これは難しくないですか?
私なら「何もかもが不足している」と言う解答をしてしまうと思います(笑)
この記事にするにあたって、必要な情報を全てそぎ落としてしまったのか、それとも、元々の発表段階から何もなかったのかはわかりませんが…。

投稿: たこやき | 2007年12月10日 (月) 21:47

れれれ、練習問題? 職業柄、これは解いてみなきゃ。
というわけでリライトしてみました。

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岩波書店が、教員100名へ「児童の国語力低下」に関する意識調査

 「岩波書店」(東京都千代田区)が行った「児童の国語力の低下に関する意識調査」によると、調査対象となった教師の9割が、小学生の国語力が低下していると感じると回答していることが8日、分かった。同社は「現場の先生が危機感を持っている表れではないか」としている。
 【調査対象は、全国の勤続×年〜×年の小学校教員100人で、無作為に選んだ全国100校の小学校に依頼したもの。】【構成は、国公立小学校の教員が×割、私立小学校の教員が×割、40歳以上が×割、39歳以下が×割を占める。】【調査方法は、選択式アンケートと記述による回答の組み合わせ。】【設問は、現在担任している児童(小学校×年生から×年生)の国語力の低下に関する印象を、×〜×年以上前に担任した小学生と比較させたもの。】【「全く低下していない」から「非常に低下」の×段階の選択肢から回答を選択し、さらにその理由を自由回答で記述させた。】
 調査結果によると、国語力について「非常に低下」とした教師は15人で、「やや低下」の73人と合わせるとほぼ9割に達した。「全く低下していない」との回答は皆無だった。
 具体例を挙げてもらったところ、4年生が「八つ」を「はちつ」と誤読したほか、数え方を知らずに、何でも「個」とする【×年生】がいたという。
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もちろん、【】内はテキトーです。調査目的、調査対象、対象の構成、調査方法、設問、選択式の場合の選択肢、比較を聞いているので比較対象、なんてところを補ってあります。
調査目的については、選択肢の一方の極のように「全く低下していない」が挙げられているので、「児童の『国語力の低下』」に関する調査であり、しかも、定量的でも定性的でもないようなので意識調査としか言えないのは疑いないところです。ですから、そこは【】に入れませんでした。

まだ足りないものがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。

しかし、サンプルが100人ってのもアレですが、【】内が違うと、ぜんぜん意味が変わりますね。ひょっとして、小学校から高校の教員が対象で、ある地方の、私立校20校の、勤続3年以内の教員が9割だったりしたらもう、なんのこっちゃやら(^◇^;)

投稿: 亀@渋研X | 2007年12月10日 (月) 23:39

あ、あと、いわゆる「有識者」のコメントがあればもっといいかも。
しかし、一出版社の、しかも100人を対象とした調査なんか、こんなには字数をもらえないだろうなあ。という程度に読者も記事を読んでくれれば良いのだが、そうはいかんだろうしなあ。うむむ。

投稿: 亀@渋研X | 2007年12月10日 (月) 23:45

たこやきさん、今晩は。

「ツッコミ所を探そう」、て言うのもいいかも知れません。
そしたら、ツッコミ所満載で、結局、なんだこれ、ってなるでしょうけれど。仰るように、情報としては、ほとんど有用なものが無い、という…。

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亀@渋研Xさん、今晩は。

おおっ。詳しく書いて頂いて、ありがとうございます。

まずは、タイトルですよね。元ネタの方は、変な言い方ですけれど、上手い。インパクトのある読み間違いの例を出して、いかにも読ませるように仕向けてあるし、「教師の9割」という所も強調してある。でも、ちゃんと「岩波書店調査」と書いてあって、間違った事を書いてある訳でも無いのですよね。情報を不足させて(さすがに、意図的では無いでしょうけれど)、「読み手のバイアスに任せる」と言う感じがします。←深読みし過ぎ。

本文の方は―。

サンプルの抽出の仕方。有為抽出であれば、どうやってアンケートを集めたか、調査対象がどんな構成であったか、とか。少なくとも、標本抽出が妥当で無ければ、調査した100人の回答から一般論を引き出す事は難しいので、そこの情報は必須ですね。
アンケートの内容。「国語力について」、としか書かれていないが、ずばり、質問文は何だったか。何件法であったか。

後、「具体例」というのが、「何の具体例」なのかも、知りたい所ですよね。どういう質問だったか。それほど重要な情報では無いかも知れませんけれど。あくまで誤解の例なのだから、そりゃあ、4年で「はちつ」と読む子どもも、いるでしょうねえ、という感想でした。ちなみに、私は「八つ」を見ると、まず「はちつ」と脳で再生されます。で、あ、そういう読み方はしないな、となります。

亀@渋研Xさんが書いて下さった様な内容の記事なら、おー、と思いますよね。これだけの情報が得られれば、色々考察する事が出来ますし。
テレビでやっている支持率調査なんかでは、フリップなりに、必ずサンプリング方法が書いてあるのですよね。調査に関する記事なので、そこら辺の情報を書くのをデフォルトにしても良いだろうと思います。

余談。
これ、私もそう感じて、2ちゃんねるの反応にも同じ様なのがあったのですが、「なんか、まるで他人事みたいだなあ」、と。教えられて無いから答えられない訳で、教えるのは誰かと言えば…。
あの記事の書き方だと、そんな風な印象を持ってしまう、という事があるのですよね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月11日 (火) 00:52

勢い余って、うちのエントリまで書いちゃいました。
と思ったら、TAKESANさん、採り上げてくれたのね。ダンケダンケ。

>「具体例」というのが、「何の具体例」なのか
うーん、そこは自明かと思っちゃったのだけど、そうですね、なにを挙げさせたのか。「最近体験した、『国語力低下』を感じさせる誤りの例」ぐらいだろうと思いますが、言われてみれば、本当はなにを聞いたのか、わかりませんね。

うちの娘たちは、つい先年まで「八日」と「二十日」を混乱していましたね。わたしの兄も高校生ぐらい(70年代後半)まで、ふざけ半分で「はちか」なんてごまかしてましたが。
数え方が云々ってのは、助数詞の使いこなしのことを言ってるんでしょうけど、これも「人間は何人」「鳥は何羽」「動物は何匹か何頭」なんていうぐらいなら小学校2年生ぐらいでも知っている子どもが多いでしょうが、「タンスは」「蝶は」なんてあたりになると、クイズの問題に出てくるぐらいですからね。もともと日本語の助数詞は難しいんですよ。
もっとも、本当に「なんでも何個」と数えるってのは、中高校生でもいますので(半分わざとくさいですが。30年前の兄貴と同じだ)、助数詞には達者でない若者が多いのは、確かでしょうけど。

投稿: 亀@渋研X | 2007年12月11日 (火) 02:30

 >「何の具体例」なのか

ですね。ここは、「訊き方」について、考えてみました。
「国語力が低下した、と思った児童の言動などがあれば――」、なのか。それとも、単に、誤答の例を訊いただけなのか。細かいと言えば細かいですが。

”何でも「個」とする児童”とか、ちょっと考えると、「”何でも”って何よ?」となるのですよね。さすがに、人間の数を数えた訳じゃあ無いよね、とか。そこら辺の情報は解らないので、ふうん、としかならない、と。
で、そういうのも、「学力低下の象徴」では無くて、「教育が不十分な一例」、なのですよね。

兎の数え方とか、かなり引っかかりそうですよね。

何だか、「(過度の)一般化の罠」的なものが、ある気がします。直感を強化してくれる情報があれば、しっかり吟味せずに、飛びつく、という。誰しも、自分の考えている事は妥当なのだろう、と思いたいでしょうから。

と、数え方の事を考えていたら、あの、奇跡のサイトを思い出したのでした。
これですね⇒http://www.benricho.org/

投稿: TAKESAN | 2007年12月11日 (火) 03:01

みなさん、おはようございます。

学力関連なので、一言。
岩波書店の調査は、あくまでもアンケートで教師による印象ですよね。例示されたのも特殊な例であって、一般化できる話題ではないでしょう。
あまり信頼性はないと思います。それを取り立てて報道する意味があるのか疑問ですね。

PISA調査については、順位を気にするのでなく、ぜひ詳細を読んでいただきたいですね。

順位は、平均で出されます。これが大きなポイントです。平均だけでなく、分布がどうなっているのかとかも重要でしょうが、マスコミで触れられることはあまりありません。

フィンランドがよいのは、低い層がいないということです。実際に視察した先生方から話を聞きましたが、授業のレベル、教師のレベル自体は、日本の方が上だろうということです。
ただ、全体の教育環境がよいので、低い層があまりいないようになっているとのことでした。日本でも、例えば教育熱が高い地域だけで調査をすれば、フィンランドのような結果が出るかもしれません。

アメリカは、どのカテゴリーもまんべんなく散らばっています。低い層の割合も高いですね。高い層の割合も低いんですが、この少ない割合の連中がトンデモなく高かったりもするそうです。フランスもそうなんでしょう。ある程度の格差は容認するが、一部エリートだけで社会を引っぱればよいという考えもあるように思います。だからノーベル賞もバンバン出ています。

要は、社会がどのようになっていくことを期待するのかです。私は、もちろん低い層を減らしたいと願っております。
ただ、マスコミを見ていると、低い層を上げて、ノーベル賞も出してと、何でもねだっているようにしか聞こえないような気がするんです。

投稿: ドラゴン | 2007年12月11日 (火) 10:48

ドラゴンさん、お早うございます。

岩波の調査は、そのように捉えるのが妥当でしょうね。ワイドショーが好みそうなネタですが、私が観た限りでは、件の記事が拾われていたのは、ありませんでした。

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実際、順位だけをクローズアップしている論評は、散見されますね。どれくらい離れているか、というのが重要なのに(それは示されているのに)、その情報を捨てているので、あまり良い分析とは言えないのだと思います。習熟度レベルの構成比は書いてあるので、ここら辺を、もっと考えるべきなのですよね。専門家の分析では、当然のごとく、語られているようですけれど。
個人的には、群内(各国)の分布の、ヒストグラムなり箱ひげ図なりも載せれば良いのに、とか思いました。

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超余談。
公務員のボーナスの平均が発表されたのを受けて、インタビューされた街の人々が、「いいですねー。そんなに貰えて。」なんて反応をしていたのですが――。
平均値に代表させるのが妥当なんだろか、とか思いました。どんな分布の形をしているの、と。そっちの情報の方が大切ですよね。

総務省統計局のサイト見てたら、こんなページを見つけました⇒http://www.stat.go.jp/kids/index.htm

投稿: TAKESAN | 2007年12月11日 (火) 11:31

>超余談。
そうなんです。平均のトリックというのもあると思います。よく読み取らないと。
公務員のボーナスにも総理大臣もふくまれているのでしょうか。
こういうデータが公表されるたびに、自分との乖離というか、違和感を感じています。まあ、自分が平均的な人間だと思いこんでいるせいでもありますが。
平均寿命についても、本来乳幼児の死亡率が減ったことが大きいですよね。でもイメージとしてお年寄りが長生きするようになったように感じてしまいます。
このような平均データは慎重に読みましょう、ということですね。

総務省統計局のページは面白いですね。教材のアイディアになりそうです。

投稿: ドラゴン | 2007年12月11日 (火) 13:10

一般行政職の平均、という事なので、含まれないのかな。ちょっと調べてみたのですけれど、公務員の組織体系とか、凄く複雑なのですね…。
もちろん、平均値しか書いていないのは、それが代表値として適切だという前提があるのかも知れません。どこか、分布表とか無いのかな。

平均のトリックって、よくある「統計でウソをつく」系の本には、定番の話題として載っていますよね。常識として押さえておくべきですよね。

平均寿命って、ややこしい概念ですよね…。

投稿: TAKESAN | 2007年12月11日 (火) 15:13

ドラゴンさん

平均寿命についてちょっと気になったので、総務省統計局の国勢調査結果から65歳以上人口の全体に占める割合を拾い出してみました(割合=65歳以上人口/総数)。ついでに厚生労働省の平成18年度簡易生命表から対応する平均寿命を拾い出して見ました。これを見ると、平均寿命の伸びはだんだん鈍化していますが、高齢者人口は1980年ごろから爆発的に増加しています。高齢者が長生きになっているのは事実のようです。


調査年  男       女  
1920年 4.6%      5.9%
1925年 4.4%      5.7%
1930年 4.1%      5.4%
1935年 4.0%      5.4%
1940年 4.0%      5.5%
1945年 4.6%      5.6%
1950年 4.2% 58.0歳 5.6% 61.5歳
1955年 4.6% 63.6歳 6.0% 67.8歳
1960年 5.1% 65.3歳 6.4% 70.2歳
1965年 5.6% 67.7歳 6.9% 72.9歳
1970年 6.3% 69.3歳 7.8% 74.7歳
1975年 7.0% 71.7歳 8.8% 76.9歳
1980年 7.8% 73.4歳 10.3% 78.8歳
1985年 8.6% 74.8歳 12.0% 80.5歳
1990年 9.8% 75.9歳 14.1% 81.9歳
1995年 12.1% 76.4歳 16.8% 82.9歳
2000年 14.8% 77.7歳 19.7% 84.6歳
2005年 17.4% 78.6歳 22.6% 85.5歳

投稿: Noe | 2007年12月11日 (火) 16:47

Noeさん、今日は。

情報、ありがとうございます。

ところで、平均寿命とか死亡率とか、凄く解りにくい、と言うか、ちゃんと教えられる事の少ない概念なのですよね(私も、よく解っていなかったり)。比と割合と率は使い分けられたりしますし。
ややこしい話です…。

投稿: TAKESAN | 2007年12月11日 (火) 17:19

Noe さん

私も誤読しておりましたか。お恥ずかしい。
アフリカの人たちの平均寿命などで、乳幼児死亡率との関係がよく話題になっておりましたので、そう思いこんでおりました。
データを読むのも難しいですね。

投稿: ドラゴン | 2007年12月11日 (火) 17:19

ちょっと流れから外れますが……。
理科教育のよさそうな本が紹介されています。
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-966.html

投稿: グレートパンダー | 2007年12月11日 (火) 19:15

takesanさんもちらっとおっしゃっているように、平均寿命って寿命の平均と考えてはいけないのですね。「その年」の「年齢別死亡率」をひとつの数字で代表させたもの、なのですね。
ですから乳幼児死亡も、中高齢者の死亡も両方効いてます。近年高齢者の割合が増えているのは生まれる子供の数が減っているためで、これは平均寿命とは関係ありません。

投稿: ちがやまる | 2007年12月11日 (火) 19:40

>ドラゴンさん

難しいですね。やっぱり勉強しないとな、と思います。

------

グレートパンダーさん、今晩は。

おおっ、これは。
目次を見るだけで、いかにも良さそうに思いますね。
しかも、近くの図書館にあるっぽいです。
読もうと思います。

------

ちがやまるさん、今晩は。

ご説明、ありがとうございます。

日常でも何気無く使われている言葉でも、実はきちんと定義されていて、でもそれが周知されていない、という事って、ありますよね。「平均寿命って何?」と訊かれて答えられる人って、あまりいないような気もしています。

------

今、『「ぷっ」すま』に、筆跡心理学の人が出てる…。

投稿: TAKESAN | 2007年12月11日 (火) 23:36

ドラゴンさん

いえ、必ずしも誤読とは限らないと思います。高齢者が長生きなのは事実ですが、これが、平均寿命が長くなった原因であるのか結果であるのかは私にも良く分かりません。

ちがやまるさん

確かに高齢者の割合が増えている一番の要因は少子化だとは思います。統計を取り始めてから総人口は増え続けているので、高齢者は実数としてもかなり増えてはいますけどね。


しかし改めて自分で書いてみて思ったのですが、50年で平均寿命が20年延びるってすごいことだなあ。よく外国の健康法や健康食を紹介するテレビ番組とかありますけど、これを見ると現状維持が一番なんじゃないかと思ったりします。

投稿: Noe | 2007年12月12日 (水) 08:12

Noeさん、今日は。

やっぱり、日本の医療は優れているのでしょうね。
とは言え、どう年を取っていくか、という所も、大切なのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年12月12日 (水) 12:25

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