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2007年6月13日 (水)

表面と中身

「善意」とか「信念」とか「覚悟」とか「決意」があっても、やる事が正しいとは、限らないんですよね。何が正しいか、何についての問題か、というのも、ありますしね。

でも、結構、そういう「姿勢」で評価しがちです。なんかよく解らんけど、凄い「熱意」だ。いい事言ってるに違いない、と。

ロジックとしては、「何かアツい」→「一所懸命だろう」→「沢山勉強しているだろう」→「知識が豊富だろう」→「やる事は、妥当だろう」、という感じでしょうか。

でも、単に一所懸命なだけでとどまっている人なんて、一杯いるんですよね。残念ですが。

そういう所は、念頭に置いておかなくてはなあ、と思います。ちゃんと、考えないと。結構疲れる事ですけど、仕方無いですね。

ただ、意気込みというのは、大切なんですよね。いくら理詰めでものを考えて、妥当な結論に至っても、やらなきゃしょうが無い、という事も、あるでしょうね。私に足りない所です。はっきり、欠点ですね、これは。熱くなり過ぎては駄目だ、と思って冷ましたら、固まって動けなくなる、そんな感じかな。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、TAKESANさん。

ニセ科学に関しては、「熱いから何かある」と「熱くなるのはおかしい」の両面が悪い方向に出てしまったと思っています。

学会に出せば冷笑を持ってむくわれるネタでも世間に対して「熱心に主張」すれば、「何かあるのかも」とマスコミなどは取り上げてくれる。そうやって社会に流行り始めたときに、本当は我々も熱く「そんなのはおかしい」と言わなくては成らなかったのに、「そう熱くなる事でもないか」と醒めていた。その結果として、多くのニセ科学が蔓延してしまった感じですね。

投稿: 柘植 | 2007年6月13日 (水) 09:34

柘植さん、今日は。

冷めた見方をしていたが為に、良くない方向へ行ってしまった、という事は、ありますよね。ゲーム脳を例に採ると、本が出た時に、業界が本腰を入れて対応しておけば、今ほどの流布は、無かったかも知れません。もし、(勿論良い意味で)熱心だったゲイムマンさんがおられなければ、と考えると…。
多分そこには、「あんなもの、放っておいても構わない」、という見方があったのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2007年6月13日 (水) 11:52

こんにちは。
こういうことって、「志の高さ」がまず重要だと思っています。「志」を維持するために「熱意」が必要なのであって、まず「熱意」というのはとても危険な感じがします。
マスコミ関係者と接すると、まず「熱意」の人が多くて、その実「志」は低いということが多々あるように思います。あくまでも印象ですが。
「熱意」を持っていたって、挫折もするし、失敗もするし、「熱意」ではどうにもならない、能力の欠如もあります。それらを肯定的にとらえていくことに、酷く臆病なのかもしれません。
「熱意」があったって、身に付かないものは付かないです。

投稿: corvo | 2007年6月13日 (水) 15:30

corvoさん、今日は。

私は、子どもの頃から、無闇に熱い人に対しては、違和感を持っていました。逆に、冷め過ぎていて、それはそれで、ちょっと駄目でしたけれど。

仰る通りで、いくらやる気に溢れていても、どうにもならない事って、ありますよね。あまりに熱いと、それを誤魔化したり正当化したり、というのも、あると思います。ちょっと頭を冷やして、落ち着いて考えると、色々なものが、見えてくると思います。私は、「謙虚」になるというのも、そういう事だと考えています。

勿論、こういうものは、相反するものでは無いので、両方高めていくべきなのでしょうね。

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全くの余談ですが、「精神力」を、三次元の構造だと捉えて論じている人がいますね。マイナーですけれど。

投稿: TAKESAN | 2007年6月13日 (水) 17:05

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