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2007年6月18日 (月)

蜘蛛の巣

MORI LOG ACADEMY: 近頃のインターネット

私は、インターネットに接続出来る環境になったのが、比較的遅かったので(まだ6・7年)、最初の頃は、海の、陸地の見えない所に放り込まれた様な感じでしたね。どうすれば有用な情報を得られるか、とか、全く解りませんでした。WEBの創成期から使いこなしていた人は、段階的に拡大していくのに上手く適応出来たと思いますけれど、ある程度大きくなった状態で始めると、とても戸惑います。最初は、ご多分に漏れず、2ちゃんねるやら何やらを警戒したりしていましたね。始める前には、漠然とした不安もありました。まあ、体験した事の無い人がよく語る不安と、同様のものです。

これ程インターネットが拡大して、ブログ等も増えてくると、森さんが仰る様に、実際、薄まったり、役立たずの情報も増えたりしてきているでしょうね。また、WEBで情報発信している人で、常に不特定多数の人に見られる、というのを意識していない人が、増えていると思います。これは多分、html(私も出来ないですが…)等を知らなくても気軽にブログやらを開設出来る、つまり、敷居が下がってきたから、なのかも知れません。もうちょっと、他人の「目」を気にすべきなんじゃないかなあ、と思いますね。原理的には、様々な情報が一瞬で伝達される可能性を持っている訳で、その辺の意識が、低いんじゃないかと。私は、ブログを開設するまでに、色々な所を読んで、どういう情報は書くべきでは無いとか、どういう作法があるかとか、そういうのを、かなり勉強して始めました。よく言えば慎重、悪く言えば臆病、という事ですが、インターネットに情報発信するのですから、少々臆病と思えるくらい慎重になるのが、丁度良いのではないかとも、考えます。追記:文章の修正が面倒なので、追記で。htmlが出来ない云々と、他人の目を気にした方が良い、というのは、論理的に、直接には繋がっていないですね。これは、html等、WEBについての知識を持っている→インターネットにおけるコミュニケーションについても、ある程度考えているだろう→ネットに発信した情報の広がり方についても考えているだろう→ネットへの情報発信に慎重になるだろう―という推測です。html云々というのは、メディアリテラシーの高低を象徴する文章という事ですね。実際にそれが出来るかどうか、という事には、あまり意味は無いです。あー、長い追記。修正した方が良かったし(笑)

その為には、ある程度、仕組みを知った方が良いですよね。そうすると、「想像」する事が出来ます。

今の様に拡大した状況でもいいんじゃないかとも、思います。情報の総量が増えれば、そこから有用なものを取捨選択するのに、ある程度のスキルが必要とされる訳で。必然的に、メディアリテラシーの向上を促す、という。尤もこれは、かなり楽観的な考えですけれど。マスメディアの情報の様に、キレイにカットされて、かたちを調えられたものより、WEBで雑多な情報に触れて、訳の解らなさを知る、という方が、健全な気もします。自分で情報を整理していく、という。

WEBでのコミュニケーションの最大の利点は、時間的・空間的制限を、かなりの程度取り払ったという所にあるのですから、それを認識して、上手く付き合っていくのが、良いのではないかと思います。余り恐れず、かと言って頼り切らず、程々にやるのが、ベターですね。

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ぶっちゃけ、引用文を貼り付けているだけのエントリーは、どうにかして欲しい。

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コメント

HTMLを知ってることがリテラシーの初歩をわかっていることの象徴として機能するかどうかはさておき、おおむね同感であります。とか言いつつ、ここ↓にだけ反応するのもどうかとかなんとか思いつつ(^^;;

>ぶっちゃけ、引用文を貼り付けているだけのエントリーは、どうにかして欲しい。

ほんまに。
これを判定できる検索エンジンができたら、わたしはきっとそれを使うようなるでしょう(^^;)
しかしながら、すぐに記事が消えちゃう新聞社サイトの記事なんかについては、御法度な全文コピペサイトが便利だったりモゴモゴ……捨てる神あれば、なのか、ゴミにも利用価値があるってこと(^^;;

そういえば、引用ルールってのは守られないですね。「悪意がないつもりなら、せめて不完全でも出典を書けよ」と思いますね。<完全に論点がずれた?

投稿: 亀@渋研X | 2007年6月18日 (月) 10:31

亀@渋研Xさん、今日は。

 >HTMLを知ってることがリテラシーの
 >初歩をわかっていることの象徴として
 >機能するかどうかはさておき
我ながら、適当な事書いたと思ってます。あんまり気にしないで下さい(笑) ハニカミ王子がメディアで紹介されて、にわかゴルフファンが増えた、という様な感じです。きっかけの違い、と言うか。何か全然違う(笑)

 >しかしながら、すぐに記事が消えちゃ
 >う新聞社サイトの記事なんかについ
 >ては、御法度な全文コピペサイトが便
 >利だったりモゴモゴ……
それは確かに…。

 >そういえば、引用ルールってのは守ら
 >れないですね。
出典を明記していないのは、結構見られますね。日記を書く様なお手軽さが強調されて、インターネットに公開されるという重大さが周知されていないのかも知れません。各ブログサービスのヘルプページには、ちゃんと書いてあるんですけどねえ。

投稿: TAKESAN | 2007年6月18日 (月) 12:09

ぼくは普通のひとがネットを使うようになったほぼ最初の頃(95年)からなんで、そう考えるともう12年とかなるんですね。
当時住んでいた三鷹・武蔵野地域にアクセスポイント(と云う響きも懐かしい)があるプロバイダがso-netくらいしかなくて、そのまま未だに使ってます。

あの頃はネットにつなぐだけでも今より10倍くらい設定項目が多くて、ひいこら云いながら設定してるうちに結構技術的な部分の知識も(仕方なく)身に付いたりして。誰かに教えてもらおうと思っても分かってる人間はみんなGeekで、結果的にネットの(技術面の知識に裏付けられた)常識を相当うるさく叩き込まれたような記憶があります。

ネットって、よく考えると「動き続けている」こと自体がちょっと奇跡的な部分もあるんです。ぼくらの前の世代くらいのネットユーザには「ネットに負担をかけないでいかに機能させ続けるか」と云うことをつねに念頭において利用してた部分があるので、ノイズ発信も少なかったのかな、と云う気もします。

投稿: pooh | 2007年6月18日 (月) 22:00

敷居が高い(知識の要求水準が高い)、というのが、「素人は近づけない」という雰囲気を作って、結果、勉強を促すという事が、結構ある気がします。

私が使い始めた頃は、まだダイヤルアップが一般的で、画像一枚表示するのに途方も無い時間が掛かっていましたが、その頃から較べても、隔世の感がありますねえ(大袈裟)。

大切なのは、想像力ですよね。誰でも見る事が出来る場に、自分が書いたものを晒す訳ですから、基本的に、「恥ずかしいこと」(by A-WINGさん)なのですよね。それを自覚するのが、重要だと思っています。

投稿: TAKESAN | 2007年6月18日 (月) 22:57

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