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2007年6月10日 (日)

メモ:印象で評価

・武術の神業と、走り高跳びを対比。

・パフォーマンスの凄さ。

・武術―解りにくい。高跳び―解り易い。

・後者は、観察者のパフォーマンスとの連続性を、認識し易い。対して前者は、それが無い。

・だから、前者のパフォーマンスに、「神秘性」を見る。実際には、高跳びは、2メートル以上跳ぶ訳で、それは凄まじいパフォーマンスなのだが、改めて指摘されないと、意識しにくい。勿論これにも、限度があるから、たとえば、「走り高跳びで20メートル跳ぶ」、という話があれば、「そんなバカな」、となるだろう。

・この様な、社会心理学的な認知というのは、大きく影響しているだろう。

・実際のパフォーマンスレベル。どちらが凄いか、というのは、一概には言えない。

・しかし、前述の「神秘性」により、武術の技の方が「凄く」見える。現象を視覚的に認知。フィクションの世界でしか見られない様な、いかにもあり得無そうな現象だから。従って、当然、「胡散臭い」という印象も与える。「やらせに決まっている」、という具合に。

・「神秘性」は、指導者の神格化を促す場合もある。原理に「気」などの神秘的概念を用いているケースだと、より促され易いかも知れない。

・パフォーマンスのレベルをどう定義するか、というのもポイント。環境条件。武術の場合、対者の運動に的確に応じなければならない。緻密な制御。高跳びは、又違う。体力的な因子が、大きく重要。地面との関係を、特に重視。運動構造としては、記号的な制約が緩い競技の方が、複雑。即ち、組み手を行う格闘技等の方が、多くの陸上競技より、複雑な構造。※運動構造の「複雑―単純」と、パフォーマンス達成の難度は、相対的に独立。
弓道は、運動構造の単純な種目だが、的から遠く離れれば、途端に難度が増す(高岡の喩え)。パフォーマンスのレベルを、完全に客観的に記述する測度を作るのは、難しいだろう。複雑―単純というのをどう科学的に表すか、というのも、難しい問題。運動学的には議論がなされているかも知れないが、私は不勉強。高岡は、記号論的に分析を試みた。高岡提唱―構造運動学や、構造競技学。アナロジー:オセロより将棋が複雑である。

・武術は一般的に、対人のパフォーマンスだから、人文・社会科学的メカニズムが介在する余地が大きい。出来ていなくとも、受けがコロコロ転がれば、外部から捉えた現象としては、素人には、全く見分けが付かない。高跳びは明快。跳ぶか跳ばないか、だから。そこに、武術の独特さがある。7・8段より実力の高い低段者が存在する。段位は、パフォーマンスレベルを示す記号というより、もっと社会的な記号と捉えた方が良い。※競技・流派によって、違いがある。同じ会派でも、指導者によって異なる。これは、段位に客観性が無い事を示してもいる訳であるが。

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