勃発でも無いような
“正義”の暴走ストップブログ(仮) : 悪者は先入観で作られる テレビっ子は漢字書き取り苦手のウソ(←面白いエントリーです)経由⇒子供の「漢字書き取り苦手」 テレビが原因かでバトル勃発 | エキサイトニュース
こんな記事があったのですね。
小倉氏の個人的見解、といった感じですね(←これ重要)。で、仰る事は、ご尤もだと思います。
しかし、日経の見出しは、ダメダメですよね。「テレビ視聴が影響か」って、書いてますし。他紙も微妙ですが。
後、本筋とは関係無い所で、気になったのですが、
明石教授によると、要は生活習慣の問題だ。テレビを見なくてもゲームなどに時間を割けば勉強しない点では同じだ。
の(これはその通りですが、ちゃんと、そこを強調して欲しい)後で、
みたいテレビは見る、終わればゲームなり勉強なりをする、という切り替えができるかどうかが本質的な問題だ、という見方だ。
って書くのは、ちょっと変では? テレビを観た後に、「ゲームなり勉強なり」って…。
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コメント
私、ハッキリ言ってこういう「××が原因で学力が下がる」系の話を聞くたび、そのデータの正確性などを疑うのより先に「学力が下がったと言っている人間自身の学力は、正直な話高いのか?」と思ってしまうんです。例えばこうした学力低下論を説くタイプの人達の考える「教養」って、どちらかと言えば文系寄りのものすごく狭い範囲の知識(読み書きや加減乗除、歴史のトリビア的な知識など)の寄せ集めでしか無いのではないかと。
こうした教養を持ち上げるのは、彼等自身がこうした知識をすでにある程度習得していて、自分より若い人間に対して「なんだ、こんな事も知らないのか」というような優越感を持ちたい欲求があるからではないかと考えています。
寡聞にして私は、こうした学力低下論者が「最近の子は一般相対性理論すら理解していない」とか「新古典学派の経済学の知識すら無い」とか言っているのを聞いた事が無いですし。
まあ、これはこの国で理系の学問の知識が一般人に理解されている率が低い事や、科学や数学を教養だと認めない知識人が多い事といったより大きな問題に繋がるんでしょうけども。
投稿: 内海 | 2007年5月14日 (月) 10:16
内海さん、お早うございます。
私も、そう思います。
勿論、真面目に、社会学的調査や、教育現場での経験等を根拠にして論じられる事も、ありますが、マスメディアで報じられる様な記事等の中には、「自分が知っている事を知らない」、という「印象」を基にして、学力低下論をぶっている物が、散見されますね。内海さんの仰る、
>自分より若い人間に対して「なんだ、
>こんな事も知らないのか」というよう
>な優越感を持ちたい欲求があるからで
>はないかと考えています。
こういう認識を持っている人は、いるのでしょうね。芸能人なんかでも、学力低下が云々と言っている人を、見かける事がありますが、どういう根拠から言っているのかな、と首を傾げる事も、しばしばです。
これは、「常識」とも関わってくるのかな、とも思います。つまり、自分が常識だと「思って」いる事を知らない人を見つけて、それの理由付けとして、「学力低下」という、尤もらしいものを持ち出す、という。
※一応、お読みの方に、誤解の無いように書いておきます。
私は、「学力は、低下などしていない」、という事を主張している訳では無いです。そういう主張をする様な根拠もありませんし。
私が考えているのは、そういう社会的な事象に関しては、きちんとした実証的研究を行って、誰もが納得出来るかたちで論証しなければならない、という事ですね。
印象で語っていいなら、私が今まで見てきた殆どの人は、自然科学的な知識は、素朴理論に留まっていました。又、年配者の方が圧倒的に、物を知らない。記号操作のセンスが無い。多分、ここを読んで、何言ってんだ、と思った方も、いらっしゃるでしょうね。印象論というのは、こんなものです。
私は、仮説として、現代の若い人間の方が、PCやゲームに小さい頃から触れているので、記号操作には長けている、というのは、考えた事はあります。他にも、テキスト(「紙に書かれたもの」限定では無く)に触れる機会は、却って多くなっていて、読みの能力は、別に下がってはいない、とかも。書き取りの能力は、下がっているかも知れませんが。
投稿: TAKESAN | 2007年5月14日 (月) 11:10
補足。
TAKESAN
>そういう主張をする様な根拠もありま
>せんし。
これは、学力低下に纏わる学問的議論を追っていないので、自分には判断が出来ない、という意味です。
しかし、マスメディアに載ってくる様なものの中には、根拠不明確に、学力低下を煽り立てるものがある、と思っています。
投稿: TAKESAN | 2007年5月14日 (月) 12:20
こんにちは、皆さん。
>「学力が下がったと言っている人間自身の学力は、正直な話高いのか?」と思ってしまうんです。
なんて言いますか、ストイックという言葉がありますでしょ(笑)。その語源を尋ねれば「ストア哲学」に行き着くわけです。でもって、ストア哲学で重視される事の一つが「感情からの脱却」なんですね。
なんて言いますか、教育というのが一面で「感情からの脱却」の厳しさを身につけさせる事でもあるわけです、「もう少し、遊んでいたいけど、今日はこれこれの宿題をしなくてはならないから、止めて宿題をしよう」とか、「遊ぶのは宿題が済んでからにしよう」とかですね。こういうのも「ストイック」ということである訳ですが、社会を見ていて「なんとなくゲームとかにのめり込んで宿題をしないという事がありそうだぞ、学力低下が起こっているに違いない」と思ったからといって、きちんと調べたりせずに「ゲームで学力低下」とか言ってしまうのも、実のところ、「感情に負けて、動いてしまう」という意味では、ストイックさに欠ける事であるわけです。
教養というと「知識が」なんて言う話に直ぐに成ってしまうわけですが、自然に身に付いているストイックさとかも「教養」であり、その部分にもう少し意識を持たないと「教養の低下」は止まらないと考えています。
投稿: 柘植 | 2007年5月14日 (月) 12:39
柘植さん、今日は。
信念を強化する為に、「どこかで聞いた事」を持ってきて、それを根拠にする、という事が、あると思います。元々は、ちゃんとした学問的議論が行われているものであっても、それを、適当に使ってしまっている事が、あるのでしょうね。学力低下にしても、本来は、教育学者や社会学者が、きちんと論議しているものなのでしょうけれど、どうも、それを無視して、安易に乗っかっている人が、結構いる様に思います。
あれですね。内海さんも仰る様に、大した根拠も持たずに「学力低下」と言う人自体の学力は、一体如何程のものか、という感じがします。
投稿: TAKESAN | 2007年5月14日 (月) 13:00
こんにちは、TAKESANさん。
>信念を強化する為に、「どこかで聞いた事」を持ってきて、それを根拠にする、という事が、あると思います。
まあ、自分だけで「思う」分には、そういう事もあっても良い訳なんだけど、例えば人前で「話す」とか、人の目に触れる文章に「書く」という時に、「まてまて、いい加減なことを言いたくないぞ」と、その「どこかで聞いた事」なんかをきちんと調べたりするというのが、教養のある人の態度であり、その根底にあるストイックさだと思うわけですね。
例えば「ストイックの語源はストア学派」とか「ストア学派の考え方の中には感情からの脱却と言うことがある」とかは充分にしっているつもりでも、「一応確認しておこう」とかはする訳ですね、私くらい教養の無い人であってもね(笑)。
なんていうか、私の所属する研究室は、何か雑談の途中であっても気になることがあると「直ぐに調べる癖」みたいなのがあるのね。実は、もう引退した師匠の癖をみんなで引き継いでいる面があるのだけどね。その師匠とかは、我々から見て「教養のある人」だった訳です。
投稿: 柘植 | 2007年5月14日 (月) 14:57
そうですね。
居酒屋談義ならともかく、テレビに出て話すとか、新聞に書くとかは、やはり違う訳ですよね。で、マスメディアを使って居酒屋談義をしている人が、結構いるな、という印象です。
因みに私、一つ前の柘植さんのコメントを読んで、「ストイック」をググりました(笑)
ついでに、「居酒屋談義」も調べたのですが、辞書には載ってないんですねえ。
余談ですけれど、私は、今の様な、WEBが発展した社会の、「解らない事があったらすぐ調べられる敷居の”低さ”」というのは、結構重要なんじゃないかと思っています。勿論、ネットで得られる情報は玉石混交である、という前提は、持つべきですけれども。
投稿: TAKESAN | 2007年5月14日 (月) 15:54
こんにちは、TAKESANさん。
>余談ですけれど、私は、今の様な、WEBが発展した社会の、「解らない事があったらすぐ調べられる敷居の”低さ”」というのは、結構重要なんじゃないかと思っています。
便利さには直ぐにドップリ浸かる体質なので否定できることでは無いのだけど、私なんかが、スペルコレクト機能のある英文ワープロを使い始めたときに、英語の上手い大先輩にずいぶんと言われたのですね、「そんなものに頼っていると、一生、まともな英文は書けないぞ」ってね。「とにかく、大丈夫かと思ったら必ず辞書を引く、その時スペルを見るだけじゃなくて、その項目を用例まですべてきちんと読む。この労を厭わなければ英語は上手くなる」ってね。まあ、そういう忠告に従っていないから、今の英語も満足に欠けない私が居るわけだけどね。
考え方として「教養」というのに「知識」は関係する訳だけど「知識」というのに「調べる癖」みたいなのは関係が深くて、「調べる癖」というのに「自分の成長に労を厭わない」という姿勢も関係してきて、その部分が、ストイックさと結びついているわけです。
投稿: 柘植 | 2007年5月14日 (月) 17:44
実は、敷居の”低さ”と引用符で括ったのは、そこに含みを持たせてあったのですね。
つまり、その「敷居の低さ」、或いは「便利さ」を、どこまで肯定的に考える事が出来るだろうか、という事ですね。
具体的に言えば、たとえば、「辞書を引く」事が重要だ、という人は多いですが、その中でも、「紙の辞書を繰るのが良いのだ」、という人が、結構いますよね。辞書を調べるのは、一般的には、語の意味や用法、関連事項を知る為に行う訳ですが、何故か、メディアに拘って、分厚い紙の辞書を引く事を奨励したりします。これは、紙の辞書を引くのが、「一所懸命物事を調べる」という意味を象徴する記号になっているのだと、思います。
対して、柘植さんが先輩にアドバイスされた、「労を厭わなければ」という事は、正に、「英語を理解するにはどうすれば良いか」、という所の、的確な指摘ですよね。
そういう違いをちゃんと理解せずに、電子辞書を使ったり、WEBの辞書を使ったりするのを非難する人には、凄く違和感を覚えます。
要するに、「省くべきでないと主張されている”労”は、本当に省くべきでは無いのか」、という所を、しっかり考えるのが、大切だと思います。
こういうのは、色々ありますよね。算数で電卓を使うのは良いのか、とか、漢字の形状を憶えるのは手書きじゃないといけないのか、とか。統計学を学ぶ際に、いきなり統計解析ソフトを使わず、ある程度、手計算に慣れておくべきだ、とか(←私は、これには賛成です)。
厭うべきでないとされている「労」が、上達の為の必要条件であるか、というのが、重要なのだと考えています。
こういう事を書くと、「合理主義」(←微妙な使い方)だ、と批判する人も、いるかも知れませんね。たかじんさんの番組に出る人とか。でも、合理的に越した事はない、と考えています。それをちゃんと考えないと、理不尽な「労を課す」事によって、権威者を保護するシステムが、機能しかねないので。
話がずれている上、長くなりました(笑)
投稿: TAKESAN | 2007年5月14日 (月) 18:32
こんにちは、TAKESANさん。
>それをちゃんと考えないと、理不尽な「労を課す」事によって、権威者を保護するシステムが、機能しかねないので。
結局の所、「労を厭わない」というのは、他律的な事柄じゃなくて、自発的な事柄だということね。「労を厭わない」事で、自分が少しずつでも進歩しているという悦びに支えられてやることであって、人から「労を厭わずに進歩しろ」と言われるべき事ではないということ何だろうと思うわけです。
そう考えると、教育とかに携わる人にとっての要件の一つが、「まず自分がそういう自発的な労を厭わないで進歩する姿勢を持つこと」であり、それを強制するのではなくて、「自分が労を厭わないことで少しずつ進歩している姿を見せつける」事であるのかもと思うわけです。私の師匠というのは、私が仕事についた時の上司で、その後大学の先生になって退官したのだけどね。なんていうか、今になって「姿勢」に学んだ事がとても多いのね。私は研究生活で一番幸福だったのは、その師匠と実験室で実験していた時代だなんて言うんだけど、ふと疑問に思って何気なく師匠に質問すると、実験の手を止めて、自分の蔵書(給料が3万円の頃に2万円は本を買ったという人なのね)の本棚の前に行って、「これだこれだ」と本を広げて説明してくれた訳ね。その当時も「わっ、そんなに真剣な質問じゃなかったのに申し訳ないな」なんて思っていたのだけど、その姿勢というのが私に及ぼした影響というのはとても大きい訳です。
そういう意識があるから、対して調べもせずに「学力がうんぬん」とやっている有識者の姿に「あなたのその姿勢が子供に伝わることこそ、悪影響だ」みたいな気がしてしまうわけです。
投稿: 柘植 | 2007年5月15日 (火) 09:00
柘植さん、今日は。
>「まず自分がそういう自発的な労を厭
>わないで進歩する姿勢を持つこと」で
>あり、それを強制するのではなく
>て、「自分が労を厭わないことで少し
>ずつ進歩している姿を見せつける」事
>であるのかもと思うわけです。
全くそうであると思います。で、「労を押し付ける」人が、結構いる様な気がするのですね。教育目的だと、ある程度はしょうが無いのかも知れませけれど、「何気無く見せつけられる」事が、充分な動機付けになると、私は思っています。自分が淡々と努力する事が、とても大きな教育になっている、という。尤も、それが全く通じない人も、いる訳ですが…。
私は、武術関連の書籍等をよく読んできたのですが、そこでは、もう、滅茶苦茶な事が書かれていたりするのですね。合理性のかけらも無い、「昔の人がそうやっていた”から”こうやるべきだ」、というのが罷り通っていて、それを改めて分析するのが、余り見られず、悪い意味で保守的なものが、かなりあります。そういう経験もあって、私は、こういった問題には、ちょっと敏感な所があります。
でも、そうは言っても、教えられた当時には「押しつけられた」と思われた事であっても、「後になって考えたら」、実は重要な事だった、という経験は、やっぱりあります。なかなか単純にはいかないですね。
柘植さんのエピソードを見ると、教える側の「姿勢」とか、「一所懸命さ」の大切さが、よく解りますね。私も、同じ様な経験があります。「ああ、こんなに真剣に、物事を考える人がいるんだ。」という感じで。
>「あなたのその姿勢が子供に伝わるこ
>とこそ、悪影響だ」みたいな気がして
>しまうわけです。
本当に、そうですね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 11:57
みなさん、こんばんは。
いつも亀レスで失礼。
こういう調査は、当然、いつも子どもですが、実際に大人で調査すると、もっと酷いことになるような気がします。そうすると責任は、テレビやゲームではなく、どこに行くんでしょうか。今の大人の漢字力の低下は、酒のせいなんて言われると、非常に困ってしまいます。
学力とよく言われますが、何をもって学力かは、不明瞭なんです。知識量と思われている人も多いんですが、実はそうではなくて、福沢諭吉も「いたずらに難字を解し文字を書くのみにて更にものの役に立たず、教師の苦心は僅かにこの生き字引と写字機械とを製造するに止まりて世に無用の人物を増したるのみ。……」なんて、知識偏重を批判しています。
今の学力観では、批判もありますが、「関心・意欲・態度」も学力とされています。柘植さんが指摘された「労を厭わないこと」も学力とみるようになってきました。
会社の面接でも、その会社に対してどれだけ意欲的かが評価されますよね。実は社会でも、「意欲」は評価されているんです。
例えば、理科の学習で、自分で興味をもって観察を続けて、その結果、間違った結論にいたっても、その過程はやはり評価されるべきでしょう。インターネットで正しい答を集めてきてまとめたレポートとどちらを評価すべきか考えると分かるかと思います。
むやみに正答を求めるだけでは、だめなんだろうと思います。
ちなみにこの調査結果を良く読むと、実は、TOSS教材の宣伝でした。
http://www.ts-ss.net/kanji.pdf
後半にいくと、「漢字スキル」が効果的なように出てきますが、これがTOSSの教材で、それを発行しているのが、この資料をまとめた光村教育図書という会社です。不安を煽って、教材を売りつける手法ですね。
投稿: ドラゴン | 2007年5月15日 (火) 19:04
ドラゴンさん、今晩は。
私も、よく考えるのですが、成人以上の学力を調査したものって、余り聞きませんよね。信頼のおける調査となると、少なくとも私は、見た事が無いです。で、そういう調査をやってみたら、どういう結果が出るだろうか、というのは、とても興味深いです。
「学力」は、難しいですね。社会で一般的にも使われている言葉ですから、使う人それぞれに、意味が異なってきます(教育学や社会学における定義はひとまずおいておきます)。そこをちゃんと、考慮すべきですよね。同じ様な事は、「暴力性」に関する議論でも、見られます。
>ちなみにこの調査結果を良く読むと、
>実は、TOSS教材の宣伝でした。
おお、ありがとうございます。
ツッコミ所がかなり…。これはなかなか凄いです。
投稿: TAKESAN | 2007年5月15日 (火) 19:35
TOSSウォッチング掲示板(あんねさんの投稿)より⇒http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20070529/20070529_008.shtml
詳細が解らないので、何とも言えませんけれど、
>「朝食は和食がいい」と結論付けた。
…結論付けていいのか?
って言うか、
>明石要一・千葉大教授らのグループが
とあるので、眉に唾をつけてしまうのです。
投稿: TAKESAN | 2007年5月29日 (火) 13:32
大体、「学校が楽しいか」、なんて、友達関係とか、勉強が面白いかどうか、とかと密接に関連すると見るのが、「当たり前」だと思うんですけどね。それを、食事が洋風か和風か、という所に結びつけるのは、どうなんでしょう。
投稿: TAKESAN | 2007年5月29日 (火) 13:44
どこからどうツッコミを入れて良いのか悩む調査ですね。
231人のうち、起床時間が7時半以降が6%、そのうちの33%が朝食抜き…。
つまり、231×0,06×0,33=4,57…。
つまり、7時半以降におきる子供が13人か14人で、うちの4人か5人が朝食を抜いているだけ…ということなんですよね。231人の98%が朝食を食べている、ということは231×0,02=4,62…ですから、朝食を摂っていない生徒は全て7時半以降…と見て良さそうですね。で、こうなると…7時半以降云々という時間の区切り方に意図的なものを感じますね…。
さらに、和食、洋食の比率がどのくらいいたのか、という部分が隠されていますし、これでは有意差があるのかどうかもわかりませんね。
大体、千葉、東京、鳥取の4校というサンプリングの理由も謎ですし、地域差も考えられるはずですし…と、考えれば考えるほど怪しげな調査ですね、これは。
投稿: SST | 2007年5月29日 (火) 19:13
SSTさん、今晩は。
この手の調査にありがちなのが、相対頻度を出して、いかにも「大きそう」、「小さそう」、と思わせる表現をする事ですね。
仰る様に、そもそも、「早起き」の基準が、何で、午前7時なんでしょうね。
「朝食を食べた方が良い」、では無くて、「洋食より和食が良い」、というのが、いかにも…という感じがします。そもそも、どう分類しているんでしょうね。記事からは、詳細は解りませんけれど。
投稿: TAKESAN | 2007年5月29日 (火) 22:43
SSTさん
>大体、千葉、東京、鳥取の4校という
>サンプリングの理由も謎ですし、地域
>差も考えられるはずですし…
地域差とかは、ありそうですね。教師の指導方針なんかも、関係していそうです。
サンプルサイズが小さいですね(と言うか、偏ってますね)。平均すると、一校辺り60名弱で、5年生だけみたいですね。クラス丸ごとアンケートを採ったのかなあ。
いずれにしても、結論付けちゃいかんでしょう、という感じですね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月29日 (火) 22:55
ここにもありました⇒http://www.asahi.com/life/update/0529/TKY200705290152.html
…あのグラフは何だ? 魚住氏の本みたいです。
投稿: TAKESAN | 2007年5月30日 (水) 00:13
これと関係があるのかな⇒http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/06/06062308.htm
投稿: TAKESAN | 2007年5月30日 (水) 00:32
上の記事と、ちょっと関連して。
kikulogで、tadysさんご紹介の記事⇒http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070530/knk070530001.htm
結構、色々条件を統制した実験ですね。
結果は、食事の影響はあるだろうな、という、恐らく一般の人も抱くであろう予測と、一致するものですよね。そもそも生理・生化学的現象なのだから、妥当な結果だろうと思います。
ただ、kikulogでzororiさんがふれておられましたが、欠食習慣の無い人だけを被験者にした、というのは、どうなのでしょうね。これは単なる推測ですが、いつもの習慣と異なっている、という事が、心理学的な影響を及ぼす、というのも、ありそうです。欠食習慣のある人も調べた方が、良い気もします。
勿論、朝食は摂った方が良いだろう、という所には、特に異論はありませんけれども。
低体温については、日頃の運動習慣等も関わっていそうな気がします。或いは、「身体の硬さ」(硬縮って言うのでしょうか)とか。どういう尺度があるかは、よく知りませんけれども。
投稿: TAKESAN | 2007年5月30日 (水) 19:50
思うのですが。
「何で早く起きるの?」って、子どもに訊けば良いんじゃないですかね。
投稿: TAKESAN | 2007年5月31日 (木) 00:01
朝日の記事のグラフについての補足。
ヒストグラム(柱状グラフ)は、各階級の度数が、全体に対してどれくらいの割合を占めるか(度数分布)、というのを、直感的に把握出来る様に、図示したものです。グラフの高さを見れば、比較が直ぐ出来る訳ですね。
しかし、朝日の記事のグラフは、階級毎に、基準の量が異なるのですよね。だから、各階級の相対度数を足すと、100を超えます。ヒストグラムとしての意味が、無いです。当たり前ですけど。そもそも単純集計じゃないし。
2変数間の関係を示すなら、散布図とかクロス集計表を使うべきなのですよね。こんな感じで⇒http://www.microsoft.com/japan/sql/prodinfo/previousversions/bi/evaluation/bizvalue/issues/chap2.mspx
http://images.google.com/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E9%9B%86%E8%A8%88%E8%A1%A8
やっぱり、印象付けたいんでしょうね。視覚的に。いかにも差がある、という感じで。
投稿: TAKESAN | 2007年5月31日 (木) 01:16