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2007年5月 6日 (日)

メモ:良い動き

武術(に限らず、身体運動全般)にとって重要なのは、「ためる」・「うねる」・「ねじる」、という事ですね。よーく身体をほぐして、やわらかーくしないと駄目です。肋骨がぐにゃぐにゃになる様にする。

こういうのって、達人は、例外無く出来ている訳ですが(出来ているから達人と称される)、映像等で確認しても、なかなか解らないものですね。たとえば、故・塩田剛三師範は、演舞の様子が映像で多く残されている、数少ない達人ですが、普通は、体捌きの美しさや、吹っ飛んでいくお弟子さん達に目を奪われて、体幹部がどう変形しているか、という所には、目は行きにくいのではないかと思います。でも、そこが、とても重要な所です。塩田師範の諸手取りの呼吸投げなんかは、結構解り易いですね。ぐにゃぐにゃになります。

他にも、色々、優れた動きを確認する「目安」の様なものが、ありますね。たとえば、腕を挙上する際の、肩の様子とか。上手い人は、上腕を挙げていく時に、肩関節の位置は、余り上がらないのですね。肩甲骨が開いて、見た目は寧ろ、肩が下がるくらいです。ただ、これは、気をつけなければならないのですが、外形をなぞろうとする余り、肩をギチギチに固めてしまう事が、ままあります。これは、「絶対に」、やるべきではありません。ドアの蝶番に、異物を噛ませる様なものです。百害あって一理無し、です。当然、「肩関節は上げるべきでは無い」、というのも、大間違いですね。運動の目的に応じて、有効なものは変わります。肩を上げない、というのは、どちらかと言うと、腕を挙げようとして体幹のバランスが崩れる事を、戒めるものです。ちゃんと軸を取って、柔らかく使える人は、肩を、大きくゆったり動かす事が出来ます。※「肩関節の位置が上がる」というのは、肩甲骨や鎖骨の運動だという事です。

後はやはり、ハムストリングス(大腿後面の筋群)を主に使えるかどうか、という所が、重要ですね。足を前後に開かずに、普通に立って、横から見てみます。その時、重心に見当をつけ、そこから真下に線を下ろします。で、足裏のどこに線が下りるかを、見ます。拇指丘辺りだと、前過ぎですね。良いのは、内踝の真下(ウナ:高岡英夫による)。勿論、普段、前にあるからといって、ハムストリングが使えていない、という訳では、必ずしもありません。一番手っ取り早いのは、普通に立ってみて、太股の後に触れる事ですね。これは明快。出来ているつもりになっても、簡単に確認出来るのですから、ごまかしもきかないです。

動きを見る、というのは、これらの諸々のポイントを総合して、直感的に把握している訳ですね。しかし、直感は、誤る事があります。当然ですが。ですから、科学的・分析的に見る事も、必要なのですね。そして、分析的に認識した知識を、直感的認知に反映させる訳ですね。スキーマを再構成させる、というか。だから、直感「だけ」では、駄目なのです。又、これは注意しなくてはならないのですが、たとえ、ある程度分析的な評価の根拠があったとしても、それが、科学的に妥当であるとは、限りません。何度も書いている通り、武術は、身体運動なのですから。身体は、物理学の法則に従う物体なので、たとえば、「胸を張って肩が落ち、腰が入っている。良い姿勢だ」、という見方だけでは、全然足りないのです。それが、どう(バイオメカニクスの観点から)合理的なのかを、ちゃんと認識しなくてはなりません。陸上競技なんか、とても明快ですよね。「正しいフォーム」云々なんて言ったって、結局は、速い・遠い・高い記録を出した人が、勝つ訳ですから。恣意的な、フォームに対する価値体系が、いつまでも有り難がられるという事は、ありません。ここら辺の論理は、高岡英夫氏の初期の著作に詳しいので、参照をお勧めします。※身体運動の科学的合理性を無視した体系を否定するものでは、ありません。ただ、個人的な考えとしては、そういう合理性を求めるべきだ、と思っています。そういう観点から、ある体系に、「形骸化」していると(ネガティブな)評価をする事も、あります。

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