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2007年4月 1日 (日)

ことばのちから

檜山さんのブログに、kikulogでの議論が紹介してありましたね。で、corvoさんのコメントから辿って、改めて、corvoさんのブログ(鴉工房: 「水からの伝言」って何だ)で行われた議論(自分も参加)を読んだのですが、重要な意見が、沢山ありますね。

私が思っているのは、言葉に力が持たされてしまう事への懸念です。語形と語義が一対一に対応している様に思い込んで、それが物質の振る舞いとも直結している、という認識を形成した場合、生きているだけで、「悪い言葉に晒されている」と考える事にもなりかねない訳です。
水伝など知らない人間の方が、圧倒的に多いのですから、「悪い言葉」なんて、そこらじゅうを飛び交っているのですよね。それが、自らの身体を切り刻む刃となるのです。矢の雨が降り注いでいる様なものですね。これは、たまったものでは無い。
では、その状況から抜け出すにはどうすれば良いか。

  • 社会との関わりを断絶する。
  • 人類全てが同じ価値観を形成する。

この様な認識に、至るのではないでしょうか。これは、とても、肯定的には受け容れられませんよね。

感謝の言葉を使いましょう、というのは、一見、とても良い教えに思います。でも、感謝の言葉というのは、客観的に存在するものではなく、「みんなが感謝の言葉だと思っているもの」の事なんですよね。そもそも「感謝」とは、感謝すべき「相手」がいて、成り立つ概念です。相手が「どう思うか」を考えないと、いけないのです。水がどうなるから、とか、そんな問題ではありません。相手が自分に、感謝の言葉を、「水が綺麗になるから」掛けている、というのを、受け容れられるでしょうか。

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コメント

おはようございます。
ご紹介ありがとうございます。僕のblogでは「水伝」を一貫して言葉と美意識の側面から批判してきました。科学的かどうか?という以前に、それおかしいだろうと思うと思うのですが、けっこうそうではない人が多いのですよね。
言葉を大切にしていない人が多いのかもしれません。皮肉ですよね。

悪い言葉から身を守るには「対罵詈雑言防御スーツ」とか、どんな言葉でも耳障りよく変換する「感謝波動変換マイク」とか、額に「ありがとう」のお札でも貼っておこうかと思ってしまいますね。お脳がやられないように。

投稿: corvo | 2007年4月 1日 (日) 09:45

corvoさん、今日は。

そうなんですよね。私も、自然科学的にどうこう、という以前に、完全におかしいと思いました。

このエントリー、実は、最近よく言われる「電磁波の影響」の話にも絡めてあるんですよね。有害なものが身の回りに飛び交っている、というイメージを持つのは、良くない事ですからね。

※勿論、電磁波(電波)の影響云々は、医学的にもかなり難しい問題だと思いますが(電磁波過敏症の検証も、難しい様ですし)、ここで共通点としているのは、「有害なものが身の回りに飛び交っているイメージ」ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 1日 (日) 12:29

こんにちは、TAKESANさん。

その昔、悪徳商法批判者の時代に「思想の自由と表現の自由の違い」という話をしていました。マルチ商法とか勧誘報酬型投資詐欺とかにのめり込み始めた人相手に書いて居たわけです。実はその話と

>社会との関わりを断絶する。
>人類全てが同じ価値観を形成する。

と見事に対比するので説明しますね。「思想の自由」というのは、社会との関わりと無関係に成り立つわけです。そのために、事実と無関係に何を考え信じ込んでも「思想」であるうちは構わない事になります。例えば、Aという建設会社が20億円の公共工事を予定額の99%で落札したときに、「たぶん、役所の担当者に100万円くらいワイロを渡して予定額を聞いたのだろう。競争相手のB社~E社とは談合したのだろう。それは何時何処で話し合われたのだろう」と思っても構わない訳です。
 しかし、そういう推測を根拠も示さずに「言いふらす」とどうなるかというと「表現の自由」の部分になるわけです。でもって時には「名誉毀損罪」「信用毀損罪」などにもなるわけですね。それは、表現をするということは、その行為が、その表現を受けた人に対して「同じ価値観を形成する」事を目指しているという部分があるからです。本人が、「いや、私は思想を表現しただけで、私の表現を受けた人に『自分と同じ価値観を持ってくれ』という意図は無かった」と言っても通じない面がある訳です。というのは、人類にとって「表現」というのが、コミニケーションの手段であり、それが否応なしに「受け手に影響を及ぼすことを意図しているもの」であるからです。

この「思想の自由」と「表現の自由」の違いが理解出来ていない人も、なんだか多くなっている気もするのです。


投稿: 柘植 | 2007年4月 2日 (月) 10:42

柘植さん、今日は。

 >表現をするということは、その行為
 >が、その表現を受けた人に対して「同
 >じ価値観を形成する」事を目指してい
 >るという部分がある
成る程、そうですね。コミュニケーションには、発信者と受信者がいて成り立つものですから、常に、それを意識しなければならないと思います。

 >この「思想の自由」と「表現の自由」
 >の違いが理解出来ていない人も、なん
 >だか多くなっている気もするのです。
発信の手段が多様化・拡大、又、敷居が下がった事によって、それが目立ってきたのかもしれませんね。高度に情報化された社会の、一つの負の面と言えるかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 2日 (月) 12:30

こんにちは、TAKESANさん。

檜山さんのブログにこの話を書いたら、「悪質な荒し行為をする人」を刺激してしまいました。檜山さんには申し訳ないけども、「悪質な荒し行為をする人」の取っている態度そのものが、私の言う「表現の自由には責任が伴う」という事を如実に表している面があります。それは、

>コミュニケーションには、発信者と受信者がいて成り立つものですから、常に、それを意識しなければならないと思います。

の部分に対する無理解なんですね。私は「悪質な荒し行為をする人」を「表層意識の垂れ流しをする」と評した事もありますが、そこには、「受信者」への意識が微塵もなく、自分の「思想」を「無責任に表現する」ことしか無い訳です。

投稿: 柘植 | 2007年4月 2日 (月) 16:37

 >「悪質な荒し行為をする人」を刺激し
 >てしまいました。
そうみたいですね。その前にも、相変わらず、ここのアドレスを貼ったりしてますね。
正に垂れ流しです。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 2日 (月) 17:18

いや、そもそもの契機はぼくのところからのリンクです。そこは最近ちょっと気が引けている部分があるんですが、檜山さんのアルファギークとしての強靭さにちょっと甘えさせていただいた感もあります。

かの人は結局のところ、とくに主張したいことはないんですよ。と云うか、自分で自分が何を云いたいのか理解しているわけではなくて。自分の言葉で書いた意見の語尾がだいたい「印象があります」「気がします」で終わっているのが何よりの理由(檜山さんに粉砕されてましたが、要するに根拠と呼べるようなものが実際は存在しない)。そうじゃないとあちこちからコピペしてきて、自分の意見を代弁してもらっている気になっている(でもその代弁してもらっている自分の意見がそもそも確定していないために、引用がひどくとっちらかったものになるうえに、論旨も迷走する)。コミュニケーションの核となるべき「思想」が実はないので、結局のところ責任能力もない、と云うのが多分実情です。

結局ぼくとかみなさんと彼の間にあった「対話に似たもの」は幻想だったんだろうなと思います。彼には対話の当事者能力がないので。

投稿: pooh | 2007年4月 2日 (月) 17:54

「妥当性のレベル」という新しいキーワードが登場しました(^^;。

文系白書ブログでも折角エントリ立てて、聴く耳持とうとしたのになあ。わたしゃ実は優しい人なのだが。。。(=_=)。

投稿: JosephYoiko | 2007年4月 2日 (月) 18:26

自分のなかでちゃんと定義できていない(それだけの思索も重ねていない)ものにどんな用語を当てようと意味不明ですよね(^^;
特に聴いて欲しいことがあるわけではないようなので、聴く耳を持たれると困惑してしまう、と云うのが多分正直なところなのではないかと。

投稿: pooh | 2007年4月 2日 (月) 18:40

poohさん、今日は。

実は私は、うまさんの投稿自体、殆ど読んでいないんですよね。コピペかどうかとかは、確認していますが。

うまさんの心情に思いを馳せる事も、していないのですね。思考のリソースを消費するのが勿体無いです。うまさんとしては、私のこの行為が、最も癇に障るのかも知れませんが。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 2日 (月) 18:44

あ、すみません、今日は挨拶済みでしたね。>poohさん

投稿: TAKESAN | 2007年4月 2日 (月) 18:46

JosephYoikoさん、今晩は。

そのエントリーでの、JosephYoikoさんの余りの優しさに、びっくりしました(笑)

うまさんの文章は、ほぼ読んでいないですが、何やら、色々仰っているみたいですね。

もしかしたら、私のやり方が、一番厳しいのかも…。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 2日 (月) 18:50

いや、厳しく接しても優しく接しても同じなんだと思いますよ。むしろ優しく接するほうが彼としては多分困ってしまうんじゃないかと(実は自分の主張したいことが特になくて、「主張したい」だけだってことに気づかされてしまう)。
あれだけ丁寧に対話を試みてくれたosakaecoさんのところで、結局有効な発言ができずにフェイドアウトしたのが典型例です。

多分診断としては「境界例」でしょうね。

投稿: pooh | 2007年4月 2日 (月) 18:59

私としては、荒らしと自分が判断した人はスルー、という一貫した態度を取っていて、勿論それは、自分が他の方々とコミュニケーションを取って、知識を深め認識力を鍛える事に、何ら寄与しないばかりか、却ってマイナスに作用する、と考えるからですね。その意味では、個人的な理由が大きいです。
それに加えてうまさんは、なりすましに取られる事まで行った訳ですから、それは、コメントの内容を読む事そのものをやめる、充分過ぎる理由ですね。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 2日 (月) 19:09

poohさん:

うんうん。境界例の中でも、より狭義に定義される典型的なBorderline Personality Disorderの方ですね。

これほど、KernbergやKohutが挙げている典型例そのまんまな人見るのも珍しい(^^;。

TAKESANさん:

僕は自身が精神病んだ事ありますので、壊れた人には割と寛大なんですよ。まあ、僕の芸風ですな。結果的に僕のブログがゴミ箱になってもそれはそれでいいかと考えてます(^^;。

決してTAKESANさんにスタンスを変えろと言っているわけではありませんので、誤解の無いように(^0^)b。

投稿: JosephYoiko | 2007年4月 2日 (月) 21:50

そういうお考えからだったのですね。失礼しました。

自分のやっている対処が妥当なのかなあ、というのは、いつも思います。決して、正しい方法なんていうのは無いので、悩ましい所です。
なので、掲示板等で行っていたやり方を、そのまま用いています。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 3日 (火) 00:40

こんばんは。僕自身は現実とネットでの対応は、ほぼ同じようなものです。なので、スルーというのは、とても苦手です。むしろ、ネット上のほうがずっと丁寧かもしれません。以前、TAKESANさんもそんなようなことをおっしゃってましたね。
そんなこんなで、結局某氏の書き込みも読んでしまうのですね。
「妥当性のレベル」だったものが、「妥当性の度合い」に変節しているし、これでは共通認識を持てというほうが無理でしょう。「レベル」からイメージされるものと「度合い」からイメージされるものでは、非常に大きな違いがあります。
「妥当性」という言葉も非常に曖昧で、なんとも捉えようがないです。
おそらく精神を病んでいるのでしょうが、直接的に痛みを伴わないネットの世界では、その行動がエスカレートするのでしょうね。
「表現の自由」と常に直面している僕としては、彼の行動や言動は非常に不快であることに代わりはないです。

投稿: corvo | 2007年4月 3日 (火) 02:32

ここに書くと、すぐにいちいち突っ込みをいれてくれるみたいです。

>「レベル」からイメージされるものと「度合い」からイメージされるものでは、非常に大きな違いがあります。

「非常に大きな」は言い過ぎだったかもしれませんね。
でも、僕にはそれぞれの言葉からイメージされるものに、差異があると感じます。

投稿: corvo | 2007年4月 3日 (火) 03:10

corvoさん、今日は。

私は、対面のより遥かに、対応に気を遣います。テキストベースのコミュニケーションなので、本質的に、情報が少ないですから、なるべく丁寧に、言葉遣いを吟味しながら、やっています。

スルーに関しては、スルーは結局、「無視」をするという事ですから、それは、実際(←対面という意味です)のコミュニケーションの場では、とても取れないです(最も人を傷つける行為の一つだと思います)。
ただ、WEBでのコミュニケーションでは、結果として、場が混乱してしまう事が、どうしても生じてしまいますから、スルーせざるを得ない、というのは、あると思っています。これは、私が以前書き込みをしていた掲示板で、痛感した事でもあります。

少なくともうまさんは、複数の、kikulogでの議論など知りもしない場所にコピペを繰り返したり、マネハンを使ったりした訳ですから、私としては、スルー以外に対処(複数HNが判明した時点で)は無い、と考えました。

上にも書いた様に、WEBでのコミュニケーションは、全く、情報が不足しています。ですので、以前、相手の心情に…、と、差し出がましい事を言ってしまったのですね。結局、書き手の心情に思考を巡らせた所で、それは確認のしようがないし、思考の無駄使いとすら、個人的には思います。

私のスタンスは、こういった感じですね。何か、とっても偉そうですが、勿論、それが正しいとか、そうすべきだとか、では無いです。

投稿: TAKESAN | 2007年4月 3日 (火) 13:10

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