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2007年4月12日 (木)

メモ:正しい姿勢

足を肩幅程度に開いた静止状態の姿勢。

  • 横から見る。重心落下線(身体の重心から鉛直に引いた線)が、踝を通る様に。
  • 体幹は真っ直ぐ。いわゆる「腰を入れる」事はしない。骨盤が後方に回転し、腰背部の筋肉が、無駄に緊張する。
  • 肩は上げない。なで肩に見える程度に。かと言って、意図的に下げようとしてもならない。外形を、無理に「作ろう」としない。外形的には同じに見えても、状態が全然異なる事がある。筋肉が程よく弛緩し、肩が落ちているのと、背中の筋肉で、下方に引き付けているのとでは、全く違う。元々の体型もあるから、あくまで目安として。
  • 大腿後面の筋肉で、身体を支える。これは、上記の、重心落下線(或いは点)の所にも関わる。一般的には、「膝を伸ばす」意識で、身体を支えるイメージだが、そうでは無くて、脚を後に引っ張り、つっかえ棒にするイメージ(あくまでイメージ)。
  • 大腿前面の筋肉は、可能な限り、弛緩させる。ただ「力を抜こう」程度の意識で、長年固めてきた筋肉をほぐすのは、大変困難である。更に、行住坐臥、認知しながら、徹底的に改善させる気構えでないと、直ぐに、元に戻ってしまう。
  • 適切な脱力が出来れば、膝は、内側を向く(イチロー選手の構えが典型的)。下腿は、脛骨で支える様にする。という事は、足底部は、内側で支える事になる。
  • 根本として、身体を、ゆるゆるにゆるめる。これは、筋肉の面から見ると、運動に必要の無い筋肉は、可能な限り弛緩させる、という事を意味する。
  • どこが固まっているかを認知する。肩凝りを同様の「感じ」が、全身隈なく分布している事を認知し、それを解きほぐす。
  • 身体がゆるまなければ、「正しい姿勢」はあり得ない。それは、どんなに高級な素材を用いた道具でも、錆付いたりしていたら、道具として使えないのと、同じ事である。身体は、生理学的・力学的法則に拠って運動する物体であるという事を、しっかり認識しなければならない。
  • 良い姿勢をとれている人の、「印象」:すーっとした感じ。横から見ると、身体が一直線である感じ。正面から見て、左右対称に近い感じ(あくまで目安。競技によっては、左右の筋肉の発達が変わるので。その場合でも、中心に線が通った感じがあるかどうかで、見分ける)。内股な感じ。だが、内側に締め付けている訳では無い。
  • 上に書いた「印象」は、あくまで、「印象」である。それは、視覚的に捉えた情報から、視覚では把握出来ない身体内部の状態を推測している訳だから、精度には限界がある。だから、とても解り易い、ハムストリングスで立てているかどうかなどをメインに、判断する。その情報の曖昧さを心得て、決め付けは避ける。そうでないと、客観的評価を無視した、極めて独り善がりな状態になりかねない。
  • 客観的には、圧力板や筋電位の測定によって、身体の状態を、科学的に測る事で評価するのが、望ましい。その場合、「正しい(望ましい)姿勢とは何か」、というのを、しっかり定義出来るかが、重要。私としては、高岡英夫氏の論に、賛同する。

因みに、よくテレビで目にする人で、とても綺麗な姿勢を取れていると「私が思う」人(こういう検討は、客観的議論が難しいです。画像を参照出来れば良いのですが、それは無理ですし)は、イチロー選手とか、荒川静香選手とか、長澤まさみさんとか、平井堅さん等です。テレビでは余り観ませんが、倉木麻衣さんとかも(←チョイスは適当です。と言うか、「何となくそう思う」人では無くて、「おお、これは!」とはっきり感じた、という人を選びました)。妥当な評価かは、解りませんが。

実はこのエントリー、凄まじく慎重な書き方です。武術の関連誌を読むと、まあ、好き勝手に、正しい姿勢だの何だのが、論理も何も無く、披瀝されていたりします。

動物の身体というのは、数百の筋肉が数百の骨に付着し(←これも、凄く単純化した表現)、かなりの自由度を持って運動するという、超複雑なシステムなのですから、そもそも、とても難しい問題なのですよね。何をもって「良い姿勢」とするか、という問題もありますしね。

因みに、これはどうでも良い話ですが、私の目標は、身体運動の論理構造を科学的に認識し、それによって見出される高度な運動を体現する事、です。高岡英夫氏は、「究極の身体」と表現しています。つまり、「解る」と「出来る」を、両立させたい訳ですね。基本的に、欲張りなのです(笑)

で、それには、バイオメカニクス(生体力学)や運動生理学の知識が、必須です。じゃないと、どうしようもないです。

武術の指導者で、解剖学的知識が少しでもある人が、どれくらいいるでしょうね。まあ、一般的では無い、と思います。そうだとすると、スポーツで言えば、トレーナーに当たる訳ですから、身体運動文化に関わる者としては、かなり駄目な話です。一旦、武術を外から眺めてみると、かなり異様でもあります。身体運動を極めようとする集団なのに、科学的方法を忌避する(傾向がある)訳ですからね。武術関係者は、もっと、自分の携わる文化を、相対化した方が良いです。

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