前提
引用は前後します。
『ゲームはどんどんやっていい。そのかわり同じ時間は勉強しなさい』
これは、とても、良い指導の仕方なのではないかと思います。
ですが、ゲーム脳については、もうちょっと、慎重にお考えになった方が、よろしいのではないでしょうか。
直観力のみに頼る、答えは誰かが教えてくれる、
深く物事を考えない、などといった弊害が予測されます。
いや、予測されるどころか、実際に生徒と接しているとそう感じます。
これは主観ですよね。単なる主観は、妥当であるとは限りませんよね。たとえ、その見方がある程度正しかったとしても、それが、ゲームをやったからだとは、断言出来ないと思いますが、いかがでしょうか。「感じ」た事が、一般的にも見出されるかどうかを確かめるには、科学的に分析されなければなりません。
その他の部分は、とても共感出来ます。子ども達の身になった指導をしておられる事が、文面から推測されます。ですが、ゲーム脳という概念を肯定的に受け取って(たとえ、保護者や子どもの前で、その語を口にしないとしても)、それを前提にするのは、妥当では無いと、私は考えます。
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コメント
A-WINGさんのコメントへの返答、大変丁寧なものですね。
ただ、やはり、「ゲーム脳」概念について、正確に理解しておられなかった様です。
そもそも森氏は、脳波のパターンの分類と、極めて主観的に見出した心理傾向とを、強引に結びつけている訳ですね。根底には、脳科学的な研究、というのがあります。
一方、社会一般的に、「ゲームをプレイする事によって生ずると思われるあらゆる弊害」、を表現する記号になってしまっている所もあるので、その語を用いる事自体、注意しなっくてはならないのですよね。
つまり、ゲームをやる事によって何らかの問題が起こった、と認識し、それを「ゲーム脳」と表現する、という事が起こり得るので、「何とでも」言えてしまいます。ここで、主唱者が初めに出した概念との乖離が、出てくるのですね。尤も、森氏の主張自体が、そもそも曖昧であって、そこが、問題をややこしくしているのですが。
科学的に批判する側は、あくまで、森氏の研究の不備を指摘しているのであって、ゲームの影響云々については、色々な意見がありますね。
それと、”この力が低下していることは事実。”、”『考える力の低下』ははっきりとしている訳で。”(さときちさんのコメント)、という所が、ちょっと解りませんね。断定なさる根拠が。
ゲーム脳についての議論は、「水掛け論」ではありませんね。立証の責任は、森氏にある訳ですから。批判は、森氏の研究の杜撰さを指摘すれば、充分です。ゲームが心理学的にどの様な影響を及ぼし得るか、というのは、一応、別の問題ですね。
投稿: TAKESAN | 2007年4月25日 (水) 17:27
こんにちは、TAKESANさん。「流行言葉を安易に使わないで」という主旨のコメントをつけて来ました。
ニセ科学批判をしていると、このニセ科学用語が「流行言葉」となるという問題にぶつかります。「マイナスイオン」なんかもそうですよね。
まともな科学は常に言葉を作るときに「定義」を明確にして、そして科学の議論をするときには、その定義を外さないように議論します。
でも日常ではそんなことはしません。以前、「コンビニ」という言葉を巡って人と話をしたことがありますが、「深夜にやっていないと便利でないからコンビニではない」「いや、11時くらいまでやってくれれば自分には便利だからコンビニだ」なんてね。
でも、こんな人による定義の違いは対して悪影響もないのです。でも、ニセ科学の「定義の差だけでない科学的に見える用語の流行」には明確な悪影響があります。それは「科学的な印象を与える」という悪影響なのです。
科学が社会から信頼を得るのは、その「確かさ」によります。そしてその「確かさ」を支えている事の一つが「言葉の定義の厳密さ」です。それ無しには科学は「確かさ」を失います。定義すらできない用語が「科学的な印象」を持って流行る時、科学は社会からの信頼を失っていく訳です。
投稿: 柘植 | 2007年4月26日 (木) 10:57
柘植さん、今日は。
リンク先での柘植さんのコメント、大変適切だと感じました。
正に仰る通りで、ニセ科学的言説によって生み出された概念が、流行してしまう事を、懸念します。
ゲーム脳の場合、「コンピュータゲームという文化現象」、「ゲームをする人間」という対象への評価まで含んでいますので、特に、慎重になって頂きたいと考えています。ここに何度も書いている通り、「ゲーム文化に積極的に関わる人」への不当な認識を、科学を「装っている」言説を根拠にして形成してしまう事を、心配しています。
定義が曖昧な語は、人が持っているそれぞれのイメージに結び付き、益々多義的になってしまう可能性があります。とてもまずいですね。
ゲームをやる人への偏見は、それこそ20年以上の歴史? がある訳で、ゲーム脳は、それを表す恰好の語であったのでしょうね。元々何となくのネガティブイメージを持っていた人にとっては、受け容れ易かったのだと思います。
投稿: TAKESAN | 2007年4月26日 (木) 11:40
こんにちは、TAKESANさん。
司法マニアとしてえん罪問題とか扱っていると「検察の2つの罪」という言葉に出会います。一つは「無実の人を犯罪人扱いする罪」なのですが、もう一つは「真犯人の捜査を止めてしまう罪」なのです。実はニセ科学の蔓延にも同じ事が言えるのです。ニセ科学の二つの罪とは、一つは「科学的無いことを人に科学と思わせる罪」ですが、もう一つは「まともな科学の発展に悪影響を与える罪」です。
なんて言いますか、一番目の罪についていうと、えん罪事件の被疑者に対する世間の考え方というのは事例により差がでる訳ですね。真面目な人がある日突然「強盗殺人」の罪で逮捕され、後で「誤認」と分かったなら、世間は「なんて酷い」と被疑者に大きく同情するけど、常日頃から乱暴者で街の鼻つまみだつたりすると、「まあ、あいつなら疑われても仕方ない」とさほど検察の間違いを責めない面もありますね。
ところが二番目の罪、つまり現実に強盗殺人は起きているのに誤認逮捕とかでその犯人を見つける捜査を打ち切ったという罪というのは、誤認逮捕された人が「真面目」でも「鼻つまみ」でも同じくらい悪いわけです。
世間というのはえん罪事件とかいうと、一番目の罪ばかり気にして、被疑者の日頃の素行に関係の無い2番目の罪のことを忘れてしまいがちなんですね。
実は「ゲーム脳」にも似たような面が有ります。「鼻つまみ者」とまでは言いませんが(というより、私は最近のTV番組の方がゲームよりはるかに「鼻つまみ者」だと思っています)、まあ、子供の教育に関して品行方正な優等生とも思っては貰えない面はあるわけですね。だから、ニセ科学で「悪者」扱いされたときに、一番目の罪に関してはなかなか「同情もひかない」訳ですね。
でもね、「分かっても居ないことを分かったように言いふらすことで、分かろうとする試みに悪影響を与える」という2番目の罪は同じなんですね。まあ、悪影響は様々ですけどね。
投稿: 柘植 | 2007年4月26日 (木) 12:44
LOGからお邪魔したさときちです。
『ゲーム脳』という表現、これ自体に色々な問題があると勉強させていただきました。実際、その定義ですら定まっていないのが現状だと思われます。つまり、私が病院の待合室で見かけたテレビの知識以上の、深く、本質的な問題がそこにはあるのだ、と。アマゾンでも森氏へのコメントの多さからも推測されます。私自信のそのあたりの配慮が足りなかったこと、反省いたします。
『それと、”この力が低下していることは事実。”、”『考える力の低下』ははっきりとしている訳で。”(さときちさんのコメント)、という所が、ちょっと解りませんね。断定なさる根拠が。』
この部分についてですが、文面からはほぼ断定しています。といってもそこに科学的根拠を求められれば、正確には『ノー』と言うしかないです。なぜなら、私は個人であり、全国的な調査などできる立場にないのですから。ですから、私のブログに科学的な統計的な根拠を高いレベルで求められても、、、いや『断定するならきっちり調べろ』という意見もあると思います。そう『主観』と言われるのもわかります。しかし、実際に子供達と接していて『思考力の低下』を感じているのは、何も私ばかりでないのです。先日、市内TOPの実績を持つ家庭教師の先生とこのあたりの議論をしましたが、その方も嘆いていました。今の私の立場では、担当している生徒と、その生徒に見られる問題を抽出し、成績を上げる、そこに集中したいと思います。なので『ゲーム脳の正確な定義』や『ゲームによる弊害』というテーマについては、他の方の研究を、という姿勢でございます。無責任?と言われてもしかたがありません。私の本業は家庭教師なのですから。随分、長くなってしまいました。読んで不快な気分になった方いらっしゃったら申し訳ございませんでした。
投稿: さときち | 2007年4月26日 (木) 12:48
>ニセ科学で「悪者」扱いされたとき
>に、一番目の罪に関してはなかなか「
>同情もひかない」訳ですね。
これは、良く解ります。特にサブカルチャーは、こういった扱いを受ける事が、多いかも知れません。
私は、ユーザーの視点としては、こちらを重視しています。
勿論、柘植さんの仰る、「二番目の罪」も意識していて、色々な観点から論じる様、心掛けています。
ゲーム脳の流布によって、他の優れた研究(坂元章氏等)が注目されない、というのは、とても残念な事です。真摯な研究は、「地味」に見えてしまうのでしょうね。ニセ科学は、「言い切って」しまい、それが説得力を持つ訳ですからね…。
投稿: TAKESAN | 2007年4月26日 (木) 13:06
さときちさん、今日は。
ゲーム脳を批判する側は、その語が安易に使われてしまう事を、懸念しているのですね。科学的にとても曖昧な概念が、流行語の様に扱われてしまう事によって、色々な問題が起きるのではないか、という。
実際に子どもと接し、そこで感じられた事を書かれるのは、全く構わないと思います。ただ、私には、それを一般化しておられる様に、読めました。
社会全体の傾向を知るには、統計的方法に拠るしかありませんので、そこを指摘させて頂いた次第です。
「ゲーム脳」は、ゲームの与える影響についての議論と共に、ニセ科学―即ち、科学の様に見えて、実はそうで無いもの。実証されているかの様に言われているが、実は論証不充分であるもの―の問題とも関わってきます。そこをご理解頂ければ、と思います。
投稿: TAKESAN | 2007年4月26日 (木) 13:26
こんにちは、さときちさん。
>この部分についてですが、文面からはほぼ断定しています。といってもそこに科学的根拠を求められれば、正確には『ノー』と言うしかないです。なぜなら、私は個人であり、全国的な調査などできる立場にないのですから。
つい最近、似たような話がありましてね。TVで前世だとか守護霊だとかを扱う番組がだんだんと人気が出てきている事に対して、霊感商法被害対策弁護団が意見書を出した訳ですよ。「こういうTV番組が、霊感商法の被害拡大に影響していると思うから、あまり真実っぽく放送しないでくれ」ってね。
その時にもね、「弁護団は『影響している』という統計とか持っているのか?」なんて話は合ったわけだけどね。そんなものはありません。ただ、現場で実務に当たっているものの「感触」として影響を感じているだけです。でもね、弁護士は自分の感触に自信を持って「これは現場の感触です」という訳です。下手な小細工をはしない。現場の感触は根拠だからです。
まあ、さときちさんの場合、たまたま聞きかじった「ゲーム脳」という言葉を、つい使ってしまっただけで、「ゲーム脳という流行言葉を使って自分の感触だけでは人に信じて貰いにくいところをごまかそう」なんて小細工じゃ無いことは分かりますけどね。でもね、世の中には「プロの誇りをもって、自分の感触を自信を持って言う」事ができずに、色々流行言葉とかを使って、「格好をつけてしまう」人もいますからね。間違われるのも不本意だろうと思いますから、気を付けた方が良いでしょうね。
投稿: 柘植 | 2007年4月26日 (木) 13:33
それから、さときちさんのブログへコメントをされている方々は、さときちさんがゲーム脳に同意されている、と考えておられる訳では、無いと思います。だからこそ、「ゲーム脳という語の”用い方”」に焦点を絞って、指摘されている訳ですね。
それは、それこそ、「炎上」させない配慮であると思います。
投稿: TAKESAN | 2007年4月26日 (木) 13:33
私としては、主観的な、「印象」だという事を書いていれば、構わないと思います。
私は、こういう、統計的に明らかにする必要がある問題には、敏感に反応してしまう事があるので…。学力低下の問題とか、犯罪の増加の問題とか。
過剰とも取られるかも知れませんけれども。
投稿: TAKESAN | 2007年4月26日 (木) 13:41
クイックな反応に驚いています。皆様、真摯なご指摘ありがとうございます。『統計のあやしさ』の罠には十分気をつけたいと思います。最近だとこういうものがありました。
http://www.nanbu.com/blog/blog2/detail-155.html
投稿: さときち | 2007年4月26日 (木) 13:54
丁度この時間帯は、チェックを良くするので(笑)
統計でのまやかしとかは、結構ありますよね。新聞記事での紹介とかで、何だこれ? というものを見るのも、しばしばです。
統計解析の知識は、必須のものですね。
とは言え、私も勉強が足りないのですが…。
投稿: TAKESAN | 2007年4月26日 (木) 14:07